<テバコラ 第46話>


☆納豆への思い(後記)☆
                      
(2000/07/06)



 − 納豆と シジミに 寝坊起こされる −


納豆やシジミが、向こうから歩いてくる時代に育ちました。冬の朝、

「室(むろ)」から出されたばかりの納豆が、自転車の荷台の箱に入れられ、

家々の間を売り歩かれます。箱の蓋を取ると、湯気の立つ豆たちが、

今日の元気を約束するかのように、輝く笑顔を見せてくれます。


日本人の朝食はどこから来たのでしょうか。そして、どこへ行くのでしょうか。

テバの馬齢ン十年の間にも、大きく変化してきました。

(ホテルではなく)旅館などに泊まった時に、思いもかけずクラッシクな朝食に

出会い、うれしい驚きを感ずることがあります。


炊き立ての白いご飯、わかめの味噌汁、鰺の開き、納豆、焼き海苔、白花豆、

お新香……、ほら、ちゃんと納豆があります。こういうメニューであれば、少なくとも

違和感を感じることはありません。完全に刷り込まれているからですね。

(若い人たちはちょっと違うかも知れませんが)


漠然と、八幡太郎義家と後三年の役の伝承を信じていました。しかし最近、

納豆太郎糸重の事蹟について書かれたものを読み、衝撃を受けました。

恥ずかしながら、昔、あの「魚鳥平家」の漫画本が、わが家にあったことを

思い出したのです。どんな家じゃ、などと訊かないでください。それに、今はもう

どこかに行ってしまいました。


自分の怠慢に猛然と腹が立ってきました。これは放置できない。これは徹底的に

考えなければいけない。などと思うようになりました。ライフワークが目の前に

ありながら、気付かなかった。何といううかつさ……

(三週間足らずのライフワークではありましたが)


安倍一族の皆様、清和源氏の諸公、公家方面や、やんごとなきあたり、

と多くの人々に出会うことができました。こうした方々のおっしゃることを、

丁寧に組み立てる、ジグソーパズルの楽しさも味わいました。ある時は、

貴船川沿いの桜散る山道を、単騎独行する義貞の姿がありありと見えたほどです。


歴史については、「……と言われている」と説明する人がよくあります。

ま、見てきたわけじゃないし、と許してしまうことが多いのですが、よく考えると、

「……と言」っている人も見てきたわけじゃないのですね。話題が納豆であれば、

これからは、「わしゃ言うてへんで(仁鶴風に)」と返せます。

これが快感、今回の個人的成果です。


納豆太郎糸重から七代の子孫に、納豆太郎糸貞がいたとしたら、時代はちょうど

戦国終期にあたります。戦国大名には源氏を名乗る人が多く、ひょっとしたら、

と思える大名も二・三ありました。「未完」には、そんな思い残しもあります。

なお、「蛇足篇」を別途予定しています。


[参考]

少々古い話ですが、茨城県の大洗で旅館に泊まったときのことです。

宿泊客は約百名、47都道府県から二人ずつでした。朝食には納豆が

ついていました。チャンスです。わざとグズグズしながら、最後の一人が

食事を終えるのを待ちました。数えてみます。結果、残した人は約半数でした。