☆★☆- ホンの幕間 -☆★☆

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[ Ganotです ]
第八章図267の蛇足です。随分研究が進みました。ご覧になってください。
2003/10/30(Thr) 晴れ


[ 金谷宿にて ]
ウロ覚えですが金谷の宿は、あの広重のあの東海道五十三次に登場しております。「あの」の二乗級の超有名宿場町です。従って駅前には、銀行やコンビニの一つや二つ、あるに相違ありません。すると、CD・ATMもあるに違いありません。財布が薄いことには家を出るとき既に気付いたのですが、わざわざ新幹線駅の周辺をウロウロして、混雑したバンクに行かなくてもよいのです。確信に満ちてJR金谷駅で列車を降ります、と、そこには、ない、何にもない。普段遣いの住宅程度があるだけです。すると、今夜の宿代はカード? しかし大井川沿いでは島田に次いで殷賑を極めている(はずの)金谷宿、ここの金融事情がこれでは・・・これから踏み分けていく奥の川根でカードが通じるという保証なんぞ、全然ありません。クレジットカードというシステムが、未知である可能性もあります。いえいえ、銀行ですら。

やはりこの金谷で、現金か藩札か三井 or 鴻池の道中小切手を入手しておく方が安全です。幸い、大井川鐵道に乗り換える時間は30分ぐらいあります。で、JRの駅員さんに銀行かATMのありかを尋ねます。駅員さんはATMのことを理解しませんでした。しかし、静岡銀行なら徒歩5分のところにある、と教えてくれました。教えられた方向、駅から直線下ルの長大な坂道を見下ろします。銀行なら巨大看板を出しているはずです。徒歩5分なら見えるはずです。しかし、見あたりません。不安の天使が横切ります。そこで即決心します。大枚をはたき、タクシーを使うことにします。つまり、運転手さんをガイドにしてしまう作戦です。この直観に救われました。シズ銀金谷支店は、結構走ったところにありました。ちょっと混んでましたが、無事、日本国通貨が入手できました。二両編成列車にも間に合いました。

銀行々には、往復も含め15分ほどかかりました。あの坂道、最初見下ろしただけあって、駅までの還り道は、延々たる上り坂でありました。これを歩いていたら、と、思わずゾッとしたことです。そういえばマ島では、どこに行く場合も、現地のヒトに所要時間を尋ねると、「10分」という応えが返ってきたものです。このことを無意識に思い出していたのかもしれません。もう一つそういえば、です。広重の「五十三次之内金谷」を改めて眺めてみると、茫々たる大井の河原が広がり、遙か奥の方に小さく小さく金谷宿が描いてあったのでした。銀行や両替商があるのかないのか、そんな情報は皆無です。自分の記憶も5分・10分クラスでありました。そして「長い坂」です。あれは大堰(イ)川から牧ノ原台地に昇る、長く険しいことで有名な坂だったらしく、「金谷坂」という立派な名前まで付いていました。
2003/10/29(Wed) 晴れ


[ 雨の中を山の中へ ]
こんな時ばかり天気予報が当たる。朝から雨である。今日は大井川を遡って、本川根というところまで行く。静岡なんだから、名古屋のこっちなんだから、せいぜい二時間ぐらいだろうと思っていた。ところが、さにあらず。朝7時代に出発して、現地到着は午後2時頃だという。これだけあれば北京にいるかもしれない。日本は広い。世界は狭い。

でもこの頃、山の村を訪ねるのが楽しみになってきた。山渓族とは違います。山岳救助隊にお世話になっている連中とは違います。エコとかバイオとかが一杯ある。それとどうやってサステイナブルに付き合うか、という知的スリルがある。こないだ、秩父のある村役場の課長さんにペレットストーブの話をしたら、「ウチはもう導入してます」だって。

都会の知識人の「完敗」だった。教えようと思ったら教えられるという惨めさだった。でも、思えば当然だ。こちらは未だにコンクリートと鉄、そしてオイル、さらには情報・利便性といった、「猿の遊園地」に暮らしているのだから。こうした人類「ン」百万年にはなかった近年のバブルを棄てたところに、山の生活は営まれている。土地と木はヤマとある。

町長さんとは、かねての面識である。今日は何を教えていただけるのか、ワクワクである。
2003/10/28(Tue) 雨


[ アフリカのこと ]
アフリカとは「ほこり(埃)」という意味らしい。しかし、ローマがいまだ民主共和国だった時代、海の南の大陸北岸の地名は、東から順に、エジプト、キュレナイカ、マウレタニアであった。カルタゴとは単に「新しい都市」という意味に過ぎない。このあたりをアフリカと呼び始めたのは、どうもローマ人のようだ。第二次ポエニ(カルタゴ)戦争でハンニバルを打ち破った大スキピオが、「プブリウス・コルネリウス・スキピオ・アフリカヌス・マヨール」と呼ばれたのが、初めて人口に膾炙した事例になる。

ローマから見ての蔑称ということになるのだろう。「あの埃っぽいどうしようもない土地の・・・」、という意味にでも使われたのだろうか。このカルタゴという、当時地中海随一の文化・文明を誇った都市を破壊し、埃っぽくしたのは、実は、その大スキピオから三代目の養孫・小スキピオなのだ。カルタゴを焼き払い、最後には大地に塩を擦り込んだという。これではどんな肥沃な土地でも埃っぽくなる。アフリカ製造の主犯格ということになる。ただ小スキピオは、その凄惨な光景にローマ最期の日の幻影も見たという。

小スキピオのフルネームは、「プブリウス・コルネリウス・スキピオ・アエミリアヌス・アフリカヌス・ミノール」だという。メジャーとマイナーだ。この家系は、ローマを建国した100氏族のひとつ「コルネリア」氏の分かれとしての名門「スキピオ」家である。ロムルスと共に、(U先生によれば)マラリアが猖獗する七つの丘の開拓に、粒々辛苦取り組んだ百姓の子孫である。眼前のイナバの白兎の運命に、小スキピオの胸は、どれほど傷んだことであろうか。このポエニ戦役を境に、ローマは帝国へと変質し始める。

大義は常に何とか都合がつくものだ。ポケットを探れば必ず出てくる。強気で元気な老人が、「カルタゴは滅ぼさなければならない」と言えば、意味は不明であっても、ただちに大義になる。これに「笑止千万」と反論するのも勝手だろう。その科白も、たまたまその男のポケットにあっただけなのだから。しかし歴史こそ冷酷だ。容赦はしない。希望と活力に満ちた新しい都市を、「埃」と呼ばれる土地に変える。そしてその六百年後、主人公をラテン人からゲルマン人へと替えていく。不条理という教訓しか残さずに・・・
2003/10/25(Sat) 曇り


[ ヤコビのモーター ]
ちょっと打ち込んでやっている(大幅期限切れ)の仕事がありまして、マクアイのような「哲学する」方面にアタマが回りません。ところでこの、「哲学云々」というのは、マ島の某自然保護区のレストランで、某先生がさりげなく口にされたお言葉です。「僕のHPには哲学している部分があって、諸君にはちょっと難解かも知れないけど・・・」というふうなコンテキストでありました。その横で食事をしておられた例の中部地方のU先生など、思わず目を剥いて、持ったフォークを落としそうになってました。テバは某先生には抗体ができてましたから、平然としておりました。U先生にはお気の毒なことでした。

そんなこんなでも、彷徨徘徊していたら、犬棒な話ですが、GANOTにコレクションがありました。第十章の図305関連です。謎のヤコビのモーターの図版を見つけたのです。感動です。「蛇足」に載せておきました。
2003/10/23(Thr) 雨


[ マ島の秋刀魚 ]
マ島のメジャー(つまり大衆的)なビィェール・Three Horses Beerを、「テ・アッシュ・ベ」なんて気取って呼んでいるジャポネに頭に来て、そんならこっちは「さんば(三馬)ビア」にしてやっぺぃ、といった話があったのも昔のことでした。ところがとんでもない方向から、とんでもない指摘、みたいなことになりました。それはあの明治のヒゲの物書き、夏目漱石先生でありました。なんせあちらは、お札に載ったヒトです。こちらは、それにコトカクヒトです。格が違います。

そのお作「吾輩は猫である」の冒頭にありました。

 「この間おさんの三馬を偸んでこの返報をしてやってから、やっと胸の痞が下りた」

この三馬は、おさん(普通名詞:女中)のビァやビヰルのことじゃありません。当然ながら、秋の庶民の味覚、サンマのことだったんです、秋刀魚とも。・・・このサンマ、サヨリの仲間ともメダカの縁者とも、実に得体の知れない魚なんですが、これを三馬と記すことを知らなかった(忘れていた)のが一生の不覚でありました。もっとも元来が大和言葉のようです。トンボ(蜻蛉)と一緒ですね。和語があったというのは、古代人が「食べていた」証拠です。うお、ゐを、ゆー、の類です。

とすれば、どんな漢字を充てるかについては、相当いいかげんなところがあります。そんなに悩む必要はないのかもしれません。それに魚に馬の字をあてたヒトだって、若干は顔貌上の類似性を認めていたのかも知れません。殿様だって目黒の秋刀魚を召し上がるったときには、馬に乗って行きました。お供が二人いて、これで〆て三馬だったのでしょう。しかし、ウチの仔はちゃんとしつけましたが、このごろワタを食べない青少年が多いようです。美味の極致を残すなんて・・・
2003/10/15(Wed) 曇り


[ お知らせとお詫び(意味不明な告知) ]
テバトロンは、ここのところ、あまりにも更新ペースが遅れておりましたので、NEOテバコラの片隅に強制移転いたしました。更新が再開された場合、NEOテバコラを乗っ取らせる計画です。すなわち、それまでの間は 'not new' 扱いであります。未来の再開発に夢を託しつつ暫定的措置をいたしましたので、何卒ご理解・ご容赦をいただきたいと思います。
2003/10/12(Sun) 雨


[ 「しさ」探訪 ]
それほど長い人生ではなかったけれど、山に降る雨や雪のことから始まって、洪水・渇水のこともお勉強しました。地震のこともやらされたし、水道や下水道の問題にも付き合ってきました。サンズイでありオミズな人生でありました。もっとも世間での現代用語の使われ方としては、どちらも違った意味でまかり通っています。今や水というものは清らかなものではなく、汚れ放題なものの象徴になってしまいました。あの純白な雪が、どうして大阪ではドス黒くなってしまうのでしょう。道頓堀に飛び込むと一年以内に発病する、これはあの猛虎の監督さんさえ公言していました。

ところで下水道界付近をうろついていたころのことです。「しさ」という訳のわからない用語に出会いました。下水道には終末処理場というものがあります。そこには大都市のドロドロが流れ込んで来ます。これを浄化するのが使命なのですが、その入り口付近で「しさ」を処理するのだそうです。川の比ではなく、劇的にいろんなモノが流れ込んできます。ゴミの範疇なら良いのですが、生命活動を停止した元生命体や、時には乗用車までが流れてきます。そこで、スクリーンを置いたり池を設けたりして、それらを事前的に除去するのですが、そこで「しさ」が発生するのだそうです。

「しさ」って何だ? これがテバの最初の疑問でありました。ところが、です。誰もよう説明してくれへんのです。周りは下水道界のプロや猛者ばかりです。その彼らに聞いても、「しさはしさです」としか言ってくれません。具体的にはゴミなのです。しかしテバが知りたいのは、その「しさ」という命名の由来なのです。東京は「東の京」ではないのか。関西は「関ヶ原の西」だろう。それならば「しさ」とは何であるか、という単純・素朴な疑問にすぎないのでした。それから幾星霜、そこで判ったのは、どうもこいつらは誰も考えたことがない、ということでした。それならば自分で・・・

まず大和言葉か漢語かということから考察します。「とんぼ」は和語で「ちょうちょ」は漢語といったあたりのことです。どうも漢語らしいのです。「し渣」という使用例があったのでした。しかし何たる無責任でしょう。「ご飯」なら「御飯」だろうと見当が付くのですが、「し渣」では「し」も「渣」も理解できません。アタマに来たまま再び幾星霜です。そんなところに大朗報です。ネットで現代中国の文字が扱えるようになったのです。簡体と繁体がありました。当然繁体です。だって、「しさ」ってのは明治中期から使われていたらしいのですから。

ここで若干の脱線を許していただきます。この繁体の「繁」は繁栄の繁であります。そのためか、本邦においては、子女にシゲルとかシゲ子とか命名するケースも多いようです。しかしながら、現代中国の感覚では「簡」の対極的語感があるのではないでしょうか。つまり「ごちゃごちゃしてはる」、「ややこしてかなわん」、「すっきりしてへん」とかのタグイですね。それならば、どう読むのかは知りませんが、男の子には「簡」、女の子には「簡子」という名前を付けてあげた方が、現代中国人民からは好意をもって迎えられるのではないでしょうか。責任は負いませんが。

そこで検索エンジンを稼働します。チャイナネットですから、当然、初めての世界です。目標はあちらの「字源」発見です。結構あっけなくヒットしました。やはり文字の国です。ただ結論から言うと、「しさ」ではなくて「さし」でありました。ま、ここのところはEZ(イージー)法でいきましょう。姓名の順が引っくり返るのも、国際的にはありうることです。やっと突き止めた文字は「滓渣」でありました。もちろん大陸では「渣滓」です。でもこれら二つの漢字は、いずれも会意・形成によるヒエログリフなのでした。偏はオミズなことを、旁は発音を教えているだけです。

さあ、あとは用例から迫りましょう。どーせ中国人だってそうしてんだから。

まず「滓」です。

 水主宰,凡不能溶者皆沈澱之,指沈澱物
 渣滓:無用的沈澱物

でした。つぎ、「渣」です。これは、

 物體去掉水分後,剩下可考的細末
 漿渣:製漿所剩下的細末
 煤渣:煤剩下的細末
 渣滓:去水後剩下的細末

でありました。

よかったですね。よ〜〜くとは言わないけれど、ハッキリとオボロげに見えてきましたね。まず、「溶けないものは全て沈殿する」と教えてくれてます(当たり前じゃ)。そして「渣滓」とは「役立たずの沈殿物なの」と言ってるようです。そして「渣」で述べられていること。これは、ほとんどが判らないのだけれど、「下にたまる細かいもの」らしいのです。テバとしても、これ以上細かくは論じますまい。賢明な皆さまには、すでに、「しさ」も「滓渣」も「し」も「滓」も「さ」も「渣」も、何もかもお判りなのですから。あーっ、頭痛が!
2003/10/11(Sat) 晴れ


[ おみそ ]
おみそ、あぶらむし、おまめ・・・子供のころこの種の言葉を耳にした方、あなたはガキ大将というものが厳として存在していた時代に生きてきたのです。この呼称は、いわゆる治外法権的幼児、つまり要介護的幼児に貼られたレッテルでありました。しっかりとは思い出せないのですが、鬼ごっこのルールの中にもありました。テバの古里では「あぶらむし」でありましたが、間違ってこれを捕まえてしまうと、鬼はもう一回余計にやらされる、ということだったと思います。現代風に言うとジョーカーでしょうか。ガキ大将が当該幼児のポケットに、ひそかに「あぶらむしの証」を入れておくのです。ビー玉だったかな。幼児は大得意!

結構土地土地で呼称が違うようです。「とうふ」とかはいいんですが、「ままこ」なんていうのはちょっと屈折しています。京都では「うどんこ」って言うんだって書いてあったので、京都のヒトに訊きました。そしたら「知らないよ」って言われて恥をかいたりして・・・。「あぶらむし」ってのは判りよいです。菜の花を凝っと観察したヒトには解ります。あくせく働く蟻さんの横でのんびりと蜜を吸っているアブラムシに、「こいつは!」と思ったことがあるはずです。でもあれって本当は逆なんですってね。脂ぎった資本家みたいなアブラムシが実は被搾取階級で、蟻さんに蜜を搾り取られているんだそうです。ホルスタインだったのですね。

でも本日ついに、もっと恐ろしいことを知ってしまいました。それはあの、猛虎騒動で湧いている大阪の場合です。そこでは「ごまめ」あるいは「こまめ」と呼ばれます。たとえば「あれはゴマメやさかい、ほっとき」。「こまめ」は転訛らしく本則は「ごまめ」です。でテバは、ゴマか小豆ことだろうと思っていました。ところが何と、これは小さなイワシのことだったんです。ウン十ウン年間も思い違いしてたなんて、何たる愚かさでしょう。人智ノ及バザルコト斯クノゴトシ、の典型をこいておりました。あの酒の肴に出てくる田作りの小魚のことだったのです。じゃあなぜ、でしょ? それはあの佃煮が立派な尾頭付きだからなんですって。

10倍ぐらいに拡大すれば、これはもう、立派なイワシの甘露煮そのものです。しかし現実は哀れにも、佃煮のその他大勢の一員に過ぎません。一匹一匹は幼稚園児級の無力なものです。まさに「みそっかす」です。そこで話は次に進んでしまいます。小なりといえどもイワシですから、歯はキチンと生え揃っているのです。もちろん噛み付くとしても、動物性プランクトンつまりミジンコぐらいが関の山でしょうけれども。でもそんな彼でも、悔しいときには歯ぎしりをするのです。これこそが、かの有名な「ごまめの歯ぎしり」なのです。「おみそ」や「あぶらむし」や「うどんこ」には絶対取れない行動です。尾頭付きならでは、です。

そう考えてくると、猛虎ファンには同情を禁じえません。今度の日本シリーズの推移は、少々温かい目で眺めてあげよう、かな。
2003/10/10(Fri) 晴れ


[ ヤング・スナイパーの自殺 ]
古い古い映画に「西部戦線異常なし」というのがありました。アンニュイな反戦映画ですか。もう誰も知らない昔話ですけれど。こんなところからインスピレーションを得たのでしょうか。誰が書いたか忘れましたが、狙撃兵に関するショートショートストーリイがありました。うららかな陽射しの下で、厭戦気分に包まれて草原に横たわる若い優秀な狙撃兵がいます。彼は、呆然としてか、それとも決然としてか、天頂に一発の弾丸を送り込みます。完璧な狙撃兵ですから、その弾丸は完全に同一の軌道を往復します。このようにして兵士は、自らを狙撃してしまうわけです。

さて、この話へのクレイムです。絶対空間内を静止あるいは等速運動(実は差がありません)している草原上でなら可能なのです。ところが地球は球体です。この草原は地軸の周りを円運動しているのです。当然ですが、彼が放った弾丸にも「コリオリの力」が働いてしまうのです。このコリオリフォースというもの、見かけの上の力ですが、戦場が北半球にあるのなら、運動体を常に右へ右へと誘導するのです。従って、問題の弾丸は相当ズレた位置に落下してしまいます。台風がスライスするのと同一の原理です。それにしても無粋なクレイムですね(若干の自己嫌悪)。

天頂からこの兵士を見下ろしても同じです。要するに、弾丸は地表面に対して「右へ右へ」と動くのです。もしも現場の緯度が45度であれば、ルート2分の1の速度成分が、このコリオリフォースを誘発してしまうのです。この方式の自殺は不可能ではありません。もしも彼のライフルと弾丸が完全に作動するとして、しかも、彼がコリオリフォースを完全に計算に入れた照準をしたとすれば、ですけれどね。更には微妙な気温や風速の高度分布までも考慮に入れなければ駄目でしょうが。こんなことは、超ハイテクの某唯一的超大国の軍の総力を挙げても無理でしょう。

この小咄の作者について「誰が」といいましたが、実は覚えています。テバ的には大変好きな作家なのです。しかし惜しむらくは、高等学校の物理の授業時間にかぎり、居眠りをしていたようです。
2003/10/04(Sat) 曇り


[ いのちの旅 ]
水・木・金と北九州に行ってまいりました。李鴻章から分捕った賠償金で八幡製鉄所が建設された。これはご案内の通りです。幾星霜、新日鉄になったのはよいけれど、最新鋭高炉を韓国や中国にプレゼントしてしまい、競争力失速・・・で、その跡地に例のスペースワールドができてました。初めて(もちろん外から)じっくり見ましたが、頭脳超貧国の見本みたいなテーマパークでありました。大観覧車が闇夜を背景にネオンぎらぎらと回転しています。こんなものをいまさら造ってどうするんだい、これが正直な感想です。似たようなものですが、大昔から存在しているという一点で、枚方パークの観覧車の貧しさの方が許せるような感じです。ブリキ細工のスペースシャトルもありました。極貧です。

すこしだけ空き地があったらしく、そのニッチ(隙間)に、「いのちの旅博物館」が昨年開館しました。むしろこちらの方を訪ねてみてください。もっとも、市のエライさん達は、このネーミングを「冥土の旅」と誤解して、当初は難色を示してたようです(そんな博物館があってもいいかも)。この博物館で「生態系の健全性評価とモニタリング」と銘打ったセミナーがありました。豪州の某大学教授が特別講演をされ、他に日本人講師も三名おられました。よく出てきた言葉に「レジリアンス(resilience)」ってのがありました。日本人講師は「生態系の弾力性」などと使ってました。よく分かんないんですけど、外部から受けたインパクト撥ねのけ、生態系が自律的に回復する能力みたいなもんらしいです。いずれにせよ、すごいですね。

こいつがキーワードなんでしょうけど、テバには終始フに落ちませんでした。だって、この博物館のメインテーマは「種の五大絶滅、それを乗り越えた40億年の生命(いのち)の旅」なんですよ。しかもその横のテーマパークときたら、ご丁寧にも、重厚長大的製鉄産業のグラウンド・ゼロです。生態学者ってのは、現在でもラマルキストなんでしょうか。「獲得形質は遺伝する」ってえヤツでしたか。今西錦司先生が世界に投げかけ、もはや定説になっている進化中立説(進化は不条理)さえ知らないんでしょうか。もしも生態系のレジリアンスがそんなに高かったら、世界は今でも、アメリカ人ではなく、三葉虫が支配するカンブリアンパークのはずです。繁栄・絶滅のカルマ、そのおかげ現人類も存在する。繰り返しますが、定説です。

会場には、虫よりは知能が高くサルよりは低いと常に高らかに自認される、あの鮎の先生・K琵琶湖博物館長様がおられました。この方が何も言われません。不安が胸をよぎります。ところがそのあとのウェルカムパーティーで、ショートスピーチをされたのです。目の前には当然、あの特別講師の豪州人教授もいます。そこにおけるK先生の第一声は、「今日のセミナーは不思議だった。なぜ誰も、『それで?(So what?)』と質問しなかったのか?」というものでありました。やはり京都学派は健在でした。第六回目の大絶滅の引き金を引こうとしているのは人類なんですよね。インパクトはお前だろ! このような認識は、唯一神信仰の若きゲルマン人には持てないのでしょうか。しかし、それにつけても、K先生には・・・

・・・・ターマヤー!
2003/10/03(Fri) 晴れ