☆- カリタンタン -☆

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[ ギガビット ]
今日は「サイバーフロント沖縄」というシンポに行ってきました。例の「X」の発表でビル・ゲイツが幕張に来てまして、そこからギガビット回線で、那覇の会場にメッセージ発信とQ&Aをやってくれました。ファッションはといえば、なかなかシック&ラフな、センスの良いものでありました。テバは、さすが大富豪だな、と思った次第です。

ところが、これを見ていたのは、サイバーオタクばかりでしたのです。その後の評価は、そうした正常な評価は無視です。「ま、かなり滑らかだったけど、画像と音声が千分の一秒ほどズレていたネ」だの、「プロジェクターがスポンサー系だったのでイマイチだよ、シャー○のを使うべきだったンダ」とか。凄いですね、怖いですね、この世界。
2000/10/30(Mon) 晴れ


[ ちいびし ]
第二回の釣行は、ちいびしでした。ちいびしは、那覇の西方約10km、慶良間諸島との間にあるリーフです。宮古の八重干瀬(やえびし)は世界的にも有名ですが、ちいびしは、那覇の近傍ということで、地元では大変親しまれています。

ダイビング、フィッシングをはじめとする、マリン・スポーツのメッカです。グラスボートも出ていますから、短期間の観光で来られた方々にも、手軽に、珊瑚礁やお魚さんのウォッチングを楽しんでいただけます。(以上沖縄県観光リゾート局に代わって宣伝させていただきました)

時々のスコールに遭いながらも、せっせと釣りに励みます。といっても、われわれ徒弟階級は、サビキでグルクンという大衆魚を相手にします。リーフですから、グルクン以外にも、ムロアジ、ツンブリ、ヒメジなどが掛かってきます。いわゆる「五目釣り」ですね。

本命は、ミーバイなのですが、これは、サビキで上げたヒメジを生き餌に、オジサンとかいう面白い名前の魚を釣る、次にオジサンを餌に、泳がせ釣り。そしてやっとミーバイに至るというものです、この辺の高度な作業は船長さんの仕事です。なぜなら、他は全員、シロウトに毛が生えた程度ですから。われわれは、コマセ係といったところです。

ま、それにしても、最後にミーバイ中のミーバイ、アカジンが上がった時には、思わず全員で万歳の感動でありました。アカジンは、つくりにしてもコクある味でしたが、残りで作ったミーバイ汁、味噌仕立てでやってみましたが、これが、いとも絶品でありました。泡盛「時雨」と良く合ったことは、言うまでもありません。
2000/10/29(Sun) 曇り


[ スーパー・クースー ]
泡盛の三大特徴は、@人を夢中にさせる、A人に反省を強いる、B人を思索に導く、というところにあります。つまり、人は、泡盛と付き合うことで、否応なく、愚者→思索家→哲学者、という経過を辿ることになるのです。大和の酒では、せいぜい、第一段階までか、第二段階の半ばで終わってしまいます。これでは、不幸の極みと言うしかありません。

始まりは、12年間のタイムカプセル(と称するもの)に保存されていた泡盛でありました。これがその後、途轍もない展開を見せだすのです。その件は後日報告としますが、少なくとも、大和の酒や、諸外国のスピリッツにはあり得ない世界が開けてきたのでした。
2000/10/27(Fri) 曇り


[ 閏月きたる ]
ふと気が付くと、連日どこからか、必ずと言っていいほど聞こえていた、鉦や太鼓の音が止んでいる。嘉利吉の島にも、やっと秋が来たらしい。

この島の祭りは、旧盆(七月十五日)から九月の十三夜にかけてのあたりが、もっとも盛んなようである。今年は、旧盆は新暦で8月14日、旧十三夜は体育の日であった。

これは、はっきり言って、夏祭りの感じだった。これも太陰暦のいたずらである。来年は閏月がある。陰暦4月29日のあとに、閏4月が29日間もつづく。

すると、旧盆は新暦の9月2日に、九月十三夜は同じく10月29日になる。やっと、秋祭りらしくなるに違いない。もっともそのころは、この島にいるのかどうか……。ま、しかし20日もズレていて平気とは、割合とおおらかな人々ではある。

聞けば、イースター祭は、春分の日後最初の満月の、次の日曜日と言うことだから、もっともっとずれることになるらしいが。
2000/10/23(Mon) 晴れ


[ 冬支度 ]
ハル「かりゆしでもオコタ必要なんですか???」
テバ「…………???、ええい、炬燵狩りでお茶でも濁しとけ。」
てなやりとりが、どこかにありました。

しかし、チクチク(良心の痛む音)が止みません。
そこで早速、オボシき人たちに聞いてみました。

テバ「かりゆしでもオコタ必要なんですか???」

回答@「この冬は、夏服で通したし、炬燵なんか考えてもみなかったよ。」

回答A「この冬は、ついに炬燵に頼りましたね。」

回答B「この冬は、炬燵だけでは足りず、石油ストーブも点火(つ)けました。」

ここで、「この冬」とは、1999年から2000年に至る、ラストウィンター、つまり、同じ冬です。ただし、@、A、Bの回答者は、すべて別人です。

そうです、もう判りましたね。@の人は第一回目の冬、Aの人は第二回目の冬、そしてBの人は、実に第三回目の冬だったのです。だから、来るべき冬、テバにはオコタが必要ないという結論に達しました。もし、2001年の冬を迎える羽目になったら、その時こそ、中古炬燵大募集です。
2000/10/16(Mon) 晴れ


[ ふりずん ]
昔、時おり、一・二泊の日程で訪れていた当時は、いつ来ても暑いところだな、と思っていたのですが、住めばこそ判るナントカです。かりゆしの島でも、秋の気配を感ずる今日この頃です。青空も何となく高いし、風も、「あかあかと日はつれなくも秋の風」とばかり、八月の風とはひと味違うのです。

わが玄関には、何代も前の住人が設置したとおぼしき、大変に古い、あの時計型の、指針式温湿度計が掛けてあります。アクセサリーですから、特に見るということもなかったですが、この秋の気配、客観的にはどのくらいでしょうか。そう思って、改めて観察して見たのです。

温度は30度(室温です)、湿度は75パーセントでありました。ん?ちょっと変だな、高めにズレてるな、と思い、壁から外して、直射日光が当たるテラスに置いてみました。しかし、そこでも30度、75%なのです。次は、冷蔵庫です。30分くらい入れておいてから読んで見ます。え!やはり30度、75%でした。

そうです、温湿度一定の環境下に、あまりにも長い間放置されていたため、この温湿度計は凍り付いていたのです。むしろ、焼き付いていたと言うべきでしょうか。本土では、最高気温と最低気温の差が、この季節なら、10度以上はあるでしょね。でも、ここでは、それが数度です。

あまり動きがないために、細かいホコリや何やで、固まってしまったのですね。「器械動カザレバ、凍リツクモノナリ」という教訓でした。玄関が寂しいので、まだ飾ってありますが、これは、したがって、過去十数年間にわたるこの室内の、平均気温と平均湿度を表示している大変に貴重な器械、となっています。
2000/10/15(Sun) 晴れ


[ 海へ ]
一昨日は、海へ行ってきました。慶良間諸島のもう少し先の、久米島が見えるあたりです。日の出とともに、ポイントに到着。作業開始です。水深は60〜70メートル、エサはカツオとキビナゴとイカの三点セット。大変な贅沢で、このままでも一杯やれそうです。

最初にミーバイ(ハタ)が、一荷で二匹かかります。ふんふん、と思いつつ、次のアタリで引き上げてみると、何と、これが鯛。沖縄の海の恵みの深さに、感涙止マルトコロヲ知ラズ、であります。もっとも、ベテランのおぢさんたちは、少々憮然としていましたが。

フエダイ、ブダイ等も交え、次々と釣果があがります。結局、ポイントの移動の時に少々休めるだけで、夕刻まで働きづめでした。腕は棒のようになり、「うみんちゅー」のなりわいの厳しさを実感した一日でありました。

昨日は、前夜の大祝賀会のなごりと、こんがり日焼けのヒリヒリで……、死んでおりました。
2000/10/09(Mon) 晴れ


[ かじまやー異聞 ]
97歳か98歳か、で大きな論争を呼んだ「かじまやー」であるが、テバの深遠な理論により、一応の決着を見るに至った……と、思いきや、世の中には、ガリレオみたいな性格の人間がいるもので、「それでも、こんな説もあります」と本を持ってきた。標題「沖縄の民話」(1995年刊)である。序文に「高校生以上を読者対象に……」と書いてあり、その第一話に「かじまやーの始まり」を所収している。子供向けの絵本を真剣に取り上げるのも、大人げないとは思うが、ま、仕方がない。紹介させていただく。

昔、天の神が、天にも届く大きな木を伝って降りてきた。木の下では、降り積もった落ち葉が、年を経て、ほどよく柔らかい土と化していた。天の神はこの土で、三対の男女の人形を造った。日の出を待って、生命を吹き込もうとするところへ、地の神が現れ、これは自分の土だ、と主張する。そこでやりとりがあり、天の神は、百年に限り、土を借りることとなった。三組の夫婦からは、おおぜいの子供が生まれ、人の世が繁栄する。ところが地の神は、97年目に迎えに現れた。

計算が合わない。だが、実は、地の神は、百年を1200ヶ月と解釈していたのだ。太陰暦では、ほぼ四年に一度、閏月があり、その年は13ヶ月になる。この1ヶ月が積もり積もって、思ったより三年も早く出現した、というわけである。そこで再び、天の神との議論が始まる。地の神も、人間たちの幸せそうな姿を見て、何とかしてあげたい、という気持ちになってくる。ところが、天の神と地の神には、共通の上司がいた。仮に上帝と呼んでおく。この土に関する百年貸借契約についても、すでに報告してある。上帝の手前も、取り繕わなければならない。

そこで二柱の神が考えついたのが、「かじまやー」である。子供のおもちゃである風車を持たせる。すると、上帝が見ても、地上には97歳以上の人間はいない、と思うに違いない。めでたし、めでたし……というのがあらすじである。テバの正統派民俗学的分析にくらべると、やや大衆向き・子供向きではあるが、太陰暦を持ち出すあたり、まあ、なかなかなものである。しかし、百歩譲り、この説を採用するならば、97・98論争に決着が付けられるのだろうか。それを検証する。

太陽暦の1ヶ年は、約365.24日である。太陰暦の1ヶ月は、約29.53日である。太陰暦の1200ヶ月は、太陽暦では、

 1200×29.53÷365.24=97.02

すなわち97年強であり、勝負あったと、……ところが待たれよ、年齢は数え年で数えるのであった。数え年は、生まれた瞬間に1歳で、次の元旦(または節分)に一つ年を増やす数え方である。大晦日に生まれた人は、翌日に2歳である。96回目の元旦で97歳になってしまう。すると、実際には、

 95×365.24÷29.53=1175.00

実に、25ヶ月も早くお迎えが来てしまう。9月7日まで待ってくれても、1年以上早すぎる。

それでは、仮に98歳としても、月数・日数の踏み倒しが出てしまうではないか、と気づいた方、あなたはスルドい。テバもここで、9月9日に祝う事例があったことに思い至ったのだ。99歳説、これまで検討の俎上にさえ上がらなかった新説である。天地二柱の神の優しさを考えると、99歳ぐらいまでは待ってくれそうな気もしてきた。そこで、ここに、提言者としての栄誉を一身に担いつつ、「かじまやー98・99論争」を、新たに提起するものである。

ところで、かじまやーの今日、那覇は雨で始まりました。ちょっと心配でしたが、一時雨、一時曇、一時晴、といったところのようです。なんとかパレードができそうです。お年寄りの皆さん、これからもお元気で!
2000/10/04(Wed) 雨