☆- ホンの幕間 -☆

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[ 一段落? ]
先週は、久しぶりに四日間連続して、フルタイムで働いてしまった。この週末は、一日中こき使われた油屋(ゆや)の千尋並みに疲れ果てていたのである。失業者生活には、何という抵抗もなく、スッと入れたというのに・・・。どうも、人の心の働きというものには、不可逆的性格があるようだ。それにしても、助走期間も入れて約二ヶ月、壮大な生体実験をやったものである。エドワード・ジェンナーは近所の少年で、華岡青洲の場合は自分の妻で、それぞれ生体実験をやったようだが、今回のテバのケースでは、自分自身が心理学的生体実験の対象であった。この幕間も、その実験の記録になるのかな、ということに気づいた。

嘉利由の地を離れてから四週間が経った。「ちゅらさん」も終わった。ヤマトゥでは、日々、秋が深まっていく。

ところで今日は日曜日。例によって癒しを求め、夕方6時にTVのスイッチを入れる。ところが「ちびまる子ちゃん」はやっていなかった。かわりにQちゃんがベルリンを走っていた。世界記録おめでとう。ま、これはこれで充分な癒しになったことだから、今回は放送局を許してあげることとしよう。
2001/09/30(Sun) 雨


[ おおっ!・・・お師匠 ]
まずは実話です。沖縄県S大東島に行ったときの出来事です。夕方、とある岸壁で釣りをしているヒトに、何気なく訊いてしまったわけです。

 テ「何が釣れますか?」

 釣「かかった魚が釣れるよ」(見事にボソッとした調子で)

次は、S画伯のエッセイからです。場所は寿司屋。カウンターの前のケース中のネタを指さして、寿司屋のオヤジに訊きます。

 S「これは何ですか?」

 寿「魚だよ」

え〜〜〜っと、何というか、魚を巡っては、本当に行き違いが多いことです。

 .....。。。。。ooooo○○○○○

ところで、久しぶりに師匠(釣りの方の)と、電話でお話をする機会がありました。

 テ「お変わりありませんか?」

 師「腱鞘炎になってしまったさ」

 テ「というと、相変わらず海に?」

 師「そうそう、7sの超大物がかかってしまったさ」

キツネフエフキダイとかいう、かの大琉球釣魚図鑑にさえないような珍魚らしいです。師匠は早速、魚拓を三枚とったそうです。うち二枚はYさんとKさんに配ったそうです。Kさんは早速、年月日と自分の名前(もちろん「K」です)を書いて、人目に付くところに貼り出したそうです。こんなことで、テバは今さら驚きませんけどね。しかし、忠実な弟子としては、是非、その魚拓を見たいと思い、その魚拓をデジカメで撮って送っていただきたい、と懇請した次第です。決して、師匠を疑ったわけではありませんよ。待つというほどのこともなく、30分ぐらいでメールが届きました。それには、

 『キツネフエフキダイ

   体長 95p
   重量 9.5s

  の写真については、後日お披露目致します。

  ※電動リールを入手しました。』

とありました。ショックを受けました。たった30分足らずで、7sの魚が9.5sに成長したことについては、温暖な東シナ海のことですから、充分ありうることです。テバがショックを受けたのは、「※」以下の記述です。オオッ! 師匠! 何ということに! 電動リールに頼るようになってしまわれたとは。しかも、電動リールを使いながら、腱鞘炎になってしまわれたとは。おいたわしや。大物釣りの手ほどきをいただいた、あの懐かしの過ぎし日々を想い、そして、すっかり老いてしまわれたに違いない師匠の今日のお姿を思い、滂沱と涙するテバなのでありました。もう一人の師匠(三味線の方の)が、エレキ・サンシンを導入されたとしても、こんなに悲しみはしなかったでしょう。

ストレス・スコアに追加です。「師匠の身の上を案ずる」に100点、といきたいところですが、これでは心臓がもたないので、とりあえず「家族の入院や発病」並みの44点。
2001/09/28(Fri) 晴れ


[ 消えてしまった・・・って ]
いろいろいじっていたら、マクアイが何回分か消えてしまいました。まあ、だいたいが幕間だし、中味も、UbLがどうしたの、ストレスがこうしたのといった、駄文だからよかったようなもんで、これが○○賞ものの名文だったら責任問題ですよ、ア・ナ・タ・・・(って、誰が言っとるんじゃい?!)。天才・宮崎駿様の悪口を書いたタタリかもしれませんね、これは。

でも、あのトマス・ホームズのストレス・スコアのURLだけは再掲しておきましょね。これにホールインワンと超役満の10点を加えれば完璧です。

 http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Kaigan/4017/sutoresu-sukoa.htm

そうそう、採点要領・評価基準ですが、過去一年に該当する事象があったものを全て加え、三百点以上になったなら心臓疾患に要注意でした。
2001/09/24(Mon) 晴れ


[ 木枯らし ]
関東は凄い。もう木枯らしが吹いている。昨日の朝、何気なく外に出たら、思わずゾクッとするような冷たい風が吹いていた。久しく忘れていたが、皮膚がパリパリになる感じ、冷のみならず乾でもある。テレビによると、11月並みの気温だという。さすがに枯葉が舞っていたわけではないが、まだ秋のお彼岸だというのに……。関東の一年ぐらいは、沖縄の一日が貰えるのなら、呉れてやってもよい、と思ったことである。

生まれながらにして神聖ローマ皇帝でありシチリア国王でもあった、異端の皇帝フリードリッヒ2世。彼は生涯、アルプスの北のメインの領土たる神聖ローマ帝国には、行ってみようとすらしなかったらしい。フォンだの何だのの、野蛮な諸侯におまかせだったらしく、ドイツで統一国家の成立が遅れた遠因になったともいう。その気持ちは痛いほどわかる。そんな寒いところは呉れてやるさ、ということだったのよね、きっと。

 枯葉がスコップに掬い取られる
 思い出も、また、後悔も
 そして北風がそれらを持ち去る
 忘却という冷たい夜の中に

今月の初めには沖縄にいた、ということが、我ながら信じられない思いだ。気温にして十数度も低いトコロへの流刑、こんな酷い仕打ちは、平家物語でも太平記でも聞いたことがない。そのうえ失業の身・・・ところが実は一昨日、失業は解消してしまった。そのため、「うらぶれこの身に、吹く風悲し……」を味わう、千載一遇のチャンスさえ消えた。残念である・・・かな?

それにしても台風16号、ご苦労様でした。延々12日間のご接待、お疲れ様でした。
2001/09/23(Sun) 晴れ


[ 千と千尋の・・・ ]
宮崎駿の「千と千尋の神隠し」を観てきた。火曜日の昼間の映画鑑賞なんて、床屋さんだけに許された贅沢だと思っていた。そうそう、関東では床屋さんだったのが、那覇では散髪屋さんになっていたな。そう言えば、関西も散髪屋だった。こんなところにも東西文化の違いがあるわけかな。やはり那覇は西日本なのかな。床屋っていうのは、散髪屋にくらべると、古い時代の言葉らしい。そりゃま、散髪屋さんでチョンマゲを結ってくれるわけないもんね。これは関東の文化が古い、というわけじゃ勿論なくって、このあたりのベーシックな部分で、近代化の洗礼を受けていない、ということになるんだろうな。それにしても、高級な映画を見ると、言葉遣いまで高級になるんだね。

それはそれとして、千と千尋はちょっと落胆作品だった。従来の宮崎作品にあった、強烈なクレイムと斬新なプロットが希薄なのだ。ナウシカ、ラピュタ、トトロ、魔女宅、もののけ・・・と来て、この作品は意外だったのだ。ストーリーも、良い魔女と悪い魔女の物語や、忌み名の伝承とかの切り貼りみたいな感じだった。列車での小旅行は宮沢賢治かな。あんまり不思議なので、帰りに本屋でキネマ関係の評論誌を立ち読みしてみた。この世界にそれほど詳しくないので、自分の鑑賞力に自信がなかったのだ。大部分が褒めチギッている中に、一つだけ、「宮崎駿よ老いたか……」という評論があった。こんなことで安心するのも情けない話だが、何となく、この評論家は度胸があるな、と思えた次第。

ジブリも大企業になってきたのかな。
2001/09/18(Tue) 晴れ


[ マクアイのマクアイ ]
ヤマトゥのTさんが那覇の街に行って、例のちゅらさんのマスコットを探します。ある店で、店員さんに訊きます。

 T「ニガウリマンはありますか?」

 店「あーっと、ちょうど売り切れました」

 T「残念だな〜」

 店「でも、ゴーヤーマンなら、まだありますよ」

 T「仕方がない、それを下さい」
2001/09/12(Wed) 晴れ


[ サンシン・サイカイ・センゲン ]
某沖縄K新聞に、二週間で二曲マスターと書かれてしまったらしい。その二週間というものは、仕事をまるまる抛り出していたのではないか、という印象を持たれてしまいそうである。実態は、二週間ほどの基礎レッスンの後に、二曲の練習に同時に着手した、というのが真相なのである。弁明しておきたい。しかし、そのサンシンも、引越以来、全然手にしていない。失業者というものも、失業当初は結構忙しいものである …… これでは弁明ではなく、弁解になってしまうかな。

実は、二曲同時練習という方法については、深い深い哲学的背景がある。Sさんという、テバと同業の大先輩でありながら、国際水法学会という想像を絶する学会で活躍され、会長までお勤めになったという方がおられる。パレスチナ問題の本質は水争いだ、とか、なかなか面白い話を聞かせていただいたりしたものである。この方は、極めて多芸多才なのであるが、なかんずく、多数の言語を自由自在に扱われる。ある日、機会を得たので、お勉強のコツについて伺うことにした。

 テ「語学の勉強法を教えて下さい」

 S「語学の勉強の最大の困難点は、飽きてしまうということだ」

 テ「大賛成です。私は、自慢ではありませんが、人一倍飽きやすい方です」

 S「そこでだ、中華料理の方法でいく」

 テ「?」

 S「一度に複数の言語を学習する」

 テ「あ、なるほど。しかし混乱しませんか」

 S「多くの皿が並んだ中華料理を、混乱しながら食べているヤツを見たことがあるか!」

 テ「あ、なるほど。しかし ・・・ 」

頭の構造がちがうのだから、これ以上質問しても無駄だと思い、更にお訊きすることはあきらめた。しかし、一理も二理もありそうな考え方である。ところがその後しばらくして、ヒッポファミリークラブというものの存在を知った。多言語クラブともいうらしい。当時は7カ国語同時学習でやっていたのだが、最新情報を調べてみると、何と、12カ国語同時学習に進化しているらしい。そこに述べられていたのは、S先輩のものと全く同じ哲学であった。関心のある方は次のURLでもどーぞ。

 http://www2s.biglobe.ne.jp/~aka/hippo/abouthippo.html

大先輩がテバに諭したかったことは、所詮完全にマスターすることができないことを、完璧を期してやるから飽きてしまうのだ。不完全でも、次に進もうという姿勢こそ大切だということに違いない。どうです? これ以上論じる必要はないと思うけれど、私の二曲同時練習開始には、このような人間の特性というか、ヒトの弱みというか、そうしたことに関する、深い洞察があったのだ。現在テバは、あと三曲ぐらい加えて、五曲同時練習でもやってみるか、などと構想しているところである。

先日、あるところで、送別会というか失業予定者激励会というか、そうした集まりを開いていただいたが、某氏が参会者全員の前で質問をしたことから、次のようなやりとりがあった。

 某「テバさんは、ずいぶん琉球民謡に関心があったようだが、
   カラオケで何曲ぐらい歌えるようになりましたか」

 テ「よりディープなものへと、関心を移していったので、軽いものには
   忘れるものもあり、常に二十曲どまりといったところかな」

ここで、某氏の爆弾的な更問いが炸裂した。

 某「いえ、そうじゃなくて、テロップを見ないで歌える数ですよ」

最初の問いは、更問いを用意したうえでの、明らかなフェイントであった。なぜなら、更問いには、最初の問いに含まれていない重要な条件が、後付けで付けられているのだから。ひっかけの意図は明々白々で、冒頭の「いえ、そうじゃなくて」の部分で、語るに落ちているといえる。こんな嘉利由のユーモアもあったのか、と内心驚きつつも、ここではテバ、汗ひとつ見せず、全然動ずることなく、

 テ「もちろん、そういう意味での数です」

と応じた。ここでは「完全ではないが」、という条件をわざと外しておいた。お互い様であるさ。それよりも、テバはS大先輩の薫陶を受けており、不完全さを恥じる気持ちなどは毛頭ない。何といっても、テバには、限られた時間で、より深く、より広く、嘉利由の文化を理解したいという、誰恥ずるところない純正な動機があったのだから。

さあ、やるぞ! 恥ずるところなき不完全サンシンの再開だ!
手ほどきをしてくださったD師匠のご恩に報いるぞ!
2001/09/10(Mon) 台風


[ 台風のお見舞いに・・・でも ]
琉球列島をじっくり回遊していった、台風16号(韓国命名:Nari:花の名)はいかがだったでしょうか。こちらでは、台風15号(フィリピン命名:Danas:経験)が、久しぶりに南方の暖気と湿気を運んできてくれました。実は、この一週間は、どうにも肌寒くてたまらず、あっという間に、軽い風邪までひいてしまったほどです。ここK県K市のネイティヴたちは、「暑い!」だの「蒸す!」だの言って騒いでましたが、テバにとってはいとも快適な一日でありました。どんどん来なさい台風さん、ですか。あまり蒸し暑さを感じないことには、もう一つ理由(わけ)があります。じつは、8月に始めたことは、サンシンの他にもう一つあるのです。それは、あのダ・イ・エ・ッ・トです。一箇月を過ぎましたので、もはや生活習慣として定着した……と、信じたいのですが……。そこで、若干は自らを督励する意味も込めて、ご紹介しましょう。

そもそも、これを始めた動機ですが、結構トホホな話であります。7月のはじめ、ヤンバルの比地大滝という名所に行ったのですが、この行程が炎天下のぬぶいくだい(アップダウン)ということで、たちまちヘトヘトになってしまいました。同行の二人から激励と支援を頂きつつ、かろうじて往復してきましたが、所要時間は通常の五割増しという有様でありました。最後に記念にと撮った写真を後刻見てびっくり、そこには二人のケロッとした人間と、一匹のヘロヘロになった豚が写っていたのです。これにはショックを受けました。で、よーく考えてみると、嘉利由の美食がその根本原因ではないのか、ということに思い当たりました。お腹のあたりには、今帰仁(ナキジン)のスイカが、胸のあたりにはアップルマンゴーがへばり付いているのです。幾つかの試行錯誤と、暫しの熟慮の後、ついにダイエット断行となったわけです。

私のダイエットは、二つの戦略と二段階の戦術から構成されています。まず戦略です。戦略その1は、体重管理をしない、ということです。目に見え、身体に感じられることだけが効果です。100グラム単位で一喜一憂などしないで、半旬〜一週間単位で判断するようにします。むしろ、周囲の人たちから、期せずして自然にコメントをいただけるのを、楽しみにするぐらいが良いのです。このことは、体重計が久茂地の陋屋になかったことから、偶然発見したことですけどね。その2は期限を定めない、ということです。8月末までにはどこまで落とそうとか、今回のダイエットは9月中に達成しようとか、は一切考えないのです。理想としては、野村監督の顰みにならい、生涯一ダイエッターの心境になり切ることだと思います。

戦術の第1段階は、空腹感との決別です。これが全てに優先します。胃を縮めてしまえば、食欲も蟻さん並みになります。蟻さん程度のお食事なら、カロリーの問題はないはすです。そのためには、二日間ほどの固形物絶食(例えば牛乳のみ)がよいのですが、できない人は、固茹での玉子でやってみたらどうでしょう。「固茹で玉子法」は、職場のI君が私のダイエットの成果を実見して、同じ道を進み始めたのですが、彼が教えてくれました。胃を縮めるためには、玉子の数を段階的に減らしていきます。最後に、毎食玉子一個に牛乳一杯ぐらいで空腹感が無くなれば成功です。この段階をのんびりやると、栄養学的に危険なので、できるだけ速やかに済ませ、第2段階に移行します。これは純粋なカロリーと栄養バランスのコントロールです。ここからは、一般に行われているダイエットで結構です。様々な本も出ていますから、そちらをご参考に。

そうそう、気になるのは効果ですよね。それは、現在の心境としては楽しくてならない、ということでお察しください。
2001/09/09(Sun) 雨


[ 海路はるか ]
1500キロの旅をした引越荷物が、今日の朝届きました。出したのがちょうど一週間前の土曜日の午後でした。もう、香港あたりに叩き売られてしまったに違いない、とほぼ諦めかけていたのですが、全員(?)無事到着しました。PCや書籍はどうでもよいのですが、泡盛一ケースとカラカラが大変心配でした。が、これらも無事届きました。通堂(とぅんどー)の某引越センターに感謝感謝です。失業者といえども、昼から飲むのは気がひけます。夕方になるのが待ちきれない一日でありました。

ほぼ日が暮れたので、シャワー(最近、あまり風呂に入らない)で大急ぎの斎戒沐浴をし、カラカラとT常務謹製のスペシャルブレンドを取り出します。カラカラは素焼きで、本体部分は、一般の平たいものではなく、擬宝珠型をしています。注ぎ口はスラリとして長さ二寸程度、わずかな下反り、細くたおやかで、あくまでも気品に満ちています。これを大切に使い込んでいけば、独特の光沢が出てくるのだそうです。その日のため、誰にも触らせないつもりです。触らせないのには、もう一つ理由があります。

猪口もセットの素焼きです。しかも、一個しか付いていません。これは独酌用のカラカラセットなのでありました。昨日までは、日本酒用の猪口に三合瓶から直接でやっていたのですが、明らかに味が違います。巧まずして、一回に口に含む量が半分程度になります。ケチなのではなくて、その程度で十分じっくり味わいたくなるほどの美味なのです。一合の泡盛を空けるのに、一時間以上、いやいやもっと、二時間近くかかります。口福の美酒へのメタモルフォーシス、これこそ上等な(これも向こうで覚えた言葉)カラカラの威力なのでした。

本当に、長旅、ご苦労様でした。
2001/09/08(Sat) 曇り


[ 失業シミュレーション ]
9月4日から失業者になりました。失業率5%の現今の本土では、たいして珍しいことではないらしいのですが。でも、何と言ったらよいのか、疑似であり模擬であるわけで、それほど威張れたことではありません。でも、でも、しかし、通勤する先がないとか、無収入であるとか、一日中が自由時間であるとか、その辺は、ヴァーチャルでもなんでもありません。やがて、数年先、あるいは十年ほど先に訪れるであろう状況を、完璧に正確にシミュレートしているわけです。とてつもない、生体実験の真っ最中にあるのです。

嘉利由の里でのことども …… 泡盛の賞味、釣魚の回想、三味線(さんしん)の練習、琉球民謡 …… 何をやっても、この寒くて乾いた風土では、あまり面白くありません。それは当たり前でしょね。人は、天地人によってこそ立つものですから、その全てを欠いてしまっては、かえって、虚しく感ずるものなのでしょう。一刻でもよいから戻りたい、そんな蠱惑の地を、むしろ恨めしく思う日々なのです。極端にゆったりと流れていた時間、失われた島・人……、そして、そのことに慣れることができないでいる自分 ・・・

畏敬する城山三郎先生は、こうしたことを二十年以上も前に、「毎日が日曜日」という小説に描いています。今や、超高齢化社会は、世間中の話題の66.7%ぐらいを占めているのではないでしょうか。デパートに行っても、ゆっくりと歩く老境のご夫妻に突き当たりそうになって、せかせかと歩く自分に、思わず初心者を感じてしまいます。そういえば、あの島々では、何もかもが、ゆっくりと大らか進んでいたのだ、と、改めて回想をしているのです。帰れるものなら帰りたい、しかし、帰れない。これはまさに故郷そのものです。

二斗二升の泡盛をかたわらに、これがいつ無くなるのか、と思い煩いつつ …… しかし、これを絶対切らしたりはしない、必ず補充する、と決意する失業者なのでありました。
2001/09/07(Fri) 曇り