[ 南海の鵜飼い ] |
久しぶりに嘉利由の邦に行ってきました。羽田を発った朝は大変に寒かったので、那覇空港に降り立った時は、ホッとしました。暖にして湿の空気が快適です。まだ二ヶ月も経っていないので、身体は直ちに順応したようです。反対に、一緒に行ったナイチャー三人は、暑い暑いとこぼしています。ま、可哀想だが仕方がありません。
実は、この便で偶然、帰沖途上の師匠(釣りのほう)にお会いすることができたのです。毎日のように師匠の身の上を案じていたのですが、至誠が天に通じたのでしょう。44点ものストレス・スコアを払っていたのは、決して無駄ではありませんでした。話題は当然、腱鞘炎と電動リールのことです。詳しく伺うことができました。
電動リールまで持ち出して挑んでいたのは、350m級の深海でありました。我が師ながら、急成長、ご立派!
前回も3kgクラスのキンメを二本あげたそうです。もっとも、船長の釣果が三匹であったので、ちょっとだけ遠慮して、それ以上は釣らなかった、というのが真相のようです。さすがは我が師匠、謙虚さは弟子譲りです。
問題は、この電動リールです。今のところ、例のKさんからの借り物だということです。そのため、Kさんは、毎日、師匠の職場にチェックの電話を入れてくるそうです。海に出ていると判ると、夕方には尋ねてきて、しっかりと刺身等を食し、さらに、おみやげまで持っていくそうです。ま、所有者のKさんにしてみれば当然のことです。
この話を聞いて、鵜飼いの情景を連想してしまいました。もちろん、Kさんが鵜匠、師匠が鵜です。Kさんは船ならぬオカの上から、綱ならぬ電話をあやつっています。師匠は、長良川ならぬ東シナ海で、せっせと魚をくわえて来るのです。とすると、Kさんが師匠の釣った大物の魚拓に、自分の名前を書き入れたのは当然のことでした。
そもそも、鵜には、名前なんかないでしょうからね。
2001/10/27(Sat)
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