★楽ガキコーナー★

投稿拒否ログ(スパムログ)のファイルサイズが大きくなりました。
至急、管理モードから投稿拒否ログを削除して下さい。



[トップに戻る] [留意事項] [ワード検索] [過去ログ] [管理用]
おなまえ
Eメール
タイトル
コメント 【コメント内のURLは先頭のhを抜いて書き込んで下さい。】
メッセージ中には参照先URLと同じURLを書き込まないで下さい
URL
添付File
暗証キー (英数字で8文字以内)
文字色
・画像は管理者が許可するまで「COMING SOON」のアイコンが表示されます。

現在的地政学 投稿者:テバ 投稿日:2006/09/27(Wed) 11:52 No.771  
高病原性鳥インフルエンザ(H5N1)の地球規模での拡大をずっとモニターしている。このごろは台風そっちのけという状況である。「台風さん、しばらくあっちに行っててね、しっしっ」という心境にある。最も重要なケースは同亜型がヒトあるいは家禽に感染したものである。ユーラシアの東に発したものが、昨年の秋にはついに西の端まで達してしまった。死者もじりじりと増え続けている。これがパンデミーに一転すると数千万人規模の人的犠牲者が生じるだろうと予想されているのだ。

しかし不思議なゾーンがある。人口稠密で、その周辺地域はしっかりと汚染されているのに、そこだけが亜型以外の種しか確認されていない地域である。渤海湾に接している天津〜北京特別市である。確かにオリンピックを控えて防疫に万全を期している可能性もある。しかし「発生したことになっては困る」という政治的判断をする人がいないとも限らないお国柄でもあるので、安心できないのだ。SARDS騒ぎの時にも、故意に報告を怠ってペナルティをくらった幹部がいたという実績がある。

更にモニターを続けなければならない。人生は心配事・悩み事の連続であるが、仕方がない。頑張ろう。

http://idsc.nih.go.jp/disease/avian_influenza/index.html



2006年台風13号(サンサン) 投稿者:テバ 投稿日:2006/09/16(Sat) 20:52 No.770  
中心気圧 925hPa
中心付近の最大風速 50m/s(100kt)
25m/s以上の暴風域 全域 170km(90NM)
15m/s以上の強風域 全域 410km(220NM)

久方ぶりに、台風らしい台風が登場しました。まだまだ発達するのかな?眼もぱっちりしてますね。



旧・一等車 投稿者:テバ 投稿日:2006/09/10(Sun) 21:22 No.769  
旧国鉄時代のことです。客車に等級制というものがありました。その始まりはよくわかりませんが、戦前には3等級制になっています。これはそれらのうち、旧一等車についての話です。この旧一等車は前大戦末期の昭和18年には一旦廃止になりました。復活したのは昭和24年のようで、昭和35年には2等級制に改められ、旧二等が一等になりました。ここで旧一等車の歴史が終わるわけです。

すると、昭和18年以前に経験された方は別として、戦後旧一等に乗る機会は足かけ12年ほどあったことになります。だからどうなんだ、というお気持ちは良く解りますが、実はテバは、この旧一等車に乗った経験があるのです。一度だけですけどね。この時代には各停の列車にも一等車が接続されていました。新一等は長距離特急や寝台に限られてしまいます。

旧一等の車掌さんは「専務車掌」という腕章を着けておられました。畏れ多いことです。



ひつまぶし新説 投稿者:テバ 投稿日:2006/09/09(Sat) 00:49 No.768  
ひつまぶしという名古屋風の鰻料理があります。Wikiによれば、まず鰻とご飯をかき混ぜてマムシ風にする、とあります。かき混ぜないファンの方は、そのようになさってください。いずれにせよ、これを三等分します。一膳目はそのまま茶碗に取り分けて頂きます。二膳目は葱・山葵等の薬味を載せ味の変化を楽しみ、三膳目は二膳目のようにしたものにお茶あるいはだし汁をかけさっぱりと頂くとあります。

テバにとってはもう、ここまでだけで血糖値が反乱を起こし、主治の先生に叱られそうなのですが、都合上、話は更に進んでいきます。Uセンセイは四分法を薦めておられます。もちろん、素材は三分法と全く同一です。そうして、三膳目までは同様に進行させるのですが、この場合、四膳目が出現します。この食べ方で釣られたわけです。いくら考えても解りません。降参すると、正解を教えていただけました。

「一〜三の中で一番気に入った方法で頂く」

というものでした。1:1:1とするか、1:1:2とするかの差は確かにあります。コロンブスの玉子のような話でした。



豚の缶詰 投稿者:テバ 投稿日:2006/09/05(Tue) 19:04 No.767  
これはテバの感触なのですが、スパムメールとかスパムアップロードのたぐいが、徐々に減少してきているのではないでしょうか。そうしてそれは、単なる迷惑にとどまらず、詐欺的債権請求とか、法外な使用料請求とかが広く知られ、一般市民の対応が賢明になってきたのが理由なのではないでしょうか。アブない人たちが徘徊していることを知れば、善良な市民は、その時間帯・地域を避けるようになります。

スパムの弱点はコンシステンシーを欠くことです。タイトルや発信者アドレスだけで、「なんか変だナ」と見抜かれてしまうことです。そうすると、受信者側は議論の有無なく削除してしまいます。こうなると、コマーシャルベースでは引き合わなくなってきます。送った方は、投下資本に見合う収益がないということになります。好奇心の猿が蝟集しなければ、バイニンもフリテンのトラになるわけです。

もちろん、ウィルスのようなネットテロ的愉快犯は、詐欺という商業ベースとは異なる価値観でやっていますから、こちらは今後とも相変わらずでしょうし、進化もするでしょう。しかし、ウィルスの存在がネットへの警戒感を醸成すればするほど、スパムの撲滅に手を貸すとにもなります。進化論的な意味を考えてしまいます。ミトコンドリアとの共生に成功した真核細胞が酸素の毒性を克服したように。



大名古屋 投稿者:テバ 投稿日:2006/08/27(Sun) 19:45 No.766  
私にとっての名古屋というところは、原則的には日帰りで、遅くなってもせいぜい駅周辺のビジネスホテルに泊まって、慌ただしく帰ってくるところに分類されていました。今回、縁あって中村とかいう旧・紅灯の巷の割烹で食事をすることになりました。この地にこんなにのんびりした気分で滞在したのは初めてです。

文化というものは無限の金穀を浪費するもので、吉宗あたりには大いに嫌われたものです。もちろん、文化あればこそ金穀を運んでくる豪商・遊蕩児に事欠かないわけです。この割烹がそうした文化の集大成だということで、帰る間際に中を案内していただきましたが、建物から始まり掛け軸に至るまで、壮大なコレクションでありました。

時代を超えた、唐天竺の果てからの渡来品も多いわけです。その中に、座敷の縁先の小庭に置かれたカワウソの焼き物がありました。その愛嬌に思わず惹き込まれ、めったに使わないカメラのシャッターを切りました。ガラス越しでフラッシュが光ったので、失敗かと思いましたが、一応撮れておりました。

尾張大納言の都邑、大名古屋の片鱗に触れることができました。



お久しぶりのストレススコア 投稿者:テバ 投稿日:2006/08/23(Wed) 14:07 No.765  
エクセル形式で再整理してみました。項目を眺めてみると、相当大昔のバージョンですね。どなたか、バージョンアップにチャレンジしていただくとありがたいのですが。



いわゆる「ベタ金」 投稿者:テバ 投稿日:2006/07/30(Sun) 23:34 No.763  
若い人はあまり知らない言葉だと思います。軍隊の位で将官級あたりに属する方々の異称です。なぜかといえば、全身これ金色で覆われているからです。肩章、襟章、袖章、勲章等々です。参謀肩章というヒモの束みたいのまで金色にしている国もあるといわれています。一般的にアフロやラテンなんかの国がこの色を多用するようです。もちろんボタンや帽子なんかも金色で極力覆います。

で、帽子ですが、帝国陸軍ではこのキンキンモウモウとした帽子を「カレーライス」と呼んでいたようです。確かに似ています。訓練を終えて空腹を抱えているのに、偉いさんの講評を無理矢理聞かされている兵隊にとって、遠目にはカレーライスそのものに見えたはずです。



鶏肋(けいろく) 投稿者:テバ 投稿日:2006/07/29(Sat) 13:45 No.762  
某国大統領を同国の新聞が「鶏肋」と表現したらしい。確かに、与党が総選挙に大敗し、極めて政治的に重要な補欠選挙で反対党の大物に惨敗したのだから、与党は縁を切るべきだという意見も出るだろう。まあ、これ以上は内政干渉になるので、桑原、桑原。

ところで鶏肋である。この言葉は三国志の時代に、曹操が初めて使ったという説が有力である。曹操は相当文才があったから、大いにありうることだ。三国時代末期、衰亡しつつあった蜀へ遠征をかけるかどうかという判断に際し「鶏肋だ」と言ったようだ。

ニワトリのあばら骨は食べようとしても肉はなく、しかし、捨てるには惜しいという意味である。曹操は結局蜀への遠征を中止したのだから、「惜しいが、捨てる」という意味で使っている。しかし、その後時代とともに、反対の意味で使われるようになってきた。

邦人のエッセイ集などでも、最後に「鶏肋」という落ち穂拾いの雑記を載せる人がいる。この場合は、「役には立たないが、捨てるには惜しい」ということである。某国大統領の場合もこの意味で使われたことは明らかである。大統領側は食べ物に例えた、けしからん、と言っているようだ。

なにしろあと1年半ほど任期がある。「捨てる」こともできまい。



超上位性としての国体 投稿者:テバ 投稿日:2006/07/21(Fri) 19:20 No.761  
Uセンセイに教えていただいた話です。血統とか家柄を超えた、超上位性としての国体を念頭に国を造るとするとこのようになるのかな、と思われました。さすがは、今を去ること約2500年前に、すでに共和制政体を確立した国です。

-----------------------------------------------

イタリア憲法は139条より成りますが、其の後ろに「経過規定および補足」
(全18項目)が記されています。其の中で、

    13.サヴォイア家の家族および子孫は、選挙権を有せず、および公
       職または被選職に就くことができない。
        サヴォイア家の旧国王、その配偶者およびその男子孫は、領
       土内に入り、および滞在することを禁止される。
        領土内に存するサヴォイア家の旧国王、その配偶者およびそ
       の男子孫の財産は、国に帰属する。1946年6月2日以後に
       生じたその財産に関する物権の移動および設定は、無効とする。

    12.解散されたファシスト党の再建は、いかなる形式においても、
       禁止される。
        第48条にかかわらず、この憲法の施行から5年以内に限り、
       法律により、ファシスト制の責任ある領袖に対し、投票権およ
       び被選挙権の一時的制限を定める。
         (注:第48条 成年に達したすべての市民は、男も女も、選挙人である。)

実に明確なものであります。

-----------------------------------------------

もちろん、人民共和国などとは全く異質な元祖・共和制の話です。



早朝のホットライン  投稿者:テバ 投稿日:2006/07/09(Sun) 20:24 No.759  
国家安全保障会議極秘文書(NSC/Echelon/CIA/Top Secret)

通信内容:某国軍事委員長(自称将軍様)と隣接大国国家主席の会話

将軍「やあ親愛なる同志主席、おはようございます」
主席「こんな朝早くから叩き起こして。一体何の用事だ」
将軍「ミサイルの試射は全て成功しました」
主席「君自身のために、取りあえずおめでとうと言っておこう。同志委員長」
将軍「ところで国境付近に展開していただいた貴国軍の件ですが」
主席「それがどうした?」
将軍「試射が失敗した場合の諸外国からの侵攻に備えたモノでしたよね」
主席「それがどうした?」
将軍「もう必要ありませんので解除してください。金もかかることだし」
主席「君はまだ生きているんだろ、坊や」
将軍「え、それはどういう意味ですか?」
主席「あれは君の失敗に備えたモノだよ。軍の配備体制は維持する」
将軍「・・・」
主席「もちろん経費は払い続けてもらいたい」
将軍「・・・」(そっと受話器を置く音あり)

そうして夕刻、第七弾目が発射された。
その軌道は、気のせいか、若干ダッチロールしていたという。



味噌・しょうゆ テバ - 2006/07/16(Sun) 01:13 No.760  

つくづくと長屋の付き合い方というものについて考えてしまった。味噌・醤油を貸し借りする仲云々というが、長屋の生活はそれで支えられている部分がある。もちろん、隣の家から味噌・醤油の使い方まで指図されるとなると、これは某国の総理のようにお怒りになることもあるだろう。とはいえ、たまたま切らしてしまったものを(それも一食分)すら融通してもらえないとなると、大変に剣呑なことになる。ましてや両家の間に親の代からの因縁があるとなると、もう手が付けられないくらいややこしいことになる。

そこに遠くの親戚がやってきて煽ったとすれば、普通、引っ越す以外に解決策はなくなる。しかし「国」というものは、そう簡単に引っ越せる不動産ではない。駅前の不動産屋はもちろんのこと、ナンチャラ・リアルエステートというクラスの大会社でも扱っていないと思う。仕方なく隣人としての付き合いを続けることになる。時には隣家の坊やが火遊びをしてボヤを出すこともあるから、結構、緊張感に満ちた生活の連続ということになる。困ったことだ。しかし長屋の住人としては、適応して生きていくしかない。

どうしようもなくこじれた時には「時の氏神」に期待するのだろう。しかし、向こう三軒・両隣との普段の関係があまり良くないと、仲裁に入ろうという人も出てこない。よく落語なんかで出てくる金棒曳きの女房というのが問題になることがある。女房とは、大げさかも知れないが、外務省みたいなものだ。亭主が多少喧嘩に弱くても、女房が周りから一目置かれていると、その熊さんも一目置かれることになる。このできた女房を生態学では豊かな「典型性」という。熊さんは、一応顔を立てて、「上位性」だ。

本当のところは、猛禽・猛獣といったところで、リスやアリンコがしっかりしていないと、上位性なんてものは簡単に絶滅してしまうのだ。最近では生態学も多少は進歩してきているのである。



1066年のハレー彗星 投稿者:テバ 投稿日:2006/06/18(Sun) 20:08 No.754  
ノルマン人ロロン(洗礼名、ギヨーム)はフランスのシャルル単純王からノルマンディーを譲渡された。シャルルの思惑としては、この暴力的な海賊たちを荒蕪の地に追い込んで、仲間割れをさせ、自滅をはかるというものだったという説もある。しかし驚いたことに、このヴァイキングの子孫たちは、極めて勤勉な農牧民になってしまったのだ。シャルルは「単純王」と呼ばれるに至る。

しかし生活が安定すると、人口増加の圧力がかかり始まった。わずか150年ほどでノルマンディーは開拓し尽くされてしまったのである。彼らは再び外部世界へと拡散を始める。一部はイタリアからシリア、パレスチナへと。そうして最大の勢力は1066年にイングランドへと矛先を向けた。その様子は征服王ウィリアムの王妃マティルダが残したと言われるタピスリーに記録されている。

この歳はちょうど、ハレー彗星が地球に周回して来た年であった。バイユーのタピスリーにも、天の異変に驚愕するノルマンの騎士たちが描かれている。



甘き夢見し テバ - 2006/06/21(Wed) 18:04 No.755  


 甘き夢よ
 私のイエス
 イエスが来られた

ドイツの古謡だが、これも現代風に解説すると、ある種の象徴的貧困ということになるのだろう。ノルマンもマジャールも含め、全世界がキリストの教えの下に教化されたのだ。ひとときとはいえ、世界に「凪」が訪れた瞬間ではある。

話は本線へと脱線するが、二十世紀はメディア・テクノロジーの爛熟の時代であり、それに伴い、象徴的貧困が世界化した時代である、ということが言われている。テバも、ある意味で同意するところではある。これを劇場化、ワイドショー化あるいはポピュリズムなど、様々な切り口で説明するが、通底しているものは象徴としての貧困であり、リビドーとしての貧困だ、というのは相当の説得力があると思う。なお、ここで使われている「貧困」は、「レ・ミゼラーブル」の「ミゼール」であるから、ただの貧乏ではない。相当な広義を持っている。

象徴的貧困は、ナルシズムの崩壊と関連付けられている。ここに若干の理論的不備を感ずるので、世界中の哲学者への反抗は承知でこんな話をしているのだが・・・さて。



瓢箪のマチルド テバ - 2006/07/02(Sun) 14:10 No.758  

マチルドあるいはマチルダという女性は、西欧中世史に数限りなく登場してくる。明らかな同一人が全く別の係累で説明されていたりもする。どうやら専門家の間にも混乱があるようなので、素人が扱うのに向いている。征服王ウィリアムだけをとっても、妻、妹、娘、孫娘・・・と果てしがない。ここはとりあえずウィリアムの娘とされているマチルドの話である。

このマチルドはノルマンディーの聖三位尼僧院長として人生を終えたようである。当時は、領主や僧院長、尼僧院長が亡くなると、羊皮紙を携えた僧が旅に出て、諸国の僧院から弔辞を集めて回るという風習があったらしい。このマチルドの昇天に際して寄せられた弔辞である。

『尼僧院長は全て死んだらよい。彼女らは仕える尼僧たちに命ずる。ひどい苦悩と孤独のベッドに横たわれ、ただその頭(精神)の愛のために、と。私は事情を知って話すのだ。なぜなら私は、愛ゆえに久しく石みたいなパンで生きてきたのだから』

当時南フランスのアキタニアは吟遊詩人文化の爛熟期であった。一方で、北フランスには、エスプリの芽生えともいうべき感性が誕生しつつあったという。楽しい時代である。



オマージュ 投稿者:テバ 投稿日:2006/06/27(Tue) 16:51 No.757  
「託身」とも言われる。封建時代には臣下が君主に忠誠を誓う証しとした。臣下が両手を握って差し出すと、君主は自らの手でそれを包み込む。これにより、臣下は年間40日程度の出征義務を負ったりする。

もちろん託身する側も無償ではない。領地を安堵してもらう等の諸権利を獲得する。封建時代の騎士階級は、大部分が文盲であったと言われている。そのため、書記が契約内容を克明に記録している。

現代のオマージュにも似たところがあるような気がする。



統一課題 投稿者:テバ 投稿日:2006/06/03(Sat) 13:14 No.753  
『いずれの道も無理をともなう政策である以上、国民の中のだれかがとくに重い負担をかけられなければなるまい。そして、それによる利益も、当面は国民の中のだれかにあらわれるであろう。その「だれか」をだれとみるか。主観的にかれらがそれをどう考えたかというだけでなく、客観的にどう具現したかという、そこのところのズレをまで見きわめたい』
 (色川大吉「大隈財政」より)

西南の役を切り抜けた明治新政府が、ひと息つく間もなく、次に遭遇した財政危機・民権運動の渦中にきりきり舞いしている状況に関するコンメンタールである。付け加えるとすれば、未来の国民についても、だれに「負担」と「利益」があらわれるかということも考えてほしい。しかし、それは数千年に一人しか現れない超天才政治家のみがなせるワザであれば、無いものねだりになるであろう。色川によれば、大方の政治家のジャッジは「主観」なのである。

この少し後で彼は、大蔵省を大久保から独占的に継承した大隈重信を論ずる。もちろん当時の大蔵省は、むしろ大赤字省とも呼ぶべきもので、今日的感覚からはかけ離れたものであった。大隈と福沢諭吉の三田義塾閥、これに加えて岩崎財閥が形成するトライアングルへの批判を強烈に展開する。外債の導入と憲法私案を企図する大隈は、ある意味で、一介の野人を標榜する福沢の操り人形だったのではないか。ここで色川は服部之総(シソウ)を引用する。

『三田はそれじたい資本ではないが、近代的資本の形成のために、後進国日本ではとくに不可欠の要素をなした「文化的」人材を生産した。生産された人材は、資本の原始的蓄積の産婆役たる政府にむかっても、民間にむかってと同様に売却された。のみならず、この人材生産会社は、それじたい「福沢系」の資本をもつくりだしたのである』

しかしここに色川は、明治最大の無節操家ともいえる伊藤博文の強烈な政治力を見るのである。薩長閥排除の危機を感じた伊藤は大きく動くのである。大隈参議の追放と欽定憲法の発布により、この三田派の流れを大きく挫くのである。

『災いを転じて福となす。伊藤博文はころんでも素手では起きない。政府内から大隈・福沢勢力を一掃し、多年の盟友・先輩であり、同時に最大のライバルであった大隈を完全に倒すことに成功した』

だが更にしかし、それから百年余、福沢的な思想の復活を随所に見るような気がするのはテバだけであろうか。如上の一連の記述には、現在の日本を直上から俯瞰しているような凄味がある。おそるべきは「歴史家の眼」である。

  のちの世の 名こそ惜しまん 老いの松

    うき世のことは 夢のまた夢



騎士叙任 投稿者:テバ 投稿日:2006/04/19(Wed) 00:35 No.745  
ひるむことなく 敵に立ち向かえ
神は 勇気と正義を愛される
たとえ死に至るとも 常に真実を語れ
弱きを助け 悪しきを行うな


・・・ちょっとブッちぎれてしまった日の反省です



王亡きときは・・・ テバ - 2006/05/27(Sat) 12:39 No.752  

実に久しぶりの完徹でした。この年齢(とし)になってというほどの想定外事象でした。しかし思えばどんな人生でも「食い逃げ」だけは許されないのでしょうね。騎士叙任の後段です。

 王を守れ
 王亡きときは民を守れ



爆縮社会 投稿者:テバ 投稿日:2006/05/21(Sun) 17:36 No.751  
この人口予測は2000年ごろになされたものですが、当時は「超弱気ケース」と呼ばれていました。ところが現実がこのように進展しつつあるのです。昨年度に人口の頭打ち宣言が出されたことは、皆様ご存じの通りです。絶対値は別として、この急激な人口減少は古代カルタゴのそれに匹敵するものと思われます。カルタゴの場合はローマと三次にわたる大喧嘩をしたのですが、弊国は周辺諸国とも超大国ともトラブルを極力避けてきたのですから不思議です。

2100年には人口は半減近くなっています。簡単に想像できることなのですが、そのころには、この国土の大半は銀行か財務省管理になっていることでしょう。そうです、相続税が払えない場合、不動産の行く末はこの2ヶ所しかないからです。銀行は多分、不良債権化した膨大な不動産の重圧で大半が潰れていることでしょう。財務省もその租税収入の大半を管理費に注ぎ込む羽目になっています。主計局長に替わり草刈局長あたりが肩で風を切っていることでしょうね。

以上、初歩的な未来予測でした。



公益の邦 投稿者:テバ 投稿日:2006/05/20(Sat) 22:00 No.750  
思わず生意気にも「この邦のかたち」みたいなことを考えてしまいました。李鴻章が本邦を「耕シテ天ニ至ル、貧ナルカナ!」と評してから約110年、この国も豊かになったものです。これはいつか書いたことですが、私とはノギ(禾:穀物)を囲い込む(△)という会意で、公とは囲い込む(△)ことを否定(×)する会意ですから、李さんの母国にも「公」の概念はあったはずです。ここ十数年、この国は財界・政界・国民をあげてバブル崩壊に狼狽しました。立ち直ろうと必死のあまり、精神の根底まで崩壊させてしまったのではないか、というのが最近の心配事です。



秘密の書 投稿者:テバ 投稿日:2006/05/19(Fri) 13:08 No.748  
ディスカバリーが「もう一つのダ・ビンチ・コード」という番組を流していました。なに気に見ていたら結構面白く、最後は抱腹絶倒状態に陥りました。歴史的に発生した幾つかの独立した流れのようなものあって、それらが綯い交ぜになってこの伝説を支えているようです。その中でも重要なのはパリ図書館に保管されているという「アンリ・ロビノーの秘密文書(dossiers secrets d'Henri Lobineau)」だということでした。

そこにはシオン修道会の歴史とメロヴィングの血筋が述べられているようです。ウィキによればシオン修道会の歴代総長は、次のような錚々たる方々です。

 ジャン・ド・ギソルス(1188年-1220年)
 マリー・ド・サンクレア(1220年-1266年)
 ジローム・ド・ギソルス(1266年-1307年)
 エドゥアルド・ド・バル(1307年-1336年)
 ジャンヌ・ド・バル(1336年-1351年)
 ジャン・ド・サンクレア(1351年-1366年)
 ニコラス・フラメル(1398年-1418年)
 レネ・ダンジュー(1418年-1480年)
 ヨランダ・ドバール(1480年-1483年)
 サンドロ・フィリペピ(1483年-1510年)
 レオナルド・ダ・ヴィンチ(1510年-1519年)
 コネタブル・ド・ブルボン(1519年-1527年)
 フェルディナンド・ド・ゴンザグ(1527年-1575年)
 ルイ・ド・ナヴァール(1575年-1595年)
 ロバート・フラッド(1595年-1637年)
 ヨハン・ヴァレンティン・アンドレア(1637年-1654年)
 ロバート・ボイル(1654年-1691年)
 アイザック・ニュートン(1691年-1727年)
 チャールズ・ラドクリフ(1727年-1746年)
 ロレーヌ公シャルル・アレクサンデル(1746年-1780年)
 マキシミリアン・フランク大公(1780年-1801年)
 シャルル・ノディエル(1801年-1844年)
 ヴィクトル・ユーゴー(1844年-1885年)
 クロード・ドビュッシー(1885年-1918年)
 ジャン・コクトー(1918年-1963年)
 フランソワ・デュカード・ブルージュ(1963年-1981年)
 ピエール・プランタール(1981年-1984年)

最初のエポックは、まず1188年です。この前年にエルサレムはサラディン(サラーフッディーン=宗教/信仰の救い)に奪還されています。テンプル騎士団は大挙してヨーロッパに帰還します。そうして再び聖地に十字旗が翻ることはありませんでした。これ以降徐々に、テンプル修道会という西欧最大・最強の財閥の経済活動の矛先は、狭いヨーロッパの内側に向けられることになりました。西欧世界にとっては思いがけないブーメランが戻ってきたのです。

これは特に、フランス王権にとっては危機でした。そこで第二のエポックです。1307年にテンプル騎士団幹部が一斉に逮捕・処刑され、資産が没収されるという事件が起きたのです。美王フィリップ(Philippe le Bel)が中心になって推し進めたようですが、没収資産はローマ法皇と仲良く分けたようです。しかしこのことは、将来、カペー朝の男系の断絶を契機とした百年戦争の遠因になります。フランス以外のテンプル騎士修道士たちの恨みを買ったわけです。

多分、この大弾圧の時代あたりを転換期として、テンプル騎士団というかシオン修道会の性格は、ただの伝説に変質し始めていったことだろうと思います。何といっても騎士が社会の中心だった時代は終わりつつありました。一騎打ちの絵巻の世界から集団戦へ、投石機より遙かに強力な大砲の登場へ、シャトーも堅固な要塞から王侯の快適な館へ、と変質します。ですからレオナルド・ダ・ビンチが、万一、本当に総長だったとしても、それは同好会々長の域を出なかったことと思います。

もちろん、伝説である以上、周囲に多くの作り話を生み出した可能性が高いわけです。ある歴史学者の女史が言ってました。

「私だったら本当に重要な文書に『秘密文書』というタイトルを付けてパリ図書館に寄贈したりはしません。『ハーブ栽培法』という題名にでもして、書斎の片隅にさりげなく置いておくでしょう。そもそもレオナルド・ダ・ビンチは、注文を受けた絵画の多くを完成していません。管理能力が低かったのですね。こんな人物を総長に選ぶような秘密結社は長続きしませんよ」

ここで笑ってしまいました。フランスのエスプリは健在ですね。



古戦場 投稿者:テバ 投稿日:2006/05/13(Sat) 01:48 No.747  
昨年の暮れに訪問した岐阜県の某現場は、初めて踏み込んだにもかかわらず、相当神経にこたえました。そこで聴いた皆々様の御苦労話の数々には、やりきれない思いを掻き立てられるばかりでした。やはり、というのが感想でした。帰途つくづく考えたのですが、これがPTDSというものなんだろうなと思われたものです。いわゆる火事場を踏んでしまった消防士のコンプレックスというやつですね。

そうした意味では、最も行きたくない現場がありました。ベアナックルを基本ルールとして、二年間もガチで取り組んでしまったのですから、これは・・・。しかし、とうとう行くことになりました。どうしても来い、どうして来ないのだ、・・・、来なければ天地共に許さないぞ、・・・、ここまで言われて行かないわけにはいきません。当時は若気の至りでしたが、テバも男です。というわけで、火曜日に行ってまいりました。

ところがあーら不思議。PTDSはおろか、何の抵抗もなく現地をスイスイと見て回れたのです。あれこれ気になるところを指示するほどです。もちろん、ヒロやんはどうした、庄ちゃんは元気してるか、治(ヂー)が生きてたころはな、等々の会話付きです。そうです。ここは他人の古戦場ではなく、テバの旧戦場だったのでした。あらゆる山や谷を知り尽くしていたのでした。そうして当然、そこに住まう人々についても。

現場に入った瞬間から、心は戦闘モードに切り替わっていたのでした。わがいくさ場に悔いなし。少々元気になりました。

  いくさ場ぬ哀れ いちか忘しりゆら

    忘りかたなしや 花の二見ゆ



薫風 投稿者:テバ 投稿日:2006/05/03(Wed) 07:05 No.746  
今年もこの爽やかな季節に会うことができました。

万太郎なら「風薫る 命の果ての 五月晴」とでも言うところですね。(言わないか)

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11] [12] [13] [14] [15]
- 以下のフォームから自分の投稿記事を修正・削除することができます -
処理 記事No 暗証キー

- Joyful Note -
Modified by isso