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☆- カリタンタン -☆

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[ こ・これは? ]
東京からのお客様のご接待も終わり、店を出る段取りになりました。部屋の片隅から、バッグやら脱ぎ捨てた上着を回収にかかります。ここで、中に、異様な物体を発見しました。

こ・こ・これは!何だったかな?何か懐かしいような気もするが。

コートでありました。そうかー、あちらはこんな季節なのか。うちなんちゅもカリタンも、しばし、無言で見入ったのでありました。持ってきた本人だけは、恥ずかしそうにしていました。

でも、これって逆もあるらしいんですね。東京をコートなしで歩くのも、相当度胸がいるようですね。きっと、「貧乏な、可哀想なヒト」って見られてるんだろうな、って思いながら。
2000/11/30(Thr) 晴れ


[ 美作 ]
ドアを開けて店内を覗いた瞬間、その印象は酒屋の倉庫。通路も壁も、よく見ると天井の梁にまで、泡盛・泡盛・泡盛……。時代を超えて、嘉利吉の島々の隅々から集められた銘柄の数は、約1800だそうです。テバの予想を軽くヒトケタ以上超えていました。なお、同じくらいの数が、並べ切れずに、別途保管されているとのことです。

店の名前は美作(ちゅらさく)、ヤンバルの地名から採っています。こんな店が、テバのアジトから、徒歩30秒のところにありました。いやー、世の中って、驚きが絶えませんね。
2000/11/29(Wed) 晴れ


[ えっへっへー ]
何という下品なタイトル、と、お怒りになる前に、まあ、聞いてください。

尾の身、胃袋、腸、ハリハリ …… これなあーんだ?
これらが、テバの冷凍庫に、今週末収蔵される予定なのダ!

泡盛との相性の確認、きっと涅槃ですね。京の水菜がないのが残念。も・もちろん「調査○鯨」の成果物ですよ、きっと。
2000/11/27(Mon) 晴れ


[ 関心の所在 ]
折角、銭湯分布論をまとめたので、うちなんちゅに講義をしてあげまました。ところが、反応は、「ふーん」とか「へー」でした。失礼極まりない …… と怒ってはいけないのでしょうね。

関心の所在こそ文化・文明なのです。どーでもよいことを、一所懸命考えるヤツは、単なる、おっせっかいやきにすぎないのでしょう。
2000/11/22(Wed) 晴れ


[ 最高気温19℃の日 ]
ついに20度℃を切りました。うちなんちゅは、みんな「サムイ、サムイ」と震えてます。女の子なんかはスラックスです。思えば「霜月」、明日は二十四節季で「小雪」ですもんね。

それにしても、霜や雪はどこで見られるのだろう? ところで内地のみなさま、紅葉が散り始めたんですか?
2000/11/21(Tue) 曇り


[ またまた、ミス・・・ ]
このテの話題、これで何度目だろう。でも、書く!

お昼休み、お気楽な数人組がいて、最近の「ミス事情」なんぞを話題にしている。夏も過ぎると、めっきりコンテストもなくなり、つまらないこと、いやまあ、ひとしお寂しいこと、などなどである。こんなことを生き甲斐にしているヤカラもいたのだ。始末におえない話である。日本の将来は、確実に暗澹である。

ところで、テバの、not博覧but強記メカが、突如作動した。15年ほど前、ミス・さくら・フォトジェニックが、バイトさんとして、ここで働いていたね、という話をした。俄然、反発の嵐に見舞われる。誰もが、ミス・フォトジェニックなんてタイトル、かつて、聞いたことがないゾ、という。

こうした議論は、上下の別も長幼の序もないわけで、誰も譲ろうとしない。このまま物別れか、と思われた時、「そのころバイトをしていた子(?)が、本日、たまたま来ている」という情報がもたらされたのである。そこで、当然、その元・子を呼んでこよう、ということになった。

かくて、今や、中学一年生を筆頭に、三人の子持ちの母親となっている「その子」が証人喚問されたのであった …… 事実は小説よりも奇であった。その子(現・母)が、元ミス・フォトジェニックだったのだ。正確を期そう。彼女は、ミス・さくらとミス・フォトジェニックと、二つのタイトルを同時に貰ったのだそうだ。

〜 どっとはらい 〜
2000/11/16(Thr) 晴れ


[ 干物発見・・・だが ]
過日、やまとんちゅ若干名、プラス、うちなんちゅ1名で、なぜ沖縄には魚の干物がないのかを議論しました。結論は、湿度の問題だということになりました。もちろん、ここ沖縄でも、スーパー等へ行けば、日本全国、いずこの干物といえども購入できます。ここで、「ない」というにのは、沖縄県産品のことです。当地の高い湿度のもとで、へたに魚を干そうものなら、発酵してしまうからだ、というのが、この頭脳明晰な集団の下した結論でありました。パスツールの弟子も、深く首肯することでありましょう。

ところが、本日、本島北部の国頭(くにがみ、クンジャン)の宜名真(ぎなま)という集落を通過している時、同乗者が、「ここは、本県唯一、魚の干物を造るところだ」と言い出したのです。そうなのです、沖縄にも干物を造る土地があったのです。湿度セオリーを検討済みのテバとしては、それは当然、12月から2月までの、北風の吹くシーズンであるはずだ、と指摘したところ、大当たり、まさにその季節だということです。しかし、問題は魚種です。こればかりは、教えを乞うしかありません。

「まんびか」というのがその答えでした。まんびか、とは何か。これは簡単でした。シイラという、やけにとんがった魚でした。それよりも、もめたのは、シイラが干物にして旨いのだろうか、ということでありました。テバは、先日、第二回目の釣行で持って帰ったシイラを思い出します。刺身はおろか、煮ても焼いても食えないような気がしていたのです。しかし、干物にすると旨い、と主張するうちなんちゅがいるのです。シーズンになったら届けてやる、とまで言います。

期待もあります。怖い、もあります。
2000/11/14(Tue) 雨


[ カリタンタンのロゴ ]
模様替えしました。

今回のテーマは、「サバニ」です。一人乗りの焼き玉エンジンの漁船で、糸満のベテラン(従って、高齢)漁師さんたちの、ご愛用の舟です。GPS、レーダはおろか、無線も付いていません。海と空の模様をはかりつつ、どこまでも、お魚さんを追って突進していきます。

昔のサバニは、水、味噌、粟だけを積んで、四国沖、熊野沖まで往復したそうです。うみんちゅの元祖、神様です。YAMAHAのフル装備の漁船は、三千万円近くするそうで、若い漁師さんは大変なローンを抱えています。サバニの漁師さんは、借金なんかありません……だそうです。
2000/11/10(Fri) 雨


[ ジャンボの達っちゃん ]
昨日から宮古へ行って参りました。と言っても、岩手県ではなく、先島の方です。宮古本島、伊良部島、下地島、来間(くりま)島を廻りました。もちろん、本場の「お通り」にも巻き込まれました。この件は、まだ、印象の整理がついていませんので、後日報告とします。

伊良部島と下地島は、ほぼ陸続き状態ですが、ここのご案内は、宮国幸子さんという、ご当地では有名な方にお願いしました。宮国さんは、普段は観光案内を主としてやっておられるようで、そのURLは
http://www.cosmos.ne.jp/~sachikom/
です。どうぞ宜しく。なお最近は、開発タクシー(1号車)に移られたようです。

下地島には、本邦唯一の三千メートル級の、パイロット訓練飛行場があります。現在では、フライトシミュレータの発達で、実機訓練そのものが、相当減ってきているようですし、747などは、経費の安い外国でやるようになってきたそうです。

今日は737の訓練をやってましたが、宮国さんいわく、「やっぱり、ジャンボの達っちゃんはすごいですよ」。へえ〜、訓練機に愛称まで付けているんだ、と感心しながら、「どんな風にすごいの?」と訊きます。訊きながら、ハッ …… 改めて、「タッチ・アンド・ゴー?」。宮国さん、頷く。私の勘違いは、誰にも気づかれずに済んだ(でもないかな)。
2000/11/08(Wed) 曇り


[ 再三、海へ ]
本日のカリタンタンは、短信の範囲を超えたため、やむなく、NEOテバコラに移転いたしました。
2000/11/04(Sat) 曇り


[ 衣替え ]
−−泡盛をはさんでの会話−−

S「もう衣替えの季節になりましたね。」
テ「えっ、それっていつから?」
S「11月ですよ」
テ「すると、夏の衣替えもあるわけ?」
S「ありますよ。5月ですね。」
テ「何をするの?」
S「何をって、衣を替えるんですよ、もちろん。」
テ「どんな風に?」
S「たとえば、半袖を長袖にするとか。」
テ「だって、あなた今、半袖のかりゆしウェア着てるじゃない。」
S「台風が来て、今日はちょっと暑いですからね。」
テ「一年中夏服で通したヒトもいるらしいよ。」
S「まあ、その気になれば、できますよね。」
テ「それより、冬服って何時着るの?」
S「え、まあ、本当に寒いのは2月ですか。」
テ「え?だって3月には、もう泳げるんでしょ?」
S「まあ、本当に冬と言えるのは2月でしょね。」
テ「本当は、冬がないんじゃないの?それから冬服も……」
S「……」

註「かりゆしウェア」:沖縄の夏のカジュアルウエア。アロハシャツに似た衣装で、サミットで各国首脳にも着せた。職場など、フォーマルな場にも広げる運動がある。芭蕉布や大島紬を素材にした数万円級のものまである。
2000/11/03(Fri) 晴れ


[ 波照間島の事件 ]
南海の楽園のような孤島で起きた殺人事件。手元の資料によれば、この島は13平方キロメートル弱、世帯数238、人口564人(平成11年3月)だそうである。事件が発生した時点の実人口は、これに、当時の観光客を加え、島外に出ていた島民を引けばよい。なお、けさのモーニングショーの時点では、その後、マイナス8人となった。すなわち、犠牲者1名と、事件後島を離れた人7名を引くのである。事件発生時に島にいた人の、完全なリストが、今からでも作れるのである。

ほぼ完全な密室殺人事件である。思いがけないトリックとしては、牛に乗って島を脱出する方法がある。何と言っても波照間の牛は、「ひずめに海苔が生えるまで泳ぐ」のだから。だが、当時は台風20号で海は大荒れであった。牛はともかく、犯人は振り落とされる公算が大である。それに、牛の泳ぐ早さから考えて、あまり遠くには到達していないだろう。最も近い島は、約7キロメートル離れた新城(あらぐすく)島下地であるが、この島は世帯1(人口1)ということで、ここに牛1、ヒト1が加われば、それこそ大騒ぎである。目立つことこのうえない。

予言する。犯人が海に振り落とされていない限り、解決は間近い。

(追補):失念していた。南波照間島へ辿り着く可能性が、わずかながらあった。
2000/11/02(Thr) 曇り

My Diary Version 1.21
[ 管理者:テバ 著作:じゃわ 画像:牛飼い ]