<テバコラ 第14話>


☆福禄寿(T)☆(2000/01/01)



原始時代、採取や狩猟だけが生活手段であったころには、日曜日とか

祝祭日とかはありませんでした。もちろん、お盆休み、お正月休みもあ

りません。


だから、あのころの人は随分大変だったんだろうな、と、休みの日特有の

ボーッとした頭で漫然と考え、原始人にはひそかに同情を寄せてきて

おりました。


山野に鳥や獣を渉猟し、野生の木の実・草の根を懸命に捜し歩き、

果ては、魚を求めて貧弱な丸木船を波高き海へと漕ぎ出す。

もしも自分がこんな生活を、と想像しただけで戦慄ものです。

まして、道具はといえば、その辺に落ちていたような木ぎれ、石のかけ

らのみです。そんな貧弱なもので、ゾウやクジラまで獲っていたというのだから、


さぞかし命がけ、働きづめの日々だったのだろう、そのうえ、労災保険も生

命保険もなかったから、万一の場合残された妻子は……。


ある時ある所で、誰かが、野生の植物を栽培植物へ、野生の動物を

家畜に変えるという、革命的な技術を発明しました。ただ、この技術

が人間社会に定着するためには、「新」石器という道具の登場が不可

欠だったようです。


つまり、それまではせいぜい石と石をぶつけて割った程度の、

切れ味の悪い石器だったものが、同じ石器ながら、「研ぐ」という工程

を加えることで、鋭利、強力かつ効率の良いものができるようになった。

この時を境として、人類の全てが変わり始めた、というのです。こうし

た秀れた道具があってこそ、植物も動物もしっかり管理することが

できるようになった、というわけです。


ここに人類は、数百万年にわたる長い長い放浪生活に別れを告げ、

定住生活へと入っていきます。定住生活のメリットは、何と言っても

安定と進歩です。


移動しないで済みますから、土器もいろんな種類を用意してTPOで

使い分ける、毛皮に代わるべき織り物も手間ひま掛けて丁寧に作る、

余剰食物は余すところなく備蓄する、といったことが可能になります。

こうしたことは、更に次の世代の生活の安定と余裕へとつながります。

いわゆる右肩あがりの経済学的良循環です。その結果、人々の寿命

が延びはじめたようです。集落も規模が徐々に大きくなります。

三内丸山(縄文)や吉野が里(弥生)のような大集落が登場してきます。

現代の巨大都市文明へと一直線につながる、光輝に満ちた道が発

見されたのです。


ところが、何と、この新石器時代の始まりという時代の経験こそが、

あのアダムとイブに代表され、数多くの民族の伝承に普遍的に見られる、

「失楽園」という記憶の原体験であったのだ、という説がこのごろ出されて

きているのです。四大文明発祥物語とは、すなわち、四大楽園喪失物語に

他ならない、というのです。


この説が出てきた背景には、古い時代のことがらが徐々に解明されてきた、

という考古学的蓄積が、もちろんあります。たとえば、採取・狩猟時代の

労働者(労働者しかいなかったけど)の労働時間は、せいぜい3時間程度

であった。残りの時間は三々五々集まって、遊んだり、お喋りをしたりしていた

らしい、ということも最近わかってきたことの一つです。

どうも、原始人は我々よりも遊んでいたらしいのです。

もしも、温泉なんかが近所に湧いていたら、一日の大半は健康ランドという

暮らしだったでしょう。わずかなお正月休みにほっとしている現今の方が

みじめなくらいです。


そうは言ってもあなた、さすがに、物ミナ枯レタ冬には困るんじゃないの、

と言う人がいるかもしれませんが、いえいえこれがまたもう、な〜んも

することがないから、かえってますますのヒマ。秋の間に貯め込んでおいた

ドングリを食い潰すだけが仕事、という有様だったらしいのです。もちろん

ヒトの寿命はといえば、それほど長くなかったようです。しかし……、

ここが一番大切なところです。健康ノイローゼの現代人と根本的に違うところ。

彼らは、寿命が長いの短いのといったことをまったく気にしていなかった

というのです。なぜなら、彼らには、

    進歩する必要がまったくなかった

からです。


ひるがえって、新石器発明に始まり現代へと至る、文明生活の側を

考えてみます。


植物の種を蒔きます、水や堆肥を遣ります、雑草を取ります、スズメ

やカラスを追い払います、粒々辛苦して、延々やっとの思いで収穫に

ありつけるのです。しかも、その途中で、獣害・鳥害・虫害や風水害の

どれか一つにでもあたったら、それはもう、そこで全部おしまい。家畜の

飼育だって同じことです。しょっちゅう餌や水をやらなければならない。

鶏や仔豚は、いつもキツネ・タヌキやオオカミに狙われています。

オオカミが騒ぐ夜は、徹夜をしてでも見張りますが、徹夜明けの昼日中、思わず

うたた寝をしたために家畜にみな逃げられてしまった、ということもあります。

この場合も、ここで全部おしまい。あるいは、近隣の団との抗争のあげく

敗れてしまい、何もかも根こそぎ持っていかれることだってあります。

こんな目にあったら、スタイナーの「タラのテーマ」でもかけながら、

夕焼け空を眺めるぐらいしかナススベはありません。


文明生活は苛酷なのです。これを確実に生き抜いて行くためには、

巧妙・複雑な技術体系が必要です。農業、牧畜、土器作り、機織り、

食糧備蓄などなどの技術をマスターし、それらを次の世代に伝えな

ければなりません。

更に、天災人災への備えとして、女・子供を含んだ集団全体を、粛然・

整然と行動できるよう訓練しておく必要もあります。

一定の方向に集団をコントロールすること、これは政治というもう一つ

の技術ですね。


政治術も含め、高度な技術体系を開発・伝承していく上では、人の

寿命が長い、ということが決定的に重要なことです。ここで人類は、

おのれの寿命の長短について、深刻に考えざるを得なくなりました。

つまり、この辺りまでくると、すでに

     「知恵のリンゴ」を食べてしまっている

というわけなのです。これ以降、ストレスという魔物が人類の上に取り憑き、

今日に至るまで、決して離れたことはありませんでした。


ところで話は変わりますが、政治形体の発展過程というものは、

「王制→民主共和制→帝政」というのが必然的な流れなのだ、という、

およそ学校では教えない異端の政治学的仮説があります。ここで、

冒頭の「王制」の前に「採取・狩猟生活→」をくっつけます。「採取・

狩猟生活→王制」のステップアップのあたりに、例の知恵のリンゴが

転がっていることがわかります。文明社会のファーストランナーたる王制が、

社会のストレスのコントロールに失敗し、ついには(王様もあれこれの目に

遭いつつ)崩壊し、民主共和制にとって代わられる、ということは、18世紀末の

フランスあたりを例として学校でも教えてくれます。


この仮説が異端中の異端とされているのは、民主共和制も結局は

崩壊する運命にあり、その後には皇帝陛下が統治する帝国が登場し、しかも

これこそが唯一究極の安定的政治形体だ、と主張しているところにあります。

この仮説の主張者は、

    民主共和制社会のストレス〕>〔帝政社会のストレス

であり、ゆえに帝政の方が、より高い安定性・恒久性を有しているのだ、

と説明します。


この異端の仮説に完璧に適合した国(地域)が、古往今来の地球上に一箇所だけ

あります。我々の隣人であるあの大国です。第一ミレニアム開始に先立つ

200年以上も前(紀元前221年)に、すでに秦帝国という究極の

ステップに達し、その後は延々と皇帝の姓だけを易え(新装開店だけをし)てきた

あの国です。カントだかヘーゲルだか忘れましたが、無知な西欧の政治学者は

驚いています。


「ここ東洋には、現在のわれわれの眼前に、紀元前にあった国家と

全く同じ仕組みの国家が存在している」

と。しかし、異端仮説の方が正しければ、間違っているのは西欧の政治学者です。

先生方は、むしろ感嘆すべきなのです。かの国以外の、世界の残り全ての国々が

現在、必死になってやっていることはといえば、かの国がとうの昔に通り過ぎた道を、

遅ればせながら、やっとの思いで辿っているにすぎないのだ、と。


かの大国の人民は、「福禄寿」という絶対的価値観を約七千年間に

わたり保持し続けてきたことで有名です。「福」は子孫繁栄を、「禄」は

財宝を、「寿」は不老長寿を意味します。黄河のほとりで、文明社会に

ステップアップした瞬間からこの信念を抱き始め、以後一切不変のまま、

現在に至っています。


一方、楽園で呑気に過ごしていた時代のアダムとイブにとって、

まったく悩む必要がなかったもの、それこそ、この福禄寿です。

追放後の彼らは、失われし楽園に恋い焦がれ、過ぎ去った黄金時代

を懐かしむこと一方ならぬものがあったようです。しかし、所詮復帰で

きるものではないのだから、楽園を追放されたその直後に、アダムも

イブも、さっさと福禄寿イズムに宗旨変えしていたならずっと楽だった

のに、とは思いませんか。


(原註)お正月らしく、めでたい福禄寿をお題にしました。

    しかし、どうもこの「テばなし」は手放し状態になってきました。

    そこでとりあえず「福禄寿(T)」と題し、一旦休憩といたします。


    「失楽園」といえば、かの渡辺先生の名作と言われるものに


    ついては、原作、映画のいずれも鑑賞しておりませんので、

    残念ながらここで触れることができません。

    どなたか、先生の楽園と文明論についての思想をご存知の方、

    ご教示下さい。


    長命とストレス、この両者の関係の何と矛盾に満ちたことか!古人も


     
「永らへと 何思ひけむ 人の世の 憂きを見するは 命なりけり」

    
とか。


    でもまあ、皆さんとご一緒に次のミレニアムにまで永らえることができました。

     ……というわけで、改めまして……

      明けましておめでとうございます

         
本年もどうぞよろしく

             _(._.)_