<テバコラ 第50話>


☆波濤(はとう)万里☆
                     
(2000/07/20)



島々に基礎を置く海洋王国の繁栄にとっては、地の利が決定的に重要である。

たとえば、クレタ島に起こったミノア文明が大きく発展したことの基本的な要因は、

この島が、エーゲの多島海中にあり、ギリシャ、アジア、エジプト、アフリカの

いずれにも至便という、海上交通上の要衝に存在したことにある。

また、小さな島々であれば、大陸などに見られるような、多くの民族・部族の

移動往来の波にさらされる、といった危険も少ない。つまり、政治的に安定度が高い。

八重山王国もそれらの条件を備えていた。台湾、大陸、倭、南洋の諸国に対しては、

東アジアの十字路とでもいうべき位置にあり、しかも、強大な諸民族からは、

海によってほど良く隔てられていた。


しかし弱点がある。自然災害に対する脆弱性である。

クレタ島について言うなら、ミノア文明が繁栄の頂点にあった時、サントリニという、

わずか百キロしか離れていない島の火山が、島の姿を失うほどの大噴火を起こした。

このためミノア文明は一旦壊滅する。しかしこの民族・文明のすごいところは、

文字通り灰の中から蘇ったことだ。短期間で以前より美しい都市を再建したという。

しかしながら、約二百年後の大地震によって、再度壊滅してしまった。

二度目の災害の後は、本土のギリシャ人による侵略も相次ぎ、ついに回復する

ことはなかった。その意味では、航海手段が高度に発達しすぎることは、

島々の王国にとっては、逆に凶なのかもしれない。


八重山の蓬莱王国に戻る。この地域は、ユーラシア大陸の地塊と

フィリピン海底の地塊とが、せめぎ合う場所でもあった。このため、

かなりの頻度で巨大地震に見舞われる。徐福一行が去った後も、

間もなくそれが起こった。島々にとって、「ゆれ」よりも恐ろしいのは津波である。

地震が引き金となり、海底地滑りが起こり、巨大津波が発生した。この津波は、

ありとあらゆる物を海底へと引きずり込んでしまう。この温和な小文明は、

一瞬のうちに消滅してしまった。その痕跡は八重山海底遺跡として知られるが、

これが発見されるのは、ごく近年になってからである。付着したサンゴからも、

その悲劇が約二千年前に起きたことが判るという。

この島々の王国では、糸引納豆の伝統が途絶えた。


近世になって、明和八年(1771年)三月にも、八重山地震津波が

記録されている。揺れによる被害はほぼ皆無だったのに、海底地滑りにより、

高さ八十メートルにも達する、巨大津波が発生したと考えられている。この時は、

石垣島が津波の正面にあたったため、同島の人口の半分が失われた。

八重山群島だけで九千人、宮古島をあわせると、一万二千の尊い人命が

失われたという。その後、衰弱した共同体を、飢饉や疫病が相次いで襲う。

このため、八重山の人口はその後も減少を続け、百年後の幕末には、

津波被災以前の実に三分の一近くにまで減少してしまったという。