<テバコラ 第52話>


☆ラビリンスの果て(最後のご挨拶)☆
                     
(2000/07/25)



どこまで行くのか。いつ終わるのやら。自分でも皆目判らなかった糸引納豆の遍歴も、

ついに終わりました。厳冬の奥州から始まったものが、いつのまにか亜熱帯の南西の

諸島にたどり着いたりしていました。阿蘇の高天原から眺望すると、華北の大平原やら

日本海周辺、日本列島の各地にと、人々の繁(しげ)き姿が見て取れました。もちろん、

現代に較べるなら、時間の進み方は極めてゆっくりしたものです。が、その結果として

現出したものは、あまりにも重い、民族の治乱興亡そのものでありました。


ビッグバンの発現当初の、かすかな「ゆらぎ」が、その後の全宇宙の歴史や構造を

決定するそうです。糸引納豆については、そのビッグバンは、いつ、どこで起こった

のでしょうか。どうも、太古の南洋のあたりにあったように思えてきました。

が、一方で、ヒマラヤの山麓の国々に、という説も根強いし……

……どちらも、以前訪ねたときは、問題意識がなかったために、調査することもなく

通り過ぎてしまいました。慚愧の至りです。しかし、ま、将来の課題としての楽しみが

残ったとも考えられます。何しろ、「ライフワーク」ですから。


世界は、ある見方では、人や虫や草花が織りなす小宇宙と、これを取り巻く

地水火風星辰の大宇宙からできあがっています。人の側の小宇宙は、呪術、技術

などを駆使し、大宇宙に何とか働きかけようとします。必死の努力にもかかわらず、

その効果は、いつも、悲しいくらいにささやかです。その一方で、一旦大宇宙の歯車が、

ほんの一つでも回ったときは、狂暴とでも言うべき圧倒的な変化を、小宇宙に与えます。

しかも、その直後から、すべては何事もなかったような、茫々たるたたずまいに戻ります。


ただ、人というものはそれを記憶します。はるかな時間を超えた未来に、これらの記憶を

伝えようと努力するのです。記憶が集団的なら、伝説、神話、等々の形を取って、多くの

時代、地域に残ります。納豆ラビリンス。延々と彷徨を続けるテセウスに、糸を繰り出し

続けてくださった、アリアドネの皆様に感謝申し上げます。細き糸への思いがなければ、

人の営みのごときもの、何物も継続する意味はありません。


テバコラも約一年が経ち、第五十二話になりました。ほぼ週一話のペースになりました。

繰り言・世迷い言に過ぎないこのコーナーに、飽きずにコメントしてくださった方々に、

心から感謝申し上げます。おかげさまで、恥を忍びつつも、続けることができました。

このたびテバは、仕事の都合で、しばし、嘉利吉(かりゆし)の邦に転勤することに

なりました。皆さま、長い間、本当にありがとうございました。     擱筆