☆★☆- ホンの幕間 -☆★☆

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[ 嵐の海の友へ ]
人生は旅といいますが、転勤の多いあなたにとって、ある職場に着任するということは、ひとつの航海を始めることにあたる、と考えるとよいでしょう。なぜなら、航海同様、次の港に着くまでは、つまり、あなたがあなたの任を離れるその日までは、船を下りることはできないわけですから。どのような人々と乗り合わせようとも、これは、彼らとあなたにとっての、ひとつの共同の航海なのです。天気晴朗の日ばかりではありません。嵐の日もあるでしょう、戦いの日もあるでしょう。これらのすべてを、彼らとあなたが力を合わせて乗り切ってこそ、初めて、いずくにもあれ、目的の港に着くことができるのです。

またまた、嵐に見舞われているようですね。先に下船した身としては、申し訳ないことながら、嵐の海を眺めつつ、陸の上から案ずるようなことしかできません。混乱の最中には、よく、嫌なことを見てしまうものです。思い通りにならないことも、起きがちです。周囲に不信を感じることもあるでしょう。しかし、その時は思い起こしてください。現在船に乗り合わせている人間以外、この嵐に対処できる人間はいないということを。次の港へ辿り着く力は、全部併せて、それだけなのです。あなたも最大の力を出し切ってください。その際のモットーは、かのネルソン提督のロイヤルネイヴィーの金言そのものです。

 「持ち場を守れ」

もちろん、艦長から水兵までです。ご健闘を期待します。
2002/01/26(Sat) 雨


[ 大寒 ]
大寒である。ん? それとも、もう過ぎたかな? まあ、大体その辺りにいるんであると思われる。寒いことである。「日本は温帯に属する」という場合、だまされてはいけない。「沖縄は亜熱帯だ」という場合と同様、注意が必要である。温かいとか、かなり熱いとかイメージしてしまうと間違いである。世界は大きく見ると、熱帯、亜寒帯、寒帯の3気候帯があるのであって、温帯とか亜熱帯とかは、熱帯と亜寒帯の混合物にすぎないからである。混合割合の微妙な差が、温帯と亜熱帯の違いをもたらしている。

証拠その1:天気が移り変わりるにつれて、暑い日(熱帯)と、寒い日(亜寒帯)が交替でやってくる。年平均気温の日なんて、それこそ数えるほどもない。

証拠その2:海流には熱帯の海のもの(暖流)と亜寒帯の海のもの(寒流)しかない。これに寒帯の海の氷(極冠)を加えて、世界の海も、やはり3種類だ。

したがって、現在は、亜寒帯の混合割合が相当高まっている季節だということだ。沖縄だって、その土地なりに、亜寒帯の混合割合はピークに達している。これを冬と呼んでもよいのだが、それでは思考停止してしまう。寒い、寒い、で終わってしまう。上述の七面倒くさい理屈をこねたのは、さらに発想をふくらませるためだ。そう、混合物と考えるなら、冬にも、わずかではあるが、熱帯の成分が混合しているはずだ、と考えることができるのである。これを探せばよい。でもどこに? と思うのは凡人である。

 吉永小百合曰く 「北風吹き抜く寒い朝も、心ひとつで暖かくなる」

のである・・・それにしても寒い。
2002/01/23(Wed) 曇り


[ 寒緋桜 ]
本部の八重岳では、寒緋桜が咲いているようです。かわいいメジロが花の蜜を求めて寄ってきています。NHKのテロップでは「緋寒桜」となっていました。前からギモンだったので、早速、沖縄大百科事典で調べます。と、やはり寒緋桜が多数派のようです。

「ヒカン(緋寒)ザクラともいわれるが、本州中部以西に多く植栽されるヒガン(彼岸)ザクラと混同しやすいので、カンヒザクラと呼ぶ人が多い」

と書いてありました。「サクラ類は明治時代から本土産のソメイヨシノ(ヨシノザクラ)など数多くの品種が導入されたが、久米島にチハラザクラが生育開花する以外、ほとんど定着していない」ともありました。これも風土ですか・・・、所詮ヤマトゥは・・・

そうか、早いもので、あれから1年経ったのか、とも思うことです。今週の週末は名護のさくら祭りです。そして中日[なかび]の26日(土)には、あのメインイベント・二見情話大会が催行されるのです。
【KariTanTan2001参照】

ありし日の栄光の舞台が、脳裏に浮かびます。
2002/01/20(Sun) 晴れ


[ 恩師への愛 ]
凶暴な夕焼けのつくば市、その「つくばセンター」地区の一角、その一角のバス停[終点]に降り立つ。北関東の冬の夕焼けは、凶暴というしかない凄絶さである。それに輪をかけて、筑波おろしの空っ風が、サバトの宵に興を添える。まったく・・、数日前の嘉利吉のインディアンサマーが夢のようだ。今日のテバは、孤独なヒットマンである。血に飢え、獲物を確信したスナイパーである。目指すホテルは目の前にある。バス・サービスセンターのネェネェに確認する。プロに間違いはあり得ない。あってはならない。第一、道中が寒い。

今日は恩師の祝賀会である。勲三等ナンタラ章とやらを貰ったらしい。実は、その師の記念特別講演会が午後三時からあった。しかし東京を出るのに手間取ってしまった。そのため、講演会をスッポカしてしまった。大変に申し訳ない。恩師への感謝の念が足りないゾ、と言われても弁解の余地すらない。しかしテバは忠実な弟子であった。釣りもサンシンもそうであったが、常に、師の教えに忠実でなかったことはない。こうした実績に免じ、さらには祝賀会にも参加することではあるし、あの慈愛に満ちた恩師は許してくれることであろう。

恩師とは、テバが大昔に在籍していた研究室の元室長である。驚かれるヒトも多いと思うが、テバはあの種の人種、「研究者」だったこともあるのだ。それも、7年間もの長い歳月を。それも、社会人の第一歩として。20代の大部分を、研究所という名の刑務所で過ごしたのだ。「孤独」、「暗い」が研究者の宿命である。30歳の誕生日を目前に研究所を脱出することはできた。しかし、一番大切な時期を、孤独・暗黒がキーワードの身分で過ごした。心ないヒトはキチ○イ部落とまで呼ぶ社会である。トラウマを克服するため、その後、大いに苦しんだ。

しかし恩師への愛は深い。ご指導も頂いた。その後の四半世紀の人生では、大いに役に立つこともあった。一言だけでいい、お祝いの言葉を申し上げたい、その一念で、バスに乗り、ここまで来たのだ。祝賀パーティーだけでも、と出てきたのだ。パーティーが始まる。司会者の開式宣言、主催者の挨拶、乾杯、主賓(恩師)の謝辞、とどこおりなくプログラムは進んでいく。和気藹々、結構結構、素敵なパーティーである。しかし、スナイパーの鋭い目は獲物を追い続ける。クロス・ヘアー(十字線)の中心にターゲットを逐い続ける。

問題は機会だ。周囲に目撃者がいない瞬間が必要だ。当たり前のことだが、これは第一原則である。ゴルゴ・ナンタラのように、しょっちゅう目撃され、その度に目撃者を消しているようでは、プロの風上にもおけない。スナイパーとターゲット、この二者には誰の介在も必要ないのだ。しかし、アクシデントは起こる。司会者がグラスを片手に近づいてくる。悪い予感がする。「テバさん祝辞をやっていただけませんか?」。万事窮す。これで秘かな暗殺計画は泡と消えた。仕方がない。が、依頼者の依頼だけは果たそう。依頼者、それは自分だ。

演壇に立つ。マイクがあるため、目撃者は全員だ。「K先生には社会に出た第一歩で、研究者としての心構えを教えて頂きました。研究員は研究室長の敵、研究室長は研究員の敵、研究員同士はもちろん敵、この教えで7年間の孤独な暗い生活を、耐えて送れたばかりでなく、その後、本当の社会に出てからの四半世紀も、無事乗り切ることができたのです。大過はありましたが、円満に退職できたのも、本当にK先生の教えのお蔭です。・・・」、我ながら順調なすべり出しである。獲物はニコニコとしている。まだ気付いていない。

ところでIJ君のことである。旧臘4日、あの安里屋ユンタで、見事なパフォーマンスをやってのけたIJ君のことである。この模様は、新年早々、沖縄中にTV放映されたという。まことに目出度いことである。実は、IJ君に出演を強いた背景には、テバの暗い過去がある。IJ君は、それまでのほとんどを研究生活に過ごした。そのため、彼が社会を理解し、社会を愛するようにならなければならない、という信念がテバにはあった。嫌がるIJ君に出演を強要し、「これは仕事ではないが、遊びでもない!」、と言ったわけである。

大詰めである。「・・・思えば32年前、私が卒論をやっていたころ、K先生は、隣室の担任教授を秘かに訪ね、共謀・裏取引のうえ、本人の意向を無視し、私を研究所に拉致されたと聞いております。私は、社会の現場で、働く人、戦う人たらんことを希望していたのですが、祈る人、すなわち研究者の見習い生活を強要され、頭ツルツルの小坊主にされてしまいました。暗く孤独な青春でした。しかし、本日はそのことを言いに来たのではありません。叙勲をされたことを機会に、『32年前のあのことは、許す!』、と言うために来たのです。」・・ヒット!

恩師のあいた口がふさがらない。立派な祝辞であった証拠である。テバも、感謝の念を、心の底から表明できた。囲りの方々も、情愛に満ちたスピーチと受け取っている。一生許さなくてもよいものを・・・、この度量・・・。恩師への愛は、かくも深い・・・ヒットマンの胸を、筑波おろしが吹き抜けた。
2002/01/19(Sat) 晴れ


[ タクシードライバー ]
   
 東京  52,000
 横浜  40,000
 大阪  36,000
 名古屋 33,000
 沖縄  12,000

「自動車新聞」という日刊紙があるようです。そこには全国のタクシー業界の売り上げ速報値が出るんだそうです。上の数字は運転手さんから聞いたものです。1台・1クール(18時間+α)あたりの売り上げということです。それにしても、4倍以上も違うとは夢にも思いませんでした。

どうりで「ちゅらさん」の恵文なんか、しょっちゅうゴロゴロしていたわけです。しかし接客態度なんかは、むしろこの数字の逆数ですね。沖縄では、少々長い距離を乗ることになると、必ずといっていいほど、楽しい話が始まります。島のこと、兄弟のこと、おばぁのこと、空手のこと、三線のこと・・・決して退屈はさせません。

東京では4〜5万台ものタクシーがあるそうです。が、稀に親切・丁寧な運転手さんに出合うと、大儲けしたような気分になるから不思議です。個人タクシーの免許要件が緩和されたりで、この春あたりには4千台程度が増車になるんだそうで、ますます乗務員さんのご機嫌が悪くなりそうでハラハラです。
2002/01/18(Fri) 晴れ


[ そこまで「しどい」とは! ]
よく江戸前の落語なんかで、雪国出身の噺家さんが、「ちょいと、しぃー(火)貸してくんな」なんてやってますが、これは別の意味で笑えます。しかし、本当に「ひ」を「し」としか発音できない地帯出身のヒトには、笑い事ではないことがあるようです。テバなんかも、若い頃、ライターの火を点して、「これなーんだ?」なんてからかった覚えがあります。若気の至りとはいえ、本当に申し訳ありませんでした。

この「地帯」ですが、隅田川とか荒川の流れているあたりの下町、と漠然と考えていました。ところが、相州横須賀あたりでもそうらしいのです。職場のH部長さんがそのシトです。いろいろご苦労があるようですが、OA化が行きわたってしまった昨今、最大の悩みはキーボードだそうです。何とまーぁ、「ひ」が打てないのです。どうしても「し」と打ってしまうのです。嘘みたいなのですが、本当なのです。
2002/01/16(Wed) 曇り


[ 海へ! ]
早朝、久しぶりの那覇新港です。第三共栄丸のたたずまいといい、船長の内根原さんの笑顔といい、何も変わっていません。われわれのグループが一番乗りのようです。さあ出港です。追いかけるように首里城の方角から昇る太陽、この壮大な光景も記憶のままです。帰ってきたぞ! 海へ!

  天にとよむ 大ぬし
  あけもどろの はなの
  さいわたり
  あれよ みれよ
  きよらやよ

ずっと寒い日(とはいえ、最低気温15℃)が続いていたそうですが、前日からは大好天です。雲一つなく、この季節特有のニシ(北風)もありません。海はベタ凪ぎ。半歳ぶりの東シナ海は大歓迎をしてくれています。Kさんの軽口も快調のようです。目指すは5〜60q沖の渡名喜島周辺です。

今回は残念なことに、お師匠様の都合がつかず、その点だけが淋しい釣行でありました。師匠、弟子の勝手で日程を組んでしまい、申し訳ありませんでした。で、釣果は? と尋ねる師匠の顔が浮かびます。仕方がない、記録だけしておきましょね。なお、今年は潮流がかなり強く、魚の食いが悪いようですね。

  がーら(シマアジ)      2
  むるー(アミフエフキ)    1
  かーはじゃー(カワハギ)   5
  その他           少々

言い訳を考えながらも、一日中太陽を浴びて、夕刻の帰港です。黙々と作業した後は、船上の泡盛少々が腹にしみます。夕日が慶良間の諸島に落ちようとしています。終日の大快晴、有り難うございました。右手にチービシを見ながら、那覇新港を目指します。うねりが出始めたようですが、もう安心です。

釣船協同組合の軒先をお借りして、Kさんが魚をさばきます。ダイナミックな包丁捌きで、身が多少減ることなどお構いなし。早速いただきます。がーらは、獲りたてのコリコリ感が絶妙、かーはじゃーのキモは、とろけるようです。オリオンビールも合います。船上の跡片付けを終えて、船長さんも合流します。

 船「船酔いしてたね」

 テ「えっ!?」

 船「青白い顔をして、あまり喋っていなかったさ。今は戻ったようだけど」

船長さんの誤解でした。テバはすっかり、ヤマトゥの肌色になっていたのです。そして一日の終わりには、当然ながら、少しだけ、ウチナーの肌色に戻っていたのでした。そのうえ、東シナ海の真っ只中に、久し振りに身を置く嬉しさに浸りきっていたため、お喋りをしている余裕がなかったのでした。

ありがとうございました、船長さん、釣友のKさん。そして、仕掛けなどをご用意いただいたお師匠様。少し太ってしまいました。
2002/01/12(Sat) 晴れ


[ まだ白鯨を読んでます ]
もうすぐ一ヶ月になりますが、まだ上巻です。少しずつしか読まないようにしているのと、気に入った箇所には何回でも立ち帰っているからです。若い頃は本当にモノを粗略に扱ったものだ、と思います。まったくもって失礼しました! それにしても阿部先生の訳、これがまた、読めば読むほど味が出てくるのです。

There you stand, lost in the infinite series of the sea, with nothing ruffled but the waves. The tranced ship indolently rolls; the drowsy trade winds blow; everything resolves you into languor.

[その時君の身は、幾重の蒼波のほかに何一つない海原の広芒の中に融け込む。船は夢見るようにのたりのたりと揺らぎ、まどろむような貿易風は吹き流れ、君を取りまくものみなが駘蕩たる懶さのなかに誘う。]

わかりました! なぜ、白鯨を読み始めたのか。海から切り離されたことの代償作用だったのです。しかしながら、代償は代償でしかありません。読めば読むほど欲求不満は募ります。仕方がない。行きましょう。海へ。エイハブ船長とピークォド号が待つ、我が南海のナンタケットへ、我がモゥビ・ディクを求めて。

というわけで、行ってまいります。
2002/01/10(Thr) 曇り


[ ところ変われば ]
職場は、とある貸しビルの中にある。ここの玄関には、恒例のしめ飾りがあった。ようっく見てみると「商売繁盛」と書いた札が付属している。ふーん、昨年までは「謹賀新年」と書いた画仙紙が貼られた建物に出入りしてたんだっけ。うんうん、そういうことですよね。そういうことになるんですよね。それにしても商売繁盛とは、何ともさわやかでストレートな表現だ。謹賀新年の慇懃無礼ぶりとは好対照だ。人間、正直に生きた方が、ストレスもなくていいぞ、などと思うのであった。

昔々、年賀状の印刷文例をいい加減に選んだため、「本年もご愛顧のほどを……」というのが刷り上がってしまい、周りからバカにされたり笑われたりだった。もちろん、勿体ないのでそのまま使った。しかし、今ならば、何の問題もないばかりか、その前だれ精神(死語か?)が大いに顕彰されたのではないだろうか。ところ変われば文面変わる。というよりも、ココロの持ち方が変わるわけだ。行くぞ、直球人生だ。一年の計としては悪くないのではないだろうか。
2002/01/07(Mon) 曇り


[ 干支(続) ]
え〜っと、そういえば、縞のないシマウマがもう一種類ありました。それはモンゴルノウマ(蒙古野馬)です。タヒとかプルジェワルスキーホースとも。あのモンゴル軍の機動力を支えた、蒙古馬の原種と言われています。写真や映像で見たことしかありませんが、体型といいタテガミの様子といい、シマウマさんにそっくりです。国内にも何頭かいるらしいので、動物園にしょっちゅう行くヒトは、注意していてください。シドニーオリンピックの誘致に関連して、モンゴルのIOC委員への賄賂に使われた、なんて話もありますが、こんな賄賂なら、問題ないんではないでしょうか。もともとモンゴルから拉致されていたものなんですからね。

もうひとつ、そういえば、久○仙の天才・T常務は、モンゴルで泡盛を造ってます。雑菌がいない空気と、清浄な地下水に惚れ込んだそうです。「響天」という美しいブランド名で出してますが、このネーミングにも島の歌心を感じさせます。ヤマトにも出荷されていますので、酒屋さんにしょっちゅう行くヒトは、注意していてください。一番の苦労は、出来上がったサケの搬送だったようです。琉球馬に牽かせるわけにもいかず、延々陸路を上海あたりまで、トラック輸送しているようです。まるで現代のプルジェワルスキーですね、T常務って。そして泡盛に傾けるこの情熱! 全く脱帽です。

それにしても寒いことです。昨日は一瞬ですが、ここ横浜では、雪まで降ったらしいです。周りは「雪だ!」と騒いでましたが、見る気も起こりませんでした。首を引っ込めておりました
2002/01/06(Sun) 晴れ


[ 干支 ]
え〜っと、嘉利吉のクニでは、何事によらず、アタマに「島」を付けます。仏蘭機(フランク人)が、何事によらず、威張りたいときには、定冠詞の le や la をくっつけるのに似ています。もちろん、定冠詞が付けば、文句なしの本場モンで、それはおフランスのものだ、という意味です。同様、嘉利吉のクニでは、もうちょっと謙遜しながらですが、定冠詞「島」というものを使うわけです。

 テ「この歌は?」

 嘉「シマウタ(島歌)さー」

というふうになります。

 テ「この酒おいしいね」

 嘉「シマザケ(島酒)だからね」

ときます。与那国で小柄な可愛い馬を見かけました。これこそ、あの、根性と馬力で知られる琉球馬に違いありません。往古、福建から北京まで、わずかな秣(まぐさ)で膨大な荷駄を運んだと言われる、あの伝説の琉球馬に違いありません。

 テ「この馬はひょっとして……」

 嘉「そう、シマウマよね」

本年も、よろしくお願い申し上げます。
2002/01/01(Tue) 晴れ