<テバコラ 第8話>



☆古今集逍遥☆ (1999/11/9)


「ケリ」という鳥は、ハトよりやや大きな鳥で、チドリの仲間である。

主に中部地方の水田や草地に生息しており、それほど人手が入っていなければ、

河原にも姿を現すことがある。カラスなどの外敵には、集団でキキッ、キキッと

鋭く鳴いて立ち向かうという。

「カモ」は身近な鳥だが種類が多い。その中でも、ヒドリガモは比較的希少な種類である。

この鳴き声はかなり甲高く、ピューイ、ピューイと聞こえるらしい。

日本人はこれらの鳥の鋭い鳴き声を、こよなく愛したらしい。

   うつせみの世にも似たるか 花桜 さくと見しまにかつちりにけり

   かめのをの山の岩根をとめておつる滝のしら玉 千世のかずかも

これらの和歌の末尾にはケリやカモが詠み込まれている。

いや、詠み込まれているというよりは、むしろ、これらの鳥の鋭い鳴き声と

その後に続く一瞬の静寂、そこにうつろいつつも漂う余韻をもって、詠嘆の心情を

ひとしお強く表現しているのである。

古今和歌集が、「カエルの歌」に代表される松尾芭蕉の俳諧の原点とされることも、

むべなるべしと言えよう。


そうすると、「鶴の一声」で知られるツルはどうか、という素朴な疑問が湧いてくる。

ツルが登場する大和歌の中でも私が好むものは、ヤマトタケルが甲斐の国に

滞在したときの、あの御火焼きの翁との問答歌である。

   (や)新治筑波を過ぎて 幾夜か寝つる

   (お)かがなべて 夜には九夜 日には十日を

古代世界最大の浪漫のヒーローが、父・景行天皇に命ぜられた東国平定の途上、

流浪に等しい旅の一夜、はるけくも来し身を振り返りつつ翁と交わす問答、

ここには大和の国を中心に生きていくしかないナベヅルに託す以外に表現できない

皇子(みこ)の切々たる心情が
伺われ、涙を禁じえないのである。

皇子の臨終の歌にも、当然、鳥が登場する。

   やまとは国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる やまとしうるわし

そのとき皇子の魂は「わし」となって、なつかしい大和の国をはるか上空から

眺めていたのだろう。

この歌を詠むことで心の平安を取り戻した皇子は、白鳥となって天空に還る。


古事記、日本書紀は、残念なことに真名(漢文のようなもの)で書かれている。

したがって、訓み下しは後世の言葉遣いではないか、という批判には耐えない

ものがある。そこで、仮名文字遣いが定着した文献によって日本人の心と生きざまを

探るために、再び古今和歌集に戻ることにする。


さすがにツルはまれにしか使われていないのだが、

   あしひきの山した水の 木隠れてたぎつ心をせきぞかねつる

ツルが出てきた場合、その思いが大和心にあっては尋常のものではないことを

想起しながら鑑賞すると、まことに味わい深いものがある。


植物・果物のランやナシなども登場する。

   もみぢ葉のながれてとまるみなとには 紅深き浪やたつらん

   穂にもいでぬ山田をもると 藤衣いなばの露にぬれぬ日はなし


加工食品としては麺、お菓子の類が好まれた。

   かきくらしことは降らなん 春雨にぬれぎぬきせて君をとどめん

   袂より離れて玉をつゝまめや これなんそれとうつせ 見むかし


魚類もある。

   ほとゝぎす初声きけば あぢきなく ぬしさだまらぬ恋せらるはた

   春日野の雪間をわけて生ひいでくる草の はつかにみえし君はも

ハタやハモが常食されていたことがわかる。

日本海、瀬戸内海と京の都の間の盛んな流通が目に浮かんでくる。


日本人の食生活の歴史に関する認識を覆すようなグループがある。

   をみなへしうしろめたくも見ゆるかな あれたるやどにひとり立てれば

   すがる鳴く秋のはぎはら 朝たちて旅行く人を いつとか待たん

   秋の野におく白露はたまなれや つらぬきかくるくもの糸すぢ

関西方面で現在ホルモンと呼ばれている食品群である、レバ、タン、スジが、

仏教思想全盛の平安時代に食されていたのである。

もっとも、これは庶民や新興の武士階級の暮しの点景なのかもしれない。栄養状態の

階級差が次の時代に階級の逆転現象を招来することは、ままあることである。


現代の天才芸術家の理解につながる一首を挙げる。

   かへる山ありとはきけど 春霞 たちわかれなば恋しかるべし

驚くべきことである。

あの赤塚不二夫大画伯の漫画に登場する「べし」のルーツはここにあったのだ。

しかも、そのモデルが「カエル」であったことまではっきりとわかるのだ。


古今和歌集の逍遥にはこのように興趣尽きないものがあるが、

最後にそれらの中の究極の一首をあげるならば、

   ちはやふる 神代もきかず たつた川 から紅に水くゝるとは

に尽きよう。

ここでは、たった三十一文字の中に、相撲取り竜田川と遊女「ちはや」の因縁を

語り尽くすとともに、ちはやの幼名、「とは」が登場しているのだから。


【一部を除き、佐伯梅友氏校注の「古今和歌集」を底本とした
またケリとカモの鳴き声については日本野鳥の会会員である
某氏に教示を受けた(付記多謝)】


(原註)ホルモン: 関西方面では、牛や豚の内臓等、通常食用とされる
部位以外の部分を好み、このように呼ぶらしい。
「放るモン」が原義とする説もある。