☆★☆- ホンの幕間 -☆★☆

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[ 別れの煙 〜名画座〜 ]
イラ○支援法てのができたらしいですよ。中身はよく知りませんが、「支援」という名前からして、素晴らしいもののようですね。それに、支援するってんだから、向こうさんに感謝されることも間違いないですね、きっと。でもね、調子に乗ってあんまし長居しちゃうってのは考えもんですよ。もうこの辺でいいなと思ったら、夕陽を背に、極東行きの帰国用輸送機に乗り込んじゃうんです。その背中にイラ○の子供たちが叫びます。「シエ〜ン、カムバァ〜ックゥ!」、と、ここまでくれば美学です。

すんまへん。精神が不安定なんでしょね。しょ〜もないハナシでした。

【第4日目(つづき)】

やはり灰皿は片づけました。実は、こうした些事にこだわることこそ、禁断症状の典型なのです。この時期は約半月続くようでうす。その後は? 臨床的観察記録によると、禁断症状の潜伏化が起こるらしいです。そう、これは分裂した人格間の闘争過程なのです。テバの立場は? 健康派と習慣派がゲバルトを繰り返す、ただの廃墟にすぎません。

【第5日目】

・・・果てしない道・・・
2003/07/31(Thr) 曇り


[ 別れの煙 ]
【第3日目(つづき)】

昨日の夕方頃から、妙に他人が吸っているたばこが気になりだした。これは禁断症状の一種である。「熱いタバコ」に「冷たい目」を向けるのだが、喫煙者は全く気づかない。ま、当たり前ですね。特に習慣性のある薬物をヤッている最中なんですから。多幸症の極みみたいな精神状態なんでしょう。

【第4日目】

さいわい、職場の身の回りには喫煙者がいない。・・・ということは、従来、ひとりで迷惑をかけていたことになりますね。まあ、まあ、そこは、今回の禁煙に免じてコラえていただくとして。ところで、机の上に灰皿だけは置いてあります。来客用なのか再開用なのか、激しく悩んでいるところです。
2003/07/30(Wed) 雨


[ 「別れの煙」の記 ]
【第1日目】

朝、やはり別れてみようと思う。先般ツレアイに、若く見えるけど、もう五十ウン歳なんだよ、と指摘されたような気がしているのも負担だ。実際のお言葉は、五十ウン歳にしては若く見えるね、だったような気もするが・・・これなら少しは嬉しいか。

が、まあ、思えば40年近く戯れてきたわけだ、この煙さんとは。アルコールはアセトアルデヒドになり、出会いは別れになるらしい。特に、相手が煙のようなものであってみれば、目が凍みるような別れがあるのも、当然の結末なのだろうか。

【第2日目】

朝、ダルな目覚め、やはり眠りは浅かった。ニコチャンには覚醒作用がある反面、その後、どっと疲れをもたらすという。これが安眠に繋がっていたのだが、そのチェインが切れてしまったわけだ。この不眠症、しばらく続くかも知れない。STI(咳痰指数)に変化なし。ちょうど24時間か・・・時の過ぎるのが・・・遅い。

夕方、三十数時間経過、呼吸が楽になってきた。これは前回の禁煙では気付かなかった現象だ。あれは確か十年以上前、テバも若かったのかな。逆に言えば、中古化が進行した結果、呼吸器に影響が出てきていたわけだ。時々禁煙してみるということは、自分の身体年齢のチェックに役立つのかもしれない。

【第3日目】

朝、やはり眠りは浅かった。せんかたもなく、これを記す。特段の変化なし。
2003/07/29(Tue) 晴れ


[ アイアイ ]
マダガスカルと聞いたら何を思い浮かべますか? バオバブ、アイアイ、ワオキツネザル、バニラ、紅茶・・・この辺が普通らしいのですが、テバの場合、真っ先に浮かんだのは「ノシ・ベ」という名前の島と、ここに2ヶ月余も碇泊していたというバルチック艦隊(通称)のことでした。全く非道いアナクロ・アタマです。およそ、100年近くも前の話ですもんね。そんなこんなで、司馬先生の例の御本を何度目(?)か読み返すハメになってしまいました。

今回の再々・・読の新発見は、司馬先生の文体に関するものでありました。テバは先生の文体に、あの「浜村淳」が入っていることを知ったのです。それも大阪風に言えば「濃ゆ〜く」です。たとえば、

『「冗談じゃないよ」と、・・・フランス外相のデルカッセは、・・・パレオログにこぼした。』

このあたり、声に出して読んでみると、ひとしお感じられるのですが、あの浜村淳の語り口が実にぴったりなのです。

これが箱根山の東が出身地の作家であったら、

『「冗談ではない」と、・・・フランス外相のデルカッセは、・・・パレオログに意見を述べた。』

とでもなるのかもしれませんが、これに浜村節は合いません、絶対。フランス語ではどんな差があるのでしょうか。「冗談じゃないよ」の「よ」あたりに凄いニュアンスがあるのかな。浅学非才の身、よくわかりません。
2003/07/24(Thr) 雨


[ 恩師の恩は果てもなく・・・ ]
恩師と電話でお話をしてます。電話でだなんて、失礼・無礼この上ないことなのですが、現今の風潮、お互いの多忙を口実に弟子が居直っているわけですか。

恩「僕が節約すればいいんですよ。これ以上テバ君の努力に横車を押すわけにはいかないし」

テ「いや〜、先生、おっしゃらないでください。何とかしたいと思いますから。それに、横車じゃなくて「悪のり」だと思いますし」

あくまでも不肖の弟子なのでありました。
2003/07/15(Tue) 曇り


[ 心もとなき物語(その2) ]
八重洲ナントカビルの地下でカレー南蛮を注文した時刻、午の時間帯もとっくに終わってます。すぐに他の客もいなくなりました。そこで、サービス水準がグンと高くなります。お代りの水の心配は頻繁にしてくれるし、(ホチキスで止めた)スポーツ紙も持ってきてくれます。思いがけずゆったりと、プロ野球界の事情調査などしてしまいました。

まあ、今年はセで決まり。それもTとGとBのあたりが話題の中心のようですね。貯金31とかゲーム差60弱とか、すごい草野球振りです。K原の筋力が30kg落ちたとかいう大きな囲み記事の近所に、現在二軍で修行し直し中のK田投手の近況が小さく出ていました。彼の高級国産車が車上荒らしに遭ったけど、何も盗られなかったということです。

K田投手のコメントですが、「心もとない人がいるものです」。車上荒らしの技術力の低下まで心配しているようでした。
2003/07/06(Sun) 雨


[ 心もとなき物語 ]
昨日は破傷風の予防接種に行きました。二度目です。受付の女の子には、「三度目は半年後を目途にやってくださいね」、なんて言われましたけど、当・テバ商店としては、「誰が! そんなこと! たまるけィ!」ってな心境でしたよ、当然。ですが接種とは関係ないことですが、そこは東京駅の近傍、時刻は午後一時半ぐらいだったのでした。呉服橋のあたりでしたし、妙に蒸したりもしたものですから、突如、カレー南蛮なるものを食したくなったのでありました。破傷風とカレーには、何か縁戚関係でもあるのでしょうか。

この辺のこと、何故か? なんて、更に詳しくは訊かないでください。梅雨の中休みの昼下がりです。おコタに入ってアツ燗やりながらスキ焼きやっている人だって、テバは絶対に非難しません。要するに本人が、「ここはど〜しても、カレー南蛮なんだぞ」というココロだっただけなのです。あとで汗ダクダクになって、後悔したところで、小泉さんの責任にはしませんからね。しかも、その鉄鋼ナントカビルの地階には、飲食店街としては、お蕎麦屋さんが只一軒、これは以前から判っていたことでした。

注文しました。フロア(?)担当の兄さんが、喜んでくれたことは言うまでもありません。久しく注文がなく伝統が消えかかっていた、梅雨時のカレー南蛮です。超高級無形文化財です。ところで、通常のお店で、当方が困惑することがあります。それは、「ソバですか、饂飩ですか?」、という馬鹿な質問です。カレー南蛮というものはソバに決まっているのであって、饂飩の人は、どっか箱根山の向こうあたりに行ってしまえばいいのです。そして「カレーうどん」てな、間の抜けた注文をすれば良いのです。

いや〜、熱々でした。オヤジ(顔しらず)も、リキを入れたのでしょうね。堪能しました。汗も出ましたが、元気にもなりました。表題には達していませんが、それはまた明日。
2003/07/04(Fri) 晴れ