<テバコラ 第44話>


☆納豆太郎登場☆
                      
(2000/07/04)



納豆休題。建武の新政は、二年半ほどで破綻する。きっかけになったのは

北条家の残党による鎌倉の騒擾だが、尊氏はこれを征伐するとして東下、

露骨に反新政々府の態度を示すようになる。都に取り残された形の義貞は、

皮肉なことに、後醍醐朝廷の官軍に任ぜられ、賊軍たる足利尊氏の討伐を

命ぜられる。いったんは東国から都にまで押し戻されるのだが、北畠顕家が

率いる奥州軍(!)の来援に救われ、官軍側が圧勝、尊氏は西国へと落ち延びる。


落ち延びながらも尊氏は、大変な奇手を打つ。彼も光厳法皇に目を付けたのだ。

赤松円心の必死の働きで、「光厳上皇の綸旨(院宣)」なるものを手に入れた。

これで尊氏も官軍になる。少なくとも義貞とは対等になった。さらに赤松円心は、

播州白旗城に立てこもり、尊氏の追撃に躍起になる義貞軍を二ヶ月近くも

食い止めた。これでゲームの流れは変わった。その間に九州で勢力を盛り返し、

反転攻勢してきた尊氏に、新田義貞・楠木正成連合軍は湊川の戦いで敗れる。

ついに義貞は、北陸を指して都落ちすることになる。


一方、尊氏は、還俗した光厳上皇を奉じて都入りする。光厳上皇は、当然、自分が

天皇に復位するものと考えていた。しかしながら、尊氏が後醍醐帝に迫って

譲位させた相手は、人もあろうに、弟・光明天皇の方だった。たしかに傀儡(かいらい)

としては、いまだ十五歳の若い光明天皇の方が扱いやすい。裏切られたと感じた

光厳上皇は、激怒してみたものの、結局、政治力では、尊氏が何枚も上手だった

ということだ。義貞との密約を踏みにじった自分を、光厳は深く悔いた。


義貞には、義顕、義興、義宗という三人の嫡子がいた。義貞、義顕父子は、間もなく

北陸で戦死する。義興、義宗は、その後の南北朝の長い戦乱の中に消えて行く。

安倍貞任の血統は、これで絶えたかに見えた。しかし、義貞は北陸落ちに際し、

匂当内侍の手許に乳飲み子を残していた。匂当内侍にとっては、広い世間に、

頼れるのは光厳上皇のみである。母子はひそかに上皇のところに身を寄せる。


失意のうちにあった上皇も、この母子を庇うこととした。なんといっても新田太郎義貞の

血を引いている、将来どのような利用法が開けるかもしれない。とはいえ、上皇の

周辺には他人の目が光っている。そこで腹心の貴族に、この二人を預けることとした。

当時南朝方のシンパであった大貴族、二条良基(よしもと)である。後醍醐天皇は、

この直前、尊氏支配の京都から吉野に逃れ、南朝を開いている。世はすでに南北朝の

時代になっていた。


幼ない子供はつつがなく成長し、元服し、二条家の家人「納豆太郎糸家」を名乗る。