波 2005


[645] 恒例のご挨拶 投稿者:テバ 投稿日:2005/12/31(Sat) 21:19

この国にはオイルもなければゴールドもない。せいぜい僅かな土地だけだ。そうだ、この土地に価値を与えよう。道路を通し、工業団地・住宅団地を造ろう。中央と地方と結ぶ新幹線や空港も造ろうじゃないか。これが国民の生きるモティベーションにならねばならないよ、キミィ(扇子パタパタ)・・・この考えは大方の支持を得ましたよね。戦後昭和の活力源でした。

最近話題になった構造欠陥マンションの施工主は、ひと味違ったようです。自分では不動産を所有しないようにしていたそうです。「1万年というようなオーダーで考えると、そのうちのたかだか10年や20年、これは俺の土地だと縄張りするようなことに金を遣ってどうする」という信念をお持ちのようでした。もっともこういう人の方がずっとタチが悪かったようです。

そんな遣り取りをしていたら、Uセンセイから面白いお話をいただきました。

   .........。。。。。。。。。。oooooooo○○○○○

ブータンの時間の話です。

ブータンの真面目な会議で、何か輸出できるものはないか、という話になりました。

  「ブータンには時間がある。しかもかなり上質だ」

全員賛成したのですが、どうやって梱包して輸出するかで結論が出なかったそうです。

日本には土地は少しありますが、時間は全くありません。

   ○○○○○oooooooo。。。。。。。。。。........

なるほどね。足りなかったのは、土地やお金ではなく、時間だったのですね。

皆様が、ゆっくりと流れる、良いお年をお迎えになることを。


[644] この年の瀬に 投稿者:テバ 投稿日:2005/12/29(Thu) 18:37

ふと DVD を買ってしまった。これが間違い。

1187年のエルサレム攻防戦を描いた Kingdom of Heaven を、この繁忙な時期に2回も観てしまった。合計五時間近くロスしたぞ、おい、どうしてくれるんだ。西欧・十字軍の側からすると悲劇・屈辱にあたるこの Holy Land 失地のドラマを、Hollywood がよくぞ映像化したものだと思う。20世紀フォックスはネオコンのテロが怖くはないのだろうか。

バリアン・ディベリンを主演したオーランド・ブルームは成長株だと思う。しかしやはり、出色はサラディンを演じたハッサン・マスードだ。膨大な数の自軍戦士の屍を前に涙するイスラムの総司令官。この「もののふ」の心さえあれば、日本の過去百年の歴史も相当違ったものになっていただろう。旅順の混沌も回避できたのではないだろうかとも思われた。

バリアンがエルサレムの司教に言ってのけた台詞も良かった。死者を火葬にすると最後の審判のその日まで魂がさ迷うとして、滔々とドグマを述べ立てる司教に対し、籠城戦における疫病のリスクを説き、

 「神はこれを理解したまうだろう

  もし、理解しなければ、それは神ではないから

  心配しなくて良い」

愛児の死に絶望して自殺してしまった妻の死後の魂の問題こそは、バリアンの旅立ちの原点であった。こういう思想が横溢する映画なら、某一部大統領に嫌われているという訳もわかるような気がする。日本の総○も、馬鹿国民から魂の議論など聞きたくはないだろうな。きっと。

エルサレム開城交渉の後、バリアンは問う。

 「エルサレムの価値とは?」

サラディンは応える。

 「無だ」・・・「全てだ」

一途に生きてきたバリアンが、地上の王国の存在に確信を持てた瞬間です。

あの大河ドラマの退屈さ、緊張感のなさに較べると、監督の才能の差をひしひしと感じます。○HKのディレクターだって、その筋の無神論者としては人後に落ちない筈であるし、存分に金をかけているのにねー。


[642] グリーティング 投稿者:テバ 投稿日:2005/12/29(Thu) 15:47

「あ~、年賀状か。幾つになってもなかなか減らないな。年賀状のない国に住みたい」

と、ぼやいたら、

「クリスマスカードで同じことかもね」

という返しがありました。

クリスマスカードを何百枚も出す国民があるのでしょうか? 確かに、ドイツ人あたりは怪しい感じがするのですが。イスラム圏ではどうなっているのでしょうか? ラマダーンカードなんてのがあるのでしょうか。中国では春節の折、グリーティングカードを遣り取りしているようですが、普通の市民で何枚ぐらい出すのでしょう。

統一独立主権国家でありながら、礼文島から与那国島までグリーティングカードが大量に流通している国、これは相当な貧乏性国家なのでしょうね。

「俺は出したのに、あいつは呉れなかった」

55円の大問題。

現実には「ひま」さんが救援に乗り出してくれました。

「あ~、年賀状か。幾つになってもなかなか減らないな。年賀状のない国に住みたい」

と、ぼやいたら、

「クリスマスカードで同じことかもね」

という返しがありました。

クリスマスカードを何百枚も出す国民があるのでしょうか? 確かに、ドイツ人あたりは怪しい感じがするのですが。イスラム圏ではどうなっているのでしょうか? ラマダーンカードなんてのがあるのでしょうか。中国では春節の折、グリーティングカードを遣り取りしているようですが、普通の市民で何枚ぐらい出すのでしょう。

統一独立主権国家でありながら、礼文島から与那国島までグリーティングカードが大量に流通している国、これは相当な貧乏性国家なのでしょうね。

「俺は出したのに、あいつは呉れなかった」

55円の大問題。

現実には「ひま」さんが救援に乗り出してくれました。


[641] 最期の総長 投稿者:テバ 投稿日:2005/12/21(Wed) 07:19

ジャック・ド・モレーです。テンプル騎士団最後の総長(第23代)です。1314年、シテ島にて火刑。罪状は「戻り異端」です。この便利な罪名は、ジャンヌ・ダルクにも将来適用されることになります。


[640] アリエノール 投稿者:テバ 投稿日:2005/12/18(Sun) 18:37

以前、年収についてコメントしたことのあるルイ7世の王太子時代の結婚式風景です。ルイ6世の死去により、この約半月後、彼はフランス王になります。その右側で祈りを捧げている花嫁こそ、後世ヨーロッパの母と呼ばれることになるアリエノールであります。彼女も、ルイ7世の即位と共に、フランス王妃になります。

アリエノールはギヨーム10世の唯一子でしたから、アキテーヌ公領、ポワトゥ伯領等の広大な領地の世襲者です。この瞬間、カペー朝のフランス王家は、ピレネーの麓に達する最大の領主になりました。

しかしアリエノール・ダキテーヌは、ギヨーム9世の孫でもありました。百姓娘ジャンヌ・ダルク登場まであと300年。まだまだ統一フランスへの産みの苦しみは続きます。数々の賢君・昏君が登場するでしょう。

ところで、ルイ王太子の錫杖の先端には黄金(きん)の瓢箪みたいなものが付ついています。これは一体何なのでしょう?


[639] エキゾチック 投稿者:テバ 投稿日:2005/12/17(Sat) 22:36

「特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律」略して「外来生物法」がこの10月から施行されています。この法律に違反した場合は、内容によりますが「個人の場合懲役3年以下もしくは300万円以下の罰金 / 法人の場合1億円以下の罰金」なんてえものもあり、結構な重罰が科されるようなので、大いに気をつける必要がありそうです。

何といっても傑作なのは、「特定外来生物」という名称が堅苦しいと思ったのか、愛称を「ぽち」としたようです。


[638] 懲りん坊 投稿者:テバ 投稿日:2005/12/15(Thu) 23:58

気がついてみたら、今年もやられてしまった。ボンさんが流行漢字を書いてみせることにどういう意味があるんだろう。世間の煩悩を揶揄しているとかいうならまだしも、それなら古都税や宗教法人の特例課税の問題でも扱ってほしい。

全く意味の解らない年中行事をつくられてしまった。


[636] と、思う間もなく 投稿者:テバ 投稿日:2005/12/13(Tue) 17:38

Uセンセイの散策路も雪化粧をしてしまったようです



[Res: 636] 列島の冬景色 投稿者:テバ 投稿日:2005/12/13(Tue) 17:41

本当に寒い一日でした


[634] 久しぶりに 投稿者:テバ 投稿日:2005/12/10(Sat) 18:35

Uセンセイのお写真をご紹介します。ご近所の初冬の散策路のようです。



[Res: 634] うって変わって 投稿者:テバ 投稿日:2005/12/10(Sat) 18:41

これはというと、テバがトンボ返りで行ってきたある山中の風景です。寒かった。


[632] ダイナハ 投稿者:テバ 投稿日:2005/12/08(Thu) 09:57

新築開店したときの正式名称が「ダイナハ」でした。これは多分「大那覇」なのですね。これが10年ほど前、ダイエー、忠実屋、ユニードダイエーと合併して「ダイエー那覇店」になったということらしいです。

それでも地元の人々からは「ダイナハ」と呼ばれ続けていました。先月の下旬に、ついに閉店しました。私はこの店の近所に住んでいましたので、コンビニで用が足りない場合はダイナハでした。単身赴任の必需品は、これで大抵用が済みました。ジャスコや(地元宮古資本の)サンエーもありましたが、誰も近づきません。「ダイナハ」という語感には愛郷心・ナショナリズムをくすぐる「何か」があったようです。



[Res: 632] ダイナハⅡ 投稿者:テバ 投稿日:2005/12/08(Thu) 09:59

私が引き揚げてから暫く経って、深夜12時まで営業になったようです。一度出張の折りに覗いてみましたが、さすが深夜になると、客一人に店員三人という状況でした。思えば店長の「秘策・生き残り戦略」だったのでしょう。

県庁前には「りゅうぼう」という大規模店舗があります。これも語源は「琉球貿易」なのですが、結構ハイソで、中流階級の店です。

ダイナハが消えて、寂しい街になっているのでしょうね。


[630] タヌキ 投稿者:テバ 投稿日:2005/12/06(Tue) 08:13

山崎女史が偉いのか、日本医師会が駄目なのか。医師たちが白い巨塔から引きずりおろされ出した。これも久しい昔のことである。最近では、国会議員兼弁護士とかいう人が対象になった。会計(士)事務所も譴責された。そうしてついには建築士へときた。「師」とか「士」というのは、そもそも、相当な公共・公益性を有しており、民草においては尊敬置くあたわざる方々にのみたてまつったタイトルだった。「サムライ・ニッポン」の象徴だったのだ。それが何と、去年(こぞ)の花今いずこ。そのうちに、博士、修士なんてえのが逮捕されると、それだけでテロップが流されるようになるんだろうなあ。

天麩羅のタネを抜くからタヌキという、という説がある。そこで、天麩羅蕎麦から蕎麦を抜くとこれが「天抜き」という逸品になる。一度試してください。天つゆよりも蕎麦つゆの方が、確かに海老天の味が「濃く」なる。一杯やるときの酒肴としては、断然こちらに軍配を挙げたい。そこで考えるのだけれど、「師」や「士」なんかはどうしても必要なのだろうか。これに類するものとして、「官」、「判事」、「大臣」、「総裁」なんていうものもある。どっかの最高権力者が言っているそうだけど、「これからは民間でやれることは民間で」というモットーで、この国は動いているそうではないか。

止めよう、変な日本語は。日常用語でやれることは日常用語でやりましょう。

たとえば自○党総裁兼内○総○大臣なんてえのが一番とんでもない例だと思う。まず、隗よりはじめたら良いのだ。「大衆劇場経営者兼観覧料徴収係」とすればものすごく親近感が湧くと思う。しかも、何を「なりわい」としているかというあたりも極めて明確になる。


[629] 最後の心配 投稿者:テバ 投稿日:2005/11/26(Sat) 01:11

「そんなわけで王朝が代わるたびに前代の立派な建造物をどんどん焼いてしまうものだから、中国は古い国のわりには古い建物がない。建物だけ見ると中国より日本のほうがよっぽど古い国のように見えるのはそういうわけである。
 新宮殿の造営を新王朝創建の目印にするのは、中華人民共和国の人民大会堂にいたるまで綿々としてつづいている・・・」
   【高島俊男「中国の大盗賊・完全版」講談社現代新書】

ということだそうです。ただし例外がありました。

「中国歴代の王朝で、前王朝の宮殿をそのまま使ったのは、満州族の清朝だけである。満州人は日本人と同じく弱●民族でしみっ●れだから、明の紫禁城をありがたく拝借したのである」
   【伏せ字はテバによる】

そうだったのです。「ラストエンペラー」に見るあの壮麗な紫禁城の即位式典でさえ、大碩学の目から見ると「しみったれ」ていたのでした。日本についても、

「日本の明治の天皇が、維新で天下を取りながら徳川将軍の旧宅に住みついたのなんぞは、中国人から見れば、ずいぶん不景気な話なのである。中国人なら江戸城は燃やしてしまって丸の内あたりに新宮殿を造営するところだ」

と述べています。

赤瀬川理論の「世界二大貧乏性発生地域・極東版」の背景には、民族的なものがあったわけですね。同じモンゴロイドBでも、蒙古族や鮮卑族は貧乏性ではありません。フビライや煬帝の事蹟を見ればわかります。ただひとり、ツングース系というかタタール(韃靼)系の部族だけが、奇跡的に貧乏性遺伝子を獲得したようなのです。中国史学者には申し訳ないけれど、これは、少なくとも、国民にとっては有り難いことでした。

この事件は、モンゴロイドAの方に「江南のイブ」と呼ばれる遺伝子が発生したことに匹敵する、民族形成史上の大事件です。江南のイブの子孫(母系遺伝で日本人に多い)はアルコール分解酵素を持たないそうです。X遺伝子ですから、この形質は男女を問わずにどんどん伝わります。日本人の大部分がコーカソイド(いわゆる白人で、イスラムも含む)などに較べ酒が弱いというのは、X染色体の問題である、と遺伝学的には説明されているのです。

貧乏性に戻ります。現在白熱している「Y染色体継承問題」です。この貧乏性遺伝子は、X・Yいずれの染色体上にあるのでしょうか。もしも、この大散財抑制遺伝子ともいうべきものがY染色体上にしかないとすると、これは男系の子孫にしか伝わりません。すると女帝問題は将来に大きな課題を残すのです。皆様よくご存じの中国史上唯一の女帝・則天武后のそっくりさんが出てくる可能性が残るのです。

これを検証する手段は、偉大なる赤瀬川理論に既に含まれていました。つまり、女系皇族(あるいは元皇族の女子)は台所で輪ゴム集めをしているのかどうかを確認するのです。多少の困難はあるかも知れませんが、弊国の未来の安定性がかかった重要な調査であります。この検証作業を終えてから典範改定を議論しても遅くはないと思うのです。更に、王室が酒に弱くて貧乏性であるなら、勤勉・勤倹な国民性も維持されることでしょう。


[614] ズアヴ 投稿者:テバ 投稿日:2005/11/14(Mon) 00:24

この彫刻はズアヴ(Zouave)と呼ばれています。凱旋門に近いセーヌ川にかかるアルマ橋の橋脚に150年近く立ちつくしています。他に3つある彫刻とともに、クリミア戦争の緒戦・アルマ川の戦いで、対ロシア戦勝に功績あった兵種のひとつ、ということでここに飾られました。

ズアヴというのは個人名ではなく、アルジェリアの山岳地帯に住むベルベル族のある支族名に由来した兵団名です。アルジェリアで傭兵されたベルベル族がクリミアで戦ったのです。そう、つまり近代外人部隊の第一号なのでした。



[Res: 614] ズアヴⅡ 投稿者:テバ 投稿日:2005/11/14(Mon) 07:17

この外人部隊の創設は1831年とされています。これに決裁を与えたのは王政復古期の後半、多分立憲君主制を構想していたルイ・フィリップです。もちろん正史の上では、フランスには立憲君主制はありませんでした。とはいえ、この本当の意味でのフランス最後の王様は、英国型の政治制度に憧れていた風があります。ズアヴのモデルになったのは、その少し前の時代に、英国がネパールで採用したグルカ兵制度ではないかと思われるところがあります。

ルイ・フィリップの治世は18年間も続きましたし、その後もあまり悪くは言われていないようです。時代の風に敏感だったのでしょうね。その時代とは、そう、帝国主義の時代です。



[Res: 614] ズアヴの受難 投稿者:テバ 投稿日:2005/11/16(Wed) 08:43

この150年の間、セーヌ川は何回もの洪水を経験しています。そのうちでも最大であったのは1910年1月のものです。この時は、ズアヴの肩のあたりまで水位が上がってきました。本当に、もう少しで溺れるところだったのです。その時、アルマ橋は見物客で一杯でした。

このズアヴのおかげでセーヌの洪水の記録が定量的に語り継がれ、後世貴重な記録になったといいます。



[Res: 614] 1910年1月のパリっ子 投稿者:テバ 投稿日:2005/11/16(Wed) 08:53

モンスーン地帯とは正反対に、この川が大氾濫するのはいつも冬季でした。このごろは地球温暖化とかの影響で、季節がズレてくるのではないかなどと、真剣に心配している秀才研究者クンもいるそうです。でも、平均的なパリジャンやパリジェンヌは、そんな心配とは無関係に人生を楽しんでいます。

1910年1月の洪水のころは、写真術・写真機が広く普及を始めていた時代でした。そこに珍しい市街地氾濫などが起こったのですから、放って置くわけがありません。みんなでザバザバと水の中に繰り出します。思い思いのポーズを取って、しっかりとカメラ目線で記念撮影ということになるのです。

ズアヴの方は、もう少しで溺れそうだったというのに・・・



[Res: 614] かくてズアヴは、・・・ 投稿者:テバ 投稿日:2005/11/16(Wed) 10:15

この150年間のセーヌ川の洪水を忠実に記録し続けてきました。「ズアヴの腰帯の上のところまで水が来ていたよ」とかいう形で記憶されます。市民が見張り役ですから、記録し損なうということがない、作動確実な現代のナイロメーターです。アルマ橋の設計者たちが考えてもいなかった役割を果たしてきたのです。

しかしズアヴは心配しています。現在の河岸には、1910年当時にはなかったメトロや地下駐車場といったものがゴマンとあります。ルーブルなどの美術品収蔵庫も地下にあるようです。一旦1910年クラスの洪水が起こってセーヌが氾濫したら、経済的・文化的損失は量り知れないものになるのではないでしょうか。

平均的なパリっ子は、全然気にかけていないようですが。

【資料提供:IIBRBS】



[Res: 614] 南北戦争のズアヴ 投稿者:テバ 投稿日:2005/11/24(Thu) 02:39

「ブル・ランの戦い(南部呼称はマナサスの戦い)から帰還したズアヴ」とあります。この南北戦争最初の大会戦は1861年のことでした。こんなところまで出稼ぎに行ってたんですね。



[Res: 614] 南北戦争のズアヴⅡ 投稿者:テバ 投稿日:2005/11/24(Thu) 10:17

「ルイジアナのズアヴ」とあります。ところで、このシリーズにも飽きがきました。傭兵の話には、どこか哀しくてとりとめがないところがありますね。


[626] ウソ 投稿者:テバ 投稿日:2005/11/21(Mon) 21:11

いろんなウソがニュースを飾っています。マンションの強度とか車両の重量とか、ウソというものは余程儲かるものらしいですね。最近のウソは妙に手が込んでいますから、従って、万一露見した場合、絶対言い訳できないことになります。

公務員のウソというのも頻繁に報道されます。昔は特別職公務員のうちごく一部の人たち(政治屋?)の専売だったのですがね。公務員のウソは罪一等を加えることになってます。知ってましたか? その危険をあえて冒すくらいに魅力的なのでしょうか。

こうなったら、日本人全員に一生に一回だけウソをつく権利を与えたらどうでしょう。憲法800条に定めるとよいですね。テバの場合は、もちろん次のようになります。

「私は今後絶対ウソをつきません」


[624] 狙い目 ? 投稿者:テバ 投稿日:2005/11/20(Sun) 07:53

フェルメール本人が寡作だったのかどうか、テバは美術史には昏いので、その辺の評価は知りません。真贋判定の問題もあるでしょう。しかし、世界中に残されている作品数といえば、どうも30点以上、せいぜい40点未満のようです。このような画家の作品なら、何かの折りにコマメに狙い撃ちをして、実物を見て回る値打ちがありそうです。

「フェルメールなら相当な数、実物を見てきんだけど、・・・」

胸を張ってこう言えますものね。たとえば、メトロポリタンだけでも5点ぐらいはあるようです。どうです? やってみませんか? ピカソあたりになると、こうはいきません。ごく一部の作品を追いかけるだけで、あっという間に破産するでしょう。



[Res: 624] 遍歴計画 投稿者:テバ 投稿日:2005/11/20(Sun) 08:40

もうちょっと具体かつ詳細に検討してみましょう。多い方から順に行くとします。すると、たった5ヶ所を廻るだけでこの画家の作品の過半を見て歩けるのです。しかも、遍歴なんてものではなくて、なぜか地域的にもまとまっていることに気付きました。どこかの旅行会社に売り込みたくなるくらいの企画でした。

最後の二ヶ所、「個人収蔵」と「盗難作品」に行き着くのは大変でしょうけれど。


[620] オマハるのかミシェるのか、それが問題だった 投稿者:テバ 投稿日:2005/11/19(Sat) 08:53

まだまだ土産話シリーズです。飽きた方は、以下省略してください。

ナントからル・アーブルへの道中では、どこに立ち寄るかという問題が生じました。とにかくバスなので、多少の融通はつけられるわけです。しかし1ヶ所だけよ、ということでした。そこで候補地を挙げ始めます。もちろん、大多数はあの世界文化遺産たるモン・サン・ミシェルを希望するわけです。ただ一人、老師のみが「オマハビーチに寄ろう」と言い出しました。

ところで、ほとんどのメンバーが「オマハビーチって何?」状態なのです。そこでテバが親切に解説してあげます。あの「プライベート・ライアン」という映画の冒頭で延々とやっていた殺し合いシーンの舞台だよ、と教えてあげたのです。映画を見たとかノベルを読んだとかいう人間が一人二人いたでしょうか。あとは「そんな映画は全然知らん」という状態でした。

今は何があるんですか、と質問する勇気ある若者がいました。N君(中立的立場)が、「そうですね、石でできた記念碑と、あとは普通の砂浜ですね」。何で日本から6泊もかけてやって来た挙げ句、そんなものを見に行かなきゃいかんのだ、という思いが皆様の胸をよぎったことだと推測されます。しかし老師は唯一の常任理事です。「Veto」を持ってます。

ここで総会メンバーの数をご紹介しますと、全員で11名です。勢力的には、オマハビーチ派1名、モン・サン・ミシェル派9名でした。テバは発言を控えましたが、本当はオートヴィル・ラ・ギシャールに寄ってほしかったのですが、これはファシズム撲滅作戦よりも理由の説明が難しいので沈黙を守りました。そのため、何となく調整担当の非常任理事になってしまいました。

そこで運転手さんに振りました。技術的問題にすり替えてしまうわけです。この2案のそれぞれの所要時間ですね。ホテルに何時に入れるのか、ということです。オマハ案では9時を過ぎるだろうということです。モンサン案なら7時半ぐらい、ということでした。その翌日も強行軍ですから、老師も折れました。史上最大の作戦は、ついに採択されなかったのです。

そうしたわけで、老師とテバの意に反して、観光みたいになってしまったのでした。

http://www.christusrex.org/www2/berry/f195r.html



[Res: 620] 行ってみたら 投稿者:テバ 投稿日:2005/11/19(Sat) 09:37

世界を二分しかねない総会の議論を経て、とうとう行ってしまったわけです。が、何と、アスファルト舗装の海中道路があったのです。完全に陸続きになっているわけです。大天使ミシェルとドラゴン・ルージュの黙示録的闘争もありませんでした。平和なお土産屋さんが沢山・沢山ありました。なお、ここで買ったクッキーは、結構安くておいしかったことを申し添えておきます。



[Res: 620] 工学系的忠告 投稿者:テバ 投稿日:2005/11/19(Sat) 09:58

N君に忠告してあげました。彼はリセー(中学ぐらい?)のころ日本から来て、以来、26年間住み着いてしまった根っからのフランスファンです。同行のY君が「結構日本車が走ってるね」と言ったところ、血相を変えて「全然少数派ですよ、国産車が圧倒的ですよ。EUではフランスしか車を造っていませんからね」と反駁するようなヒトです。

テバの忠告は、「観光収入も大切だろうけれど、この海中道路は全てを台無しするよ」というものでした。N君は素直にうなずいていました。彼も、この海中道路は遠からず撤去されるのではないか、という意見でした。大きな論争が起こっているそうです。何といっても「岬の修道院」では文化遺産失格になるはずですからね。


[613] ラカーユ 投稿者:テバ 投稿日:2005/11/12(Sat) 08:13

内務大臣がこの言葉を使ったら、それは、治安維持法に基づく強権の全面発動も辞さないよ、というメッセージなのでしょうね。racaille を英語に無理矢理置き換えると scum になるようです。コンサイス仏和で引くと「1.下民、賎民 2.廃物、すたりもの」とあります。scum の語感を加えると「流れに浮かぶうたかた」、つまり、「処理しようもないクズの中のクズ」ぐらいに罵倒しています。

もっともこの文化には、結構、したたかなところがあって、「俺たちはどうせラカーユさ」と居直ったりもするわけです。超・超を付けて良いような中央集権的階級社会です。そのくらいでないと、ラカーユの方も生きてはいけないわけです。私たちのような部外者のカンコ客には窺い知れない「奥の暗闇」がありそうです。湿度の高い風土に住む我々には、到底理解できないのでしょう。

ひと昔前ですが、あの難解なマルクス理論のモデルにされたくらいの国ですからね。


[612] SAのブックコーナー 投稿者:テバ 投稿日:2005/11/09(Wed) 07:37

高速(オートルート)で給油も兼ねて、バスはSAに立ち寄ります。シェル系です。我々はエビアンなんかを買ってしまうと時間が余ります。ブックコーナーがあったので、漫画週刊誌もあるのかな、という程度の好奇心で覗いてみました。本場物のカラーグラビアたっぷりのヤツを期待していたのですが・・・全然ありませんでした。全員落胆です。

マップ類は当然としても、全体的には八重洲ブックセンターの超ミニ版みたいな品揃えでした。日本のSAとは全然違うんですね。そこで仕方なく、ポツポツと物色してみたんですが、当方に理解できるのは絵本だけです。テンプル騎士団の絵本があったので買いました。こんなものが15ユーロ(税別)です。エビアンの0.25に較べると・・・

「テンプルの騎士たち - 栄光から悲劇へ -」ですか。「キングダム・オブ・ヘブン」の背景世界ですね。結構、道中の暇つぶしにはなりました。


[611] グローバル・ラティフンディア 投稿者:テバ 投稿日:2005/11/06(Sun) 07:56

首相と内相の次期大統領職を巡る権力闘争が背景にあるとかなんとか言われてるけど、フランスで現在起こっていることは、21世紀の先進工業国では普遍的な問題なんだよね。自国民(ローマ市民)を労働力とすれば、高い賃金を払わざるをえない。すると、どんな企業の製品でもサービスでも、市場競争力を失う。それを回避しようと、できるだけ低賃金な労働者を、帝国中から捜し回るんだ。

EUのメインの手法は海外(特に旧植民地)からの廉価な労働力の移入だった。単純作業の工員、タクシーの運転手、街の清掃夫、ホテルのポーター ・・・ こうした職種をどんどん移入民で置き換えていく。最初の段階では、元来の自国民の一部が失業し始めるけど、これは社会福祉という強力な既存システムの中で救うことができる。そのために消費税が20%近くなる。パンとサーカス社会の始まりなんだけど、すでにポピュリズム完成社会だからコンセンサスは簡単に得られる。

今回ホテル暮らしをしていて2つのことに気付いた。ポーターが田舎ホテルからも消えていた。巨大なバゲージを自分でえっちらおっちら部屋まで運ぶことになる。もちろんプールボワール(チップ)の心配もなくなったけど。次に、コンシエルジュは明らかにアフリカ北部出身の人なんだけど、もの凄く英語がうまいのね。そう、海外からの移入労働者についても、リストラや選別雇用が進んでいるらしい。こうなると、第一次移入民たちは失職するし、その2世の若者たちもいろんな意味で不利なことになる。

余所事ではない。いつのころからか、日本でも、中小工場は観光ビザ名目で海外労働力を密輸入していた。さすがに大企業は体面もあってそうはいかないので、生産拠点をアジア各国で転々とさせてきた。100円ショップの商品やスーパーの野菜から始まって、逆輸入的な商品・サービスが猛烈に氾濫している。自国民には失業手当や年金をたっぷり配っておいて ・・・ 配れるうちはいいけれど、いつかは行き詰まる。

紀元4~5世紀のイタリアの荒廃、この原因は既に紀元前2世紀のラティフンディアにあったという人もいるんだ。現代のグローバリズムでは、公然たる奴隷売買がないのだけが救いなんだろうか。


[610] ワイン評論家たち 投稿者:テバ 投稿日:2005/11/04(Fri) 08:04

とにかくワインなんてえものは、常日頃は、ブドウ・ジュース+アルコールの飲料という程度の認識です。そうはいっても、ご予算に応じて、食事に合ったワインを選んでやろうという専門家が押しかけてきました。何らかのやりとりをせざるを得なくなります。頼りになるのはN君と指導教官です。しかし忽ちデッドロックに陥ります。

教官「これがお薦めだと言っている。puissantだと言っている」

テバ「何ですか ? そのピュイ・・っていうのは(高いと思うから必死)」

N君「一般には『強い』という意味ですが」

テバ「あぁ、するとアルコールの度数が少し高いんですかね ?」

教官「どうも違う。ロワール下流の典型的ワインだと言っている」

全員「 ? ? ? ・・・」

結局、客とソムリエでは基本的知識が隔絶しているわけです。そのうえ言語の障壁もあります。こんな隔壁状態の時には発注してから考えましょう、ということになります。赤と白と各1本を頼みました。5人ですから量的には適正だと思います。出てきたのはアンジェの附近の Savennieres とかいう村の Domaine Laureau (農園)の Cuvée des Genêts 2001 とかいうものでした。2001年ならヴィンテージとまではいかなくても、まあまあ当たり年だよということでした。

ラベルからわかるのはその程度でおしまい。次に、飲みながらいろいろな感想を述べ合います。しかし、puissant にしっくりくる日本語が見つかりません。まあ、その中でも某氏が言った「コクがありますね」が近いのかな、ということで妥協しました。非道いものですね。まるで昆布と鰹節から取った出汁の評価です。

翌朝です。バスで移動します。たまたま路傍に、電動モーターの写真入りの大きな広告看板がありました。そこには何と、昨夜問題になった puissante の文字があるのです。N君に指摘したところ「ああ、力強い回転とありますね」・・・ここでピタッときました。「そうか、腰が強いワインという意味なんだ」。N君も賛成してくれました。

ワインの味は、既に12時間以上も彼方に去っていました。


[607] アンボワーズ城の石垣 投稿者:テバ 投稿日:2005/11/03(Thu) 19:01

視察経路上にあった5つのシャトーに立ち寄りました(わざわざ行ったわけではありません)。大部分がルネサンス様式以降の時代に造られたり改装を受けたりしたもので、あまり面白くは感じませんでした。何といってもお城は戦国時代の産物です。それも強力な大砲が実用化してしまうと防御力はなくなってしまうので、ルネサンス時代以前にこそ華だったのです。防御力がないシャトーは、単なる「やかた」ということで、居住性を重視して、壁は薄くなり窓は大きくなります。

今回古い時代の面影を最も残していたのは、アンボワーズ城の石垣でした。これを基礎代わりにして建てられている居館や教会は、すでに15世紀後半の建築ということでした。大部分がルネサンス風で、屋根のあたりにゴシックの面影を残します。この石垣が築かれたばかりの時代には、一朝事ある場合、シャトーは街全体の人畜の避難所になっていたはずです。大砲の登場で主戦場は平地に移りました。そうしてシャトーは、殿様と家来の住居兼宴会場になったわけです。



[Res: 607] アンボワーズの国宝 投稿者:テバ 投稿日:2005/11/03(Thu) 19:03

フランソワ1世は、晩年に不遇をかこっていたレオナルド・ダ・ビンチをアンボワーズに招聘します。お城に近いところの「クルー(Clos)」と呼ばれる館を与えました。ここでダ・ビンチは1519年に亡くなるわけです。最後まで手放さなかった三点の絵画をフランソワに託します。いずれも国宝級ですが、その中の一点がいわゆる「モナ・リザ」です。



[Res: 607] クルーの寝台 投稿者:テバ 投稿日:2005/11/03(Thu) 19:26

そのダ・ビンチの臨終の寝台が残されていました。500年前のものです。そばに恰幅の良いおじさんがいて、凝っと見入っています。よくよく見ると、私たちのバスの運転手さんでした。お城にはよく観光客を連れて行くんだけど、パリからの日帰りなのでクルー(彼はパリっ子なので「クロー」と発音)まで来る余裕がないことが多いんだ、とのことでした。


[606] センス・オブ・コミュニケーション 投稿者:テバ 投稿日:2005/11/01(Tue) 08:46

今回の旅には「こいつらが日本語をダメにした」という赤瀬川・ねじめ・南三氏鼎談の文庫を持参しました。どこから読み始めてどこで寝てしまっても良い、次の日には内容を忘れている、軽い(グラム数のこと)、どこかのホテルに置き忘れても損した気にならない等々、まあ、これだけの条件を全て備えた本というものはあまりありません。その意味では、芥川賞、直木賞、雑画家の三大大家(「おおや」ではなく「たいか」)揃い踏みのこの本、選定に誤りはありませんでした。

その中に、赤瀬川理論らしいのですが「貧乏性」の話が出ていました。世界的に見て貧乏性が発生する地域は日本とドイツぐらいであるとか、そこの人々は貧乏ゆすりをしたり台所で輪ゴムを集めたりする特徴があるとか、ということのようです。ブロアの宿では、もう夜も遅いし疲れていたので、宿屋のレストランで集団晩飯しました。少々暑かったので、持参の扇子でパタパタやっていたために、隣席で食事していた老夫婦の親爺のほうの注意を惹いてしまいました。

いきなりやってきて「お前はチャイニーズか、コリアンか、ベトナミーズか ?」と訊くわけです。明らかなドイツ訛りです。そこで若干話し込んだのですが、当然、何語かわからないウルトラ・リンガルな遣り取りになってしまいました。第二語にてギョーテ、ハイネに憧れし日々今いずこ、です。で翌朝、朝飯を済ませてロビーでチェックアウトしていたところ、この親爺が奥様を伴なって降りてきました。問うて曰く「アイネ・ナハト ? !」、この意味は良く判りました。知り合ったばかりなのに、ね。

「ウィ、マルーズモン !」と応えたら、ご夫妻で肩をすくめておられました。貧乏性のイチニを争ったら、日本が勝ちますね、きっと。それと、折角コミュニケーションが芽生えたうえに奥様がおられたのに、ドイツの台所における輪ゴムコレクション事情を聞き損なってしまったのでした。勿体なかった ・・・ って、また貧乏性ですね。ちなみにホテルは有名な「ノボテル(Novotel)」という安宿です。健康・清潔・廉価を売りにしているようで、あの辺では、長期滞在型ホテルの代表格のようでした。


[605] ランナウェイ 投稿者:テバ 投稿日:2005/10/29(Sat) 23:13

ナントの外港サン・ナザールの沖合にノワルムーティエという島があります。代表的リゾートのようです。テバとしては是非そこに立ち寄って欲しかったのですが、圧倒的少数(一名)ということで否決されてしまいました。本当は、相当に高度な島嶼型循環式水管理をやっているらしく、その実態を視察したかったという動機もあったのです。

シャルル大帝のころ、この島には大きな修道院があったのですが、ある日ノルマン人の舟の大群が現れたそうです。修道僧たちは財宝、なかんづく聖遺物をたずさえ、ロワール谷沿いの道を、東へ東へと逃亡を始めました。しかしなぜかノルマン人は何処までも追ってきます。なぜならば、坊さんたちの逃げ方には戦略がなかったのです。

バイキングに由来するノルマン人の舟は喫水が極めて浅く、ロワール川のような浅瀬ばかりの川でも難なく遡ることができたのでした。ノワルムーティエ島からブルゴーニュのディジョンまでは直線距離でも550kmぐらいあります。彼らは岡山から東京ぐらいまで逃げたのですが、そこでノルマンの追手は止みました。大きな山地を越えたからです。

すでにソーヌ川に達していました。彼らはそこに新しい修道院を築きます。それらのうちの一つはのちにクリュニーと呼ばれ、将来多数の有能な教皇を輩出することでしょう。また、シトー会という修道会もできることになります。ノルマン人の後押しがなかったら、このブルグンド人の谷には、ニーベルンゲンリートの血腥い風が吹き続いていたのかもしれません。

また、ワインの名産地が一つ、誕生し損なったかも知れません。


[596] 風前の・・・・ 投稿者:テバ 投稿日:2005/10/28(Fri) 21:48

多摩川源流の村に行ってまいりました。気がついてみると、13ヶ月以上のご無沙汰でした。第二次過疎化が既に進行しつつあるのですが、一方で、若い世代がいわゆる「Iターン」を始めつつあります。きわめて微妙だけれど、ある種の均衡が成り立つのではないかという希望があります。ただ、この一村の身命を賭した戦いにとって気になるのは、もっと大きな単位での政治家・行政官の判断です。彼らの方針が、効率とか財政とかをショートレインジで追求するあまり、こうした村が目指す方向とは必ずしも調和的でないという懼れがあります。

去る9月、私たち国民は、あらゆる意味で「既存のムラ社会」が崩壊したという証拠の現象を目撃しました。ポピュリズムは、国家規模で最後の仕上げ段階に入ってきたようです。大都市という異常な空間では、劇場型政治家とNEET志向型大衆が、自己愛(一昔前は「自己中」程度だった)を軸に、大循環の輪を完成するのでしょう。この無責任の嵐は次の「新しいムラ社会」が形成されるまで続く、というのが政治学の法則です。ポピュリズムは凄く楽しいけれど、その唯一の問題点は、最終的なツケは視聴者たる大衆自身に回されます。全共闘や紅衛兵を目撃してきた世代の大衆の一員として、体験的に知っています。

であればなおのこと、アイザック・アジモフのサイコヒストリーが必要です。この嵐を乗り切り、次の時代に芽を吹くべき古代大賀蓮の種、ファウンデーションが必要です。地理的コミューンとしての伝統的な「村」を大切にする必要があると思うのです。あの強烈な中央集権国家・フランスは、実は37,000近いコミューンから構成されています。あらゆる戦争について勝った記憶がないのに、負けたという歴史がないという国です。「帝力我において何か有らんや」、これがこの不思議の国の底力だと言われています。レジスタンスの原点です。

現行の地方自治制度の祖形となる市制・町村制・府県制・郡制は、山県有朋が帝国の弥栄(いやさか)に、地方が支障にならないように工夫を凝らしたものだと言われています。現在、分権とか三位一体とかによってこれを是正しようとしているわけですが、結果として一番大切な基礎的単位としての「日本のコミューン」を消滅させないようにしていただきたいものです。今回訪村三度目というTさんは、この源流の村への移住を真剣に検討しているようです。空き家の状況などを聞きまくっていました。

朝の通りで出会う村の老若男女が、見知らぬはずの私たち一行に、必ず「おはようございます」と声をかけてくれます。大都会では消滅してしまった風習です。大月への帰路でのことです。大菩薩峠への登山口がある松姫峠の駐車スペースに休憩のために車を停めました。そこで、バイオトイレが新たに設置されているのを発見しました。ソラーバッテリーも載せているし、小さいながらも風力発電機のようなものもありました。分散型サニテーションの実現を夢見る一人としては、大変に嬉しかったことです。


[595] たまにはグルメも 投稿者:テバ 投稿日:2005/10/26(Wed) 20:37

ひそかに製造したジャンボンの昼食は、テバの食欲や消化器の能力にぴったりなのですが、こうしたことばかり繰り返していると、ついには下水道の中を逃げ回るハメになりかねません。そこで憧れのジビエにチャレンジすることにしました。指導教官にご相談申し上げたところ、「材料の確かさや費用の点からもナントが良いね」というご託宣でした。

有志を募り、一張羅(死語)のネクタイをしてタクシーで出かけます。もちろんややこしい予約等はN君が済ませています。結構走ったわけですが、郊外のお屋敷ばかりの閑静な一角に到着しました。その名も "Manoir de la Régate" です。良くわかんないけど、元来はレガッタ同好会のクラブハウスだったんではないかということでした。たしかに大きな池のようなものに面しております。

そこで何をいただいたかというと、これは丁寧にご説明申し上げたいので、後日に譲ります。というのも、仏語堪能な知人に解読してもらおうと思っているからです。そんなことなら任せなさいという人は、次のアドレスから、いきなりどうぞ。

 http://www.manoir-regate.com/

冒頭に出てくる2人は兄弟ということでした(あんまり似てないよ!)。で、眼鏡の方が兄貴でありシェフ様です。日本語は「コンバンワ」と「アリガトウ」ぐらいですが、腕前の方は、ご同行いただいた指導教官にも満足していただけるものがありました。


[588] 憑き木 投稿者:テバ 投稿日:2005/10/25(Tue) 09:40

秋が深まりつつある季節です。ナラの樹々は黄ばみ、葉を落とし始めます。そうすると、どうしても我が目は、こいつに行ってしまいます。そう、テバの憑き神たるヤドリギです。ドイツよりも温暖なせいか、この国におけるこの植物の扱い方は大らかです。気候が国民性にまで昇華しているような印象です。ひときわくっきりとした濃緑のボールが、あらゆるところで見かけられます。この国ではギィ(gui)と呼ばれています。今回のガイドをしてくれたN君(日系)によれば、この国では、老人も子供もこの宿り木のある風景をこよなく愛するようです。

ナントの外港サン・ナザールの運河の附近で、ついに、荘厳・華麗・泰然・自若……とでもいうべき立派なやつに出会うことができました。「凄いね」、これはテバとN君だけに通ずるやりとりでした。



[Res: 588] 印象派宿り木系 投稿者:テバ 投稿日:2005/10/25(Tue) 09:45

カメラは下手なテバですが、運河を前にした家があり、その家の背後にさりげなくギィがあったりすると、思わずシャッターを切ってしまいます。もう、何と言っていいか、源氏物語を印象派のタッチで描き、そこから糠味噌を洗い落としたような感じです。



[Res: 588] 冬の跫音 投稿者:テバ 投稿日:2005/10/25(Tue) 10:06

この季節のナラ林の樹下は豚の天国です。巨大なドングリがびっしりと降り積もっています。

 豚太郎を太らせ、豚太郎の足許に団栗降りつむ
 豚次郎を太らせ、豚次郎の足許に団栗降りつむ

三好達治の世界ですね。

観光地のおネイさんが、日本に生ハムを持ち帰ろうとして取り上げられた話をしてました。日本の検疫制度は完璧で素晴らしいと思うけど、生ハムを没収するのだけは非道いのよね、というご主旨でした。



[Res: 588] 独行時軽食 投稿者:テバ 投稿日:2005/10/25(Tue) 10:47

とにかく毎回、メシの量が多いのには辟易しました。若い連中もボヤいてましたから、老人力のせいではないと思いますよ。そこで一工夫します。何かのはずみで昼メシを一人で済ます予定になった日などです。今ではどこのホテルでも朝食はバイキングスタイルですから、そこで段取りをつけておくわけです。

材料

 バゲットの20cmぐらいのもの(包丁で縦に切れ目を入れておくと良い)
 薄切りチーズ
 薄切り生ハム
 (お好みにより、バターやトマトなども可)

朝食をいただく合間に、これらの素材を加工していきます。すると、サンドウィッチ・ジャンボンができあがるのです。これをペーパーナプキンでくるんでポケットに入れてしまえば、お弁当の準備完了です。ジャンボンなるものは、鉄道の車内販売でも売っている歴とした一品です。幕の内弁当ですね。

お昼です。川っぷちのベンチなどに腰掛けて、行き交う舟など眺めながら、エビアンと一緒にいただきましょう。日本人に生まれて良かったナ、という感慨ひとしおです。原価ゼロ、低カロリーな簡単・短時間食です。ザル蕎麦感覚の昼食です。雀も鳩も寄ってきます。パン屑を分けてあげましょう。さすがに豚は寄って来ません。

あのバラバラな材料がしっくりと一体になった滋味は、おにぎりの美味に通ずるものがあります。


[592] エネルギー政策 投稿者:テバ 投稿日:2005/10/23(Sun) 15:28

上空の薄い雲を抜けて着陸にかかっている時です。不思議な雲がポツンと見えました。最大にズームアップして、とりあえず撮影しておきました。後刻拡大してみると、地上には工場のようなものがありました。

ちょうどベルギーとの国境を越えたあたりです。



[Res: 592] エネルギー政策 Ⅱ 投稿者:テバ 投稿日:2005/10/25(Tue) 21:54

オルレアンの郊外で「工場のようなもの」の正体を実見しました。原子力発電所です。すぐ傍には、農地や農村が拡がっています。N君によると、この国の電力は80%以上が原発を供給源としているそうです。余剰電力も多いので、周辺の「グリーンな」諸国に輸出さえしているようです。

同行の電力の専門家に聞いたところ、日本の場合、湯気が目立つとあれこれ問題が起こるので、最後に冷却過程を入れて透明にしているそうです。先進工業国のお国の事情も実に様々なことです。ひと昔前の「新宿原発」という言葉を思い出しました。


[587] ブロワ城の壁 投稿者:テバ 投稿日:2005/10/25(Tue) 08:57

今回現地指導をしてくだすった先生は、冬季オリンピックに何年も先立つころのグルノーブルに留学しておられたという人生の大古参です。「ドル高く円痩せ切った」時代だったのだから相当大変だったと思います。しかし、担当教授が親切な方だったらしく、いろいろと面倒を見てくれたそうです。あちこちの(貧乏)視察旅行の経費などは、必要最小限でしょうが、こまめに出してくれたようです。

ある時、偶然、ジャンヌダルク祭の最中のオルレアンを訪れたのだそうです。街中がパレードなどで沸き返っていたことでしょう。そこに突然、大統領就任間もないシャルル・ド・ゴールが現れたということです。「それはねテバさん、全然期待もしていなかったから、丸儲けだったね」というお言葉でした。あの「ジャッカルの日」のナマの主人公を目撃できたのですから、気持ちは良くわかります。

ジャンヌが王太子シャルルを尋ねていった先がブロワです。案の定、こぢんまりとした街でした。しかしブロワの町民は、今でもこの出来事を強く誇りに思っているようです。確かに、ブロワ城の壁の500周年記念プレートには、こうあります(誤読御勘弁)。

「ジャンヌダルクは1429年4月25日にブロワに着いた。ここで軍を編成した。自らの旗を聖救世者教会において祝別した。4月27日、オルレアンの解放に向けて出陣した」

たった2日でオルレアン解放軍が編成できたのです。しかもこれが、百年戦争の終結へ向けての大転換になったのでした。ナチス占領下の国民に向けて「自由フランス万歳!」と叫び続けたド・ゴールですから、ジャンヌのお祭りがあると聞いては、じっとしていられるはずはありません。自らの大統領就任お披露目の大舞台と考えたとしても、何の不思議もありません。以上は、「丸儲け」史観です。

「歴史とは、過去に向かっては必然であり、未来に向かっては偶然である
 過半数割れも、三分の二超も、ともに歴史であり、歴史に過ぎない」

これはテバの言葉です。



[Res: 585] 異端者・聖女ジャンヌダルク 投稿者:テバ 投稿日:2005/10/23(Sun) 15:24

話は前後しますが、ルーアンで昼食を摂ったレストランの横が広場になっています。ジャンヌダルクが火刑にされたところだそうです。その当日は、このレストランにも野次馬が鈴なりだったのだろうな、と思いながら食事をする仕儀にあいなりました。

英仏条約の上からは国王登位を否認されていた王太子シャルルを、シャルル7世として強引に戴冠させたのがジャンヌでした。それなのに一旦ブルギニョン(ブルゴーニュ派)の捕虜になるや、シャルルは不作為に走ります。これが原因で彼女は英国に売られます。さらには、パリ大学神学部の裏工作もあって異端と断罪されます。しかしジャンヌが唱道し続けた「フランス」という概念は、極めて強烈なメッセージ性を持って、この旧ガリアに住む人々にインパクトを与えたのです。時代がそうなっていたのです。英国と同盟していたブルギニョンの連中も、自分たちはフランス人だったということにやっと気付きます。その結果ついに、英国軍はイングランドに追い返えされます。ヨーロッパに一つの大国が誕生しました。

パリ大学神学部は無節操な政治的ダッチロールを繰り返したため、本来ならカトリック絶対優勢のこの国に、次の世紀には宗教戦争を呼び込んでしまいます。アンリ四世がナントの勅令を出す前後まで、カトリックとユグノーの間には流血の惨事が延々と続きます。この過程で、ヴァロア朝もついには滅び、ブルボンの血統が王となります。神学は諸学の王たる地位から転落します。ジャンヌのイデオロギーの圧倒的勝利となりました。「フランス」という一言こそ、史上最も見事なワンフレーズ・ポリティックスだったのです。カエサルが種を蒔き創造したガロ・ローマ世界は、この時代に、フランスという名の古代ローマの後継者に変貌したのです。以後は、ナポレオンもド・ゴールもジャンヌの継承者に過ぎないことになります。

1920年、ヴァチカンはジャンヌを列聖しました。しかしなぜか異端審決だけは取り消されていないようです。ガリレオガリレイに限らず、ヴァチカンの喉に刺さった骨は相当な数に上ります。



[Res: 585] トリオ 投稿者:テバ 投稿日:2005/10/23(Sun) 15:26

全景です。



[Res: 585] うさちゃん 投稿者:テバ 投稿日:2005/10/29(Sat) 02:21

アップです。


[585] 帰ってきました 投稿者:テバ 投稿日:2005/10/23(Sun) 14:42

昨日の夕方帰宅しました。

今回はロワール川が中心テーマです。中流から河口にかけて、オルレアン、ブロア、トゥール、ナントと泊まり歩きました。最後にル・アーブルに移動して、セーヌの河口付近の状況を見聞してきました。この辺りも、ノルマンディー大橋の架設以来、開発と環境保全の折り合いで大変に苦労しているようです。牛を飼う農民もいます。狩猟(鴨)同好団体もあります。延々と議論・試行錯誤を続けていました。

ル・アーブルからパリへ戻る途上、昼食を兼ねてルーアンに立寄りましたが、そこの路上で面白いトリオを見かけました。ウサギがイヌの背中にとまって、舌で毛繕いをしてあげています。イヌは気持ちよさそうに目を閉じています。時々おじいさんがレタスのようなものをご褒美にくれます。この時ばかりはイヌも、「僕のは?」と頭をあげます。これで立派な路上パフォーマンスになっているのですね。

イヌがおじいさんの肩でも揉んであげれば、ブレーメンの音楽隊に匹敵するのになあ・・・などと思ったことです。


[584] 10日間ほど 投稿者:テバ 投稿日:2005/10/12(Wed) 23:42

留守にします (~_~;)


[583] 私のアメダス 投稿者:テバ 投稿日:2005/10/10(Mon) 00:18

人によって印象は違うでしょうが、神奈川県の行政区画の境界は、私には何かの変わった雑種犬のような形に見えます。この犬は東京湾の向こうの千葉県に吠えかかっていますが、その犬の目のあたりに日吉があります。千葉県の皆様には大変に申し訳なく思っています。

閑話休題。気象庁直営の気象・地震情報サイトがこのごろ充実してきました。民営化防止の念力・迫力を感じるぐらいに、サービスが良くなってきているのです。サイトマップを見ると、われわれ素人が日常的に必要としているものは、ほとんど揃っています。

 http://www.jma.go.jp/jma/index.html

私は、「傘を持っていこうか、どうしようか」と迷う時には、まず、「レーダー・降水ナウキャスト」を参照します。雨が近づいているのかどうかが解りますし、10分単位で1時間先の予想降雨があります。これで駅前の本屋さんに、安心して傘なしで行って帰ってくることができます。

もう少し遠出をするなら「天気分布予報・時系列予報 」です。6時間先の予測まで提供してくれています。なお、ここで私は予測、予想、予報などの言葉をあまり厳密に使い分けてはいません。何といっても「楽がき」ですから。

今回ご報告するのは、ごく最近の発見です。「アメダス 地図形式 / 表形式」というものを掘っていったら、一台ごとの雨量計の記録までが出てきたのです。そうしてそのうちの一台は、私の家からほんの200m程度のところにあったのでした。某コンビニの屋上のようです。後日、要確認。

こうなると自分の家の屋根に雨量計を設置して貰ったのと全く変わりません。気象庁は、国民の税金を使って、私個人及び日吉住民に雨量計サービスを無料でプレゼントしてくれていたのでした。素晴らしい。気象庁民営化絶対反対!


[581] 公伯考(4) 投稿者:テバ 投稿日:2005/10/09(Sun) 07:16

ある広がりを持った領域(領土)にいる人間(領民)を思いのままにできる誰かさんが誕生すると、そこには一つの主権国家が生まれたことになる。「思いのまま」というのは「支配」ということだが、こうなると、

 普天之下莫非王土 (普天の下、王土に非ざるはなく)
 率土之濱莫非王民 (率土の濱、王民に非ざるはなし)

全ての土地も人民も主権者のものだということになる。この場合の主権者は王様だが、そんなの嫌だという人民は必ず出てくる。すると争いが絶えなくなる。そこで王様を廃止して人民を主権者にしたらどうなるだろう、と考えた奴がいた。そこでやってはみたのだが、相変わらず争いは絶えなかった、というのがここ200年ぐらいの世界の歴史である。

不思議なことである。例えば20世紀だけを取り上げても、この100年間で人口はたった4倍にしか増えなかった。しかし世界のGDPは約16倍になったという。平均的な「地球人」は約4倍も豊かになったのだ。皆さんがそこそこ満足というこにはならないのだろうか、と思う。しかし20世紀は戦争の世紀だった、と言われているのである。

再びベルヌー女史の本に戻るが、中世世界では、一定領域の支配原理は軍事力(暴力)のみであった。そこで王様の下に公伯が誕生したのだという。それぞれが中世ラテン語に由来するようで、

 公爵 軍事指揮者 デュック=デュックス(指揮官)
 侯爵 国境防衛者 マルキ=マルシオ(辺境)
 伯爵 領地分封者 コント=コメス([王の]仲間)

以上の三爵が領主(セニョール)ということになるらしい。子爵とか男爵というものは王様の宮廷におけるただの取り巻き・雑用係だったようで、いわばサラリーマンである。もちろん、廃藩置県により領地から完全に切り離されて十年余、明治日本における旧三百諸侯は全員サラリーマンになっていた。彼らの爵位は結構微妙である。

純粋に家柄と維新前後の与野党事情だけの反映である。明治16年時点の帝国政府の議論も伺われるような楽しいところがある。


[577] 公伯考 投稿者:テバ 投稿日:2005/09/25(Sun) 20:39

本邦で「公侯伯子男」といういわゆる爵位が制定されたのは意外に遅い。明治17年の華族令による。この時点で選ばれたのは、立派な家柄の者と、国家に対し偉勲・勲功があった者とされる。華族令と称してはいるが、勲功士族の地位向上も大きな動機であったようだ。この前年の明治16年には、国営ダンスホール・鹿鳴舘がオープンしている。つまり、条約改正のために、近代国家日本を西欧諸国にアピールすることも、もう一つの動機と考えられる。

蜂須賀さんという家柄があった。矢作橋での小六と日吉丸(秀吉)との出会いはお伽噺に過ぎないにしても、あまりにも人口に膾炙しすぎていた。この蜂須賀家の初代当主の実像はといえば、は矢作川沿岸の傭兵隊長(ラントクネヒトハウプトマン)のようなものであったらしい。彼の孫・至鎮(よししげ)に至り晴れて初代徳島藩主として封じられる…幾星霜、14代の茂韶(もちあき)の代で幕末維新を迎え廃藩、しかし明治17年には初代侯爵に叙せられることになる。

以下はどうも江戸時代に整理されたことのようであるが、蜂須賀家は源朝臣つまり源氏であり、その家系は『清和天皇皇子常陸大守貞純親王子鎮守府将軍経基八代陸奥守義康八代修理大夫高経裔(すえ)』ということになっている。家系というものは、現代の当主から遡って造られるということの典型のような事例である。しかしながら明治大帝は例の矢作橋のエピソードをよくご存じであったらしい。あるとき、この件で蜂須賀侯をおからかいになったこともあるという。

弊国の爵位制導入。これは、条約改正を特命されていた井上さんの思いつきで始めたことかどうかは知らないが、キンキンモウモウとした時代の出来事ではある。



[Res: 577] 公伯考(ちょっと脱線) 投稿者:テバ 投稿日:2005/09/29(Thu) 00:20

井上さんというのはDJのカオルさんではなく、井上聞多(馨)のことである。テバが習った日本史では、南部藩から尾去澤銅山を横領したり、藤田組の贋札事件への関与を疑われたり、北海道開拓使の利権処分疑惑に絡んだりで、大変にダーティーなイメージを持たされていた人物である。東北諸藩の恨みを一身に背負っていたことは間違いない。

ところが、この聞多君を一転して評価し直したくなる逸話に出会ったのである。それは徳富蘇峰⇒丸谷才一「軽いつづら」という引用で知った。それはネギマのことだった。まだ幕末の志士として江戸市中を駆け回っていたころ、居酒屋のネギマが大変おいしそうに見えたという。残念なことに懐中無一物、食するに至らなかったらしい。

維新後、馨ちゃんはこのネギマを大いに研究し、遂にスッポンのスープをベースとするネギマを考案したという・・・こういうことをするヒトはバカかも知れないが、悪人であるはずはないと確信した。鹿鳴舘ダンスパーティー構想にしてしかりである。爵位制度を思いついたとしても、スッポンスープのネギマの延長線上ということなら理解できる。

井上さんは、長州閥の泥を相当に引っかぶっていたフシがある。相当無防備な好人物であるとすれば、秀才・江藤新平あたりからは絶好のターゲットにされていたわけである。伊藤さんも山県さんも公爵になった。しかし、井上さんは侯爵に留まった。ただ、明治大帝は、こんな井上さんをこよなく愛しておられ、いつも昵懇に話込んでおられていたという。



[Res: 577] 公伯考(女公爵) 投稿者:テバ 投稿日:2005/10/03(Mon) 00:02

そこで困るのは、たとえば女公爵と公爵夫人の区別のことである。日本にはカカア天下というものは古今東西に数多あるのだが、女大名とか女旗本というものはない。少なくとも公式に認められていない。その点、領地の世襲を命懸けでやってきた世界の貴族階級は、女系相続も何のそのである。あちらにはあるらしい。

ちょっと真面目な英和辞典で"duchess"を引くと、「女公爵または公爵夫人」と記載されている。すると女公爵の夫君というのも生じてくる。夫君とかカミさんというのは爵位ではない。エリザベス二世女王の夫は「女王夫君」ではなく「エディンバラ公」と呼ばれる。つまり「旦那」のままで放置はできないので、これを公爵にしてしまったわけ。

※ 脱線ですが、子供の早口言葉です。

Les chaussettes de l'archiduchesse sont-elles seches?
Archiseches!

(女大公[大公夫人]の靴下は乾いてますか? すっかり乾いてます!)

あちらの子供がつっかえながらやっている姿はとっても可愛いですよ。


[578] ガチャ眼(増補改訂事項) 投稿者:テバ 投稿日:2005/09/28(Wed) 10:54

一昨年の暮、ガチャ眼論を展開していたころ、次のように述べました。

『まず、先生に近視を残すか遠視を残すかを訊かれます。いきなり訊かれることが多いのですが、事前に考えておいた方がもちろんベターです。天然レンズの場合は、毛様筋の作用により、レンズの厚さが変化します。このおかげで、近くのものにも遠くのものにも焦点を合わせることができるのです。天然物ならではの良さです。ところが人工レンズはプラスチック製で、なおかつ毛様筋と切り離されてしまうので、固定焦点式になります。「写ル○です」と同じ設計仕様になります。あなたが景色や夜空を眺めるのが趣味なら、老眼残しにしましょう。眼鏡不要です。その代わり、新聞を読む時などには、老眼鏡が必要です。逆に、近眼残しにすると、外をうろつくときに、眼鏡が必要になります』

この記述そのものは極めて客観的であり(自賛)、何の問題もありません。したがってこれは、A新聞のような謝罪記事ではありません、念のため。ただ、その後一年有半生活してみて、これにテバの経験則を補足しておくべきだと考えるところがあったのです。いわば、マニュアルの増補改訂版のようなものです。

  それは眼鏡の市価問題に関するものです

生活用の老眼鏡というものがあります。別名シニアグラス。ウェブのフリマでは3,000円前後で取引されてます。ブランド物(?)でも5,000円くらい。要するに眼鏡のフレームみたいなモノに虫眼鏡用レンズを取り付けただけのものだから、極めて安価なのです。検眼も不要です。度数だけが規格で、それも+0.5,+1.0,・・・というJISもISOもMILもないという荒っぽい世界です。何と、百均ショップにすら置いてあります。

これに対し、「近眼残し」にした場合はどうでしょう。これはレンズだけでもHOYAかNIKONかという騒ぎになりますから、片眼でも20,000円ぐらいになります。ただの凹レンズだと思うのですが、ディスカウント後でも両眼で30,000円はかかります。ダイソーのシニアグラスなら300個は買えることになります。フレームも何故かブランド品を薦められますから、節約に節約を重ねても50,000円を軽く超えます。いや、むしろ、50,000円なら安い。

安手のフレームというのは、若い人向きのものが多いですね。白内障との相関が高い熟年以上には、ちょっと恥ずかしい感じなのです。年齢相応のフレームとなると結構高価です。年金生活者用熟年フレームというものがないというところに、本邦の政治の貧困を感じます。憲法第25条は「すべて国民は、健康で文化的で『安価な』生活を営む権利を有する」と改定したらどうでしょう。ね、コイズミさん。まあ、閑話休題。

総括ですが、眼鏡と二人連れにならざるをえない療後生活の経済性を考えると、「老眼残し」に圧倒的な支持を与えざるべけんや、ということになるのでした。昨日、大學眼鏡研究所というところへ行って研究して貰った果ての結論です。フレームもバーバリだのダンヒルだのということになると、高齢者としては、生活の経済的安定性にまで影響するのです。

なお、最近は、白内障のネクスト・ステップを心配する年齢階層のために、緑内障予防用カラーグラスというのまであるようです。グラサンの一般論としても、「度」が入っていない方が圧倒的に安いわけです。結局、テバとしてはそこまで深く考えておかなかったために、現在、大変な経済的苦境に陥っているのでした。

諸賢のご参考になれば幸いです。


[576] 祝・22,000万人 投稿者:テバ 投稿日:2005/09/25(Sun) 17:58

さすがに不況知らずの中部圏です。ついに22,000万人を突破しました。おめでとうございます。これを見たせいか、東京も五輪再招致を決意したようです。


[574] お懐かしや! 投稿者:テバ 投稿日:2005/09/22(Thu) 20:13

久しぶりの台風談義です。

アベックというより、多少そっぽを向きながら2つの台風が発達中です。17号のサオラーと18号のダムレイです。このダムレイ、懐かしい響きです。そう、現在の命名法が始まったときの第一号なのです。14ヵ国が10ヶずつ提案して、140ヶの名前が使い尽くされたのでした。国の始まりは淡路島、台風の始まりはダムレイで、粋なネーちゃん・・・というわけです。

140ヶしかないのなら全部暗誦してみせようじゃないか、という元気な人も登場するかも知れませんね。神武、綏靖、安寧、威徳・・・とやった世代は、特に頑張ってください。

Damrey、意味は象、命名はカンボジア。この象、里帰りの気配を見せています。



[Res: 574] サオラー 投稿者:テバ 投稿日:2005/09/22(Thu) 20:16

SaolaあるいはSao La、命名はベトナム、意味は「最近見つかった動物の名前」とあります。

しかし生物学者にとっての「最近」であって、地元の人々は昔から親しんでいたのじゃないでしょうか。いずれにせよ、何周目かに入ると「最近見つかった」は削除しなければならないでしょう・・・って、ジジくさい議論ですね・・・自己嫌悪。


[573] 祝・博覧会 投稿者:テバ 投稿日:2005/09/21(Wed) 00:16

もうすぐ2,100万人です。この様子では2,200万人もあり得ます。何といっても最初に用意した1日あたり27万人もスケールアウトしています。日本人が博覧会に強いことは伝説になりそうです。いや、上海を見るまで軽々に判断しないことにしましょう。

高○寺付近の早朝は、大変な混雑のようです。車道が歩車混合状態のようです。


[572] 貧乏人の軽井沢 投稿者:テバ 投稿日:2005/09/17(Sat) 07:13

大陸の高気圧のおかげで、昨日から涼しくなりました。まるで軽井沢か那須高原です。大都会の片隅に巣くう、お金も時間もない庶民にとっては、大変に有り難いことです。この天候、貧乏人のポルシェ(poor man's Porsche)に倣うなら、貧乏人の軽井沢とでも呼ぶんでしょうか。

この言い方は相当使えそうです。たとえば「ポピュリズムを突き詰めていくと、貧乏人の理想的絶対政権が誕生する」というように・・・もうこうなったら、米国共和党日本支部誘致運動の成功だけが希望です。それが実現する日までは、どうでもよいことしか起こらないはずです。

果報は、貧乏人の昼寝でもしながら待つこととしましょう。


[571] 1,589,360 位 投稿者:テバ 投稿日:2005/09/14(Wed) 22:31

この春に出した訳書の反応をブラウズしていました。

一番驚いたのは、アマゾン通販A2とかいうところに、ランキングが出ていたのです。全部で20件弱がヒットした中にあったのです。それもDVDやゲームソフトに混ざって紹介されていました。まあ、それは、文句を言う立場でないことは確かです。しかしランキングが出ているのです。

1,589,360位、これが結果です。ちなみに約20のアイテムの中での最高位は、695位の"Between the Lions(売切れ、在庫なし)"とかいうビデオでありました。下から二番目は、444,831位の"Phlegm Dive(売切れ、在庫なし)"という音楽ソフトでした。


[568] 記念 投稿者:テバ 投稿日:2005/09/12(Mon) 00:43

  Sieg Heil!



[Res: 568] 続 : 記念 投稿者:テバ 投稿日:2005/09/12(Mon) 01:42

議会が自殺をした日。全権委任法(Ermachtigungsgesetz)の成立。古代ローマ共和政は帝政を生み、ヴァイマル議会は第三帝国を解き放った。



[Res: 568] 続々: 記念 投稿者:テバ 投稿日:2005/09/14(Wed) 12:10

凱旋式? 旅順開城?


[567] Uセンセイから 投稿者:テバ 投稿日:2005/09/07(Wed) 02:20

アメリカの洪水被害地の病院で、白人しか相手にしていない場面が報道され、人種差別だと問題になっているようです。この事態を、2年間アメリカで暮らした友人が解説してくれました。

『向こうの健康保険は個人が自分の希望(or 収入)にあわせて、保険会社と個人契約します。安い保険では病院が限定されます』

なるほど、これなら、ある病院を取材すると白人ばかりということになるでしょう。「人種差別」ではなく「収入差別」であり、且つその両者は高い相関関係にある、ということでしょう。

●●のすすめる改革とかグローバル化というのはこういう具合の方向に向いているのでしょう。すべて自己責任、経済性です。人種問題はなくても、病院の階層化は日本でも起こりそうです。

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なるほどね、とテバも思います。ここでは「勝ち組」への考察が必要ですね。一昔前なら勝ち組だった中産階級は、既に負け組になっているそうです。改革・グローバル化は、寡占化という運動律も持っているのです。究極は一人勝ちなのです。自分は末端の方だけど勝ち組だもんね、と思った瞬間、崩壊しつつある崖っぷちにいるのです。

人生いろいろ、社長もいろいろ・・・あの国会答弁の深さ・重さがやっと解ってきました。病院もいろいろ、医者もいろいろ・・・マイノリティーにまで高度医療は無理さ~。赤チンとアスピリンで治しといたら~(はなわ君風に)・・・そういう意味だったのです。それでも、頓服(トンプク)にしときなさい、と言われるよりはマシなのかもしれませんが。


[566] 贋作者たち 投稿者:テバ 投稿日:2005/08/30(Tue) 19:42

贋金づくりは、人類にとっては第何番目の職業だったのだろう。王様が本物の貨幣を発行するのが先だろうから、王様商売よりは新しいのかなとも思う。王様たちは商売敵の贋金づくりに対して、苛酷な刑罰をもって臨んだ。中世イングランドでは右手首を斬り落としたし、江戸時代の日本では死罪であった。現代でも、スーパーKの大量発行などは磔・獄門に相当するであろう。

捏造記事・捏造写真というものが時々新聞・週刊誌に掲載される。最近もあったようだ。TVなどの映像の世界では「やらせ」と呼ばれるテがある。そういえばプラヴダ(ПРАВДА)という新聞がある。これは真実・正義という意味であり、カトリックに匹敵する立派な誌名であるが、現在はゴシップ誌として眉唾物のネタが多いようだ。眉唾物という点では、発刊以来変わっていないよ、と主張する人々もいるが。

ところで、贋物を造るというのは、ある種の創造的行為である。もしもそれが完璧に行われるなら、決して偽物という指摘は受けないからだ。政治活動というものには、そうした創造性がしばしば見られる。ヒトラーは「大衆は小さな嘘より、大きな嘘の犠牲になりやすい」と言ったらしい。すると、政治というのものは、100%の完璧さを求められる贋作技術の極致ということになる。

記事を捏造する記者を含め、贋作者たちが求めるものは、世間・世俗的な意味での賞賛・対価ではない。長野総局員のモティベーションを誤解してはならない。かれら贋作者たちは、自らの頭脳、つまり灰色の前頭葉とも格闘しているのである。文化大革命や主体思想は、単なる功利や打算からは生まれてこない。贋作者は芸術家なのである。偉大なる贋作は、自らを信ずる創造者からのみ生まれる。

あの見事ともいえる10月革命(ボリシェヴィキ革命)のグランド・デザインはどこで用意されたのだろうか? 当時のロシアは大変動・大激動・大混乱の渦中にあったというのに……ここに、もっとも信頼できる側近の言葉が残っている。

「工場、兵舎、村、前線、ソヴィエトのほかに、革命にはもうひとつの実験室があった。レーニンの頭脳である。地下生活を強いられていたレーニンは、7月6日から10月25日までの111日間、中央委員会のメンバーと会うことさえ制限されていた。大衆と直接交流することもなく、さまざまな組織とも接触しなかった彼は、しかしひたすら革命の本質的な問題に思考を集中し、それらを共産主義の根本的な問題にまで高めたのである」
 (トロツキー『ロシア革命史』より)


[565] 心臓と美食のために 投稿者:テバ 投稿日:2005/08/29(Mon) 00:05

フレンチパラドクスの話です。脳梗塞や心疾患とアルコール消費の問題です。

血液サラサラ効果に期待して、抗酸化ポリフェノール偏愛症になり赤ワインばかりやっているヒトがいます。和風の懐石でもこれに徹しているので、食卓が単調そうで、以前から気の毒な思いをしていました。そこでもう少し、広がりを持たせることができないのか、ということを研究してあげました。しかも和食向きのものです。

結論だけ言いましょう。シェリー酒も相当豊富にポリフェノールを含んでいます。この酒は丁度日本酒ぐらいの強さです。食前・食中・食後のいずれにも可というところが嬉しい話です。ポリフェノール豊富な食の素材は日本の伝統・米糠です。すると糠漬けに合うシェリーは、ということになります。ありましたよ。「マンサニージャ(Manzanilla)」が良いそうです。あとは試してみるしかありません。

続報(体験報告)をご期待ください。


[563] ミニテル・ポリティックス 投稿者:テバ 投稿日:2005/08/28(Sun) 12:29

80年代のフランスで無償配布され出していた情報端末です。まだシラクがパリ市長をやっていたころです。電話機の横に、かわいらしいヤツがちょこんと置いてありました。近い将来は住民投票・国民投票もこれでやるんだ、とメーカー(トムソン?)のおじさんが抱負を語っていたことを想い出します。

あれはどこに行ってしまったのでしょう。いえ、ミニテルのことじゃあなくて、電子投票のことです。今回みたいなシングル・イシューを主張される総選挙なら、告示日の翌日に投票すれば良いのですね。1,000億円余と1ヶ月余をかける意味は全くないのですね。事務所も宣伝カーもポスターも旗も要りません。

必要なら、毎週解散・総選挙をやることもできますね。第一、街中が静かになります。


[562] ルイ7世の「いとも豪奢な・・・」 投稿者:テバ 投稿日:2005/08/27(Sat) 00:02

かねてより、テバの中世への関心の根底には、富の底知れぬ寡占というものはどれほどキラキラしたものかということへの好奇心があったようだ。芥川龍之介の「芋粥」あたりに刷り込まれたのが、そのきっかけなのかも知れない。極東の貧乏列島の貴族にしてさえあの豪奢であったとするならば、中世々界の奥淵を極めた西欧貴族においてをや、という想像があったのだ。

このたび、福本秀子女史訳になる故・レジーヌ・ベルヌーの「フランス中世歴史散歩(白水社)」を渉猟していたところ、驚天動地の記述があったのでご紹介する。それはルイ7世の年収に関することである。この王様は第二次十字軍の主催者であったことで夙に有名である。まあ、本当の主役は、かの「ヨーロッパの母」と呼ばれる王妃・アリエノール・ダキテーヌであったらしいのだが。

ベルヌー女史の記述だけでは、アリエノールとの婚姻中のことか離縁後のことかが良く判らず、若干の不満は残ったのであるが、多分、逃げられた後のことなのだろう。ともあれ、彼の年収は22万8千リーブルであったという。当時の1リーブルは銀491グラム相当だったという。ここで早速、田中貴金属工業に問い合わせてみると、銀は昨日(8月26日)の売り買い平均でグラム25円ぐらいだったようだ。そこで不得意な算盤を弾いてみると、

 228,000×491×25 = 2,798,700,000

驚くべし、あの西の中華帝国たるフランク王国の宗主の年収は僅か28億円程度だったのだ。この収入の範囲で彼は、自らの衣食住を飾り立て、アキテーヌから輿入れしてきた贅沢なお姫様ご一行を養い、さらには家の子郎党の家臣団に俸給を支払い、プランタジネット・ヘンリー2世と深作欣二的抗争を遂行し、そのうえで、第二次中東派遣軍まで主催していたらしいのである。

次は暗算クラスの計算なので安心だが、1万人の兵隊を中東に送る経費を考えてみよう。日当を1万円に値切ったとしても、それだけで1日1億円かかる。それに飯代、制服代、兵器(銃器・戦車・戦闘機・空母・・・弾丸、砲弾、ミサイル・・・)代、兵士交替のため往復旅費等々であと9万円かかるとしよう。1日10億円である。仮に14万人も派遣したとすれば140億円、・・・・ルイ7世の年収では、数時間しか保たないのである。

彼の十字軍は、第一次とは違って興行的には完全な失敗であり、1リーブルの資金回収すらできなかったという噂である。かけた経費が丸損だったようだ。そのうえ猪喰った報い、このグランド・ツァーの最中に夫婦仲が決定的にこじれ、アリエノールに縁切りされる破目になったようである。彼女の持参金であったフランス西部の広大な領土は、プランタジネットの英国領になってしまった。

こんなルイにとっては、芋粥すら滅多に出会えない大御馳走であったとしか考えられない。ベルヌー女史は言う。彼の年収は、

 『当然今日の大多数の会社社長より少ない』

そんなことはないような気もするが、ルノーやニッサンのCEOより少ないことは確かだろう。


[561] 兵士の帰還 投稿者:テバ 投稿日:2005/08/23(Tue) 20:18

騎士の左後方に一大海が見える。陽光は右側から射している。朝日なのだろうか夕陽なのだろうか。朝日であるとすれば、後方の海は東地中海、エーゲ海あるいはアドリア海? カール・フリードリッヒ・レッシングの有名な「十字軍兵士の帰還」、おおよそ200年に及んだ十字軍の歴史の幕引きの一コマである。この絵を読み始めたのは最近なのだが、結構手間がかかることに気づいてきた。

まずは、この騎士の所属、身分である。槍の先に結びつけられた白黒のフラグであるが、これはどうもテンプル騎士修道会かドイツ十字騎士団の旗印のようである。派手な色彩を用いないことで「清貧」を象徴しているということらしい。その一方、この騎士の装具や馬具は比較的豪華である。ダマスクスあたりで造られたブランド物にも見える。馬種もアラブ系のようである。すると彼は、騎士修道会のなかでも高位に属する人物なのかもしれない。

テンプル騎士修道会という仮説に矛盾する点もある。マントの肩の十字の色である。テンプルではこれは赤と定められている。もっとも色褪せてしまっているのかも知れない。そういえば肩の十字、これも修道会においては高位者の「しるし」らしい。しかし単騎行である。取り巻きがいない。もっとも、あらゆる出来事について、その末路というものはこのようなものかもしれない。船賃さえないのだろう。

まだまだ読みが浅いかな。


[560] 何人目? 投稿者:テバ 投稿日:2005/08/18(Thu) 00:58

丸谷才一ものが好きなので、この酒田出身の文人の本が単行されるとすぐに買ってしまうという悪癖がある。彼の若いころの作品はそれほどでもないのだが、定家流になったころからは「滋味」のようなものが出てきたような気がする。当然、二年前「絵具屋の女房(文芸春秋刊)」が出たときも、早速購入した。テバが一番好きなのは「軽いつづら(新潮社刊)」なのだが、それに較べると、少々重い感じはしたが。

それはさておき、ある日、大変なことに気付いた。我が部屋に「絵具屋の・・・」が二冊も転がっているのである。奥付を見ても(見なくてもわかるが)、全く同一の本であった。頭を抱えてしまった。出版業界のせいにもできないし、どちらかをゴミ収集日に出すわけにもいかない。何よりも、老人力の闇の部分の怖ろしさを直視してしまったわけなのだ。とりあえず、現在のところ女房は二人とも、わが部屋に同居させている。

ところが、本日S氏のエッセイを読んでいたら、彼も同様の現象に遭遇したという記述があった。前から読んでみようと思っていた本を購入して、新鮮な感動のうちに読み了え、それではと書架に整理しようとしたら同じ本が既にあったというのである。S氏は悩んで、同年の友人に打ち明けたという。するとこの友人「いや、キミは二冊だからまだいい。ウチなんか三冊もある」と言ったそうだ。

このS氏のエッセイのタイトルは「五十八歳の告白」。テバにも、まだ一冊ほど余裕があるようです。


[559] カンポン 投稿者:テバ 投稿日:2005/08/14(Sun) 21:51

ブルキナファソは世界最貧国の一つとされています。この婉曲な表現にはかねてより不満を感じているところです。「世界最貧」という国が多すぎるような気がするのです。most poor といえば世界に一つで十分じゃあないかと思うのに、あの国もこの国もと続々と紹介されます。外交用語なのでしょうか。

Wiki によると Burukina Faso とは「清廉潔白な人の国」という意味で、別名 Republic of Burkina とも呼ばれるそうですから、Burukina=清廉潔白な人、と解けそうです。とすると「清廉潔白人民共和国」ということになり、どっかの「民主主義人民共和国」に匹敵する立派な国名になります。国歌は「Une Seule Nuit(ただひとつの夜)」ですが艶歌ではありません。

で、この国が何で有名かというと、典型的なコンパウンド(compound)があるためらしいのです。風土としてはサバンナから砂漠に属する過酷な地域ですが、ここに独特の共同集落を形成しており、これがコンパウンドと呼ばれているようで、文化人類学上の重要な研究対象になっているようなのです。一見するとスターウォーズの世界みたいですが。

もちろん世界には様々なコンパウンドがあります。中国南部には客家の円環状土楼があるし、西北部の窰洞(ヤオトン)の集合体も有名です。要するに気候・社会的に適応した様式の共同集落らしいのです。その現状を詳細に分析すると、生活と気候条件・社会条件の関係が明らかになってくるようですね。

東南アジアに行くと「カンポン」という言葉が広く使われていて、カンポン何々というように集落名を表すのに使われています。規模から言うと、字何々というような感じですね。このカンポンがコンパウンドの「訛り」らしいことを知ったのはごく最近です。

日本のカンポンは最近では高層集合住宅が主流ですが「メゾン」とか「シャトー」とか凄い名前を付けています。「カンポン神宮前」みたいな素朴なものがあってもいいと思うんですけど。

※ そうそう、アチェに平和が戻ってきそうですね。本当によかったなあ、と思います。


[558] ヒッパロスの海 投稿者:テバ 投稿日:2005/08/12(Fri) 00:44

ヒッパロスは紀元前の冒険商人である。シンドバッド伝説の元祖みたいなギリシア人らしい。アレキサンドリアに根拠を置いていたという。彼はインド洋の風に季節性があることを発見したという。つまり、季節風である。「エリュトゥラー海案内記」というガイドブックがこの情報を公開してくれたおかげで、後輩の航海者たちに計り知れない恩恵を与えた。後世、晩年のトラヤヌス帝はペルシャ湾岸まで遠征の軍を進めた際、インドとの交易に殷賑を極める膨大な数の帆船(多分、ダウです)を目撃した。このスペイン出身の皇帝陛下は、はらはらと落涙したという。自分にアレキサンドロスの若ささえ残されていれば、インドを、いや世界さえもこの手に収めることができたに違いないと。

9世紀末、かの大秀才たる菅原道真副総理は遣唐使派遣中止法案を上奏した。これは直ちに可決・実施された。もはやジャパンアズナンバーワンなのだからと考えたせいだという説もあるし、大唐帝国の末路を見切ったという説もある。いずれにもせよ、官営の交流・交易は一挙に途絶えたのだ。背景には成功率の低さもあったろう。鑑真が盲目(白内障)になりながら6度目にしてやっと渡海に成功したことや、阿部仲麻呂が遂に帰朝を断念したことなどは有名である。これは東シナ海の気象・航海条件がキチンと把握されていなかったことが最大の原因である。しかし道真は官僚であり、冒険とか商業には何の関心もない。単なる藤原一門の利権潰しに過ぎなかったという説もある。

ところがそれからわずか3~4百年後、東シナ海の海上交通は一大活況を呈することになるのである。この活動は「倭寇」と呼ばれるが、倭人の貢献度はそれほどでもなく、倭国側にかれらの避難基地が置かれていたせいらしい。しかも世上言われているような海賊行為がメインなのではなく、冒険商人的ではあれ、本質は交易者だったようだ。この歴史的現象の伏線はということになるが、道真が国営事業を打ち切ったおかげである。その後にも、細々ながら、民間レベルの活動は継続していたのである。その結果、気象、海流等に関する法則性・規則性が把握されるようになり、大交易時代を招来した。このPFIのインセンティヴは、もちろん経済上の「利」である。

テバとしても、こうした民間活力の成果には脱帽せざるを得ないと考えている。民営化反対派と誤解されて公認を抹消されては堪らないので、成功例として私が信じるものをあげた次第である。


[557] 堕地獄祭文(八木節で) 投稿者:テバ 投稿日:2005/08/09(Tue) 10:53

さてさて、長生きとは何でしょう。万太郎風に「命のはての」で済めば止む無しと思うのですが、西行風の「命なりけり」ともなると、感動が巨大すぎて老人力程度では凌げない光景を見てしまうこともあります。それは昨日のことでありました。

『花のお江戸の そのかたわらに 聞くも珍らし 心中話』

某新聞社の報道では『たたきつぶそうとする相手は、野党第1党ではなく、内なる敵なのだ』ったそうですから、これはどう見ても心中です。

『春は花咲く 青山辺の 鈴木主水と いうさむらいが 女房持ちにて 二人の子供 五つ三つは いたずら盛り 二人子供の あるその中を』

扶養家族もキチンとありました。それはそうです。拉致被害者も含め、1億2千万余が「頼うだる人」だったのです。ご身分は特別職とはいえお侍なのですから、そこそこ真面目にやってくだされば妻1子2ぐらいは養っていただけたと思うのです。しかしこの鈴木さん、何を考えていたのか、

『今日も明日もと 女郎買いばかり』

でした。タタキツブス・タタキツブス・・・カイカク・カイカク・・・ヤスクニ・ヤスクニ・・・ピョンヤン・ピョンヤン・・・アメリカ・アメリカ・・・とまあ、ド派手なことばかりが好きだったのですね。「地道」という言葉は毛頭ご存じなかったようです。そのかわりといっては何ですが、町民の「受け」は良かったようです。ここで例の方程式シリーズです。

  地道度+受け具合=一定=(ゼロ)

ひょっとしたら「一定」ではなくて「反比例」かもしれませんけど(その場合、右辺がゼロになるとすれば、特異点です)。それだけなら良かったんですが、ついには地道専門・裏街道派の抵抗勢力を憎むようになりました。こいつらは「粋」でもなければ「通」でもない。オレの支持率を低下させるばかりだ、というのが理由です。あまりの家庭内暴力ぶり、じゃない、女郎買いぶりに、女房も、

『見るに見かねて 女房のお安 ある日わがつま 主水に向い これさわがつま ご主人さまよ わたしゃ女房で 嫉くのじゃないが 二人子供は 伊達には持たぬ 十九、二十の 身じゃあるまいし 人に意見も 言わしやす頃 やめておくれよ 女郎買いばかり 金のなる木も 持たしゃんすまい』

このお安さんも立派です。「ふるアメリカに妬く」のじゃないよ、と明言しています。春団治の妻ですね。しかしながらお旦那様は、お祖父様の代からのお旗本で、しかも大・福沢門下という誇り高きエリートお坊っちゃまでした。鈴木主水(正)様としては、こんな女房の諫言は面白かろう筈もありません。

『言えば主水は 腹立ち顔に 何のこしゃくな 女房の意見 おのが心で やまないものを 女房だてらの 意見でやむか 愚痴なそちより 女郎衆がかわい それが嫌なら 子供を連れて そちのお里へ 出でいかしゃんせ』

現実の世界では主水正の親爺たる派閥の長は健在でした。昨夜も『真夏の夜の夢であってくれたらいいけど』などとぼやいていたそうです。後の祭りですね。フロイトによれば、夢は自分が自分に見せるモノです。一旦仕付けを間違ってしまうと、ハムスターでさえ手が付けられなくなります。で、祭文ワールドのお安は、

『武士の女房じゃ 自害を』

というところまで追い込まれたわけですね。高いご分際の主水さんの運命は、

『主水身持ちが ふらちな故に 扶持も何かも 召し上げらるる』

ということになったようです・・・どっとはらい。現実世界ではこれからの出来事です。

もっとも、今主水正も若干忸怩たるところがあったようで、隣町の寄合に突然顔を出して『(某党の)両院議員総会に飛び入りで現れて頭を下げた。「ご迷惑をかけます」』てなことをやったそうです。謝ってもらえたのは、隣組のおじさん達だけだったのです。あれほどポピュリズムしてくれた町民には一言の謝罪もありません。家庭内暴力男なんてこんなものです。

   巣づくりを 終えて恥じらう ハムスター


[556] 大座談会 投稿者:テバ 投稿日:2005/08/05(Fri) 17:06

昭和八年の雑誌「富士」十月号の広告の拾い読みです。この雑誌は、「雑誌読む家、明るい家庭」がキャッチコピーです。まずトップ広告ですが、これはあの市丸姉さんの半生の身の上哀話という際物です。題して「戀の市丸(千鳥格子)」で長田幹彦先生苦心の力作とあります。「今や人気の絶頂に立つ小唄歌手市丸に、こんな過去があったのか?」、あくまでも実話かフィクションかは判然としませんが。

ところで小唄歌手市丸さんは、戦後も現役で活躍しておられたような記憶があります。テバより上の世代にはファンだった方々も多いのではないでしょうか。確か、白黒時代の紅白にも登場していましたが、体重は、昭和八年当時の三倍ぐらいにはなっていたような印象でした。昭和8年と昭和35年ごろの対比ですから、ありうることです。涙なしには読めなかったと思われるそのストーリイの梗概ですが、

『信州浅間温泉で初めて逢ったその夜から相思の仲となった泰雄青年と可憐な市丸・・・その甲斐もなく無情や泰雄を奪ひ去られた落胆悲嘆――更に市丸をめぐって画壇の巨頭あり、義侠の代議士あり、悲運の芸妓と天才画家との必死の戀あり、情緒纏綿、全篇に漲る切なさ、遣瀬なさに、誰方も身につまされて腹の底から泣かされます』

どうです? 思わず本屋さんに予約してしまいそうでしょう。このジャニーズ系の学生さんは子爵令息笹沼泰雄様と申しあげます。きちんとポマードして、詰め襟で浅間温泉で芸者遊びをしていらしたのですね。しかも場慣れしてリラックスしている様子すら伺えます。子爵令息というのは相当なご身分なのですね。画壇の巨頭とか義侠の代議士とかについても、昭和史探訪あたりで取り上げてもらうことを期待します。

しかし本号で一番目を惹かれたのは「全亜細亜民族懇談大座談会」の方です。「ウルトラ・スーパー・デラックス」みたいなネーミングです。これはどのような企画かというと、

『シャム皇族殿下を始め、全東洋民族が一同に会して、笑声歓語の中に各国の人情風俗慣習を語り、気炎あり理想あり苦心談ありニュースあり、面白く知識の博まる空前の大読み物!』

なのです。何よりも、その出席者が豪華なのです。

 シャム国
  ヴォランワン殿下
 満州国執政令妹
  ウン頴夫人
 熱河定国軍総司令
  川島芳子女史
 安南志士
  陳福安氏
 印度志士
  ボース氏
 印度実業家
  シンハ氏
 中華民国
  楊敬孝氏
 アフガニスタン王族
  プラタップ氏
 トルコ新聞記者
  オグロー氏
 フィリピン医学士
  レイス氏
 回教僧正
  バンガリー氏
 南洋大酋長令息
  カブワ氏

ほかにも「日本および各国人七氏」が出席するとあります。テバさえ知っている有名人を含む、総数20名近い大座談会で、通訳等もいた筈ですから、大変なことになったことと推測されます。どんな記事だったのでしょう。広告にも「雑誌界未曾有の大計画!」とありますが、納得。この人たちの肩書きですが、現在も使われているのは「新聞記者」ぐらいです。新聞記者商売は不滅なのです。

そうそう、すでに満州国もありましたし、この年の春には国際連盟も脱退していたのでした。


[555] 海人丸の航海(fin) 投稿者:テバ 投稿日:2005/07/31(Sun) 12:24

昨日のうちに、目的地の愛知県南知多町にゴールしていたようです。最大の難関であった紀伊水道をどのように横切ったかが気になりました。例の黒潮大蛇行をどのようにして突破したのかということです。ログを調べてみると、高知の室戸港から和歌山の周参見港というコースであったようですが、やはり、

『曳航での航海でしたが・・・』

ということで、伴走船に曳航して貰ったようです。"towing"という言葉もあるようですから、これもある種の航法でしょうが、千載一遇の漂流航法に関する大実験のチャンスを逃したようで、少々惜しい気もします。最大の売り物「スターナビ」も曇天・雨天でダメだったのですが、GPSはしっかり持参していたようです。

『・・・GPSを使う必要はなかった』

現在、皆様、マスコミの取材攻勢で欣喜雀躍状態のようです。

とりあえず、めでたし、めでたし・・・ 愛・地球博で逢いましょう


[554] 地獄谷2005 投稿者:テバ 投稿日:2005/07/30(Sat) 22:31

私にとっては2002年から始まったシリーズで、四回目です。もっと長くやってるヒトもいます。

今年もあの日がやってきてしまいました。今回の舞台は高知県の山中です。高知市内から片道1時間はかかります。これを二日で二往復しました。道路事情が悪かった昔であれば、片道2時間はかかっていたはずです。現地にはそんなに大勢のスタッフが泊まれる設備がないため、結局毎日、高知市に戻らなければならないのです。本日も朝早く、昨日からチャーターしている「とでん」のバスに乗って山中に出勤したのです。なお「土電」つまり土佐電鉄です。「都電」ではありませんよ、というのは大昔にも聞いたことがある冗談口ですが、健在でした。

 ふる里の 訛り変わらず 命かな

大型バスなので、添乗員が付きます。この安全対策要員の元・ガイドの姉さんが大変に親切でエネルギッシュな方でした。昨日は往復とも喋りまくりです。しかし山中の高速道路、山と道路(トンネル、橋梁を含む)以外何もありません。従って、四国における戦後の道路発達史みたいな話ばかりです。この高速は暫定供用のため分離帯なしの往復二車線です。トンネル内のすれ違いはスリル満点です。最初はナトリウム灯だった。怖かった。これを白色灯にした。良くなった。この話をトンネルに差し掛かると必ずします。半分以上がトンネル区間ですから、片道10回ぐらい聞きました。

自動車専用道路の意味が浸透していなかったころは、路肩に車を停めて犬を散歩させる人や、ゴザを敷いてお弁当にする人などが多かったそうです。橋梁になっているところでは、遙か下の渓流に釣り糸を垂れる人もいたようです。自転車を担ぎ込んで通勤通学に使っていた社会人・学生もいたのだそうです。料金所を通らないので、結構長い期間、発覚しなかったようです。こうした話を中心に合計2時間近くやられたわけです。車に揺られてうとうとしかかると、ガイドさんの声が一段と張り上がります。そこで皆、ハッと目が覚めて傾聴するのです。地獄バスでした。

さすがに高知市内では、食べ物案内や長宗我部元親伝などをしてました。このネエさんの一押しは、はりまや橋付近の屋台の餃子や煮込みラーメンでした。こいつが旨い、ということを往復で合計4~5回聞かされました。よほどB級グルメのご一行様と見られたのでしょう。空路はるばるやってきて、ラーメン・餃子を勧められるのでした。皿鉢とか鰹のたたきについてはロクに解説してくれません。あとは、野中兼山の話も少しありましたね。子供達まで、縁づくことを禁じられ宿毛に流されたそうです。宿毛は流罪としては極刑だ、というようなことだったような記憶です。

本日の朝の出発前、テバは、この一行の特性についてご進講申し上げました。

① 物見遊山に来たカンコ客ではなく、ある種のスタッフ業であるということ
② 本日の炎天下、各人には現地で結構な任務が割り当てられているということ
③ したがって、道中は少しでも休んでおきたい、出来れば仮眠しておきたいということ

元ネエは理解してくれました。バスが出発するや否や、「昨夜お疲れのお客様もおられるようなので、今朝は、観光案内を控え目にさせていただきます。必要があればいつでもどうぞ」だって。やはりカンコ客扱いでした。

現地が暑かったのは言うまでもありません。正午には10分ぐらいの篠つく雨。涼しいと思ったのも束の間、その後再びカラリと晴れて、谷全体が蒸し風呂状態になりました。卑怯にも、テバは一足早く脱出しました。明日も出動する皆様には、心の中で謝りながら。

なお、土佐電鉄(土佐電氣鐵道株式會社)のために一言申し添えまが、これは、まだまだ相当元気印の会社です。京都市電が廃止された現在、日本最古の創業を誇る現役路面電車の経営体です。路面電車は世界的に復活の徴候さえ見せています。21世紀の都市内交通機関としてのルーキー(戻り新参)かもしれません。路面電車を廃止しろというのは、自動車側からの主張でした。しかし、路面電車を撤去したところが交通渋滞は更に悪化した、というのが実態でした。鉄道・自動車の別なく、凶暴な速度で驀進し、一旦事故れば相当な死傷者を出す、というのが巨大都市が勤労者に与えた交通機関でした。


[545] 茶飲み話 投稿者:テバ 投稿日:2005/07/18(Mon) 23:22

(社)日本茶業中央会という団体は、茶の振興等を図るため昭和18年に設立された、日本で最も歴史のある全国的な機関だそうです。昭和18年といえば、戦前の日本が目指していた統制経済が完成した記念すべき年です。お茶もそれと何らかの関係があったのでしょうか? まあ、嗜好品・贅沢品扱いされていたのかもしれません。全てが逆行していた暗い時代のことです。

ところでテバが沖縄にいたころ、時折、茶畑のようなものを見かけました。地元の人に伺ったところ、最近盛んに栽培されるようになってきたようです。技術指導には京都から専門家がやって来るそうです。生産された茶葉は遠く宇治に送られ、加工され、宇治茶の銘柄で出荷されるとのことでした。ペットボトル用となると沖縄県内で加工され、「宇治茶ナントカ右衛門」というラベルを貼られ、沖縄県内で流通するということです。なるほどね、という感想でした。

というのは・・・ここから先は、随所に篠田鉱造翁の「幕末百話」(岩波文庫33-469-1)所収の第14話「将軍の御召料御茶壺」と第22話「御茶壺の御附旅日記」から引用しますが、

『宇治の茶畑は実地を見分致すのです。・・・宏大もなくあるかというに、左程でありません。外(ほか)から(八幡(やはた:ママ)あたりから出る)参りますんで』

それはそうで、九つの『御茶壺』様ばかりでなく、あの江戸城で使用する大量の茶を全て仕入れていくのですから、宇治とその周辺地域だけで賄い切れるものではありません。ましてや当今、全国至る所で宇治茶ボトルに出会います。宇治市の面積は67.55平方キロメートルあるそうですが、ここにそれらの茶葉を全て積み上げたとしたら、人も車も犬も猫も身動きならなくなるでしょう。

[

Res: 545] 茶飲み話(2) 投稿者:テバ 投稿日:2005/07/19(Tue) 19:34


 ずいずいずっころばしごまみそずい

茶業中央会が「緑茶の表示基準」というものを定めている。お茶の産地を定義するためには、幾つかの基本的前提があるのでこれを抜き出す。

 茶:ツバキ科カメリア属(Camellia sinensis L O.Kuntze)の植物(以下「チャ」という)から製造したもので、実施細則に定めるもの及びこれを原材料として加工した茶製品

 荒茶:チャの葉から製造したもので仕上げ加工前の茶をいう

 仕上茶:荒茶を原料として仕上げ加工し飲食用に供する状態にした最終製品をいう

実施細則では、原料原産地、原産国、産地銘柄等を表示するとしている。ここで商業上最も重要なのは産地銘柄なのだが、これは「荒茶を製造した都府県名、市町村名、その他社会通念として一般に認められた地名をもって産地名」とし、「表示する場合は、国産であって、当該荒茶産地の原料の使用割合が50%以上でなければならない」としている。

これに対し京都府茶業会議所が、「宇治茶」の表示は「京都、三重、滋賀、奈良の4府県産茶を原料とし、府内業者が府内で仕上げ加工したもの」とする、という独自の定義をした。京都側にしてみれば、宇治茶というブランドの壊滅につながるルールは受け入れられないということ。場合によっては中央会脱退を、という過激な意見もあったようだ。

一方、「国産」条項のために、静岡茶も打撃を受けるはずだ、という見方もある。輸入原料の混入割合が高いと、「静岡茶」も名乗れなくなる可能性があるからである。したがってこれは、既存二大ブランドに対する全国的な(特に西日本の)叛乱だというのだ。こうなると幕末的状況に酷似してくる。蛤御門の変から薩長同盟に至る時代の混沌を彷彿とさせる。

去る四月の基準実施の前後から始まった紛糾である。千秋楽も近そうなので目が離せない。



[Res: 545] 茶飲み話(3) 投稿者:テバ 投稿日:2005/07/20(Wed) 07:57

さて篠田翁の話に戻ろう。この将軍の御茶壺様はただものではなかった。圧倒的な由緒来歴を持っていたようだ。例えば、

『由緒がありまして、太閤様が寅の日に御覧になって、申の日に御買入になったなど』

という壺まであった。「寅申乃壺」とでも呼ばれていたのだろうか。太閤秀吉が購入を決断するにあたって悩んだ様まで伺わせる。そうした壺が、

『・・・このお茶壺は一つでない、九つ』

あったとある。これを供奉するために、

『お坊主と、士分(やろう)打込(うちこ)みで、左様十三人ばかり』

が派遣されたようだ。文官・武官併せて13名もの「勅任官」クラスが扈従したとすれば、この行列は大名行列級の格であり規模であったようだ。こうなると一筋道の東海道のこと、迷惑は諸民ばかりではなく、参覲交替途上の大名の上にも及ぶ。

『御茶壺は大名衆の鼻摘(はなつま)みで、道中で行逢う事なんかがあると、出迎えねばなりません』


 ちゃつぼにおわれてとっぴんしゃん


御茶壺様お出迎えのようなことを、プライドの高いお大名がするわけもなく、

『ソレと聞いて寺へ逃げ込み、逗留して遭過(やりすご)させる大名もあれば、鼻薬を配って無難を祈るのもあります』

という仕儀になる。寺に逃げ込んで山門を「ぴんしゃん」と閉ざしてしまうのだ。なぜならそこは、寺社奉行管轄の一種の治外法権地区(アジール:asyl:聖域)だったからだろうと考えられる。「鼻薬」は後述。いずれにしても「触らぬ神に祟りなし」ということになっていたようだ。

※ ところで話は少々脱線しますが、この「お坊主」とか「士分(やろう=野郎)」という表現、大変に適切だと思いませんか。官僚とか軍人とかをさらっと表現してのけています。これが二百数十年かけて築かれた江戸時代の精神なんだろうなあ、と感動まで覚えます。官僚の汚職も軍人の自大も醒めた眼で見ることができます。この魂が生きていたならば、統制経済や大東亜聖戦のあり方も相当変わっていたかもしれません。

しかし、きたるべき明治国家は、こうした文化的感覚を「因習姑息(いんじゅこそく)」と一括し、これを丹念に拭い去ることによって近代西欧文明を導入しようとしました。人の「知」の不思議さ・偉大さ、と同時に、脆さ・儚さを感じさせます。



[Res: 545] 茶飲み話(4) 投稿者:テバ 投稿日:2005/07/24(Sun) 07:53

ここでついに、あの人口に膾炙した里謡全体の謎に挑まざるを得なくなってしまった。

 ずいずいずっころばしごまみそずい
 ちゃつぼにおわれてとっぴんしゃん
 ぬけたらどんどこしょ
 たわらのねずみがこめくってちゅう ちゅうちゅうちゅう
 おっとさんがよんでもおっかさんがよんでもいきっこなしよ
 いどのまわりでおちゃわんかいたのだーれ

この一見支離滅裂な里謡を、一行置きに抜き出すことにより、二つの唄(バラード)に分解再構成することができる、というのが本論(というほどではないと思うが)の主旨である。つまり、

B1:
 ずいずいずっころばしごまみそずい
 ぬけたらどんどこしょ
 おっとさんがよんでもおっかさんがよんでもいきっこなしよ

B2:
 ちゃつぼにおわれてとっぴんしゃん
 たわらのねずみがこめくってちゅう ちゅうちゅうちゅう
 いどのまわりでおちゃわんかいたのだーれ

B1についてはすでに、その遊戯の所作との関連も含めた詳細な分析がなされているので、他に譲ることとする。それほど研究困難な課題ではない。いずれにせよ、Xレイトも高いことで、テバがあまり扱いたくない世界である。そこでB2問題に専念しよう。

 たわらのねずみがこめくってちゅう ちゅうちゅうちゅう

李斯は楚国の人であった。若いころは楚国の都城で小役人をやっていた。ある時、米蔵を検査する機会があったが、そこのネズミが丸々と太っており、人間の気配にも全く動ずる様子がないことを見て、深く感ずるところがあったという。ネズミというものは元来、人の影、犬の姿、猫の気配などには敏感に反応するのものであるのに、米蔵のネズミは悠然と豊かな生活を送っていたのだ。同じネズミに生まれても、「場」の選択によって、その運命・境涯には天地の開きがあることを覚った。

これに発奮した李斯は一旦官職を辞し、名門荀子スクール(学派)に入門し、研鑽勉学に励んだ。結果、門下生としては不肖の中途退学生扱いではあったものの、見事、当時旭日の勢いにあった秦王国に就職できた。そうしてついには、初代帝国の初代宰相にまで昇りつめた。もっとも始皇帝薨去後は、状況のコントロールを誤り続け、秦帝国崩壊の引き金を引くことにもなった。しかし、大ネズミに変身したその後半生は、変節漢・貪官汚吏の鑑として、極めて一貫していたといえる。

お茶壺行列となると、そのスケールは「米蔵のネズミ」ほどではないようで、「俵のネズミ」程度だったようだったことがB2からうかがわれる。



[Res: 545] 茶飲み話(5) 投稿者:テバ 投稿日:2005/07/26(Tue) 07:48

 
 たわらのねずみがこめくってちゅう ちゅうちゅうちゅう

ここからは篠田翁の第14話と第22話の世界になる。第14話では、興津の鯛について触れている。この宿では先を急ぐからと残しておいたらしい。すると、お茶壺出張の帰路、干物にしておいて持たせてくれたという。江戸の家族への格好の土産になったことだろう。誰が負担したかを考えなければ、ほのぼのと心温まる話である。

江戸前の地口なのだが、とりあえずテバが解読できたものを列挙してみよう。

品川  祝儀
難後  身祝い
小田原 酒肴、代(梅干がわり)
三島  酒肴(下りまで預け)
沼津  酒肴代
原   鰹の刺身、玉子、大平
蒲原  酒肴、水菓子
岡部  酒肴、鮎十連
小夜  筍のからしあえ
掛川  麦素麺、葛団扇(くずうちわ)
荒井  酒肴、蒲焼飯(うなぎめし)
吉田  大変な御馳走、柏餅
桑名  御料理代
大津  汐見まんじゅう
宇治  挽き茶

ここに「代」とあるのは、接待の経費を支弁することと、接待がわりに金銭で渡すことの二種類の意味があったようだ。成人病予防や老後の準備を考えると、金銭で貰ったほうが良いと思われる。それにしても、する側、される側双方、まさに命懸けの接待としか言いようがない。

しかもこのお茶壺行列の季節といえば新茶の候、

『いつも入梅頃で、出発といい、道中といい、粛々(びしょびしょ)雨を喰い毎度閉口をしまする』

というようなことで、お坊主も士分(やろう)も気が立っている。接待のしようが悪いとただでは済まないことになる。

とはいえ大和のネズミは、まあまあ、米喰ったところで可愛らしいものだとも言える。

※ 「粛々」を「びしょびしょ」と訓むのは面白いですね。昔々、言語明瞭意味不明と評された宰相がいました。頻繁に、「司々(つかさつかさ)」で「粛々とやって参りたい」などとやっていましたが、「びしょびしょとやって参りたい」という意味だったのでしょうか。そう理解すると意味明瞭な答弁があったのかもしれません。現代史学者が奮起して、当該の総理の答弁集を再分析してくれることを期待します。プラザ合意やバブル崩壊あたりについて、新しい歴史教科書が執筆できるかもしれませんよ。



[Res: 545] 茶飲み話(fin) 投稿者:テバ 投稿日:2005/07/26(Tue) 22:48

 
 いどのまわりでおちゃわんかいたのだーれ

B2のこの部分が解読できたというのが、この茶飲み話の本体部分である。じゃあ今までの話は何だったんだョ、とお怒りになる向きもあろうと思うが、そこはそれ、所詮は茶飲み話のこととてご容赦願いたい。

これは篠田鉱造翁の第14話の最後の部分である。

『大井川川止:
その時は諸大名御茶壺に落合って、大分お腹が痛みます。ソレは袂の下を遣いますからな。……川が開いた時にも御茶壺が先へ渡らなければ渡る事が出来ません。イヤ将軍の召喫(めしあが)る御茶すらこれでした。……大した御威勢のもので……』

駆け込む寺もない。やむを得ず御茶壺様を接待するハメになる。「井戸」というのは「大井川」のことであった。どこかの西国大名が参覲交替の途上、大井川の川止めに逢い、しかも、川が明けた時に御茶壺様に対し何らかの非礼・不始末を働いたという事件さえあったに違いない。それも一度や二度ではなかったと思われる。こんな場合どんなことになるかというと、マザーグースは語っている。

 ハンプティー・ダンプティー塀の上
 ハンプティー・ダンプティー墜っこちた
 王様の馬全部と王様の家来全部でも
 ハンプティー・ダンプティーを戻せなかった

 Humpty Dumpty sat on a wall,
 Humpty Dumpty had a great fall;
 All the King's horses, and all the King's men
 Cannot put Humpty Dumpty together again.

あるいは、もっと非道いことにもなりうる。

 釘がないので蹄鉄を失い
 蹄鉄がないので乗馬を失い
 乗馬がないので騎士を失い
 騎士がないので勝利を失い
 勝利がないので王国を失う
 蹄鉄の釘一本がなかったために

 For want of a nail, the shoe was lost;
 For want of the shoe, the horse was lost;
 For want of the horse, the rider was lost;
 For want of the rider, the battle was lost;
 For want of the battle, the kingdom was lost,
 And all for the want of a horseshoe nail.

こんなことで改易・お取潰しというような目には遭いたくない・・・御茶壺様の非道ぶりはここに極まっているのである。

この里謡は誰が流行らせたのだろう。幕藩体制への痛烈な批判・皮肉さえ感ずるのである。静岡のわらべ唄の謎はまだ尽きないのである・・・どっとはらい。


[552] ガルガンチュアン・ドラゴン 投稿者:テバ 投稿日:2005/07/26(Tue) 14:21

苦労しただけあって、今回の「ひまわり6号」の解像度は本当に凄い。本邦遙か東方沖に頭を持つ、巨大なドラゴンの存在まで明らかにしてくれた。その尻尾の一振りに日本列島が右往左往している様子がよくわかる。

これからもう一雨来そうである。


[549] フグるのかハモるのか、それが問題だ 投稿者:テバ 投稿日:2005/07/23(Sat) 01:29

実は、水曜日は大阪に行ってきたのでした。年に一回ほどのペースですが、ここのところパターン化しています。で、このケースではこちらがご招待する側なので、5時半ごろには割烹に行ってお待ちすることにします。これに救われました。

何か見覚えのある店のつくりなのです。そのあたりを設営担当に問いますと、

 設営「前任のKから聞いたんですよ。前回もこの店だったはずです」

 テバ「ああ、そうか。Kさんとは去年の二月ごろ来たんだった」

 設営「コースもちゃんと、フグを頼んでありますからね」

そうそう、あの時のフグの白子は美味しかったよね。フグも久しぶりだな~、今日も・・・って、待てよ冗談じゃない、馬っ鹿も~ん!! 慌てて帳場に問い合わせました。幸い変更が可能だったので鱧のコースに変えてもらいました。

京の祇園さんが終わり天神さんが目前の大阪、これはとにかくメチャ暑い時季です。湯引きした牡丹鱧を梅肉で頂く。これに尽きます。これでひと夏、お腹も息災というわけです。それにしてもどこの出身じゃ。この季節でもフグとは!


[548] 海人丸 投稿者:テバ 投稿日:2005/07/22(Fri) 21:51

三重の三木崎に着いたようです。

『人間の力は大海原に比べ大変小さく無力だということ。そしてオーシャンアスリートなんてちっぽけな肩書きで調子にのっていたことを初めて反省している。自分の海の能力はまだまだ昔の人にはかなわないと思う』

この心境まで達したのなら、ヘイエルダールもパパも許してくれるだろうなあ。がんばれ若者!あと、一息。


[543] 黙示録(アポカリプス) 投稿者:テバ 投稿日:2005/07/10(Sun) 20:03

・1099年7月15日のエルサレムの占領は、西方教会、東方正教、東方イスラムの歴史にとっての非常に重要な出来事であった。1095年11月にオーベルニュのクレルモンでウルバン2世が放った大規模な遠征隊に始まる、5年間にわたる信じがたい努力の結果である。この遠征のために刻苦し生き延びた人々(十字軍士)にとって、エルサレムの略奪は勝利の成就である。男たちは「膝や馬勒に達する血の海の中に馬を進めた」が「この地はあまりにも長く冒涜されてきたのであるから、この場所が不信心者の血で満たされることこそ、神の正義であり輝かしい審判である」と信じ、語ったのである。「新たな日、新たな歓喜、新たにして永遠の充足、そして精励と献身の成就は、新たな言葉と新たな詩(うた)を誘い出したのである」[Aguilersのレイモン(ド)による年代記](John France"The Roots of Victory"よりテバ謹(拙)訳)

・声明は「軍団の聖戦士が異教徒の首都、英国の首都で次々に攻撃を実行した。死傷者が出たことを神に感謝する」とテロを誇示。「イスラム教徒の地に平安が訪れるまで我々は沈黙しない」と攻撃続行を宣言した。また「我々の警告は空に消えていたわけではない。始まりはマドリード、イスタンブールだった。そして今日ロンドンだ」などとも記述(asahi.com 2005/07/09より)



[Res: 543] 続・黙示録 投稿者:テバ 投稿日:2005/07/12(Tue) 08:14

思えばエルサレムほど、歴史的に過酷な運命を経験した都市はありません。この画像でもまた攻囲されてます。攻撃側はBC6世紀のバビロンの王・ネブカドネザル2世(拘留中の前大統領の憑き神)らしいです。そのころは夢ではなく、しっかりと加害者していたのでした。画筆は18世紀初頭のもののようですが、軍事史的にはAD16世紀ぐらいでしょうか。なにしろ大砲のようなものもあります。その一方では、攻城櫓みたいなものもあるのが不思議です。そもそもバビロン軍のテントがやけに規格品ですね。まるで現代の多国籍軍みたいです。一体、いつから始まったのでしょう。そうして、いつまで続くのでしょう。この不毛なイメージの世界は。

 バビロンの川岸に坐し
 ・・・われらは泣いた・・・

ところで話は全く変わります。ベトナムのハノイのことです。これは漢字で「河内」と書くようですね。当然に「ホン川のこちら」という意味なのでしょう。もち、河外は北の超大国です。そこでテバが新説です。ヘブライは「河来」だと信じます。「河来」→「ホーライ」→「ヘブライ」です。明快ですね。根拠ですが、何かの本にヘブライは「河の向こうからやってきた民」という意味だとありました。この川は、多分ティグリス河です。中華文字が古代バビロン文明を覆っていたとしても、今更驚きません。でも、あまりあちこちで言い触らさないでください。知的所有権に関しては結構ルーズで、実案か何かを取っておかないと危ない超大国が相手ですから。


[542] あの人たちは今・・・ 投稿者:テバ 投稿日:2005/07/09(Sat) 21:47

アウトリガー双胴丸木船(サバニ)で黒潮トレックの壮挙に挑んでいる「海人丸」のことです。宮崎県日向市の細島港まで来ています。全航程の半分以上は走破したようです。糸満港を出てから1ヶ月余、悪天候に悩まされつつも辿り着いたようです。おめでとう。

http://sabani.ocean-photo.lomo.jp/

次はいよいよ「一大海」を渡り四国の沿岸を目指すようです。このペースなら愛・地球博の開催期間に間に合うかも知れません。

邪馬台国メキシコ説というのがありましたが、このまま黒潮に乗っていけば証明できるかもしれません。アメリカ大陸に到達すれば、21世紀のコン・ティキ号としてヘイエルダールの鼻をあかすことができるはずです。

  黒瀬川 我を何処なと 連れて去れ


[537] 七夕 投稿者:テバ 投稿日:2005/07/06(Wed) 22:09

本州のこの辺りに住んでいると、この時期は梅雨空に邪魔される。牽牛と織女の年に一度のドラマティックなデートを見損なうことが多い。7月7日とはどんな暦(こよみ)によるものかとんと不案内だが、もしも降るような星空であれば、その邂逅は明日の深夜の天頂における一大スペクタクルになったはずなのに。

世の中が原始・未開のため、ハン・ソロが乗り回しているような便利なスポーツタイプのスペースシップもない。大気圏外に出ることもかなわない一庶民としては、せんかたもないので空想の七夕を言祝(ことほ)ぐこととする。



[Res: 537] おりひめ星 投稿者:テバ 投稿日:2005/07/06(Wed) 22:12

これはもちろん琴座(Lyra)のヴェガ(Vega)である。フラムスチード天球図譜(1753)については鮮明な画像がないので、ヘヴェリウスの図譜(1653)によることにする。これはフラムスチードより60年以上古い時代のものであるが、ヘラクレス(Hercules)と白鳥(Cygnus)の間に行儀良く描かれている。不思議なことに猛禽に掴まれている竪琴なのだが。



[Res: 537] ひこ星 投稿者:テバ 投稿日:2005/07/06(Wed) 22:13

これもヘヴェリウスによる。鷲座(Aquila)のアルタイル(Altair)である。このあたりは当時の天文学者の特権なのだろうが、その横にはアンティノス(Antinous)とかいう不逞の輩が描かれている。フラムスチードは、当然のように、こいつを抹消している。逆に問いたい。なぜヘヴェリウスはこんな星座を採用したのだろうか? 何か事情があったのだろうか。謎は深まるばかりである。



[Res: 537] なぜ私はヘヴェリウスを心配することを止めて、 投稿者:テバ 投稿日:2005/07/06(Wed) 22:14

ところでヘヴェリウスとフラムスチードの間に大事件があった。英国王室が巨大な懸賞金をかけて開発を奨励していたクロノメーターが発明されたのである。この時計はハリソンによって1735年に完成されたという。当時の貧弱な帆船に載まれながら、外洋でも正確な時刻を告げたという。船長と航海士は雲がない限り、陸地が見えない外洋にあっても、天測によって船の現在位置(経度)を知ることができるようになった。

それまでの航海はといえば、月と太陽と羅針盤に頼るだけものだった。緯度は太陽の南中高度で知ることができる。あるいは北極星が見える場合はその高度を測ればよい。問題は経度なのだが、太陽と月の相対的位置関係から推測していたのだ。月齢を頼りに。あと何日で新大陸の西インド諸島やインド亜大陸のゴアに着くのか。数日単位の誤差は当たり前だったのだ。水も食料もギリギリな状況下だというのに。

絶対時刻が判らず、(従って地球上の)絶対経度を知るすべがない時代の天球図譜は、半ば神話の世界に過ぎない。ここでおなじみのオリオン座と牡牛座を、ヘヴェリウスで見てみよう。私たちが現在見る星座とは裏返しになっているのだ。この図譜はどんな図法で描かれたのだろうか。考えるまでもない。神の座から地球を見下ろしている図法なのである。帆船の甲板から見上げる天空ではなかったのだ。



[Res: 537] フラムスチードを愛するようになったのか・・・ 投稿者:テバ 投稿日:2005/07/06(Wed) 22:16

ここでフラムスチード的転回が起こる。フラムスチードの偉大さは、その観測精度のみにあるのではない。視点を上下入れ替えてしまったことにこそある。百数十年前のジョルダノ・ブルーノは、焚刑に処せられている。神の代理者たる法皇が、カノンに基づき処断したのだ。

今から考えると、「神の座図法」には人類を相当馬鹿にしたところがある。大地が平板であろうと球体あろうとおかまいなしなのだ。「神は知らんよ」なのだ。「それでも大地は球体なのだ」という、人間中心主義的な確信がなければ、フラムスチードの「ヒューマン図法」は出てこなかったはずだ。とてつもない勇気が必要だったはずだ。

勝海舟も坂本竜馬も帝国海軍の士官達も、外洋航海にあたって大変にお世話になったと推測されるフラムスチード天球図譜であるが、「ヒト」の目で見るとおりに描かれていることが如何に貴重なことか・・・このことに思いを致したい。

それにしても初めての大洋横断に際しては、皆さん、地球が丸いということをどの程度確信しておられたのだろうか。特に先頭を切った咸臨丸の船長・船員・船客などは、ずーっと、はらはらしていたのではないだろうか。どこかで海洋が大瀑布となって轟々と流れ落ちているのではないか・・・と


[535] 節油精神論 投稿者: 投稿日:2005/07/02(Sat) 17:17

T様

昨日、ガソリン値上げのニュースで、例によって市民の声と言うのをNHKが流しました。二人のうちの一人の意見は素晴らしかった。

「近くは出来るだけ自転車で行くことにして、車を使うのは遠方だけにしようと思います」

自転車で行ける距離は車で行ってもガソリンは食いません。

大日本帝国陸軍の精神主義は不滅です。



[Res: 535] 油断再現? 投稿者:テバ 投稿日:2005/07/02(Sat) 17:20

U様

「月月火水木金金」といいながら、米国から石油供給を停止された帝国海軍も、1箇月程度の燃料備蓄しかなく、そこで艦上相撲大会とか海軍体操で誤魔化していたそうですね。あの時代、日本には碌な精油設備がありませんでしたから、原油ではなく文字通り「石油禁輸」だったのでした。パレンバンは占領したけれど、製油施設を破壊されてしまい、石油が入手できなかったということです。

170日近い原油備蓄があり、発電の原子力依存率が1/3を超えつつある今、スポット買いで掴んだ高値の原油のツケを押しつける相手は、ガソリン>軽油>灯油しかありません。しかし、極めて上っ面の現象です。国家運営の根底にかかる話ではありません。本当に心配なら、原油備蓄量を倍増、三倍増することだと思います。

中国も国家戦略備蓄とかを開始するようですが、2010年まで5年かけてわずか20日分です。当たり前ですね。そもそも、備蓄用のインフラがないんですから。人口は10倍あってもGDPは1/3ですから、20日分というのは量的にいっても日本の60日分程度でしょう。

学習しないマスコミは、大丸ピーコックにカメラマンと記者を配置しているに違いありません。トイレットペーパーや洗剤の買い占めの再現を期待しているのでしょう。越後の宰相が切り盛りし、国民も都市生活に慣れていなかった時代のエピソードでした。アパートの4.5畳の部屋にトレぺや洗剤をぎっしり備蓄してニコニコしていたおばさんを思い出します。大東亜戦争末期のマナーだな~、と思いました。

> 「近くは出来るだけ自転車で行くことにして、
>  車を使うのは遠方だけにしようと思います」

庶民はガソリンを使わない方が賢明です。高値掴みの原油のツケが最初に回されるはガソリンだからです。商社の帳尻合わせがガソリン価格なのです。軽油がそれに続きますが、現在の排気量30,000cc級の大型建設用重機は、実は民生用低税率の灯油で支障なく動きます。ノッキングは起きません。軽油に見せかける必要もないので、K察は不介入で、税務Gメンの問題です。いろいろあって、結局、庶民が保護されているのは、石油ストーブ用灯油ぐらいですか。人民を原油高で凍死させはしない。政府の強い決意を感じさせることです。


[534] 入っているの物語 投稿者:テバ 投稿日:2005/06/29(Wed) 00:28

久しぶりですが、「入っている」発見物語です。あのニッ○ンの星の会長さまには「星の王子さま」が入っていることがわかりました。


[533] 人口問題 投稿者:テバ 投稿日:2005/06/28(Tue) 18:15

徒然なるままに、紀元元年以降の中華帝国の人口をプロットしてみた。

・歴史の大部分の期間は1億人を超えることはなかった
・この間、領土的拡大があったにもかかわらず人口減が見られるのは「乱」に起因する
・紀元300年から1300年あたりは人口統計もあまりないが、治乱興亡はあったと思われる
・清朝に至り、4億の大台に達するが、これこそ多分、持続可能な人口なのであろう
・毛朝成立とともに、人口は急増し、ついには13億近くなる・・・奇跡という他ない

他山の石ですが、日本の10倍のスケールともなると、やはり凄い。


[532] クール・ビズ 投稿者:テバ 投稿日:2005/06/25(Sat) 00:51

某M新聞の夕刊のコラムに「クール・ビズ」は3音+2音なので発音しにくい、日本語本来の「巨人、大鵬、卵焼き」の原則に反すると書いてあった。金を取るような新聞に、こんな暇な説を載せて欲しくないと思う。それなら何と呼んだらよいのか。その対案も示していない。建設的批判とはいえない。まあイエローペーパーなんだろう。

涼しいは仏語なら「フレ」だし、「ビジネス」もフランスでは一般に使われているようだから、どうしてもが気になるのなら「フレ・ビズ」とかにしたらよいのだ。有料の夕刊のコラムなら、それに相応しい前向きな提案をして欲しかった。戦後の国語審議会で「日本語ローマ字表記論」というものがあったようだが、思いつきという意味では同レベルの議論だけど。

今週沖縄に行ったのだが、家族からメールが追いかけて来た。お土産要望一覧表だった。その中の一項に「息子のために、ド派手なかりゆしウェアを」というのがあった。苦労した。空港でだけは買いたくない。あるのは解っているが、観光客のナイチャーを見下したようなデザインのものばかりだし、足許を見て高い値段を付けているに決まっている。

国際通りで求めるのも嫌だ。それこそ最低のデザインに決まっている。というわけで、地元の人も安心して買いに行くに違いない天久の那覇新都心で捜す。なかなか売っているところが見つからなかったが、やっとサンエーのモールで売場を見つけた。しかし「ド派手」の条件を満たすものが全くない。店員との遣り取り。

 テ「赤とか黄で花柄の派手なのはないの?」

 店「ここにあるのはこちらの人の日常用品だけです。そういうのは国際通りですね」

質問した方が恥ずかしくなってしまった。結局、空港で買った。それほどド派手ではないよ、と家族に慰められた。(画像のようなものを捜していたのですが、実際に入手したものは遙かに地味でした)


[531] おかみさん 投稿者:テバ 投稿日:2005/06/21(Tue) 09:22

通いの「おかみさん」が可能かどうかが議論になっていた。1週間に1回だけ部屋に通い、1日一回は部屋の誰かと電話で話すという。その他の時間は通常の家庭の妻・母をやるのだという。その割に、元女子アナだけあって、パーティとかには積極的に出席するらしい。まあ、一般大衆を相手にするのは十八番(おはこ)の芸ということなのだろう。

誰かが言っていた、「体だけは立派だが、心にいろんな不安定要素を抱えた16、17才の男の子。これが実の両親から切り離されて通年合宿状態にある」。この心のケアもあるはずだという主旨。何となくわかる。こうした青少年が10数人いるのが「部屋」だとしたら、おかみさんてのは余程のアマゾネスでなければならないでしょうね。

息子は一人だけでも大変なのにね。


[530] リダンダンシー 投稿者:テバ 投稿日:2005/06/18(Sat) 09:28

純粋な工学用語で抽象概念を扱うものは大変に少ないのですが、これはそのレアものの一つです。自然科学用語辞典にはないと思います。災害に際しての社会的被害の原因が「リダンダンシーの不足にあった」なんて風に使われます。某国営放送の解説委員にそう言われても視聴者はほとんど理解していないはずです。某県の阿南市周辺の工場地帯に好例が発生したので、ちょっとお勉強してみます。

ある工場があって、当初、毎日10万トンの冷却用水を必要としていたとします。現今、工業用水といえども外から買うと結構お高いので、工場長は一旦使って温度が上がった水を工場敷地の一部に設けた池で冷まし、再度利用することにしました。このおかげで、外から購入する工業用水量は1日5万トンになり、経費は半分になりました。社長からは特別ボーナスを貰えました。目出度し、目出度し。

そこで工場長は更に頑張り、同じ水を10回使える工夫をしました。ここまで使うと水は不純物と微量有害物質だらけになりますが、そいつは下水道に流し込んでしまえば良いのです。あとは川となれ海となれ、です。それよりも、冷却用水は1日1万トンあれば済むようになりました。経費を1/10にまで削減できたのです。おかげさまで、この工場長は取締役工場長にまで出世しました。破格の給料になります。自宅も新築できました。天晴れ、天晴れ。

ところである夏、渇水がやってきました。同じ河川の水を使っている農民も都市住民も工場も、少しずつ我慢しようよということになり、節水が始まります。この工場には、前例を尊重し、5千トンだけ節水するようにという割り当てです。現時点では、1万トン中の5千トンです。50%の生産調整あるいは操業短縮ということになります。10万トン時代なら5%で済んだはずです。役員待遇は取り消しになりました。どっとはらい。ローン払え。

「この工場はリダンダンシーが極度に低下していたのであった」というのが評論家の結論です。某県の那賀川というところで、現にその現象が起きています。今さら打つ手はないので、町会議員が雨乞いダンスをやることになったようです。これは工学的解決策ではありません。卑弥呼の時代からある邪馬台国的神権政治というヤツです。「リダンダンス」ですか。まあ、人心が安定するのならこれで良いのでしょう。安上がりですしね。

峠を越えたこの国です。コイズミ大宮司の主宰の下に、「まつりごと」は経済・社会政策ではなく、祝詞(のりと)と参拝に回帰していくようです。天の岩戸とアメノウズメノミコの世界まであと一歩です。それは有権者がそれでいいとしているから仕方ありません。そのかわり、こんなダンスをしている浮かれ議員さんには、税金から給料を払わなくて済むようにしてもらいたいものです。


[528] 海人丸 投稿者:テバ 投稿日:2005/06/13(Mon) 19:56

海で働く人(つまり漁師さん)を「海の人=うみんちゅ」と呼ぶので、この船も「うみんちゅまる」と訓むのでしょう。5日に糸満港を出てからどうなったのか、タイムスにも新報にも報道されないので心配していたら、伊江島にいました。これからはこのサイトで追いかければ良いので楽になりました。

http://sabani.ocean-photo.lomo.jp/?day=20050612

この島には既に1週間以上滞在しておられるようです。「伊江島滞在記」の様相を呈してきました。出発点から60kmくらいの島ですから、大変な難航ぶりです。1日平均10km弱ですね。全行程は2,000kmもあるんだから大変ですよ。よーく読んでみると伴走船もいるようです。転覆しても心配ないはずですから、出帆を強行してしまえば、と思うのは、海の恐ろしさを知らないシロートですね、きっと。

「うみんちゅ」の反対が「はるんちゅ」で「畑の人」のことです。さすがにこの「畑人」というロゴの入ったTシャツを着たナイチャーは見たことがありません。あまり長くオカにいると「畑人丸」になりやしないかと心配です。



[Res: 528] 出航! 投稿者:テバ 投稿日:2005/06/18(Sat) 08:01

ついに伊江島を出たようです。あのまま住民登録してしまうのではないかと心配していましたが、「戦略目標」は忘れられていなかったようです。一路、愛・地球博へ!!

パパ・ヘミングウェイも喜んでくれているでしょう。


[527] ファンド・パワー 投稿者:テバ 投稿日:2005/06/12(Sun) 01:12

あの島根県出身の故・元総理は大変にお詳しかったそうですが、日本全国に牛、豚、鶏がどのくらいいるか知っていますか? これは簡単にアクセスできるのですが、「畜産統計」というものがあります。平成14年2月現在の飼養頭(羽)数を見ると、牛(乳用、肉用計)約450万頭、豚約960万頭、鶏(採卵用)約1億4000万羽のようです。豚は当然ですが乳用というものはありません。鶏に肉用という統計がない理由は良くわかりません。

鶏は国民1人あたり1羽強持ってます。ある日突然、全ての日本人が鶏を1羽食べたくなったとすると、日本中から鶏が絶滅することになります。かならずしも不可能なことではないので、鶏はレッドデータブックに「絶滅危惧種」として載せるべきだと思います。豚は国民10人につき3/4頭ですね。ポークソテーであれ豚汁であれ、感謝の気持ちで頂きましょう。で、牛ですが、国民1人あたり実に0.04頭弱なのですね。すぐに枯渇してしまいます。

以上は「国産」に限った話です。輸入というものが大きな役割を果たしていることが判ります。話は脱線しますが、「飼養」というのも不思議な言葉ですね。牛、豚、鶏の最期の運命をあまり意識させません。「養ってやっている」というようにもとれます。それなら「扶養」で置き換えられるかというと、それほど家族的感覚で飼っているわけでもありません。最後には食べられてしまうことが巧妙に隠蔽された秀逸な用語です。宮沢賢治級です。

輸入の話に戻ります。国際市場で先物相場が立つのは牛、豚、鶏ではありません。彼等の「飼料」が対象になります。そうして大飛ばしに飛ばすと、相場の究極の勝利者はファンドです。ファンドの資金力・談合力に敵う存在は今のところありません。入札談合なんかで落札率がどうのこうのなど、ちゃんちゃら可笑しく見えてきます。時々破綻するファンドもありますが、それは年間1,000%なんていう馬鹿なリターンを狙った一匹狼です。

次の時代のチャンピオンは、多分、中華ファンドです。十数億人の資金を背景にしています。彼等の多くが「ステーキ・ハオ(好)!」と言い出しているそうです。ファンドマネージャー(人民政府とも呼ばれる)としても出資者の意向は無視できません。軍拡よりも食拡の方が実は恐ろしいのです。「中華爆食」という言葉もあります。この秋、解禁になったら、安い牛丼をせっせと食べておいてください。それも長続きはしないはずなのですから。

印度ファンドにも底力はありそうですが、幸いなことに、彼等はステーキを食べません。


[525] 弁慶 投稿者:テバ 投稿日:2005/06/11(Sat) 03:06

有明夏夫の大浪速諸人往来の「狸はどこへ行った」に登場する柴犬の名前です。いろいろあって、「くじら屋」という金魚屋から借り出されたのがこの犬です。柴にしては大仰な名前です。

『飼犬は飼主に似るというが、あんまり利口そうな面つきではない』

と思われたものが、大事件の解決の端緒を、この弁慶の嗅覚が見事に掴みます。探索途上の昼食時には、

『一善飯屋で中食を摂った。・・・弁慶は中めしと鰺の煮付けをきれいに平らげた』

とあります。夕食はいつもの「だしじゃこ屋」で、

『中めしと焼き鰈を与えたが、これもペロリと平らげた。この糞暑い時期に、よく食う犬である』

ということでした。まだ、事件解決には至っていない時点の感想ですが、そういえば源蔵親方は夏の暑さにはとても弱いのでした。一方で、たしかに、柴犬については、食欲が落ちるシーズンていうのはないですね。日本の風土にピッタリの犬ちゃんです。



[Res: 525] 源蔵親方 投稿者:テバ 投稿日:2005/06/11(Sat) 10:12

桂枝雀が「なにわの源蔵」、通称「海坊主の親方」をやっていたことがあった。この噺家が米朝の年齢まで生きていたらどんな咄を聞かせてくれるのだろうか、と、わくわくしていたものだ。東に五代目の時代があったとすれば、今や西に二代目ありという評判を予感させてくれていた。

素晴らしいと同時に恐ろしいのは人間のアタマの働きだ。F-1並みのパワーが、時として命取りになる。それにしても惜しい師匠だった。

さみしいことを想い出してしまった。測地的座禅でもやろう。


[522] 完全自動管理システム 投稿者:テバ 投稿日:2005/06/10(Fri) 12:36

タクシーの運転手さんに聞いて驚いた。まず、タコメーターがディジタル化されているそうだ。今のヒトは知らないかもしれないが、タコメーターというものは円盤状の用紙にペンレコされていた。多分、知っている方が恥ずかしいのだろう。そこに加えるに、車の位置はGPSで時々刻々無線センターに送られているという。確かにカーナビには位置情報があるのだし、無線機も積んでいるのだから通話の合間を縫って送信するぐらいはたやすそうだ。そうして領収書発券システムが完備したために、料金まで克明に記録されることになった。

そういえば、昔のタクシーでは、信号待ちや渋滞などの時に、運転手さんがクリップボードに挟んだ用紙にボールペンで気ぜわしく書き込む姿を目にしたものなのだ。気が付いてみると、それはなくなっていた。助手席には、あのボードすらない。

「完全に自動記録されてるんですね」と申し上げたら「運転日報は会社が作ってます」という返事だった。淋しそうだった。「それでもね、入社半年ぐらいはやらせてます。そうしないと自分が何をしているのかさえ判らなくなりますからね」とも。

ただひとつ良くなったことがあるという。フロントに付いているビデオカメラだ。従来は事故等が起こると、(一部の官憲も含め)世間は「どうせタクシーが無茶をしたんだろう」という予断を持ったという。このカメラは1秒1コマの割合で記録し、異常な衝撃などがあると過去6~7コマを残して停止するという。事故前の6~7コマがあれば本当の原因はほぼ判るのだそうだ。タクシーのせいにしておけばよい、というケースが大幅に減ったという。



[Res: 522] タコ・チャート 投稿者:テバ 投稿日:2005/06/10(Fri) 12:57

レトロついでにタコ・チャートです。矢○総業というところが大手でした。なお、ディジタル化後も矢○総業は斯界のリーディングカンパニーです。念のため。

それにしても、毎日読み取るとしたら、エライものです。



[Res: 522] 一部訂正 投稿者:テバ 投稿日:2005/06/11(Sat) 01:17

その機械は「デジタコ」と呼ばれているようでした。


[520] 測地学的座禅法 投稿者:テバ 投稿日:2005/06/08(Wed) 12:44

入眠法としてのスリーピーラグーンについては、このHPでいつか書いたことがある。どこかに置いてある。今回ご紹介するのは座禅の一方法である。あのTV等でよく見る、足をややこしく組んで、背筋をピンと伸ばして、時々しゃもじの親玉でビシッとやられるのとは若干異なる。理論的背景は退屈なので、いきなり方法を述べよう。

極めてリラックスした座り方をしてもらう。床の上でも良いし、椅子に座っていても良い。次の手順があるので、仰向けに寝ていては困る。うつ伏せならよい。座った場合、手は軽く組んだ方が良い。首を軽く曲げて瞑目する。瞑目しても、不思議なことに、視線というものはあるのだ。その視線の先を地球の中心(とおぼしき)方向に向ける。

瞑目の視線の焦点を6,400km弱のところに合わせる。決して無限遠(カメラでいうと+∞)ではない。これは測地学的に求められた地球の半径である。暗黒の彼方に、あなたは地球の中心を見るのだ。そこは、万物が集まろうとしている一点である。大地も大洋もヒトもケモノも鳥も、大気も、そうして隕石も。月でさえ集まりたいと思っている一点なのだ。

月が集まれないのは、慣性力が邪魔をしているからに過ぎない。もしも月が地球の中心を目指していなかったら、この浮気者は、とうの昔に宇宙の彼方に去っていたはずなのだ。極めて不敬な言い方だが、神や仏というものがあるならば、彼等もそこに集まりたがっているはずなのだ。そうでなければ、彼等は地球や人類を見放していたに違いない。

万物が集中する一点。これに想いを凝らそう。何かが見えてくる。


[Res: 520] 応用例 投稿者:テバ 投稿日:2005/06/08(Wed) 18:17

責任感というものはヒトを押し潰します。これから逃れるには、責任のない人生に進路を切り替えるか、極め付きの無責任人間に変身することぐらいしかないと通常思われてきました。因果な我が身を嘆くのみ、ということですね。

そこで「測地学的座禅」を実践してみます。すると押し潰されかかってゼロに縮退しかかった精神が立ち直ります。地球の中心でリバウンドを起こすのですね。超新星の如く。次の瞬間、あなたは世界の中心から「愛」を叫んでいるのです。

これは発見者の名前を冠して「Kauai Sony効果」と呼ばれます。「可哀想に効果」とすれば覚えやすいですね。


[518] 黒潮大蛇行 投稿者:テバ 投稿日:2005/06/06(Mon) 17:04

昨年から今年にかけての黒潮大蛇行は、91年以来13年ぶりだという。潮岬の沖で南下を開始、遠州灘沖約400kmに達しているという。このため遠州灘には巨大な冷水塊が出現し、漁業にも深刻な影響が出始めているらしい。

赤の濃い部分が黒潮の主流で、流速は毎秒2mを超える。黄色い部分(一部は緑)が冷水塊である。

[Res: 518] 小さなサバニの大冒険 投稿者:テバ 投稿日:2005/06/06(Mon) 17:15

このまれに見る大蛇行のさなか、小さなサバニが、愛・地球博を目指して5日に沖縄県糸満市を出航した。GPSもコンパスもなしに、古来の航海術だけで2000kmの旅をするという。

愛・地球博のテーマ「自然の叡智」にふさわしい壮挙だと報道されていた。しばらくは目が離せないことだ。


[517] Operation Lightning 投稿者:テバ 投稿日:2005/06/05(Sun) 19:44

バビロンで稲妻作戦とかいうものを始めたようです。そこで、レトロ・ファンのために年表をまとめてみました。ほとんどウィキからの引用です。手抜きで済みません。

1945年 ベトナム(仏印)から日本軍撤退
1946年 仏、ベトナム南部に傀儡政権樹立、北へ武力侵攻開始(第一次印度支那戦争)
1949年 ベトナム国、サイゴン市(現ホーチミン市)に成立
1954年 ディエンビエンフー陥落、仏軍敗退(南部のベトナム国は存続、以降米が支援)
1955年 南ベトナムにベトナム共和国(通称南ベトナム)成立
1960年 第二次印度支那戦争開始(ベトナム戦争)
1963年 アプバクの敗北で南ベトナム政府軍の無力露呈
1963年 ケネディ、ダラスで暗殺、米は政策転換の契機を失い直接的介入へ
1964年 トンキン湾事件(後にフレームアップと判明)をきっかけに本格的介入へ
1964年 韓国参戦
1965年 ジョンソン大統領、北爆を開始
1967年 最大規模、50万人を超えるアメリカ兵をベトナムに投入
1968年 テト攻勢、その後は米軍・南ベトナム政府軍と北ベトナムの正規戦に
1968年 ソンミ村虐殺事件が明らかに
1969年 大統領職、ジョンソンからニクソンに移る
1969年 ニクソン大統領、北爆を再開
1972年 ニクソン訪中
1973年 パリ協定(後日、キッシンジャーにはノーベル平和賞)
1975年 北ベトナム、南ベトナムに対し全面攻撃を開始、サイゴン陥落
1976年 南北統一・ベトナム社会主義共和国成立宣言、サイゴン市はホーチミン市に
     (米軍側の死者・不明者58,000余名)

あの「東洋の真珠」が消えた歴史です。バビロンは現在、どの辺にあるのでしょうか。


[516] タレント 投稿者:テバ 投稿日:2005/06/04(Sat) 08:33

馬鹿を才能というかどうかは別として、これを「売り」にしている芸人を「バカタレ」と縮約するらしい。その果てのような存在であるが、あちこち食べ歩く「食べタレ」と呼ばれる一群がある。こうした存在は若干有益完全無害であるから、特に論評するものではない。自分に往年の消化器的活力がない年代になってくると、かえってありがたい情報発信源とも言えるのかも知れない。

それは良いのだが、食べタレと日本語の問題である。

最近の若い世代は、お口を上品に動かして喋る傾向がある。上品なのか顎が弱いのか知らないが、口をあまり動かさないのだ。日本語は特に母音の種類が少ない。これを不完全な口蓋運動で発音されると、相当に聞き取りにくくなるのだ。このごろは大陸や半島の人も多いことなので、まあ東アジア全般の方言としてのヒアリングも不可能ではないから、これも許すとしようではないか。

そこまでは良いのだが、「シ」と「ヒ」の区別である。

食物を口中にして試して欲しい。決して「美味しい」とは発音できない。「美味ヒー」になるのだ。大昔、フランス語の教師から教えられたマナーだが、食事に関連しては、足を組んで物を噛むな、咀嚼しながら喋ろうとするな、という二大禁忌があった。この二つは人間をものすごく野蛮に見せるからだという説明だった。食べタレがバカタレ以下に思えるのはそのせいではないのだろうか。


[515] 投稿者:テバ 投稿日:2005/06/03(Fri) 12:09

Uセンセイからです。『岐阜県可児市花フェスタ記念公園のバラ』とあります。


[514] 新法 投稿者:テバ 投稿日:2005/06/02(Thu) 16:50

よく知ったお医様にいきなり「お名前を呼んでよろしいですか」なんて尋ねられると、ギョッとしてしまいます。とうとうこの先生・・・この若さで認知症にでもなってしまったのだろうか、と、不安にもなってきます。ところが今年の4月から、世の中の方がこのようになってしまったのですね。先生の隣に白衣を着た医者の卵(実習生)がちょこんと座っていたことが原因でした。この卵君は直接の診療行為には無関係な第三者ということになります。こうした場合には、患者の了解もなく実名を知らせてはいけないようなのです。いわゆる個人情報保護法の威力です。

その一方、診察室に入る際には実名で呼び込まれます。廊下とか待合や会計にいるときには実名でよい、のだそうです。この病院では、診察室の中でのやりとりが個人情報に該当すると統一解釈したようです。誰が? もちろん各科の部長さんたちが集まって会議をして決めたのです。だから「これでよいのだ」ということになります。ところが、診察室のパーティションは保護法対応になっていません。隣のやりとりが筒抜けです。耳元で怒鳴らないと聞こえないような患者もいます。この年寄りの症状とか薬の飲み方とかは、廊下の人々まで知ることになります。

「結構、官僚主義的なんですね」と申し上げたら、もうすぐ部長になるという噂もあるこの先生、いまいましそうに「うん」。


[513] ボビナイン 投稿者:テバ 投稿日:2005/05/30(Mon) 17:26

「生牛肉を冷圧法に依り製出した」もので、「飲むだけで血になる」そうです。まだ、BSEの心配なんかない古き良き時代のことでした。なお、大阪道修町といえば薬問屋のメッカでありました。
【大阪毎日新聞(休みしらず)明治43年4月24日より】


[511] お散歩 投稿者:テバ 投稿日:2005/05/29(Sun) 07:33

近所のお宅の柴犬君です。最初のころは良く吠える豆柴だと思っていたのですが、あれは仔犬時代だったのですね。今では立派な柴の成犬になりました。道行く人に尻尾を振って、ポーズまで取ってくれます。退屈しているんでしょうね。「僕、つまんない。散歩にいきたいな」

[Res: 511] お散歩 2 投稿者:テバ 投稿日:2005/05/29(Sun) 13:53

雑草なんでしょうが、不思議の森という雰囲気です。


[509] 男・三界に長女ありて 投稿者:テバ 投稿日:2005/05/28(Sat) 00:59

M君は海外が長く、直前にもジュネーブに2~3年いたようで、結構国際派の人間です。推定年齢40ちょっと過ぎというところでしょうか。昨夜いろいろな話をしていたところ、何と岡山県人だったと判明したのです・・・そこで早速、試しにかけたわけですが、設問は当然「カバヤ」について知るところを述べよ、です。でもさすがです。ベネッセとカバヤについて極めて熱く語ったのです。テバはベネッセというものを知りませんが、カバヤの蘊奥に関する限り、若造にしては結構なものだと感じ入った次第でした。

ところで四方山話の果ての果てですが、テバの好きな黒潮文明論にも乗ってきたのです。変なやつだな~、と思っていたら、嫁さんの実家が鹿児島だというのです。現在は市内だけどかなり知覧寄りだというから、大体の見当がつきました。それにしても何故? 吉備と薩摩が・・・根掘り葉掘り尋問します。それはこうでした・・・学生時代、鹿児島に旅行して彼女の実家に立ち寄ったのだそうです。そこで彼女のお父さんが大歓迎してくれて、(多分)芋焼酎をやったのですね。お嬢さんのお父さんは酔っぱらって手枕のごろ寝状態になったようです。そこで、用ができてご伴侶に声をかけたようです。

 「おーいっ!」

未来の義母となる伴侶なる方は家の反対側からそそくさとやって参ります。そこで未来の義父となる夫なる方は、自分の足許のティッシュの箱を、つま先で指さし、

 「ちょっと、一枚取ってくれ」

この夫婦(みょうと)のあり方に感動したM君は、間もなく、そのお嬢さんと結婚したのでありました。古来の金言「まず、母親を見よ」を率直に実践したのでした。かかる好機を逸して、他になすすべあらんや、です。

............。。。。。。ooooooOOOOOO○○○○○○○◯◯◯◯◯◯

ところがその後、幾星霜、その娘さんは母親とはぜーんぜん違った、いや、正反対の配偶者になってしまったのだそうです。ある日M君は、オモテをオカして「何故? あなたは? お母様とこんなにも・・・?」と訊いたそうです。いい度胸してますね。で、奥様のお答えは、

 「私、あのような母には、子供のころから常に反発を感じていましたの」

ということだったそうです。テバは、即座に腹に入りました。M君に確認のダメ押しの質問です。

 「ひょっとして、あなたの奥さんは、長女だったんじゃないの?」

M君の反応、

 「えぇ・・・え! でも、どうして判るんですか?」

わかる人間にはわかるものなんじゃよ、若者。


[508] カフェ・オ・レ・オ・リ 投稿者:テバ 投稿日:2005/05/26(Thu) 13:27

さて、東シナ海を北上しつつあるバルチック艦隊にとっての5月26日は、眼前に敵影の予感があるとはいえ、最後の平穏な朝だったと思われる。そこでテバの空想はロジェストウェンスキー太平洋第二・第三艦隊(バ艦隊の正式名称らしい)司令長官の朝の食卓に飛ぶ。当時のサンクトペテルブルクの貴族的階層の生活は完全に「おフランス風」だったというから、ロ提督もそのようであったと考えたい。となると、この朝の彼のメニュウがカフェ・オ・レだった蓋然性は極めて高いと判断せざるをえないのである(強引だが、必要に迫られて)。

ところで、日本式のご飯に味噌汁ぶっかけというと、これは「猫めし」とかいって、下賎の食事という大誤解があるが、両極端は合致するものなのだ。西式ダイエットをあげるまでもなく、血糖値を気にする飽食階級の朝食は結構簡素なものである。カフェ・オ・レは標準的であった。この大遠征を敢行した艦隊には乳牛も積まれていたという。あるいは御用達船みたいなものがあって、ロ提督専用のミルクぐらいは上海あたりから調達していたのかもしれない。東郷提督が味噌汁ぶっかけ飯で、ロ提督がカフェ・オ・レと、これでイーブンなのである。

連合艦隊司令長官の郷里には「ひやっ汁(ちる)」の伝統がある。詳細なレシピは他に譲るとして、これも一種の汁ぶっかけ飯である。この食事は、テバの推測だが、黒潮文化圏に属する。現在は宮崎県と呼ばれるあたりの飫肥(おび)から登場した小村寿太郎は、この夏から秋にかけ、ポーツマスでの困難な交渉を汗顔十石の想いで凌ぎきり、日露講和条約を見事にまとめることになるであろう。ピョンヤン宣言とかいうデタラメをでっちあげた田中なんたらとかいうクズ後輩外交官は自らを恥じ入るべし。ひやっ汁は、この日向が本場である。

ロ提督の朝食に戻ろう。このカフェ・オ・レ朝定の食し方である。バタアたっぷりのトオストでと思われるかもしれないが、これではカロリイ過多になるし胃にもたれるおそれもある。そこで素焼きのトオストにする。これを上品に一口サイズにちぎり、カフェに浸す。するとパンの耳の部分さえ大変に軟らかくなり、やさしい食感になる。コオヒイとミルクとトオストの混然とした香り。忘れていた「かあさんの味」になるのだ。提督の運命は明日には大転変を見せるのだが、この日の朝食は大いに穏やかだったことだろう。

このように仔細に観察すればするほど、日露間には何らの文化的差異も感じられない。どうして戦争にまでなったのか理解に苦しむ。が、キイワアドが一つだけ残っている。「オ・リ」である。ロ提督は、当然のように、ベッドでクッションに背を凭せかけながら朝食を摂ったことだろう。ベッドで朝食を、となるとこれは階級社会でしか考えられないものだ。サーバントが必要なのだから。東郷提督や乃木大将がベッドで味噌汁ぶっかけ飯を食する光景が想像できるだろうか。子供時代であれば御母堂に布団から蹴り出されていたに相違ない。「ぼっけも~ん!」と。

極東の貧しい国では、かかる簡素な朝食でも、キチンと正座をしていただいていたのだ。明日の海戦は東洋の勝利に終わることであろう。東洋精神、万歳!


[507] 明治35.2.21 投稿者:テバ 投稿日:2005/05/25(Wed) 17:54

北海タイムス

左:一大決心の披瀝
右:牛馬は診ません


[505] 市販品 投稿者:テバ 投稿日:2005/05/23(Mon) 17:55

明治26年7月26日の讀賣新聞の広告です。

 「人生一日も欠くべからざる最必要器たる護身用ピストル銃」

であります。

 「旅行携帯等には安全にして最も軽便」

ですので、

 「多少に拘わらずご購求のほどねがいあげ」

るのだそうです。

明治のこのころの物価指数が良くわかりませんが、約2,000倍弱ぐらいではないでしょうか。すると「一挺価金二円五十銭~金二十五円」というのは、現在の価格にすると5,000円~50,000円ということになります。

なお、横浜の金丸銃砲店というのは結構有名な商店だったようです。

[Res: 505] 似てるかな 投稿者:テバ 投稿日:2005/05/24(Tue) 00:35

お値段は全然違うようですが。


[504] 百姓の邦 投稿者:テバ 投稿日:2005/05/22(Sun) 06:48

今年は何の年?と聞かれたら○○海戦完全勝利100周年記念などと答えてはいけません。そんな風に表現できるのは戦勝国だけの特権です。従って、その辺のことにどうしても触れたい政府系HPでは「日露講和条約100周年」と表現するようです。

それはそうと、某国営放送で明治立憲に至る民権・建白運動の特集をしていました。そこでのナレーションです。「本邦は百姓のものにして・・・」というあたりの文脈で「ひゃくしょう」と訓んでおりました。アナウンサーの国語力のお披露目でしょうかね。

もっとも現代日本のことを指しているのかも知れません。それなら正解です。


[501] JALのワゴン 投稿者:テバ 投稿日:2005/05/20(Fri) 17:04

30代前半のポカ・・・・バブル時代の成果
20代前半のミス・・・・ゆとり教育の成果

JALのワゴンの収納ミスやなにやかや、どうも世代の構造的なものですね。40代がマニュアル世代「はしり」ですね。マニュアル作成の過程で捨象された膨大な事象・情報の存在を知らず、マニュアルをあたかも聖典と見て、何もかもそこから汲み出せると考えているようです。マニュアル・ファンダメンタリストと呼んであげましょう。

【Uセンセイのコメント】

> JALのワゴンの収納ミス

これは冗談ではなく怖いですね。一度、航空会社は忘れましたが、ステュワーデスが足ロックを十分にかけないまま、ワゴンを放置してジュースか何かを取りに台所へ帰ったことがあり、機体が傾いた時に猛然走りました。私と通路の向かいの客で止めたときには相当のスピードになって居ました。

日航が無許可で他社の機体整備を請け負っていたと言うのですから、中々元気なものです。もっとも、運輸省が審査をしたからと言って、其の手続きの中に安全性に寄与するステップが含まれているとは思えませんが。

[Res: 501] 日勤教育 投稿者:テバ 投稿日:2005/05/20(Fri) 17:05

今回の件に関連して鉄道用語を沢山覚えましたが、やはり白眉は標題の用語です。腕立て伏せや草むしりで運転のスキルが向上するという発想、まさに古参兵の新兵教育の再現です。

「精神主義と規律主義は無能者にとっての絶好の隠れ蓑である」とは、司馬遼太郎が乃木希典と寺内正毅について評した言葉ですが、どちらも日本人好みなのですね。現にマスコミが「ボーリング+焼き肉」=「鉄道マン精神の荒廃」とか書き立てると受けるわけです。

「日勤教育とマニュアル主義は原理主義者にとっての絶好の隠れ蓑である」

【Uセンセイのコメント】

信楽鉄道事故をへとも思わず14年間やってきたのです。今後もいけるでしょう。精神さえしっかりしとればええよ。

それにしても、でたらめの日勤教育を申し渡しておきながら、組合からやられて撤回するようじゃあ、もう少し腕立て伏せをせにゃあ。


[Res: 501] イエローカード 投稿者:テバ 投稿日:2005/05/20(Fri) 17:06

【カードでは例えば、大阪駅構内の下り線の注意個所として、曲線半径397メートルのカーブに関する記載がある。75キロの特別制限区間の解除を示す標識の裏に、このカーブ(制限速度75キロ)を示す標識が隠れていて見にくいことを指摘、特別制限が解除されても速度制限が続くことに注意を促している】asahi.com

道路でこんな標識の配列をしたら、管理瑕疵の代表事例とされるでしょう。これを写真集に押し付けて「うまくやれよ」って、事故って当たり前としか言いようがありません。

レッドカードですね。

【Uセンセイのコメント】

そのような非難を予測して、事故現場付近は一切何もしないことにしてありました。これなら非難される事はありません。

asahi.comトップ 【脱線現場のカーブ、注意個所に含まずJR宝塚線脱線事故で、京阪神の主要路線の運行上の注意点を記載した運転マニュアル「イエローカード」のなかに、脱線現場の急カーブに関する記載が一切ないことがわかった。現場カーブについては複数の運転士が危険性を感じていたと証言している】

[500] 働き方・休み方 投稿者:テバ 投稿日:2005/05/14(Sat) 12:58

睡眠以外は切れ目なき人生でありますが、解釈にはいろいろありそうです。

①4/25~28 → 4/29~5/8
  4日働いて10日休む

②4/29~5/8 → 5/9~13
  10日休んで5日働く

③5/13 → 5/14~15
  1日働いて2日休む

まだまだありそうです。なお、10連休は仮定の話です。

このささやかな例でも、①と②はいずれも疲れますね。③あたりが一番得をした気になります。「小市民」ですか。


[498] 久松港 投稿者:テバ 投稿日:2005/05/13(Fri) 18:03

世間の耳目が尼崎に集まっていた5月4日の午後5時頃、宮古島の久松港から一艘のサバニが出港した。翌5日の朝6時に帰港予定の夜間漁である。この「雄光丸」に乗り組んでいたのは下地雄三さん(79)ただ一人。月齢は約25、月の出は午前4時頃、潮は若潮から中潮へ、夜釣りとしてはまずまずの条件だったようだ。

ところが予定の時刻を過ぎてもサバニは帰ってこなかった。漁師仲間や海保・警察・自衛隊による捜索が始まったが、7日を過ぎても消息はつかめない。そうしてようやく、8日の午前3時半ごろ、尖閣諸島警備の途上にあった海保の巡視艇が下地さんの懐中電灯の光を発見、救助したという。この時の波高は1.5~2m。ぎりぎりだった。

下地さんはこの3日間余りを持参のおにぎりとバナナとあめ玉、そして釣った魚でしのいだという。もちろん長年漁で鍛えた精神力・体力があってのことだろう。発見された場所は池間島の北東約90kmだというから、母港の久松港からは100km以上も離れている。もやの中で港を捜しているうちに燃料切れを起こしたらしい。

何はともあれ、大慶至極なことでありました。


[Res: 498] 久松港(百年前) 投稿者:テバ 投稿日:2005/05/13(Fri) 18:07

東郷平八郎麾下の連合艦隊は、バルチック艦隊がどこから現れるかを固唾を呑んで待ち受けていた。津軽海峡、宗谷海峡の可能性も皆無ではなかったが、連合艦隊は本命の対馬海峡に戦力を集中布陣していた。バ艦隊に他のコースを取られた場合、討ち漏らす可能性が相当高くなり、最悪、日本海の制海権を失うことにもなりかねない。

仮装巡洋艦・信濃丸が待望の報告を発信してきたのは5月27日払暁のことである。「敵の艦隊、二〇三地点に見ゆ。時に午前四時四十五分」、これにより連合艦隊は最初の賭に勝ったのだった。当日の日本海海戦(国際的には対馬海戦)が連合艦隊の圧倒的勝利に終わったことは、ご案内の通りである。後年、スターリンの恨みを買うことにもなったが。

日本側ということになると、バ艦隊を最初に発見したのは粟国の人で、那覇港から宮古島に山原船を帆走させる途上の、慶良間と宮古の中間地点でのことらしい。この報告が宮古にもたらされたのは5月26日朝であるが、確認手続きに一日程度を空費したようだ。宮古の島庁は那覇と東京に連絡しようとしたが、電信設備は八重山の石垣にしかない。

ここで久松港が登場する。当時は松原、久貝という二つの集落だったという。27日朝、ここから5人の漁師が大型のサバニで出航する。黒潮の強い流れに逆らって漕ぎ続けること15時間、石垣島の伊原間というところに着いたのが深夜、そこから30kmの陸路を5時間走って石垣の八重山郵便局に一報をもたらした。すでに5月28日になっていた。

 五月ニ八日午前七時十分 八重山局発
 五月ニ八日午前十時   本部着
 発信者 宮古島司、同警察署長
 受信者 海軍部

【本月二十三日午前十時頃、本島慶良間間中央ニテ軍艦四十余隻、柱、二、三、煙突二、三、船色赤ニ余ハ桑色ニテ、三列ノ体系ヲナシ、東北ニ進航シツツアリシガ、内一隻ハ東南ニ航行スルヲ認メシモアリ。但シ、船旗ハ不明。右、報告ス】

昭和9年になって、この五人の漁師たちの活躍が発掘・報道・顕彰された。現在、久松五勇士として現地に石碑を残す。


[496] 台風電車 投稿者:テバ 投稿日:2005/05/08(Sun) 08:57

中学校の理科で教わった通りです。遠心力とかコリオリの力というものは見かけの力です。本質はいずれも「慣性力」です。「外力が作用しなければ、物体は静止したままか、等速直線運動をする」という、ニュートンの運動に関する第一法則が実現したにすぎないのです。

あの電車は、直線区間の延長上のマンションに激突してました。「置き石」とか「せり上がりand/or競合脱線」とか「空気バネシステムの共振」程度の微妙なメカニズムには、当初から一切出番がない状況でした。車体と乗客を合計した膨大な質量が慣性力を発揮したのです。

直進しようとする質量を左側のレールとフランジが拘束するから、車体は左に傾かざるをえないのです。R300の200m前で電車の速度が126km/hに達していたとすれば、70km/hに比べ運動エネルギーは3.2倍にはなっています。車輪・車軸を磨り潰しても大した減速はできません。

あそこでは133km/hの速度がないと横転しないはずだ、という某総研の「ご託宣」は「空車」なら結構いい線を行っていたのです。これに乗客の慣性エネルギーを加えれば、もう少し低い速度でも「事象」は起こります。ただ当初はいずれにせよ「想像を絶する」速度だったのです。

207系は規格上120km/hが最高速度だ信じていましたが、これはあくまでも平坦地での話でした。今思うことですが、伊丹から尼崎にかけては「下り坂」地形です。回復運転とかでトップ加速すれば不可能な速度ではありません。これで事故の力学的側面の議論は落着したと思います。

「技術評論家」とか「鉄道に詳しい専門家」とかが随分掻き回してくれましたが、今回の事故調は結構オープンにやってくれました。「置き石的評論家」は退散しました。これからは事故の社会的側面、という、より困難な課題に入っていきます。「勿忘大局」を期待します。

「何でも詳しい浮世床評論家」が山をなしているような気はしますけど。

[Res: 496] (~_ーメ) 欝怒 投稿者:テバ 投稿日:2005/05/08(Sun) 10:12

某国営放送に、とうに失脚したはずの「鉄道に詳しい評論家」が出ていた。「乗客がいれば重心が更に下がるので、遠心力はとうてい考えられない」説や「従って、空気バネシステムの不適切共鳴だ」説をヒステリックに叫んでいた男である。

自分のことは棚にあげ、JR西日本が「運転士単独責任」説や「置き石」説を弄したといって非難していた。日本はリスク管理が遅れているので時折大量の被害者が出る、という無神経な主張までしていた。仮に遅れていたとしても、全部他人の責任だと思っているのだろうか。

自分では華麗にも「リスク管理に詳しい専門家」に変身(変装?)したつもりなんだろうけど、科学や技術に関する限り「外道」だと断定する。今回の一連の見解表明と、以前原発をやっていたころの総括さえ忘れている。それつけても、国営放送というのは一体何を考えているのだろう。

もうこの事故のことは考えまい。心配したところで、この国では明日は我が身なんだし。国営放送の受信料不払いのことでも考えるとしよう。こちらの方が真剣に考えるネウチがありそうだ。少しは「稼ぎ」になるかも知れない。


[495] 初めてのSUBROUTINE@JavaScript 投稿者:テバ 投稿日:2005/05/07(Sat) 17:45

こわごわと、生まれて初めて、JavaScriptでサブルーチンを作ってみました。

 function sgn(a){if(a>0){return true;} else {return false-1;}}

たったの一行ですけど。aの正負に応じて+1,-1を返す符号関数です。入門書もなし。ネットの情報だけでお勉強です。動きました・・・しかしこの感動は久しぶりだなあ。少しハマッてしまいそうです。

表紙の十二宮の動きが少々滑らかになりました(ような気がします)。

しかしアウタルキーなHPだな。相変わらず。


[493] 脱線 投稿者:Uセンセイ 投稿日:2005/05/06(Fri) 13:52

鉄道の唱歌はいくつかありますが、日常語になった鉄道用語は案外少ないですね。

 「脱線」「見切り発車」

くらいしかすぐには思い浮かびません。オリンピック出場権で使われる「切符」はたぶん商業用語でしょうが、一般生活にとっては鉄道用語と言えましょう。「レールを敷く」もありますね。当分の間は「ボウリング」も鉄道用語です。

航空用語は、日本では歴史が浅いだけに、

 「ニアミス」「エアポケット」「低空飛行」「離陸」くらいでしょうか。

サッカーも国民に定着してからの歴史が浅いので、

 「イエローカード」(「レッドカード」)しか思い浮かびません。

これに対して、歴史が長い相撲と野球はほとんど数え切れません。もっとも、野球の歴史は鉄道の歴史とほとんど同じ時間ですが。

相撲では、

「立ち上がり」「横綱」(横綱相撲)「行司」「水入り」「取り直し」(「仕切りなおし」)「寄り切る」「がっぷり四つに組む」「打っちゃる」「他人のふんどし」「土俵にあがる」「ものいい」

野球では、

「登板」「再登板」「続投」「ヒット」(クリーンヒット)「タッチアウト」「滑り込みセーフ」「ピンチヒッター」 「変化球」 「延長戦」「ファインプレー」「ゲームセット」

すぐに幾つも思い浮かびます。

最近余りはやらない武術関係では、「横槍」「寝技」くらいですね。「しのぎを削る」が剣術用語であるとはほとんど誰も知らないでしょう。「鎬」という字は読めません。


[Res: 493] Re: 脱線 投稿者:テバ 投稿日:2005/05/06(Fri) 13:59

囲碁、将棋の代表は

 「駄目を詰める」「雪隠詰め」

ですか。


[491] エア・サスペンション 投稿者:テバ 投稿日:2005/05/05(Thu) 17:51

これが決定的原因だ、いや違う、事故調は早く結論を出したがる傾向がある、いいや誰かのストーリイだ陰謀だ・・・今日はエア・サスペンション責任論で煮詰まっているようです。明日は全然別の所に行くのでしょうね。あれだけの複雑な背景がある大事故を207系の構造欠陥だけに押しつけると、次に来るものが巨大すぎます。たとえば207系総撤去とか。

テバは、自分自身を含めてラッシュ電車の乗客が大嫌いです。みんな険しい目つきをしています。ケダモノですね。お互いの生物学的警戒半径(テリトリー)に侵入しあってますから当然です。あるいはラッキーにも座れたお嬢様は、父兄にも見せない寝顔を皆様に公開しています。これというのも、痛勤問題を解消できなかった20世紀という時代の責任です。

「安うて、早ようて、座って行ける」ってキャッチコピーを作ったのは、例の阪急電鉄の創始者小林一三(逸翁)ですが、「早すぎて、座れんで、危のうて困る」鉄道が大量発生したようです。大正を中心に活躍された逸翁の時代とは違い、今では、三田の山奥までが「郊外」に含まれてますからね。関東なら、昔は馬鹿にされていた「利根川の向こう」です。

郊外の緑の庭に赤い屋根の家からの快適な通勤の夢は、ウルトラ・サバーブ(まるで外国の地名!)からの日帰り出張という形で実現したのです。つまり、今回の事故は、エア・サスペンションの問題などではなく、住宅問題であり、畢竟、土地の所有・利用に係る権利制度の問題なのであります・・・って、憲政の神様・尾崎愕堂翁なら言うのかな。

電車程度のメカトロにこんな大きな問題を押しつけちゃいけない、と思いますよ。



[Res: 491] 安うて早ようて 投稿者:テバ 投稿日:2005/05/06(Fri) 00:51

「てるてる家族」で低視聴率記録を更新した大阪池田ですが、この地こそ、逸翁時代に「郊外」と考えられていたところです。阪急電鉄を真面目につとめあげた社員ならば戸建ての家が一軒持てる距離として、小林社長が選定したところです。爆発的完売だったそうです。現在の所要時間は快速急行で梅田まで18分です(@駅すぱ)。世の中は勤労者への報酬として、この100年弱の間、通勤時間を伸ばしに伸ばしてきたのでした。スピードアップにもかかわらず、です。

大阪支社長さんのご方針のおかげで関西の「稼ぐ」スピリットは有名になりましたが、ここ池田は文化都市でした。北摂の様々な勤労者の夜の憩いの巷ということです。従って、「使わして稼ぐ」ということになります(もちろん今は違いますよ)。とはいえ勤労者にしてみれば、汗も流したいし、小腹も空いている。とりあえず軽ゥくなんとかならんかィな、となるもののわけですね。「安うて早ようて」の出番です。こう言えば、関東では蕎麦、関西ではうどんです。

この池田には「吾妻」という古い古いうどん屋(幕末創業)があります。あのころは古い古い店舗のままでした。現在はビルの一階に敷き込まれてしまったようですが、営業は健在のようです。ここの一押しの名物は「ささめうどん」ですが、「ハイカラそば」もお試しください。たぬきそばが出てきます。関東者としては「いたんだ!名前を変えて・・・こんなにまぁ苦労して・・・」という、感慨ひとしおでした。もうメニュー落ちしているかも知れませんが。

 http://members.at.infoseek.co.jp/non01/wasyoku/azuma.htm

内部は随分きれいになったようです。隣は銭湯だったのですが、多分、もうないでしょうね。

 水もなき 港の灯り さし招き


[490] お写真 投稿者:Uセンセイ 投稿日:2005/05/04(Wed) 13:03

夏若葉、ですね。


[489] 痛勤新聞 投稿者:テバ 投稿日:2005/05/03(Tue) 00:06

朝のラッシュの電車の中で、平々然というか、必死にというか、新聞を読んでいる人が結構多い。こうした現象はこの時間帯だけのような気がする。夕方のラッシュ帯で夕刊を読んでいる人を見かけることはあまりない。もっと空いている昼間はというと、車内読書人はほぼゼロである。せいぜい、馬の愛好家が専門紙を熟読している程度だ。大昔のロンドンのコーヒー・ハウスでは、新聞を音読してくれる紳士に文盲の連中が蝟集したというが、これは世界冠の識字率を誇る日本の出来事ではない。

 ナニガ、書カレテイルノダロウ・・・

このごろは特に、新聞社が「始めろ」とか「続けろ」とか「摂れ」とか、脅迫的な言辞を弄し始めたので、女性の中にも、やむを得ず車内で朝刊を拡げる方々が出現してきたようだ。一般的には、男性諸子がご愛読しておられるあのテの写真満載の「スポーツ何とか」よりは高級紙であるようなのだが、周囲の他人の迷惑という意味では全く同質である。男性が禁煙しだしたら女性の喫煙人口が増えた、ということと軌一の現象である。迷惑総量一定の法則でもあるのだろうか。

東京都では、こうした車内迷惑行為を一括禁止する条例を検討中とかいう。鉄道会社もタバコを追放した場合のように、鉄道敷地内では原則禁紙にしたらよいと思う。万難を排して読む価値のある号外は別して、品性ゼロのバッターが500号を打ったぐらいで、バサバサ・ガサガサと、ただでさえ不快な車中に何を持ち込もうというのだ。あえて喧嘩でも売っているのだろうか。世の中を煽って第二次大東亜戦争でも起こそうというのだろうか。速報性という点でも全く価値はない。不愉快を感ずるのは吉永小百合女史だけではないのだ。

特にご婦人方に申し上げたい。アルルカン顔負けの化粧をしないと出社できないというのなら、有給休暇でも取って一日中塗っていなさい。一歩も家を出なくて結構です。世間はそれを大歓迎するはずですよ。もし万一、それでも会社に行く時間があるのよ、というのなら、新聞なんかは広告・番組表を含め全24頁(平均)を十分に読めるじゃあないですか。それよりもむしろ、スッピンで良いから、颯爽と、手ぶらで満員電車に乗ってきてほしい。新聞じゃあなくて、自分に自信を持ってね。


[488] フラムスチード天球図譜 投稿者:テバ 投稿日:2005/04/30(Sat) 00:41

ネットのおかげで、古往今来、世界中の図書に簡単にアクセスできるようになりました。しかしそれ以前は、歴史の黎明期あたりから、図書館だけだったと思われます。標題の本は、ジョン・フラムスチード(1646-1719)が前人未踏の精密さで観測した約3,000の天体を図版に展開したものです。

彼の生前、彗星で有名なエドマンド・ハレー(王立天文台長後継者)は、フラムスチードの古いデータをもとに無断で「図譜」を出版しました。しかしフラムスチードは抗議し、裁判の結果これらの大半は焼却処分されたそうです。現在に伝わるものは、彼の没後、夫人などの手で出版された正統なものです。

関心のある方は、このサイトでどうぞ。

http://www.brera.unimi.it/old/HEAVENS/ATLAS/flamsteed.html

もちろんハノーヴァー朝のみぎりです。天球上に恒星が無機的にプロットされているだけではなく、優美な星座の画像が描かれています。これがこの図譜の魅力です。

ところでテバの記憶では、これの日本語版(といっても図版はそのまま)が中学校の図書館にありました。重い本でしたが、よく閲覧に行きました。ところが、ちょっと調べてみたら、日本語版の第一版は恒星社厚生閣で1968年となっていました。すると、歳バレですが、中学校で見たはずはないのです。

 アレハ、「マボロシ」ダッタノダロウカ・・・

しかし、思い出す度に執念深く、あちらこちらとランダムに当たっていたら、本日ついに発見しました。1943年に同社から発刊されたものがあったのです。見つけた先は神戸市図書館で、そこの検索エンジンでヒットしたのです。しかし昭和18年という時代の日本で、よくもこんな優雅な出版ができたものです。

そこで推測するに、多分それはこうです。GPSなんていう利器がないあの時代です。この天球図譜は、相変わらず、航海に不可欠なアイテムだったのです。艦隊や潜水艦の位置を天測するためには、なくてはならないものだったのです(と考えます)。この天球図譜の精度はそれほど「絶後」だった筈です。

「神戸市」というのも、何となく航海術との関連を連想させるものがあります。勝海舟も坂本竜馬もこの図譜(もちろん原書)と取り組んだのかも知れません。そう思うと嬉しくなってきます。ところで、これがどうして「海なし」県の中学校図書館程度にあったのでしょうか。復員海軍士官の「おみやげ」だったのかも知れません。

いずれにせよ、今度神戸に行く機会ができ、時間があったら、この旧友に再会してみたいと思います。どの「書架」に住んでいるのかまで判明したのですから。


[486] デッドマンスイッチ 投稿者:テバ 投稿日:2005/04/28(Thu) 16:16

どうも今回の事故では、非常用ブレーキの特性が決定的な役割を果たしたようだ。あの高速で、直線区間からR300に差しかかったところで作動を開始した痕跡があるという。一旦働き出すと完全に停止するまで車輪のロックが解除されないらしい。こうした機構は、理想的な直線区間を想定して設計されたのだろうが、膨大な遠心力が働く最中の車輪ロックはデッドマンスイッチそのものだ。

一定の条件さえ揃えば暴走する技術。多分、身辺には山のようにあるのだろう。顕在化するまでは気付かれることもなく。

言葉もない。

[Res: 486] やはり 投稿者:テバ 投稿日:2005/04/29(Fri) 03:13

単純な遠心力による転倒という見解になってきているようだ。しかし非常用ブレーキの効果はそれだけではない。急制動の結果、乗客は慣性力により折線方向に抛り出される。つまりR(車両)の外側に押しつけられる。従って、遠心力は更に大きくなる。

これからのJR西社を引き受ける「ヒト」は現れるのだろうか。


[485] 片隅の一冊 投稿者:テバ 投稿日:2005/04/24(Sun) 02:45

こんなことをいうと、(死海文書のような)大層なイメージを持たれてしまうかも知れないが、全くそんなことではない。アジモフ(アシモフとも)の「われはロボット:I,ROBOT」が息子の引っ越した部屋の片隅にポツンと落ちていたのを見つけたということだけのこと。

経済学方面を志向して鹿島発ちをしたような青年にも、結構夢見る一面があったようで、多少ほっとしている。このシリーズの主人公はスーザン・キャルビン女史で、劈頭既に70歳近い生涯独身の天才ロボット工学者である。大昔、このシリーズにも、テバももちろん耽溺したものだ。

残された本をパラパラとめくり、久しぶりに、グローリア(4歳女児)とロビン(初期の低性能育児用ロボット)のエピソードを読み返した。第1話である。老人力がついてきたせいか、アジモフの言いたかったことで、以前気付かなかったことがいくつも読み取れた。

それは当然だろう。エピソード・ワンを初めて読んだ時のテバは独身だった。したがって娘(グローリアのようなもの)もいなかったわけ。来週、娘が還ってくる。いつまでかはわからないが、当面同居することになる。この出来の悪い父親が、ロビンになれるのだろうか。

時代は人間の母性・父性に「疑問」を感じさせる現象を多発させている。アジモフの状況設定とは全く逆の問いかけを始めているようなのだ。別未来ではモンスターと見られたロビンが、絶対に必要だと論じられる局面もありうるのかな・・・と憂鬱になってしまう。

それはそれとして、K県出身のON君なんかは、スーザン・キャルビン女史(70)に入れあげていました。当時、50歳も年上の女性だったのですよ。


[484] 最新到着写真 投稿者:テバ 投稿日:2005/04/24(Sun) 02:41

「路傍の花」とあります。


[482] 中国の歴史 投稿者:テバ 投稿日:2005/04/23(Sat) 02:19

中国が最近再び解らなくなって書店を徘徊していたところ、岡田英弘先生の「中国文明の歴史」に出会いました。その本で「中華」のドグマが一回転してしまいました。テバとしては中華人が中国を造ったのだとばかり思っていたのでした。ところが岡田先生によれば、

『「中華」というのは、洛陽盆地の西端、洛河の発源する山が「華山」であるところからくる』

というのですね。確かに漢字というものは「表象」文字であって、古代になるほど「表意」的や「表音」的に用いられることはレアだ、ということは、どこかで聞いたことがあります。しかし、中つ国に華という山があるほどの具象世界であったとは夢にも思いませんでした。

早速エンカルタで確認したところ、ありました、あったのです。本当に「華山」という山があるんですね。別に岡田先生を疑ったわけじゃありません。けど、確認できたことは小学には大いなる慶びでした。碩学という方はおられるものだと感じ入った次第です。

しかし次に当然の疑問が生じます。中華民族とは何だ、ということです。浅学の身としては、当然、この山を中心とする中原地帯に、ラーメン大好き麦作農耕民族が大いに分布していたのじゃあないのだろうか、と思ったりもするのです。

しかし岡田先生の説くところはとどまりません。この小さな山を中心に、東夷、南蛮、西戎、北狄の人々が居住していたのだ、とくるわけです。すると中華山は原点であって、限りなく面積ゼロの世界になってしまいます。じゃあ、中国人はどこから来たんだヨ、となります。

すると、先生は明快に答えます。

『中国人とは、これらの諸種族が接触・混合して形成した都市の住民のことであり、文化上の概念であって、人種としては「蛮」「夷」「戎」「狄」の子孫である』

とするのです。中華山をはさんで四種類の蛮族が押しくらまんじゅうをやっていたら、いつの間にかそこには燦然と輝く中華民族が誕生していたということになります。ガリア人がガロ=ロマンになり、フランクになり、そうしてついには世界文明の中心たるフランス人になったような目覚ましいマジックが起こったというのです。

大変解りやすい理論です。中国政府は日本の教科書に抗議すべきです。日本人は東夷ではなく、中華人民の少なくとも質的には1/4の祖先である、と主張すべきです。時宜を得た、すっきりした説でありました。


[481] 新刊案内 投稿者:テバ 投稿日:2005/04/22(Fri) 08:15

ここですよ、

http://www.gihodoshuppan.co.jp/newbooks/index.html

とご案内申し上げたら、「やっぱり焼酎か」というお言葉をいただきました。お顔も知らない関根彰様には大変失礼いたしました。でも、多少は宣伝になったと思ってお許しください。

ネパールの焼酎は一本お土産に頂きましたが、結局誰も飲めなかった豪快な一品でした。


[480] な~んかね! 投稿者:テバ 投稿日:2005/04/20(Wed) 02:12

やっぱり神聖ローマ帝国出身の方でしたか。多分、筋金入りのゲルマンなんでしょうね。

わくわくしながらアフリカンやチャイニーズを期待していたテバが「アホ」でした。これって100年先の話なんでしょうね。前任者が立派だっただけに、今度の人は大変ですね。78歳ですってサ。


[478] ゾディアック(獣帯) 投稿者:テバ 投稿日:2005/04/17(Sun) 23:50

表紙にゾディアック(黄道ともいう)の十二宮を走らせました。これで只の表紙ではなくなりました。千里を見渡し、千年を予知する眼を持つ表紙、になったのです。十分にランダマイズしてありますから、姑息な人智・人為のごときが介入する余地はありません。

絵が小さいので、これから使用される方の便に配慮し、凡例を付けておきます。

[Res: 478] アストロロギア(占星術) 投稿者:テバ 投稿日:2005/04/17(Sun) 23:53

ページを開く前に、表紙の人物のうちの一人を、あらかじめ、「自分はこの人!」と決めておいてください。あるいは決めてから「更新」をクリックしてください。表紙が立ちあがって静止してから、その人物に最初にさしかかった星座こそあなたの現在を支配しているのです。たとえばそれが魚座なら、あなたは現在、夢想的で飛躍的な考えに惹かれがちな心境にあるはずです。色の中では特に青緑色に関心があります。守護星は海王星ということになります。それよりくわしいことを知りたければ、ゴマンとある占星術の本で調べてください。

もちろん、あなたが何座であるかということも微妙に影響し合いす。奥は深いのです。


[476] 治安能力低下? 投稿者:テバ 投稿日:2005/04/16(Sat) 21:05

天安門の時にはあれだけの暴乱(当局的呼称)を未然に見事に押さえ込んでみせた当局が、今回、わずかな数のデモ隊に手を焼いているようだ。ペットボトルすら阻止できない。五輪や博覧会の時にはやはり戦車が街路に出てくるのかな?

[Res: 476] 記事にする意味は? 投稿者:U先生 投稿日:2005/04/17(Sun) 06:53

中には凄い報道もあるもので、

>東京にある全○本中国旅行は、「言論に注意していただければ大丈夫。挑発には乗らないようにして下さい」などとアドバイスしているという (某.com)

「としている」旅行社も、報道する方も、こんな無責任な話はないと思うが、この新聞は文革の時にも「紅衛兵好!」とやっていたっけ。日本人は土下座してでも中国観光に行け、ということのようです。何が起こっても日本人が悪かったことにしてくれるでしょうね。

我が家で隣の子供を遊ばせておいて、その子を殴った我が子を庇い、「お宅が悪いからうちの子が殴ったのです」というオヤジ・・・これには当然絶句。


[475] ヤング・サムライ 投稿者:テバ 投稿日:2005/04/16(Sat) 06:01

昨日のこと、大変暑く喉が渇いたので、ア○ヒ飲料のペットボトル入り「名人直伝・若武者」というお茶を購入した。これしか売っていなかったからである。しかしお茶にしては、随分と力の入った秀抜なネーミングである。そこで飲み終わってから、ラベルを丹念に読んでみた。どうも「(国産)若蒸し茶葉」から付けた名前のようだ。とすると、結構オヤヂギャグ風な命名だったのかもしれない。ちょっと評価を下げた。

今日は少しは涼しいようだ。


[472] 博覧会気分 投稿者:テバ 投稿日:2005/04/14(Thu) 08:16

火曜日は日帰りのつもりで名古屋に行ってまいりました。ところが、渡る世間はままならず、不時泊となりました。水曜日の朝食はのぞみの車中で駅弁です。乗車直前に物色したところ、博覧会気分満点の弁当があったので、即座に購入しました。

[Res: 472] 八丁味噌 投稿者:テバ 投稿日:2005/04/15(Fri) 01:42

同駅弁の解説です。


[465] どーも・モリゾー・くん 投稿者:テバ 投稿日:2005/04/03(Sun) 00:54

どーもこの二人には、地下世界のどこかで、秘密の繋がりがあるような気がしてならなかった。二人の任務はというと、「どーもくん」はBS契約の販売促進であり、「モリゾー」は博覧会への動員である。一見、全く無関係である。

しかし「よ~く考えよ~」してみると、最初はまるでその気のない国民大衆を勧誘するという意味では、同質の任務なのである。某国のエスタブリッシュメントの奥の院、そのあたりからの密命を帯びていると思うのは考えすぎだろうか。

この謎は意外なやり方で解けた。MeeSoft(Microsoftではない)というところが提供している「スマート・モーフ」というフリーウェアが鍵になった。この程度の変装であれば、ベテランの御庭番にとっては極めてたやすいことなのであった。

「へそ」がないところまで一緒だった。

[Res: 465] お昼寝モリゾー 投稿者:テバ 投稿日:2005/04/05(Tue) 21:10
可愛そうに、千客万来のために疲れ果ててしまったのでしょうか?それとも?・・・
[Res: 465] モリゾーの夢 投稿者:テバ 投稿日:2005/04/10(Sun) 02:19
キッコロってモリゾーの孫なのかな。モリゾーのことを「おじいちゃん」って呼んでいるようです。

モリゾーが見ている夢の見当が付きました。180gで100万円、100個限定で、売り切れたのでしょうね。

[470] ポコペンとは 投稿者:テバ 投稿日:2005/04/09(Sat) 23:55

日本人が花見に浮かれている横で、大陸ではきな臭いデモが行われています。最近のUセンセイのお話です。

『子供のころポコペンという遊びをしました。遊びのルールには各地でバリエーションがあるようですが、基地となる木や缶を定めてかくれんぼをするものだったように思います。

オニになった子供より先にその基地にタッチする時にポコペンと言ったように思います。ポコペンが成立すると、それまでに捕まっていた子供たちが開放されたように覚えています。

ところで、この子供の音遊びのように聞こえる「ポコペン」が堂々たる漢籍の言葉だったということを最近知りました。随分教養に満ちた子供たちだったようです。

「藤村のパリ」(河盛好蔵著 新潮文庫 2000年)に出てきます。藤村より先にパリに来た人が、「ポコペンだよ」と言ったので、日本を出てから長い人は古い言葉を使う、と感想を述べる件があります。

それで、広辞苑に相談したところ、

  「ポコペン<不☆本>:(中国語で、元手にも足りない意)だめだ。話にならぬ。」

と出ていました。

遊びの中でポコペンと叫ぶのは正しい場面での使い方だったようです』

まずこの遊びですが、センセイの仰るルールから想像するに、これは関東地方では「缶蹴り」そのものです。北関東では特段の科白もなく黙々と遂行されていました。やはり西日本は先進文化圏です。キメ科白に中国語まで導入していたんですね。

つぎにこの「ポコペン」という言葉です。物心ついたころの漫画本で見かけました。典型的な中国風の服装の登場人物が、最後に間投詞のように使って喋ります。そのため、この言葉は国際的軋轢に繋がりそうな予感がして、忌避・回避していました。ウェブで当たってみると、HPのタイトルに使ったり、店名に採用したり、結構堂々とまかり通っていることが解りました。

藤村にこの言葉を使った人が日本にいた時代には、教養人がごく日常的に使っていたんでしょうね。それがある種の悪意を伴ったニュアンスで使われ始めた背景には、日中関係がおかしくなっていったことがあるのでしょう。子供の遊び世界では、そういった意識はほとんどなかったでしょうし、現在使っている方々はそういった不幸な歴史に無関係な世代だと思われます。

☆のところの漢字も含め、画像にしてみました。


[467] 桜の便り 投稿者:テバ 投稿日:2005/04/09(Sat) 01:45

4月8日撮影とあります。Uセンセイのお作ですが、重すぎるのでトリムしたりしてあります。原作の雰囲気をなんとか感得できるギリギリのところです。申し訳ありません。

[Res: 467] Re: 桜の便り 投稿者:テバ 投稿日:2005/04/09(Sat) 12:32
改めて見ていて、おやっ、と思い、確かめてみました。桜前線というもの、Uセンセイの居られる愛知県K市とテバのいる神奈川県Y市とでは、ほぼ同時に到達していたのでした。

さらに言うなら、福岡も広島も静岡もということです。ノルマンディーが小さく見える、壮大な上陸作戦であったのです。



[464] 食料解禁 投稿者:テバ 投稿日:2005/04/01(Fri) 23:49

【Uセンセイへ】

ところで、万博の食料解禁おめでとうございます。うまくいけば、例のアイリッシュを詰めたフラスクも持ち込めるのではないのでしょうか。猛暑にも酷寒にもオー・ド・ヴィーです。大阪の博覧会のレストランでは、1時間近く並んでコロッケ&ドーナッツみたいなものを食べさせられた記憶があります。法外な値段だったと思います。

【Uセンセイから】

家庭で作った弁当は安全でコンビニの弁当は危険という言い草はどういう神経なのでしょうか。大手町の歩道の弁当屋はなぜ営業が認められているのか。

それに万博には愛知県民だけが行くわけではありません。沖縄からも、ブルキナファッソからも来るわけで、それぞれ家庭で弁当を作ってきたら、それでもコンビニより安全なのでしょうか。

論理的に馬鹿げた思考にはイラつきます。

【Uセンセイへ】

テレビのニュースの映像では、何といっても、ゲートでチェックしているおぢさんやおねいさんたちの忌々しそうな表情が印象的でした。昨日までは爆弾と弁当がご禁制の筆頭だったのですからね。今日はロクに中味も改めていないようでした。今なら、自家製の弁当に見せかけたおにぎり爆弾とかも持ち込み放題でしょうね。幕府瓦解前夜の箱根の関所もあんなだったんだろうな、というのが感想でした。


[461] プレート 投稿者:テバ 投稿日:2005/03/30(Wed) 00:05

日本周辺のごく狭いエリアに、世界中で解放される地震エネルギー(地殻応力)の約1割が集中していると覚えていたのだが、とんでもないことだったようだ。M9のわずか3ヶ月後にM8.7であるという。これが余震だというのだが、信じられない規模である。マグニチュードが1大きくなるとエネルギーは32倍になる。だから0.2増えるごとに倍・倍となっていく。中越地震がM6.9とされているから、今回の余震でさえ、

 2^((8.7-6.9)/0.2)=32×32÷2=512 倍

ということになる。もちろん海洋型と内陸型では、このぐらいの差はあることは十分考えられるが、それにしても非道いことである。M9の本震はこの2.8倍、つまり中越地震の約1500倍になる。

今回の地震に関係するのがインド洋プレートである。このプレートはインド亜大陸をアフリカから切り離し、ユーラシアプレートに衝突させた。極めて活発・強力なプレートである。その結果ヒマラヤ・パミールの巨大な山塊が誕生した。インドやカシミールでは時々大きな地震があったのだが、同じユーラシアプレートに衝突しているはずの東半分、つまり今回の地域は妙に静かだった。粛々とエネルギーを蓄えていたのだった。

日本はユーラシア、北米、太平洋、フィリピン海という4つのプレートが境界を接している。その焦点付近に富士山がある。まさに日本の自然条件の象徴である。

[Res: 461] プレート 2 投稿者:テバ 投稿日:2005/03/30(Wed) 00:15
プレートの区分には諸説あります。そこで比較的新しいものを捜してみました。ようく見ると、今回の地域はオーストラリアプレートを含めた三重点付近にありました。

[Res: 461] 訂正 投稿者:テバ 投稿日:2005/03/30(Wed) 08:43
余震ではなく双子地震だという説に落ち着きそうです。10年前にはなかった呼称です。確かに連れ子地震にしては「ケタ」が大きいですね。

[460] 海賊事件 投稿者:テバ 投稿日:2005/03/21(Mon) 08:28

やっとマラッカの海賊事件が一段落したようです。ともかくも人質・身代金などとは言語道断なことで、何ら弁解・弁護の余地はありません。金や特定の信条のために、関係のない他人の生命・身体を左右するのですから、昔から極刑相当でした。ただ一時期は国家公認ということもあったようで、女王陛下から特許された海賊は英国では罪を問われず、それどころか爵位まで与えられたようです。

パイレイツとかコルセアとかいう一団が記録に残るようになったのは、ギリシア・ローマのころからですが、それは記録されるようになったからです。それこそ人類の何番目かに古い職業グループだったことでしょう。どうも微妙な違いがあるようで、パイレイツは船を襲い、コルセアは上陸して村々を襲ったようです。倭寇はどちらかといえばコルセア型ですね。いずれにもせよ、怪しからぬことです。

問題は、昨年末の大津波によって激変したあの地域の状況です。各国の援助軍は本当に三ヶ月で引き上げてしまったけれど、まだまだ孤立していて復興の兆しすら見えない集落は大量にあるようです。国連でさえ実態把握ができていないと明言しています。以前は、普段一応漁業で生計をたてていて、不漁続きや豊漁貧乏の際にちょっと手を出していたという、やはり彼らにとっても「忸怩」たるアルバイトだったといいます。

それが社会システムの恒常的部分になり、立派なビジネスになるようであれば、これは社会を管理する側にも一半の責任があることになります。保険業界は公式に認めていませんが、「海賊保険」を引き受ける会社まで出てくるようでは世も末です。


[459] モンゴリアン・ロード 12 投稿者:テバ 投稿日:2005/03/20(Sun) 00:25

この地域にとっては、時代そのものが全く茫洋としていた。しかも、あまりにも遠い過去のことである。別の宇宙の別の惑星の出来事に等しい。考古学的成果ががもっと得られるならば、もう少しはっきりしてくることもあるのだろう。しかし、関係するどの国にとっても、この時代に関連した遺跡は神聖な国宝であり、科学的調査がなされる機会はほとんどない。伝・コロンブスの遺骨を砕いてDNA鑑定にかける西欧的発想とは落差がありすぎる。もっとも、おかげで講談を語れるわけだ。

なにはともあれ「ある仮説」に立つしかないので、コグリョ(高句麗)とペクチェ(百済)は、ツングース系の扶余族としてしまう。そうしてシルラ(新羅)は隋・唐と同系の鮮卑族に押しつける。こうすると、その後の合従連衡が理解しやすい。倭はあくまでも「謎」である。倭の王朝をツングース系とする江上説もあるが、テバは混合騎馬民族と考えた方が自然な気がする。日本書紀ではペクチェとの親交が強調されるが、シルラとも誼を通じている。現に、将来遼を建国する契丹は民族的にはモンゴルとツングースの混交とされる。

ともかくも、玄奘は太宗に西域遠征が困難であるという印象を与えるのに成功した。その結果、唐は総力をあげて東方征討に乗り出したのである。太宗の時代には失敗したが、この圧力はオヤジ孝行(そうして恐妻家)の高宗の時代に至り、半島に大変動を起こす。大きな流れとしては、まずペクチェが滅びる。これを再興させようとして倭は大軍を送るが、白村江の海戦で大敗する。倭は自らの貝殻に引きこもれば良かったが、コグリョはそのあおりで滅亡することになる。(倭にも壬申の内乱はあったが)

結果、韓半島はシルラ一国に統一された。676年のことである。しかし、コグリョの消滅は東アジアの権力地図に大真空地帯をもたらした。中国東北部(旧満州)である。すでに遊牧騎馬民族の気概を失っていた唐やシルラには統治できない広大な大地が生まれたのだ。ここは将来、ツングース系やモンゴル系によって再三席巻される。渤海、契丹、女真が建国し、そうしてついには、純正漢民族がようやく復国した宋を滅ぼし、それに取って変わるべき「元」のインキュベーターとなるのである。

玄奘が必死に庇った西域はどうなったろう。玄奘のインド行を支援してくれた麹文泰の高昌国はとうに滅び、畏友・統葉護可汗なき西突蕨も急速に衰退を始めていた。長安で教典の翻訳に没頭していた玄奘は知らなかったことかもしれない。太宗の遠征軍が西に向かえば簡単に制圧できたことだろう。かわりに、満州・半島・倭を一体としたツングース(高句麗)帝国が成立していたかもしれない。この帝国は相当に安定した可能性があり、モンゴルの世界帝国誕生を阻止したかもしれない。

すべては観音菩薩の掌の上であったが。


[456] ロシアン・ルーレット 投稿者:テバ 投稿日:2005/03/17(Thu) 11:38

息子の受験が終わって、しばらくぼ~~としていました。中三のころは240人中二百何番なんていう驚異的な成績を取っていました。あれから3年、結構変われるものです。四月からは、吉田山の麓に方丈を営むことになりました。

東武の踏切事故で目が覚めました。Uセンセイも、

『それにしても踏み切り番を逮捕するとは、真に微視的な。踏み切り番の仕事は警報を切ることだったそうですね。

規則どおりにやったら一日中開かないから、安全マージンを削り住民を電車の前に突っ込ませる。その責任を踏み切り番に負わせる。こんな江戸時代の体制が許されるわけはありません。

一日中開かないなら、開けないか電車を減らすしかないことは赤ん坊にもわかる話だと思えます。ここ二日間、温厚な私も怒り狂っています』

十年前のサリンとTBS、最近の讀賣、NHK、今回のフジ。こうした会社の「トップさん」は、新聞屋やテレビ屋になっても、モラルや経営マインドは瓦版屋のままだったということがわかりました。ぶらさがり取材に対する会長や社長のコメントの貧しさ。見識皆無、まるでガキ大将のせりふです。

今般更に、場合によっては人命を預かる立場の鉄道屋も、駕籠かきのモラルだったことが判明しました。こうした極東の前近代的田舎資本主義者が理解できる「リスク」とは、せいぜい「ハイリスク・ハイリターン」のリスクぐらいなのでしょうね。「それで、それは結局ナンボ儲かるンや」の世界です。

踏切をわざわざ手動化して誤作動のリスクを高めておいて、「さあどうぞ」と通らせていたわけです。三交代でも、人件費ならたかが知れています。「安上がり」なのです。そうして、リズムめちゃくちゃなバンブーダンスに素人を強制参加させたわけです。ルールの説明さえないロシアン・ルーレットです。

はっきり言いましょう。某国の元首となるという噂もある陛下は激怒してください。これでは先帝時代より悪くなっているではないか、と。亡国の臣民は呻吟するのみで無力なのです。

[Res: 456] 枯渇 投稿者:テバ 投稿日:2005/03/18(Fri) 00:18
『現場の踏切は03年の国土交通省の調べで、ピーク時には1時間に59分間、遮断機が下がった状態になる都内でも有数の「開かずの踏切」だった。通行人から「遮断機が下りている時間が長すぎる」などという苦情が本社や駅に寄せられることもあった。
 ・・・
同社や同駅によると、遮断機のロックの解除には当務駅長の指示が必要で、保安係が勝手に操作することは禁じられていた。同社は「人命の危険がある場合は保安係の判断で遮断機を上げることはあり得る」とし、それ以外の場合に遮断機を上げることは「考えられない」としている』

監督官庁の調査でも1時間に1分しか開かず、本社や駅には苦情が寄せられていた。そんな大問題の踏切であったにもかかわらず、会社や駅は遮断機操作の実態を知らないどころか、考えもつかなかったという。どうも、好奇心も想像力も枯渇した人ばかりの会社だったようだ。

ところで、こんな「物凄い」踏切って、日本以外にもあるのだろうか。
[Res: 456] 系列27社 投稿者:テバ 投稿日:2005/03/18(Fri) 20:35
  「企業風土に高い倫理観と価値観が保有されているか疑問」

と声明したそうだ。幹事会社が関西テ○ビ(大阪)というのも笑いを取るに充分。どこかの地方では「笑かす」とも言う。まあ、「ちび○こちゃん」だけは「価値あり」と認めてあげてもよいが・・・それよりも、M&Aの世界にジュネーブ条約がないことは自明だ。それどころかLBOともなれば、古代の包囲攻城戦そのものだろう。カルタゴの生存者は奴隷に叩き売られた。これでローマは戦費を賄ったのだ。声明ごときで凌げる問題じゃない。

マスメディアがそうした野蛮な世界になじまないのなら、ジャングルの掟が支配する株式市場から資金調達することが間違っていた。株式非公開か第二N○Kしかなかった。あるいはフランスや北朝鮮並みの国営放送ということになる。これらのメディアが高い○○観を保有しているかどうかはまた別問題。ともかくも、ワイドショーやバラエティーやCMについて襟を正し、それから議論し直しても遅くない。

昔の民放はもっと品があった。視聴者をこれほど「虚仮」にしてはいなかった。全局併せて、一週間に30分しか見る番組がないんだゾ、おい。

[451] アトミック・パイル 投稿者:テバ 投稿日:2005/03/08(Tue) 00:27

閉鎖的自己完結型循環系HPを(勝手に)自認する当サイトであります。愛読(?)の「今天的天体不思議図」のサイトで、ガボン共和国は字オクロ谷の超古代アフリカン核反応炉の写真を見つけましたので、早速、

 テバコラ ⇒ テバピラ ⇒ 第5話

のリンクにパクっておきました。実写は迫力があります。酸化ウランて本当に「イエローケーキ」なんですね。おいしそうです。いつぞやフセイン大統領がドラム缶に大量に溜め込んでいたことを思い出します。あの人も結構「食いしんぼ」なんですね。

しかしこの超骨董リアクターが、人類が営々と作り出している「ゴミ」の行く末を占うのに使われているとは、二度びっくりです。20億年前にこの天然パイルができたとき、誰が予想したでしょう。もっとも人類はいなかったので、ミトコンドリアぐらいでしょうけど。

[Res: 451] Re: アトミック・パイル 投稿者:テバ 投稿日:2005/03/08(Tue) 00:37
写真をじっと見ていて妙なことに気づきました。どう見てもこのお兄さん、原子炉の炉心にいるようなのです。いくら骨董品とはいえ、一応「炉心」ですよ。手塚治虫の火の鳥の主人公ぐらいの諦念がなければ、こんな怖ろしいことができるわけはない。漫画ではないのだろうから、ただの無知な人なのだ。こう確信するのです。が・・・、

そこで徐々に大変なことに気付いてきました。この天然原子炉を停止させたのはウランの寿命ではなかったのだろうと思われてきたのです。なんといってもアートネ○チャーなんかとは違い、天然の「濃ゆ~い」ウランが大量にあったのです。下手うつと、めっちゃ堆積してもて、ドえらいことになったんやも知れまへんのどすえ(全面的関西弁)です。

この炉の臨界の火を消したのは、多分、結局は、流水や大気に含まれていた酸素たちだったのですね。酸化過程が、集積したウランを早々と「錆」つまりイエローケーキにしてしまったのです。酸素が核分裂の火を消したということです。地球は誕生以来パラドキシカルなことをやってきたんです。この母あってこそ子は育つ。やはり大地は母でした。

アンナ・マリーア・ジーザス!

[450] モンゴリアン・ロード 11 投稿者:テバ 投稿日:2005/03/05(Sat) 16:08

2004年7月1日、蘇州で開かれた第28回世界遺産委員会で、「高句麗の首都と古墳群」が世界遺産に登録された。翌日、新華社は「高句麗は歴代中国王朝と隷属の関係にあり、中原王朝の管轄にあった地方政権」と報道・・・これが高句麗問題に一挙に火を付けた。これを契機に、南北朝鮮が更に歩み寄ったというのだから、「民族」問題というものは恐ろしい。さすがに世界遺産の相続問題だ。堤さんとこより数桁上である。しかし、20世紀の亡霊に過ぎない民族という概念が、21世紀もドライブするのかと思うと、つくづくうんざりしてしまう。UNESCOは本当に国連機関なのか?

事は1600年ほど前に遡る。韓三国(馬韓・弁韓・辰韓+任那)、なんぞと暗記させられていた半島情勢が変わった。コグリョ(高句麗)・シルラ(新羅)・ペクチェ(百済)という三国に大繰りされたという。韓三国は半島南部地域らしいから、シルラ・ペクチェにあたるようだ。コグリョは、半島北部から旧満州(現中国東北部)に及ぶ一大騎馬民族帝国だったという説もある。任那には日本領があったという主張もあるが、現在の学会の趨勢では、せいぜい領事部が置かれていた程度らしい。大使・領事を置いた程度で、千数百年後には領土だったという「歴史家」も大変な講釈師ではある。

鮮卑族拓跋部系の隋帝国(これも中原王朝だと主張するのだ)は、コグリョを隷属させようと数次の遠征を行った。前漢武帝の楽浪以下四郡設置の記憶がそうさせたと思われるが、武帝当時の衛氏朝鮮とは軍事力に天地の開きがあった。コグリョは西方のテュルク系突蕨と連衡して、この戦役をしのいだようである。結果、隋は亡国、同族同部系の唐朝が起こる。なお、突蕨とはテュルクのことだという。テュルク系突蕨はトルコ系トルコということになり、まことにややこしい。なおなお、衛氏朝鮮の滅亡と糸引き納豆の関係については、テバピラの第51話に詳しい。

玄奘三蔵は、このような状況の東アジアにインパクトを与えたのである。(どこかに続く)


[448] ついに・二題 投稿者:テバ 投稿日:2005/03/03(Thu) 19:04

① プリンスの思い出

 テ「ついに彼も逮捕されたか。プリ○スホテルではよく食事をしたものだが」

 相「えっ、そんなに親しかったの?」

 テ「誰と?」

② 赤ん坊に給料

ここ数年、世の中の変化の指標として、人事院の給与実態調査報告に着目してきた。年に一回の楽しみでもあった。何千という企業の調査結果だから、憂き世の鏡ともいえる。簡単にいうと、管理者層の給料をカットして、働き蜂の若手に積み増すという動向が続いてきたのだ。プラマイゼロの不動点(このシーソーの支点)は、40代半ばの「課長代理」あたりである。これより高齢側が地獄、若齢側が極楽というわけ。

そうしてついに、昨年の調査結果で、ひょっとしたらと思っていたことが実現してしまった。この支払い賃金を若齢側に外挿すると、一昨年まではゼロ歳ではマイナスになっていた。当たり前だと思うのだが、この一方的シーソーゲームの行く末には若干の不安があったのである。今回の調査結果はグラフの通りである。ついにゼロ歳児が、わずか14,160円とはいえ、月給を貰えるまでになったのだ。

あと10年もしたらどうなるのだろう?未納世代の天国か?

[Res: 448] Re: ついに・二題 投稿者:テバ 投稿日:2005/03/04(Fri) 08:05
と思ったら、現実はもっと進んでいた。1999年に、当時69歳の海千富士千の会長が、33歳の赤ん坊みたいな顧問?(長男!)に1,600億円を贈与していたという。顧問さんは「申告の必要はないと信じる」と言っていたそうだが、まあ赤ん坊の発言ではある。贈与税と呼ぼうと生前相続税と呼ぼうと、これは個人の資産形成に対する公共の貢献分の天引きみたいなものなのだろう。ましてや同国民たる大衆の膏血を搾り取ってきた挙げ句の果てなのだから、そういう方の信念なんかどうでもよい。払ってもらうだけだ。国民のものは国民に、ということ。

時効的プリンスの相続税問題よりヒトケタぐらいは下だろうが、それにしても・・・庶民感覚の1万倍。日本の税務Gメンも大変な連中を相手にしているものだ・・・東京は雪。

[447] モンゴリアン・ロード 10 投稿者:テバ 投稿日:2005/02/24(Thu) 18:28

645年、大和の明日香で乙巳の変(大化の改新の幕開け)があった年のことである。玄奘三蔵は膨大な仏教経典などを携えて唐の長安に帰着した。当時の仏教とは人類の知識体系そのものであり、最も大切な医学をはじめとする自然科学をも一分野とする広汎なものであった。乙巳の変でも、百済経由で細々と流入する仏教知識を独占していた蘇我一族に対する、支配階級全体の反感が根底にあった。

唐朝は太宗・李世民の貞観の治の末期にあった。太宗は高句麗征討戦の準備に大わらわであったが、玄奘三蔵の帰朝報告に関心を示した。太宗は東征と西征を天秤にかけていたのだと思われる。五年前、太宗は西方の高昌国を滅ぼしている。唐は西突厥と国境を接することになった。一方、高句麗はといえば、唐によって冊封された王族が、三年前にクーデターで滅ぼされている。面子にかけても、膺懲を加える必要があった。

帝国の宿命として外征は継続されなければならない。しかも突厥と高句麗の連携こそ、直前の隋王朝滅亡の原因であった。東か西か。体調のすぐれない李世民としては、どちらが容易であるかの問題であった。その意味で、西突厥を見聞してきた玄奘の報告は極めて重要である。しかし三蔵にとっては、高昌国も西突厥も共に恩人の国である。彼の西域踏破は、これらの国々の支援があったからこそ達成できた。事実としては高昌国は既になく、西突厥も分裂状態にあった。

ここで三蔵は巧妙に事実を隠した。西域は安定しているばかりでなく、地理文物的にも遠征は困難であるという印象を与えた。一年後にまとめられた「大唐西域記」は、西域の政軍状況については何も述べていない。太宗の視線は東に向かった。この年(645年)と二年後の二度にわたり、高句麗遠征を繰り返した。それらはいずれも失敗し、二度目の遠征の途半ばにして太宗は没したのである。

太宗が西に向かえば、遠征は易々と成就したに違いない。そうして半島の歴史も異なった道を辿ったに違いない。


[446] トラペジウム 投稿者:テバ 投稿日:2005/02/22(Tue) 08:42

昨夕、委員会も終わってほっとした時間帯のことです。ビイル片手に某教授に伺った話です。センセイはバンコクのAIT(アジア工科大)で数年間教鞭を取っておられました。AITの建学の理念の一つは"Racial Cauldron"です。したがって、世界中の方言英語が飛び交うハメになります。カタカナ英語オンパレードにすぎないらしいのですが、問題はイントネーションのようです。新しい国から学生が来ると、彼の抑揚に慣れるためには、やはり数日かかるようです。

その一方で、英語ネイティブな国の学生なんかが来ると、これはやはり相当緊張するそうですね。そんな時には、台形の面積計算公式の誘導の説明なんかを、黒板の前でさせておいて、センセイの方が彼/彼女の言葉に慣れるという手段をとったそうです。巧妙ですね。でも、そんなことをテバに話しながら、「台形って英語でなんて言うんだったかね?」ですからね。テバが知るわけがない! 第一、AITの学生じゃないもん。 いつの間にか、面接試験をやられていたのでした。

で、ある時、オーストラリアから来た学生がいたそうです。彼は明らかに熱を出していて、大変に苦しそうだったということです。砂漠地帯からモンスーン地帯に来ると、原因不明の大熱を出すことがよくあるそうです。そこでセンセイ、無理をするなという意味で、

 先:You came here to die?

と仰ったそうです。すると学生、

 学:No, I came here yesterday.

と答えたそうです。

註:豪州人の today は日本人には「トゥダイ」と聞こえるらしい。もちろん yesterday は「イエスタダイ」


[445] モンゴリアン・ロード 9 投稿者:テバ 投稿日:2005/02/20(Sun) 16:21

Uセンセイお住まいのK市には小牧空港の敷地が一部かかっていたようです。

「名古屋地域は中部国際空港の開港で大騒ぎです。初日には空港見学ツアーだけでバス140台が出たそうです。名古屋空港(小牧)と中部国際空港(常滑)は名古屋駅からはほとんど同じ所要時間なのですが、我が家からは断然不便になりました」

この不便さは、いわゆる「反射的利益」が享受できなくなったということで、損害賠償請求はできないということが最高裁判例で決まっています。

「名古屋空港を初めて利用したのは何年だったか覚えていませんが、とにかくローカルな空港でした。今で言うボーディングゲートは、ローカル線の駅の改札口の風でした。地面に改札口の柵があるだけでした。そこから地面を歩いて飛行機まで行きました。当時は日本のほとんどの空港がそんな風でした」

沖縄の空港の大半は、今でもそんな風です。

「1989年のウクライナ共和国ハリコフ郡スミ町の空港は同じようなもので、スーツケースを自分で飛行機に乗せました」

沖縄でもさすがにここまでは ・・・ (¨;)

「中部国際空港(常滑)は「NGO」だそうです。小牧が別の名前になるそうです。「KMK」かなあ。中部空港株式会社の筆頭株主はト○タで、社長もト○タの人です。貨物便第一号には、記念のト○タ車が載せられました。ですから、「ト○タ空港」と言っていいのですから、「TYT]とすれば全世界に判り易いでしょう。

更に、車のナンバープレートに、ト○タナンバーを作ろうという運動があるそうです。現在は、名古屋、尾張小牧、三河、豊橋が愛知県のナンバーだと思います。ですから、三河を豊田と岡崎に分けるのは、さほど奇異ではないのでしょうが。それにト○タはいまや地名ですから。そうなると、日○産や本○田の車は乗りにくいなあ。そのうち愛知県はト○タ県になるでしょう」

小牧の方は「県営名古屋空港」になったようですね。豊田営>>県営ということで、民尊官卑時代の象徴ですね。十勝、秋田、山形、新潟、高知、松山の5路線が残るようですが。

http://www.mlit.go.jp/koku/visit_japan/index.html

このネットワーク図を眺めているといろんなことが思われます。国際空港の周囲は空港過疎地ですね。空港に関する限り、「一将功成り、万骨枯れ」ています。海なし県と空港なし県の相関も高いですね。北関東から駿河湾・遠州灘にかけては巨大な後進県連合がありました。紀伊半島から若狭に至る空白ゾーンもあります。逆に、北海道や沖縄は空港大県です。幸せなことかどうかは別問題ですが。

振り返ってみると、道路→鉄道→空港の順で発生してきたわけですが、見事に、面→線→点の並びになっています。つくづくヒトは猿だナと思います。どんどん狭いところに集まるようになってきたのですね。10万年かけて全球的ビッグバンをしたばかりのホモ・サピエンスですが、わずか100年ぐらいの間にビッグ・クランチをやってのけたようです。


[441] モンゴリアン・ロード 8 投稿者:テバ 投稿日:2005/02/19(Sat) 10:35

そもそもBBQとはアメリカ大陸の先住民の食料保存技術とか。つまり、純正なモンゴロイド起源のテクノロジーであります。

誇りを持ってください。

[Res: 441] 8’ 投稿者:テバ 投稿日:2005/02/19(Sat) 10:41
これをスペイン人などが本国に持ち帰ったので、欧州にも広まったようです。ただ、彼らはお腹が空いていたので、直ちに食べてしまい、保存という側面は失われてしまったようです。

この画像のBBQマシンは欧州で発展したものですが、かなり多機能です。何やらオーブンのような仕掛けまで見えます。使いこなすのが大変そうですね。
[Res: 441] 8’’ 投稿者:テバ 投稿日:2005/02/19(Sat) 10:47
多機能化の極致です。どう使うのかほとんど見当がつきません。人形劇「三匹の子ブタ」の舞台装置かも知れません。
[Res: 441] 8''' 投稿者:テバ 投稿日:2005/02/19(Sat) 11:05
こんなものが公道を走っていたら、日本の警察なら黙っていないでしょうね。直ちに不審尋問が始まるでしょう。トレーラー式BBQマシンですが、イラクにでも行きそうな装備です。ドラムの一部が上げ蓋式になっていて、そこでBBQをするという仕掛けのようです。

薪は解るとして、スペアタイヤまで積んでます。

[439] モンゴリアン・ロード 7 投稿者:テバ 投稿日:2005/02/19(Sat) 09:47

こちらは業務用BBQマシン。もちろんガス使用。義経の時代にはなかったはず。

[Res: 439] 7’ 投稿者:テバ 投稿日:2005/02/19(Sat) 09:51
BBQバスターと呼ばれる、これも業務用マシン。キャンプハンセンのゲート前の飲み屋の壁には、ベトナムに派遣された海兵隊員が「預けて」いったドル札がまだ大量に糊付けされている。とうとう受け取りに現れなかったということだ。

兵士、哀し。

[438] インフルエンザの現況 投稿者:テバ 投稿日:2005/02/19(Sat) 01:01

「あと少しで流行も終わるから、インフルエンザには気を付けてくださいよ」と医者。「大丈夫ですよ。ワクチン接種してるじゃないですか」とテバ。「今年は全部外れたんですよ」と医者。「・・・?」とテバ。

要するにA/ソ連、A/香港、Bのいずれでもないのが流行しているのだそうです。あれは何だったんだ。少々だけどチクッとしたんだぞ。


[437] モンゴリアン・ロード 6 投稿者:テバ 投稿日:2005/02/17(Thu) 10:55

BBQについて興味が湧いてきた。マトン-ラム論争や付け合わせの野菜如何とか、ジンギスカン鍋には謎が多い。日本人が満蒙で仕入れた知識をもとに、独自に工夫したものだろうというのがほぼ定説になっている。その証拠は鍋にある小さな「穴」だという。この穴の必要性を深く考察すると、「炭」を使用したことの証拠になるという。よくわからないのだが、確かに炭火用とガス用の二種類の鍋が市販されており、炭火用には穴があるのだ。


[436] モンゴリアン・ロード 5 投稿者:テバ 投稿日:2005/02/12(Sat) 19:59

祁連山の南の青海から、五世紀初頭、柔然族の圧迫を受けた拓跋族の一支族が東に避難した。禿髪族という面白い名称であるが、「拓跋」の音の別表記とされる。彼らは本流ともいうべき北魏王朝の拓跋族を頼っていく。時の北魏は、華北統一により五胡十六国の時代に終止符を打ち、南北朝時代を開くことになる太武帝の時代になろうとしていた。彼は亡命禿髪族を温かく迎えた。

ところで、このころから、騎馬民族も漢族の風に染まり出し、「姓」を用い始めていたという。北魏の拓跋族は「元」姓を名乗ったところである。そのため、太武帝は亡命拓跋に「源」姓を与えたという。元→源の連想である。この初代分族の長は、「賀」という名を加え源賀と名乗ることになった。源賀の子孫は大いに勢威を張り、南北統一後の隋・唐朝においても有力な地位を占めたという。

日本においては、古くは臣・連という家柄が全てであったが、大化の改新のころから氏姓が強く意識されるようになったという。というのはこの頃になると、大陸・半島では騎馬民族系の王族も全て「姓」を持っていたからだ。「日本の大王家の姓如何?」、彼らは口を揃えて尋ねたに違いない。「アマ」とか「アマノ」という説もあるらしいが、何といっても国民すら知らないのである。

しかし臣下には姓を名乗らせることにしたようで、大王に連なる一族には「源平籐橘」が与えられたことは有名である。特に桓武帝に発する平氏と清和帝の末たる源氏は、その後の歴史を大きく変えていくことになる。12世紀末、その末流の源義経は、鎌倉の弾圧を逃れ大陸に渡る。そうしてチンギス・カンになったのだとすると、源→元ということになり、大輪廻が完成することになるのだが。

話は変わりますが、モンゴリアンBBQとジンギスカン鍋とは相当違うようです。


[433] テリー・クロック 投稿者:テバ 投稿日:2005/02/09(Wed) 17:37

イーライ・テリーが時計の量産システムのラインを組み立て始めたのは1800年のことです。2年後、200台の時計が完成しました。その当時のアメリカ中西部は、ヨーロッパ中世の農村とほとんど変わらない生活水準だったとあります。時計に関しては、裕福な家にはありましたが、もっぱら地位の象徴としてのみの役割でした。他の誰も時計を持っていないのに「あしたは午後3時に集まろうよ」と言ったところで無意味ですからね。

将来「テリー・クロック」と呼ばれることになるこの機械のシリーズは、一台30ドルで売り出されましたが、間もなく15ドルになったそうです。中西部の貧しい開拓農民にも、無理をすれば手が届く価格になったようです。1814年には30時間巻きになりました。一日一回巻くだけでよくなったのです。この時計を、テリーは中西部を販路とする行商人に預けます。行商人は水差しや布地や薬などと一緒に時計を奥地まで運び込みました。

「来月来る時まで預けておくサ」、こう言って時計を家に置かせてもらったようです。越中富山の薬売りのような話です。一ヶ月後に行商人が戻ってくると、その一家はこの「美しい」文明の利器に、すっかり「恋」をしてしまっているのだそうです。荒涼たる荒野にあって何者にも替えがたいもの、そう "My precious !(愛しいヒト)" になっていたのです。そこで代わりに15ドルを回収していくというわけです。爆発的に売れたようです。

リンカーンが幼年期を過ごしたケンタッキーの丸太小屋の家には時計はなかったろうが、10代のインディアナ時代にはあったはずだ、というような時代考証もできるようです。南北戦争が正確な時間管理の下で進められたことは言うまでもありません。

[Res: 433] おもろマシン 投稿者:テバ 投稿日:2005/02/09(Wed) 17:38
これがテリー・クロックのギミックだそうです。大部分が木製なんですね。日本のように湿度が高い環境では使えません。半乾燥地帯の中西部ならではの素材です。テリーの時計工場って、木工所みたいなものだったのでしょうね。フォードに先立つこと100年です。

東部の工場や銀行を経営している「旦那がた」の時計のムーブメントは、もちろん真鍮製でした。

(「木製時計」より)
[Res: 433] 天才たち 投稿者:テバ 投稿日:2005/02/10(Thu) 08:30
ジョシア・ウィラード・ギブズは、1839年にコネティカットに生まれたそうです。30代に「流体熱力学におけるグラフ法」などを発表し、あの熱力学や相平衡理論を独力で築きあげた人です。「あの」というわけは、テバには難解すぎて最初から最後まで理解できないからです。温度やエネルギーみたいな「目に見えないもの」を微分したりする精神そのものが解りません。ブルーバックスによれば、世間もテバ並みだったらしく、

「しかし、ギブズの論文はあまりに演繹的、抽象的で、当時の人たちからはほとんど理解が得られず・・・」

とあります。しかし更に、

「にもかかわらずギブズは、自身の理論を一歩前進させ・・・」

ここの章のタイトルは「100年後に花開いたギブズの熱力学」です。最初の論文が1873年とありますから、100年後とは1973年ですね。100年間理解しなかった世間も偉いし、一歩前進させたギブズも偉いと思います。100年目の終わりあたりにテバもいたということで、多少の安心も得られます。この1040円(税別)の本は値打ちがありました。

ギブズが二十代の初頭に書いたとおぼしき卒業論文(?)も有名なのだそうです。歯車の設計論がテーマだったというのに、論文中の25枚の図には歯車の絵が一切ないのだそうです。つまり、

「そこから生み出されるであろう結果は、ギブズの頭の中に留められていた」

らしいです。若き日の獅子・ジャック・ニクラウスが、グリーン上で芝目を読んで完璧なパットインのイメージができてしまった、という逸話を思い出します。ニクラウスはパットをせずにグリーンを降りようとしてキャディに注意されたようです。このあたりまでブレークダウンすれば理解できます。真似はできませんが。

これは何の話かというと、二つあります。一つは、テリー・クロックが普及しきった時代の歯車の論文だったということです。直後ギブズは教職につきましたが、南北戦争の時代でした。ペルリは鎖国日本に恫喝をかけて、捕鯨業振興のために開国を強要しました。そのゴタゴタがまだ解決していない幕末動乱の時代でもありました。デファクト・スタンダードが欧米人のお家芸とはいえ、今日の弾圧対象と比較すると、今昔の感しきりです。しかし、その背後、本国では100年理論が準備されていたのです。層が厚いですね。

もう一つは、Uセンセイのことです。先生は本業(惑星物理学?)の余技として、お若いころ、相平衡で海洋学の教科書にコントリビュートされたそうです。その意味は全く理解できないのですが、100年無理解理論なのですから、なんだか凄いことだと忖度されたわけです。一昨年のマダガスカルで、あるパーティーで、ある現地所長(水産学出身?)が、センセイの実物にお会いできたと感動していたことから、根掘り葉掘りお伺いして知ったことです。センセイのコメントです。

「古傷だなあ。海洋は自由エネルギーが小さくなるほどには混み合ってはいませんが、理論上は一応噛ませておかないと文句が出る、というところだったように記憶しています」・・・(改めて理解不能:テバ)

テリー・クロックの世界はかくのごとくであったのです。おじいさんの古時計はセンチメンタル小路にもありますが、別のフリーウェイを驀進してもいたのでした。

[431] ちょっと改装しました 投稿者:テバ 投稿日:2005/02/06(Sun) 23:23


たまにしかやらないので結構時間がかかってしまいます。ツールはいいんですが、腕がちょっとなまっています。

[Res: 431] おもろマシン 投稿者:テバ 投稿日:2005/02/07(Mon) 00:29
ツールではありませんが、このマシンも「おもろ」です。あの小さな袋に包装することを考えると、何とも巨大なマシンです。しかしそれよりも名称が??なのです。「お茶漬け充填包装機 MODEL MW」だそうです。もともとあの小袋入りのもの、「お茶漬けの素」って言うんじゃないでしょうか。

[429] 幸兵衛窯 投稿者:テバ 投稿日:2005/02/05(Sat) 00:42


このHPの敷地は、もちろん借りているわけですが、管理人のログを見ると使用率は40%そこそこしかありません。近所には、常に100%を超過している図々しい店子もいます。アパートでいえば、共用スペースの廊下に植木鉢を並べているような輩ですね。しかしだからといって大家さん、テバは優良だからと6割引してくれるわけでもなく、家賃は100%取っていきます(大した額ではありませんけど)。空けておくのは勿体ない、と、貧乏根性はかねがね考えているわけです。

ところで、U先生からお写真をいただきました。

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多治見市の端、瀬戸市に隣接する市の蔵という地区に幾つかの窯があります。その一つが幸兵衛窯で、代々幸兵衛を名乗ります。現在の当主は七代目加藤幸兵衛です。六代目は本名の加藤卓男として商売をしていました。六代目は六代目なのですが。

この加藤卓男さんは1ヶ月ほど前に亡くなりました。ペルシャのラスター彩を復興再現しました。ペルシャでは17世紀以降消滅していたそうです。

ペルシャには金が出ないために、釉薬で金色を出す技術です。

その例の写真を添付します。光の角度によって金色になります。一寸重いのですが、リサイズせず、フルサイズで送ります。

この美術館(展示場)は珍しく撮影可能で、しかもストロボも容認です。日本
の美術館、博物館では初めての経験です。

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たしかに日本の美術館・博物館は、「触るな」とか「撮るな」とかばかりですね。竹と紙の文化だから、とばかりは言えない厳しさです。

それはそれとして、大変見事なラスター皿でした。ご紹介します。表紙にリンクを張っておきました。これで使用率も若干あがりそうですから、一石二鳥です。

[Res: 429] 自由研究:ラスターとは ? 投稿者:テバ 投稿日:2005/02/06(Sun) 00:42
無機物質におけるラスターとは、その表面で光を反射する様相をあらわす。金属質、土石質、蝋質、脂質、ガラス質、ダイアモンド質な「ラスター」というように、ほとんど自明な使われ方をする。しかし最初には少なくとも、金属的ラスターと非金属的ラスターを区別する必要がある。金属的ラスターとは、自動車のきらきらしたクロムバンパーのような非透光性のものである。もう一つは、輝きはあるがやや半透光あるいは透光性(ガラス質、金剛石質)のものから始まり光沢のない土や蝋や樹脂のようなものに至るラスターで、非金属的なものに分類される。

 (「鉱物の識別」より)

次は、有機物質の場合はどうなるのかという応用研究です。すると"stressed, dehydrated, lack-luster skin" のように、エステ系の広告に使われている例が多いようです。こちらは少々ホラーな使い方でした。

[426] ここでも 投稿者:テバ 投稿日:2005/01/30(Sun) 13:42

Uセンセイの地元です。桶川の高裁判決があった後では、つくづく生きていくことの困難さを教えてくれる看板です。

①「自分の体は自分で守れ」
  交番に行っても駄目なのでしょうね
  同じことを言われて追い返されるのでしょう

②「被害にあったら」
  さすがに、資格ができたら相手にしてくれるわけです

「防犯協会」というのは防犯の基本方針を説くための協会だったようです。わしゃ知らんよ、ってね。また警察の関心は、発生した犯罪とその犯人にあるんですね。たしかに、未然防止じゃ署長表彰や金一封も貰えないのでしょうから。

[Res: 426] 追記 投稿者:テバ 投稿日:2005/01/30(Sun) 21:19
たとえ金一封を貰えたとしても、この程度の犯罪未然防止であれば最低ランクの500円でしょう。昔はお札があったので、一応形が整っていたのだけど、いまではコインしかないので・・・若い警部補さんから愚痴られたことがありました。
[Res: 426] 追々記 投稿者:テバ 投稿日:2005/02/03(Thu) 18:31
本日の500円玉を巡るニュースと、本稿は全く関係ありません。

・・・(^_^;)

[425] コドン 投稿者:テバ 投稿日:2005/01/30(Sun) 06:30

アミノ酸コードのことである。ヌクレオチドが集まってtRNA(トランスファーRNA)を構成することは大体解っていた。ここで、ビッグバンの基本的アイディアを提出した天体物理学者ジョージ・ガモフが登場する。彼は、タンパクの原料となるアミノ酸が20種類で、ヌクレオチドが4種類だということを聞いた瞬間、コドンは三基の塩基から成っていると直観した。その思考過程は多分こうだろう。

 4=4 << 20

 4×4=16 < 20

 4×4×4=64 > 20

 4×4×4×4 >> 20

三基のヌクレオチド(塩基)があれば、tRNAを構成するには必要かつ十分なはずだ。正解だった。ガモフのおかげで分子生物学は、一日の遅滞もなく、次のステップである分子遺伝学へと進むことができた。そこでの課題は、ゲノム分析の問題であり、遺伝子の暗号解読の問題である。つまり今日の分子遺伝学そのものである。分子レベルでの自然淘汰、遺伝的浮動、分子時計、中立説などが一挙に花開いた。

このことについて、ガモフは論文を書いたわけでもないらしく、ノーベル賞を授与されてもいない。一説では、ガモフはその時、アルコール依存症が進行していたといい、しかも現に酔っぱらっていたともいう。酔っぱらいの一言が、何千という研究者による膨大な時間の無駄を省いてあげたことになる。生物学者はあまり認めたがらないエピソードである。

なおその後、ジョーカーとも言うべき終止コドンが3つ発見された。


[424] モンゴリアン・ロード 4 投稿者:テバ 投稿日:2005/01/30(Sun) 00:27

河西回廊が中華帝国の支配下に入ってから3~400年後、既に紅花はこの極東の列島にももたらされていたという。この邦の嫁婦の顔色も記紀の時代から臙脂色に染まっていたのだろう。今に伝わる「花の山形、紅葉の天童」のルーツが、はるか祁連山麓の匈奴の古俗にあると思うと、愉快なものがある。阿波の藍玉と同じように、紅藍も紅餅にするために発酵をさせる。結構過酷な労働だという。万葉集に出てくる末摘花とはこの紅花のことらしい。

 よそのみに見つつ恋ひなむ紅の末摘花の色に出でずとも (1993)

ところで西走匈奴のことである。余所の家庭のこととはいえ、彼らが頬紅の調達をどうしたのかということは、大変に心配せざるをえないところである。なんといっても、家の刀自たる嫁婦の皆様に不満を抱かせたままでは、遊牧生活を円満に保つことは相当困難なことになるはずである・・・というわけでこれを調べていったところ、とんでもない脇道に入ってしまったのである。別のモンゴロイドが打ち建てたインカ帝国に行ってしまったのだ。

ことはこうである。臙脂顔料のユーラシア西部での呼称を調べると "Laccifer Lacca" らしい。そうして Lacca とは、アカシア類の樹に付く「カイガラムシ」のサンスクリット名だとある。カイガラムシのタクサは「科」であるが、臙脂の色素は、そのうちの特にコチニール虫の雌からのみ抽出されるとあった。したがって日本でも「コチニール色素」と呼ばれている。コチニール虫は中南米に多数分布し、サボテンの表面に棲息する。インカ帝国ではコチニール色素を洋服や装飾品に盛んにつかっていて、現在でも世界の80%はペルーで造られているとある。

何と、植物性顔料がいつの間にか動物(昆虫)性顔料に変わっていた。用途としてはテキスタイル染色、化粧品(口紅、頬紅、マニュキア、ヘアーダイ、アイシャドー)、薬、医療分野( マーカー)、病理検査(細胞染色、蛋白質染色)、顔料(高級赤インク、絵の具)のほか、清涼飲料水、冷菓、菓子類、ハム、ソーセージ、福神漬などの食品とある。この虫は "cochineal beetle" とも言うようだが、画像をモロに出すには忍びないので、URLの紹介に留める。ようく捜すと見つかる。

 http://www.jcsparks.com/painted/pigment-chem.html

 http://www.torreypine.org/Insects/tpinsect.htm

 http://homepage3.nifty.com/KOMBU/nutrient/nutrient_21.html (日本語:一番リアル))

 http://www.kiriya-chem.co.jp/tennen/cochineal.html (もう一つ日本語)

そうして知らなければよかったのだが、Wikiによると「カンパリの製法は明らかではないが、ビター・オレンジ、キャラウェイ、コリアンダー、リンドウの根など、60種類にのぼる材料が使われていると言われる。リキュールの中ではビター系リキュールに入る。赤色の着色料としてコチニール(エンジムシから取れる染料)が含まれている」とある。ゲッ、あの赤色はこれだったのか! 一時期カンパリのビターに凝っていて、ソーダサイフォンまで買って毎日のように飲んでいた記憶がある。

カンパリは暫く休むことにしよう。(画像は左が紅餅、右がコチニール)


[423] ニセ二千円札 投稿者:テバ 投稿日:2005/01/28(Fri) 17:35

近所のパパママ・スーパーでお昼のお弁当やこまごましたものを合わせて、千円とチョットの買い物をしました。財布の中には最近あまり見かけない二千円札がありました。このお札は自販機類ではまず使えないので、人間のいるレジで最優先に使ってしまいます。これを差し出します。レジを打ったおばさんは、何を思ったか千円札三枚と小銭を取り出し始めます。そう、五千円札と勘違いしたのです。もちろん、「今のは二千円札だよ」と教えてあげました。おばさんは「ああ、そうか」と言いながら、千円札一枚と小銭のお釣りをくれました。当方も「夜店でなくて良かったね」、などと軽口を叩いて店を出ました。

今、気付きました。千円返しに行ってきます。

このお札、前々首相の形見みたいなものですが、結構使い方が難しいですね。通常でも相当警戒されますから、ニセものが出てくるおそれはほとんどないでしょうけど。


[422] タクサ 投稿者:テバ 投稿日:2005/01/25(Tue) 20:57

 
 taxa   taxonの複数形
 taxon 【名】分類群、類名  (英辞郎)

生き物の分類には「限り」というものがないらしい。分類学という立派な学問まであるが、結局、どこかで打ち切らないとトンボや蟻の一匹一匹に住基コードを発行する始末になってしまうらしい。私の知人が「タクサ委員会」の事務局をやっているというので、その様子を一度聞いてみたことがある。やはり、議論の内容は全く解らないと威張っていた。お茶やお弁当の心配ぐらいしかすることがない、ある意味での「超純粋」な事務局だ。かわいそうに。

ま、要するに、「沢山」あるからタクサになったのだろう、とぐらいに考えることにして、記憶の夢の島に放り出しておいた。テバ的日常には全く関係のない話だ。

ところで次の植物が解る人は、英語力だけでも相当偉い。ヒントは湿地に生えるものです。

 cattail
 yellow flag
 bulrush
 arrowhead
 reeds
 sedges
 rushes

これらが全て収録されている英和辞典があったら、是非教えてほしい。会社の経費で買って貰うことにしたい。学名はそれぞれ次のようになるという。spp.はいわゆる「科」であり、そのぐらいはすぐ解るのだが、謎は深まるばかりである。

 Typha spp.
 Iris pseudacorus
 Scirpus spp.
 Sagittaria spp.
 Phragmites australis
 Carex spp.
 Juncus spp.

ところが、どうしても必要があって、これらを日本語にしなければならなかった。全部を押し付け切るまでには、膨大な手間がかかったのである。正解はこのようです。

 ガマ科
 キショウブ(アヤメ科)
 カヤツリグサ科
 オモダカ科
 ヨシ(イネ科)
 カヤツリグサ科
 イグサ科

アヤメ科とイネ科はサービス。何と、カヤツリグサなどは二度も登場していた。どうも日本では区別していないようなのだ。

ところで、例の「タクサ委員会」の存在を思い出したのは、時や遅し、今日のことである。委員会の成果は確かネットに公開されているとのことだった。覗いてびっくり。全部載っていた。エクセルで。あの粒々辛苦の日々は何だったのだろう。早速三校に訂正をかけることにした。それだけでは悲惨なので、ここに記す。我が不明を永く記念すべく。

画像は"arrowhead"(矢尻)、可憐な野の花です。


[421] モンゴリアン・ロード 3 投稿者:テバ 投稿日:2005/01/22(Sat) 23:35

創元社の「知の再発見」双書をパラパラと見ていたら、どこか見覚えのあるデザインの箱があった。さすがはガリマールの出版物で、末尾に出典一覧がある。これによれば17世紀末の金紋蒔絵の衣装櫃らしい。いわゆる大名道具のトランクである。現在はパリのギメ美術館にあるらしい。ギメって誰だと思って調べると、リヨンの資産家の息子らしく、

「・・・しかし、本格的に扱おうとする美術商が現れた、エミール・エチエンヌ・ギメ(1836-1918年)である。彼はフランス政府より「極東学術調査」ということで日本、中国、インドの各国を回り宗教を調査した。明治9年(1867)に来日したギメはあらゆるものを扱い、現在、その収集品はフランスのギメ美術館で展示されている。・・・」

とある。そうしてルイ・ヴィトンがあの有名なモノグラムのデザインを発表したのが1896年である。なるほどね。モンゴリアン・ロードの東の終点のひとつの意匠が、200年後に西側の世界に出現したのか。それから100年もしないうちに今度は東側で贋ブランド騒ぎか。面白い。

ギメ桃太郎が日本から宝船を仕立てた時代には、知的所有権の議論もそれほどやかましくなかったことと思われるわけです。


[420] モンゴリアン・ロード 2 投稿者:テバ 投稿日:2005/01/21(Fri) 12:08

紀元前二世紀、西漢の武帝は河西回廊を軍事制圧し、武威・張掖・酒泉・敦煌の四郡を置いたという。これらはいずれも祁連山の麓に位置し、武帝以前は匈奴の一大遊牧地であった。「詠み人知らず」として、匈奴の古歌が残されている。

 亡我祁連山 使我六畜不蕃息
 失我焉支山 使我嫁婦無顔色 (失名:匈奴歌)

  我が祁連山を失う 我が六畜をして蕃息せざらしむ
  我が焉支山を失う 我が嫁婦をして顔色なからしむ

ここの「嫁婦」を「婦女」とする説もあるが、解釈の幅が拡がる(面白い)という理由だけだが、テバとしては「嫁婦」を採りたい。

図ではチーリエン山脈(祁連)となっているが、大正生まれの某地質学者の講演で、この祁連山のスライドを何枚も見せられたことがある。旅客機の窓から撮ったピンぼけの山塊の写真であったが、老学者が繰り返し「祁連山・祁連山」と言っていたのを思い出す。あの時代の教養人にとっては、史記は当然の学識であり、祁連山という多分に匈奴的な(モンゴロイドの)地名は、遠い憧れの対象だったのだろう。タイタンの石ころを見せられる我が世代の情けなさ。

当時の匈奴は、その唯一の財産である馬、羊等々の六畜を蕃(安)んじて息(憩)わせることができる大地を、中華の民に奪われてしまったのである。約500年後、この西走匈奴の子孫がアッティラに率いられるフン族として黒海の北に出現し、そこに蕃息していたアラン族や東ゴート族に襲いかかったという説がある。前漢の武帝が古代ローマ帝国を滅ぼしたことになる。南米の蝶の羽ばたきが北米に巨大ハリケーンを発生させたような話だ。

それよりも焉支山のことである。焉支は「臙脂」のことだという。紅花つまり紅藍の仲間らしい。これを失ったことも匈奴にとっては打撃であったのだ。なにせ、息子の可愛い嫁や頭の上がらないカミさんにとっては不可欠の「紅」の原料だったのだ。男子としては、「この甲斐性なし!」と罵られても仕方のないほどの不始末だった。

中国秦漢史研究会の「秦漢期匈奴族提取植物色素技術考」によれば、「烟肢」、「燕支」、「撚支」、「燕脂」、「臙脂」、「烟脂」、「赤因脂」などとも記され、女性の瞼、頬、唇に用いるとある。多分、当時の匈奴の嫁姑にとっては唯一に近い化粧品だったに違いない。これの原料を失うことは、六畜の蕃息地を失うことなどはどうでもよいくらいの大事件だった。

テバは武帝の動機を疑う。彼は漢族中選りすぐりの人材を東西の外征に送り出しながら、自らは宮廷を一歩も出なかったという。西征の理由の一つとして千里の馬を求めたとされているが、このおっさんが本当に欲しかったのは後宮三千のための「紅」だったのではないだろうか。


[419] モンゴリアン・ロード 投稿者:テバ 投稿日:2005/01/21(Fri) 10:56

本当に知りたいのは、早々と定住してしまって、やれパレ○チナ紛争だ、やれ民族浄化だとうつつを抜かしているセム族のことではない。アフリカを出発して広大なユーラシアを西から東へと移動する過程で、エスキモー、アメリカ先住民、そしてマレーまでを含む広義のモンゴロイドがどこで成立したのかということだ。アフリカはサバンナに発し、砂漠地帯を横断し、パミールの山岳を踏破し、ステップやモンスーン地帯に進出した我々の祖先のことを知りたいのだ。学問は、残念ながら、そこまでは解明しきっていないようだ。後の世代がうらやましい。

進化の袋小路と言われる霊長類にあっては、この広義のモンゴロイドこそ、最も豊かなエコダイバシティー(種の多様性)を示していると思われる。言語や文字を取り上げても明らかだ。セム族は別名・印欧語族と呼ばれるように、屈折語一本槍である。モンゴロイドは膠着語・孤立語・抱合語と多様な言語を分化発展させた。文字もそうである。フェニキア原産の表音文字しか持たないセムに対し、モンゴロイドはヒエログリフ(象形文字)さえ現用している国があるではないか。セム系のヒエログリフは、古代エジプトと共に滅亡してしまった。シャンポリオンも最初は読めなかったくらいである。

人類史のどこかで分かれた筈だ。テバは「別れた」とさえ言いたい。神を一つしか認めず、不便な誤解を生みやすい糊のないパサパサした言語を使うグループと、ある日ある場所で決別したのだろう。モンゴロイドの祖先たちは東へと歩み出した。氷雪の極北からモンスーンのジャングルまでが待つ世界へと。図は碩学・藪内先生のご本にあったものである。いわゆるブロンズという合金の成分比とその硬度の関係である。ブロンズは豊かだ。神器・什器・装飾品から武器に至るまで、ヒトの必要を万遍なく満たしてくれる。「帯赤黄色」の鋳造器は黄金色を呈し、しかもAuより硬度は高い。実用性のある金属器となる。

このX軸の左、つまり銅が多いほど「粘り」がある。逆に右にくると「堅さ」が出るが、それも過ぎると「脆さ」を帯びてくる。その性質に応じて、鐘鼎、斧斤、戈戟、大刃、殺矢、鑒燧に使い分けるという。男は鼎から飲食し、女は鑒(かがみ)を前に粧う。実に豊かな世界ではないか。周礼の時代には青銅こそ吉金あるいは金と呼ばれていたとある。このブロンズだが、セム族の発見ではないと思う。これは古モンゴロイドの東進とともに進化した技術なのだろう。東シベリアや殷に完成形を見るのは必然だと愚考する。


[417] ひんぷん Ⅰ 投稿者:テバ 投稿日:2005/01/19(Wed) 21:46

いわゆる「ひんぷん」については、簡単な説明をよく目にします。それでは満足できない方もおられると思いますので、金城信吉先生の解説をご紹介します。

屋敷の正面の門と母屋のあいだに設けられた屏風状の塀。沖縄の民家建築を特徴づける典型的な要素で、呼称は中国語(北京語)の屏風(ピンフン:仕切壁・囲い・障子・屏風などを意味する)に由来する。材料・手法・空間処理の方法は種々雑多で、一枚岩・石垣・瓦石垣・生垣・チニブ垣・板垣などがある。外部からの視線をさえぎるための目隠しの機能だけでなく、禅寺の結界と同じく〈悪霊を防ぐ〉という信仰上の役割も担っている。このことは、ガジュマルの木をヒンプンに見立てた、いわゆる〈ヒンプンガジュマル〉が、墳墓の前庭や街なかに設けられている(〈名護のひんぷんがじゅまる〉はとくに有名)ことからもうかがえる。

なお、沖縄言語研究センターのデータベースには「外からみてヒンプンの右側が来客用入口で、左側が通用口である」とあります。お間違えないよう。

画像はチニブ(竹を網代に編んだ)垣というレアもの。渡名喜島とあります。

[Res: 417] ひんぷん Ⅱ 投稿者:テバ 投稿日:2005/01/19(Wed) 21:49
名護の「ひんぷんがじゅまる」は夙に有名です。人の往来する所に多少邪魔だなと思える大樹があるとすれば、それは大抵「ひんぷん」です。正門の前にも植えてあります。

これを目隠しだとか結界だと見るのもよいでしょう。しかし、もう一つ説があります。来訪者や行路者が一息つくためのスペースだというものです。テバはこちらに賛成。

[416] 楽しい人生 ( la vie joyeuse ) 投稿者:テバ 投稿日:2005/01/19(Wed) 01:00

0 代 楽しい
10代 楽しいことを待つ
20代 楽しいことを捜す
30代 楽しいこと以外は避ける
40代 楽しいことばかりではない
50代 楽しいことは高価くつく
60代 楽しかったことをよく思い出す
70代 楽しかったことだけを思い出す
80代 楽しい・・・

人生それほど悪くない。


[415] 外国人旅行者向け応対・事例集 投稿者:テバ 投稿日:2005/01/16(Sun) 07:58

インドネシアやジャワ島にケチばかりつけているようで、若干気が引けました。もちろん褒めなければならないことも山ほどあります。会議とか根回しに大変な時間をかけるあたり、ジャワニーズは大変にジャパニーズに似ていました。会議などでオブザーブしていると、出席者の末端に至るまで意見を求めています。今の日本の朝礼方式にはない、古き良き時代を感じさせました。もっとも、グローバル化してしまったでしょうから、現時点ではどうなっているのかわかりません。

もう一つ、鶏(つまりカシワです)の調理に関しては、世界のトップだと思います。羽毛以外は全て食べてしまいます。豚は禁止ですし、牛は水牛しかいません。そうした食材環境の産物かとも思います。昼飯によく箱入りのフライドチキン(アヤム・ゴレン:ayam goreng)を出してくれました。最初はケンタッキーかと思ったのですが、Ny.Suharti(ニョーニャ(マダム)・スハルティ)のものだったのです。要予約もので味のケタが違いました。ジャカルタはもちろん、デンパサールにもありました。デリーの在留邦人へのオミヤゲにしたことがあります。もちろん、喜ばれました。

あの懐かしの味を思い出さんとて、ブラウズしましてみましたが、看板の写真ぐらいしか見当たりませんでした。しかし、別のチキンにヒットしたのです。

それは東京都のサイトでした。さすがは総合行政の府です。知事さんも偉いのでしょう。そこの産業労働局観光部というところが、標記のマニュアルを出していました。この部がやった仕事を国がやろうとすると、経産省、厚労省、国交省の三省が権限を巡ってバトルを始めることになります。日英中韓の四ヶ国語にわたっていますから、外務省なども絡んでくる虞れがあります。下手をすると六カ国協議みたいなことが始まり、結局、内閣府に担当大臣なり官を置くことになるのでしょう。国家の責務の重さというものは、一地方自治体の比ではないのです。

  http://www.kanko.metro.tokyo.jp/foreigner/

ここをご覧になれば、氷解するのですが、その前にチャレンジしたい方のために和食料理をいくつか抜き出しておきました。さて、これは何でしょう。

① bowl of steamed rice topped with deep-fried pork cooked in egg and onions in a soy sauce base consomme

② wheat noodle with fishcake, mushrooms, bamboo shoot, dried wheat gluten etc.

③ wheat noodle cooked with shrimp tempura, fish-paste products, egg and vegetables etc in an earthware pot

④ flat white wheat noodle cooked in various way such as kitsune, gomoku etc.

⑤ rolled sushi with pickled plum and beefsteak plant

⑥ boiled loach with eggs and burdock roots in a shallow earthenware pan with sweetened soy sauce

⑦ chicken grilled with sweetened soy sauce on small bamboo skewers

⑧ oden : steamed fish-pate made with grated fish muscles

tempura、sushi、odenはOKですね。etc.が泣かせます。写真は某国の③らしいですが、東京都の説明とは違っています。


[414] 星と碇の国 投稿者:テバ 投稿日:2005/01/15(Sat) 21:23

ナングロアチェ州における外国軍の支援活動に対し、その期限を地震発生から3カ月の3月26日までで切るという発言があったようだ。副大統領や国防大臣がライブで語っていたから本当なのだろう。本当だとすると、気は確かなのだろうかと心配になってくる。何を考えているのか、解らないようで解りそうなところが怖い。

あの国の建国時のアチェの貢献と、その後の国政不干渉については既述の通りだが、思えば、アチェ人は無関心すぎたのかもしれない。というのは、その一方で、あの国の戦後の歴史には、国軍の歴史そのものと言ってもよい側面があるからだ。しかも、あのアセアンの大国は、建軍にあたって相当に旧日本軍を参考にしているフシがある。その日本軍はといえば、在りし日、次のようであった。

  「世の中は星に碇に闇に顔、馬鹿者のみが行列に立つ」

もちろん星は陸軍、碇は海軍である。市民生活という非軍事的状況の中でさえ、特権集団のトップに君臨していたのだ。

あの国でも、主要企業・ホテル・ゴルフ場等のほとんどを退役軍人達が所有・経営していた時代があった。ゴルフ場では支配人からキャディマスターぐらいまでが、全員退役軍人であった。軍に採用されることは一大特権であって、持参金相場まで立っていた。もちろん、より上位の階級で採用されるためにはそれなりの金額が必要で、親戚中から借金する人もいたという。こうしたジャワ流をアチェ人は毛嫌いした。

経済統制でも開発独裁でも、軍の論理が全面に出やすいようだ。今でもビールの二大銘柄はビンタン(星)とアンカー(碇)で、前大戦から続いているという。


[412] 絶句 投稿者:テバ 投稿日:2005/01/12(Wed) 01:49

これまでに見たこともないシーンです。これがハリウッドでないことに、絶句します。

[Res: 412] クレイマー 投稿者:告発者 投稿日:2005/01/13(Thu) 19:58
ハリウッドだと思う。

[411] 100年の余震 投稿者:テバ 投稿日:2005/01/10(Mon) 20:32

引用ですが、

 本震=前震や余震に対して、一連の地震の中で最大規模の地震

 余震=本震の後に起こる多数の小さな地震

ということになっています。

明治24年10月28日(1891)の早朝、岐阜県本巣郡根尾村の魚金山を中心にマグニチュード8.0の地震が起きました。内陸型では最大級だろうと言われています。7,000名を超える人的被害があったようです。根尾谷断層という特別天然記念物を後世に残しています。内陸部であったことと、そのころようやく地震の観測網が整ってきていたことから、この大地震については精密な余震観測が行われてきました。

図にあるように、その頻度は急激に減少します。しかし80年後の1970年になっても時折発生し、0.01回/日を上回っています。ということは、100日に一回よりは頻繁に起きているということですから、年3回以上ですね。ただし、内陸型の地震とプレート境界型の地震ではメカニズムが異なります。つまり、今回のインド洋型ではなくて、阪神・中越の仲間の最大級版ということです。それにしても息の長いことです。

この余震の起こり方って、何となく、人の追憶の動きと似ているような気がします。あと一週間で10年です。


[410] 魚を保存する 投稿者:テバ 投稿日:2005/01/10(Mon) 05:37

どうも素材、調理法、などの観点からする「レシピ」的な解説が多い。微生物学的分類をしてみよう。

乾燥法、塩蔵法、乳酸法、酢酸法などにわかれる。

乾燥法は水を奪い、菌の活動を抑制する。アジの開きは乾燥法1の代表だ。開いて干すだけである。しかしそうしてしておくだけで、空気中の好気性発酵菌が取り付き、発酵過程が軽く進行する。旨味が生じる。一方、カツオのように厚みのある大型魚では、一旦煮てからから乾燥する。干しただけでは面白くないと考えた人が、これにカビ(発酵菌)を付けて時間をかけて分解させた。その旨味は相当なもので、調味素材となっている。乾燥法2である。

塩蔵法では多量に塩をする。すると、発酵菌による分解はもはや困難になる。魚の成分は自己分解を始める。塩は発酵菌ばかりでなく有害な腐敗菌の繁殖も抑える。塩辛、魚醤などが得られる。しょっつる、ニョクマム、ナムプラーの世界だ。グルタミン酸、アミノ酸、イノシン酸などを驚くほど大量に含むことになる。もう一つのメリットは、乾燥法に比べ、極めて長期に保存できることだ。この方法は植物についても「草びしお」として、醤油、味噌を生み出した。

魚にはデンプン(炭水化物)がほとんど含まれていない。そこで軽く塩をした魚をご飯などと併せておく。すると、乳酸菌が穀類の側から供給され、乳酸発酵が起こる。「なれずし」つまり「熟鮓」の誕生である。近江の「鮒鮓」が有名である。この技術は豚や鶫(つぐみ)など、広い範囲の食材に応用される。鮒鮓がチーズのような味と香りを持つのは、乳酸発酵しているからなのだ。

最後が酢酸法である。代表は握り寿司。この目的は主として滅菌になる。鯖やコハダはタネを酢で締めるが、そもそもは酢飯を使うことがポイントだ。酢飯の酢の割合については、地方によっての多いの少ないのと議論になることがあるが、これは気候・風土の所産だろう。猛暑の天神さんの大阪、祇園さんの京都、こうしたところで寿司をいただくなら、若干の用心は必要であろう。

寿司の始まりは関西の「押し鮓」とも。作っている女性達の楽しそうなことです。


[409] 大いなるアチェ 投稿者:テバ 投稿日:2005/01/07(Fri) 07:00

ある会合でF君に逢った。彼はアチェの地域開発プロジェクトの最後の時期にかかわっていた。「最後の」というのは、彼が担当した直後、あの地域は内乱状態だと宣告されてしまい、邦人の公式立ち入りが不可能になったからだ。今回現地から送られてくる、息を呑むような映像のことなどを話した。F君は、91年のバングラデシュでの高潮災害の規模と比較していた。公式統計は未確定だが、あのサイクロンでは直接の人的被害は約13万人だったという。しかし、その後の疫病等で20数万人が亡くなった。合計して死者40万人という推計値があるという。

20数万人のうちの多くが水系伝染病であった。水系伝染病には発症初期の対応策がある。塩と大量の真水を与えるのだ。明治以降の日本でも、この伝染病が猖獗を極めた時、治療法として採用されている。しかしあのベンガルの地域には、塩はまだしも、真水が全然なかった。世界屈指の降雨量を誇るアジア・モンスーン地帯での皮肉な悲劇である。今回もそれが繰り替えされようとしている。国連のダブリン宣言は、世界の人にあまねく、一日50リットルの清浄水をと願った・・・にもかかわらず、数リットルの水の有無が生死を分けてしまう現実。

地域開発という夢は、内乱の前に立ち消えになり、その内乱すらインド洋の大海嘯によって海底に引きずり込まれた。アブラハムとイサクは常に山頂へと向かう。薪を背負いつつ。そうしていつも、生け贄の雄羊は見あたらない。天は与え、取り上げる。かすかな希望は地域開発プロジェクトの再興だ。ナノテクやバイテクとは異なり、この分野はシナリオがドライブする科学の世界だ。天が取り上げたものは還ってこない。しかし、人は立上がり、再び小石を積み上げ始める。この小石も天が与えた、と信じつつ。


[408] 行き行きて 投稿者:テバ 投稿日:2004/12/31(Fri) 11:31

六月から延々とやっていた監訳が、今朝、唐突に終わりました。ギリギリで「大つごもり」の朝に間に合ったわけです。間に合ったといっても、特段のデッドラインでもありません。タイミングいいな、という程度の話です。初校、二校、念校の作業と併せてやるという荒技です。製版所のおじさんだかお兄さんが、真っ赤なゲラを見ながら「こんな校正やったことない!」と激怒する姿が脳裏に浮かびっぱなしでした。そうそう、まだ念校はお届けしていないのでした。

32の章に、共同執筆も多いため、50人もの contributors が名を連ねています。うち英語国民は英国人の5人のみです。北欧、ラテン、アフリカ、アジア・・・。ギリシア人+スペイン人のところの英語の難解さは、まるで泥沼でした。古代ローマのプロヴィンキア同志ですものね。どうしても日本語にならず、ギブアップしかかったセンテンスもありました。最後は神だのみの「意訳」となります。たまにUKものに当たると、その快適さにはほっとしたものです。

化学と生物を真面目にやっていなかったので、随所で仇を取られました。「上向流嫌気性汚泥床」とか「移動床生物膜反応槽」とかの見たこともないギミックを、図面を頼りにやっているのですから呆れたものです。もっとも、このあたりで窮地に陥ると、札幌の先生という強力な指導者がおられますので、いろはの「い」まで、臆面もなく教えを乞うたわけです。恥を忍びつつ、馬鹿だと思われるのは覚悟のうえで・・・。申し訳ありませんでした。怒らせてばかりです。

でも何ですね、持続可能性だの3Rだの循環だの再生・再利用だのと、これらはブッシュが軽蔑した「古いヨーロッパ」そのものの世界ですね。右肩上がり信仰帝国の人々からは、弱虫に見えるのかもしれません。いかがわしい錬金術師が薄暗い実験室で訳のわからないことを呟いている姿を連想するかもしれません。正直に言うと、テバにもよくわかりません。地球がどっち向いて進んでいるのか、わかるわけがありません。「塵にすぎないお前は塵に返」った後の出来事です。

年齢とベクトルという関係もあるのでしょうか。また一つ馬齢を加えます。よいお年を。