[ 山村から ]
|
山村の宿屋の夕食です。土鍋があり大皿に豆腐、ネギ、白菜、そうしてなぜか多種・大量のキノコが満載です。これがメインディッシュだということは誰にも判りましたが、鍋には火も入れずに待っていました。魚とかイノシシとか鶏とかの、何らかの「肉気」が出てくると思うわけです、普通。で、宿のおばさんが「あら、召し上がらないんですか?」ときたので、これが具材の全てだと知ったわけです。これこそ初体験・幻の「キノコ鍋」だったのです。
本当に、期待はおろか予測もしていなかったのですが、季節はちょうどキノコのハイ・シーズンでした。いやはや愕きました。鍋以外もキノコ・キノコ・キノコですからね。翌朝の食事にもキノコがあったようです。「ようです」というのは、このごろセミ西式健康法に凝ってまして、パスしたから実見しなかったのです。これは幸いでした。昼食が天ザルとキノコの炊き込みご飯でした。もちろん天麩羅はすべてキノコです。結局15種類くらいは出てきたようです。
キノコ大好き人間にとっては、狂喜乱舞の極楽です。苦手人間には・・・です。
人口千人余の村です。一昨年初めて訪問しました。今回は四度目になります。前回までは日帰りばかりでした。一度じっくりとお話を伺ったりしたくて、泊まりがけの機会を狙っておりました。やっと実現したのがキノコの季節だったというわけです。キノコはさておき、やはり収穫はありました。「マス」に慣らされた都会的発想がどれほど無機的で危険なものかを、思い知らされました。千人の運命を運ぶ村でさえ、多すぎるほどの課題を抱えています。むしろ命懸けと言えます。
めでたく1億2,800万人になったこの国ですが、千人単位の「ムラ」に分割すると12万8千になります(計算、合ってるかな?)。これが、顔が見える範囲の集団の数です。これを三千余の市町村、あるいはどこかの省が目指しているような、千程度の自治体でどうしようというのでしょうか。平均10万人のマスを対象とする統治の発想とは?
新・後醍醐帝の平成の中興は何を目指しているのでしょうか。律令制の復活?
ルビコン川を逆に渡ろうとしているのではないでしょうか。
自分自身の来し方を考えると、それほど偉そうなことを言える立場ではありません。何せ、和製ベビーブーマーとして、「くらげなすただよえる」生き方の先陣を切ってきたのですからね。世界→日本→自分、状況という波のサーファーに過ぎなかったわけです。それならば、なおのことです。この山村を定点とさせていただいて、この国を見る視点を築くための勉強させて貰おうと思った次第です。リピーター志願の動機です。これからもご迷惑をおかけすることになりそうです。
今回は、かなり以前からお願いしていた甲斐もあって、衛生管理の厳しい養魚場も見せて頂きました。アマゴなどは、孵化してから放流するまで2年の歳月を飼養するようです。夕食のアマゴの塩焼きが大変に神々しく思えたことです。ヒノキ・スギの間伐についても教えて頂きました。一泊二日の間伐ボランティアは応募殺到だということです。説明を聞いているうちに、一度応募してみたくなりました。一ヶ月ぐらいは禁酒禁煙の助走が必要でしょうけれどね。
そばの花山傾けて白かりき (青邨)
蕎麦の花が雪のようでした。
2004/09/18(Sat)
|
|