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☆★☆- ホンの幕間 -☆★☆

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[ 古酒異変 ]
琉球新報によると、この6月から出荷分の古酒(クース)から表示基準が変わるという。ということは、しばらくの間は、旧出荷分との混在状況になると思われる。この問題に深い関心を寄せておられる全国1億2800万人有志のためにお知らせする。ご注意あれ。まず、現在まで行われてきた表示基準だが、古酒とは「貯蔵期間が3年を超える古酒が全量の51%以上」のものということであった。ここに問題があった。三年古酒と新酒を、おおむね1:1でブレンドしたものも「古酒」だったのだ。八年古酒とか十年古酒とか銘打っていても同様である。新酒混入が49%未満なら文句が言えない仕掛けだった。

新基準では、「例えば『5年古酒』というように年数が表示できるのは(1)全量が5年以上貯蔵の古酒(2)5年古酒90%と8年古酒10%など、表示年数以上の古酒を混ぜた場合に限定した。混ぜた比率を表示することも任意でできる」というように変わるらしい。確かに、ブレンドの酒種・割合を克明に記載したラベルもあった。大概高価な高級品だったけど。ただ、従前のように単に「古酒」と表示する場合のルールはそのままなので、もう一段とご注意あられたい。コンプライアンスとアカウンタビリティーの勝利らしいが、そんなグローバル用語は全くわからん。しかし、結構なことである。

ただ、その動機が・・・何というか・・・若干情けないというか・・・。酒造組合連合会の説明では、「焼酎と差別化を図り本土展開していくためには古酒造りをメーンに据える必要があるが、そのためには消費者の声に応えて表示を分かりやすくしなければならない」ということらしいのだ。そういえば、薩摩焼酎などにも近ごろは「古酒」を名乗るヤカラが増えてきている。あちらの組合の基準は知らないが、多分、同様なものなのだろう。新報の解説では、「県外の乙類焼酎市場は九州の焼酎の占有率が9割以上を占めると推定され、県外に出荷される泡盛の同市場に占めるシェアは1%にすぎない」という。こんな背景があったようだ。

泡盛も結構ダッチロールな歴史を持っている。復帰直後には「琉球焼酎」というラベルを貼った時代もある。焼酎の知名度におんぶしたがっていたと思われても仕方ない。さて、この平成の古酒戦争、どうなることか・・・やや心配している。なんと言っても本土の業者には大手が多い。良い原酒をじっくり寝かすには金がかかる。琉球王朝なき今日、資本主義の時代なのだ。
2004/04/28(Wed) 晴れ


[ 薪能 ]
大昔、薪能というものを勧進したことがあります。渡月橋と嵐山を背景にした中ノ島でのことでした。とある夏の宵のことです。結構大勢の観客が集まり、我ながら、幽玄とはこれだと悦に入っていました。しかし後日、都雀たちの間では、とんでもない評価になっていることを知りました。あこがれの観世流で是非、とプロモーションに発注していたのですが、そのあたりはお任せにすべきだったのです。観世はとうに東京の流派や、あの男、関東(カント)出身の田舎者やさかい、ということ。テバは中学で習った中世史程度の知識しかなく、現代の能狂言界を知らなかったのです。気を付けましょう。

マシンもあまりに古くなったので、取り替えることにしました。例の80GBのポータブルHDDを持ってきて、旧マシンの内容の保存にかかります。しかしこのIEEE-1394とかいうやつ、厄介です。ドライバもフォーマットも、98マシン用に、全部やりかえなければなりません。Xpならプラグ&プレイで済んでいたのに、と、ぶつぶつ(頭の中で)言いながらマニュアル片手に悪戦苦闘の末、やっと終わりました。そこでハタと手が止まります。こんなことして保存しても、次のXpマシンには移せないことに気付いたのです。次にXpに繋ぐ時には、リフォーマットされてしまうのです。消えてしまう。

この人生、馬鹿ばっかやってる。
2004/04/23(Fri) 晴れ


[ 砂漠の戦争 ]
アラン・ムーアヘッドの「砂漠の戦争」(ハヤカワNF)は愛読書です。トリポリの方面から眺めたり、アレキサンドリアの方から読んだり、一粒で何度も美味しい秀作です。ウォーコレスポンデントというものが、どっかのフリーター的ジャーナリストとは全く違う、緊張感と誇りに満ちた職業であることもよく解ります。

ベトナム戦争は密林の戦争でありました。密林の存在がベトナム化の原因だった、と考えた戦争屋・評論家も多かったようですね。ゆえに砂漠の戦争はベトナム化しないのだ、と結論したのでしょうか。ベトナム戦争がベトナム化したのは、政治屋と戦争屋の誤算が原因だったとは考えなかったのです。

砂漠の戦争も完璧にベトナム化することが、徐々に証明されつつあります。スペインにおけるナポレオンの大陸軍の敗退、中国での帝国陸軍の挫折、これらも全て密林なきベトナムだったのです。ムーアヘッドの上掲書を丹念に読めば、砂漠であることは、単なる戦術的要素にすぎないことが解ります。
2004/04/22(Thr) 晴れ


[ 一緒に帰ってきたもの ]
いやな話だけれど、重大な話である。あのイラクから無事帰還した三人は、PTSD(心的外傷後ストレス障害:PostTraumatic Stress Disorder)に罹患している可能性があるという。ドバイの医師の診断らしいが、誤診であることを願うのみだ。しかしドバイのその医者は、会ったことはないが、残念ながら、この診療科では練達の師であろうと思われる。

日本で最初に指摘されたのは、あの奥尻島の津波災害の直後だった。たまたまそんな仕事をしていたので、赤十字やそのことに関心のあるマスコミ人から詳しく聞かされた。その直後、阪神淡路で大量に生起し、否応なしに実感させられた。この症候群にはいろいろな説明があったのだが、テバの理解では、(心理学的)エゴが崩壊せざるをえない物心両面の状況に、克明に直面してしまうことが原因のようだ。ここにいうエゴとは、幼児にとっての親のこともあるし、青少年にとっては深く信じる友人・他人でもあるし、場合によっては自分自身の場合もあるようだ。もっと抽象的にはユマニテとしての人間性だ。

PTSDに陥ると、それまで丹念に組み立ててきた心的秩序が一挙に崩壊するようだ。やっと上手にお絵描きができるようになった小学生が、幼児返りして無意味な線しか描けなくなる、というようなことが典型例のようだ。紛争、戦乱の打ち続く地域の医者にとっては、日常茶飯的な症例なのだろう。というぐらい、日本以外の世界の多くの地域の医者はこのことで悩んでいるのだ。逆に、「超」付きの平和な地域の医者にとっては、マラリアや狂犬病やペストのようなものだ。臨床経験さえない。単に、風邪かなと誤診する。

PTSDは伝染性を持つ。周囲の人間を巻き込んでいく。これは、人の心を癒すのは人の心しかない、ということの裏返しである。対偶関係というものなのだ。数学幾何学がよく解らない人のために、もう少し説明しよう。「人の心以外で心を癒された人がいるなら、その癒された人は、人の心を持たない」。
2004/04/19(Mon) 晴れ


[ 診療科 ]
診療科というものは幾つぐらいあるのだろうか。

前世、多摩方面で、災害時には東日本災害医療センターになるという病院を視察させてもらったことがある。怪僧ならぬ快僧ラスプーチンみたいな容貌の院長様が案内してくださった。23科を置いてあるとのことだった。これで実用的には足るよ、というご託宣だった。話は横道にそれるが、この病院のユニークさの第一は、正面玄関よりも裏玄関の方が巨大なことだった。つまり、平常時の患者さんは、内科医たちが待ちかまえている正面方向から粛々と入ってくればよい。ゆえに通常の規模でよい。しかし一旦発災時には、救急車を、裏門から手術室の横に直接乗り付けさせようと、そのためのスペースを確保してあったのだ。病院の中を救急車が驀進するのだ。ハリウッドですね。そこそこ元気な人は正面から、瀕死の人は裏口から、ということ。最初は唖然としたのだが、考えれば考えるほど、この院長さんの透徹した合理主義には点頭するのみだった。救急車の停車位置には滅菌洗車設備まであった。これで手術台にも横付けできるそうだ。

廊下がやたらに広い。病室の奥行きよりも廊下の幅の方が大きい。これは、災害時に仮設ベッドを展開するためのスペースだという。もちろん病室には詰め込めるだけ詰め込む。それでも不足する。そこであとは廊下に、と、これは野戦病院の発想だ。ナントカ省からは病床数と床面積の適正な関係についてご懇篤なる指導をいただいたそうだ。大喧嘩にもなったという。それでも押し切ったらしい。屋上にはお定まりのヘリパッドがあった。なるほど被災者の搬送のためだな、と思った。テバにも判ることである。ところがこの院長さんの発想は違った。これは手の空いている医師らを関東一円から掻き集めるためのものだという。東日本センターの責任者ならこう考えるのだろうか。ある部屋には、何台もの電子顕微鏡が設置してあった。これは優秀な医学生、インターンを惹き付けて常駐させるための「エサ」ですよ、と呵々大笑された。鯛よりエビが高価な、お大尽の釣りである。リベートとしても、当直医手当とはケタが違う。

このラスプーチン先生に一貫していたのは、理想の防災医療施設を構築するという思いだけだった。これが誰のためになるのかなどと問われれば、先生は多分、ポカンとした顔になったことだろう(訊いてみればよかったな)。外科族系の医師には裸足にサンダルのヒトが多いということ、気付いてましたか? もちろんこの院長先生も裸足の医者だった。逆に「靴下を履いた医者を信用するな」とも言える。このあたりは万病持ちのテバならではの帰納的結論だ。院長さんは、必要なら私費をはたき、世界中の救急医療センターを見て回ったという。完璧ではないかもしれないが、かなりイイ線いけたという喜びを満身に溢れさせておられた。庶民のテバとしては、この赤ヒゲ先生に医療界の限りない未来を見た。

超々太古、医学概論というものを(教養として)聴講したことがある。その講師の先生(老医師でもある)が、諸職往来談をされた。かなり公開を憚る内容もあったのだが、歯科は大工だと明言された。確かにトンカンやったり、ドリルをギューンと回したり、似ているところがある。しかし講師先生の観点は違う。医療行為の対象としての人間の尊厳をどう見るか、ということだった。要するに歯科医師は人間を見なくてもやれる、ということだった。単なる力学・工学の世界なのだという。この論法で、産科と畜産科は同一のモラルを持っていると説明された。どちらにも、母体を損傷してでも胎児を救出する術式がある。「帝王切開」と呼ばれるが「母后切開」とは呼ばれない所以だ。サラブレッドの世界と何も変わらない。しかしこの老医師は、理工系のアホ学生相手に与太咄をしていたのではない。医師として、ついに解けなかったスフィンクスの謎について語っていたのだ。

さて冒頭の疑問だ。どんどん細分化したものを見ると、50科以上はありそうだ。

 ムツゴロウ 穴に籠れば 我が天下

かな。一科に籠れば、ラスプーチンの情熱も老医師の悩みも必要ない。歯科医師診療報酬を巡って、金、お仕立て券付洋服生地(情けない、特に「お仕立て券付」あたりは恥ずかしい)、料亭接待が行き交ったという。これが医師と役人の世界だと思うから腹が立つ。力学・工学・土建屋の世界だと思えば、ありそうな話ではある。

某国の総理大臣を諸職往来すれば、やはり「鳶職」になるのかな。身の軽さだけが身上。
2004/04/15(Thr) 晴れ


[ 不条理の旅から ]
どんなに努力をしたところで、陽光と雨と風はどうしようもない。天候に恵まれないと農作物は豊かに実らない。蝗害もあるだろう。時にはネズミ、時には野鳥が、疫病をもたらすかもしれない。ヒトの努力に天は無関心なのだろうか? 「然り、それでよい」、とカミュは言った。「否、しかし、これでよい」、とヨブは言った。若いころからの迷いだ。

天国(極楽)と地獄の存在をアプリオリに受け入れたら信仰に入れるのだろうか。大宗教・大哲学は地上の出来事に対して、あまりにも無力だ。天国や地獄を予感する奇跡は、多分、人生が尽きるあたりで起こるのだろう。我は天を信ずる、不条理は天の子である、不条理が救いであるのかどうか、現在のところわからない・・・異端思想そのものですね。

今回の三人拉致事件があまりにも予想通りのプロットだったので、逆に驚いた。以前ベトナム化を予感したことがあるが、全く同じ筋書きだ。醜いアメリカ人。今回のストーリィ・ラインでは、日本もこれの同盟者だ。でもしかし、政権の判断と国民の知恵が別物だとしたら、アメリカ人は再び、賢明さを証明するのかもしれない。あと数ヶ月でそれは判る・・・茶番説もあるが。

で、日本は? こちらの方が心配だ。
2004/04/11(Sun) 晴れ


[ メタな話 ]
マーチン・ガードナーの「ゴッチャ」は、ウソつきのパラドクスから始まっています。冒頭はあの有名なエピメニデス(クレタ人)が述べたという「クレタ人はみんなウソつきだ」という命題です。後世、コスのフィレタスという繊細な詩人は、この問題に悩みすぎて早死にしたそうです。

1枚の紙があって、「この文はウソだ」と書いてあるだけで頭痛がしてきます。これを少々ひねると、紙の一面には「この裏に書いてあることはウソだ」とあり、反対の面には「この裏に書いてあることは正しい」とある、という話になります。やはり命を縮めるような話です。

最も明快な例は、

 A「文Bはウソだ」

 B「文Aは正しい」

でしょう。とどのつまり、ガードナーの説明は、対象言語とメタ言語というところに行きつくわけです。20世紀の一大発見ですね。ここで「言語」を「世界」と置き換えてみれば「バカの壁」の話にもなるわけです。

それはさておき。今日の放送大学で、メディア論と題して映像のマジックみたいなことをやってました。ニクソン訪中からイラク戦争まで、実際にニュースとして流された映像も豊富で、結構面白かったのですが、講師の先生の締めくくりの言葉は、

 「テレビはウソをつきます。私は今、テレビでそう言っているのですが」

というものでした。お見事。テレビ等のメディアがニュースなどを流しているとします。そこに映し出されているのは、果たして対象世界なのでしょうか、メタ世界なのでしょうか。そういえば「真実」という皮肉な名称の新聞もありました。百歩譲って「事実を報道しているだけだ」と主張されても、その主張がメタだという保証はありません。パラドクスだけが残ります。

こんなことで悩んでいては長生きできないのですが・・・
2004/04/04(Sun) 曇り


[ 「やれば出来る」 : U兄への返信 ]
『「やれば出来る」は魔法の合い言葉』、ご紹介頂いたサイトで耳目ともに鑑賞いたしました。貴重な情報ありがとうございます。

  http://www.saibi.ac.jp/100kouka/kouka.html

さすがは俳諧の亜聖・子規の古里ですね。「珠玉の校歌集(全国版)」を編むとしても、劈頭を飾る資格は充分あります。タカラヅカ・巨人の星・アタックナンバーワン等々の良いところを骨格に、林古渓風の正統な流れをちりばめた感じです。テバはむしろ、この一色和○子先生に興味を持ってしまいました。ドンナヒトナンダロウ。源氏物語をN*K文化センター松山教室で10,395円で講じたり、短作文指導に関する年間指導計画の樹て方を指導しておられる方のようですが、詳細不明なのが残念です(特にご真影が見つかりませんでした)。

ロマン(三文小説)とかコミックの世界に自分を当てはめるというのは、ある種、文化の爛熟期の特徴のようです。○○文化というものは、その構成員を、固有の様式・型に押し込める作用を持つようです。○○のところには、弥生、ヤクザ、王朝、戦後、ブッシュマン、ブッシュ、何でも入れてください。しかしながら、型に押し込まれるということは、個々人にとってはつらいことです。つらさが人格の50%を超えると、心理的な逃避が始まり、75%を超えると逃避的行動に走るようです。時代は今や平均して70%ほど爛熟しているのだろうと思います。

逃避的心理や行動というのは、現象としては党派的ということになるようです。あいつがそっちというなら俺はこっちに付く、ということですね。あまり悩まずに典型的行動さえ取っていればよいわけです。つまりロマンやコミックの登場人物になり切ることです。しかも完璧に様式にかなっているのですから安心です。極めて厳格なルールで仕切られた高校野球も、愛郷心という党派的心情をくすぐる素材にはなりえます。箱根山の東は一校も残っていないベスト4ですので、これから先は、極めて客観的に眺めることができそうですが。
2004/04/03(Sat) 晴れ

My Diary Version 1.21
[ 管理者:テバ 著作:じゃわ 画像:牛飼い ]