☆- ホンの幕間 -☆

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[ 数列のお勉強 ]
 8  9 10 12 15 18 20 25 28
30 33 35 40 41 43 44 (60)

今回の訪沖まで知りませんでした。嘉利由の邦には、こんな数列があったのでした。正解は、市場に現実に出回っている泡盛等の度数です。45度を超えると、酒税率が大きく跳ね上がるため、一応その辺りに度数の壁があるようです。もっとも、強すぎるということもあると思いますが。度数が低い方は「お通り」用など、特殊なもののようです。「等」とは60度のケースで、これは言わずと知れた与那国の花酒です。

人生、勉強が終わるということはありませんね。
2001/10/28(Sun) 曇り


[ 南海の鵜飼い ]
久しぶりに嘉利由の邦に行ってきました。羽田を発った朝は大変に寒かったので、那覇空港に降り立った時は、ホッとしました。暖にして湿の空気が快適です。まだ二ヶ月も経っていないので、身体は直ちに順応したようです。反対に、一緒に行ったナイチャー三人は、暑い暑いとこぼしています。ま、可哀想だが仕方がありません。

実は、この便で偶然、帰沖途上の師匠(釣りのほう)にお会いすることができたのです。毎日のように師匠の身の上を案じていたのですが、至誠が天に通じたのでしょう。44点ものストレス・スコアを払っていたのは、決して無駄ではありませんでした。話題は当然、腱鞘炎と電動リールのことです。詳しく伺うことができました。

電動リールまで持ち出して挑んでいたのは、350m級の深海でありました。我が師ながら、急成長、ご立派! 前回も3kgクラスのキンメを二本あげたそうです。もっとも、船長の釣果が三匹であったので、ちょっとだけ遠慮して、それ以上は釣らなかった、というのが真相のようです。さすがは我が師匠、謙虚さは弟子譲りです。

問題は、この電動リールです。今のところ、例のKさんからの借り物だということです。そのため、Kさんは、毎日、師匠の職場にチェックの電話を入れてくるそうです。海に出ていると判ると、夕方には尋ねてきて、しっかりと刺身等を食し、さらに、おみやげまで持っていくそうです。ま、所有者のKさんにしてみれば当然のことです。

この話を聞いて、鵜飼いの情景を連想してしまいました。もちろん、Kさんが鵜匠、師匠が鵜です。Kさんは船ならぬオカの上から、綱ならぬ電話をあやつっています。師匠は、長良川ならぬ東シナ海で、せっせと魚をくわえて来るのです。とすると、Kさんが師匠の釣った大物の魚拓に、自分の名前を書き入れたのは当然のことでした。

そもそも、鵜には、名前なんかないでしょうからね。
2001/10/27(Sat) 晴れ


[ ヴェンデッタ ]
この時代の人びとにとって、大統領は、なにものであるよりもまず、復讐者、「身内に加えられた暴行の恥辱をそそぐべく、長い間戦い続けた」復讐者であった。歴史家の見るところ、大統領は、これを神聖な仕事としてひきうけている。「罪をも死をも怖れぬほどの怒りをもって、かれは、神のゆるしたもうかぎりまで、死者の復讐へ赴こうとした。全身全霊をあげて、財産と領土すべてを、冒険と運命の配慮のもとにおき、そうしないよりもそうするほうが、より有益であり、神の御心にかなう仕事だと考えて」

ある時のこと、殺害された身内の葬儀にさいして説教した、ある宗教者は、復讐するなとのキリスト教徒の義務をあえて説いたというので、さんざん悪口をいわれた。歴史家の説くには、名誉と、そしてまた復讐の義務が、国のすべての人びとの希望する政治のモティーフであった。かれは述べている、国じゅうのあらゆる階層の人が、かれとともに復讐の叫びをあげた、と。

 ……

復讐欲は、さまざまなよそおいをこらして、心のなかに第一席を占めていたにちがいない。この、憎しみと復讐という単純な、プリミティヴなモティーフこそ、国民が大統領の政治についていちばんよく理解できることがらではなかったろうか? 大統領を支持する国民の気持ちは、子供心の衝動に似ていた。それは、誠実と仲間意識のじかに心に伝わる感情であり、原告に弁護士を、やくざの親分に子分を結びつける強烈な意識、訴訟、出入りとなると、いつもは忘れている情熱のすべてに火をつけ燃え上がらせる、古く強烈な意識の存在を示すものであった。

 ・・・ホイジンガV世「近世の秋」・第一章「はげしい生活の基調」より

注:ヴェンデッタ(vendetta):イタリア語。コルシカ島をはじめ、サルジニア、シチリア、バルカン半島にみられた俗習。殺害、傷害の復讐が、加害者の一族全体に及ぶこと。
2001/10/23(Tue) 晴れ


[ そしてまた一つ…… ]
入浴というものを、いちいち浴槽に入らずに、シャワーで済ますことが多くなったのも、嘉利由の国で身に付いた習慣のひとつである。誤解がないようにお願いしたいが、あちらでは皆さんがそうだというのではなく、あくまでも個人的なことである。一日何回も、汗をかくたびにシャワーを浴びていたら、自然と浴槽文化から縁遠くなっていたのである。これはこれなりに、保健衛生上のひとつの解として、認めて頂いてもよいのではないだろうか。年令的なものもあるから、熱い湯に長く漬かることにも問題があるだろう。だからといって、低温半身浴三十分コースなんてのを、連日・延々とやっているのもかったるい。それなら必要が生じるたびにシャワーを浴びればよいではないか、という程度の理論ではあるが。・・・良い子は決して真似をしない方がよいとは思うけれど。

このたび、職場仲間で温泉に行った。温泉といえば、大抵、大浴場が付いている。温泉ライフという豪華華麗な絵巻の中では、単なる「おまけ」みたいなものだが、何となく必須のアイテムではある。しかもこういう所では、大概、湯の温度が高くしてあるのである。どっかの官庁が規制しているのかも知れない。「イヤシクモ温泉ヲ称サントスルモノハ 浴槽ノ中央部ニ於ケル湯温ヲ 摂氏○○度以上ニ保タラザルベカラズ コレニ違背シタル場合 ○○円以下ノ科料モシクハ ……」(明治○年太政官布告○○号)なんてね。普通、宿屋に着いたらまず風呂だ。人にもよるけれど、寝る前にも入ることが多い。そして、朝、早起きをして、朝飯前にもう一回。ということで、標準は三回程度かな。もっとも、深遠なる温泉学の入湯理論編(未公開)によれば、四回入るのが最適であるという結論が得られているのだけれど。

ま、何はともあれ、我が郷里に近き鬼○川温泉に到着し、一室に落ち着く。相部屋は若い人ばかりなので、テバに「お風呂をどうぞ」、とこの辺は礼儀正しい。敬老精神横溢である。ボクはシャワーです、フロ(この場合「浴槽」の意)には入りません、なんて表明をしたら、物議をかもす畏れがある。将来ある青少年に悪影響を与える心配さえある。仕方なく、浴衣に着替え、タオルを持って大浴場へと向かう。そこでこわごわ、浴槽に指を入れてみる。やはり、案の定、湯が噛みついてきた。たちまち反転、洗い場に退散、結局浴槽には一歩も踏み込まず、入浴(?)を済ます。部屋に戻る。所要時間は往復も入れて10分足らずであった。あとは大宴会までの時間待ちである。部屋でゴロゴロしながら、ぼんやりと考える。そしてまた一つ、失ってしまったものがあったことに気づいた……

……、思わずウトウトしていたらしい。若い人に起こされる。「宴会の時間ですよ」。ダイエット・ハードも、すでに二ヶ月半になった。さぁ、これから、壮大な忍耐の時間が始まるのだ。
2001/10/20(Sat) 晴れ


[ 餃子電卓 ]
狂牛テロルの嵐に見舞われているという焼肉業界の事情を調べていたら、偶然、餃子電卓なるものに出くわしました。餃子のサイズを設定し、個数を指定すると、必要なキャベツ、豚挽肉、白菜、ニンニク、にらの量と、餃子の皮の枚数を計算してくれるスグレモノです。キャベツを買いすぎて大量に余らせたり、皮が不足して予定の個数ができなかったという、苦い経験のある方々にはイチオシです。

 http://bori24.e-rengo.co.jp/gz/

なお、正式名称は「餃子レシピ算出システム」という格調高いものでした。システムを検証するために、サイズは並みで、個数は1000個と入力してみました。他の答の適否は判りませんが、皮は「普通判1000枚が必要です」と、ドンピシャの正解が出ました。かなり高精度なシステムのようです。
2001/10/17(Wed) 雨


[ 第五ピラミッドの謎 ]
今、テバの前に五つのピラミッドがある。最初の四つは「伝統的健康ダイエットピラミッド」と名付けられている。四つには、それぞれ、アジア式、地中海式、ラテンアメリカ式、そして、菜食主義者式という冠が付けられている。ピラミッドは、その低い方から、順に、日単位、週単位となって、一番上が月単位である。たとえば地中海式の場合、日単位は、穀類、果物、豆、野菜、オリーブオイル、乳製品である。週単位は、魚、鶏、卵、甘いものとなり、最上部の月単位のところに肉がポツンとある。

これが、アジア式になると、オイルは植物油に変わり、魚貝・乳製品は「選択的に日単位」とされている。ラテンアメリカ式では、月単位のカテゴリーはなくなり、肉は、卵や甘いものと一緒に週単位となっている。代わりに、魚貝や鶏が日単位に、穀物、果物、野菜は「毎食」となっている。その土地々々の産物と人間の間で、長い時間をかけたやりとりがあり、こうした経験則としての知恵が生まれてきたのだろう。そうそう、完全に共通している項目がある。水は一日に六杯、そして、酒は適度に、とある。

第五のピラミッドは異色である。米国農務省の「食物案内ピラミッド」である。最初の四つのピラミッドとは、様変わりな世界が拡がっている。肉も野菜も穀物も、みんな毎日食べるのがよい、とされている。ただ、量が比率的に示されているだけである。このピラミッドが健康につながるのかどうかは、もう一つの文書「アメリカ人のためのダイエットガイドライン」を解読しなければ判らない仕掛けになっている。めんどうなので読んでません。例によって、興味のある方は、下をどーぞ。

  http://www.nal.usda.gov:8001/py/pmap.htm

どうも、この第五ピラミッドは、農家に対する相当な気配りの産物のような気がする。まんべんなく毎日食べるという思想は、第一〜第四の「健康ピラミッド」には見られないものだ。狂牛病の危険だって、ラテンアメリカよりも、かなり高くなりそうだ。狂牛病といえば、一番安全なのは、もちろんベジタリアンのピラミッドである。菜食主義者の唯一の動物性タンパク質は卵のみで、しかも、週単位とされている。狂牛→肉骨粉→飼料→鶏→卵の連鎖も、かなり長いので、直接の肉食より安全性は更に高いのでは。

現代日本人が参考にすると良いのは、アジア式よりは地中海式らしいですがね。(楽ガキに掲載)
2001/10/16(Tue) 曇り


[ 大願成就 ]
昨日、やっと泡盛の三種混合を実現しました。まず、久しぶりにお会いする、南蛮荒焼の窯変入りの甕をじっくりと鑑賞することしばしです。次いで封を切り、栓をを抜きます。忠孝の五年古酒(クースー)の、得もいわれぬ香りが、部屋じゅうに満ちあふれます。そこに二種類の花酒を注ぎ足してあげるのです。これを添付の竹びしゃくで丹念に、あくまでも優しく混ぜ合わせます。再び栓をしっかりとします。ビニールの袋で瓶の口を覆い、仕上げに荷造り用の紐でしっかりと括ります。これでお終い。あっけなかったこととはいえ、肩で息をするような、精神的消耗の激しい作業でありました。あとは五年の間、寝て待つだけです。頑張れよ、君、と心の中で呟いて立ち去りました。あたりに誰も居ない部屋とはいえ、口に出して言うのは、若干はばかられたからです。

ここで、五年後のために、技術的データを書き残しておくとしましょう。43度の忠孝五升がベースになっていることはもちろんです。花酒は「よなぐに」を一升と、それに「舞富名(まいふな)」八合とを加えました。どちらも60度です。そこで、超小型電子式卓上計算機(SHARP ELSI MATE EL−243G)で、慎重に数学的演算を行うと、47.5度になっているという解答が得られました。ウン、まだ中学受験ぐらいなら大丈夫。しかもこれなら、腰がしっかりした、頼もしい十年古酒が出来上がることは間違いありません。2006年10月13日(金)という日は、栄光に満ちた日になる筈です。なお、なぜ舞富名を八合にしたかというと、元々一升あったのですが、二合ほどは、待ちきれずに飲んでしまったのでした。五年後の後悔先に立たず。
2001/10/14(Sun) 晴れ


[ サンシンへの情熱(トロイの木馬編) ]
やっとピックを買ってきました。アイスピックでも、ピッケルでもありませんよ。ましてや、いま流行りの、空き巣さん専用の小道具でもありません。ギターなんかに使う、あのピックです。どうも、サンシンはピックで弾いてもよい、ということらしいです。今ではずっと上手になっているに違いない、Iさんが教えてくれました。ただ、教わってから困ったことは、楽器店が近所にないことです。更に、宮仕えを再開してしまったために、帰りが遅く、途中下車してもお店はとうに閉まっているのです。何でそんなに遅くなるんだよ、え〜っ!、と云われても、これまた答弁に困るのですが、とにかく駄目なのです。説明しにくい事って、世の中には多いですよね。

ピックがなかなか入手できないので、更に困ったことが生じました。練習する気が起こらないのです。一遍そちらの方を試してみてから、という気分になってしまったのです。もっとも、夜中近くに帰っていたんじゃ、そもそも、練習なんぞはできません。麗々しく打ち上げた「サンシン・サイカイ・センゲン」ではありますが、我ながら本当に情けないことです。お笑いくだされ。が、ついに、電車を乗り継いで、往復540円もかけて買ってきましたよ。どうです、情熱だけはシュリーマン並みでしょう? ピックというものは安いんですね。100円がほとんどで、せいぜい120円でした。これでは、経費に占める割合は、交通費が大部分になってしまいます。

そこで、10種類ぐらい買ってきました。これで間接経費率が相当低くなりました。というより実は、どれがサンシンに合うかよく判らないから、ということがあったわけです。弦(つる)とストリングでは、張力が全く違うはずですからね。このあたり、かなり理論的な買い方をしてきたのでした。消費税込みで1300円チョイでした。やっと練習再開、いや、再々開のメドが立ちました。そもそもこんな展開になったのは、照屋林賢が琉曲のルーツを求めて、中国は福州からベトナムのフエまで旅をしたからなのです。これを番組に仕立てて、NHKが放映したからなのです。彼がピックで弾いているのを見て、アレッと思ったからなのです。これをIさんに話したからなのです。

言い訳にもなってないか、……
2001/10/13(Sat) 晴れ


[ 南蛮甕のこと ]
どうやら落ち着いてきたし、退官・転職の挨拶状も出し終わった。いよいよあれだ。嘉利由の島を引き揚げて以来、虎視眈々と、やらんかなの気概でタメていたことである。実は、那覇を去るにあたっては、有志の皆様からとてつもないプレゼントをいただいていたのである。それは、何あろう、南蛮甕に入った五升の古酒(クースー)である。この甕もただものではない。ちゃーんと漏れがないということの、性能確認済みのものらしい。最低、一年ぐらいは水を入れたテストをして、合格したものだという。

ただし、直ちに飲んではいけない、五年寝かせてから飲め、とアドヴァイスされた。2006年ですね。その上に、更なるアドヴァイスをいただいた。五升瓶には、実は、七升の酒が入るのだという。あと二升分の空き容量には、与那国の60度の花酒(「ど○ん」等)などを入れて寝かせると良いというのだ。その花酒も二升入手できた。あとは、引越という大問題である。先日、新しい家が決まった。そこで、引越のリハーサルとしては、イの一番に、南蛮甕と二本の花酒を、それぞれ持ち込んだのである。

ただ、混合してはいない。早くしなければと思いつつ、挨拶回りだ、ナンだのカンだのと、いたずらに日は過ぎた。五年も寝かすのだから、一ヶ月ぐらいはよいのでは、などというのはズブの素人である。泡盛に対する愛情の片鱗もない輩(ヤカラ)である。一刻も早く一緒にしてあげたい。五年後の幸せな家庭を保証してあげたい(何の?!)。いよいよ今度の週末である。フ・フ・フ、何といっても、七升の南蛮甕になるのだ!! 質・量ともに申し分なし。あとは酒を寝かせながら、自分も寝て待てばよいのだし。
2001/10/11(Thr) 曇り


[ 拝啓、大家様 ]
このたび本日より、貴方様ご差配のお長屋に、私共の娘・不肖約一名、転げ込み、ご厄介になる仕儀となりました。休日の事とて、大家様におかれましてはご不在のご様子、ために、じかのご挨拶もかないませず、まこと非礼の段、重々お詫び申し上げます。もとより本人は弱冠の身、そのうえ私共の娘ということもあり、躾も行き届いてはおりません。茫然自失・千慮一失・千載一遇等々、大家様の意に添いかねること、多々あろうかと存じ上げる次第でございます。しかしながら、ここは、フトコロの窮鳥、モウキの浮木、ウドンゲの花の喩えもございます。焼野の鶴が子を呼ぶ叫び、大家といえば親も同然、射らるる猪(しヽ)が仔を思う、店子といえば子も同然、なにとぞご寛容・お慈悲の心でご容赦のうえ、お心にお懸け下さいますよう、伏して恭敬頓首・恐惶謹言申し上げる次第でございます。

・・・ということで、娘が親許を離れ、独り住まいすることになりました。昔の学生に較べ、今の学生のナンと荷物の多いこと! 疲れました。家が静かになるのでホッとする反面、この寂しさはナンだろう・・・
2001/10/07(Sun) 曇り


[ プロジェクトC ]
シビリアンという名詞は、文脈により、一般人、民間人、あるいは文民などの意味を持つようです。これと同根の形容詞・シビルには、国家の、市民の、文明の、とかの他に、「丁寧な」とか「礼儀正しい」とかいう、人格に関わる重大な場合にも使われることがあるようです。シビライズという動詞にすると、もっと明快で、文明化する、開化する、洗練する、教化する、ということになります。要するに、無知蒙昧・頑迷固陋・夜郎自大な状態から、人類の一員にふさわしい、適正な状態に引き上げてさしあげる、ということですね。

先日、あるヒトと話をしていたら、「テバさんも、少しは民間的になりましたね」と言われました。突然のことで、喜んでいいのか、悪いのか、しばし戸惑ったことです。しかしながら、よくよく考えてみるなら、上のような事情なのですから、当然、大いに喜ばなければならないのです。人間社会にやっと受け入れられるようになった狼少年の如く、あるいは、八幡様のご利益で人間になれた元犬(もといぬ)の如く、手放しで喜んで良いような評価をいただいた、ということですね。思えば遠くまで ・・・ 来たもンだ ・・・
2001/10/05(Fri) 曇り


[ 書に想ふ ]
七面倒くさいことである。人生の転換期には、なぜこんなに沢山の書類を作る必要があるのだろう。やっかいな様式○○への書き込みを一枚終えるたびに、「やれやれ」である。しかし、そこでハッと気付いたことがある。もう一度、自分の書いた文字を、しげしげと眺めてみる。明らかに、以前よりは字がきれいになっている。つい先だってまでは、元がヒエログリフだったとは到底想像できない、超草書体というか、早く言えば汚い読みにくい曲線のかたまりだった。それが、今や文字らしくなっているうえに、風格まで漂わせている。どうしてだろう? 沈思黙考すること数刻、やっと判ったのである。まさに人生の転換点こそ、その原因だったのである。

何を急いでいたのだろう。文字すら落ち着いて書いていなかったのだ。後日、自らが読めなくなるような文字を、大急ぎで、書きなぐっていたのである。ナントカ式速記みたいな字ばかり書いていたのだ。テバは元来、字がうまかったに違いないのか? いやいや、ここまで風格があるなら「書」と言うべきであろうか。それらすべてが言い過ぎであるとしても、書体が変わってきていることには間違いはない ・・・ とするとしかし、そこで思索を止めるテバではない。果たして、キレイになったのは文字だけであろうか。振り返る ・・・ あれは? これは? ステップアップしたものは? う・ふ・ふ ・・・ あれと、これと、 ・・・ 幾つか思い付きましたけどね。

自分は字が下手だと卑下しているIさん、心配はいりませんよ。早くこちらに来なさい。そして、この話が判らないというあなた、早く歳をとりなさい。
2001/10/03(Wed) 晴れ