錬金術(6) カエサル登場

(2003/02/26)


昔の寄席では、長〜い続きものの講談などを延々とやっていると、

客の入りが減ってきたりする。すると、突如、前後の脈絡なしに

太平記の山場を持ち出し、「本日より正成出ず」などと貼り紙をした

ものらしい。これで寄席の不景気風が一遍に吹っ飛んだというから、

大楠公の庶民的人気の高さや思うべしである。不況対策には大衆の

支持が必要なこともわかるのである。そこで、そう、テバトロンでも

「カエサル登場」と打ってみたのである・・ん・・? ローマ皇帝座

に片手を掛け、あと一歩というところで挫折した英雄。ユリウス暦を

制定し、このことにより1年を365.25日と定め、その名を七月に

残した大天文学者。謎に満ちたロマンの貴公子カエサリオンの父。

あのユリウス・カエサルにご登場を願う。


カエサルが大借金王であったことは、つとに有名である。当時ローマ

では、有能な政治家というものは、成金階級にとって最大の投資対象

であった。ラティフンディアから汲み上げたアブク銭があふれかえって

いた。資金提供を受けた政治家は、属州(プロウィンキィア)を舞台に

荒稼ぎをやったのである。ローマに持ち込んで歓迎されるものならば、

穀物でもよいし、奴隷でもよい。あるいは珍獣奇物でもよかった。

パンとサーカスの時代の幕が、百花繚乱と咲き誇っていた時代

のことである。当然ながら、カエサルのタニマチ達もそれを期待した。

そこでカエサルは、まず執政官になる。すでに制度疲労が困憊の極に

達していた元老院を抵抗勢力に仕立てあげ、カイカク・カイカクと、

派手なパフォーマンス。カエサル人気は、いやがうえにもうなぎ昇り、

その支持率は何%・・・? 残念ながら記録がない。


しかしカエサルにとっては、執政官になることが究極の目標では

なかった。執政官の任期はわずか一年間である。だがこの1年を無事

勤めあげると、次にはご褒美として、軍司令官職にも専念できるのだ。

その名も「プロコンスル」、勝手放題やり放題の立場に立つたつのである。

この立場こそが本命なのであった。属州で功を成し名を遂げるには、

何といっても軍事力という背景が必要なのだ。どこかの国でも、州知事

から大統領になった途端、軍事力行使に熱中しだした人がいたが、

これと同じようなような状況だったのだろう。カエサルは、虎視眈々と

実力行使の機会を伺う。しかも明確な目標があった。ガリアである。

ガリアの諸族(ケルト人)は、過去、イタリアで幾多のテロ事件を

起こしてきている。まさに「悪の枢軸」であり「朝敵」だと言える。

が、大義名分はあるにしても、単なる戦争だけでは何の儲けにも

ならない。大株主たちは満足してくれない。・・・ところがガリアには、

オイルならぬゴールドがあったのだった。


黄金の大地を覆う日蝕


カエサルは教養人である。当然ながら、黄金に満ちたガリアのことは

知り尽くしていた。ストラボンを代表とするギリシャ人たちも罪なしと

しない。彼らが書き残していた黄金のガリア伝説はローマ人に多大な

刺激を与えた。あとは、軍事介入のための口実さえつければよい。

あらかじめ、ガリア・ローマの国境付近では、紛争の種を蒔き続け

てきた。だが、カエサルは天才である。こんなことで満足はしない。

最後に駄目を押した。この時期、彼は三度目の妻を迎えている。

この妻が問題の女で・・・なんていう話でなくてごめんなさい。実は、

約半世紀前、ヘルウェティー族というケルトの一部族がイタリアに

侵入したことがある。これに際し、防衛軍の司令官だったカッシウス

という執政官が殺害された。この戦役では、彼の副将として戦った

ピーソーという男も戦死した。このピーソーの孫が、三度目の妻の

父だったである。このことでケルト人は、カエサルの(義)曾祖父の

仇にまで格上げされた。なんともはや、周到な計画と準備である。

こんな壮大な企図を持って三度目の結婚をする男も、世間には、

あまりいないだろうけどね。そして、全ガリアをして一挙にローマの

属領たらしめることができるなら、それを可能にした男が、独裁官に

そして皇帝位にふさわしいであろうことも、自明である。


ヘルウェティーというケルトの一派は、ラインの南、ジュラ山系の東、

レマン湖・ローヌ川に臨む土地に住んでいた。この一族はケルトとしては

最東端に位置していた。ケルトのまほろばの地であるのだが、そのため

隣接するゲルマン人や属州のローマ人とは四六時中もめ事を起こして

いた。ほとほと嫌気がさしていたところに、英雄出現。彼は提案する。

西へ移住しよう。ケルト世界の中心に行き、全ケルトを支配しよう・・・

ルートは二つあった。ジュラ山系の西麓を抜けてシャンパーニュの

大平原に出る道と、ローヌ川を下ってローマの属州を通過する道である。

この英雄は前者を選んだのだが、事前のごたごたの中で頓死してしまう

(一説に自殺)。が、残されたヘルウェティー族は、西進の志を捨てない。

最初のルートにはケチがついていたので、ローマ属州通過の道を選ぶ。

カエサルの待っていた好機である。さまざまな駆け引き、あるいは欺瞞、

恫喝、そして戦闘。その後、カエサルはヘルウェティー族を討伐する。

延々8年間も続くガリア戦記の開幕である。


蛇足だが、「ガリア戦記」なる歴史的名著は、カエサルがローマ向けた

政治的プロパガンダの文書である。これは定説。したがって、そこに

描かれているケルト人像は、相当にデフォルメされていると考えるべき

である。文化人類学的な観点からは、かなり気をつけて読まなければ

ならない面を持っている。それこそ、神武東征神話に匹敵するくらいに

注意して扱わなければならない。他の文献や考古学的資料との照合・

照査なしに、フムフムなどと読み耽るべきものではないのだ。これだけは

市井の一介のケルト・ファンとして言っておきたい。たった150年前の

「共○党宣言」だって、鵜呑みにしてしまうと大変なことになるのは、

イヤというほど思い知らされていますよね。


ところで、前回「天然金は、極めて簡単に発見・採取することができ・・・

実際、ある部族では金の採取は老人・女に任される程度の仕事だった」

というくだりがあったが、この部族こそヘルウェティー族なのである。

これはBC80年頃にポセイドニオスが目撃した記録としてギリシャ人に

よって記録されたのである。

カエサルのガリア侵略に先立つこと約20年前のことである。


ハイテクvsローテク戦
(ローマ兵は胸甲を装着)