<テバコラ 第28話> ☆ラインの品定め☆ (2000/04/14) ビールに関しては、偶然、面白い旅程になった。 デュッセルドルフからケルンへとまわったのである。 何千銘柄もあるというドイツのビールは、タイプで分けても10を軽く超えるらしい。 このうちの2つの代表的なタイプ、アルトビールはデュッセルドルフを、 ケルシュビールはケルンを、それぞれ中心地にしているという。 最初は晩飯で、アルトビールにご対面。アルトはオールド。その名の通り、 16世紀に定められた製法を、現在も頑固に守り続けているという。色は 赤みがかった褐色。黒ビールよりはずっと明るい色。味は結構コクがあり、 苦みの中にかすかな甘み。ビター・アンド・スイートといったところ。 パブ風のレストラン「小舟亭?(Zum Schiffchen)」は、かの、皇帝ナポレオンが 1811年に、配下の将軍たちと立ち寄った由緒正しい店だ、と案内人。 へえ〜、と感心しながら入っていくと、何と、われわれのためにリザーブ されていたのが、まさにそのナポレオン御用達のベンチとテーブルだった。 居酒屋風なので、壁に作り付けの質素なベンチだった。さすがにナポレオンは、 数々の暗殺未遂事件の教訓からか、コーナーにすっぽり、というあたりに 座ったらしく、そこに記念のブロンズ像とプレートがあった。 1811年といえば、ナポレオン・ボナパルトの絶頂期。あの神聖ローマ帝国にも とうにトドメを刺し、この辺りは、ライン同盟という解放地区になっていた。 しかし一方で、次の年の暮れには、ロシアの冬将軍に決定的な敗北を喫する、 という苛酷な運命も待っていた。この時代に、デュッセルドルフに在住し、 自由の風を満喫した多感なユダヤ人少年、ハインリッヒ・ハイネは、 ナポレオン没落後の時代の反動のすさまじさに耐えかね、ついには 郷里を捨て、パリに逃れたという。 出てきた料理は、定番、アイスバイン(Eisbein)。直径も長さも10数センチ。 骨付き皮付きの豚のすね肉が、ゴロンと出てきた。ギンギンの塩漬けを、 湯がいて塩抜きしたもので、生ハムの親戚筋になるらしいが、まことに、 その巨大さは、一目で「ゲッ」ものであった。これに例のザウアークラウトと、 マッシュトポテトが大山盛りに添えられている。 味は? 正直言って、結構いけました。特に皮の下のあたりは、 アイス(Eis=氷)の名の通り、半透明のゼラチン状で、東坡肉のような トロリとした舌ざわり。豚の脂身は、人間の体温ぐらいでちょうど融けるという。 むしろ、塩だけの味付けなので、純粋に豚の味を楽しめた。 「ベリー公のいとも豪華なる時祷書−11月−」に見る、ドングリを 嬉々として堪能しているあの豚たちの姿が、脳裏に浮かぶ。 豚で食べられないところは、鳴き声だけ。春の仔ブタは冬のハム。 ビールに助けられつつ、何とかアイスバイン平定の戦いを切り抜けて店を出る。 ライン川の沖天には、半月が皓々と。 ジークフリート! ジーク・ハイル! 翌日の昼飯がケルン。ケルシュの語源は、昔の特産品であるケルンの 綾織り綿布らしいが、その肌触りと、ビールの味わいが良く似ていたのでしょうね、 きっと。ケルシュビールは、色は明るく、飲み心地はすっきりしている。 朝からバスに揺られたり、歩き回ったりした後だから、まずかろうはずがない。 とりあえず、ライト・アンド・クリアー、かな。 場所はパブ、名前は失念。ドム(Dom=大聖堂)の横で、観光客が一杯。 今度は巨大ソーセージとパンに、そして、再びポテト。どれが主食だ。 うーむ、訳のわからん民族。それにしても、ケルシュの綾織り、 ケルシュのビール、オーデコロンもと、おみやげ仰山ありまっせ、 大聖堂も観光しておいきやす……お金さんも、目いっぱい遣うてや…… ここは、ひょっとして京都か。 ケルンは、紀元前後に街の歴史がスタートしている。案内人によれば、 例の小アジアの方からやって来たディオニュソスの肖像が、ローマ時代の遺跡の モザイクとして発見されたという。おお、こんなところまで来ていたのか、キミ。 それじゃあ、ビールでもワインでも、じゃんじゃん持って来なさい。 ところが、ここノルトライン・ヴェストファーレン州の州都は、現在では、 新興のデュッセルドルフである。このため、ドルフ(村)のヤツラゆうたら、 歴史も伝統もあらへんくせに、大きな顔しよってからに、とケルン市民は大層な おカンムリらしい。ドルフはさしずめ大阪かな。たった20〜30キロしか 離れていないため、ビールの優劣論争は、いまだに活発・熾烈だという。 ビールの総合評価。それは世界普遍でした。『ビールは「地」で飲め』、でした。 |