<テバコラ 第48話>


☆万国津梁の王国☆
                      
(2000/07/15)



第一の航海で徐福がたどりついた島々は、実は八重山蓬莱王国であった。

この王国は、現在は与那国と呼ばれる島を首島とし、西表と石垣を加えた

三神島からなる海洋王国である。海上の道を通じる人・モノの交流や、豊富な

海の幸を経済基盤として繁栄する、芳醇闊達な島嶼型海洋文明のまほろば

であった。徐福たちは歓迎された。島の心は、海の彼方から到来する全てを、

神聖な物、有り難い物として受け容れる。南方原産の稲(ジャワニカ?)も、

黒潮の道を北上する旅の過程で、まずは、ここ八重山王国を中継点として

小休止し、しかるのち、さらに東方の島々へと伝搬している。


ただ、中国大陸の側についていうと、徐福の時代、この地域に関する地理的

認識は、極めて薄弱なものであった。台湾も琉球も十把ひとからげ。中原の

視点からすれば、もうすでに南蛮である越の国、そのさらに向こうの海中にある、

何か蜃気楼のようなもの、といったところであろうか。あれだけの大きさを持つ

台湾島でさえ、大陸人がその存在をはっきり確認するのは、やっと隋朝のころで

あり、漢人らの移住が本格化するのは、実に、明朝のころからである。ましてや、

蓬莱王国の存在や事情が、中国の史書に記されることは、ついになかった。


八重山蓬莱王国の珍奇な文物の中に、徐福は糸引納豆を発見する。

この糸引納豆も、蓬莱王国に残る伝説さえ忘れてしまったほどの太古、ジャワ方面

から黒潮に乗って伝来してきたものである。極めて栄養価の高いこの豆は、徐福

たちには、まさに不老長寿の仙薬であると思われた。航海途上、頻繁に悩まされる

脚気に対し、納豆は驚異の特効薬であった。こうしたものがある以上、不老不死の

霊薬もきっとあるに違いない。そしてそれは、必ず、この王国の東方にあるはずだ

……方士である徐福は、方位論をもとに、自然そのように考えた。

しかし東方には、強力な未開の部族たちが、点々蟠踞しているという。徐福一行の

現在の勢力では、到底突破できるものではない……

そこで、徐福は一旦中国に帰還し、態勢を整え直すことにした。


徐福は、万国津梁の国から持参した数々の珍産奇品を手に、始皇帝の面前に

進み出る。徐福の説得は真剣・真摯そのものだった。サメ族(大鮫)やアマ族

(海神)の妨害も、本当のことだったのだから。何といっても、始皇帝のように

猜疑心の強い人間を、再度、舌先三寸だけで丸め込めるはずはない。始皇帝は、

切れ長の大きな目でじっと見つめながら、徐福の熱心な報告に耳を傾けた。最後に

糸引納豆の現物を手に取ると、その豺(やまいぬ)のような声で一言「可(よろしい)」

と言った。武備を整え、第二の航海に出ることが許可されたのである。

今回は一路東方へ、龍孤列島(日本)へと針路を取ることになる。


徐福の船団は、一大海を渡り、ある大きな内海に達した。そこには、山々に周囲を

画されながらも、広闊な平野が開けていた。彼らは、現在では佐賀平野と呼ばれる

地に上陸したのだ。期待に違わず、ここで彼らは、原住民の口から、蓬莱山のありか

を聞き出すことができた。眼前に広がる筑紫平野を、その奥の地まで踏破するならば、

その山に至るであろうという。そこは全面草に覆われており、山容の秀麗さは何物に

比すべくもなく、常時轟々と巻きあがる噴煙は、人々の限りない畏敬の対象だという。

始皇帝が天壇を築き、封禅の儀を行った、あの泰山さえしのぐ偉容であるという

……それは、阿蘇と呼ばれるカルデラ式火山であった。徐福とその一行は、

聖山に向け、歩を進める。