☆★☆- ホンの幕間 -☆★☆

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[ 週末の心配 ]
奥丹沢の温泉に行って来ました。浴槽文化との縁は薄くなっても、温泉文化とはまた別の話です。ところで飲み物です。関東の山の中なんかに行くと、最悪、焼酎さえ置いていない場合もあるのです。となると、用心に用心を重ねるに越したことはありません。焼酎を一本持っていくのです。泡盛の在庫も、大部淋しくなってきていますからね。以前、川崎に住んでいたあたりの、元酒屋系パパママスーパーに立ち寄ります。ところがここにおいて、店の片隅で大発見をしてしまったのです。

泡盛がずらりと並んでいたのです。宮の華(宮の華)、泡盛(山川酒造)、与那国(崎元酒造)、於茂登(高嶺酒造)、八重泉・・・、驚きでした。数えてみたら13本もありました。手が震えてボトルを落とさないように、細心の注意を払いつつ、6本をカウンターに運びます。全部買ってしまってもよかったのですが、少々気恥ずかしかったんですね。オヤヂさん聞いてみると、泡盛が、この辺りでもぼちぼちと売れ出しているとのことです。やはり新しい時代は訪れつつあったのでした。

さて、奥丹沢で考えます。「ぼちぼちと売れ出している・・・」、あの言葉が、妙に心に引っかかります。気になって眠れません・・・というほどのこともなく、たっぷり睡眠を取りましたが。次の朝は、既に、一大決心をしていました。帰り道に、もう一度あの店に寄ります。大丈夫、7本は、そっくり残っていました。そこで、この7本も買占めてしまいます。これで安心です。今夜こそ、本当にぐっすり眠れます。
2002/03/31(Sun) 曇り


[ グローバルなカンパニーと水 (ちょいと真面目宣言) ]
彼らは、三大分野を押さえたいのだという。・・・水、エネルギー、情報通信・・・

リスクもリターンも

  水 < エネルギー < 情報通信

の順であるという。故に、水には長期的投資分野としての魅力が、十分にある。逆に、情報通信の分野はバクチであるんだけどね。なお、経営の合理化の進展度合いも、同様の、前時代的状況の順番である。この場合の「水」とは、投資対象、すなわち設備としての水道と下水道である。

先進国においては、水の分野は、「公衆衛生」のスローガンのもとに扱われてきた。この1世紀以上の時間をじっくりとかけて、充分に成熟した公的施策となってきた。赤痢もコレラも過去の話になってきている。このような公的事業には、21世紀的なグローバルなカンパニーとしては、つけ入る余地が、少なくとも二つある。

@公的事業の非効率性の是正、つまりコストを下げられるじゃないか、という主張
 ・・・特に、人件費の部分(公務員が30人いた下水処理場を、3人の社員で運営している例がある)

A政策料金の「未回収部分」を回収できるじゃないか、という主張
 ・・・いわゆる、フルコストプライシング(税金の補助を止め、受益者の料金で100%回収する)

途上国では、このような優雅な事業は発達もしていないし、マージナルな部分もほとんどない。しかも、国力的に見て、将来も先進国並の施策をとることは、ほぼ絶望的である。しかしである。皮肉なことに、ここにもグローバルなカンパニーが介入する余地が生まれてくるのである。裏返しに過ぎないのだけれど。

@ギリギリ最低限のレベルでの、上下水道サービスの提供
 ・・・何もないよりはいいじゃないの 政府が持たない資金は、カンパニーが適正な利回りで貸してあげよう

Aアプリオリな(先進国スタンダードな)フルコストプライシング
 ・・・払えない者には、サービスを提供しないだけ・・・当たり前さ

水関係の事業が、先進国においても途上国においても、このように「草刈り場」的状況になっていることの一因には、現在の水処理技術が「ポンプとパイプ(P&P)」という、相当な高付加価値の体系からなっていることがある、と思われる。ビスマルクとかいう、かの鉄血宰相からの大きな流れなんでしょうね。もちろん、この国においても、現在、数兆円産業となっているこの分野に、急ブレーキを掛けることなど、誰にもできないだろう。世界も暫くは、VIVENDIなどの思う方向に動くのかも知れない。

しかし、何の光もないわけではない。10年前、リオデジャイロで確立した「持続可能性(サステイナビリティー)」が、間もなく、ヨハネルブルクで検証されることになっている。「アジェンダ21の最大の忘れ物」とも言われる、水問題はどうなるのだろうか。南アがダメでも、2003年3月のWWF3@JAPANがある。もっともこれは、サステイナブルなサニテーション(世代を超えて維持可能な、水と人間の健全な関係)の概念を打ち出す、最後の機会なのかも知れないのだけれど。
2002/03/27(Wed) 雨


[ あららっ、あれれっ ]
世の中大変、M男の喚問だ、いや、K美も呼び出せ、とやっているうちに、何と、桜が満開になってしまった。弊社では、年度があらたまった4月4日ごろを予定していたようだが、もはや桜はないでしょうね、きっと。そこに追い打ちをかけるかのように、夕方からのこの雨(東京地方)。急遽今宵に繰り上げたグループは、泣き面に蜂ですね。こうなったら、気象庁長官でも桜前線予報部長でも、みんな連れてこい。全員証人喚問だ! とばかり、怒りに打ち震えていることでしょう。もちろん、夜店を生業(なりわい)とされる方々だって、大損害です。デフレスパイラルは、より急速に深くなっていくのでしょうか。月曜日の株価・為替が心配です。日本の桜発・世界大不況にでもなるんでしょうか・・・

ところで、八○グループの取扱い商品といい、K美さんの政策秘書の元来のセンセといい、M男さんのアレコレといい、何かと、嘉利由に縁があるような気がするのは、テバだけでしょうか。
2002/03/22(Fri) 雨


[ 最後のタンカン ]
釣りの方面の、ですが、お師匠様の広壮な豪邸の広大なお庭には、タンカンの樹が一本ありました。(琉球犬もいますけど。)先日お邪魔した折り、タンカンが話題になりました。季節も終わりかかっていた時機のこととて、果実は二つしか残っていませんでした。もちろん、もぎり立てのタンカンは未経験でありましたので、一つだけおねだり申し上げたわけです。最後のタンカン、などという贅沢は言いませんが、最後から二番目のタンカンを、とお願い申しあげたのです。

というわけで、最後から二番目のタンカンを、奥様が採りに行かれたわけです。でもこのミッションは、結構むつかしいものでした。二つあるうちのどちらが最後から二番目か、これが問題になったわけです。最後のタンカンなら、一つしかありませんから簡単。二つある場合の判断基準です。そんなこんなをワイワイやっていたら、意外に簡単に決着が付きました。例のコロンブスの卵です。「エーィ」という気持ちで、もぎり採ってしまえば、それが最後から二番目でした。

でも、採り立てのタンカン・・・その香り、味、・・・絶。
2002/03/20(Wed) 晴れ


[ 小さな船で ]
那覇港から出る小さな船に乗ります。天気予報では雨は昨日までにあがり、本日は晴天の予定だったのですが、天気の推移が遅れており、曇天・ときどき小降りでありました。それもものかは、われわれ船長さんを筆頭の全7名は、勇躍東シナ海に乗り出すのでありました。今回はお師匠様もいます。Kさんもいます。もっともこれらの方々は、週に2〜3回は海に出ています。負けて当然、肩の力は抜けています。

慶良間諸島を過ぎると波がきつくなってきます。慶良間って防波堤の役目まで果たしていたんですね。本当にご苦労さまです。波頭が見上げるようなところを通過します。いよいよゲームはスタートします。ピンと漲る緊張感。これは誰が最初に大物をあげるか、という緊張感ですね。さて、師匠かKさんか・・・と、テバの竿に魚信があります。いやー、久しぶりの手巻きのリールのきついこと。腕ガタガタです。

ゲット、やりました、型の良いシルイユー(白鯛)です。この海は、しょっちゅう来ているヒトにつれない海です。初めてのヒト、久しぶりのヒト、こうした人々の味方なのです。現に、内地から来た大先生も、間もなくシルイユーを上げました。本当に不思議な海です。引き続いてムルー(あみふえふき)の大きなのもあがります。シケ(時化)た海にしては上出来です。なお、他に釣り船の影なし。我々だけです。

早めに引きあげましたが、お師匠様のお手づくりの、刺身、マース(塩)煮、魚汁、完璧でありました。師匠、また腕が上がりましたね、調理の方ですけど。それから、かなりの決断で船を出していただいたエイハブ船長様、本当にありがとうございました。
2002/03/16(Sat) 雨


[ 「沖縄の思い出」 ]
1945年秋から翌年の夏まで、米国海軍少尉として沖縄に派遣された、ワーナー・バースオフ現・ハーバード大名誉教授の回想録「沖縄の思い出」が琉球新報に連載されていた。テバよりやや短い滞在期間のようであったが、当然ながら、沖縄戦直後の混乱期であり、それは現在の時間にして、数年分に匹敵するものだったろうと思われた。

予想より早く終結した戦争のため、日本語学習もほとんど進まないまま、予備知識もない状態で沖縄に来たようだ。復興支援に携わったりする過程で、沖縄とそこに住む人々を理解していったようである。しかし翌年の7月、突然、海軍軍政府が陸軍に交代する、という意想外のことが起きた。東京のGHQの一元支配になったということである。

交代のセレモニーに際しての初代志喜屋知事については、「新任の陸軍将軍よりも三十センチほど背は低かったが、容貌(ようぼう)とスピーチは威風堂々として完全に将軍を圧していた」と評しており、「われわれ海軍の出席者たち、ワトキンス、コールドウェル、ハンナ、ローレンス将校たち、それに僕も含めて、志喜屋知事を大変誇りに思った」としている。

しかし沖縄を離れる日は、容赦なくやってくる。

「今も鮮明に記憶に留めているのは、46年のある夏の日に船上から眺めた沖縄の自然の比類なき美しさである。僕は那覇港から出る小さな船で島の周囲を巡ったが、文字通り沖縄の自然の美しさに圧倒された。・・・そして、なによりも僕にとって大切なのは、この沖縄の自然にも勝る確かな信頼できる友好的な人々である。礼儀正しくて、ユーモアがあり、コスモポリタン的知性を有し(それは島国の人々にとってはまことに相応(ふさわ)しい特質である)、独立精神に満ちた人々。」

彼も、この島々の人々に魅せられていったのであった。

さて、それではテバも、那覇港から出る小さな船に乗りに行くことといたしましょう。
・・・オレンジの琉球ガラス・・・(謎)。
2002/03/14(Thr) 晴れ


[ 遠き日の教えの谺 ]
やっと冬の長い長いトンネルを抜けたようです。花粉症をお持ちの方には、本日は、つらい一日だったようですが。何といってもテバにとっては、コントラストのきつい冬でありました。これからは一気呵成に、風よ吹け吹け、雨雨降れ降れ、花よ咲けであります。週末しかやっていないサンシンの練習にも、心なしか力が入ります。とは言え、まだ三曲ぐらいですけどね。

ところで、先日、某先輩にご教授頂いたおかげで、楽譜(工工四:クンクンシー)の謎のひとつが解けました。工工四では、タイトルのすぐ下あたりに、「本調子」とか「一、二揚」とかが記されているのです。これの意味が分からなかったのです。本調子は多分C,F,Cですが、「一、二揚」はそうではないと思われます。弾いてみてもチンダミが変な感じなのです。

教えていただいて初めて解りました。第一、二弦を一音程巻き上げることだったのですね。更には、思わず「ヴ・ザヴェ・レゾン」がありました。それは、「三下」と等価だというのです。この方がチンダミは簡単ですね。そこで早速、KORGも動員しながらやってみました。結果「てぃんさぐぬ花」が、ちゃんと弾けました。ホウセンカのことです。うれしかったですね。

しかし、メロディーの記憶はあるのですが、歌詞を全く覚えていなかったのです。ま、元々、親の小言はありがたい、といったような歌なので、あまり関心もなかったのですけど。でも、他の一、二揚の曲は、ちょっと難しいのばかりだったので、仕方なく歌詞を勉強するハメになりました。お師匠のお言葉を、遠き日の谺のように思い出しながら。

 「三線ぬ歌ぬ義肢(サンシンヌウタヌギスー)」

それにしても、ゲルマン人の記譜法とはえらい違いでした。

註:一、二揚=イチニアギー
  三下  =サンサギー :とお読み下さい。

2002/03/10(Sun) 晴れ


[ ふりむかないで ]
昨日は桃の節句で雛祭りでした。もっとも旧暦では1月20日です。やや寒いかな、と思っていたら、竹富町では海開きで、子供達が波しぶきをあげていました。で、本日は、以上の話とはまったく関係ありません。

エメ○ンシャンプーのCMソングで一世を風靡した「ふりむかないで」です。

1.泣いているのか 笑っているのか 後ろ姿の素敵な あなた
  付いてゆきたい あなたの後を 振り向かないで 東京の女(ひと)

2.ポプラ並木に ちらつく雪が あなたの足を 急がせるのか
  しばれる道が 気にかかるのか 待って欲しいな 札幌の女

3.七夕祭りの 一番町で ふと行き会って 目と目が合った
  浴衣姿の 素敵なあなた 囁きたいな 仙台の女

4.雨の今池 小さなスナック 一人ぼんやりしている あなた
  ほろり涙が まつげにたまる 抱きしめたいな 名古屋の女

5.今にも空が 泣き出しそうな 道頓堀の橋の たもとで
  何を思案の 恋さん一人 声かけたいな 大阪の女

6.泣いているのか 笑っているのか 那珂川端にたたずむ あなた
  付いてゆきたい あなたの後を 振り向かないで 博多の女

7.鳩が飛んでる 平和の塔に ちらり覗いた 八重歯が光る
  檸檬のような 可愛いあなた 呼びかけたいな 広島の女

8.誰を待つのか 香林坊で ふと微笑んだ あなたの瞳
  春風みたいに 心にふれる みつめていたいな 金沢の女

9.連絡船が 屋島を過ぎて 風に黒髪 なびかせていた
  ひとりぼっちのあなたは誰 並んでみたいな 高松の女

この歌の「ご当地」の流れを順に追っていくと、妙に不自然なところがあると思いませんか。そう、最初が東京であるのはやむを得ないにしても、札幌→仙台→名古屋→大阪→博多までは順調なのですが、突如、広島→金沢→高松、と、とんでもない方向に迷走し出すのです。後から取って付けた跡が観察されます。これらの県には、有力な政治家でもいたのでしょうか。・・・そういえば・・・

このような政治的疑惑は別としても、以前より、まだ二つほど問題を感じていました。一つ目は、そう、沖縄が抜けていることです。この歌が流行ったのが本土復帰直前だったためでしょうか。それにしても心ないことです。しかし、本件は、霊峰富士のHAL仙人が解決してくださいました。10番を追加してくださったのです。本人の了解なしに公開してしまいましょう。どうせ「訪ノフ人トテ稀ナル茅屋」的サイトですから。

10.雨の今帰仁 古びた石垣(グスク) 海を見つめて たたずむ貴女
  何を思案の 美人(ちゅらさん)一人 振り向かないで 沖縄の女

  [註:今帰仁(なきじん):本部半島北東部の地域で、美人が多いことで知られる]

お見事! それなら、もう一つの問題は自分で解決してみましょう。

3-1.偕楽園の 梅の木陰に 霞(かす)む千波湖 水鳥あそぶ
  風に散る花 あなたの心 振り向かないで 水戸の女

これを、仙台と名古屋の間に挿入するようにします。すると、この前後の流れは、仙台→水戸→名古屋、となります。そう、あの定説「日本三大○ス」地帯を、一気に、スムーズに通過するのです。東京を冒頭に持っていった隠れた意味も、ここに至り明らかになってきました。さらに本当は、3,4では「囁」いたり「抱きしめ」たりしたいのではなく、「振り向」いて欲しくないというのが本音であることが判ります。そして、3,3-1,4の場合は、「心から」振り向かないで欲しいということで、他の箇所の「振り向かないで」とは、ニュアンスが違うということもお解りかと思います。

ただ、当初は、水戸もちゃんと入っていたものが、某大物政治家の力でカットされていたのだとしたら・・・桑原、桑原。
2002/03/04(Mon) 晴れ


[ そして、タンカン再会 ]
タンカンが届いた。重なるときは重なるもので、お友達からも送ってきた。ダイナハの地下食品売り場並みの、山積み状態である。大・大豊漁である。カチャーシを躍りたいくらい嬉しい。何といっても、カリタンを共に戦い抜いた戦友である。早速3個くらいを一挙に片づけた。昨日も2個ぐらい・・・

今日は朝から不調である。ベルトがきつい。少々温かくなってきたから、代謝効率が落ちてきたのかな。もう少し食事の量を減らそうかな。それにしても変だ。リバウンドの予感がする。鍛えに鍛えたダイエットセンサーが警鐘を鳴らす。原因は・・・思い当たらない。そんなに満腹するほど・・・

そこで気が付いた。満腹するほど食べなくても、胃腸に負担をかけなくても、太る方法があったのだ。「糖」の摂取である。旬のタンカン、これは甘さもたっぷりだ。まだまだ安定していない我が身は、この糖にアリンコのように群がったに違いない。残念だが週1個迄としよう。あとは家族にあげよう。

それにしても、この道は奥が深い。満腹より危険なことがあったとは。ダイエット版・奥の細道よね。大好きな品の良いシトラス・フレイバーは、家族が食べている傍で、お相伴にあずかるとしよう。さあ、家族にはどんどん食べて貰わなくっちゃ。とりあえずの目標はできた、が、哀しいことである。

 タンカンで 一つ二つを 身となせば
     香りやこよひの 馳走ならまし  (只乗)

今年も「タンカン哀歌」になってしまった。
2002/03/01(Fri) 晴れ