<テバコラ 第38話>


☆香魚到来☆
                      
(2000/06/07)



新緑の気、山々に漲る昨今です。本邦の大部分の川では、あの野生と気品に満ちた

年魚、鮎が解禁されていますが、都会の片隅に打ち捨てられた身のテバには、せんかたも

ありません。魯山人でも読みながら、昔付き合った鮎たちのあれこれを思い出すのが関の山、

と居直っていた矢先、ふと、10数年前に出会ったあの鮎たちのあで姿が蘇ってきたのです。


それは梅雨も間近な、六月のある日の午後でした。奈良県吉野郡という山峡(やまかい)の

地に、Kという小さな村がありますが、そこの青年団長と、たわいもない世間話をしていました。

そこで何気なく、京都の由良川和知の鮎が、姿形・味わい・香りの全てにわたり、いかに秀麗

であったかということを、口をきわめてホメたのです。とこうするうち、あれよあれよと

いう間に団長が怒り出してしまいました。思えば、豆腐や蒲鉾、西瓜や桃、ついには

ラッキョウ、枝豆の果てに至るまで、その土地では余所のコレを絶対にほめてはいけない、

というタブーが日本各地にあります。私は気付かないうちに、この村で、鮎について、その

禁を犯していたのでした。


青年団長が指定した決着の場所は、眼下を流れる吉野川の河原です。時刻は夕6時、

助っ人は何人でも連れてこい、ということです。崖道を転がるように降りていった河原には、

団長をはじめとし、配下の若い青年団員たちが,既に準備万端整えて待ちかまえています。

大部分が林業関係の方(そまびと)で、当方のサラリーマン風助っ人とは、著しい対照を

なしています。河原に玉石で固定された半割りコルゲート管には、既に赤々と炭火が

おこっています。山奥のこととて早や薄暗く、さながら地獄の一丁目の光景、ここで赤鬼

ならぬ団長が、低い声で「始めろ」と号令します。すると配下は、網や引っ掻けの仕掛け

などを手に手に、次々に川の方へと散ります。待つというほどのこともなく、続々と鮎が

踊り始めます。


まずは鮎の「つくり」です。いちど腹一杯食べてみたいと思っていたものが、ついに実現

しました。もう、蓼酢だのハジカミだのという、厄介なものはいりません。生(き)の醤油を

ちょっとつけて、ひたすら口に放り込みます。淡麗な味とほのかな香り、そして旬に特有の

軽やかな脂の感触。本日の味噌・醤油も、実は、ただものではありません。あの天武天皇が

皇后(後の持統天皇)とともに、しばしば行幸されたという吉野離宮、そのゆかりの宮滝は

梅谷醸造元の本醸造ものです。もっとも、天武さんのころ、このような味噌・醤油があった

のかどうか、は別のことです。


次には「背ごし」です。鮎の筒切り。骨を吐き出す手間はありますが、どうせ野外の河原、

何の遠慮がいるものか。遠慮無用も味のうち。これは、コリコリ感が何ともいえません。

コリコリ、シャムシャム、ペッ、コリコリ、シャムシャム、……、と。こうしている間に、

本命「塩焼き」が出来あがってきました。あのコルゲート炉の炭火で、強火の遠火、

理想の焼きあがりです。やはり香りは塩焼きですね。小ぶりのものを選び、頭から

ボリボリやる。和知の鮎は、もはや彼方へ。メダカくらいになっています。さよなら〜。


ここで、驚いたことに、「天麩羅」と「フライ」が出てきました。この鮎に対してこの仕打ちとは。

これでは今度は、魯山人先生を激怒させてしまいそうです。はらはらしながら塩を振り、

これも頭からいただきます。うーん、もったいないことを。もったいないけど、おいしいことを。

こうした場合の鮎の味は、なぜかキスに近い。でも川魚だから、わかさぎ風と言わなきゃ

いけませんか。しかし、この、はらわたの味は他に類がない。


今宵のお酒は、御芳野の吟醸「花巴」です。K村の泣き所は、米・麦が一粒も穫れない、

というところです。杉ならば売るほどあるのですが。したがって、本日の酒、味噌、醤油は、

礼儀として我々が持参しました。この吉野は六田(むだ)の花巴は、このような折あらばと、

死ぬような思いで秘蔵してきたものです。

口の悪い地元人士も、さすがにケチをつけられないという逸品。

鮎を喰らい、辛口・花巴の香りに酔いつつ、山の暮らしの喜怒哀楽に耳を傾けます。

さながら、大津京から落ちのびてきた、大海人皇子もかくやといった情景です。


そこで、ついに、鮎の「味噌炊き」登場。これはこの地方以外では食べたことがありません。

こんなに美味しいものを、不思議です。材料は、鮎とニラと味噌だけですから、どこでも

作れそうなものです。現に、東京方面に材料を持参し、半分を塩焼きに、残りを味噌炊きに

して献上申し上げたところ、(首)都の方々は口を揃えて、「全部味噌煮(!)にしちゃえば

よかったのに」と仰有ったのでした。


最後に、「つくり」で残った鮎の尾頭付きの中骨をよく焼きます。「鮎雑炊」のダシにする

のです。大鍋に鮎ふんだんの雑炊をたっぷり作り、酒、醤油、味噌少々、と味を整えます。

整えるといっても、あくまでも「そまびと」風に豪快に。この熱いやつをいただきながら、

吉野川の鮎の素晴らしさについて語り合い、青年団長と私は、大いなる和解へと至った

のでした。


この河原も、近い将来、ダムの湖底に沈むことになっています。

しかし、この日、この場所の記憶は、決して沈むことはないでしょう。