<テバコラ 第23話>


☆梅の木に梅の花咲く☆(2000/02/27)



おっ、そうだった。今年は2月が29日まであるんだった。

それにしても、何となく豊かだな。得をしたような気分だ。

普通の年なら、カレンダーのここんところは、真っ白だからね。

さぞかし、印刷屋のおやじも、物いりだったことだろうな。

紙代は一緒だとしても、インク代や手間賃が大変だったことだろう。

1日増えたぐらいの理由じゃ、値上げもできないだろうし。

まっ、経費節減だ。16も年下のバイトの○○ちゃんのところへ、

鼻の下を長くして通うのも、今週ぐらいは我慢してもらおうじゃないの。

ふんふん、これが、他人の不幸は密の味っていうやつか。


そうそう、今年は100で割り切れるから、本来はうるう年じゃないんだけど、

400でも割り切れるんだから、たまにはいいじゃなですか、お代官さま、

っていうような復活折衝型のうるう年でもあった。4年に一回どころじゃない、

400年に一回の珍しいうるう年なんだ。盲亀の浮木、うどんげの花。

何事の不思議なけれど、不思議な年、ということだ。

そういえば、2月29日誕生日のヒト、という定番の話もあった。

100年前なら、いや200年前だって、4年に一度しかない貴重な誕生日を、

更に踏み倒されているところだったのに。う〜ん、どこまでも運のいいやつ。

世の中の進歩に救われたというところか。

ま、せいぜい楽しみなさい、うんうん。


[回想モード]


その少年には、少々どころか、かなりボーッとしたところがあったようだ。

ずっと自分の誕生日は4年に一度しかないと信じていたのである。

2月生まれではない、9月生まれなのに。そう信じていた原因は、

彼の母親にある。この母親は、少年が物心ついたころからずっと、

「お前はお彼岸の中日の9月○○日に生まれたんだからね↑」

とマインドコントロールし続けていたのである。この条件を満たす日は、

4年に一度しか巡ってこなかった。お彼岸の云々ということで、

何となくお釈迦様に近いのでは、というエリート意識もあったようである。

全く関係なかったけれど。


そして中学生になった時、ついに運命の日は訪れた。

2月29日生まれが話題になった雑談のおり、初めて「お彼岸の中日」と

誕生日というものが無関係であることを知ったのだ。

それも、仲間のワルガキどもに笑われながら。

そのことによって、深いトラウマ(心的外傷)を負った彼は、

自分の誕生日のことを努めて考えない、屈折した青年、そして同・中年へと

なっていったのである。今だに、家族から、「お誕生日おめでとう」

と明るく声を掛けられても、素直に「ありがとう」と返すことができないでいる。



こういう不幸な生い立ちも珍しいと思う。少なくとも、あまり聞かない。

お友達としてはイエス・キリストぐらいかな。雪の降る12月25日に、

馬小屋の中で生まれてしまったために、母親マリアから

「お前はホワイトクリスマスに生まれたんだからね↑」とやられていたんだろう。

4年に一度より、もっとひどいかな。ベツレヘムのあの辺じゃ、それ以来、

雪なんか積もったことがないだろうから。

少年イエスがクリスマスの空を見上げながら、

また今年も誕生日はこなかった、と嘆息している姿が目に浮かぶ。