☆★☆- ホンの幕間 -☆★☆

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[ カバヤ文庫(続) ]
もう少し研究してみました。「落ガキ」に・・・
2003/09/28(Sun) 晴れ


[ カバヤ文庫 ]
中部地方にお住まいのU先生が、マ島をご一緒した縁で、世界各地に行かれた折々に纏められた旅行記を、チビチビと送ってくださるようになりました。もちろん第一便は最新作のマ島版です。え〜と、惑星進化論(全く解りませんが)なんかを若いころ研究されたようで、その(?)観察眼と通過型旅行者(滞在型もあるのかな?)特有の気楽さで書いておられます。大変面白く読ませていただいています。

その後も2編ほどお送りいただきました。段々溜まってきそうな感じなので、「U文庫」というフォルダーを作りました。それをご報告申し上げた中で「昔、カバヤ文庫とかいうものを溜め込んだ時以来の楽しみです」と書いたら、これが偶然ヒット。テバは知らなかったのですが、カバヤ文庫の勧進元・カバヤ食品は、U先生の郷里・岡山のメーカーだったんですね。本当に世間は狭いこと、です。

 「かばや文庫とは懐かしい。本社が岡山でしたから、我々の熱中度は
  大きかったのですが、北関東でも熱中しましたか」

とありました(無断引用失礼)。更に、

 「かばやの二代目は偉くて、今や分子生物学的分野で
  一流の企業だそうですね」

と、カバヤがいまだ健在であることまで教えていただきました(再度失礼)。

カバヤ文庫の入手方法ですが、カバヤキャラメルの中の点数カードを50点分集めて、お菓子屋さん(ていうより、駄菓子屋さん)に持っていって現物と交換してもらうのです。当の文庫はお店の奥にしつらえた棚に、これ見よがしにズラリと並べられているので、次の目標も立てやすいのです。しかし時代は昭和20年代後半、U先生は小学生でしたが、テバは幼稚園児です。ハンディありです。

しかしテバは、キャラメルを買わなくても入手できる独自のルートを持っていたのです。それはですね、もう時効が成立しているはずですから明かしましょう。我が家と昵懇にして下さっていた校長先生が供給元だったんです。学校へ持って来ちゃいけないんですよ、漫画の本は。持ってきたら即没収です。没収された本は山積みになっていますので、そこから欲しいものを選んでくるだけです。

校長先生は、その後教育長となられ、ついには大教育長と呼ばれるまでの教育者になられました。そして幼稚園児にも、搾取の快感をしっかりと刷り込み学習させてくださったのです。懐かしくなって探していったら、「デジタル岡山大百科」というサイトにありました。デジャヴュ(?)とかいうプラグインも導入して開いてみたら、これは驚き。単なる漫画の本じゃあなかったのです。

例えば「月世界探検旅行(第9巻第10号)」ですが、全部で70ページくらいあって、「はしがき」をお書きになっておられるのは、英文学の大家であった京都大学教授・深瀬基寛先生です。本体は、ポーの三大作品を縦糸に、月に関連する知識を横糸にするという、極めてエンサイクロペディアな内容になっています。ざっと項目だけ拾ってみても、その構成の緻密さが解ると思います。

 ○図版:月のみちかけ
 ○月世界探検旅行
 ○赤き死の仮面
 ○暗黒の地獄
 ○カバヤ豆じてん
 ・月の満ち欠け
 ・大潮、小潮
 ○図版:潮のみちひ

カバヤ児童文化研究所まで構えて取り組んでいます。クラーク先生も納得する、志の高い一大事業であることが伺えるのです。ボーッとした幼稚園児は、只のキャラメル屋だと思っていたことですが、カバヤさん、大変失礼いたしました(今日は失礼ばかりしてます)。「分子生物学的分野で一流の企業」に成長される原動力は、この時代に既に備わっていたのでしょうね、きっと。

序文の執筆者を見るだけでも壮観です。

「アラビアンナイト(第1巻第6号)」吉川幸次郎
「孫悟空大暴れ(第1巻第10号)」  貝塚茂樹
「アルプスの少女(第2巻第3号)」 今西錦司
「あかずきん(第3巻第1号)」   新村出
「悲劇のリヤ王(第3巻第7号)」  野上弥生子
   ・
   ・
   ・

アルプス→ヒマラヤ→モンゴル→今西先生、っていう連想ゲームも楽しいですね。でもあの時代です。原稿をお願いするだけでも大変だったことでしょう。

そして「オルレアンの少女(第8巻第1号)」は極めつけ。あの中世史の泰斗・堀米庸三教授でありました。でも、ここで大きな疑問が湧き上がってきました。幼稚園児のレベルじゃないんですよ。しかも、こんな立派な図書、いかに大校長でも没収するわけにはいかないと思われます。再び「岡山大百科」をよーく見ていきます。すると、ありました。「カバヤマンガブック」なるシリーズがありました。ほぼ同時期です。

これでした。校長先生が没収対象にし、幼稚園児が搾取対象にしていたのはこっちの方でした。U先生、失礼しました。とんでもない記憶ミスでありました。先生のは文庫、テバのはマンガだったのでした。こちらは50点は要らなかったでしょうから、罪の意識も多少楽になりました。
2003/09/27(Sat) 晴れ


[ DPRKが援助する(していた?)国 ]
すっかり忘れてました。同行したヒマさんが覚えていてくれました。マダガスカル共和国を援助する(していた?)国々の中に、かの高名なNKR(North Koea Republic)がいる(いた?)んだそうです。何でもマ共和国大統領官邸なるものを建ててあげたらしいんです。豪儀な話ですが、そんな余裕があったとしてもパパKの時代でしょうか。でも、そんなメニューがあるんだったら、日本も総理官邸を新築する折に、援助を頼んでみればよかったのに、とも悔やみます。今や日本の必需品である'PACHINNKO'や'White Powder'のおかげで相当潤っている筈なんだから。

それにしても、ターゲットが明快なやり方ですね。米(コメ)や油(オイル)を援助しても、それが結局ミサイルや核弾頭に化けるんだったら同じことです。分かりよいやり方です。首領様や大将軍様さえ立派な建物に住んでいれば、それだけで当該国民は尊敬されるわけです。核弾頭弾道ミサイルさえあれば、世界が畏れ敬って何でも貢いでくる、という「主○思想」そのものですね。あるいは毛○東思想的とでも言えましょうか。張り子のトラ諸国は、政府も人民もポピュリズムの迷妄の虜にでもなってなさい・・・、革命は食料からは生まれない、のです。

NKR人民を幸せにする直接的援助は何でしょう? あえて訊けば、H-IIロケットとプルトニウム、という答が返ってくるのでしょうね、多分。
2003/09/22(Mon) 晴れ


[ 雨の週末 ]
異常気象かどうかよくわからないが、台風15号が来ています。それでもここ日吉では、傘をさしながら(?)学生さん(?)たちが、午前三時ぐらいまで路上でわいわい騒いでいます。一時は「うるさい!」と思うこともありましたが、現在は耳栓の良いものがありますから、あまり気になりません。それにしても気の毒なのは我が家の高校二年生です。学校の成績が・・・という話ではありません。

この学年は大変大胆な先生に恵まれて、創立以来初の海外・韓国修学旅行を決行する予定だったのです。ところがあの、Stinct Acute Respiratory Syndrome(SARS)騒ぎで計画変更になってしまったようです。ということで月並みな国内・北海道修学旅行に振り戻しになりました。次の月曜日出発の予定なのですが、どうも15号は、そのころ羽田沖に来て暴れ回っていそうだという予想です。

息子独りが不運なのではなく、一学年約240人が不運なのですね。こうしてみると、不運というものには特有の広がりがあることが判ります。自分独りが不運、から始まって、世代の不運(テバの同い年は240万人ぐらいいました)、全人類の不運。6000万年前の恐竜の不運。天地を創造してしまった神の不運。きりがないのですが、不運の連続性・不滅性こそ不条理の原点なのでしょうね。

水素原子がなぜ陽子1ヶと電子1ヶからできているのかという謎から、郵便ポストがなぜ赤いのかに至るまで、所詮、説明をしようとすることは「無駄」だ、ということが世の中には無限にあります。その度にガソリンを撒いて火を点けていたのでは、命がいくつあっても足りません。もっとも、無限の不条理に対するに、たった一つの命、これこそ解答へのヒントなのかも知れません。

PS:このHPの表紙、ネスケでは表示されないらしいので、そちらへの分岐を作りました。もっとも、テバの場合、Win98かつNSC4.3ていう原始的なものなので、何の問題もありません。NS7.0あたりの高度なシステムの方には見えないらしいのです。Win98の低級者なので、先日のウィルス騒ぎも知らないうちに過ぎました。
2003/09/20(Sat) 雨


[ アポロンの司祭 ]
診察室にいるお医者様の風情には、先斗町で舞妓さんと遊んでいるお坊さんに似たところがある。木綿の白衣を大島紬の着流しに替えてもらい、患者の代わりに舞妓さんを置いてみればよい。何ともリラックスしておられるし、もう少し踏み込んで言うなら、患者とのやりとりを楽しんでいる様子さえうかがえる。もちろん、ひとつの「やまい」を挟んで、一方は練達者であり他方は素人である。実力の差に由来する余裕というものは歴然である。しかも、差がなかったら大変なことだ。しかしながら、どうもそれだけが理由の全てではないような気がしていた。

この謎は、医聖ヒポクラテスの誓いの言葉の最後あたりで解けた。

 「この誓いを守りつづける限り、私は、いつも医術の実施を楽しみつつ・・・」

そう、やはり楽しんでおられたのだ。しかし、診察室の楽しみなどは、ほんの序の口にすぎない。

ヒポクラテスをはじめとして、その正統なる後継者たる医師たちが仕える医神アポロンの神殿、こここそ「楽しみ」に満ちた奥の院なのだ。お坊さんにとっての本堂。医師にとってのそれは手術室に他ならない。白衣を袈裟に、もとい、手術衣に着替えた医師は、これがあの同じ先生なのかと思わせるほどの変貌ぶりなのだ。目のあたりを除いて、すべてを覆い隠した装束である。いかにも、これから怪しいことをするぞという格好だ。そんな格好で、俎の上の鯉、もとい、患者には、猫なで声で、

 「テバさん頑張りましょうね」

 「力を抜いていきましょね。大丈夫だから」

などと話しかける。しかしテバの鋭い目は見逃さない。言葉や声音の優しさとは裏腹に、先生の目は期待と興奮に輝いている。なぜならこの手術台こそ、まさにアポロンのための犠牲の祭壇なのだから・・・今日もまた、新たな生け贄を捧げることができる。それも最も得難い犠牲、同意にもとづく犠牲である(同意書あり)。ケルトやアステカの故事を引くまでもない。同意の犠牲こそ、神が最も嘉したまうものなのだ。かくて司祭は、神聖な儀式を始める。患者には若干の麻酔だけを与えて・・・

次の犠牲は? 病棟にストックがたっぷり・・・その補給は? 診察室がある。かくて、アポロンへの誓いは果たし続けられる。
2003/09/17(Wed) 晴れ


[ 様式とモラル(その周辺) ]
この別館全体を俯瞰してみる。本館とは各階が通路で繋がっているが、内部で両館を移動する人には同一の建物のように見えることだろう。その境界を意識するようなことはほとんどない。本館の方には正面玄関等があるが、別館を中心に出入りを考えてみる。すると、本館からの通路の他、外部との主要な連絡口があと2ヶ所ある。救急口と裏玄関である。救急口、これを目指してやってくるのは救急車か夜間急患で、一般外来や入院患者はほとんど近づかない。出たところに灰皿スタンドが1つ置いてある。その本来の主旨は、葷酒山門に入らずと同義であるが、現実の使われ方は別である。

交通量が多く、そのプトロコルが若干複雑なのは裏玄関である。昼間は通常の出入り口である。本館の正面玄関が閉じると、ここは夜間出入り口になる。二重ドアになっており、二重のドアの間には管理センターの窓口がある。21:30すなわち消灯時間を過ぎても、内部から外部へは自由に出ることができる。外部からアクセスしようとすると、外側ドアはフリーだが内側は施錠されていることに気付く。管理センターの制服または貸与病衣(縦縞)を着用した人間の場合はやりとりも不要で、ただちに内部ドアを解錠してくれる。この裏玄関の外に喫煙棟(プレファブ)がある。

話は少々寄り道するが、本院の喫煙事情には歴史的な変遷があった。喫煙場所は当初比較的大らかで、正面玄関の外、総合待合いに隣接した喫煙室、裏玄関の外、救急口の外の四ヶ所であった。喫煙室以外は灰皿スタンド。それが現在では、前二者は廃止され、代わりに裏玄関の外に立派な阿片窟のようなプレファブの喫煙棟を新築してくれたわけである。内部の旧喫煙室は、今では杖・松葉杖をはじめとするリハビリ・介護グッズショップになっている。店員も客も見かけたことがないという、不思議なお店である。ひょっとしたら、ただのショウウィンドウなのかもしれない。

タバコは院内のコンビニで販売していたのだが、最近になってこれも廃止された。こうなると入院患者は哀れなもので、外出許可を取って服装を替え、S駅との中間ぐらいにあるコンビニや自販機まで行かなければならない。外出許可を発行してもらえない患者の場合、見舞客を装った売人が持ち込む密輸品などに頼っているようである。いずれにしても大きな流れが伺える。緩い差別→ゲットー化→絶滅政策、となるのだろう。この国には江戸時代の初期前後に同様の宗教政策をとったという実績がある。

空間的分布がわかったところで、次に時系列的な問題に移ろう。病院の消灯は早い。21:30である。まあ、枕許の照明なら22:00ぐらいまで、イアホンで聞くTVなら23:00ぐらいまで、程度のお目こぼしはしてくれる。しかし問題は6Fの整形外科の患者さん達のように元気な方々である。実態はどうか。ここで、建前と本音の共存という、絶妙なシステムが生まれる。彼ら元気印は22:00ごろを目途に、裏玄関の外に集まり始めるのである。車椅子の人が主流だ。そして椅子があるので何時間でもOKなのだ。

当然喫煙棟は閉鎖されている。そこでかれらはポケット灰皿を持参するということになる。なかなかマナーも良いようだ。それぞれお菓子(見舞いの品か)などを持参し、交換もしている。月-火星大接近の晩も集まっていた。その数最大約10名。別に空を見上げわけでもなく、世間話にうち興じている。どうも午前1時ぐらいまでやっているらしい。一応そっとベッドに戻ってくるのだが、人数も多いことで、気配や囁き声でふと目が覚めてしまうのでそれとわかる。管理センターの人も黙ってドアをあけてくれるし、ナースセンターの当直看護婦も見て見ぬ振りをするようだ。

喫煙のためだけであれば救急口外の灰皿スタンドで用が済むし、こちらは24時間解放されているのだが、さすが救急口の前に車椅子を並べてチャットというわけにもいかないのだろう。むしろこちらの灰皿スタンドを使っているのは、医療従事者でありながら悪習と縁が切れない人々が多いようだ。白衣の喫煙者を時々見かける。縞柄の病衣の人々とは地域的な棲み分けをしていることになる。これにより無用の軋轢を避けることができるわけで、様式とそれが体現するモラルという中心課題の外縁部にも、思いがけない形で、しかも文化人類学的には興味深い事象が発生するものである。

時系列の先を追っていくと朝になる。裏玄関が通行自由になるのは6:00ごろらしい。4Fの人が病棟内で多忙を極めている時間である。ところが、もう5:00ごろから、(相変わらず閉まっている)喫煙棟の周辺で煙を立てている人たちがいる。やはり6Fの人々だ。朝はこれに加え、近所の野良ネコが2〜3匹ほど、リラックスした格好で舌による毛繕いをしている。このネコに話しかけている人までいる。たしかに6Fはまだ昏々と熟睡している時間帯である。しかし、ネコしか相手がいないとしたら、この人は、入院している必要が本当にあるのだろうか。
2003/09/14(Sun) 晴れ


[ 様式とモラル ]
建築における様式は、これを設計した人間のモラルを濃厚に反映している。近代主義建築以降は、引越段ボール箱を列べただけのコルビジェ風であれ、ロマネスクに回帰したかに見えるポストモダニズムであれ、そのモラルは形而上的なものを一切含まないことを特色とする。それ以前の、たとえば中世風の城塞や教会を考えればはっきりしてくる(先般は帰途、パリ郊外のシャンティーユ城に寄ってきました。「ベリー公の時祷書」もありましたが、何かの事情でレプリカでした)。古い時代の様式には、使用者たちの利便性だけではなく、身分秩序や来世志向といったものまでが含まれている。これらは当然、近代主義建築以降には全く見られない。

一例をあげよう。新幹線のS駅近傍(徒歩5分)にある、YR総合病院を分析対象としてみる。これを対象とするのは、テバが良く知っているからである。この病院は4階建の本館と10階建の別館から成っている。有名温泉のホテル旅館の構成に酷似していることに気付くであろう。ただし、大浴場、大宴会場はない。本館には事務部門、外来診察部門、レストラン、お見舞い品屋等が配置されている。事務部門には、大部分の訪問者のための総合受付や少数VIPのための院長室などが含まれ、レセプション機能が重視されていることが判る。レストランは和洋中なんでもありだが、比較的格安に本格的なものを出すので、評判は良い。亭主の見舞いついでにお食事を楽しむ奥様もおられるようだ。保険金や遺産が多い老亭主の場合は、「ついで」と「楽しみ」の対象が逆転する場合があるかも知れない。

【テバがこの施設を良く知っているのは、以前ここに、ある期間滞在したことがあり、今回も、マ島から帰還して一週間後に「入」ったからである。本日、「出」てきた。今回の目的は「夏休みのついでに」プロジェクトである。この意味は徐々に明らかにすることとして、とりあえず、坂口安吾風にルポルタージュから始めよう。時間がたっぷり出来てしまったことでもある】

ところで一瞥だけでは判らないし、大部分の訪問者も誤解しているのだが、この病院の基幹棟は別館の方である。ここが重要である。別館は2Fから9Fまでが病棟である。この意味を理解するには、修道院の機能は修道院長室にあるのではなく、修道僧が祈り働く部分にあること、を指摘するだけで充分だろう。古代史家は、初期修道院遺跡の発掘において、院長室の発掘に手間をかけたりはしない。そう、現代の修道院でも、医師や看護婦が祈り働く場所こそ重要である。彼らは、その時間の大半を病棟で過ごしているのである。当該本館は土日・祝祭日はクローズである。しかし、別館は年中無休。もちろん、年末年始も無休である。世界に冠たるあのKOBAN(交番)でさえ、明かりがついていて無人ということがあるが、この別館だけは廃業の前日まで、太陽神の船のように、一瞬の休みもなく働き続ける運命にあるのだ。

この病院の重要設備の配置を観察しよう。まずMEであるが、これはB1にある。当然ながら、騒音・振動・電磁波等を避けるためであり、標準である。なお、霊安室はB2にあるらしい。次に、CCU、p-CCU、ICUである。これらは全て4Fにある。何故か? 簡単である。4Fが循環器科(内科・外科とも)に割り当てられているからである。テバは以前、「人に貴賤の別なし、病に貴賤の別あり」と喝破したことがある。そう、最も至高の病「心の病(シンノヤマイ)」にこそ、最重要設備群は配置されるのである。背反事例、たとえば賤の代表としての「痔」。こういった病気(?)には、決して優先配置されることはない。今回テバが滞在したのは、残念ながら、6Fである。ここはガン科・整形外科病棟であった。

4Fと6Fでは、雰囲気が全く違う。一日の始まりが典型である。4Fの朝は早い。すでに4時半ごろから、MEに送られるクランケの下ごしらえなどが始まっている。オペにも入念な前処理が必要である。この朝の早さというものは、築地に殺到することから一日を始める板前並みである。全科の入院患者に共通する寝覚めの作業は、検温と血圧測定である。6Fではこれだけである。あとは何もない。あとはボーッとして朝食を待つだけ。だから6時半ぐらいにならないと、看護婦も各室を回り始めない。だが4Fは違う。標準メニューとして採血が付いている。これだけでも大変。その他、数々の物理・科学・生物学的検査のための個別特殊なサンプリングが、病棟の至る所で繰り広げられるのだ。看護婦は5時半ぐらいから始めなければならない。朝食に辿り着いたころには、患者ともども、疲れ果てていることが多い。

次に「お見舞い」の時間帯を観察してみる。6Fの賑やかさといったらない。なにせ食餌制限のない患者ばかりである。ディルーム(運悪く隣りにあった)はピクニック状態である。他の患者さんに憚ることもなく子供(ガキ)は騒ぎまわる。親に代わってこれを咎めても、「変人」視されるだけである。足を骨折治療中の連中は、病棟内の廊下をサーキットがわりに、車椅子で走り回っている。せめて上半身の筋トレぐらいは、ということなのだろう。やるなとは言わないが静かにやれ! 声掛け・励まし合いながら、レース状態でやるんじゃない! ・・・この病院でのことではないが、私の知り合いのM氏なぞは、アキレス腱切断で入院中にダンベルをやりすぎ、退院直前に腕を骨折してしまったらしい・・・ア・ホ!

一方、4Fの見舞客である。彼らには、臨終の王を見舞う大貴族の風格がある。あくまでも礼儀正しい。仮に見舞客同士で話し合う必要があっても、密やかに囁くだけである。何と言っても王は、昨夜遅くCCUに運び込まれたまま治療続行中らしい。いまだに病室に帰還してはおられないようだ・・・飲食物を堂々と持ち込む不埒者もいない(どうせナースステーションで厳しくチェックされる)。夫の好きな笹蒲鉾をこっそりバッグに忍ばせた妻の話が美談になったほどである(1枚わけてもらったけど、おいしかった)。そうそう花束もいけません。微量成分の何やかやが、デリケートな検査・治療の妨害要素になるのだ。そう、4Fでは全てがデリケートに進められているのだ。なんという典雅! 何という威厳!


6Fだけの問題に限っても、ガン科と整形外科を同じフロアーに収容したのはミスだったのではないか。骨折なんかで入院してくるのは、骨粗鬆症も稀にはあるかもしれないが、大体が若い奴で、運転や運動で無理無茶をした結果である。反面、ガン科の方は老人病の雄である。歯車が合うはずがない。大部屋に雑居していても話題が合わない。自然マイペースである。その点、4Fは和やかである。病名こそ様々でも、故障しているのはほヾ同じあたり、同病相憐れみやすくなっている。もともとどうしようもない変人とかいうことでなければ、いつの間にか戦友状態になっていて当然だ。こうした高貴な志を持った人々こそ、あのCCU、ICUに値するのだ。整形外科の患者なんかには、隣のW杯のサッカーグラウンドあたりが相応しいと思われる。

そういうわけで「夏休みのついでに」の前半分、「夏休みの」構想は、見事壊滅した。エアコンの効いた中で悠々と一週間を過ごし、夜には九夜・日には十日の禁酒、一週間の禁煙、そして一日1500kcal相当の低カロリー×21食・・・完璧な計画であったが・・・これらのうち一番大切な「悠々と」をバッサリと削られてしまったのだ。そのうえ、あまりのうるささに耐えかね、個室移転構想を検討していた矢先、真穂ちゃん(テバの主治医様です)に、「もう退院していいですよ」と突き放されてしまった。5泊6日で打ち切り、猛暑の娑婆(シャバ)に放り出されてしまった。そんなわけでここにいる。こんなことなら4Fにしときゃ良かったのに、と後悔しても、「ついでに」が6Fにしか用事のない「ついで」だったので、いかんともしがたい。

ところで「様式」、である。大都市の高層ビルの総合病院の様式には大変に興味深いものがある。先に述べたように、フロア単位で診療科が区分されるため、設計者の思想が赤裸々に出てしまうのだ。現存するかどうかは知らないが、地方の国立病院なんかであれば、広大な敷地に低層で平面的に、ややスプロール気味に、拡大していく。外郭へ外郭へと最新鋭施設・設備が付加されていくから、明快な設計上の思想・意図は見られない。訪問者は、時代区分を異にする案内矢印に右往左往するが、それに伴ってバロックなグラデーションが展開する。医学の進歩と発展という「不可思議世界」を垣間見ることもできるのだ。その究極は過疎地の診療所だろう。先生の椅子と机、その横の患者用の椅子(当然だが、机は与えられない)、岩波文庫まで並んだ書棚、あらゆる病気のための薬が出てくる魔法の戸棚・・・
2003/09/13(Sat) 晴れ


[ 犬の分布 ]
マ島に行くとなって最初に心配したのは予防接種でした。若い頃派遣されたところといえば、イエローフィーバーだのなんだのが義務付けられた国々ばかりだったですからね。で驚いたことには、なーんにもなかったんです。義務的接種としてはですよ。でももはや、テバも子供じゃありませんから、はは〜ん、と気付きます。観光万能のこの世界、ややこしい義務的接種なんかがあっては商売の邪魔、ってことは誰でもわかりますよね。そこでお薦めのモノは何かと訊いたんです。

3種ほど聞きだしました。結局、併せてウン万円もかかりましたが、現地に行ってみたらそれほどでもなかったので、名称は伏せておきましょう。ところで、気になるので「狂犬病は?」、と追加質問してみました。すると答えが振るっています。「不必要です。犬なんかいませんから」、っていうことでした。でも、ここで誤解する人がいても困るんで更に追加説明しておくと、狂犬病は犬から伝染(うつ)されるばかりじゃないんですよね。サルだって持ってるらしいですよ。それはさておき。

犬がいない。イヌガイヌ。そんな島があるなんて。さすが生態学の奇跡・マ島です。首都に着いてからというもの、車に乗ると鵜の目鷹の目で犬を捜しました。いません。本当に見かけないのです。それどころかネコもいません。本当だったのです。しかし、おかしな話です。地質学的年代の大昔に周辺の陸地から切り離されて、独自の生態系が形成され・・・仮にそうだったとしても、その後も、犬やネコは人間と一緒に海を渡ってくることができたはずです。人間はいるのですから・・・

もう一つのイヤな可能性が頭をよぎります。アジアの某国では、ハクビシンはおろか、犬やネコまで食べるといいます。テバも若い頃パロパロ共和国の片田舎のマーケットで、犬が売られているのを目撃しています。すると、食べ尽くされてしまったのでしょうか。う〜ん、何ともおぞましい空想です。ワシントン条約だの種の多様性だの言っている場合じゃありません。人類の盟友が絶滅してしまっていたとしたら、これはヨーロッパのサル問題に匹敵します。我において環境を論ずる資格ありや。

でもご安心下さい。絶滅はしていませんでした。首都から50〜60km南下したあたりで、最初の犬を見かけました。それから先は、ポチポチ見かけるようになりました。でも共通しているのは、ガリガリに痩せていることです。どうも犬にまでは食糧が廻らないという感じでした。法則@としては、大都市の中心部にはいない。法則A、田舎の町では見かけるが栄養状態は良くない。そして例のバオバブの村で紹介された村長さんの飼い犬はちゃんとしてました。法則B、ところにより普通の犬もいる。

どうも、宗教も関係しているようです。イスラム地帯は法則Bでした。でも、非常に短期の観察だったので、あんまり大した法則にはなりませんでした。
2003/09/12(Fri) 晴れ


[ 南十字星 ]
結構滞在期間の長い在留邦人の方でも、あれだよと簡単に教えてくれる人は少ないですね。昔、インドネシアで見た(ような気がした)時も、ハッキリとはわかりませんでした。

で、今回です。場所は最南端のFD市です。南緯25度ぐらい。丁度夕食のために、路上を徒歩で移動している時でした。あまりにも見事な星空です。ほとんど人工照明がないことも幸いしています。同行の方に聞いてみます。四半世紀前の10年間をマダガスカルに埋めたというTさんです。たちまち「あれだ!」、と上空を指さし、大きく十字を切ります。日本人として、誰かこれに関心や抱かざる。ワイワイやりましたが、人によって微妙に印象が違います。

次は、最北端のDS市。南緯で12〜13度です。今度の講師は現地の方でした。そして、全員の教わったところが一致したのです。くっきりとした可愛らしい十字架が輝いて見えていました。何よりも先夜のもののように巨大ではありません。あれは白鳥座の十字より大きく天の川の幅以上あったのですから。やっと本物に出会えたようです。残った寿命・視力から考えると、最初で最後の機会だったのかもしれません。

改めて南国の満天の星空を眺めると、ニセ十字星候補はいくつでも見つかりました。
2003/09/07(Sun) 曇り


[ 飲み物事情 ]
ワインについては、マダガスカル産のものは全てヌーボーでした。どうも気候の関係らしく、熟成させようとしてもうまくいかないようです。白と赤はお定まりですが、グレーというのがあったのにはびっくり。いわく「ヴァン・グリ」です。確かに若干ロゼがかってはいるものの灰色でした。

更に驚くのはそのお味です。同行のM君と一緒に飲んだのですが、二人とも一口でギブアップでした。そうですね、テバの感想では、苔の着いた金魚鉢を洗ったときの臭い、といったところです。何か嫌気性発酵過程でも通ってきたような印象です。究極の驚愕は、これをグイグイ飲む人が、特にご婦人連にいたことです。

たまたまその一本に問題があっただけなのかもしれませんが、ひとつ考えられるのは、「熟成させようとしても・・・」の結果だったのではないか、ということです。ポリフェノール偏愛のワイン通の方が身辺にいたので、M君とこれをお土産にしようか、などと話していたのですが、当然、断念いたしました。

上等のワインは、やはりフランスから輸入されるようです。その他に、中級品として南ア産のものがあるとのことでした。現地の人が飲むのはラムが多いようです。デザートにラムで溢れかえったケーキが大山盛りに出たことがありました。勿論、テバはパスいたしました。それ以前に、超満腹状態だったからです。

ビールはM君によれば三種類ほどあったようです。でもテバが飲んだのは「Three Horses Beer」一種類だけでした。洒落た人はフランス風に「テ・アッシュ・ベ」なんて呼んでましたが、「サンバ(三馬)ビア」と名付けてあげました。毎回味が違います。熱い道路を延々とトラック輸送しているせいでしょうね。

ホテルで「デュ・ウィスキ・シル・ヴ・プレ」と頼んでも通じないことが多かったのですが、ある日はっと気づきました。「ジョニーウォーカー・シル・ヴ・プレ」が正解だったのです。首都のヒルトンですら、これしかないのです。どこでも氷は絶対別に持ってきます。そして、日本人は誰も絶対に使いません。

ヒルトンだけは例外でした。オンザロック状態で持ってきたのです。たじろぐテバにM君が「さすがヒルトンですね。ここのは安全なんでしょう」と言うので、久しぶりに冷えたやつを飲むことができました。で、翌朝その話をしたら、ツアコンに言われました。「ロシアンルーレットですね」。海外での衛生管理は自己責任です。

ノンアルコール系ではバニラティーがイチオシです。さすが世界最高のバニラがとれる国です。ミルクも邪魔、砂糖さんあっち行けシッシです。レモネイルというのもよく出てきます(誰かが必ず頼むから)。これも食後には、すっきり爽やかでいいですよ。どちらも町のスーパーで、ちょっぴり多めに買い込んできました。

でもね、今回の旅で一番美味しかったのは、某所で出してくれた焙じ茶だったのです・・・
2003/09/05(Fri) 曇り


[ バオバブの踊り ]
今回一番楽しかったのは、ベレンティという自然保護区近傍の小さな村を訪ねたときのことでした。1mぐらいのバオバブの苗木を何本か植樹しました。すると、手作りのギターが登場します。丸木船と一緒で、本当に一本の木から刳り出したギターです。ガットの余裕がやたらにあると思ったら、釣りのテグスでありました。村一番の弾き手がアフロなリズムを奏でます。すると、本当に小さな子供達が、掛け声をかけながら激しく踊り出します。よく揃っています。一番小さな女の子が一番セクシーに踊っていました。言葉の意味はわからないのですが、小さなバオバブが大地に根を下ろす。そのことを、心の底から喜んでいることが、はっきりと感じ取れました。

現地で活動しているS嬢によれば、この日に備えて村の広場で練習を重ねてきたんだたそうです。小さな子達を並べて踊らせるのですが、もちろん中には恥ずかしがって踊らない子もいます。するとギターのお兄さんが声をかけます。ギターのお兄さんは村中の女性の憧れの的です。そのお兄さんが「おまえ、美人だな。きっと踊りも上手いんだろうな」、と励ますのです。すると、たちまち本当に上手に踊りだすのだそうです。50人以下の小さな村です。誰もが誰もを知っている村です。きっと、昔の日本にもあったんだろうなあ、という気がしました。

丁度、抜けるような大快晴の日でした。
2003/09/02(Tue) 晴れ


[ 只今 ]
帰ってきました。マダガスカル島を東奔西走、もとい、南奔北走してきました。疲れました。
2003/09/01(Mon) 晴れ