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☆★☆- ホンの幕間 -☆★☆

2004/06 << HOME >> 2004/04

[ クラウンプリンス ]
これはT氏から聞いた話ですが、実話のようです。

ある時T氏は、ごく短時間ですが、某国のクラウンプリンスをご案内する機会があったそうです。さる故宮のご視察に関連して、経路をご案内申し上げるという軽い配役だったようです。T氏の出自はブン抜きの庶民ですから、かかるやんごとなきお方とお話できるなど、一族の歴史では空前の出来事だったことでしょう。もっとも台詞は全部で4つぐらいだったそうです。

 @ こちらへどうぞ

 A ここでスリッパにお履き替えください

 B いかがでしたか

 C こちらでしばしお休みください

まず@ですが、ご休憩所から徒歩で故宮に出発する時です。Aは宮殿に着いたところで、Bは視察を終えて出てこられた時、Cは再びご休憩所に戻ったところです。

で、ご休憩所玄関で待機しているときのこと。ほかに見るべきものとてなく、しみじみとお靴を拝見しました。手に取るわけにはいかないので外見だけですが、なかなかしっかりした作りの実用本位の靴と拝見しました。しかも、手入れは行き届いているのですが、分類上は「履き古した靴」でした。靴を自分で選んでいることが拝察され、ちょぴっとこの方が好きになりました。

Bの台詞に対してお答えになるとき、お顔は自然にT氏の方向を向きます。その背後20m付近には観光で来ていたおばさんなど(庶民)が一杯です。丁度、お妃のご懐妊説が飛び交っていたころですから、おばさん達の興奮ぶりはすごいモノでした。「M子様によろしくー!」とか「お大事にー!」とか叫んでいます。こんな困ったおばさん達にも、殿下はにこやかに手をお振りになります。
(T氏もM子様がドタキャンになってがっかりしていたようです)

予定外の台詞をこちらから申し上げることは「あってはならないことだ」と釘を刺されていました。しかしT氏はそんな注意事項をすっかり忘れ、Cへの移動の途次、お持ちになったカメラを見ながら、「写真がお好きなのですか?」などと質問してしまいます。すると「ええ、しかし、あまり皆さんを写すなと注意されています」とのお答えでした。この方が本当に好きになりました。

今回の騒動で思います。ある一家があったとして、これを千人以上の人間が取り囲み、生活のかかった二千数百の目や耳で凝視し、聞き耳を立てています。この状況は、見られる側には大変につらいことだという気がします。

これまではいろいろ押しつけておきながら、一旦問題が起きそうになると、ご意見があるのなら伺いましょう、と居直る。これは相当ズボラなやり方のように思われてなりません。T氏は既に殿下のファンだからそう思うのでしょうか。
2004/05/29(Sat) 晴れ


[ 架空総理 ]
どっかの国の総理大臣が、自分が最初に落選したあと、架空社員をやっていたことを認めた。そこの社長は「あんたの仕事は、次の選挙に当選することだ」と言っていたようで、立派な社長として尊敬していたという。尊敬しようがしまいが知ったことではない。これは立派な犯罪の告白なのだ。会社の定款にさえない業務(選挙の事前運動)に従事していた社員に支払った給与を、必要経費として申告したという脱税行為なのだ。しかも、国会議事録という完璧な自白調書付きだ。

しかし、これを指摘する国会議員が皆無というのは何故なのでしょう。支持率が高いからなのでしょうか? しかしこんな社長・社員がいる本○ひろし的ヤクザ漫画のような会社を許す有権者というものって・・・?
2004/05/27(Thr) 晴れ


[ スペインの雨は・・・ ]
さあ、イライザのように陽気にやってみましょう。映画では、

 The rain in the Spain falls mainly in the plain.

だったような記憶ですが、本当のレッスン用フレーズは、

 The rain in the Spain spreads mainly in the greatly plain.

とかいうのらしいです。それはさておき、レッスン2です。

 The solution to pollution is dilution.

どうですか? 発音の問題というよりは、意味に怪しげなモノを感じませんか。そうなんです。これは、かの政治的天才・古代ローマ人の格言らしいのです。「分割して統治せよ」のたぐいなのですね。日本にも似たような俚諺がありました。いずれにもせよ、表向きの意味は一応、

 「汚染の解決は希釈にあり」

なのですが、もっと政治学的に正確に訳すなら、

 「ややこしくなってきたら、ごちゃごちゃにして薄めちゃえ」

です。もっとも、ローマ人はこれをギリシア人から教わったと主張しています。確かに武断的な「分割して・・・」よりは、もっと凄みのある悪知恵を感じます。年季の違いというものでしょうね。顧みすればいにしえのギリシアの知恵、古代ローマの光輝、・・・、人というものを知り尽くしたヒトの怖さ。

話は飛躍しますが、岸○介という男、政治家としてはグレコロマンの足下にも及ばない男でした。あらゆる政治的課題を、60年安保という一点に凝集してしまったのですからね。あまりにも下手くそです。もっともテバ位の年頃になると、ある程度理解できるようになってくるのですが。

そこで、もっと飛躍します。全員が年金未納問題で困ったらどうしましょう。全員辞めますか? いえいえ、それはありませぬ。古代人の教えるところに従えば、他の問題を混ぜ込んで希釈してしまえばよいのです。他の問題、これは太平洋・日本海の水のように膨大なのです。必要なだけあります。

いくらでも薄めることができます。人民の迷惑? 知ったことではありませぬ。大切なのはカリスマです。影響力なのです。

 The solution to populism is dilution.

折角の脚韻が駄目になった、ナ。それでは、

 The solution to population is dilution.

この場合 population は、人々とか人間集団の意味にとって欲しいのでですが、ネイティヴのご理解が得られるかどうか、自信はありません。
2004/05/24(Mon) 晴れ


[ 沈黙のビジョン ]
カエサルは言ったという。

 「イタリア(本国)の静謐、プロヴィンキア(属州)の平和、インペリウム(帝国)の安寧、のために」

おおよそ二千年後、インド総督のカーゾン卿は言った。

 「辺境はカミソリの刃である。そこには近代の諸国民の戦争と平和、生と死の問題がかかっている」

もちろんカエサルの帝国は単なる願望に過ぎなかった。カーゾン卿の帝国は、この発言の直後、崩壊を始めた。

しかしこれらの政治家には、何か共通したビジョンが感じられる。本物のエウリピデス劇の悲愴さえ感じる。

それなら、たとえば今の政治家は、どう言っているのだろう。

 某都知事 「カジノは大切、爆弾は当然」

 某県知事 「田舎でも高速道路は必要」

 某大宰相 「私にも吉本の芸人ぐらいの影響力があればよいのだが・・・」

どんなビジョンなのだ。
2004/05/21(Fri) 晴れ


[ 義理・人情、いずれか人の知らむや ]
選挙が近づくと、予定候補者のパーティーが引きも切らない。このパーティー券、だいたいが二万円相場だと言うから恐ろしい。買ってしまった以上、ホテル側はお一人様二千円程度で仕切っていると解りながら出席する。貧乏人根性というヤツである。

ある会場で・・・麗々しく、予定候補者とその令夫人が出てくる。今宵のご夫妻は、お手々繋いでスタイルで登場する。幼稚園以来だろうなんだりろうな、きっと。旦那の方も結構派手なコスチュームだが、前回(初挑戦)落選ということもあり、少々うつむいている。

奥様は、けなげにも膝上10pの深紅のひらひらドレスで、胸を張ってのご登場ある。まあ、四十路後半なのに政治家の妻というモノはたいへんだな、などと思う。これこそ内助の功の一挙公開版なんだろうな、と思い、隣の先輩にその感想を漏らす。

例のホテルの超薄水割り片手にした先輩曰く、

 「何を言ってるんだ。引きずり出されているのは旦那のほうなんだよ!」

そのあと、来賓たちの仲人口の挨拶が延々とつづく。それにしても高価な宴会だ。
2004/05/19(Wed) 台風


[ ゾクッ : 寸鉄の言 ]
毎日を眺めていたら、「ボールのない野球」という言葉が目に付いた。保阪正康氏が武田泰淳氏の著作から引用しているのだが、武田氏は大政翼賛体制下の政治状況をこのように表現されたらしい。「ユニフォームは着ているが、グラウンドに寝そべっているサボタージュ状態」の議会政治のことらしい。武田氏はさすがに言葉のプロだ。ゾクッとくる表現である。そして現状が酷似していることに気付いた保阪氏も慧眼である。何かボンヤリとした不安を感じていたのだが、これこそが大政翼賛会の時代に生きていた日本人の感覚だったのか、と思い知らされたことである。

帝国陸海軍=55年体制、昭和恐慌=バブル崩壊、脱亜入欧・夜郎自大な選民意識、あれもこれもがおかしくなり始めたころに大地震があったことまでそっくりだ。バブルが弾け出してから「シャザイ会見」ばかり見せられているのだが、ついに国立赤絨毯劇場級の告白・謝罪合戦にまで行きついてしまった。少しも楽しくないゾ、大根役者。この国は心理的ペストに冒されてしまったらしい。ボールのない野球をやるようなら「監督や選手が観客に袋叩きにあって当然」と保阪氏は要約しておられるが、この無力感は、観客というより、黒死病の渦中の人間特有のもののような気がする。

 ゆうやけこやけで 日が暮れて
 山のお寺の 鐘が鳴る
 お手々つないで みな帰ろ
 烏と一緒に かえりましょ

これは何度目の輪廻(カルマ)なんだろう。前世で功徳を積んだからこそ、ようやく念願のヒトに転生できたのじゃあないのかい!・・・修羅道はどこまで続くんだろう。手塚先生には申し訳ないけど、

 不死鳥を 捕らえてみれば カラスかな
2004/05/17(Mon) 晴れ


[ サイト消滅 ]
反○○とか脱○○とかいう議論が横行しています。そして、ネットが有力な発信媒体になっています。これからも趨勢に変化はないことと思われます。

もう3年ぐらい前に、とんでもないグループに巻き込まれてしまいました。要するに、ある課題について、世間に正論を知らしめたい。そのために自前のウェブサイトを立ち上げようということでした。もちろん、「非正論」とか「反現実」とかの虚論が闊歩しすぎているんじゃないか、とお嘆きの中老年(とおぼしき面々)が集められたのです。

ところで、このメンバー、約15名ほどいましたが、個人的にサイトを持っていたのは、テバもふくめて2人だけでした。つまり、あとの13人ほどは、「人もすなるウェブサイトを、我もしてみむとて・・・」というやからです。キーボードアレルギーまでいます。一番非道いのは座長格の高齢のKさんでした。この世界に予備知識さえありません。

この方(69)は、某国営放送の解説委員を最後に辞められた方なのです。いろんな意見が寄せられることだろうから、これを編集して岩○新書ぐらいは出版したい、というユメまでもっていました。そうして、傭兵の一群をつれてきていたのです。ウェブサイトのデザイン屋みたいな三流コンサルです。テバは絶望しました。

何をやるのかというコンセプトも白紙なのに、提案もろくにできません。金儲けのネタにしてやろうというだけです。そして、これを手足の如く使うべき委員さんは、全くのド素人なのです。後日大変なことになることは解っていましたから、一言だけご忠告申し上げておきました。もちろん、耳に逆らう発言です。

 「このサイトは、期待に反して、精神病院か墓場のいずれかになるでしょうね・・・どちらにしても壊滅です」

このときの皆さんには、テバが非協力的破壊分子に見えたようですね。先日廃止になりました。結論は「墓場」でした。結構なお金をコンサルに払ったのですが。
2004/05/16(Sun) 曇り


[ 大快挙・大正解 ]
「○○小学校第一学年 昭和二七年三月」という写真が送られてきました。昨年初めて知己に加えて頂いたU先生からです。「この中から当時の自分を探せ」、とのご下問でした。なお、すでに二人ほどが失敗しているそうです。それにしても、自分の大昔の写真をネタにヒトを困らせようというのも相当な趣向ではある、と恐れ入った次第です。

何故か中央に先生が二人います。時間稼ぎに質問したところ、長髪は校長先生でイガグリ頭が担任(音楽)ということでした。ヒントはそれだけです。男の子は全員イガグリで、大部分が金ボタン黒開襟の制服です。女の子は例外なく、ワカメちゃんより長目のおかっぱでほぼ自由服です。詮方なく漫然と眺めていたら、大変なことに気付きました。

このクラス、男女比が大きく崩れているのです。男子28人に対し、女子が23人しかいないのです。5人ほどは嫁なしということになるのです。もっともこの問題は、数年後に来るベビーブーム世代のおかげで何とかなったのかも知れません。しかしそんな玉突きをやられたために、ベビーブーマーの男子は嫁日照りになるのです。謝罪せよ!

それにしても合計51人のマンモス・クラス。そう、当時はそうだったんですよね。40人未満のクラスに副担任までオマケに付けようとかいう、現今的状況とは大違いです。山の分教場とか巨大クラスの方が、いじめ問題などから解放されるようです。で、数日考えた末、乾坤一擲、最前列のある「坊や」を指摘しました。大当たり、とのことでした。

「まぐれ」ではありません。テバも必死に考えたのです。ある任意の日本男児があったとして、半世後もなお変わらない(変えようがない)ものは何か、これについて深く考察してみたのです(よほど暇がないとできませんョ)。

 ・人類のうちの最高の典型としての一人を取り上げて見たまえ、・・・【メルヴィル】

 ・その一身を君国にささげている神のごとき兵に、いかにして・・・【石原莞爾】

そう、この人たちのように考えるのです。そこで思い至ったのが「スタンス」です。人生に対する「立場」とか「姿勢」とかですね。ちゃんとした男の子なら、良きにつけ悪しきにつけ、小学校一年生の終わり頃には人生に対するスタンスが確立してくるのです。こればかりは、まともな日本男児なら、50年後も持ち続けている可能性が高いのです。

それ以降の考察はとても簡単でありました。最前列に着席していたのも幸運でしたが、

@他の子は隣の子と自分の椅子を密着させているのに、この坊やは少し離している

Aしかも、椅子のセンターラインを、写真の外を向くようにズラしている

B上記に輪をかけ、着座姿勢は、更に外を向いている

Cその結果、視線を、大きく斜めにしてレンズを見ている

D集合写真を(撮ることは好きだが)撮られることには、大いに疑問・不満を感じている

[多分、写真屋さんを大いに手こずらせたことでしょう]

どうです。これだけの条件があれば、28人の坊やからたった一人だけを指摘できるわけです。
2004/05/15(Sat) 曇り


[ 哲学的政治家 ]
岩手選出の国会議員は、「私の・・・哲学、信念・・・何も変わっていません」とやってくれました。一般国民の受け取り方ですが、元来ゼロのものなのだから、変わったりすることもないのだろうな、というあたりです。もし、本当に何かがあると信じて発言しているなら馬鹿に過ぎないし、嘘なら納税者を馬鹿にしていることになります。

そうすると多分、こいつは、自分が馬鹿をさらけ出していることに気付かず、納税者は馬鹿だと信じている哲学者なのでしょうね。そのような意味では、典型的な弊国の選良です。そうして更に、失敗を重ねることになるのでしょうね。人望皆無。
2004/05/13(Thr) 晴れ


[ 算数往来 ]
大陸浪人とか一旗組とかいうのは知ってました。これを知っていること自体、告白がはばかられるのですけどね。買ってきただけシリーズも終わらんとしています。その最終コーナーで、新たな商売に出会いました。

 GW 去って残るは 仕事だけ

それは「シナ屋」という商売でした。ラーメン屋じゃありません。レッキとした帝國陸軍現役の軍人サンだったようです。主要な軍閥の親玉のところに、軍事顧問みたいな格好で送り込まれていた佐官のようです。こいつらは、お任せ状態で軍閥を操縦していたらしいのです。故に、シナ屋同志の確執も多かったようです。統帥権も干犯もあったもんじゃあありません。送り込んだ方も、何考えてたんだか。どんな口実で給料を払っていたのか?

満州事変を構想中の石原莞爾が、内藤湖南という東洋史の大碩学に「支○を占領して長年月の持久戦は可能なりや」という問を発したところ、湖南は答えることができなかったそうです。故・青江舜二郎は、高等数学の大家に四則演算の原理について質問したようなものだ、と述べてます。見事に両者の顔を立てています。青江先生は石原をシナ屋の頭目だと見ているようです(必ずしも否定的な意味ではありません)。

しかし、世界は広いのです。高等論理学の大家が初歩の算数にコメントした例があるというから怖い。ファインマンさんの本には、ラッセルが「1+1=2」という命題の証明をやったらしい、という話題が紹介されています。なぜ、「らしい」のかというと、その本にはラッセルの手書きの証明の複写まで引用されているのですが、引用者自身が「解らん」と告白しているからです。もちろんテバにもわからん、Q.E.D.って、威張る話じゃないけど。

政治という泥んこレスリングの世界は、単に楽しんで眺めるなら、ワイドショーで結構です。しかし一旦襟を正して、納税者の立場からまじめに言わせていただくなら、これは政略と政策だけをやってくれればよいのです。更に役場が、ゴミの回収などもキチンとやってくれれば申し分ありません。何も「政局」をやってもらう必要はないのです。そんな暇があるのなら、自分が年金保険料をちゃんと払っているかどうかを検証すべきです。

予想通り、あの北米的唯一超大国の「イラク屋」たちは、自国を再びベトナム化させつつあります。統治階級のモラルロストから、人民階級のジェネレーションロストへ、これから深く長く進行することでしょう。前回は、立ち直るのに20年かかりました。今回は、10年ぐらいしかないのかもしれません。しかし、極東のバブリーな国家にとっては十分な期間です。さあ、あのフェニックスが政局やってる隙に、こちらは「平成元禄」に邁進しましょう。
2004/05/08(Sat) 晴れ


[ ホースとタライ ]
別にモンロー・ネタの「荒馬と女」という寒い意味ではありません。現在、「日田の天領水(R)」とかいうものを飲みながら、つくづく水道の水は不味いナと思っています。しかし、安い。水道水は安いのです。だからこそ極力ミネラル系は飲まないようにしていたのです。とはいえ、不味い。水道水は不味いのです。もう余命幾ばくもありません。水のコスト-パフォーマンスで悩むのはやめました。美味第一、安全第一。

一番先にあげられるのは「カルキ臭」というものの不味さです。これは残留塩素の臭いなのです。残留塩素はトリハロメタンの原因で・・・とかなると、もっとホラーなものになってきます。テバの田舎では、日本百名水に選ばれたプライドもありますけど、それ以前の大昔から、原水は鬼怒川の伏流水でありました。従って、バイオケミカルなリスクが極めて低いのです。ゆえに、塩素をあまり混入しません。これが美味しい。

なぜ伏流水は生物学的・化学的にリスクが低いのか、というような話は信州大学の中本先生あたりにお任せしておきましょう(三原市のサイト)。ここでしているのは、なぜ南関東の大都会の水がカルキ臭いのかという話です。コトは明治初期の水道普及時代に遡ります。当時、庶民の家庭では水道の蛇口は一家に一口程度でした。これで上水に関する用事を全部済ませていたのです。とはいえ台所と洗濯程度ですけどね。

洗濯は当然タライでやっていました。そこで登場するのがゴムホースです。水道にゴムホースを持ってくれば、とりあえず文明開化の第一段階通過、という古き良き時代です。ホースでタライに水を導いていたわけです。しかし一家の主婦は忙しいのでした。赤ちゃんが突如泣き出したりすると、「あやし」に行ったりしなければなりません(このごろの母親は・・・)。そう、水道の水が不味いのは、この赤ん坊のせいだったのです。

当時、お襁褓というものは布製で、何度も洗って繰り返し使用するモノでした。知ってましたか? ウチの第一子は境目でした。タライの中にはこのお襁褓があります。ホースが突っ込まれてます。給水圧が不安定な時代でしたから、万一断水にでもなると、タライの水は水道管の方に逆流するのですね。そうすると、赤ちゃんのモロモロが水道管の中に吸い込まれていきます。そこには大腸菌とかがたっぷりと含まれています。

そう、タライの中でも十分な滅菌ができるようにと、リスク回避ができるようにと、「蛇口ニオケル残留塩素ハ コレヲ1ppm以上ニスベシ」という基準が定められていたのです。

じゃあ、今はどうなんだよ。パンパー○じゃないか。そんなに一所懸命塩素を放り込むなよ、お前ら。そういうご意見もあるでしょう。わかりますよ、その気持ち。ド〜ゥド〜ゥ。しかしようっく考えてみましょう。河川の原水は「みねさん」の時代よりきれいになっていますか? 地下はどうです? 下水道からの漏水や工場排水で汚染された地下水・・・こうしたものが老朽化して穴だらけの水道管を取り囲んでいませんか?

天神地明に恥じつつも、当面、高価なミネラルウォーターを飲むしかないテバなのです。
2004/05/04(Tue) 曇り


[ ミトコンドリア、大好き ]
買ってきて積んどいただけシリーズです。遂に、「まえがき」段階で抱腹絶倒な本にあたりました。例のパラサイト学説で名を揚げたミトコンドリアです。そこでは、その命名の由来に触れておりました。「mito=糸」と「chondrion=粒子」をくっつけた名前とあります。「糸粒子体」とすれば四文字ですか。閑話休題。単数形ならミトコンドリオン、複数形はミトコンドリアと、知らぬ間に語尾変化していたようです。

テバの記憶では、(それこそ太古ですが)高等学校生物の教科書には、落花生の殻の断面内に迷路の壁を多数配置したような絵が出ていました。これが実像とは相当違っていたようでした。現在的には「直径1ミクロン以下の細胞小器官で、ネットワーク状や糸状の形をしている」とあります。解像度の悪い顕微鏡では粒状に見えていたけど、電子顕微鏡では糸状だった、ということらしいのですね。

現に、「電子顕微鏡を用いた細胞の構造の研究」っていうだけでノーベル賞(1974年:生物学部門)を出してもらったとあります。いいですね〜、この分野。火星に運河があるのかないのか、約100年間にわたって世間を騒がせてきたあの話に似ています。そういうことならスキャパレリやローウェルを克服したNASAの連中は、全員ノーベル賞ものだと思うのですが、いかがなものでしょう。

それはさておき。日本にはこの命名に相応しい伝統食品がありました。そう、テバピラまで遡って恐縮ですが、あの「糸引納豆」です。これは正真正銘、糸状でもあり粒子状でもあります。電子顕微鏡がなくても大丈夫です。更に水戸納豆っていうことになれば、「糸を引く粒状体物質」ということで、まさにぴったりです。「mito納豆」または「ミト納豆」、意匠登録ものです。元気のある方、どーぞ。
2004/05/03(Mon) 曇り


[ 守勢大作戦計画案 ]
めでたく連休ということです。買ってきただけで読んでないシリーズを片づけていたら、標記のような大作戦に出会いました。明治36年1月成稿とあります。100年前の戦争の開戦一年前です。要するに、黄海と日本海のどちらの制海権も確保できなかった最悪の場合を想定しているのです。次の3ケースをあげています。

@侵攻目標が東京
  駿河湾への上陸を想定
A侵攻目標が大阪
  若狭湾または伊勢湾への上陸を想定
B侵攻目標が下関
  伊万里・唐津または油谷湾への上陸を想定

最悪の状況も想定していたあたりに、明治人の緊張感が伝わってきます。しかし守勢ともなれば、伊豆諸島や、佐渡、壱岐、対馬、五島などに構っている余裕はないようですね。前大戦で沖縄があんなことにになった発想の原点みたいなものを感じました。

第三のケースが唐突な感じがします。当時の重要な開港地、新潟、函館なんかを押しのけて登場します。テバの推測ですが、伊万里・唐津は文永の役、油谷湾は弘安の役の記憶でしょうね。この守勢大作戦計画立案の中心にいたのは陸の長州の連中ですから、こんなことになったのだろうと思います。あの辺の子供は「ムクリ(蒙古)が来るぞ!コクリ(高麗)が来るぞ!」と脅かされながら育つという噂があります。北関東の子供には、幸いそんなトラウマはありません。

それにしても大日本帝国国軍の発想は、元寇ぐらい大昔の先例主義だったのですね。この約四十年後に Dolittle の帝都空襲も予測できなかったわけです。
2004/05/01(Sat) 晴れ

My Diary Version 1.21
[ 管理者:テバ 著作:じゃわ 画像:牛飼い ]