☆★☆- ホンの幕間 -☆★☆

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[ ミステリー不況 ]
U先生からのメッセージです。

『もう数週間前になりますか、ある殺人事件で、被害者を池に沈めました。沈めるために、石油のポリタンクをいくつも購入し、水を入れて縛り付けたというのです。ポリタンクを購入したところからも足がついたというニュースです。水を入れた容器が池の水に沈むのだろうか。死海の水でも入れたのでしょうか』

これに続いて、

『イギリスのサッチャー首相がドイツ統一に反対したわけですが、その態度について、多分フランスやドイツの首脳の回想だったと思いますが、次のような台詞があります。「彼女はドイツが統一したらまた戦前のようなドイツが再現すると言うんだ。彼女はサイエンティストだから、同じ条件では同じ結果が出ると考えるんだなあ。そんな事は無いんだけれどなあ」というのです。なるほど、物理学科出身というだけで、多分コンプレックスも混ぜて、そういう具合に見られていたのか、と感銘を受けました』

まあ、英仏独の超エリートがどう考えるのかなどは、テバごときが忖度できるものではありません。欧州でも法文系と理工系には反目があるのかな、という感想程度はありますが。ここ数世紀のつらい想い出というものもあります。同じ政治的出来事についても、英国なら歴史物理学的に考えるだろうし、仏独なら歴史物語風に考えるような気はします。

問題は前半です。ポリエチレンの比重は0.93前後です。この容器にいくら水を入れても、比重は1.00未満のはずです。こんなものを、証拠物件を沈めるための「重し」と考えていたのであれば、完璧に犯罪者失格でしょう。この程度の出題は中学入試にさえあるのですから、本邦の理科教育は、義務教育はおろか小学校レベルで壊滅していたことになります。

アガサクリスティが砒素や放射性物質に関して豊富な知識を持っていたことは有名です。というよりは、ミステリー作家の義務として相当の勉強をしていたのだろうと思います。それに引き替え日本のミステリーは、時刻表だの密室だののトリックばかりで、何かチマチマしたことに熱中しているような気がします。「点と線」クラスなら、また別格ですが。

はっきり言って、プロの読者を満足させられないのです。つ・ま・ら・な・い、のです。
2003/11/30(Sun) 雨


[ 昨日のタイトル ]
"the miss address case"には、「宛先間違い事件」と、「お嬢さんの演説事件」という、二通りの意味を含めたつもりなんですけど・・・
2003/11/27(Thr) 晴れ


[ 誤アド事件 (the miss address case) ]
他山の石みたいな話です。勤務時間も終わりに差し掛かったころのことです。メール着信のチャイムが鳴りました。小さな雑誌の担当をさせている某独身女性からでした。開けてびっくり。言葉遣いも凄いけど、意味に至っては全く不明です。

  夕飯、なに?
  なんにしようかな。
  在庫一掃にしても、いもとたまねぎだしな。

ただひとつ心配されたのは、彼女は我が家の先日のメニューを知っているのではないか、ということです。しかしこういう場合、慌ててはいけません。極力冷静かつ正直な対応をすることです。取り乱したり、ウソをついたりしてはいけません。

  カレーは週末に作って、いやというほど食べました。

と返信しました。すると早速、再返信がありました。

  !!!
  大変失礼いたしました!!
  向かいの○○夫人に宛てたものでした!!
  (なにせ、主婦と一人暮らし、この時間になると考えるのはこれくらい・・・)
  すみません。校正に集中いたします。

このようにして、大事件にはならずに済んだのです。でもなお、心配が残ります。在庫の「いも」がポテトならよいのですが、これが薩摩芋やタロイモだったらどうしましょう。我が家でそんなカレーを作っていると誤解されたらどうしましょう。

再々返信 ・・・ ?
2003/11/26(Wed) 晴れ


[ 地主史観 ]
ピュルグリムファーザーズという若干「鬱」な人々がアメリカを建国しました。彼らは、英国脱出に際して持ち出したささやかな資金を元手に、牛飼いやトウモロコシ栽培を始めました。しかしそのうち、新大陸にも弱小ながら金融資本が芽生えます。欧州大陸諸国も、英国ばかりにオイシい思いをさせたくありません。英国は鬱陶しい。税金は取るし、借金返済は迫る、悪の権化です。そこでボストンのある茶会の席上、ちゃぶ台をひっくり返したようです。星一徹です。

一応革命とか称してますが、要するに、親と一旦縁切りしたかったのです。でも、その結果は驚きです。王様との縁を切ったら、新大陸史上初の大地主になっていたのです。そこで北部の大地主は、旧大陸他から引き続く劣後移民に土地を貸します。遊んで暮らすアメリカ地主貴族の誕生です。南部の大地主といえばもっと古代的発想です。アフリカから大廉売の奴隷を大量に買ってきて、綿などのプランテーションをやります。結果、好きなだけ遊んで暮らす貴族になります。タラへ。

余談ですが、USAの建国に際し、黒人は「五分の三だけの人間」として扱われたそうです。それはひとえに、白人票の南北差が大きすぎたので、南部側は黒人もある程度票数としてカウントしたかったようです。もちろん投票は白人がします。あの憲法も結構ご都合主義だったようです。後世、自分も零細移民であったケネディが、公民権問題で憎まれたことはご存じの通りです。でも、こうした緊張が続いたおかげで、北米大陸のアルゼンチンにはならずに済みました。

もう一例は古代ローマです。マラリアが猖獗を極める健康的に問題がある七つの丘に建国したのは、これまた陰気なるラテン人でした。彼らはパトリキ(父たち、のちに貴族)と呼ばれました。先住者だったので、やはり大地主でありました。最初はニンニク、タマネギ、空豆、オリーブなどを、生真面目に栽培していたようです。しかしこいつらも、徐々に、サビニ人やエトルリア人に貸した土地の賃貸料に頼るようになりました。農耕を放棄し、地代で生きるようになります。

カプットムンディ(世界の首都)ローマの産業は、パンとサーカスも含め、政治だけだったようです。今や、観光とスリだけだ、というヒトもいますけど。しかしパトリキ協会は大変に賢明でした。彼らは、この混沌の世界でも、権力中枢にしがみ付いていれば生きていける、ということを知っていたのです。その権益保全機構は「元老院」と呼ばれていました。エンタメにしか関心がない人民を操作するのは簡単でした。何と言っても、永田町、霞ヶ関、赤坂の不動産を抑えていたのですから。

京都には、京都家主協会というのがあります。府庁のそばに事務所を構えてました。そこの役員と借地借家人が議論してました。家主代表が「こんなことではワシら生活していかれへんのや・・」とか言いますと、店子代表が「何であんたらを食わさなあかんのや。足らんかったら、ワシらみたいに働いたらええやないの」と返します。吉本興業の漫才より洗練された伝統芸です。で、本邦の千年の都にもやはり元老院があったのか、と思った次第です。江戸、大坂にもあったのでしょね。

地主が権力の間近にいると、古今東西、同じような現象が起こるようです。というよりも、地主は堕落腐敗する。その地主に近い権力は、当然のように腐敗堕落する、でしょうか。二代目・三代目が目に余るようですが、根底の原理は似ているようで・・・
2003/11/24(Mon) 晴れ


[ (C)無断転載は続く ]
以下の話も、深く考えさせてくれるところがあります。U先生には再び無断ですが、転載しておきましょう。これは、「おやしんぼう こらく まごべえとう」に続く部分です。

『余談ですが、○○の家では玄関の扉の横に、一尺くらいの板壁があり、これを「へえとおよかり」と言います。現在の貧しい人工東京言葉で言えば「乞食もたれ」と言うことです。彼の地では「へえとお」にも寄りかかる板を用意しています。京都では「犬矢来」まで作って「犬走り」の機能を奪っているというのに。あれは本当は「犬遣らい」が正しいのでしょうね。京都人の底意地の悪さが出ています』

京都の人を弁護するわけではありませんが、彼の地には多数の橋や神社仏閣があります。相当広大な公共(的)屋根つき空間が「へえとう」さんたちに解放されていたはずです。ですから、かならずしもこの比較文化論があたっているとは思いません。しかしやはり、瀬戸内の人々の心やさしさというものを感じます。花遍路の世界です。東京のあの西口地下広場騒動では、ィャ追い出せのィャ住まわせてやれので、不毛な大議論をしてましたね。住ませろ派の人は当然、この「へえとおよかり」ぐらいは自宅に設けているんでしょうね? 青島君、君はどうしているのかね? あれだけ高額な退職金をあげたんだョ! そこそこの「へえとおハウス」ぐらいは建ててあげたことだろうね?

人類文化の発展のためとはいえ、またまた無断転載をやってしまいました。あえて知的所有権侵害の汚名を着ましょう。もっとも、「(C)無断転載」のクレジットを入れてますから、究極の天ッ罪「盗作」ほどではないわけです。盗作やるようなヤツは、文学界やネット界からは永久追放ですよね。クズ・ゴミと言われても反論できないよね。パリ-ダカ環境破壊の懺悔の涙も始末できてないというのに・・・。もともとあいつは元来根性が女々しかったんだけど・・・ブツブツ・・・(何の話だったか思い出せないモード)。正月はにおこもりするそうだけど、テバなら永平寺にするね。南都の観光寺で何を瞑想するの? (この辺は、U先生には全く関係のない独白です)
2003/11/18(Tue) 晴れ


[ 「冬」の過ごしかた ]
木枯らしが吹いたのか、これからなのか、いずれにしても今年の気象・気候は本当に優柔不断です。

本州中央部の山多いある地方では、北に隣接する地域ほど雪もないのですが、それゆえにもっと寒い。そこでの冬の過ごし方です。炬燵にあたりながら、野沢菜の漬け物(当然塩漬)を囓りつつ、女子供はお茶ですが、青壮老は茶碗酒です。しかし冬の夜は長い。秋と違って祭りもないから外には出ない、・・・というわけで、あちこちで炬燵談義が一冬中催されているようです。特に昔話が中心になってしまうのは、メンバー構成から見てやむを得ないことです。

話の赴くところ、シニアな人が「どっこいしょ」とばかり、納戸から古証文を引っ張り出します。そうすると俄然話が盛り上がるんですね。明治の借用証から前大戦の出征に際しての遺言的覚え書きまで、イヤというほどあるんですから。これをめぐって青壮老が議論を始めます。議論は尽きません。なんといっても時間は次の春までありますから。これだけ大きな問題が残されていたとは・・・全員の意見が一致します。すると若手から信玄や謙信が登場します。

これは何とかしなければならん、正邪を正す必要がある。何故いままで放置されていたのか。われわれはオヤジたちのように軟弱ではない。戦わずには済まされない。てな具合で春が来るまで議論は続き、戦略も煮詰まってくるのです。大都市では、一年中「議論」しているから中味が薄いのです。しかしこの地方は違います。一冬かけて非常に「濃ゆ〜く」なっていくのです。春、それは行動の秋(トキ)です。隣町や役場や県庁・・・、どこにでも押し掛けます。

隣町、役場、県庁・・・、彼らも心得てます。真面目に取りあうのは愚か者です。次の冬が来るまで頑張れば、とりあえずゴングアウト・ドローになるのですから。この試合のルール、田中さんも慣れたでしょうか?
2003/11/17(Mon) 晴れ


[ 主役交替 ]
この話、元ネタではクリントンだったらしいのですが、むしろブッシュ・ジュニア(BJ)向きだと思います。そこで主役をやっていただくことにします。

BJ夫妻が久しぶりにテキサスに里帰りします。ワシントンやバビロンのキツネ・タヌキには飽き飽きしていたところです。地元の小学校を訪問し、純真な子供たちとの会話を楽しみます。

BJ夫「君たちには悲劇を乗り越えてUSAを大帝国にして欲しい。ところで『悲劇』ってわかるかな?」

生徒A「隣のマイケルが車にひかれてけがしたことです」

BJ夫「それは『事故』だけど悲劇じゃないんだよ」

生徒B「スクールバスが転落して多勢の死傷者が出ることです」

BJ夫「それは『大いなる損失』だけど悲劇じゃないね」

生徒C「大統領夫妻の専用機がテロリストのミサイルで撃墜されることです」

BJ夫「素晴らしい! どうしてそのように考えたのかね?」

生徒C「だって、事故じゃないし、大いなる損失でもないもの」

BJ妻にはお気の毒ですが・・・どっとはらい
2003/11/16(Sun) 晴れ


[ 食わせろ! ]
ヤンキーとかヤマンバならいざ知らず。まっとうな人間ならやはり、食べ物について「食おうぜ」とか「うめーな」とかいう言葉を使うのは絶対やめた方がいいですね。考えてみてください、ワニでもサメでもいいけれど、彼らは決して「いただく」とか「おいしい」とかは言わないんだから。いいえ、言えないのです。言葉に深い関心を持ってるはずの放送現場が制作してるドーブツ・キソーテンガイだって、「シャチは、このようにしてクジラの子供をおいしくいただくのでした」とはナレーションできないと思いますよ。できるもんならやってみろぃ! 地球上のあらゆるものを食い物にしてきた人類ですが、そこに贖罪の気持ちがあればこその人類・・・なのです。反省がなければ、水道関係談合疑惑どこ吹く風で稼いでいるタレント・MMみたいになっちゃいます。日光次郎以下です。しかしMMはよく「食い」ますね。司会をしながらバクバクバクバク「食って」ます。

DV(家庭内暴力)関係です。現代社会を活写したような事件に、刑事判断がありました。この判決で興味深いのは、事実認定部分のあらすじに、人類の文化・文明そのものを凝縮したようなところがあったことです。「ようです」というのは、まだ読んでいないからです。妻子にさえ見せられないような修羅場だったようなのですが。そのうちこっそり読んでみましょね。ここで被害者とされた夫であり父であった男ですが、彼は、ほんの数世代前までは、ありふれた標準タイプというべき存在なのです。つまり労働は可能な限り他人に強要し、生活の安逸は可能な限り他人からの収奪を通じて入手する男です。圧制を転覆し、民主主義を打ち立てるために、というのが100%全部「嘘」の時代でした。それは人類発祥以来つい最近まで続いた時代なのです。ギリシャの、特にエーゲ文明を畏敬する人々は疑問を持ちます。なぜ、その直後に産業革命が起こらなかったのか。紀元前数世紀から機械化文明が始まらなかったのか、と。

その時代、大部分のヒトにとっては、そんなムツかしいことは御免だったのでした。もっと便利なシステムが、圧倒的な力をもって働いていました。人さらい(バンディットやコルセア)の時代だったのです。エーゲ海に浮かぶデロス島は、ギリシャのポリスが同盟して、ペルシャの圧力をはね返した栄光の政治的記念地として有名です。しかしこの同盟は直ちに、アテネによる全ギリシャ収奪機構に変身しました。にもかかわらず、デロスのマーケットは国際市場として有名になり、その後のローマ時代にも繁栄を謳歌したようです。そこで売買された主要商品は、奴隷です。敗戦国の人間などを、最安値では500円ぐらいで売買していたようです。基本的人権も最低賃金法も労働安全衛生規則もない時代です。「激安!築地の鮪中落ち定食美味500円!」一食分で、死ぬまで動く掃除機・調理器・農耕機・・・etc.用の奴隷が入手できたのです。特に鉱山奴隷やエンタメ奴隷は悲惨だったようです。その辺はグラディエーターにも描かれてました。

人類は進歩するのか、しないのか、・・・どーでしょね? テバの思うところ、人類は常に進歩しようとするんだけどいつも失敗する、のですね。「唐様で かしいゑと書く 三代目」なのです。初代が粒々辛苦で、これを見ていた二代目ときたら刻苦勉励の末もっと立派になり、これを見た孫はも〜うとばかり奇跡のご立派を極め、と続いたとしてもその次は? そう、ヒトの前頭葉の容量を超えちゃうのです。必ず何代目かには原始化・先祖返りしたヤツが出てきて、「うめーもン食おうゼ」とほざくのです。これを防ぐ方法は? アメリカ人は、節税対策も兼ねて財団なんかを発明したようです。でもやっぱり失敗しているようです。財団は世々繁栄しても、ロックフェラーやカーネギーの子孫の一部がDV化することは防止できなかったようです。こうなると仕方ありません。身から出た錆は自ら始末せよ、です。あなたの子弟が「食わせろ」なんてほざいたら、即座にブン殴ってやるしかないんですね。体力的に優勢なうちに。

【U先生の郷里の三代目について情報をいただきました】

これを、文化度高き我が郷里では、

 「おやしんぼう こらく まごべえとお」

と言います。「親辛抱 子楽 孫べえとお」です。最後の孫の「べえとお」つまり「へえとお」は彼の地独特の崩れでして、標準読みでは「ほいた」です。つまり「乞食」です。
2003/11/15(Sat) 曇り


[ 同意してあげても良いけど ]
某党の某党首が辞任したという。そこでTVは、大昔の番茶も出花のころの追悼ビデオをやっていた。その中には例の、「山が動いた」の有名なせりふの場面もあった。確かマスコミがそのように報道していたんだと思う。ところが彼女、実は、「山が動いてきた」と言っていたのだ。今ごろ気付いたアホはテバくらいかもしれないが、大マスコミの誤報ぶりも非道いものだと思った。

前者なら民意も変化しつつあるョ、という風にとれるが、後者では「アホな大衆も私が正しいことについに気付き、やっと私や平壌にすり寄ってきたのだ」ということになる。彼女のその後の行動を思い返すと、後者であったことには間違いない。そんなとこにすり寄った方々にはお気の毒なことでしたが・・・拉致も不埒もジャップもない、というのが政治でしょうから・・・

またまたウィンドウズの欠陥が見つかったという。「重要な更新」を選んでUpdateを進めていくと、いつもの「同意する」とか「同意しない」が出てくる。これはそんな場合じゃないんだ。お前のミスなんだよ。だから「許す」か「許さない」が正当な言葉遣いだろう、と思う。「許さない」をクリックしたら、ビル・ゲイツが裃つけて一本提げて挨拶にくることになる、というわけ。

言葉は正しく使おうね !
2003/11/13(Thr) 晴れ


[ このところ ]
Ganotのパクリ振りはすごいですよ。カラー写真充実です。
2003/11/10(Mon) 雨


[ オークション ]
Ganotの1871年版のテキストを見つけた。テバが現在持っているものより数年は新版だ。$25USDだという。最近の円高のおかげで、そんなに高価な感じはしない。ただし保存状態は「no good」で「stain(汚れ)」ありとなっていた。まあ、テバの持っているものと似たりよったりだ。話は飛ぶが、古書が嫌いというヒトには二種類あるようだ。「古」が嫌いと「書」が嫌い。書が嫌いのヒトはどーしようもないので抛っておくとしても、古の好き嫌い、これはこれでまたどーしようもない。特に黄ばみとか汚れとかが生理的に嫌いなヒト、本の紙魚(シミ)には絶対なれないだろう。衛生学上の観点から忠告しておくと、100年も経っていれば、どんなバクテリアもウィルスも生存していないのだ、と言っても無駄・・・か。

送料がキツイ。保険付きの"by air"で$34USDにもなる。合計で$59USDになってしまった。でも発注してしまった。怖い。楽しみだ。
2003/11/09(Sun) 晴れ


[ 咲くや此の花 ]
昨日のY新聞の夕刊、これがついに告発した。かねてよりテバが不快に思っていたことである。発行部数ギネス級の全国紙に告発されたことの意味は大きい。問題はあの人々の今後の言動である。自らの過ちに気付き、衿を正す機会が与えられたのである。もし万が一、これでも態度が改まらないようなら、第二・第三の鉄槌が下る日は近いことであろう。猛省を促したい。

それは、『「さ入れ言葉」敬意の誤用』という、一見、かかる重大な犯罪とは無関係そうな見出しから始まる記事である。しかし、その生々しい犯行現場は、冒頭の一文で描き尽くされているといえる。

  視聴者向けのプレゼントなどで司会者が
 「抽選のうえ、賞品を送らさせていただきます」
  ということがある。

そう、正しくは「送らせていただきます」なのだ。あなたのお使いになっているFEPで試してみてください。「送らさせる」のような変換ができたならば、その日本語変換システムは即刻ドブに棄てるべきだ。

未然形動詞の語根に使役の助詞を連結するとき、助詞には「せる」と「させる」の二通りがあるが、ここで全てが決まるのだ。送るは「送らせる」となり、見るは「見させる」となる。これはまさに記事にも書かれている通りである。「送らさせる」とか「見せる」とは絶対ならない(特に後者では全く別の意味になってしまう)。これらが敬語として持つ意味は、大野先生の本に詳しい(手抜き)。

画龍点睛、この記事の最後のあたりには残念な記述がある。某大の某助教授(47)の談話取りとして、「言葉に深い関心を持っているはずの放送現場がなぜ・・・と首をかしげている」、という主旨のくだりがあった。これは単に、世間知らずの学者が陥り易い迷路にすぎないのである。現代の放送現場は、言葉に深い関心など持っていないことが証明された、というだけの話なのだ。

助詞に「させる」と「せる」のどちらを使うか。これは日本語のネイティヴスピーカーなら自動的に使い分けている。こんな法則をいちいち考えながら喋っている人間はいない、とお考えでしょうか? 実は違うのだ。ここでの日本語というのは、標準日本語である。ちょっと気を付ければ分かるのだが、「さ入れ言葉」を使うヒトは圧倒的に京阪神出身の関西人に多いのだ。

その原因は動詞の未然形にある。彼らは「送らない」とか「見ない」とは断定しない。関西では、「送らン」、「見ン」とか言う。もっと屈折すると「送らヘン」とか「見ィーヒン」とかになる。この「ン」が曲者だ。「ない」とは明らかにニュアンスが違う。「要らない」のではなく「要らン」の場合、「条件次第では貰ってもいいよ」という留保が伴っているのだ。未然形がない、とも言える。

かかるアラベスクな言語世界の人間が、ある日突然、標準日本語の世界に彷徨いこむことで悲劇が起こる。何でもいいから「させる」を引っ付けてしまう。宴会などでも多数の参会者を前にして「僭越ながら乾杯の音頭をとらさせて頂きます」と、堂々とやってしまう。本当に僭越だ。本人が気付いていないので、悲劇度は倍増してしまう。10年振りに故郷に帰還したアガメムノン級になってしまうのだ。

一国の言葉は「國體の精華」である。まさに「咲くや此の花」なのだ。これに大輪の花を咲かせることなくして主権国家を称することなど、まこと、おこがましいことであろう。近隣の国から「ジャップ」呼ばわりされても腹を立てる資格などない。近年「ら抜き言葉」が話題になっているが、これなどは「ら拉致言葉」と呼ぶべきであろう。まさに一国の主権が侵害されているのだから。

明治以来、「さ入れ言葉」を放置していたことのツケともいえよう。
2003/11/08(Sat) 晴れ


[ 地面に飛び散る廃棄物 ]
いやっ、本日急にこんなことに出逢うとは、心の準備もできてなかったのですから、本当にびっくりしました。ゴミを分別しようとか分散型で処理しようとか、そういう話のさなかでした。多分、先生が学生に下請けに出した翻訳だろうと思います。

 「地面の台所廃棄物はバキュームで吸い取られ・・・」

ん? んん? 前後関係からしても全く不明です。原執筆者は北欧のヒトです。そんなところに土間があるのだろうか。それにしても台所廃棄物をそんなところに・・・ジャガイモを大量に処理して、その皮が飛び散っているのだろうか。空想は果てしないのです。

しかしそこで、原文を見て納得がいきました。

  ground kitchen waste is vacuumed ...

だったのです。このばあいの「ground」は、動詞「grind」の過去分詞だったのですね。だから、

 「(ディスポーザなどで)粉砕された生ゴミはバキュームで吸い取られ・・・」

でしょうね、きっと。
2003/11/04(Tue) 晴れ


[ 厄介な目 ]
9月中旬から厄介な目薬に遭っている。現在は多少緩和されているのだが、それでも面倒臭いことこのうえない目に遭っている。まず当初一ヶ月ほどのやり方から説明しよう。一日四回(朝昼晩就寝前)、毎回3種類を点眼せよというものだった。しかも各種点眼の間隔は5分以上開けよ、ときた。さらに全品要冷蔵である。これがどれほど大変な作業か、このままでは解らないだろう。この経験をしたヒトは少ないと思われるので、やゝ詳細に記す。

@ ヨイショ、と立ち上がり冷蔵庫に行き、目薬ケース(3種入り)を持ってくる
A 時計をチラと見て、第一発目点眼
B 5分間の過ごし方を考えるが、中途半端で何もできない
B 時間を確認し、第二発目点眼
C イライラしながら、5分間というものの長さを実感するが、何もできない
D 第三発目点眼
E ヨイショ、と立ち上がり冷蔵庫に行き、目薬ケースを収納する

どうです? これが、たった三滴のための作業手順書なのですよ。読んだだけでうんざりするでしょ? しかもこちらはこの作業を、一日四回、年中無休で実演してきたのです。一回の所要時間は約10分強、しかし一日総計なんと一時間弱。一滴あたり約300秒。その時刻が近づくと、自然と気分がドョーンとなってくる。それによってその時間だということを思い出す。こんな仕掛けって「悪魔の目薬」そのもの。出張なんかではもう大変。携帯忘れのないように、点し忘れないように、ホテルの冷蔵庫に忘れないように・・・

現在では2種に緩和されたので、上記CとDは省けるようになってきたが、基本的に大差ない。しかしながら、これを「改革」することなくしてテバの存在はない。そんな思いに駆られ、新方式を開発したのである(「宰相の器!」の声あり)。思い至れば簡単なことだった。凡人はハードルから滑り落ち、天才と変人はその存在を意識もせずに乗り越える。要するに、2×4回の点眼をすりゃあ文句ないわけだろ(と居直りつつ)。

大体の計算によれば、2時間置きに交互に点眼をすればよいのである。毎偶数正時に目薬を1種一滴だけ点眼する。これで終わり。天才の発想らしく「簡単」である。これなら冷蔵庫前で用は済む。ただし、その偶数時が4で割り切れるときはAを、割り切れないときはBを、というのがコツ。そうです、あの閏年のルールをヒントにしたのでした。でもね、一日の活動時間とか起床時刻とかは結構不定でありました。かえってヤヤコしくしてしまったような・・・しかも、正確に2×4なのかどうか肝心の点が保証できていません。

ま、天才宰相の約束する「改革・成長」ってのは、この程度。
2003/11/01(Sat) 曇り