<テバコラ 第49話>


☆跋渉(ばっしょう)千里☆
                     
(2000/07/16)



心ならずも歳月は流れた。徐福たちが上陸した時代の筑紫平野は、

決して無人の広野ではなかった。すでに弥生文化の中核技術である

稲作が行き渡り、したがって、未熟な姿ながら、大小さまざまの権力集団が、

それぞれ独自の武力を備えつつ割拠していた。これらの集団のうちの

あるものとは、交渉を通じて同盟を結ぶことができた。しかし、別のある

集団とは戦闘を交え、これを切り従えなければならなかった。また、

背後・南方からは、クマソと呼ばれる強悍な大部族が、虎視眈々の勢いで、

侵略の機会を伺っている。もっとも、筑紫平野に徐福たちがもたらした変動が、

彼らを刺激し、団結させたという面もある。不老不死の霊薬への道は、

いつしか、筑紫平野統一国家造りの道になっていた。


平野を過ぎて山地にかかると、次には、山岳の民を慰撫し、平定しなければ

ならない。ヒタからツエにかけての道も、決して平坦なものではなかった。しかし、

ついに阿蘇に至る。外輪山の頂きに立つ彼らの眼下には、一面緑の広大な

草原や森が広がり、眼前には、おびただしい噴煙をあげる中岳が聳えていた。

一行の中に、すでに徐福の姿はない。その後継者たちの世代になっていた。

彼らは中岳の頂きに進み、天壇を築き、これに北面する。天地を祀る

封禅の儀式を執り行うのだ。そこに供えられた山川海の天恵物の中には、

あの八重山の糸引納豆も、ひっそりと置かれていた。以後、肥後の国に

糸引納豆が根付いた。そして、千七百余年の後、加藤清正によって

再発見される日を待つ。


漢書に記された徐福伝説は成就した。山野を跋渉すること千里、徐福と

その後継者は、平原広沢たる筑紫平野を一円支配するクニを造り上げた。

そして、そこに王として君臨したのである。将来、この統一国家は、支配層こそ

徐福一族から天孫族へと交替することになるが、魏志倭人伝に記載される

奴国の骨格となる。そこで、この豆を崇める奴国の前身を「奴豆(なっとう)国」と

仮称しておこう

……ついに産声をあげた新生・奴豆国、しかし、天壇にぬかずく建国者たちは

知らなかった。彼らの背後、遠く中国大陸では、始皇帝はすでに没し、

秦末・漢初の動乱が渦巻いていたのである。中原の巨大な渦から発した

さざ波の一つは、半島を南下し、海を渡りつつ、確実にこの新生国を

目指していたのである。