[ 山行かば ]
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昨日は旭岳というところに行ってきました。標高2,290mとか。行く先々、耳タコで聞かされました。もちろん、蒲柳の質のテバとしてはロープウェイの終点が最高到達点です。終点の駅「姿見」1,600mで、待機することとします。そこから先は、元気な連中にお任せしました。ハイマツとかエキノコックスとかには、全く関心ありません。この駅名は多分、旭岳のお姿を見る意味かと拝察するのですが、観光客はナルシズムの姿見とばかり、山も自然も押しのけてド・アップの被写体を決め込んでおりました。テバはこの駅で、少しでも暖かい場所を探してウロウロしてました。
トイレがフルスペックの水洗式だったのにはショックを受けました。この大量の排水はどこに行くのでしょう。今ははや、環境愛好家が環境を破壊する時代なのです。ちなみに、ユングフラウのトイレでは全然水を使っていなかったのでした。
降りのカーゴを待つ人々の大半が戦闘服の自衛官だったのには驚きました。もちろん、かの旭川連隊の猛者たちです。一瞬、この山も戦後復興支援の対象地になったのか、と、愕然としました。よーっく見ると、北国にしては妙にディープな陽焼けをした隊員もいました。話は変わりますが日清戦争の少し前まで、内地には近衛を含む6師団があったのに、北海道は屯田兵制でありました。これは開拓使長官もやった黒田清隆の強い意見が影響したと言います。黒田はアメリカを見て、アメリカのような北海道を造ろうと思ったようです。そのアメリカも今ははや。
北海道開拓使の廃止と陸軍大学校の創設は同時期だったようです。北国の港から中東への輸送船を見送る日の丸の小旗、その間に100余の星霜が過ぎました。北海道の都会は、すべて、小東京になってしまいました。
それはさておき。昨日の出動は、81才の老女の捜索が目的だったということを夕方のニュースで知りました。お気の毒に、亡くなられたそうです。標高2,000m近い山の冷え込みは凄いですからね。一昨日の山行で、5合目あたりで気分が悪くなり下山したまま行方不明になったそうです。ほぼ同じ標高で発見されたようです。だれも気温の低さとか酸素の薄さ、それが体調に与える影響を気にしてあげなかったようです。単独でグループを離れたのですね。山行く人はやはり個人的サバイバルなんですね。
富士山に登って山の高さを知れ
大雪山に登って山の大きさを知れ
ファイトォー・一発ですか。どちらも知りたくありません。遠くから見てもわかりますけど。
2004/10/06(Wed)
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