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☆★☆- ホンの幕間 -☆★☆

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[ 人命はCO2より重いか? ]
誰も話題にしていませんが、集団健忘症にでも罹ったのでしょうか。

以前にも、回転ドアを巡る事故が多発した時代があったのです。もう40年以上も昔のことです。高度経済成長が始まったばかりの頃です。ホテル、百貨店などが続々とこのドアを採用し始めたのです。当時は、現在のような省エネ目的というよりは、高級感の演出[見栄]が主目的だったようです。小金持ちの象徴として、つまり帝○ホテルや日本橋○越の猿真似ですね。一種のブームになり、この曲芸的ドアは北関東の地方都市にまで進出していました。

その結果全国的に、事故が多発しました。当時は強制駆動式ではなく手動式だったのですが、死亡事故も報道されていたような記憶があります。日本人の足腰ではこの雑技をこなしきれなかったのです。間もなく、このタイプは一斉に姿を消しました。代わりに登場したのがスライド式の自動ドアとエアカーテンの組み合わせです。ただこの方式はエアの遮断効果が不完全です。更に、吹き付けてくる風が、通行するヒトに不快感を与えます。

最近再び、回転ドアがどんどん普及しだして、不安を感じていました。この第二次ブームの根源はオイルショックあたりのはずです。エコとかグリーンとかの外見を装ってはいますけど、要するにコスト[ゼニ]の問題です。合理化がここまで徹底すると、ビル(しかも超巨大化してきた)の冷暖房経費が、決定的に「採算性」を支配するようになって来たのでしょう。メーカーのサイトを見ると、「空調経費が激減する」と謳っている例も多いようです。

そもそも、あの回転体の角速度は誰に合わせているのでしょうか。ボブ○ップなのでしょうか、それとも杖をついたご老人なのでしょうか。体力だけではありません。ユークリッド的平面に棲む人間には、回転するものに対して空間自己定位ができる回路がありません。すると危険性を誤認してしまうのです。「まだ大丈夫だろう」症候群ですね。テバはなるべく傍らのスウィング式のドアを通るようにしています。ただでさえ老人力向上中の身ですから。

安全基準やフェイル/フールセイフ機構が不備だったということは、昨日初めて知りました。40年前は高齢者の事故が多かったと思いますが、今回は小さな子供・・・痛ましい限りです。
2004/03/28(Sun) 晴れ


[ 三宅アナの転勤 ]
「おはよう日本」から三宅アナが去るようで、少々さみしいのです。このアナの印象は、長江取材の特番にトドメを刺します。この大河を某(初?老)女流作家のお供をして、何日もかけて遡行する船旅でした。三峡ダムが間もなく着工されようとしていた頃なのですが、もちろんその時点では三国志の世界そのままです。この景観が水没する・・・10億余の民の幸せと引き替えに・・・失なわれる歴史・追憶そして回想、ということです。女流作家はしみじみと呟きます。

 作 「もう、この風景を二度と見ることができないのですね」

 三 「いやー、先生はお若いですから、何度でも来る機会はありますよ」

 作 「そういう意味じゃなくて・・・」

 三 「あっ、・・・」

テバが不思議に思ったのは、このシーンがカットされなかったことです。当時の国営TVのディレクターには、度胸というか見識というか、骨でもあったのですね。吉本ファン? それともただの編集ミス? でも、それからというもの、三宅アナが好きになりました。
2004/03/27(Sat) 晴れ


[ もう一つの昭和恐慌 ]
テバがやっとカタカナを読めるようになったころのことですから、それほど大古ではありません。家の近所に「ンサトッダ」という看板があり、本当に「んさとっだ」というものがあると信じていたことです。これは右から読むべきであり、しかも「脱兎」+「SON(息子≒損)」⇒「脱兎SUN」という歴史があったことをこの子が知るに至るのは、はるか後年のことです。最近ではトラックのボデー(と昔は書いていた。いまやバディーですかね)に右横書きを見かけることも、本当に稀になりました。当時の田舎のバスの右側面には「スバ東関」と書いてあったのです。本当ですよ。低学年は素直に左から読んでました。

屋名池先生が最近上梓された奇書「横書き登場(岩波新書)」を読んでいると、「私の縦横史」がアタマの中を渦巻きます。昭和劈頭の金融恐慌の収拾をめぐって若槻内閣から田中内閣へと政変が起こったドサクサに、新旧の鉄道大臣が朝令暮改的に、駅名表示を左横書き⇒右横書き・てんやわんやさせたことが記述されています。「ことば」の問題にハカセや「大臣」が絡むと厄介なことになるという典型例です。この時、右横書き復古を強硬主張したらしい小川平吉なる信州出身の新鉄道大臣には、県名復古(?)を必死にはかっている某知事を彷彿とさせるものがあります。こんなこと、福利民福と何の関係があるのでしょう、田中さん?

「日本」は「ニッポン」なのか「ニホン」なのかが問題になったとき、日本のマスコミは大層エレガントな解決法を採りました。時のS総理大臣に談話取りをしたのです。S総理が「私はニッポンだ」と語ったことをもって結論とし、極右も極左も黙らせたのでした。でも、テバのナベブタムシの如き短い経験でも、「西ニッポン」と「東ニホン」はどちらも厳然として存在しているのです。薩長土肥に一方的に荷担するヒトも、戦国末期の日葡辞書に「NIFON」と記されていることは否定できないはずです。皇帝陛下だって、世界を見れば、ファンティン、カエサル、シーザー、カイザー、ツァーリ・・・本当に同じヤツか、ですよね。

屋名池先生の御本で最高面白いのは「折衷様式」の時代です。

 は険保易簡 ← らか日一月四
 ↓
 2000圓まで

こういうのって、回文ならぬ回字とでも呼ぶのでしょうか(ムスリムに怒られそう)。読めてしまう自分が怖い。そういえば、テバの棲息している日吉の商店街は、今春のキャンペーンとして、

 日吉吉日

なんて打ってます。国際的に見ると、こんな柔弱・軟弱な国民性って、どんな評価・仕打ちを受けるのでしょうか。やゝ不安。
2004/03/26(Fri) 雨


[ うれしいな、っと ]
最近の空気清浄機は大変に高性能化している。マイナスイオンまで発生してくれる。我が家では、家族共用スペースに一台入れたのだが、テバの部屋にはなかった。欲しかったが、自腹を切って買うのも業腹だった。このたび、某サンタさんの親切のおかげで、タダで貰える運びとなった。昨日届いたのである。何と、ハンズからだった。早速運転ボタンを押し、更にマイナスイオン・ボタンも押し、ずっとフル稼働させていた。

ところで、このマイナスイオンが謎の物質だった。昔々、海辺や高山の健康効果の一つとして、オゾンたっぷりの空気が呼吸できる、というものがあった。これを信じて深呼吸をしたヒトは多いと思う。ところが現在、オゾンは「酸化力の強い毒性ガス」とされている。危険なのだ。水道の浄水場では、高度浄化プラントというものを設備しているが、ここではオゾンを添加することがある。処理後の水は蒸留水より無味無臭である。

ある説によれば、マイナスイオンとは、過酸化窒素の陰イオンかもしれないという。つまり、

 硝酸分子核イオン → NO3- + (H2O)n

こうなると、これが水分と反応したら硝酸になる可能性があるではないか。硝酸が人体に良いはずはないだろう。どう調べてみても「・・・と言われていますが」とか、「古い文献ですが・・・」とか、「個人差がありますので・・・」とか、「・・・の可能性が高い」とかばかりだ。これはPL(製造物責任)対策の典型的表現だ。唯一、健康増進効果を断定している(いた)のは、TV番組の「あるある大○典」だけのようだ。

TV番組にPLを求める訳にはいかないし、追求しても週刊文○が悪いのか田○家が悪いのか的な泥仕合になるだろう。待望のマシンが到着したために、とんでもない隘路に追い込まれたのである。娘のドライヤーのマイナスイオン問題より深刻だ。長く使うと健康になるのか、癌になるのか、個人差もあるし・・・。酸性食品・アルカリ食品とか、浄水器の酸性水・アルカリ水とか、この世間は大変にいかがわしいのだ。

マイナスイオン発生機能は当面停止にしよう。こうなると只のフィルターだけど。
2004/03/21(Sun) 晴れ


[ 記者会見 ]
ちょうど、上州選出の官房長官が記者会見で発言しているところにスイッチを入れました。

 官「暴力でヒトをどうし、社会をこうしようということですからね。
   このような考え方は許容できないということで・・・・・」

というようなクダリでした。

おお、やっと解ってくれたか。そうなんだよ、キミ。しかも早速アメリカ大統領向けの発信記者会見までしてくれて。その勇姿にはあの「ダッカの超法規」に際して、国際社会が何と言おうと我が道を行ったお父上を彷彿とさせるものがあるではないか、と、感動してしまいました。日本にもこのような骨のある政治家が出てきたのでしょうか・・・・・・やっぱり、夢でした。

戦力なき軍隊とかいっていた時代がありました。戦力がないんだから暴力があるはずはないということです。アメリカの軍隊は戦力があるかもしれないけど、これは民主主義を広める十字軍なのです。やはり暴力ではありません。その際、爆弾・砲弾・銃弾も使うけど、これは「必要な手続き」というものです。従って、これらによる死傷者は「必要な犠牲」と呼ばれます。

ああ〜、不毛だ。世界に必要なのは養毛剤なのか?
2004/03/20(Sat) 曇り


[ 金曜日のアンニュイ ]
今日は眼科の最終診察日です。診察日ごとに繰り返されたバトル、あれも遠い過去の想い出です。おぢいさんやおばあさんに、生き甲斐を差し上げることができたような気もします。今回は9:30出走グループですから、どんなに頑張っても、前のグループから大量のオーバーフローがあり、相当待たされることは避けられないはずです。そこでかねて懸案の豪華三本建て、三科巡りを仕掛けました。地獄・煉獄・天国のダンテ・ワールドです。要するに休暇をとって、丸々一日を病院で暮らそうというわけです。こんなことのために一日を空けるには、相当の準備が必要でした。今週は忙しかった。

二科巡りを「併診」と言います。これが三科になると「鼎診」と呼ばれます。なるほど併立とか鼎立とか言いますよね。四科とか五科も理論上あり得るのでしょうが、その呼称となると、予約センターのネェネェに訊いても知りませんでした。まあ四分五裂とでも言うんでしょう。これが入院患者の場合ですと、居住権だけで最低一科分はありますし、待機場所もあるわけですから、三科巡りも比較的容易なことです。しかし外来だけで組み立てるには、各科の待ち時間が不定なため、余裕を見込まなければなりません。トータルとしては結構時間的にタイトです。リダンダンシー論ですね。

実務的には、最初の科にカルテが回されてきていますから、そこでの受け付けに際して、「三科です」と申告します。すると、当該病院の全診療科がズラッと並んだ特別なメモ用紙が出てきます。該当する診療科を丸で囲み、予約時間を記入し、順に矢印で結んでくれます。四科も五科もあるとなると、これらの矢印が錯綜してくるはずですから、やはり支離滅裂になりそうです。一科目が終わると、クライアントはカルテを収納し鍵を掛けた袋を渡されます。これを自ら次の科に運ぶという仕掛けです。袋を持った同行(どうぎょう)の方々と廊下ですれ違います。他生の縁ですね。

で、眼科には9:00を目標に行ったのですが、驚きました。「311」という整理札を渡されたのです。この番号は本日の口開けの客からの通算です。あまりの不条理振りに、心底困惑してしまいました。前回は7:20で304(本当は305)だったのです。なのに今日はアレョアレョという間もなく、9:05には検眼、9:10散瞳点眼、9:30には診察完了です。本来は出走時刻なのに、すでにカルテを抱えて次の科に移動中です。こうなると困るのは馬券ならぬ空き時間の処理です。予約は11:00なのです。ところがここでも10:00に呼び込みがあって、直ちに終わってしまいました。緻密な理論に基づく計画は、次々と裏をかかれていくのです。マクナマラの失敗ですね。

しかしご安心下さい。棄てる神あれば拾う神あり、です。第三科の予約は13:00だったのですが、14:00ぐらいまで待たされたのです。4時間弱の待機というのが、最後のご褒美でした。一瞬心配したのは、午前中に全科が終了してしまうのではないかということでした。当初は、すると午後には出勤できてしまうのではないだろうか、などと気を揉みました。そんな時にこそ、出会いというものはありました。「外待ち」にあったタブロイド版の医師会市民広報「みんなの健康」というものを、何気なく手に取ったのです。もっともここは病院ですから、出会って当たり前なのかも知れません。二項分布ですね。

トップ記事が「中高年の自殺とうつ病」でした。そこには、この「心の風邪」の原因は「過剰なストレスがきっかけ」で「慢性のストレスを抱え込」むことと言われている、てなことを某市立大教授が述べらておられました。これを読んだ途端、そうだ気を揉むことをまずやめよう。今日は一日休みを取ったのだ。そのために大変な準備までしてきたのだ。たとえどんなに早く鼎診が完了しようと、出勤だけは止めよう。思いっきりアンニュイな午後を過ごせば良いのだ、と気持ちが切り替わったのです。ベンチの上で居眠りしたり、持参の本を読んだりして、アンニュイな待ち時間を過ごしたのでした。

そうそう、真穂先生の紹介状です。いつ行ってもガラ空きの辣腕眼科医を注文しておいたのです。結果、紹介先は空欄でした。

 「2〜3ヶ月後で結構です。時間はありますからじっくりと捜してくださいね」

だって。

 「此度離縁致候上 其方身分之義付 当方一切差構無御座候」

本当に三行半でした。このようにして、1年近くに及ぶ「眼科の戦い」は終わったのです。この道の後輩たらんとする諸氏にお伝えします("AND I ONLY AM ESCAPED ALONE TO TELL THEE" Job. 再掲)。

 「避けられない戦いにも 避けられない終わりはある」

  嬉しさと 哀しさ重し 三行半
2004/03/19(Fri) 晴れ


[ U先生御来駕 ]
昨日は中部地方からU先生がお見えになりました。マ島以来ですから半年余ぶりの再会です。もっとも「先生」と呼ばれることが大嫌いな先生なので、テバ以外の人には、時折、「Uさんですよ」と駄目を出されます。思えばマ島でテバが勝手に「先生・先生」とやり始めたのでした。これが段々と伝染(うつ)っていって、ついにはチーム全員に広がってしまいました。とどのつまり、国会議員からも「センセイ」と声を掛けられ、「ああ〜っ、堕落してしまった」と溜息です。

テバの場合は、入門時に束脩や御膝付をした覚えもなければ、節季の折々に謝礼をした記憶もないのですが、先生とお呼びすることを許していただいております。出来損ないの曾良に押し掛けられてしまった不運な俳聖ですか。そこはかとなき諦念も窺えます。これが「わび」、「さび」の境地に達する日も近いことでしょう。同行した「ひまさん@謎の協力者」とか「M君@曾野綾子先生ファン@タミー同伴」とかも集合です。タミーさんはMちゃんの奥さんのようです。そういうことで久方ぶりにマ島の夜が再現しました。

相変わらずの超発散型で話題が転々しました。久しぶりなので、少々疲れました。
2004/03/16(Tue) 晴れ


[ 次はグッピーの赤ちゃん ]
たった一日留守にしている間に、職場の水槽でグッピーが孵化していました。昨日は暑かったですからね。水温も相当上昇したことと思われます。10p立方ぐらいのネットの囲いの中で、数ミリ程度の仔魚が、たくさん泳いでいます。ネットの外にはテナガエビ達がしがみついています。きっと「かわいいけれど、おいしそうだ」と思っているのでしょう。
2004/03/11(Thr) 晴れ


[ ナベブタゴミムシ ]
うちの会社のI君は生物の専門家です。理学博士号も持っているという。一体どんなテーマで、そんな恐ろしいタイトルを取ったのだろう。最近、周囲の男がこっそり教えてくれた。「ナベブタゴミムシですよ・・・」。鍋+豚+塵+虫=理学博士だって。安藤先生はインスタントラーメンで博士号と東大名誉教授を取得されたようだが、これは人類福祉への巨大さを評価するシステムが、当時の学問世界になかったからだけのことだ。

I君は×1らしい。鍋、豚、塵、虫のわかる女はそんなにいないだろうから、これは、そんなものだろうなと思ったことである。そんなこんなでしばらく放っておいた。というより、完全無欠な俗物のテバには、何の関心を起こさせる要素もなかったということである。ところが、である。ある暇な昼休み、この俗物の見解が180度変わったのである。どんな虫かな、と、暇つぶしにブラウズしただけだったのだが。

これが可愛い。ゲンゴロウの弟みたいな格好・大きさなのだが、あれよりずっとカラフルでキュートであった。抱きしめたくなるような虫だった。I君を見直した。カミさんが不必要である理由もよくわかった。春先のタンボに行きさえすれば、若いナベブタムシがいくらでもいて、I君と遊んでくれるのだ。なお、正式名称は「ナベブタムシ」でありました。「ゴミ」は周囲の連中が勝手に付け加えていただけでした。

それよりも、テバの目の中にも、このナベブタムシがいたのだ。こればかりは言葉は無力なので「楽ガキ」に紹介しておきましょう。
2004/03/09(Tue) 晴れ


[ 緑内障 ]
白内障の延長として、どうしても緑内障を論じておかなければならないと思う。ところで、人間機械論においては、白内障と緑内障とは、全く別のカテゴリーの眼疾だと理解されているらしい。日本眼科学会の解説でも、緑内障については網膜以降の異常であるのに対して、白内障では、水晶体を人工レンズ体に入れ替えることで簡単に治療ができるとしている。

「糖尿病によって網膜の血管がつまると、神経は酸欠状態になる。酸欠状態が目の前のほうにまで波及すると、虹彩や毛様体という場所に新生血管が出てくる。この新生血管は出血しやすいうえに、隅角という、目の中を循環する水の出口を塞いでしまう。そのために水は出口を失って眼球の中に閉じこめられ、徐々に圧力(眼圧)があがって緑内障の状態になる。緑内障では神経が高い圧力に負けて死滅し、視野が狭くなり最終的には失明する」。大変頭が痛くなる説明だが、神経の死滅まで心配していることがわかる。

問題はカメラ的光学系と圧死的神経系の境界である。ガラス体と網膜の間に境界があると考えているようだ。解剖学の泰斗の説明でも「眼は、網膜という脳の一部を含んでいる。さらに眼より背後の視覚系は、すべて脳に含まれる。網膜における知覚の最先端は、視細胞であり、これが光を受容する」とある。そう、つまり網膜だけが脳の一部なのだ。網膜から向こうはただのオモチャだということなのだ。

つまり、白内障は単なるバンパーの凹み、緑内障はエンジンの故障、この位の差はあるようだ。白内障を治したぐらいでは、大きな顔ができないということがわかる。
2004/03/07(Sun) 晴れ


[ 幻想のイタリア ]
昼休みにイタリアの地図を眺めていました。すると、突如エライさんが入ってきました。腹ごなしですかね。テバの手にある地図を一瞥します。

 エ「ほう、イタリアか。今度はそこに行きたいの?」

 テ「行きたいのですが、行けないのです」

 エ「ほう、何故? マ島では苦労をかけたから、旅費の問題なら相談に乗ってもいいよ」

 テ「いえ、絶対に行けないのです」

 エ「だって、たかがイタリアじゃないの。今は格安チケットもあるし・・・」

 テ「これは三千年ぐらい前のイタリアなんです」

ローマ建国以前のイタリアです。たとえ行く手段があったとしても、相当危険な所でしょうね。もっとも、現在なら安全と言えるのかどうか。

反省:あまりにも正直過ぎました。素直に、「お言葉に甘えて」とやれば良かったのでしょうね。
2004/03/03(Wed) 晴れ


[ 法治の彼岸 ]
某国の宰相が、先週の死刑判決に関連して、わざわざ記者会見までして「あれだけの大犯罪ですからね。死刑は当然ですね」と言ってたようだ。即日控訴の後だから、未だに被告側は争う姿勢だ。被告にも弁護団にもいろいろ批判があるが、それをコメントするならまだしも、判決の内容を支持してしまった。形式的には判決は確定していない。すると、これは司法に対するある種の指揮権発動を狙ったものなのだろうか。断っておくが我が国には、行政の司法に対する指揮権というものはない。

国会議長や最高裁長官が「死刑は当然だ」という記者会見をやったらどうだろう。あるいは法務大臣や検事総長の発言なら、「おかしい」と思えるのだろうか。誰が見ても犯人としか思えない人間にさえ、三審制度は保障されている。法治主義の根幹構造だ。もしも人治の国なら法がどうなっていようと構わない。裁判なんか省略して、リンチにかければ良い。自分が容疑者だった場合を考えればわかる。そんな国はごめんだ。問答無用で吊されたうえ、「当然だ」とその町のボスに言われたら、・・・

この宰相は三権分立という概念すら持ち合わせていないようだ。マスコミも国民も無反応というところが一層不気味だ。三権分立や三審制度で保護されているのは、例の態度の悪いグルだけではない。全国民のはずだ。民主主義は、「特定の個人・集団の野心」と「大衆の横暴」の共鳴現象を抑え損なったときに崩壊するという。事例は豊富だ。ワイマール共和国は第三帝国に変身した。この国でも大正デモクラシーから15年戦争への距離は僅かだった。

またしてもカエサルで恐縮だが、彼はガリア遠征のためにしばらくローマを明けなければならなかった。そこで問題になるのは、不倶戴天のライバル・元老院である。留守中いろんな策謀を巡らすに決まっている。そこで、それまで秘密だった元老院の議論の内容を壁新聞で公開する制度を作っておいたという。マスコミの誕生である。大衆に抵抗勢力を監視させ、自分の留守を守らせる。これは大変に秀逸なアイディアであった。非常にわかりのよいポピュリズムである。
2004/03/01(Mon) 晴れ

My Diary Version 1.21
[ 管理者:テバ 著作:じゃわ 画像:牛飼い ]