<テバコラ 第29話>


☆海底の夢想☆ (2000/04/25)

          − 旅の話、最終回 −


ブラッセル中央駅からユーロスターに乗った。


ドーバートンネル50kmを抜けて、2時間40分でロンドンのウォータールー駅、

駅からホテルまではタクシーで10分とかからない。東京から京都出張の感覚だ。

このルートを選んだのも、新幹線・海底トンネルの先進国日本から、わざわざ

視察に来てあげた、というつもりだ(本当)。


トンネルというものも、何の景色もないもので、結構退屈。ふ〜ん、彼らもやっと

ここまで来たのか、ふんふん。思えば、世界中が鉄道はもう斜陽だと考えていた

1960年代、日本が新幹線システムを考案してあげたから、この西欧起源の

文明の利器も救われたんだ。海底トンネルだって、ドーバーより、はるかに地質が

ややこしい津軽海峡で、日本がやってのけたからこそ、彼らも、ナポレオン以来の

夢に着手する勇気が湧いてきたんだよね。ま、本家日本より新しいらしいから、

元祖の乗り心地は多少良いのかな。


日本人は応用力はあるけど、独創力はないんだ、って誰が言ってたんだっけ。

でも、たった100年ぐらいで、応用面だけとはいえ、欧米に「先生」してあげられる

ようになったんだ。これは、世界の中でも結構いい線行ってるぞ、という風に

前向きに考えないのかな、そのシト。「力」にも「向き」があるんだ、とガノット先生も

言っているよ。


そうそう、日本海海戦だってそうだ。本格的な鋼鉄製の戦艦・巡洋艦を中心に、

艦隊の組み立て方は猿まねかもしれないけど、これに駆逐艦・水雷艇なんかも

あわせて、艦隊決戦戦術を編み出したのは、日本だった。真珠湾もそうだった。

空母機動部隊を活用、アウトレインジ戦法で、その威力を世界初で示したのは

日本ですよ、日本。アドミラル・トーゴー、アドミラル・ヤマモト、そして、

戦後国鉄のプレジデント・ソゴー……錚々たる応用の天才たち。


こんな日本が、あの戦争にはなんで負けたんだろう。マハン(1840−1914)

流に言えば、その第一原理、「世界強国となるためには、制海権が最も重要」は、

守ろうとしていたのさ。だけど、第二原理、「どんな国家も、大陸軍国と大海軍国とを

同時に兼ねることは不可能」が理解できなかったわけだろうね。もっと言えば、

「地政学」という「悪の帝王学」を考案・応用する能力はなかった、ということか。

やっぱり非常時向きの民族ではないんだろうな。


地政学というものも、鉄道の発達で世界が狭くなったから出てきたものらしい。

マッキンダー(1861−1947)が、いくら「ハートランド」を強調しても、

船とラクダだけじゃどうしようもない、せいぜいアラビアのロレンスどまりだ。


鉄道道楽は、前世紀のドイツ帝国のバブルに始まったらしい。プロシャ王国は、

オーストリアとフランスに連戦連勝してしまったため、ドイツ帝国という大看板を

かまえる仕儀となり、そのうえ、膨大な戦勝賠償金を遣う羽目にもなったらしい。


チューリップ騒動のころのオランダ、南海泡沫事件のころの英国、魔の木曜日の

ころのアメリカ、そうして、ついこないだの日本、どの民族も初の大当たりだった。

かって持ったことのない大金をどうして良いかわからず、くだらないものに一点張り

してしまったという。民族の活力の「光と影」か。


ドイツ帝国では、かの鉄血宰相ビスマルクが、血はもういい、これからは鉄だ、

とでも考えたのでしょう、ルールのクルップに一点張りして、大鉄道網を夢見た

ようだ。老宰相の反省と夢想。このビスマルクを、先代からのウルサい番頭だと

常々煙たがっていて、ついには叩き出してしまった二代目皇帝ウィルヘルムは、

鉄を使って兵器道楽に乗り出す。そのあとは、お定まりの大店(おおだな)の

倒産ストーリー。それもご丁寧に、倒産時の丁稚が、お店を再興し(第三帝国!)、

もう一回派手に倒産させるという、エピソードまでついている。結局、大々出血。


二十世紀という時代は……ビスマルクの遺産だったのかな…………


おっ、トンネルを抜けたようだ。


それにしても、このワインの小瓶を、何本でも無料で持ってきてくれるサービス

評価できる。チーズも結構おいしいのを使ってるし。それに、この椅子の座り心地、

これが日本の技術では出せないらしい。帰国したら、ワイン・チーズのサービスと

椅子だけは、直ちに採用するように新幹線当局に言っておくことにしよう。。。。。。