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☆★☆- ホンの幕間 -☆★☆

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[ ゲンちゃんの夏休み ]
久しぶりの本格的な「雨」です。本当に今年の横浜はカラカラでありました。10日ほど前には、ついに、Uセンセイに苦情です。

『今年の横浜は本当に雨が降らないことです。箱根から厚木のあたりまでは降ってくるのですが、その後八王子・埼玉方面にフックしてしまいます。ひょっとして永田町-横須賀「脳天気前線」が超長期停滞しているせいかもしれません』

これに対し、真砂町ならぬ春日井のセンセイからのお返事です。

『まことに申し訳なき次第ですが、昨晩はストレス解消的雷雨でした。衛星放送がシャーと成るくらいでした。ここ半月で三回くらいあったように思います。そのうち一度は運転中でした。稲光の中を疾走するのは楽しいものでした』

まこと羨ましき御身の上です。

ゲンちゃんは職場の同僚です。盆休みが明けて出てきたので、どんな休みだったか訊いてみました。すると、20坪くらいの畑を借りているので、その手入れで忙殺されたとのことでした。たしかにそんな広大な農地を持っているのでは、普段の週末では追いつかないことでしょう。第二種兼業サラリーマンも大変なことです。農家が休んでいるときに農作業ですからね。

農事にうといテバとしては、「こんなにカラカラだったら、水遣りとか大変なんだ?」と尋ねます。するとゲンちゃん「畑に水をやるようじゃ、百姓失格だな!」とのご回答です。適時適作を心がけていれば、水は天からの貰い水で済むのだそうです。この原理に反するから、要らぬ苦労を背負い込むことになるのだそうです。子弟を塾に通わせる、これこそ悪例なのでしょう。

ゲンちゃんの郷里はイバラキ県の北部です。袋田の滝という名勝の近辺です。このあたりには典型的な農村が広がっています。ほっとするような景観です。多分川の水は水田にまわすだけで手一杯なのです。というより、川の水の限界まで水田を造り、残りの可耕地が畑になったということでしょう。それも、永年の試行錯誤の結果として。人と耕地と水(風土)がパラメータとなり、そのアウトカムとしての農村なのです。ゲンちゃんの夏休みの教訓でした。

多分今頃は、ゲンちゃんの大農園(こちらは埼玉です)にも恵みの雨が降り注いでいることでしょう。
2004/08/29(Sun) 台風


[ お断り ]
操作ミスのため、8月5日以降の日記を消してしまいました。単なる「下手くそ」の結果です。某テロ集団や某当局からの圧力は一切ありません。

 完全に、自己責任であります   (;´_`;)
2004/08/28(Sat) 雨


[ 知事の分際 ]
外交・戦争は一つの主権国家の根幹の問題だ。だから知事は、現地にいる四軍調整官(中将)とか、県駐在日本国特命全権大使(不思議な大使)を呼びつけず、日本国の総理に面会しようとしたのだ。県民の生命財産が危機にさらされたことも事実だが、県民は同時に日本国民であり、外交・戦争は一元化された場合にのみ、対外的に有効なのだ。チェチェンで内紛をやっていては、諸外国からあなどられるのである。この意味で、知事の行動には筋が通っているし、多分唯一の選択肢としての総理への会見申し入れだったのだ。

ところが総理(サイド)は思いがけない反応をした。成人・公人であることを疑わせるようなリアクションであった。「夏休みしてるから」というのが面会謝絶の理由だった。どこかの学校の教師が不祥事をしでかしたとして、その校長が「夏休みしてるから」ということで対応を拒絶したらどうだろう。総理は文科大臣に指揮権発動をしても、その校長の夏期休暇を取り消させたに違いない。駐留軍の不祥事は例外なのだろうか。それにしても公費なのか私費なのかわからないような、アテネへの電話とか歌舞伎鑑賞はなんなのだろう。

地元県では、「やはり我々は二等国民だったのか」という感想しきりである。横須賀の三代目の慶応出のという思い上がり極上人間は、あの県民を見下げていたのである。このことについて、かねて心痛しておられた先生のコメントがあった。

『写真集「オキナワ1961〜1970」(栗原達男、朝日新聞社1970)の中に「台湾人季節労務者」というページがあり、石垣島のパイン工場の日雇い労働者の写真があります。沖縄は気の毒だ、申し訳ないと思いながらこの写真集を買い見ていた中に、更に「下等国民」がいるという写真を観て、ショックを受けた記憶があります』

差別している人は、差別されている人からみても醜い、と言う。「人生いろいろ 会社もいろいろ 社員もいろいろ」、この台詞は「自分はエリートなんだからネ」、という意味だったのだ。

どこが・・・? しかし醜い。
2004/08/27(Fri) 曇り


[ ハイパー高気圧 ]
地球温暖化のせいかどうか、1020hPa を超える巨大高気圧が居座っている。前線であれ台風であれ、この高気圧の裾野をうろちょろすることしかできない。高気圧の位置は大きくは変わらないので、前線や台風が通過する地域も固定化してしまうようだ。南から北への熱量移動は止むことがない。したがって同じような地域が頻々と繰り返し豪雨に襲われる。逆に巨大高気圧の下では、上昇気流もなく、雷すら鳴りをひそめている。

地球温暖化の影響は、ハイパー・サイクロンという形で現れるだろう、というのが、ついこの前までの気象学者たちの予想で、ハリウッド映画まで作られていた。実際に出現したのはハイパー高気圧だった。現代の科学的予測はこの程度だったのですね。高層天気図を見ても、この高気圧は天空高く柱のように聳えている。ジェット気流を捜してみたら、はるか北、樺太あたりまで押し上げられていた。とてつもないパワーの高気圧だ。

これが南雲中将麾下の帝國海軍連合艦隊機動部隊だったとしたら、・・・というのは例の布哇真珠湾奇襲の早期撤収批判論である。確かにこれだけの破壊力を継続的に投入されたら、美国的太平洋艦隊は壊滅していたろう。いやいや、不謹慎な取り違えで、正しくは、この高気圧で日本は堪らないことです。この事態が解消するためには、基本的には、弾薬に相当する北半球の日射量が減っていくのを待つしかないわけだ。秋よ早く立て。
2004/08/04(Wed) 晴れ

My Diary Version 1.21
[ 管理者:テバ 著作:じゃわ 画像:牛飼い ]