[ 友・去る ] |
本日をもって、H氏が去りました。最初に接近遭遇したのは1970年のことですから、三分の一世紀来の知り合いです。四分の一を四半世紀と言うのですから、これは三半世紀とでも称するのでしょうか。本HPでも、ドジョウ汁を含め、「H氏」という名前で何回か登場していただきました。少年時代、キャッチボールをやっていて、後ろから「上手い!」という声が聞こえ、振り向いたら中西太が浴衣がけで(多分ホロ酔い機嫌で)眺めていたそうです。そう、あのSライオンズならぬNライオンズの、バリバリのファンであります。神様、稲尾さま、です。
H氏の性格と言えば、遵法・重厚・慎重・寡黙・・・・こうしたものの正反対、といえば、皆様、直ちにお解りになるかと思いますが、テバを元老院的な古代ローマ人だとすれば、H氏は、間違いなくエトルリア人あるいはカルタゴ人ですね。ま、結局はローマに滅ぼされるわけですが。いえいえ、そんな話ではありませぬ。H氏にはホメーロスの浪漫もあったのです。特に一杯入った時に顕著なのですが、(自分の)古代の悲喜劇・英雄箪を(楽器なしで)繰り返すのです。若き聴衆は、これだけで痺れてしまいます。「キメ」のところで笑ったり相槌を打ったりしないと、路上芸術家の怒りをかってしまうのです。そして果てしなきルフラン・・・
テバは三半世紀のつきあいですから、「アァ、この話聴くのは6回目ですね」などと平然と言えるのですが。若い人たちは、後が怖いので、そうはいきません。あのK部先生から構造的記憶の話を伺ったときも、傍らにH氏がおられました。テバは思わず、「Hさんのコトじゃないですか!」と感動してしまいました。本人は、訳が判らんという憮然体疑問形でありましたが。もうおわかりでしょう。テバは、この愚者の船が大好きだったのです。少なくとも気に入っていたのです。オーナーはいざ知らず、船長H氏、一等航海士テバ、こんなクルーで二年近くを航海してまいりました。「後はお前だ」・・これが最後のお言葉でありました。
航海は続きます。友は・・・いません。
2003/06/30(Mon)
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