[ 試論・好気性帝国/嫌気性帝国
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>既にご存知でしょうが、塩野七生サンの「イタリアからの手紙」だったとおもうのですが、「歴史上、世界のリーダーとなった国でこれほど国民が馬鹿な例はない」と言うような意味のくだりがあったと思います。(U先生より)
このお題について少々考えてみました。
いやしくも帝国と呼ばれたほどの国は、常にどこかに軍事的トラブルを抱えています。これは歴史的事実というよりは、帝国の定義そのものなのではないでしょうか。すると、軍隊の仕事が災害出動や復興支援程度で済んでいるような国には、「帝国」を称する資格はないのです。残念に思うヒトもいるかもしれませんが、そんな国が拒否権付き常任理事国になったところで、単なるゼニ(国連分担金とも)の無駄というものです。たかられて捨てられるのがオチです。閑話休題。
徴兵制、志願制、皆兵制、徴募の方式は問いませんが、帝国には常備軍が必要です。常備軍の出動範囲は帝国の内外を問いません。帝都から辺境まで、あらゆるところが帝国の戦場になりえます。これは秩序維持(治安出動)だ、これは祖国防衛だ、これは聖戦(対テロ)だ、いいやレーベンスラウムだなどと、一応のレッテルは貼りますが、最高司令官(皇帝陛下)の指示は明確です。「行って、見て、勝ってこい!」です。そういえば、あの不幸な東亜の戦争の時も、帝國大本営の指示はこの程度だったようですね。
重要なのはリンカーンがやった戦争です。「南北戦争」ってどういう意味なのか、かねてより疑問でした。中南米なんかでもしょっちゅうシビル・ウォーやってますが、こんなものは十把一絡げで「内乱」と呼ばれてますよね。同じものを別の名称にしたのはなぜでしょう。幕末日本人の慧眼かもしれません。リンカーンの戦争は、あの国の未来を帝国の方向にまとめあげる最後のステップだったようです。
常備軍の最大の消耗品は「兵士」です。決して空母ではないのです。この兵士は臣民とか市民とか呼ばれる巨大な人間培養器から汲み上げられます。このプールの状態が生化学的に大別できるのではないか、というのがこの試論の主旨です。たとえば古代ローマ帝国や現代アメリカ帝国は好気性帝国でしょうし、ヴィクトリア時代に代表される大英帝国や、かの大日本帝國は嫌気性帝国です。価値観の問題ではありません。念のため。
好気性帝国の市民は大変に有酸素的で活発です。そのかわり、フリーラジカルも発生しやすい。いわゆる活性酸素問題ですね。新鮮なバターがたちまち黄変してしまうこともあります。外から見ていると、馬鹿がいっぱいいるようにも見えます。一方で、嫌気性帝国は大変粛然とした帝国です。これは、僅かな自由エネルギーで機構を維持するための必然的適応です。黙々とした臣民は、一見お利口そうでもあります。
フリーラジカルは生体の老化問題と深く関わっています。ただ、生体と国家には根本的な違いがあります。生体は、多少の冗長性(リダンダンシー)はあるにせよ、全体として分業構造です。脳が壊れても、心臓がサボっても、肝臓が機能停止しても、生体の寿命はそこで尽きるわけです。国家の細胞(マル共的意味ではありません)は極めて離散的です。一部のヒトが信ずるほど○体の護持は重要ではありません。
(いつの日にか続く)
2004/12/29(Wed)
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