★楽ガキコーナー★

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ハリー・ホワイト 投稿者:テバ 投稿日:2007/06/14(Thu) 21:38 No.851  
近経ということでケインズの画像を探していました。するとビンゴだったのです。ブレトン・ウッズ協定時にケインズとハリー・ホワイトが視戦を演じているものがありました。戦勝国同志とはいえ、知性と腕力の双璧が火花を散らしています。このホワイトこそ、ハル・ノートを大日本帝國に突き付けた張本人とされます。当時は国務次官補の立場にありましたが、一説ではコミンテルンの指示で動いていたとも言われています。満州撤退条項を強引に入れたことなんかを考えると、完全には否定できません。戦後、レッドパージの嵐に曝され、心臓麻痺で亡くなりました。エコノミストとしての評価は、たぶんゼロでしょう。

ブレトンウッズ協定は今日のIMFの遠祖です。人間原料論の強力なエンジンとして、20世紀後半をドライブしてきました。アングロ・サクソン・スタンダードにすぎないものを、今日でいうグローバル・スタンダードにデファクトしたという、記念すべき協定です。



人間原料論 投稿者:テバ 投稿日:2007/06/14(Thu) 20:11 No.850  
18世紀の半ば、ラ・メトリーが「人間機械論」を世に問うたときには、まだまだ安心があった。精神とか「魂」とかについて、彼は、何ら説得力ある見解を示すことができなかったからである。せいぜい「頭脳は考える筋肉であるがゆえにやはり機械である」という牽強付会で押し切ろうとした程度だったらしい。その後この頭脳・知性の問題は、計算機、論理演算、人工知能へと展開するようになるのだが、いまだにチェスの名人・ディープブルー程度に留まっているようだ。

20世紀を通じて馬鹿騒ぎを繰り返してきた人類は、その世紀末あたりで大変なことに気付く。人間の知的活動などというものの作用力はたかが知れたものであり、資源とか環境という物理的な要因こそ人間世界の辺境を形成しているのだ、ということである。人間の精神に無限大のポテンシャルがあろうとなかろうと関係がない話なのだ。そのはるか手前で、超えようのない「壁」に突き当たっているのである。そこでは銃弾一発と人間精神一人前が日常的に交換されている。

このような世界観に立つと、人間とは、社会というメカニズムを構成するための一原料に過ぎなくなってくる。原油や鉄鉱石のような原料なのである。原油や鉱石に市場があるように、人間にも市場があるのだ。この点は相当以前から直観されていたことであり、近代経済学では平然と「労働市場」という概念を用いてきた。さらに踏み込むなら、これはマルクス経済学における「労働者奴隷論」と完全に等価な概念なのである。社会というメカニズムこそが神殿なのだ。

この視点が現代をドライブしている。自分自身を原料とするようになってしまった第三惑星最後のCEOである人類は、失敗した経営者なのだろう。



閑古鳥 投稿者:テバ 投稿日:2007/06/11(Mon) 22:55 No.849  
とにかくも想い出の深い人々に満ちあふれた団体でした。スト権禁止等、労働三権が制約されているのだから、我々の要求は全て通すべきであり、当局がこれを拒むならストをも辞さない。このような論理でアウフヘーベンをはかるような団体です。私は彼らに初めて直面した時、「言ってることが支離滅裂だよ」と指摘しました。すると、当局に反省と理解を求めるのだと言って、自分たちの執務室にビラや三角柱をペタペタと貼り始めるのです。そうして、職場環境を改善しろと主張するのです。最期に剥がすのは当局の仕事でした。

一方、当時の某政党などは国民総背番号制をファシズムの再来だと言って断固否定していました。そのため災害があったときにも、誰が行方不明なのかの確認も遅々として進みません。年金では一人の国民に複数の番号を平然と交付しました。これを上記のようにロジックが破綻したカンコーローが扱うのですからたまったものではありません。スジ(?)を通すためなら国民の犠牲も何のそのということです。思えば大変に危ない道を辿ってきたものです。東アジアに蔓延するああした体制に転げ落ちなかっただけでも不思議と言えます。



時の案内人 投稿者:テバ 投稿日:2007/06/09(Sat) 08:43 No.848  
O氏という天才青年実(?)業家が現在脚光を浴びている。この人を案内人にすると、高齢者の介護という極めて現在〜近未来的な課題から、ポストバブルの労働者派遣制度、そうしてバブル最盛期のウォーターフロントのディスコへと、壮大な過去巡りの旅ができるからおもしろい。地獄篇におけるウェルギリウスに匹敵する好適のガイドである。迷路の奥の奥には、うっすらとではあるが、サッカリン成金が跋扈した時代までが伺えるらしい。

決して揶揄しているのではない。O氏は水切りの石である。水面から下には、それこそ大小様々な暗流・盲流が渦巻き、魑魅魍魎が泳ぎ回ってもいることだ。しかし、水面を切っていく石は、そんな事情に斟酌したりはしない。常に一番「おいしい」波頭を狙い、これらを連ねて飛んでいく。そうしてこれは経済人のモデル的行動だとして、財界は称揚し、ついには叙勲の栄にも浴したらしい。確信犯的任官拒否者に対し、この国は寛容である。

彼は自分一人のみが被告席に座ることを拒む。そんなことが問題であるというなら、あなた方も同じことをやってきたのではないか、と。残り全ての人間を告発する。東京裁判まで回想させるのだ。彼には特段の思想はなさそうだ。しかし人生とはそのようなものだよ、とさりげなく言ってのける。どのように取り繕ろおうが、所詮は盆踊りではないか、と。ここに至るや、彼は、すでに仙界に身を置いていると観ずることさえできるのではないだろうか。



大いなる置きみやげ 投稿者:テバ 投稿日:2007/06/02(Sat) 08:04 No.847  
職場の一隅を、ささやかに占めているコーナーがあります。ここは普段は簡単な打合せに使われ、昼休みなどには休憩室みたいになっています。

このコーナーの更に片隅に、四月から小ぶりの段ボール箱が置いてあります。この春、めでたく単身が解消して西日本へ凱旋していった人の置きみやげです。中には新古級の文庫本がギッシリ詰まっています。どうぞご自由にご利用くださいということですね。円本・文庫本といえども500円前後はする時代ですから、これは有難いことです。そこで、借り出しては電車の中で無聊をかこつの用に立てていました。が、ここですでに、恐ろしい罠にはまっていたのでした。

この栄転さんの読書傾向なのですが、なぜか講談調が多いのですね。たとえば長谷川平蔵という人の伝記を初めて読むことになったのですが、平蔵氏が火付盗賊改メ長官という役職に就いていたころの事件簿が記録してあるわけです。しかし、この段ボール文庫には飛び飛びの巻しか収蔵されていません。その欠けた部分を補おうとすれば、「自分で買う」しかないのです。結局収蔵分も含めて、全巻を買うはめになったのですが、気付いたときは後の祭りです。

鬼哭の剣シリーズとか御書物同心シリーズとか、同類がたくさんあるようです。テバにとっては、地雷が大量に埋まっている段ボール箱なのです。まさに「子孫ニ美田ヲ遺サズ」ということで、一本取られました。

しかし一方では、前後の脈絡もなく、箱から出てきた順番で平気で読んでいる人もいます。こういう磊落な性格なら「美田、我ニ何カ有ラン」ということになるでしょうね。これからの会社を支えるのは彼らでしょう。



かくも畏れ多きメトロ 投稿者:テバ 投稿日:2007/05/27(Sun) 08:26 No.846  
朝、1・2本ほどでしょうか、少し早いめの電車に乗ることがあります。会社に着いてから煙草で1本とお茶一口で持て余す程度の時間なのですが、これが凄いことになっていることがわかってきました。ランドセルを背負った小学校はピカピカの低学年児様の通学時間帯なのでした。みんなお利巧そうな顔をしていて、制服・制帽・制ランできっちりと身を固めています。

シートが空いても、一部不良分子を除いては、座ろうともしません。これは、家庭・学校ともに躾が行き届いているということ証左なのです。まあ、低学年のこととて、ピーチクパーチクは仕方がありません。そんな連中が前に来たら、二度寝は会社についてからということです。このハイソな家庭出身の子供達は、周囲のくたびれたサラリーマンとは歴然と階級が違うのです。

では、このご連中のお通いになるお受験校はどこなのだ、という疑問が湧きます。調査してみました。

テバの降りる四谷でいうと、学習院初等科と雙葉小学校が双璧のようです。これだけでも地方出身者としては、ヘッ・ヘーッと身の縮む思いがします。それのみならず、少し手前ですが、白金台では聖心女子学院初等科に通うガキの皆様が降車されます。四谷でまだ降りないヤツはとなると、暁星小学校の方々で、これは2つ先の飯田橋までお越しになるようですね。

それにしてもメトロというのは怖い電車だったのですね。実は、皇族、華族ならびにそのご連枝の御子弟様級の通学の足でもあったわけです。こんなに早い時間帯、今日に至るまでの長い年月、乗らなくて済んでいただけでも幸せだったと思うべきですけどね。



人はパンのみにて生くるか矣 投稿者:テバ 投稿日:2007/05/25(Fri) 18:27 No.845  
今朝、T急線の某駅前でタクシーを待ってました。雨模様なのでなかなか来ません。そもそもこの駅前は戦前の街区がそのまま復興して今日に至ったため大変に狭隘で、正規のタクシー乗り場なんかはありません。歩道の片側を大きくえぐり取って、そこにかろうじてバス停がひとつと、ゲリラ的なタクシー待ち行列が左右に随時発生する程度です。全ての車は渋滞の中を、苦しそうにゆっくりと泳いでいます。

するとそこへ、細い横道からバキュームカーが猛然と突っ込んで来ました。これは、駅前にわずかの空間を発見して、大旋回を敢行したのです。雨で人車ともに混み合う駅前での急旋回ですね。すると、タンクの上に巻いてあったホースが荷崩れをおこしました。遠心力で振り回された黄色いホースは車の旋回につれて蛇踊りを始めました。年寄なんかが横断している足許をホースが暴れ過ぎます。

Y市K区の委託で側溝の清掃をしている車だということは、その直後に再開した作業でわかりました。雨の日がやり易いのですね。しかしながら、いいかげんに巻き取ったホースを載せた急旋回です。最近は、空想力の不毛の果てにいるようなこうした連中が殖えてきています。そうなると、あの絶叫マシンのように社会の表面に浮いて出る事故(?)も多くなるのだろうな、と思いながら見ていました。

事故寸前の事態を引き起こしたことに気付いたのかどうかはわかりませんが、彼らは平々然と作業を続けていきました。彼らがパンのみにて生きているのだとしても仕方ありません。しかし、そのパンぐらいは、他人(ひと)に迷惑をかけずにまともに稼げよな、と胸中に念じたのでありました。



八瀬 投稿者:テバ 投稿日:2007/05/19(Sat) 20:15 No.842  
南都北嶺の「北嶺」とは比叡山延暦寺のことです。密教系ですから、時の政権とは常に深い関係を維持します。太平記などを読んでも、比叡山が繰り返し登場してきます。信長が攻め滅ぼすまで、この状態は続いたといえます。上空から王都を護持する、これは真言密には真似のできない座取りです。

京都の御所と比叡山を結ぶところに「八瀬」という地区があります。御所と延暦寺の交通・通信の要衝ですね。現在では比叡山ケーブルカーの「やせひえいざんぐち」として、その名をのこしています。ここを通らずには人も物も情報も伝わることが不可能であったのです。

御所から宸翰が発せられるにせよ、上皇・天皇が動座するにせよ、八瀬に頼らざるを得ないわけです。このため、八瀬住民については免租、つまり租税免除の時代が相当あったようです。非常時の重要性にかんがみ、それは当然のことであったのかもしれません。



八瀬童子 テバ - 2007/05/20(Sun) 09:30 No.843  

堂々たる大人が税を減免されるということは、とんでもない例外措置です。あってはならないことでしょうね。当局のガバナビリティーが疑われ、ついには、特例の一般化要求へ、そうして、革命にまで進むおそれがあるのです。某国の天安ナントカ事件の推移は、この観点から見ていくと非常に解りやすくなります。

八瀬の場合はどうだったのでしょうか。

税制上の大特権を与えるために当局は、八瀬には大人がいない、とフィクションしたのです。なるほどそうすると、八瀬には納税者が皆無になるのです。類似の手法は江戸時代、大和国の十津川郷でも使われています。十津川の住民はすべて「郷士」である、とされました。年貢を納める義務から解放されました。

八瀬の方に戻りますが、その結果、この地域の男性には童子しか居なくなってしまったのです。これが八瀬童子の起源だとすると大変に解りよいので、このまま論を展開します。この童子には、もう一つの特典が与えられるのです。それは、位階の制度から解放されて行動できるということです。家門・人別等から自由になれます。

平忠盛は後白河上皇から偏愛されましたが、この位階制度に阻まれ、昇殿が許されたのは晩年です。しかし童子なら、天皇に随時侍することさえできるのです。太平記を読んだことのある人なら、後醍醐天皇が各地を転々とする行動力に驚いたはずです。これをサポートした人々こそが「童子」なのでした。

大正天皇の葬儀は、そのクライマックスと言えます。天皇の柩は八瀬童子のベストメンバーによって厳かに搬送されたのです。U先生は、このあたりがあの人たちのベストの時代だったのではないか、と考察しておられます。たしかに、大化のクーデタの実行者たちが目指したものが、全て完成した時点であるとも言えます。

八瀬地区住民の納税義務がどのように変遷してきたのか。それはこれからの研究課題としておきましょう。



八瀬童子(追補) テバ - 2007/05/20(Sun) 09:37 No.844  

あの時代、位階勲等・禁治産者などの人間の地位は、外形的に示される必要がありました。天皇の柩の搬送車たちは、全員頭髪を童子髪(わらべがみ)にしておりました。みずら(鬟)ですね。

このヘアスタイルはおおわらわ(大童子)とも呼ばれます。「おおわらわ」とは広辞苑では「力の限り奮闘するさま」とありますから、それほど否定的な表現ではありません。


母紙の問題 投稿者:テバ 投稿日:2007/05/06(Sun) 20:50 No.841  
母子の問題ではありません。

通勤電車の中で新聞を広げられるというのは、携帯電話の意味不明な片会話を聞かされる以上に迷惑です。広げたり畳んだり、その度ごとに周囲の人を肘でつついたり押しやったりしています。マレに座れたときにも、頭の上でガサゴソと大変にうるさいことです。こういう鈍感な新聞読みがいるということには、驚きを禁じることができません。多分、幕末・維新のころ、瓦版や新聞が読めることが一種のステイタスであったことの名残りなのでしょうね。

テバは万一に備えては、文庫か新書を携帯しています。

ところで、この文庫サイズというもの、どこに由来するのでしょうか。この不思議なサイズ、日本独特のような気がしていたのです。そこで、GWを利用して調査してみました。用紙というものには母紙というものがあります。これを二つ折し三つ折し四つ折し・・・このようにして用途に応じたサイズの用紙を入手するのですね。製本に用いる場合、この用紙は仕上がりサイズよりやや大きくなっています。小口を切りそろえるためです。

14種類の母紙を集めてみました。これを適当に二つ折を繰り返すと、文庫版より大きく、しかも、もう一度折ると文庫版以下になるというサイズに達します。その結果、どうもですね、「菊」という母紙が一番近いようなのです。文庫サイズは手許のものを適当に計ってみたもので誤差ありですが、菊判であれば短辺の小口を切り揃えれば文庫が簡単に出来上がりそうです。長辺の不陸については背表紙で隠せます。無線綴じでOKです。

ところで「菊」が怪しいというので更に調べたところ、Wikiにはこうありました。

『大きさは636mm×939mm。明治の中頃に新聞紙用として使われていた輸入紙を一般に売り出す際に、新聞の「聞」を花の「菊」に変えて菊印の名称で売り出したことから、いつの頃からか菊判になったと言われている』

なんと、文庫はあのガサゴソうるさい新聞の係累であったのでした。ここからは推測ですが、文庫本なんてえものには、本屋も極力経費をかけたくはなかったのでしょう。そこで一番安い新聞用紙をベースにしたのではないのでしょうか。文庫を開きながら、新聞ガサゴソの人を見かけたら、親類として暖かい眼差しを送ってあげなければいけなかったのですね。良く考えれば、どちらも安物の紙の上のインクのシミの鑑賞者なのでした。

とりあえず、今回の自由研究はここまで。



スレッド 投稿者:テバ 投稿日:2007/05/03(Thu) 10:00 No.840  
 
 Tell her to make me a cambric shirt,
 Parsley, sage, rosemary and thyme,
 Without no seam nor fine needlework,
 And then she'll be a true love of mine.

縫い目も細かい針仕事の跡もないカンブリック棉のシャツを作っておくれ、と男が要求します。そしたら嫁さんにしてやろうじゃないか、と。この男、相当ゴーマンなヤツだと思われますが、このバラード全体としては、女の方も相当な無理難題を要求をしてますから、引き分けということにしましょう。

しかし時代は変わりました。今では、針仕事はそれほどの難題ではなくなりました。その一半の功績を担っているのは「ニードル・スレッダー」というものです。これを日本人が発明したおかげですね。テバが先日入手したスレッダーに至っては、作業手順まで図解してありました。驚愕の作品というべきなのでしょうが、やはりね、何となくですが、感想がないわけではありません。そんなに眼が不自由でない若い女性ならば、針の穴に糸を通す苦労ぐらいはして欲しいな、というのは男のゴー欲でしょうか。

となると、ハムスターのホイールのごとく、話は元に戻ります。冒頭のスカボローフェアの世界も回帰します。

 Tell her to wash it in yonder dry well,
 Parsley, sage, rosemary and thyme,
 Which never sprung water nor rain ever fell,
 And then she'll be a true love of mine.

どこかの国と一緒で、要求は更に更にエスカレートしていくわけです。



イヌイット・キッズ 投稿者:テバ 投稿日:2007/05/03(Thu) 00:56 No.839  
ベーリング海峡に浮かぶセント・ローレンス島における、1888年ごろのイヌイットの子供たちのスナップということです。一番左にいる一人の女の子が何ごとかを主張しているようです。五人いる男の子のうち四人までが「ギョッ!」としているようです。さすがに、最年長の男の子だけは冷静そうにしています。

ところで、かれらのまとっているパンツ・上衣ですが、これらは純正なスキン・コート(生革のコート)です。これこそ零下数十度の極寒の冬を、モンゴロイドが数万年にわたって乗り越えることを可能にしてきたものなのです。現代のNASAの宇宙服の性能に較べても何ら遜色ない、程度の安物ではありません。



イヌイットの犬 投稿者:テバ 投稿日:2007/05/03(Thu) 00:45 No.838  
イヌイットには密接に生活を伴にしている家族、とも言うべき犬たちがいます。これはテバの独説ですが、コーカソイドとかネグロイドたちの背景にはそのような犬たちの姿が希薄なのですね。ひょっとすると、一時期、犬を牛や鯨のように扱ったのではないかな、と考えられるフシがあります。そんな重大な嫌疑をかけるのは大変に失礼なことだ、という意見もあるでしょうから、この話はここで止めましょう。

閑話休題。イヌイットの家族である犬は、成犬になるとかなりオオカミに近い風貌をしています。つまり人間の野生と犬の野生が微妙に調和している印象があるのです。しかしながら、仔犬のころは、不思議なことにまるまっちくて妙に可愛いのですね。カラフト犬というのがいますが、その小型版のように見えます。犬のDNA連鎖をモンゴロイドのDNA連鎖との関連で研究してもらいたいな、と希望します。



イヌイット 投稿者:テバ 投稿日:2007/05/03(Thu) 00:31 No.837  
人種というものは空想的概念にすぎないという説があります。それならば文化人類学が良いのかというと、ヘンな外人まで出てきますから、これも困ったことです。それはさておき、エスキモーの東半にあたる人々はイヌイットと呼ばれています。霊長類学的に大らかに述べさせていただきますと、彼らは明らかにモンゴロイドです。最近になって、日本列島の優先種モンゴロイド(いわゆる日本人)との縁戚関係が解明されようとしているようです。これだけでもワクワクすることですが、そんなことよりも何よりも、子供たちの様子を見れば、とても他人とは思えないことは確かです。



連休を楽しむ 投稿者:テバ 投稿日:2007/04/28(Blank) 19:50 No.836  
思えば丁度一年前。明日から連休という夕方、膨大な作業が舞い込みました。そう、昨年のGWは蜃気楼になってしまったのです。それから約1年(当たり前ですね)、今回はしっかりと連休に突入し、味わいつつ、軽く風邪などひいたりしています。これだけでも満足なのですが、そこはそれ凡俗の悲しさ、こいつをより楽しむ工夫はないかと考えてしまいました。あったのですね。お金もかけずに2倍くらいは楽しめるのです。

今回は、2日には出勤する予定なので、前半4日と後半4日というバランスの取れた構成になりました。前半に例を取りましょう。この4日を因数分解すると土曜+日曜+月曜+火曜となります。こう考えるのは、脳内にカレンダーが刷り込まれているからです。まず、それを停めましょう。今日と明日は空白の曜日で、その後に土曜と日曜が来るのだよ、と考えてみましょう。若干抵抗はありますが、やればできます魔法の合言葉。

明日の深夜、明後日との境目で劇的な発想転換をするのです。ああ、やっぱり今日は日曜で昨日は土曜だったんだ、このように思い直すのですね。カレンダー再開です。それは卑怯だ、裏切りじゃないか、という非難も聞こえそうですが、なーに、自分で自分の脳を裏切るのです。私の勝手でしょ、です。今までさんざん裏切ってきた自分のヘタレ脳を裏切るのですから、ザマーミロ感もあるはずです。まあ兎に角やってみましょう。

すると、あーら不思議、そこから2日間の特別なお休みが出現するのです。これは元通り月曜+火曜と呼んでも結構です。ここまでを日高リポート風に取りまとめます。テバの連休その1は、空白日×2+土曜+日曜+月曜+火曜ということになり、何と合計6日間にも達するのです。その2の後半4日間については、応用問題として考えてみてください。ただ、注意事項が一つだけあります。決して周囲の人々には教えないことです。

知的所有権の問題もありますが、何よりも「?」な人なんかな、なんて思われますから。

微熱あり。



ねこや 投稿者:テバ 投稿日:2007/04/12(Thu) 19:01 No.835  
そよ風程度にはそよがぬ馬齢を重ねておりますが、この看板を初めて見たときには、さすがに麹町と新宿のカルチャー・ギャップを、しみじみと感じたのでした。

新宿通りの本通りそのものに面したお店です。デジカメも持っていましたが、何か気が引けるところがあり、ケータイで撮りました。猫が担いでいるものが商品ですが、担がれていたのは実は猫自身でしたという、宮沢賢治先生も唖然とするような店名です。

ひとつだけ疑念があり、本日、社歴の長い方にお伺いしてみました。やはり、先輩の記憶では、この店舗、最初は本通りから一本裏筋にあったようです。それがオリンピックか何かで新宿通り拡幅の結果、一皮剥かれてそのお姿を現したらしいのでした。

国際行事の開催準備に熱中するあまり、日本における猫の処遇問題を、思わず表面化・国際化させてしまったという訳です。このあまりにもアジア的な顛末に感動し、ピンぼけですが、ご報告する次第です。オリンピックにはご注意をという教訓もあります。

「注文の多い『ねこや』」とでもすれば、この看板は完成形になります。

<とはいえ、この猫ちゃんの愛嬌振りに惹かれ、後日デジカメでも撮ってきました>



馬銜(ハミ) 投稿者:テバ 投稿日:2007/04/04(Wed) 09:47 No.834  
馬という生き物が人間と関わりを持ってきた順序は、食糧→駄獣→乗り物だったろうと推測されます。現在ではこの三種の用途すべてにわたって万遍なく人間様のお役に立っています。その他にも観賞用として動物園で飼われたり、ポニー公園で子供の遊び相手をしたりしていますが、これらはマイナーですね。

食糧・駄獣と乗り物の間には劇的な変化があります。現代の騎馬は、必ずといってよいほど、馬銜(ハミ)・鞍・鐙(アブミ)・蹄鉄を装備しています。

まず馬銜ですが、これは馬の背後から馬の進行方向をコントロールするためには不可欠な道具です。ほんの僅かな力の加減で馬の向きをコントロールできるわけで、ジャンボジェット機に張り巡らされた信号ケーブルにすら匹敵する大発明と言えましょう。馬銜がなかった時代には、人間は馬の前に回って手綱を引いて制御するしかなかったのですが、これでは馬の背には乗れません。

ラクダの場合も、馬銜が使われているようです(表紙のGallery 1を参照)。馬とラクダのどちらが先に馬銜を噛まされたのかという議論も面白いのですが、それは置いておくとして、最初の馬銜はただの木切れであったのだろうと推測されています。象の操縦は少々違うようですが、それほど一般的な乗り物ではないので、この際無視します。

騎馬の4大装備のうち、この馬銜が最初に発明されたということには異論がないようです。たとえ裸馬でも馬銜と手綱さえあれば騎乗が可能になります。馬の移動速度を入手した人間は、次に、遊牧という生活技術を生み出します。羊群とともに難なく移動することができるからです。羊は食糧であるとともに、フェルトにすれば衣類にも住居(天幕)にもなるわけで、衣食住の源泉です。



漂流親爺 投稿者:テバ 投稿日:2007/04/01(Sun) 21:53 No.833  
拙宅の近所に関西系の「公益社」の営業所ができました。関西系といっても、警察方面のお世話になる業種ではありません。どちらかといえば厚労省になるのでしょうか。

本日、その営業所そばを通りかかってびっくりしました。あの親爺が、営業車の横っ腹にドデスカデンと描かれていたのです。「あの親爺」というわけは、この親爺、電車の吊り広告でかねてより顔見知りだったからです。拳を振り上げているのですが、これは怒っているのではありません。60年安保の世代にとって、これは「私は強く主張する」という意味のボディーランゲージなのです。

何を強く主張しているかというと、これは吊り広告から知ったことですが、自分の葬式ぐらいは思ったようにやらせてくれということなのです。そうです、この親爺から後の世代は、自分の葬式のやり方にすら、既成概念に対してプロテストする根性があるのです。この親爺が葬られて初めて、戦後の始まりは完結します。テバあたりの世代にとっては、崇敬措くあたわざる親爺様なのです。

崇敬の念は置いとくとして、しかし、この営業車の使われるシチュエーションについて考え込まざるをえません。大病院ならそれほど目立たないでしょう(そうかな?)。しかし、閑静な住宅街にあってしめやかに訃を発している家庭の門前にもこの車を横付けするのでしょう。不幸を耳にして取るものも取り敢えずかけつけたご近所は、この親爺に思わずギョッとするのではないでしょうか。

あらゆるものにプロテストしてきた世代。かれらは、あらゆる世間から漂流せざるをえないのです。



駅近風情 投稿者:テバ 投稿日:2007/03/31(Sat) 02:29 No.832  
昨日は新横あたりに用があって行ってきました。案の定、鳥山川のほとりのような陽当たりのよいところでは、桜が満開でした。新横の駅ビルが着々と完成に向かいつつありました。そのかみ、新幹線が開通したばかりのころは、一面が空地や青空駐車場だったことが嘘のようです。このビルが完成しても新横になるわけではなく、全国どこにでもある書き割りのような駅前になるんだろうなと思われたことです。ラーメン博物館のスタジオセットみたいな横丁の方がリアルなんでしょうね。



津の守屋敷の桜 投稿者:テバ 投稿日:2007/03/28(Wed) 20:55 No.831  
美濃は高須藩三万石松平摂津之守様のお屋敷の隣におりながら、そのお庭を拝見したことがありませんでした。そこで本日の昼休みは昼寝をやめて、徘徊してみたわけです。切絵図ではそのかみ、殿様のお屋敷の中央には広大な沼がありました。河童沼と申し上げたようです。そこを目標に行ってみたのですが、現在は小さな池になっておりました。明治以降、沼は次々と埋め立てられていったようです。これも土地利用の近代化というのでしょうか。

最後に残った僅かな水面は、古称にちなみ「河童池」と呼ばれていますが、そのほとりにこれはまた小さな弁財天のお社がありました。その境内には、更に更に小さな桜が一本、ひっそりと満開になっていました。元来が窪地の中でも一番低い土地だったものを、今では周囲を建築物群にびっしりと囲まれています。それなりの日溜まりを作っているのでしょう。この一角にだけ、江戸の空間が時を超えて残っているようで、思わず茫然としてしまいました。

河童池から大通りに出るには、新宿、赤坂、四谷、市ヶ谷のどちらを向いても登り坂です。道中ポチポチと見かける桜が徐々に満開からほど遠くなる様子も風情でした。



地震情報開示 投稿者:テバ 投稿日:2007/03/26(Mon) 08:47 No.830  
震源パラメータというものがあります。地震を研究している学者さんのノウハウは、ほとんどこれに尽きているというほど重要なご託宣です。Wiki的にいうと、

『震源パラメータも観測される地震波形から求められる。まず地震波の初動が「押し」であるか「引き」であるかを識別してこれを図に描き、震源球を作る。これは整理されてメカニズム解として表される。すなわち、断層の走向(strike)、傾斜(dip)、すべり方向(slip vector)である。このメカニズム解と、観測された地震波形の振幅から、断層がどれだけ動いたか(すべり量)を決定する』

暗黒の地中での出来事ですから、地震波形を観測するしか情報はありませんが、そのメカニズムが推定出来るという優れものです。この発想は、実は、日本人が最初に抱いたものです。ノーベル地震学賞級です。最低3ヶ所の地震計があればメカニズム解のパラメータは求まります。現在では、IT時代の今日、ほぼリアルタイムで得られているのです。これは単なる数理工学上の問題なので、地震速報と一緒に流すことは可能なのです。

しかし最近まで、一般市民にとっての情報入手は極めて困難でした。テバが思うに、メカニズム解そのものに様々な解釈を施すことが、理学としての地震学だという先生たちが多数おられたのではないでしょうか。プレートテクトニクスがどうだとか、日本列島周辺のストレス蓄積がこうしたのとか、様々な解釈を加えてから「平文」で発表されるのです。その平文たるや「おそれ」とか「可能性」とか、株式市場の用語そのものなのです。

今回の能登半島沖の地震では、震源が海域であったわけです。したがって、誰もが津波のことを心配したのですが、F-netの解を見ると、「横ずれ」成分が相当に卓越しています。これはM6.7であっても上下動があまりないということで、「津波のおそれはありません」とまでは言えないにしても、一定時間経過後は相当の安心材料になるはずです。震源から陸地までの距離は約15kmですから、最初の10〜20分に何もなければ、あとは余震の心配をすればいいことになります。

そこで休日ということもあり、徹底的にソースを探索してみました。ありました。速報サイトができていたのです。

http://www.hinet.bosai.go.jp/

この四分割された球体を地震速報の横に貼付してくれるだけでいいのですがね。

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Modified by isso