<テバコラ 第39話>


☆納豆の発祥☆
                      
(2000/06/18)



貼ってはがせる便利な付箋紙やメモ用紙は、現在では日常不可欠なものであるが

ここに使われている不思議な粘着剤は、強力接着剤を開発しようとしていて偶然できた

いわば失敗作であった、ということは有名な話である。古くは、豚の丸焼という調理法も

失火で豚小屋を燃やしてしまったために発見されたとか、こうしたことはよくあるようで

一般には、「怪我の功名効果」とか「瓢箪から駒現象」とか呼ばれている。


大豆から酒を造ろうとした(多分)男がいた。彼は大豆を蒸してこれに酵母を混ぜた。

ところが悲しや、大豆には十分なデンプンが含まれていなかったため、大豆のミイラ

みたいな妙なものができてしまった。しかし、これはこれでいけた。大徳寺納豆などの

塩辛納豆が誕生したのだ。これが最初の失敗による発明である。


ところが更に不器用でズボラな男がいた。蒸した大豆をあまり冷まさないで塩辛納豆を

作ろうとした。その上、これを俵に詰めて放置しておいた。もう良いかな、と開けてみると

豆がネットリしているうえ糸まで引いている。俵の藁から納豆菌が侵入繁殖してしまい

酵母菌が全滅していたのだ。普通なら気持ち悪いと捨ててしまうところだが、そこが

ズボラな男のこと、何と食べてみたのである。そして第二の大失敗による大発明

糸引納豆の登場となる。


誰がこれをということになると、世上、四人ほど有力な容疑者(候補者)がいる。古い順に

聖徳太子、八幡太郎義家、納豆太郎糸重、そして加藤清正である。それぞれ六世紀末

十一世紀半ば、十五世紀半ば、そして十六世紀末の人物である。このうち聖徳太子は

どうも塩辛納豆の元祖というのが定説である。世界的に見るなら、聖徳太子級の方は

ザラにおられるらしく、東南アジア・東アジアの納豆は、おおむね塩辛納豆である。


一方、糸引納豆については、後三年の役の折、八幡太郎・源義家の陣営が、豆を煮て

これを食べようとしていたところ、敵・清原氏に急襲され、大慌てで、ほぼ煮えたものを

俵に入れて馬の背にくくりつけた。数日後開けてみたところ、思いもかけぬ糸を引く

豆ができていた。もったいないと食べてみたら……と、大部分の文献で説明されている。

となると、この探訪はここでおしまい、納豆太郎糸重も加藤清正も無関係・無罪放免と

なってしまう。


しかし、必ずしもそうはいかないのが歴史の醍醐味である。