☆★☆- ホンの幕間 -☆★☆

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[ 友・去る ]
本日をもって、H氏が去りました。最初に接近遭遇したのは1970年のことですから、三分の一世紀来の知り合いです。四分の一を四半世紀と言うのですから、これは三半世紀とでも称するのでしょうか。本HPでも、ドジョウ汁を含め、「H氏」という名前で何回か登場していただきました。少年時代、キャッチボールをやっていて、後ろから「上手い!」という声が聞こえ、振り向いたら中西太が浴衣がけで(多分ホロ酔い機嫌で)眺めていたそうです。そう、あのSライオンズならぬNライオンズの、バリバリのファンであります。神様、稲尾さま、です。

H氏の性格と言えば、遵法・重厚・慎重・寡黙・・・・こうしたものの正反対、といえば、皆様、直ちにお解りになるかと思いますが、テバを元老院的な古代ローマ人だとすれば、H氏は、間違いなくエトルリア人あるいはカルタゴ人ですね。ま、結局はローマに滅ぼされるわけですが。いえいえ、そんな話ではありませぬ。H氏にはホメーロスの浪漫もあったのです。特に一杯入った時に顕著なのですが、(自分の)古代の悲喜劇・英雄箪を(楽器なしで)繰り返すのです。若き聴衆は、これだけで痺れてしまいます。「キメ」のところで笑ったり相槌を打ったりしないと、路上芸術家の怒りをかってしまうのです。そして果てしなきルフラン・・・

テバは三半世紀のつきあいですから、「アァ、この話聴くのは6回目ですね」などと平然と言えるのですが。若い人たちは、後が怖いので、そうはいきません。あのK部先生から構造的記憶の話を伺ったときも、傍らにH氏がおられました。テバは思わず、「Hさんのコトじゃないですか!」と感動してしまいました。本人は、訳が判らんという憮然体疑問形でありましたが。もうおわかりでしょう。テバは、この愚者の船が大好きだったのです。少なくとも気に入っていたのです。オーナーはいざ知らず、船長H氏、一等航海士テバ、こんなクルーで二年近くを航海してまいりました。「後はお前だ」・・これが最後のお言葉でありました。

航海は続きます。友は・・・いません。
2003/06/30(Mon) 晴れ


[ 妖怪・襟返し ]
むし暑くなってくると、ノーネクタイの通勤が、たまらなく快適になってくる。マッタク、どこの誰がこの高温多湿の国でネクタイを流行らせたのだろう。フィリピンの映像でバロン・タガログ姿の政治家なんか見掛けると、あの国の政治家もそれほどお粗末じゃないんじゃないか、などと思えてくる。そういえば、サミットやG8なんかもノータイだ。庶民にのみ暑苦しさを押しつけるなんて、これでよく世界同時革命が起きないものだ。

しかしテバは、あのの永田町駅の乗り換え用大階段のおかげで、大半をノータイで通勤できる。職場に現れるときは、ちゃんとネクタイをしているという、大マジックができるわけ。しかし、好事魔多しというか、人生一寸先は闇というか、この件も例外ではなかった。治にあっても乱を忘れてはならない、という教訓でもあった。それは今朝のことである。大エスカレータの頂上から下りだして、既に生活習慣となっているネクタイを取り出した直後、異変は起きたのだ。

ネクタイをするためには、襟を立てなければならない。当然そのようにした。その襟が突然、折り返されたのだ。あれれ、と思い、もう一度襟を立てる。もう一度折り返される。形状記憶襟?・・・。しかし今度は後から声がかかった・・・「襟が立ってますよ」。振り向くと小柄な中年のおばさんが、ニコニコしている。この方が「妖怪・襟返し」だったのだ。こういうときは変なおまじないを唱えても無駄だ。手を合わせたりしても効果はない。

「ア、どうも・・・」、でペコリ(会釈)。
結局、ネクタイはしそこなった。出勤。
2003/06/24(Tue) 晴れ


[ まっかな太陽 ]
どのように考えても後世の人間には理解できない巨人というべき人々があります。まして、その人が同時代を生き、先に逝ってしまわれた方ともなれば、はっきり言って、スッポンが月を思うような、混迷の極致ともいうべき感を抱きます。そう、あの美空ひばり先生のことです。

美空先生は、生涯に一体何タイトルの曲を歌われたのか、うちオリジナルは何曲で二番煎じは何曲なのか、レコーディングされたのは幾つか、映画に使われたのはうちどのくらいあるのか。それらの統計すら明らかにされていません。これを知るのはK藤事務所くらいでしょね。

それにしても凄い人生です。テバと同じくらいしか生きていないのに、知名度は1億倍、生涯収入は○○億倍、・・・(全く見当がつきませんが)。というのは、このごろの演歌分野のご婦人タレントの堕落ぶりを見て考え込んだからです。美空先生は、明らかに反逆者でありました。

ある時、例の和服を着て、ゴーゴーだかツゥイストだかの乗りで歌っていたのを、一部の文化人に批判されたのです。先生は、何と、それならばという挙に出られたのでした。「まっかな太陽」とかいう唄を、誰かに作詞作曲させ、しかもそれをミニスカートでご披露されたのでした。

全国民が粛然としました。もう二度と、敬愛する先生にこんなことをさせてはならない、と、国民全てが思ったのです。従って先生も、その後、そんなことは一切されませんでした。これこそが、国民歌手というものです。
2003/06/14(Sat) 晴れ


[ 午後の漂女 ]
あの「このごろ○○に流行るもの・・・」の漂女も、NEXT(ネクスト・トラバーユ)状態になったらしく、今週いっぱいでお辞めになるそうです。「虎を野に放つ」のなら頼もしくも、あるいは怖ろしくもあるのでしょうが、ロクに歩けもしない仔犬が、世間という大通りに彷徨い出るのです。子を持つ親の身としては、心配がないかといえばウソですね。

...。。。。。。oooo○○○○○

ところが、どっこい!

♪枯葉散る窓辺 テラスの午後三時・・・

○○○○○oooo。。。。。。...

隔離された環境にいて、ヒトの訪いも、ふと途絶える午後のひとときというものは、ありますよね、絶対。孤独な上級中年(or初老)は、ほんの数分でよいのですが、ウトウトとしてしまうのです。しかしスリーピーラグーン、これで結構活力がよみがえるから不思議です。これは多分、バイテクの21世紀的課題になるはずですよね。「老人の活性化and/or不活性化イシュー」かな?

で、何が起こったかというと、

 荒野に疲労困憊し 大いなる悟りを求めるゴータマシッダルタに
 天は ヨーグルトを持ったスジャータを遣わし

 個室に頑迷固陋し ささやかな午睡を求める上級中年に
 天は 玉露を持った漂女を遣わした

そう、現代の伝説の誕生なのです。いきなりやって来た漂女のご挨拶は、

 漂「短い間でしたが」

 テ「本当に」

 漂「お世話になりました」

 テ「タバコは止めた方がいいよ」

 漂「あまりお役にも立ちませんでしたが」

 テ「本当に」

 漂「また機会がありましたら」

 テ「・・・」

で、これは何だ、というものを持参していたのです。いつもオフィスで使っている袴付発泡スチロールカップに、ドロリとした緑色の液体が入ってました。漂女によれば、これこそ新茶の玉露であって、道具がないので自分のお手前がご披露できないのが残念だが、是非飲んでいただきたい、ということでした。

あ、なるほど、と思い、クイ・クイ・クィーと飲んだわけです。これがウォッカなら、グラスを床に叩きつけて、革命の勝利を祝うところなんですが、床もグラスもプラスチック、人間も社会も中性化し激しさを失うわけだ、と思った次第です。漂女は去りました。アトに残るのは櫨と櫂・波の音・・・

...。。。。。。oooo○○○○○

眠気が完全に吹っ飛んでしまいました。疲れた。
2003/06/11(Wed) 晴れ


[ 病・膏肓に突入? ]
いや〜、あれから半日経つというのに、未だ強烈なアンモニアのニオイが鼻から離れません。気の利いた連中は、今ごろ(多分)、明日の草刈りに精神集中していることでしょうが、当方は朝6時半起床、丘珠空港(タクシーの運ちゃんは「飛行場」と呼んでました)発8時丁度、根室中標津空港着8時55分、9時半前には既にアンモニア臭にどっぷり漬かっておりました。当該牧場には100頭の牛が飼われていました。

ついに、ホルスタインの排泄物にまで首を突っ込み始めてしまったのです。でも、牛一頭って、一日に草だけで100kgも食べるんですね。知らなかった! その他に水も飲みますが、ミルクは30リットルしか出しません。ということは、残りは全部・・・。ま、そっちの方面は、人間の100倍の生産力を誇るようです。ちなみに、豚は10倍程度らしいですが、これもカラダの大きさからすると、偉大と言うべきです。

で、お相手くださったのは、しばしば焼き肉のタレのメーカーと間違われるE製作所のSさんでした。この方、第一印象はスマートなエリート社員さんだったのですが、この道にハマッた者同士の悲しさ、話し込んでいくうちに同類だと知れました。牛舎からスクレープされてきた藁まじりの原材料が、処理され、ガス化され、遂には6kwの発電機を粛々と駆動しているのを見たときには、さすがに感動しました。

もちろん残される物質もあります。しかしこれは、ほとんど無臭の液肥になっています。そして農地に還元され、牧草や男爵イモを育てるのです。丁度、近在の町役場から、専門家の方も見学に来ておられました。おかげさまで、畜産業をめぐる興味深い話をいろいろ伺うこともできました。ホルスタインが生涯に生産する原乳の量と飼料の関係とか、農林業に較べ、それほどヨメ日照りではない理由とか・・・

帰路は一日一便しかないという中標津〜羽田直行便でした。あのピカチュージェットでしたが、何と、全員が窓際のシートでありました。その窓際さえ三分の一ぐらいは空席でした。快適ですよ、中標津便。
2003/06/06(Fri) 晴れ