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☆★☆- ホンの幕間 -☆★☆

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[ 試論・好気性帝国/嫌気性帝国 ]
>既にご存知でしょうが、塩野七生サンの「イタリアからの手紙」だったとおもうのですが、「歴史上、世界のリーダーとなった国でこれほど国民が馬鹿な例はない」と言うような意味のくだりがあったと思います。(U先生より)

このお題について少々考えてみました。

いやしくも帝国と呼ばれたほどの国は、常にどこかに軍事的トラブルを抱えています。これは歴史的事実というよりは、帝国の定義そのものなのではないでしょうか。すると、軍隊の仕事が災害出動や復興支援程度で済んでいるような国には、「帝国」を称する資格はないのです。残念に思うヒトもいるかもしれませんが、そんな国が拒否権付き常任理事国になったところで、単なるゼニ(国連分担金とも)の無駄というものです。たかられて捨てられるのがオチです。閑話休題。

徴兵制、志願制、皆兵制、徴募の方式は問いませんが、帝国には常備軍が必要です。常備軍の出動範囲は帝国の内外を問いません。帝都から辺境まで、あらゆるところが帝国の戦場になりえます。これは秩序維持(治安出動)だ、これは祖国防衛だ、これは聖戦(対テロ)だ、いいやレーベンスラウムだなどと、一応のレッテルは貼りますが、最高司令官(皇帝陛下)の指示は明確です。「行って、見て、勝ってこい!」です。そういえば、あの不幸な東亜の戦争の時も、帝國大本営の指示はこの程度だったようですね。

重要なのはリンカーンがやった戦争です。「南北戦争」ってどういう意味なのか、かねてより疑問でした。中南米なんかでもしょっちゅうシビル・ウォーやってますが、こんなものは十把一絡げで「内乱」と呼ばれてますよね。同じものを別の名称にしたのはなぜでしょう。幕末日本人の慧眼かもしれません。リンカーンの戦争は、あの国の未来を帝国の方向にまとめあげる最後のステップだったようです。

常備軍の最大の消耗品は「兵士」です。決して空母ではないのです。この兵士は臣民とか市民とか呼ばれる巨大な人間培養器から汲み上げられます。このプールの状態が生化学的に大別できるのではないか、というのがこの試論の主旨です。たとえば古代ローマ帝国や現代アメリカ帝国は好気性帝国でしょうし、ヴィクトリア時代に代表される大英帝国や、かの大日本帝國は嫌気性帝国です。価値観の問題ではありません。念のため。

好気性帝国の市民は大変に有酸素的で活発です。そのかわり、フリーラジカルも発生しやすい。いわゆる活性酸素問題ですね。新鮮なバターがたちまち黄変してしまうこともあります。外から見ていると、馬鹿がいっぱいいるようにも見えます。一方で、嫌気性帝国は大変粛然とした帝国です。これは、僅かな自由エネルギーで機構を維持するための必然的適応です。黙々とした臣民は、一見お利口そうでもあります。

フリーラジカルは生体の老化問題と深く関わっています。ただ、生体と国家には根本的な違いがあります。生体は、多少の冗長性(リダンダンシー)はあるにせよ、全体として分業構造です。脳が壊れても、心臓がサボっても、肝臓が機能停止しても、生体の寿命はそこで尽きるわけです。国家の細胞(マル共的意味ではありません)は極めて離散的です。一部のヒトが信ずるほど○体の護持は重要ではありません。

(いつの日にか続く)
2004/12/29(Wed) 雪


[ 一字入魂 ]
宮本常一先生によれば、「塩」というものは我々にとって大変大事なものでありながら、それに対する認識が大変薄いということです。これについて、塩そのものはエネルギーにはならないからだ、との、恩師・渋沢敬三先生の説を紹介しています。そのため、塩には「霊」がないとみなされ、塩そのものを神に祭るということがない、のだそうです。他方、大抵の穀物は「穀霊」として祭られているようです。

確かにそうした傾向はありそうです。私たちは、炭水化物やタンパクや脂質の摂取については高い関心を持ちます。しかし、最も大切なATP回路のお守りをしているミトコンドリアについては、心配している人を見たことがありません。国営放送についても、「冬ソナ」のことでは大騒ぎするのですが、経営委員会については無関心です。これらをまとめて言うなら、「触媒の悲劇現象」ですね。「媒酌人の悲劇」とも。

この話、先生が次々と出てきます。白川静先生によれば、漢字というものは本来「霊」を持つものです。例えば「問」という文字は、誰かの家の門の前で「口やかましく」糾問することではありません。「口」とは祝詞を奉戴する器なのでした。これこそが金石文字の世界であり、霊を持った文字たちが、生き生きと飛び交っていた時代のことなのです。文字が霊を失ってから幾星霜です。何があったのでしょうか。

テバの仮説では、これは科挙制度の罪です。文字を秀才選抜の「道具」に使いました。これを中華帝国の威力が及ぶ限りの地域で行ったのです。こうなると、文字にいちいち「霊」を感じていたのでは、四書五経の丸暗記に差し支えます。科挙が本格化するのは唐代です。唐朝の皇帝たる李氏は西域の少数民族ではないかという説があります。漢字を単なる「便利な道具」と考えていたとしても不思議ではありません。

もちろん、周辺の漢字亜流国家でも同様でした。遣唐使を派遣した日本国も、白川先生なき時代とて、文字の霊を理解する「よるべ」さえなかったわけです。これに近代化が拍車をかけます。本国は「簡体」にしてしまうし、日本は当用漢字にしてしまいました。漢字は今や「塩」や「ミトコンドリア」や「経営委員会」のような存在なのです。淋しいけれど、これが文明の進歩とか生命の進化とかいうものなのでしょう。

ところで、ここで「心配」があります。日本漢字能力検定協会とかいう、科挙の予備校みたいな協会が主催しているようですが、師走になると京都の某名刹の貫主に世相漢字を大書させています。これにはどういう意味があるのでしょうか。まったく解りません。流行語大賞を見て思いついたとしか考えられません。それにしても小坊主ならまだしも、あのような徳を積まれた高僧に書かせて大丈夫なのでしょうか。

「災」なんていう文字に霊が戻ってきたら、どうするのでしょう・・・(書としての良し悪しは全然わかりませんが)。
2004/12/25(Sat) 晴れ


[ ボクの断層 ]
U様

asahi.comです。

> 来年3月から半年間、愛知県で開催される愛知万博(愛・地球博)の会場を、新たな「推定活断層」が東西に横切っていることが国土地理院などの調査でわかった・・・しかし、情報は協会側に伝わらず、協会は今年10月下旬まで知らなかった。会期中に地震が起きる確率は低いが、万博協会は「必要なら直上の施設の閉鎖も視野に安全対応策を検討したい」としている。

> この断層の存在は、国土地理院が10月22日に公表した全国の都市圏活断層図8面のひとつ、「瀬戸」で明らかになった。万博会場の北東部に存在が確認されていた活断層「猿投(さなげ)山北断層」の延長線上で、最大数十メートルの誤差があるとされるが、長久手会場の催事場「モリゾー・キッコロメッセ」の下、名古屋市内と会場を結ぶリニアモーターカー(リニモ)の万博会場駅北側、瀬戸
会場の警備消防センター、海上(かいしょ)広場、瀬戸日本館の真下を通る。

猿投山断層みたいな高名なモノを「知らなかった」という協会は、今まで何を調査してきたのでしょうか。

この話には断層以外にも、馬鹿の壁が山のように観察されます。主なモノだけでも、

@博覧会まで半年を切ったころになって、大慌てで発表した馬鹿(○○調査委員会とも)・・・中越地震の経験を活かして、委員会だけは責任逃れをはかったのでしょうか。この程度の危険度のモノを、「今」発表する意味がわからない。

A「直上の施設の閉鎖」を検討する馬鹿・・・この一連の断層帯の直上にあるのは博覧会の施設だけではありません。それこそ新幹線、高速道路、数々の公的建築物、膨大な数の既存不適格民間建築物群・・・きりがありません。

B万博協会が問題だという、超矮小化報道姿勢の馬鹿・・・それを言うなら、東海地震の危険区域には「お祭り禁止令」を出すべきです。いやいや、東海だけじゃないですね。結局、ほぼ日本中に。

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T様

「活断層」という言葉がよくないのでしょう。「活火山」は毎日噴煙を上げているのですが、活断層は毎日動いていると言うわけではありません。だから「休断層」「死断層」も在って然るべきなのですが、そういう言葉は構造地質学の授業では習いませんでした。

そもそも固体反応である地質現象は気体反応である気象と同等には論じられるべくも無いのに、一億総科学者になってしまって、大混乱です。時定数が7桁も10桁も違うのだという概念が無いのです。

地震国に住む我々は、神様に身をゆだねて暮らすのが正しい暮らし方でしょう。地震に備えると称して無駄遣いしている税金を中越地方に投入すれば、被災者の方々の住宅も田んぼもじきに回復できるはずです。

「愛知窮迫」のニュースは私も読みました。馬鹿が漏らしたのでしょう。そうなると、ベストを尽くしたという「やった振り行政」が始まるという、そんな程度のことでしょう。矮小化報道は、やった振り行政の王道でしょう。

地震予知騒ぎは、何度も主張している通り、Nからはじまりました。国防隣組の制度化と竹やり国防訓練は着々と実を結んでいます。その一方で、明らかに効果をもたらす建築基準の強化は、N以来の不動産流動化政策を阻害しますから決して実行されませんでした。だから、地震が来たら建物は流動化するしかないのです。

なお、地質学のありようを揶揄する言葉に「ボクの断層」という言葉があります。地質学と称するものの論文の多くは、地質調査をして、「ぼくの断層」を発見したことを誇るだけだと言うものです。だから、「愛知窮迫」会場でも誰かが「ぼくの断層」を発見したのですね。それを花見酒雑誌に掲載するだけにすればよかったのに、マスコミに取り上げられやすい場所だからと色気を出した馬鹿が居たのですね。

お陰で愛知県民の税負担が増えます。
2004/12/19(Sun) 晴れ


[ ヤンさんのこと ]
ヤン(揚)さんは、今やっている翻訳物の一つの章の執筆者・翻訳者です。

そこ以外は欧米系の人が書いてますから、誤訳は厳禁としても、解釈論の範囲なら結構自由度があります。原著者がクレイムを付けてきても、こちらは語学力が低いわけですから、その内容を理解する可能性も必要性もないわけです。もちろんクレイムが理解できるくらいなら、クレイムの付くような仕事はしないわけで・・・これは例のパラドクスにすぎません。

数十の章を並べて監訳するということは、用語や語調の統一作業に他なりません。全然高級な仕事ではないのです。南極や砂漠には隕石ハンターという商売があるようですが、多分、同業だと思います。自分で決めたルーチンに従って、粛々と索々と作業するだけです。個々の章の翻訳担当者には(余程のことがないと)照会しません。議論が起こった途端に、バベルの塔の実態が露呈し、崩壊するだけですからね。

で、ヤンさんのこと。ヤンさんは、この章を3人の日本人と共同執筆しています。今回の翻訳も、当然お四方にお願いしたわけです。選ばれて、ヤンさんがやってくださいました。ヤンさんの章の最終校正が終わったところで、不安になりました。ヤンさんは日本語でも立派な論文を多数出しておられます。当然ながら、クレイムを付けてくるとすると、テバなんぞより理路整然たる日本語で来るはずです。コレハカナハン、です。

そこで、例外的に(節を屈して)、ヤンさんの章だけ最終校了のゲラを見て頂くことにしました。

案の定、早速、電話を頂きました。ヤンさんが譲れないと言われたのは、2つの単語だけでした。理由は明快です。この章で紹介している技術は、日本で独自に開発され進化してきたものだ。仕方なく英語で執筆はしたけれど、日本語に戻すなら元来の日本語に戻すべきだ、というものです。ひとつの例が解りよいのですが、

 生活排水 → domestic wastewater → 家庭排水

ではいけない。生活排水に戻してくれ、というようなことです。他の章はアチラの世界の技術の話だろうから、家庭排水でよい、とも言われました。言われてみれば、「家を洗う」なんていう表現にとまどいも感じていました。しかし何よりも、テバはこのヤンさんに、日本人以上の日本人らしさを感じたのです。ヤンさんの章だけ「生活排水」にすることにしました。

電話が終わった後、ふと清々しい気分になりました。この仕事でもこんな体験ができるんだな、とも思いました。
2004/12/14(Tue) 晴れ

My Diary Version 1.21
[ 管理者:テバ 著作:じゃわ 画像:牛飼い ]