☆★☆- ホンの幕間 -☆★☆

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[ 総閑季 ]
総会屋対策のセクションに所属するヒトのことです。通常、株主総会は年に一回だから、その時期には死ぬほど忙しくても、ほかの時期にはそれ程でもないはずです。執行陣の浮沈をかけた総会シーズンに合わせて、組織も要員も確保されているのですからね。問題は、この「ほかの時期」について社長さんたち執行陣が、どう考えているかということです。あいつらはヒマだ、何でも良いから仕事を与えておかなければ給料の無駄だ、などと考えるようなら、それは危ない会社になるのではないでしょうか。そう、遊ばせておけばいいんですよ、非常に特殊な仕事をやっているんですから。

なんでこんなことを考え始めたかというと、例の「小人閑居為不善」の件です。ナンチャラ週間セレモニーとか、カンチャラ賞授与式とかが、妙にある時期に集中していることに気づいたのです。そう、それは「非総会シーズン」なのですね。私淑する城山三郎先生のお作を拝読しても、総会屋というものも、別段、混沌的人種なのではなく、ある種の法則に則って行動しているものなのですね。その法則が世間の通常人のそれと極めて異質なものであるとしてもです。それならば、これを迎撃する任務を帯びたヒトたちも、極めて異質な世界に生きているのです。異質さの認識、これは大変に重要な知的機能です。

総会屋は総会で質問をするわけですが、別に、無知だから質問しているわけではありません。自分のパフォーマンスを衆目に晒さんがため、それによって全く別の効果が生じることを期待して、敵本の質問をしているのです。こんな総会を乗り切るについては、社長の答弁は何の役にも立ちません。総会対策屋の事前・事後の「ネマワシ」が抑止力になっているわけです(このネマワシも、そろそろ国際語に昇格するようです)。実は、非総会シーズンの仕事はネマワシだったんですね。それを、社長等の執行陣が「ヒマだ」、「欠伸してる」などと認識しているようなら、その会社は確実に危ないわけなのです。

この場合、「総」を「国」に、「社」を「局」に置き換えても良いんですが、ま、それはさておき。
2002/10/26(Sat) 雨


[ 諸兄逝く ]
とうとう四ヶ月連続になってしまった。葬儀である。若い頃には、毎月のように友人の結婚披露宴に出ていた時期もあった。双璧である。7、8、9月と続いたので、今月はせめて中休みを、と、心中祈っていたのだが、熊本から帰ってきたら、訃報が待っていた。若干精度は悪いが、統計も取れる。一人が70代前半で、あとの三人は60代前半であった。皆さん結構若かった。日本人の平均寿命が縮みだしたのだろうか。長命化傾向の進展度合いは、経済の成長と見事に一致していた。するとデフレ期の今は・・・。T財・金担当相の見解を問いたい。

香典も、こんな風にキチンキチンと毎月出していると、何かのローンを払っているような気持ちになってくるから不思議だ。一体何のローンなんだろう。自分の馬齢の代金かな。それとも、何かの未来のために積み立てているのだろうか。神仏なき中国人は、この世とあの世は全く一緒だと考えるらしい。そこで、紙でできたお金、家、自動車、数々の調度品を燃やし、煙に乗せてあの世に届けるという。都会のド真ん中でそんなことは消防署が許すわけがないから、これの代償行為なのかもしれない。日本にも、それほど本格的な神仏はないとは思うから。

こんなアホなことを考えてしまうのは、このことで、心が疲れているからでしょうね。
2002/10/25(Fri) 晴れ


[ 火の国で ]
菊池市というところに行ってきました。『北の太宰府、南の隈府(わいふ)』と称された南部九州の鎮台です。北都は大陸や半島の不審船の取り締まり、南都は熊襲や隼人の取り締まり、といったあたりでしょうか。なんといっても感動したのは、横溢するダジャレ精神でありました。これは日本中に見られる現象ですが、湯の里・観光地ではとくにこれが激しいわけです。

菊人形、菊まつりから始まり、菊の雫、菊の露(何だかわかりますか?)と、何にでも「菊」を付けてしまいます。一番おそれいったのは、隈府→ワイフ→愛子、の連想ゲーム。これはご当地出身の徳富蘆花の奥様のお名前で、結局、「おしどり夫婦の里きくち」としてしまうもの。地元のヒトに聞いたら、大きく売り出したのは、やはり、例の「愛ちゃん」ブームからだそうです。

それはそれとして、200年前に建設された例の通潤橋にも立ち寄りました。時々メンテのために放水しているあの水路橋です。なんでも1回15分程度の放水をお願いすると五千円取られるそうです。われわれの場合、地元の小学生が見学に来ていて、その放水をタダで見てしまいました。三人連れで行ったので、締めて一万五千円の儲けでありました。(楽ガキ)
2002/10/24(Thr) 晴れ


[ 役員会記録より ]
開催日:2002年10月某日
出席者:社長、重役甲・乙・丙、秘書室長、広報室長

社長「晴天の霹靂で誰も予想していなかった、というわけか?」

一同「・・・(無言)」

社長「ま〜、そんなところか。で?」

役甲「まず報奨金です。会社からは、以前は1万円チョイしか出していませんので・・・」

社長「まったく、もう〜! ・・・で?」

役甲「N賞が3〜4千万円ということなので、これより低めで1千万ぐらいかと」

社長「社長賞との関係は?」

役甲「10倍になります。N賞と社長賞の真ん中からチョイ下ということになります」

社長「ま〜、そんなところか。で?」

役乙「本人の処遇です。いくらなんでもヒラというわけには・・・」

社長「まったく、もう〜! ・・・で?」

役乙「役員待遇で考えたいと」

社長「不自然じゃないか?」

役乙「きっと遠慮しますから、ほどよいあたりに落ち着くと・・・」

社長「ま〜、そんなところか。で?」

役丙「記念事業で研究所を設立し、Tを所長にします」

社長「研究所の名称は?」

役丙「さっき思いついたばかりなので、まだ考えていません」

社長「まったく、もう〜!」 <秘書室長すかさず発言>

秘室「お茶の水博士研究所の前例にならい『Tさん研究所』ではどうかと・・・」

社長「なぜ『T博士研究所』じゃないんだ?」

秘室「彼は学位はおろか、修士号すらありません。『T学士研究所』では何とも・・・」

社長「まったく、もう〜!」 <広報室長すかさず起立>

広室「以上を記者発表することといたします」 (散会、以上所要約10分)

【マクアイ】

A「Tさんて凄い。フツーのヒトでもN賞が取れるんだ」

B「てことは、われわれにもイツかまわってくるとか」

C「菊花賞よりワリがいいジャン」

ABC「ガンバロー!  ・・・ で?」

引き続いての化学賞、おめでとうございます、皆さん。
(このごろ、この形式に偏っているな【テバ】)
2002/10/20(Sun) 曇り


[ 機甲師団・機動艦隊/光と影 ]
陸の機甲師団・海の機動艦隊、軌を一にして洋の東西で出現した軍事技術、これらはそれまでの戦争の常識を根底から変えた、天才的な兵科統合運用の発想でありました。しかし、A・ムーアヘッドの「砂漠の戦争」の総括的評価では、

「・・・それはこの夏の戦いで非常にはっきりとした。枢軸側は何一つ新しい兵器を持ち出してこなかったのだ。前と同じ性能のいい兵器を圧倒的に数多く持っており、はるかに訓練が行きとどいているというだけのことだった。われわれの側には、新しいグラント戦車があった上に、さらにもっと優秀な戦車も次々と・・・。・・・さらに、新型のスピットファイアもついに届き始めていた。・・・」

緒戦においてロンメルが輝かしい勝利を収めた原因、これは兵器の高性能さ、そして訓練の充実などに加え、開戦冒頭に膨大な備蓄を持っていたせいだとしています。そしてなぜか、最も重要な運用法の斬新さを故意に無視しています。これは物量戦に持ち込んだことへのテレかも知れませんが。

北アフリカでロンメルのパンツァーが敗退を始めたころ、既に太平洋のヤマモトのタスクフォースは壊滅の危殆に瀕していました。実質的にティーゲル戦車とゼロ戦だけで一本槍的に戦われた二つの戦線、枢軸側にとって共通して敗北に至った根本の原因みたいなものが見えるような気がします。

そして戦後、一時期、高度経済成長と国際収支の黒字を謳歌した東西の二大経済大国が、共通して最近元気がありません。何となく「一本槍精神」というものを、いまだに両民族が通有しているような気がします。ルールは変わった、いや、ゲームが変わった、ぐらいの気概が要るのかも。
2002/10/19(Sat) 晴れ


[ 「r」問題 ]
例の泡盛達人のHさんが、また話題提供をしてくれました。今回は国際的ですよ。何といってもブラジルはイグアスという、一大リゾートでやったのですから。ナンチャラ国際委員会の年例会のことらしいです。突然、前夜に、「おまえ、明日のこれこれのセッションのチェアーマンをやれ」と指名されたそうで、そのパニクり状況は国際電話を通して、聞く者の心胆を寒からしめたようです。ザマーミロ、なんて思った人はあんまりいなかったようです。

で、無事帰国されたわけです。言い忘れましたが、Hさんは記録「魔」とも言うべき方です。従って、自分のセッションも克明にVTRさせていたのでした。それを本日、観せられてしまったのです。な〜んか、他人(ヒト)の出た会議ってのは、ち〜〜っとも面白くないですよね。アクビを(噛み殺さずに)堂々とやっていたら、ワン・シーンだけ面白い箇所がありました。質問者は欧米系の英語堪能な方です。チェアーマンは我らがHさんです、もち。

質「Excuse me, but how many?」

H「ふぉーてぃーん」

質「How 'for…'?」

H「ふぉーてぃーん」

質「For what?」

H「ふぉーてぃーん」

(ここで傍らのヒト、質問者に耳打ちする)

質「Oh! Fourteen! Excuse me, mister chairman!」

この最後の発言は、さすがに礼儀作法の本家たる欧米人らしさでありました。でも、眠気も吹っ飛んでゲラゲラ笑っているテバに、Hさんは、あきらかに不快そうでした。その後、本人は、何回も巻き戻して見ていましたけどね。
2002/10/17(Thr) 晴れ


[ 甦れ!「・・・」プロジェクト ]
いやいや〜、ここのところずっと凝っていた「フール」に一段落がつきました。といっても、担当者一覧表が完成しただけですが。それでも、7人の技術部長さんのうち3人までを巻き込んでしまいました。こんなクサい道楽で、申し訳ないという気持ちで一杯です。もっとも、現代のハイテク・フールは臭わないはずなのですが。「はず」という微妙な言い方には訳があります。先日のワークショップで、これに関する論争があったからです。北の方の教授と南の方の教授の間の大論争です。南教授が簡単な発表を終わります。すかさず、北教授が質問しました。

北「南先生は『臭気問題の解決法』について話された訳ですが、どんな意味なんですか」

南「文字通り『臭気の問題を解決する方法』についてですよ。わかりませんか?」

北「そもそも、このシステムには臭いなんてありませんよ。あるはずがないんだ」

南「いいえ、臭います。かすかですが、利用者によっては大変気になるものです」

北「それは先生の装置が調整不十分だったからだと思いますけどね」

南「失礼な、介護老人なんか隣に置くことも多いのだから、深刻な問題なのです」

北「私は、この道一筋三十年ですぞ。それが臭わないと言っているのですから・・・」

南「鼻がおかしいのでは?」

北「失礼な、あなたが異常に敏感すぎるんですよ」

南「そのぐらい敏感でないと、研究する資格がないと思いますよ」

北「私の研究者としての資格を疑うのですか!この道一筋三十年の私の!」

南「一般論ですよ」

北「私も一般論として無意味な研究は意味がない、と忠告したかっただけです」

南「無意味とは何ですか。他人(ヒト)の研究を掴まえて!」

司「えーっ、続きは廊下でおやりください。次の先生の発表に移ります」

とまあ、このぐらい微妙な問題なのです。
司会者の鮮やかな議事進行で、事なきをえましたが。

しかし、行くぞ!『甦れ!「フール」プロジェクト』だ。
2002/10/16(Wed) 晴れ


[ ことば・呪縛 ]
二十数年ぶりに母国の土を踏んだ被害者が、「心配をかけて、ごめんね」と言う。感動の再会のシーンである。これを繰り返し見た。迎えた肉親も、「ちょうど今日は村祭り、神や仏に祈りが通じた」ということになるようだ。帰らぬ人の場合は、肉親の祈りが足りなかったというのか、・・・。国際的誘拐が人さらいに、そして、公的にも神隠しにと、風化・土俗化されていた。白日の下に曝されても、せいぜい「拉致」というあいまいな言葉で呼ばれる。誘拐犯の加害者が被害者に一時帰国を「許可する」という、この野放図な居直り振り、無法振り。そして、それを許す風習や、そこにちりばめられている言葉に込められた呪縛。

19世紀末から20世紀初頭にかけ、オランダのハーグを中心に、全ヨーロッパ的な一大論争があったという。国際法を欧州以外の地域に適用するのは是か非か、というものであったらしい。国際法は国家間の紛争を防ぐものである。とすれば国家の態をなしていない地域には、国際法というものが不要かつ迷惑なのではないか、という、ごくごく真面目な議論であったらしい。日露戦直前の日本には死活問題だったらしいが。でも、ひょっとすると、本日以降、極東には国際法はやはり不要だ、という問題提起が生ずるかも知れない。親類縁者の論理だけで十分やっていけるのではないのか、と。あの連中はどうせ身内の情だ、と。

納税(そして時には徴兵応召)などの幾つかの義務と引き替えに、民草(タミクサ)は国家を信頼し、個々人の権利の運用を委ねたのではないだろうか。正当防衛以外の自己救済権(報復権を含む)を放棄し、国家に検察・裁判・執行の権利を委ねたのに違いない。にもかかわらず、グルは既に500回を超える公判を、白昼堂々と居眠っているという。主権と呼ばれる最重要の外交・国防も委託したのだ。にもかかわらず、このようなことが白昼公然と・・・。ならばそのような国家は、キミ達には自己救済しかないんだよネ、と、一刻も早く宣言すべきではないのか。明治以来、あまたの臣民を屍(カバネ)としてきたこの国家は。

革命によって今日を築いたアメリカの方が、最上善だと思えてしまう。

明日、拉致されるかもしれない、我が身を思っても・・・・・・・・。
2002/10/15(Tue) 晴れ


[ 予言的中 ]
あの大予言から、ちょうど三年経った。

『このチェレンコフ光は、1987A超新星の時にも、岐阜県の神岡鉱山の廃坑の中で11回の光を放った。
KAMIOKANDE(カミオカンデ)、科学立国日本の象徴、栄光の頂点。
取れ!ノーベル賞、デミング賞、グラミー賞、歌謡大賞、とにかく何でも来い!!』
           (テバコラ第5話「パラサイト・アトム」より)

小柴先生がノーベル物理学賞を獲得された。大慶至極、欣喜雀躍、提灯行列なのである。昨年と一昨年は、化学賞の連中に邪魔をされてしまった。先生のご高齢を思いハラハラしていたのだが、まあ、間に合って良かった。Asahi.comによれば、1987Aに際し捕捉されたニュートリノは「12個」となっていた。ま、いいだろう。1個や2個違ったって、賞金がそれほど変わるわけじゃないだろうし。

ご祝儀がわりである。小柴先生に続くべきノーベル賞候補をあげておこう。大予言第二弾!

☆ノーベル物理学賞:佐藤○彦氏

ビッグバン直後の急激な宇宙膨張を説明する「インフレーション理論」に対して。日本人は中間子なんかのミクロの世界には強いが、雄渾な宇宙論での初受賞。実現したら素晴らしいことだ。

☆ノーベル経済学賞:小泉純○郎氏

バブル崩壊後の急激な経済縮小を実証する「デフレーション実験」に対して。1億3千万匹のモルモットと年間500兆円の経費を使った、壮大な実物実験。現在進行中で、結果は不明。
2002/10/08(Tue) 曇り


[ 長い坂 ]
このごろの地下鉄は、何段重ねにもなっていて、それらのホームを、利用者の利便性がどうしたこうしたで、順列・組合せに従って全てエスカレータで結んでいる。当然、とてつもなく長いエスカレータが登場する。こないだなんか、あんまり標高差があるので、下の方が雲と霞で見えないようなシロモノに出会った。こわごわ降りていったたところが「地獄の三丁目」のホームで赤鬼・青鬼が・・・コワ。昔なら、日本一、東洋一、世界一、なんてことを自慢していたはずなのだが、「それがどうしたの?」世代の台頭と共に、駅当局も、近頃は、なぜか少々俯きかげんになるのであった。昭和は遠くなりにけり。

渋谷の喧噪の巷を通過するのが(特に夏は)おっくうになり、経路を少し変えてみた。そうしたところ、東西線から半蔵門線への乗り換えで、悪名高い永田町問題に遭遇した。3分間タイマーがわりに「津軽海峡冬景色」を唱う、という話があるが、口ずさんでみると、たしかに、カップ麺がちょうど出来上がるぐらいの時間がかかる。もう少し長かったら、食べることもできたに違いないのだ。車間距離確認みたいなマークを横にしといてくれれば、時間もより精確にできるだろう。そこまでやるなら、エスカレータの乗り込み口付近に給湯器も欲しい。上り千家と下り千家ができて、お作法なんかも違ったりして。

素晴らしい近未来はさておき、現実には職場も近い。そこでテバは、ここでネクタイを着用することにしている。夏なんかは、これが今一番現実的で快適だ。おすすめである。最後に少々余った時間を利用して、ディンプルの調整までしている。もっとも、いいトシをして鏡を見ないと結べないシト、これはだめです。修行し直してから出てきてください。そのうちに永田町を震源に大流行し、これを考案した平成のメトロキッドということで、各種マスコミの取材が押しかける、と思って備えていたのだが、そのキザシもない。鏡を見ないで結べるヒトって、案外少なかったのかもしれない。極めて遺憾である。

次はもう少し、誰にでもできるものにしよう。三分間クッキングとかね。
2002/10/01(Tue) 台風