★楽ガキコーナー★

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誉むべきかな…… 投稿者:テバ 投稿日:2008/03/31(Mon) 22:38 No.935  
テバの朝の始発駅である東急東横線・日吉駅のホームに、昨・日曜日、大きな穴が開通しました。そうして本日朝の通勤時間帯、その穴から、今まで見たこともない通勤ピープルがゾロゾロと湧き出してきたのです。しばらく観察していたのですが、この穴に入っていく人は一人もいません。そうするとこの穴は、完全な「ソース」であり「シンク」の機能は皆無ということになります。この新たなピープルは我々先輩に何の挨拶もなく、平然と同じ行列に紛れ込み、平然と同じ通勤電車に乗り込んでくるのです。

日吉の先住民族に何のメリットがあるというのでしょうか。ホームと電車の混雑度が増しただけです。ここは横浜市営グリーンラインの終点になったらしいのですが、何と、朝7時の時間帯には14本もの列車が到着するのです。縄文人が弥生人に抱いた警戒心、ネアンデルタール人がクロマニョン人に覚えた恐怖感、そうした想いが脳裏を去来します。最近、多少駅構内の手入れをし、内装を貼りかえたり、エレベータやエスカレータを設置してくれたりしていました。しかしそれも、実は彼らのためだったのです。

不条理の極みです……東急が長年の顧客への感謝の念もだしがたく、我々に「快適さ」を与えようとして改装に踏み切った、と思ったのは大いなる錯覚でした……しかし立ち直るしかありません。明日からも通勤は続くのです。

 私は裸でそこから出てきた。
 再び、裸で私はかしこに帰ろう。
 主は与えられ、
 主は奪われる。
 主の御名はほむべきかな。



アラジンの国 投稿者:テバ 投稿日:2008/03/30(Sun) 07:31 No.934  
アラブ首長国連邦(UAE)やその構成国では、国際級の競馬が行われているらしい。日本のトップクラスの騎手と馬も参加しているという。競走馬の一方の雄・アラブの故郷であり、アミール(君侯)たちが主催するのであるから、舞台としてはこれ以上ふさわしいものはない。本場である。

イギリスでは、王室の存続を願う理由としてダービーの存続をあげる人々も多いらしい。フランスのロンシャンなんかも伝統と歴史はあるのだが、王様の首を刎ねたり皇帝を追放したりしてしまったので、今や「王者のスポーツ」ではない。その点、天皇賞がある日本は幸運なのだろうか。

ドバイの躍進ぶりはいろんなメディアで紹介されている。魔法のランプから出現した国であるから、どんなことでも可能なのだろう。小麦などの自給率は実質ゼロであるが、オイルが地球の隅々から必需品をもたらす。そして競馬である。アラビアの砂漠にパンとサーカスの帝国が復活した。

一度でいいから、この国でも国民にそんな思いをさせてくれないだろうか。ガソリン税なぞ細かい細かい、どこ吹く風と……



三丁目の夕日 投稿者:テバ 投稿日:2008/03/21(Fri) 15:03 No.933  
この新宿通りの四谷三丁目あたりでは、通りの先の方に夕日が沈むことを発見したのは、昨年の秋分の頃のことでした。つまり道路のこの部分はほゞ東西に走っているようです。

あれから半年経ちました。当然のように、春分の夕日が再び同じ位置に戻ってきました。自然の大歯車は健在です。道路沿いのビルがストーンヘンジに見えてきます。

ビルのオーナーさんたちは、さしずめ太陽神崇拝の氏子ということになります。



カエサル忌 投稿者:テバ 投稿日:2008/03/15(Sat) 00:24 No.932  
3月15日になりました。もちろん、グレゴリオ暦でという意味です。当時のユリウス暦がお好みのかたは、あと13日程お待ちください。カエサルの生年には幾説かありますが、長谷川博隆先生に従うと、紀元前100年に生まれ同44年に没したようです。するとちょうど55歳ということになります。ガリアの征服戦争に足かけ8年を過ごし、引き続くローマ市民同士のいわゆる内乱を鎮定するに5年を要しています。そうして最後には、ブルータスを含む元老院の一部グループの凶刃に倒れました。

暗殺された人についても「晩年」と言っていいのかどうか。しかし、長谷川先生はカエサルの晩年に恐ろしいほどの「疲労」と「孤独」感じておられるようです。カエサルの「イタリアの静謐、属州の平和、帝国の安寧」という政治目標が、時代をあまりにも超えすぎていたのでしょうか。

不思議なことに、イスラム世界の救世主サラディン(サラーフッディーン)も享年55という有力な推定があります。リチャード1世との果てしない戦い・駈け引きの後、この大王に西欧にお帰りいただいたのは西暦1192年の秋でした。組織暴力団としての十字軍はここに終わりました。その翌年、イスラム暦589年Safarの月の18日の春もよい、サラディンは眠るように神の御前にと旅立ちます。当時世界最高水準のダマスカス医師団の診断によると、このクルド人の英雄の死亡原因は「老衰」でした。

サラディンの晩年にも疲労と哀しさがつきまとっています。サラディンはローマ人ではありませんから政治的メッセージを残してはいません。しかし「アッラーのほかに神なし・・」の章句を耳にし、微笑してこときれました。私物を持たないため、埋葬時の経帷子は借り物だったそうです。

軍事的に連戦連勝ということも運命的要因と考えられます。某国の大統領はラッキーです。すでに長命の相が表れているようで……



讃岐の戦場(いくさば) 投稿者:テバ 投稿日:2008/03/12(Wed) 17:43 No.931  
本当に何十年ぶりに讃岐の屋島を訪れました。まあ、それだけ長生きしてしまったということです。もちろん、山頂から見渡す景観に、昔の面影はほとんどありません。宇高連絡船はすでになく、はるか彼方に瀬戸大橋が春霞ごしに朧ろに見えます。

東の山裾には屋島海戦の古戦場があるのですが、現状は埋め立て地になっています。その埋め立て地には、なぜか壇ノ浦という街区があります。あの安徳天皇が入水された壇ノ浦とは違うのですが、地元では屋島・壇ノ浦の合戦と呼んでいるようです。

合戦では多くの死者が出たことでしょうが、その古戦場は土砂で埋め尽くされ、往時の戦闘を見下ろしていた山々も山腹をえぐられています。墓石としての御影石採掘のためらのようです。源平の武家に較べ、現代人はどこまで残虐でないと言えるのでしょうか。

関東を発つ時にはコートを置いていきました。現地的にはこれは正解でした。本日東帰して新横浜で降りた瞬間には、さすがにブルッときました。東日本では「まだ見ぬ春」なのですね。そのかわり、讃岐の国では花粉症も一足早く始まっているようです。

年度末はオフ・シーズンなので、ゴルフも安くやらせて貰えるようです。しかしながらの「花粉のあらし」ということで、ゴーグルとマスクを装備してやっているようですね。「そんなんで楽しいの?」と訊いたら「えぇ、まぁ」と、この人もゴルファーのようです。

もうこうなると娯楽というよりは「道」ですね。息をするのも苦しい極道の道でしょう。書でも茶でも道にしてしまう日本人の面目躍如です。もっとも、ゴルフ場をどんどん造成していけば杉の木も消えていくでしょうから、これは究極の仇討ちになるのかも知れません。



大ねずみ・小ねずみ 投稿者:テバ 投稿日:2008/03/09(Sun) 19:36 No.930  
先週、ケナガネズミが30年ぶりに捕獲されたという報道がありました。身体検査・健康診断の後、ヤンバルの森に戻されたようです。捕獲された個体は150g前後のようですが、大きなものになると400g近くなるようで、もちろん本邦最大のネズミです。奄美諸島から琉球列島にかけて棲息するようですが、見かけるだけでもレアだということです。体毛が二段になっていて、背中を中心に長い毛があるのでこのように名付けられたらしいのですが、いわゆる「夏毛」ですね。

一方、最小のネズミはカヤネズミです。名前のとおりカヤなどのイネ科の植物を生活の根拠にしています。カヤネズミの胴長は6cmぐらい、これに7cmぐらいの尻尾をおまけしても、全体重は7〜8gということです。現在のところ「世界最小」とされていますが、驚異に満ちた生物界では、いつその座を奪われるかは知れません。分布域はかつては日本全国だったようです。日本の亜熱帯性気候の複雑微妙さが彼らにとっては天国のように感じられたのでしょうか。

一般に哺乳類は、個体が小型であるほど環境適応性が高いのですが、人間の活動はこの小さな生き物たちの棲息環境さえ消滅させつつあるようです。



サファールの月 投稿者:テバ 投稿日:2008/03/08(Sat) 08:09 No.929  
本日はグレゴリオ暦では2008年3月8日です。和暦ではあと2〜3日で節分ということになります。そういえば、確かに陽気もそのようになって来ました。でも、今回はその話ではありません。もうひとつ、昨年Uセンセイから耳学問でいただいたアラビア語の件です。改めて本日をイスラム暦で呼ぶなら、1429年の Safar の月の29日に当たっています。月名としての Safar は「空虚な月(the void month)」ですが、今回は、この「Safar(2月)」の語源に関するお話です。なお、地名の「マッカ」とは「メッカ」のことです。最近はマッカが主流ですから、それに合わせます。

そもそもUセンセイのお話とは・・・、

『・・・このように主語がずれていく現象は、コーランの日本語訳にもしばしば出てきます。コーランは「ムダル族の言語」で啓示されましたが、アラブ世界が広がるに従ってアラブ語は乱れたのだそうです。そして、どうやらアラブ語というのは、僅かな変化で異なる意味あるいは異なる動作主体を示すらしいのです。それで、コーランが読めないという事態に至ったらしいのです』

というものです。ところがこの Safar について調べていくと、主語の揺らぎに加えて、母音についても揺らいでいるというか、かそけき有様が見えてきたのでご報告する次第です。

●まず、2月29日ということですが、イスラム暦では2月は毎年29日あります。特段の閏月ということではないようです。太陽暦とのズレは閏月で処理するというのが太陰暦の基本です。ところで、神が天地創造に際して12の月を造られたとき、そのうちの4つを敬意を払うべき月として聖別され、争いごとを禁じられました。それらは1、7、11、12月です。サファールの月は、第一番目の月であるムハラームの次に位置するのに、この月は最も軽視されているらしいのですが、その意味を捜します。

●ある人々が唱えるところでは、この月にはマッカの住民が全て旅立つために、この街が空っぽ(isfaar)になったことが月名の由来だということです。なぜマッカの住民全員が街を出たのか、それはよくわかりません。隊商でしょうかね。しかし、生活が苦しくなった非農耕民族が略奪隊(marauding band)を派遣するということは、当時、世界的現象であったようです。ノルマンなどは大変有名で、有名すぎて歴史に名を残してしまいました。「戦場の鋭い刃・アリル」なんていうケルトの英雄もいました。

●二つ目の説といえるかどうか、これは見解の分かれるところだと思いますが、やはりマッカの住民の習俗に関することですから、上記の説の枝かもしれません。この月になると、彼ら(マッカの住民)は他部族を出会い頭に略奪し、身ぐるみはぎ取ってしまったとあります。丸裸にされた被害者側の状態(sifran min al-mataa')から Safar の名が付いたとするものです。もちろんムハンマドが預言を伝える以前の時代の出来事です。現在の住民の皆様は、預言とアラジンのランプを持って世界一、二を争う豊かな生活を送っておられます。

●三つ目の説です。これは比較的単純です。アラビア語の黄色(sufr)に由来するというものです。この月に最初に名前を付けたとき、たまたま秋にあたっていたからだということです。しかしそうは言っても、誰が何時命名したのかという最大の疑問は残ります。その辺の疑問を乗り越えれば、秋なら黄色が相応しいのでしょう。アダムとイヴが楽園から追放されたのがこの月である、というようなおまけまで付いているようです。

とりあえず集めた以上の三つの説でも、子音だけを抜き出してみると、

 @ sfr

 A sfrn

 B sfr

となっています。どれがSafarの親だと言われても、DNA的には反論の方法がありません。そういえば safari なんていうのも sfr ですね。とかく暦というものはややこしいものです。



靴下革命 投稿者:テバ 投稿日:2008/03/02(Sun) 12:54 No.928  
だいぶ暖かくなってきたので、新横浜に出た機会に、これからの季節用の靴下を買ってきました。ご興味はないでしょうが、話の展開上必要なので言い添えますと、濃紺の全く同じもの8足です。これに先立つ冬物の時に、かねてよりの靴下哲学を実践しました。すると大変に調子が良かったのです。冬物は3足組を3つ、すなわち9足買いました。もちろん、これらも全く同じ色・デザインのものです。

日常生活の中で、毎日着替える衣料という一群があります。その中で世間というか人目に曝されるのはワイシャツと靴下ですね。そうして、靴下だけに「ペア(組)」という概念があるのです。洗濯物の山から、同色・同柄の靴下のペアを捜すっていうのは、結構辛気くさい「神経衰弱」ゲームです。そのうえ、どうしても片方しか見つからない「後家さん問題」も生じるのです。後家さんの管理は厄介です。

ワン・シーズンの試行は大成功でした。任意の靴下を2枚取り上げると、あーら不思議、それらはペアをなしているのです。万一奇数枚しかないときも(これは以前の後家さん問題に相当)、洗濯済みのボックスに放り込んでおけば、いつの間にか誰かとひっついており、問題は先方が勝手に解決してくれています。このアイディアには元ネタがあります。それは初歩的な数学クイズの本に載ってました。

ある男が2種類(2色でよい)の靴下を、それぞれ沢山持っていました。かれは杜撰な性格なので大きな一つの引き出しに雑然と放り込んでいます。友人の結婚式に参列するため正装に身を固め、さて最後に靴下をと思ったところで、空襲警報が鳴り渡り、灯火管制で停電になってしまいました。彼は暗闇の中で何枚の靴下を持って外にでたら揃いの靴下を履くことができるでしょうか、というものです。

空襲云々は問題が作成された時代背景でしょうが、これはQ1ですから、大変易しい部類に属します。答は3枚ですね。一般にN種類に対しては(N+1)枚のはずです。ここから更に捻って、靴下にコーディネートしたハンカチーフも……と問題はひろがります・・・テバは手拭い派ですからこの問題もありませんので、靴下を1種類にしてみたわけです。すると、どんな暗闇でも2枚でいいのですね。

兎も角、快適な靴下ライフをお約束します。お試しあれ。

PS:思い出して調べたら、マーチン・ガードナーの「aha!」の冒頭もこれと同趣旨の出題がありました。2種類の色の風船ガムが入った販売機と、同じ色のものを欲しがる兄弟の話です。この場合もママは最大3個買えば問題を鎮静化することができます。



南北論争 投稿者:テバ 投稿日:2008/03/01(Sat) 21:09 No.927  
「南橘北枳(ナンキツホクキ)」は結構有名ですね。南の地のタチバナを、その実を愛でる人が北の地に持ち帰って植えてみたところ、酸っぱいカラタチになってしまったという話です。この話には二通りの解釈があるようです。南国で甘やかされたミカンも、北の風土ではせいぜいカラタチ程度にしかなれないよ、というのが一つ目です。二番目は、折角のミカンも、北の風土では駄目なカラタチにされてしまうのだというものです。

これは当時の国家上級官吏採用試験であった科挙についての比喩だというのが定説です。ペーパー試験では確かに、江南の子弟が常に上位合格者の大半を占めます。しかしながら、と第一の解釈は述べます、一朝事に当たると彼らは腰が引けて何の役にも立たないヨ、ということです。江南の言い分は逆です。折角の俊秀を北京に送り込んでいるのに、華北の荒々しい政治風土に潰されてしまうではないか、と主張します。

翻って本朝には「南鮎北柳(ナンセンホクリュウ)」問題というものがあります。南方の鮎を北方の川に移したところ、柳葉魚(シシャモ)になってしまったというものです。この事例の場合、逆の説つまり「北柳南鮎」が眞であるとするものまでありますから、本場の中国ほどに成熟・様式化した論争ではないようです。お隣の半島では何と言われているか知りませんが、やはり南北文化の差異に関する相互非難的なものがあるという話はよく耳にします。

本場の話に戻りますが、江南のある若手の進士合格者が同じく江南出身で退官帰郷している老進士たちに壮行会をやってもらいました。酒だけではとても保ちそうもないからと、青椒肉絲のような料理を頼んだそうです。するとOBの先輩たちは、「お前さんは北京に行って苦労するだろうなぁ。あそこでは肴もなく酒だけを飲むんだよ」とアドヴァイスしてくれたそうです。柳葉魚でも鮎でも、これらを酒肴とできる我々は幸せなのですね。



山頂のプロメーテウス 投稿者:テバ 投稿日:2008/02/23(Sat) 17:46 No.926  
プロメーテウスが人類に「火」を与えてから100万年以上が経つようです。火は照明であり暖房であり武器でした。そうして何よりも調理に活用されることで、人々の食を豊かにしたのです。この極東の島の住民は、いつの間にか、大量の「火」と「食」を必要とするようになりました。こうなると、大部分は海の向こうの異国に依存せざるを得なくなります。ある日、聞いたこともない言葉を話す人々が、海を越えてやって来ました。彼らは、天然ガスとかギョウザとかについて、厄介な議論を始めたのです。

ゼウスの与えた神罰なのかも知れません。



大海軍・山へ 投稿者:テバ 投稿日:2008/02/22(Fri) 12:00 No.925  
昭和19年8月冒頭、グアム、テニアン両島は連合軍の手に落ちた。翌9月、連合艦隊司令部は日吉に創設されて間もない慶應キャンパスを接収し、ここに移転した。表向きの口実は、それまで司令部旗艦として使われていた軽巡洋艦「大淀」を前線に回すためとされていた。しかし誰が見ても、絶対国防圏に穴が空いた以上、連合軍(米国)の本格的な空爆が始まることが予想されたのが理由であった。

日吉の慶応義塾では、昭和9年ごろから旧制高校(大学予科)に相当する教育を始めたばかりであった。日吉山と慶應山の山体には縦横無尽に大地下壕が掘られたらしい。この坑道の中に帝国海軍の首脳・精鋭がお籠もりされたのである。地上に整備されていた校舎群も接収されきたろう。高台であることも言い訳にされたようだ。比較的軽微なアンテナで太平洋の全戦場と通信ができるのだとか……。

いずれにしても便利で安全な司令部が確保できた。この計画を推進したのは豊田副武という最後の連合艦隊司令長官である。この人は「幻の台湾沖航空戦」を出張先の台北から直接指揮したことでも有名だ。湯上がり浴衣で指揮をとったとあるが、幻の大戦果をあげた。米空母11隻を轟撃沈したはずだった。後日その艦隊は無傷の状態でレイテ沖に姿をあらわした。終戦時の豊田は海軍軍令部総長であった。

慶應山、日吉山は地元住民にとっては迷惑な存在でもあった。深夜〜早朝の絶叫酔漢が、慶應の学生さん達かどうかは知らない。それよりもこの山が電波障害の元凶らしいのである。現在、日吉山の上に巨大ビル2棟が完成しつつある。綱島街道からは見上げるような存在である。そろそろ住民運動の準備を、と考えていたところ、最近、急にテレビの映りが良くなった。マス○ロアンテナでも付けたのだろうか。

さすがは福沢先生の後裔である。どっかの海軍よりは、国民・市民の生活・運命に敏感なのだ。



一段落 投稿者:テバ 投稿日:2008/02/19(Tue) 20:19 No.924  
やっと表紙の構成が一段落しました。最後に苦労したのは時計の設定です。必要な Java Script を、それこそテキストもなくwebで捜してパクッてくるのですから大変です。今回は now = new Date(); の一行を捜すだけでしたが、一日ぐらいかかりました。見つけ出すと、「アッ、そうなのか。この表紙、今まで時間の概念もなく生きていたのか。これで進化できたんだな〜」と理解できるのですけどね……賢くなったのは表紙なのかテバなのか、若干混沌としてはいるのですが。

しばらくは、表紙には触らないでおくとしましょう。



日本海縦貫特急事件 投稿者:テバ 投稿日:2008/02/16(Sat) 00:36 No.923  
風邪を引いてしまいました。現在小康状態まで回復しています。つらつら研究してみますと、今週の北陸行あたりにその原因がありそうです。

今回のテバの行動を概観すると、アト・ランダムな暖房事情の中を新潟から金沢まで縦断しています。この中から容疑者を割り出す必要がありそうです。思えば、金沢のホテルの暖房も、こまめに on/off する妙にキレの良いやつでした。設定温度より高いか低いという2状態しかないのです。設定温度にじっとしていないのです。結局、(T+α)−(T−α)=2・αの間を昇降しているだけです。αは2℃ぐらいでしょうから、この約4℃の幅を上下するだけのエアコンなのです。お宅のエアコンが対応可能なら試してください。熟睡はできないと思いますョ。

しかし、本質的にトリッキーだったのは日本海縦貫線・特急「北越6号(上り)」でした。この列車は13:02(ヒトサンマルフタ)に新潟駅を出発し、16:40(ヒトロクヨンマル)に金沢駅に到着します。このルート上には、糸魚川あたりに、かの有名な50/60Hz周波数変更線が横たわっています。この変更線は、もちろん、東海道沿いの在来線にもあります。しかし空調に限り、表日本を走る新型車両にはインバーターが積んでありますので、乗客にはこの変化が全く感得できないはずです。(新幹線は、更に統一された独立系統です)

ところで北越6号の車両は485(ヨンハチゴ)系というものでした。これは、この2つの周波数帯はおろか、直流区間も(結局、國鐵の全営業區間を)一貫走行できるという優れた設計であり、1968年に國鐵の切り札として投入された、とあります。日本中の路線を走れるという、当時としては、國鐵車輛技術陣が誇る夢のリムジンであったわけでしょう。昭和43年10月の「ヨンサントオ・白紙ダイヤ改正」という、新幹線延伸と大阪万博を睨んだ歴史的大改正とともに登場したようです。とはいえ、時の過ぎるのは早いものです。

問題を暖房のことに限りましょう。この列車に装備されているのは電熱暖房(要するに2966線、もといニクロム線)です。覗いたわけではないのですが、温度調節は回転式スライダック(要するにガチャガチャ回す温度設定器)程度だろうと思われます。もちろん1968年頃といえば、日本中の家庭には既にサーモスタット付きの「炬燵」が配られていたのですが、車両の一箱一々が細長く、全体としては糸のように細い列車のようなものには適用困難だったのでしょう。どこをコントロールポイントにすればよいか、アナログ技術で考えてみてください。

日本海縦貫線の新潟〜金沢間は、@新潟〜直江津(信越本線の一部:現JR東日本)とA直江津〜金沢(北陸本線の一部:現JR西日本)から構成されています。ですから@が50Hz、Aが60Hzということになります。上りの列車は新潟駅で暖房がセットされ、雪深い信越の山中を抜けて直江津に至ります。乗務員も総入れ替えになった直江津からは先は、おおむね海沿いですね。積雪もあまり多くはありません。乗務員が総入れ替えということは、JR職員にはこれを始点から終点まで乗車して体験する人がいないということでもあります。

テバはここでJRの怠慢を告発しようとするものではありません。485系をそのまま使っていることについても、直江津で暖房をセットし直さないことについても、言及する気は毛頭ありません。何といっても國鐵の負債は国民の借金であります。経費節減に対するJRの姿勢には深い敬意と期待を表するものであります。民営化された以上、株主配当も大切でしょう。大いに努力してください。しかしここでは、一つの物理学的事実を指摘せざるを得ないのであります(と、この辺は明治の政治家風に)。それは、

 「交流抵抗は周波数の2乗に比例して増加する」

ということです。50Hzから60Hzに乗り換えた途端、電熱暖房器の電流、したがって発熱量は7割程度に激減するのです。JR西日本が電気代をケチっている、などとは決して言いますまい。あのRに120km/hで突っ込んだら脱線するョという程度の、単なる物理的事象に過ぎないのですから。

さて総括です。いよいよ謎解きです。新潟を出てから長岡あたりまでが当初のセットが有効な区間で、車窓が雪深くなるにもかかわらず車内は快適な暖かさに保たれます。ところが、そこから更に南下し徐々に山間地から平野部に至る直江津までは焦熱地獄となります。当初の設定では暖房が効きすぎてくるのですね。あまりの暑さに耐えかねて、人々は車両の前後に移動します。出入り口付近の方が涼しいからです。ここで居眠りをするとお終いです。あまりの寒さに目覚めると、とうに直江津を過ぎおり、暖房が全然効かなくなっていることに気付きます。

ここまでの段階で、大方の居眠り磐音は風邪を引いています。

謝罪等予告声明:鐵ヲタの皆様に不快感を与える不正確な記述が多々あろうことについては、あらかじめ陳謝申し上げます。本編は「風邪とその一因」といった、健康関係のカテゴリーに属することを追記します。なお、各車両に1台のインバーターを増設する程度で、この485系の寿命は更に延びるのではないでしょうか。営業利益1・2を争う2社で相談されたらどうでしょう。



刮目の雪国 投稿者:テバ 投稿日:2008/02/13(Wed) 20:33 No.922  
昨日から今日にかけて、

 横浜→新潟→金沢・富山→横浜

の三角蹴りをやってきました。しかし北陸本線というのは乗りでがありますね。午後1時に新潟を出て、金沢に着いたら5時近くなっていました。本場で本物の美味しい治部煮を食べさせてやるよ、というエサに引かれて辿り着いたのです。

この地域は今年の冬中ずーっと、雪がない、雪がない、と、あちらこちらで言い触らしていたのですが、今回はしっかりと降られてしまいました。富山の井波の奥山などは、これぞ雪国という状況でした。見事に仇を取られてしまいました。

やはり北陸は雪の本場でした。三日会わざれば刮目すべき凄さでした。



元先論 投稿者:テバ 投稿日:2008/02/04(Mon) 23:48 No.921  
『大麻所持:……次男、現行犯で逮捕
 >夫婦デュオとして活躍した歌手の××さんの次男で……同署は入手先を追及している』

この記事に関し、Uセンセイに質問を発しました。

『この「元先論」で、いつも混乱したまま馬齢を重ねていたことに気付きました。「入手元」ではなく「入手先」となる原理をご教示ください。恥ずかしいので、周囲の人には訊くことができないのです。そういえば、輸入元も輸入先も、どちらも使われていますよね』

ご返事をいただきました。

......。。。oooOOO○○○◯◯◯

聞かれる方も甚だ恥ずかしい状態であることが判明しました。私としては「元」がこっちで「先」があっちという程度でそれなりに収まっていました。

たとえば、日本の計算機会社が中国の会社にソフトウェアを発注する場合、

  発注「元」は日本
  発注「先」は中国

で、明白であります。

ソフトウェアが出来上がると、

  納入「元」は中国
  納入「先」は日本

です。

つまり、情報やブツが流れる場合、

  from が 「元」
    to が 「先」

ですっきりしています。

ここまでは、客観的対象物を中心にみる物理屋としては文句はありません。ところが、「誰が」を中心にみる社会現象では混乱しているようです。

「取引」と「引き取り」という紛らわしい言葉でさらに修飾されます。手元にあるアイリッシュウィスキーの二瓶ですら混乱しています。

Jameson に貼られているラベル
    輸入者及び取引先  東京都文京区後楽 2-3-21
               ベルノ・リカール・ジャパン(株)

Black Bush に貼られているラベル
    輸入者及び引き取り先 有限会社 ウイック
               東京都世田谷区太子堂 2-14-3

私の心情としては、前者の「取引先」にはアイルランドの会社の名前を書いて貰いたいところです。

余談ですが、「引き取り先」とは、農薬が混ざっていた時のことを言っているのでしょうか。

どうやら、「あいまいな日本」を再確認させただけのようです。

◯◯◯○○○OOOooo。。。......

どうやらこの悩み、テバだけではないようなので安心しました。確かに、大麻やアイリッシュや餃子を業界用語で言うと「ソフトウェア」になりますね。Uセンセイ、ありがとうございました。



白波の…… 投稿者:テバ 投稿日:2008/02/03(Sun) 19:40 No.920  
『月も朧に白魚の篝もかすむ春の空、冷てえ風もほろ酔いに心持ちよくうかうかと、浮かれ烏のただ一羽、ねぐらへ帰る川端で、棹のしずくか濡手で粟、思いがけなく手に入る百両、

(「御厄払いましょう、厄落し」)

ほんに今夜は節分か、西の海より川の中、落ちた夜鷹は厄落し、豆沢山に一文の銭と違って金包み、こいつァ春から縁起がいいわぇ』

というわけで、本日は節分で、明日は立春です。とはいえ関東は雪、横浜は積雪深7cmということですす。それもそのはず、このお嬢吉三の時代には本日は12月27日ということになるようです。あと1ヶ月以上お待ち願わなければ、芝居の背景の季節にはなりません。確かに、そのころであればおぼろ月にも納得がいきます。

御一新直後の庶民も、雪の中の節分には戸惑ったことでしょう。どっかで暦が誤魔化されたような気がしたのではないでしょうか。



TOKIO 投稿者:テバ 投稿日:2008/02/02(Sat) 20:07 No.919  
メトロの駅の壁面広告というものですが、あれは一体どのような層を対象としているのでしょうか。電車の中からは、大きすぎてほとんど見えません。ラッシュなどの混雑時のホームからあんなものを観賞していたら、押し倒されてしまいますよね。

結局、昼下がりの午後2〜3時あたりが焦点ということです。電車の本数も間引かれて少ない時間帯に、漠然・茫然と電車を待つ人のためなのでしょうね。こんな人たちに新聞の広告というのは、一番ミスマッチな気もするのですが、どうでしょうか。



冬来る 投稿者:テバ 投稿日:2008/01/25(Fri) 19:49 No.918  
今日はさすがに寒かったですね。西高東低のシフトがやっとしっかりしてきたのでしょう。日本列島を北西から南東へ横切る筋雲がくっきりと見て取れました。この冬では初めてのことではないでしょうか。とかうするうちに花粉前線が近づくやうぢゃ、をのをのがた油断めさるな、というように季節感覚大混乱の昨今ではありますけれども……現在の小学生が中高年になったころ、地球はどうなっているのでしょうか?

学習院とか双葉とかのエリート制服組の話もありましたが、あれは四ッ谷駅の話です。メトロ・四谷三丁目駅から津の守坂の方へ向かう通りでは、種々雑多な服装とランドセルの子供たちとの同行となります。そう、公立・四谷小の生徒の皆さまです。この子らの元気な会話(というよりは、雄叫びやお喋り)には、ハイソなお子様たちとは異なるエネルギーが満ちあふれています。寝起きのテバ脳も、徐々に覚醒してきます。

今朝は意外なことに注意を引かれました。男の子たちがワイワイやっているので、何だろうなと立ち止まって観察すると、街路樹の周囲のわずかな土を踏みつけているのです。1.5m四方ぐらいの地面ですけどね。すると「霜柱だ!霜柱だ!」と言い合っているのです。たかだか2cmも満たない高さのものでしたが、それは確かに霜柱でした。北関東の20cm近い霜柱が一面の麦畑を覆う光景が、一瞬よぎりました。

  ランセルを 負うた子が踏む 霜柱



憧憬としての雪山 投稿者:テバ 投稿日:2008/01/18(Fri) 19:59 No.917  
ここのところ、立て続けに小松空港経由の用事が重なっています。大した仕事ではないので、原則として日帰りです。朝出て夜帰る、これを繰り返していると、何か日常的に通勤しているような気分になってきます。もちろん、「危ない危ない、その手に乗ってはいかんぞ」と、自分を戒めてはいます。

それにつけても、ここ越前加賀でもほとんど雪がありません。有名な雪吊りですが、これは兼六園に限らず、街のあちこちにあるのですが、枝に雪が載っていません。刺身がない大根のつまとか、昼行灯とかいう風情です。本日のような好天では、かすかに残る日陰の雪も、豪勢に融けておりました。

白山も、山頂付近を除き、雪化粧ができていません。「はるばる、お江戸から訪ねて来てやったのに、その化粧はなんでぃ!」と、文句を言う人が出てくるかも知れませんね。そういえば越中富山の立山も同じような状況で、白く衣替えしたライチョウも、身を隠す場所が見つからずに困っていることでしょう。

白山では大正期にライチョウが絶滅したそうですが、暖冬の年だったのではないでしょうか。

  身を隠す 雪あてもなき 綿帽子



会話は度胸 投稿者:テバ 投稿日:2008/01/16(Wed) 17:01 No.916  
宮崎空港ビル2階の日向屋(ひむかや)という土産物屋さんで、現地語会話の実習をしました。以下、そのレポートです。貧弱なボキャブラリー(?)を総動員して、売り場の女の子に尋ねました。

 テ「ここの店はパック入りの冷っ汁(ヒヤッチル)が置いてあるとね?」

 売「はぁ?……ヒヤッですか?……何でしょうか?」

ここで、瞬間ですがヒヤッとしてグラッときます。通じてないのでは……しかし、昨日から3名の九州男児(各々、博多、北九州、飫肥出身)を教師にしてヒアリングで鍛えてましたから、こんな短いフレーズが通じないはずはありません。こげなオナゴに負けるわけにはいかんとばい、です。気を取り直して、もう一押しします。

 テ「あんたここの地(ジ)のヒトじゃあなかとね?」

 売「はい、ちがうんです」

そういうことでした。よかった。一応通じてはいたんです。彼女にとって「冷っ汁」が初耳だったということです。そこへ、ベテランらしい売り子さんが吹き出しそうな顔で介入してきて、その場を収拾してくれました。めでたし、めでたし。

[なお、テバの質問ですが、1番目と2番目では語尾のイントネーションが相当違います]

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Modified by isso