☆★☆- ホンの幕間 -☆★☆

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[ 鮎のつくし過ぎ ]
Kさんとの昼食です。このごろは、この方、Kさんと飲食を共にすることが多いのです。なんでかねぇ〜? そうかぁ〜、職場が一緒だからかなぁ〜。職場が一緒だと、飲食を一緒することも多くなる・・・、こういうあたりのことは、国際的にはどうなっているんだろかねぇ〜? 特に国連の人権委員会の見解を聞きたいサー。ここまでくると、簡単に言えば、職場ではなくて食場よ〜、いっそのこと、職業ではなくて食業、ということになってしまうんかねぇ〜?

で、今回はKさんのたってのご希望で、鮎尽くしということになりました。場所は錦川は錦帯橋の近所です。最初に出たのが仔持ち鮎の「甘露煮」です。これには出鼻をくじかれました。季節無関係料理ですからね。いつ獲れたモノやら、とりあえず横に置いときましょね。次にやっと「背ごし」です。でも、当店の鮎は大きいんですね。品数が多すぎると困る事情もあり、最小のコースを頼んだのですが、それでも一匹一匹がこんなに大きいとは。調子が狂います。大きさ自慢げのおバァに聞いてみると、やはり錦川のものじゃないんですね。佐波川あたりのものらしい。ポツポツとつつき出していると、Kさん、鮎は淡水魚だから、生食の場合、寄生虫の問題がある、という話を始めます。どうも、どうも、です。男二人だとそんな話題になるんですかね。

次に定番ですが、やはり生食の「つくり」が来ます。ただ、この段階では、Kさんの講義は、その寄生虫問題を回避する方法にまで話が進んでいます。本日は正しく調理されているようなので、内心ホッとしました。それにしても佐波川の鮎は大きい。朝食もしっかり食べてますが、あれは朝の7時ごろ、現在11時を多少まわったところです。いろんな都合でこんな時間に昼食となってしまいました。お昼ということで、ノン・アルコールです。冷えた麦茶がお供です。そして、やっと「塩焼き」、寄生虫方面からの脱出です。Kさんは器用に骨を抜きます。綺麗に抜けたので「やはり天然物だ!」と感動してます。テバは吉野流ですから、多少大振りでも構わん、アタマからシッポまでボリボリとやります。お皿を下げにきたおバァにも感心されました。

あの甘露煮は、まだ無視されています。今度は「フライ」が届きました。グルメとしては小さな声で言いますが、鮎のフライは結構いけます。もちろん、勿体ないことを、とは思うのですが、結構いけます。麦茶に少しアルコールを足したい感じにはなるんですが。いよいよ、最期の一品、これは生涯初見でした。おバァは味噌焼きと呼んでましたが、むしろ「鮎田楽」です。鮎と豆腐とネギ(!)に、山椒の利いた味噌をかけてホイル焼きしたものです。美味しかったですよ。もう許容限界を超えようとするお腹を励まします。朝食を後悔しつつ。そして「鮎釜飯」、駄目押しです。これはお味をみる程度になります。時刻は正午。甘露煮はついにパス。大量の「もったいない」を残して昼食会終了です。やっぱり2時間以上はかかりますよね、本来はさ〜。

夕方、道路状況等が順調で、広島空港には、フライトの2時間以上も前に到着。Kさんに、言います。

 テ「ここに、あの鮎の続きがあればよかったですね」

Kさん、苦笑い。(次は、狩野川の鮎尽くしの番かな?)

そうそう、もう一品ありました。背ごし、つくりで寄生虫問題をはらんでいた胸ビレ、これが唐揚げされて後刻登場しました。鮎の「煎餅」です。
2002/07/29(Mon) 晴れ


[ 「こだま」物語 ]
どういうセンスの人間が計画したのか、昨日、羽田空港から広島空港まで小一時間のフライト、次、東広島駅に車で移動、次、「こだま」に乗る。二駅先の新岩国で下車、最後、車で移動。ともかくも、よくぞこれだけの大旅行に仕立ててくれたものだ。その前に羽田まで電車を3本乗り継いでいるから、私の場合、合計7つもの乗り物に乗れた。凄いですね。マルコ・ポーロの東方旅行みたいな凄さですね。しかもまだ本州を出ていないというところも凄い。巨大大陸・本州! 自分の家からは、NEXと747の2つだけで、欧米にだって行けてしまうというのに、である。

ずいぶん長い間、日本のこのあたりは尋ねていないから、「こだま」がこんなに短区間で停まるようになっているとは知らなかった。しかも、6両編成だというので更にびっくり。思い起こせば38年前、東京五輪の年、東京駅を西に向けて出発したときは、たしか16両編成だった。はるばると来つるものかは。ここに至るまでに、10両もすり減ってしまったのである。それともトカゲのしっぽ切りかな。で、1,2,3,5,6号車が自由席、つまり、指定は4号車のみである。これが1時間に2本来るあたりは、昔の国鉄バスなみである。お客さんも昔のバス並みで、ガラガラだった。

しかし、車内アナウンスは、間違いなく新幹線規格だった。携帯電話の注意事項、これは38年前にはなかったけど。独特の抑揚を付けて、「ェ〜ッエ! お持ちのケータイ電話は、電源をお切りになるか、ナカジメ・マナー・モードに切り替えるかして・・・」、ん、「ナカジメ」?・・・って、何だ。よく宴会を切り上げるときにやるやつ、あれかな? そういえば関東一本ジメというのもあったけど。同行の諸氏に聞くが、誰も知らないという。よーし、今日の研究課題はこれだ。研究者魂がアタマをもたげる。「ナカジメの謎に迫る −ディープ中国地方見聞録−」ってな企画ですね。

新岩国で乗ったタクシー、この運転手さんは、最近まで広島でやっていたという。よし、この人なら知っているだろう。結構、話し好きなようだし。

 テ「ところで運転手さん、ケータイのナカジメ・モードって何ですか?」

 運「えっ・・・」

 テ「新幹線のアナウンスで、ナカジメ・マナー・モードって言ってたんですよ」

 運「そうですか、言いよりましたか。しょーもない!」

 テ「え、何で?」

 運「その車掌、ハカタの人間でしょう、多分。それ、博多弁ですわ」

 テ「で、どういう意味です?」

 運「マナー・モードのことですわ。しょーもない!」

そう、同義語反復だったのである。しかし、しょーもないかどうかは措くとして、ケータイ文化はここまで深化していたのだ。立派な博多弁を与えてもらえるまで、生活に深く根ざしていたのである。中絞めか中閉めかわからないが、日本の文化形成の一過程を目撃することができた・・・満足。
2002/07/28(Sun) 晴れ


[ 地獄谷・午後三時 ]
この週末は、中国地方の広島と山口の県境あたりに来てます。海からそんなに離れてはいないのですが、峠を越えた、とある山の中に、突如、巨大テントが出現しました。本日ハ、大快晴ナリ。なんでも最高気温は37度に達したとか。地形的に谷間なこともあり、ちょうどこの巨大テントのあたりは無風状態です。20〜30mも登ると少々の風はあるのですが、このテントのあるところは木の葉をそよ、とさせる風さえありません。

テントの中には、広々とした演壇が一段高くしつらえられています。この上にはパイプ椅子がズラリと列べられ、犠牲者を待っています。午後三時、セレモニー開始。この椅子が全部うずまったところで、何と、煌々たるライトまで点灯されます。コンビニあたりでチキンの保温なんかのために使われているような、レンズ付き白熱灯ですね。会場の皆さんは一斉に、配られた団扇を忙しく動かします。すると一層熱気が立ち上ります。

すべての熱気はお椀を伏せたような巨大テントにこもります。そして、演壇の上の皆さまのあたりに押し寄せてきます。挨拶、祝辞、表彰式・・・延々一時間の蒸し焼きでした。テバもこんがりと焼かれておりました。
2002/07/27(Sat) 晴れ


[ なつかぜ ]
夏風邪をひいてしまいました。カロリー少なめのところに、冷房が、あっちでがんがん、こっちでがんがんでしたからね。皆さんも気をつけましょう。冷房は切って寝ることにしましたが、職場もよ〜く冷えてます。昼休みはできるだけ表にでることにしましょう。カロリーの点検ですが、ダイエット道に入った頃に比べ、バランスへの気配りが粗っぽくなってましたね。もうすぐ一周年、初心に戻って頑張りましょう。

W杯のフーリガン対応訓練を大々的にやったおかげで、原子力事故対応訓練も、抵抗なくできるようになったようですね。治にあって乱を忘れず、ですからね。
2002/07/25(Thr) 雨


[ 音程はお好き? ]
音程というのがありました。これが、テバにとっては、全く不思議なシロモノであったのです。同じ音の音程が「1度」、隣の音との音程が「2度」、そんなものでありました。こいつは、tone interval、とかいうようですね。インターバルなら、同じ音の場合、音程はゼロ、つまり「0度」ではないのでしょうか。この辺から混乱しているのですから、音楽の理屈・理論に不信感を持つのは当たり前でしょね。たとえば、2オクターブは、

 2×7=14(度)・・・[何故か15度が正解?]

と、暗算でもできてしまうものを。おとなになり、中年になり、多くのことを「優しい」目で見られるようになり、気付きました。現在通用している西洋音楽の理論は、中世西欧の教会で誕生したものらしいですね。したがって、旧テバコラ(テバピラ)の「真空はお好き?」で考察したように、真空もゼロも許さなかったアリストテレス一派の影響下にあったようです。西暦紀元ゼロ年を置かなかったことと、全く同じ思想ですね。数直線が困るのに。

五線譜は偉大な発明です。惜しむらくは、もう少し早く、ゼロの概念が入っていたら、ということです。もっとも、oct(8)でもなくなってしまいますけど。
2002/07/14(Sun) 台風


[ 「ゆーふるやー」再々考 ]
NEOテバコラの「ゆーふるやー」で大恥をかいてから、はや、1歳半余を過ぎた。で、最近とみに関心がたかまっている、あの分野の細道に分け入っていったところ、また「ふるー」に出会ってしまった。奇(く)しき因縁である。

前大戦終了の直後まで、日本中どこにでも見られたあの「壺」の呼称のことである。これの方言集を作ろうと思い立った。そこで、北から南から、どちらからでもいいのだが、とりあえず南の方から始めた。そして、そこでは「ふるー」と呼ばれていた、ということを知ったのである。断っておくが、琉球では米軍の影響もあり、ナイチよりも早く、1972年までに、ほとんどが水洗化されている。復帰直後には、あの「壺」はほとんどなくなっていたのである(一部離島を除く)。

というわけで、壺というよりは、「槽」という方が近いと思われる設備の存在を知ったのである。野にはなく、各家庭の敷地内にあったそうだ。畑も近いことだしね。しかし、この「ふるー」には、もう一つの意味があった。それは、豚舎給餌設備とでも言うべきものである。当然、人間様のモノとは別に設置されていた。だが、豚舎も敷地内にあったのだから、「ふるー」とは、併せて、家庭内廃棄物総合処理システムというのが相応しいだろう。ここで、ブタさんの名誉のためにひとこと。

テバの血縁は、琉球にご迷惑をかけた薩摩の方にも分布している。南部の曲がり屋という人馬牛共生住宅は有名だが、薩摩の農家では、昔、人家に隣接して黒豚の豚舎があった。その餌たるや豪華なモノで、サツマイモの茎や葉はおろか、わざわざ有明海まで行って(片道1.5時間)採取してきた、バカ貝の湯掻いたものまで与えていたのである。クミアイ飼料なんていう輸入物がなかった時代、ブタさんのために、ヒトは大汗をかいた。もちろん、野菜のヘタ・芯、魚のアラ・骨のたぐいも与えてはいたが。

こうしたことで、「ふるー」のおかげで、どこの農家もゼロ・エミッション(廃棄物ゼロ)を達成していたのである。今はどうか、ポリ袋に詰め込まれたゴミが、回収日には山をなしている。カラス・野良犬・ノラネコにとっては、豪華な宴会なのだろうが、とてつもないエネルギーをかけて処理している。どこかで角を曲がりそこなった、一入、その思いを深くする。そうした「ふるー」なので、「槽」が適訳だと思うのである。これに「湯(ゆー)」を満たしたものは・・・、当然、「浴槽」である。

「ゆーふるー」をネタに商売をする、すなわちお銭湯屋さん、これが「ゆーふるやー」なのである。

   細道の 分け入る先や 蓮の花

というわけで、「ゆーふるやー」=「湯(浴)」+「槽」+「屋}でした。
2002/07/13(Sat) 雨


[ ハムの近況 ]
もう満二歳を疾うに過ぎたはずですが、結構元気です。最盛時の青壮年期に較べれば、身体は一回り小さくなっています。しかし食欲は相変わらず旺盛です。このごろは、人間と遊びたがるようになりました。(反射脳)+(感情脳)のこの生き物には、これで十分であるようです。人間の方は(理性脳)があるので、余計なことを考えてしまいます。このコの寿命もそんなに長くはないんだ、とか、コイツがいなくなったら寂しいだろうな、とかです。生老病死や愛別離苦なんて考えるのは、こんな余計な脳が付属しているからなんですね。そう言えば、出家得度したクジラやゾウ、あるいは犬や猫やハムスター、なんて聞いたことないですよね。

結局、ハムの方が至福に満ちた生涯を送ることになるんでしょうね。
2002/07/07(Sun) 晴れ


[ 修了 ? ]
とうとう、今日は来なかった。例の街宣の新人研修も終わったようだ。昨、木曜日は午後遅くまでやっていたのだが・・・。多分、木曜日までで現場研修は終わったのだろう。昨日、最後のころは、オドオドしていたけど、女の子にまでシュプレヒコール訓練をやらせていたようだ。もっとも、シュプレヒコールリーダーは、やっぱ女の人がいいんだけどね。例えばこんなんである。

 女声「○○銀行幹部は、(一呼吸)、絶対・ユ・ル・サ・ナ・イゾー!」

 一同「絶対・ユ・ル・サ・ナ・イゾー!」
   (数台のクルマが三回ぐらい唱和する)

すると、後からか横からか知らないけど、研修リーダーの声が思わず入ってしまったようで、マイクのスヰッチが入ったまま、

 指導「もっと、気合いをいれて!! もう一度!!」

と、やる。やっぱり実習訓練だったのだ。そういえば、同期のヤツで、国鉄(懐しいでしょ)に採用されたのはいいが、最初の実習が新宿駅の切符切り、で、全くモノにならなかった、というのもいたっけ。しかし良い場所を選んだものだ。永田町、霞ヶ関、平河町、三宅坂、隼町・・・等、肝心の大舞台の傍である。しかも、お馴染みのKC庁K動隊はいない。闊達な訓練ができることだ。

しかし今日は妙に淋しい。皆さん、修了証は無事もらえたのだろうか? 多分、今日は、実務演習の成果も踏まえ、最後の総括的評価を頂いているんだろうな。それにしても、どこに研修センターがあるんだろう。予算もふんだんにあることだろうから、あんまし目につかないところ(たとえば富士の樹海のド真ん中とか)に、立派なビルディングぐらいはあるんだろうな、などと思う。

ボンヤリ考える。
自分の知らなかった人生が、山のようにあるんだろうな、と (ё_ё) 。
2002/07/05(Fri) 晴れ


[ おデビュー ]
大昔、外務省が見えるあたりのオフィスにいた頃は、それこそ毎日のように、黒塗りのいわゆる「街宣車」がやってきた。外交問題が大きくなったり、外国の要人が来たりすると、これは大変なことになる。何台もが同時に押しかけて、一斉にボリュームMAXでがなりたてる。競争状態の狂騒状態で、仕事も手に付くものではなかった。

ここ麹町は、そうした外交問題とは無関係な街である。せいぜい英国大使館がある程度の徹底的ノンポリゾーンなのである。笑福亭○瓶あたりが歩いているくらい。平和このうえもない。ところが、最近、といってもここ2・3日、異変が起こっている。街宣車がやって来るのだ。久しぶりである、この騒環境は。しかしナゼ? 全く判らない。

お茶などをいただきながらお話を伺ってみると、内容は、特にこの街とは関係ないようである。世界の国々、日本の諸政党、時に個々の政財界人、こうしたものを順繰りにあげつらっていくだけである。「現代街宣用語の基礎知識」を読んで聞かされているような内容である。ただ、耳元で、怒鳴りながら、というあたりが通常の授業と異なる。

問題は、表現が平板なのだ。以前外務省や国会の周りで聞いた、あのメリハリのきいたリズムが感じられない。読経でいうなら、大僧正と門前の小僧ぐらいの力量の差が感じられるのだ。そうなのだ、彼らは新人教育の場として麹町を使っていたのだ。多分、四月に新規採用され、三ヶ月ほどみっちりと基礎研修を受けた若者たちなのだろう。

頑張れ、新人諸君! そして一日も早く、ハレの大舞台の方にデビューしてくれ。
2002/07/04(Thr) 晴れ