★楽ガキコーナー★

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気象伝説 投稿者:テバ 投稿日:2007/08/20(Mon) 17:29 No.871  
不敗の王者「カチカチ山は燃えているか!くまがや」を抑えて、多治見を新たなスターダムに押し上げた今回の猛暑ではありました。熊谷の一般的市民の感想としては、「よかった、うちだけじゃなかったもんね」に尽きていると思います。しかし、熊谷の気象関係者(?)たちが切歯扼腕していることについて、知る人は少ないのです。この原因は、熊谷が部長級の「地方気象台」であるのに対し、新興の多治見がヒラの「測候所」に過ぎなかったことにあるといわれます。たった1時間差とはいえ、いわば金星をあげられたに等しいことになるようなのです。

ところでこの「台」というもの、官の組織名称としては珍しいもだなとは思われませんか。民間世界であれば、舞台、踏み台、番台、卓袱台、縁台等々、台というものはどこにでも転がっているというのにです。ここで弾正台があるよと思い当たられた方、あなたは鋭いと申し上げましょう。この「台」という官制はシーラカンス級の極めて古いもので、律令制に起源を持つもののようなのです。現在では府省庁に統一され、お天気を扱う中央の組織も気象庁とされていますが、この前身は中央気象台です。台は、庁に匹敵する組織として扱われていました。

天気予報というものがある程度の蓋然性で「あたる」ものであり、これは軍事作戦に有効活用することができる、ということを発見したのはクリミア戦争当時のフランス軍でありました。山川年表によれば1853〜56年のころです。これ以来、欧米は天気予報の技術開発に熱心になり、その総集編ともいうべきものが1944年のノルマンディー上陸作戦であったことは有名です。アイゼンハワー総司令官などは、Dデイのお天気の心配でノイローゼ気味だったようです。観測網を西側の大西洋上に展開できた連合軍は有利でした。ロンメルはここでも不運でした。

クリミア戦争から約20年、1875年(明8)に東京気象台が設置されました。1987年(明20)には中央気象台として発展的に改組されます。日清・日露の両大戦時には気象業務はシステマティックに運用されており、「本日、天気晴靄ナルト雖モ浪高カルベシ(*)」の伝説を残します。このあたりから日本の気象観測・予報は、中央気象台−管区気象台−地方気象台−測候所というハイアラーキの下で遂行されています。これは当時の通信が電報に大きく依存していたことや、天気予報を一種の軍機として保全をはかる必要があったことなどが背景にあります。

現在、アメダスや雨量レーダーは、全国の気象状況をリアルタイムで家庭に届けます。ピラミッド型組織が持つ意味は、観測という世界からはなくなりつつあります。今日・明日の天気予報についていうならば、もう業務は完全にフラット化してきており、民営化された(まともな)気象予報士を適所に配置すれば済むことです。これからの気象業務は、気候を中心とした、より困難な課題に否応なく追い込まれるのではないでしょうか。「気候予測」は、タイムスパンが長くなるので不確実性が大きく幅をきかせてくることになり、気象とは桁違いの混沌とした分野です。

しかし諸君、不確実性の世界へ再び Go!です。大変でしょうが、頑張っていただきたいと思います。気象衛星、地球シミュレーターを始めとして、大変に高価なおもちゃは買いそろえてあげたのですから。いまさら尻込みはないですよ。

(*)中央気象台の予報原文はこのようでした。この部分が連合艦隊参謀・秋山真之の手によって「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」と引用されました。なお、天文台の「台」も天子に奉仕する中央官衙であることの証しです。個人で運営するならば天文所ぐらいまでは遠慮する必要があります。



ジェットストリーム 投稿者:テバ 投稿日:2007/08/14(Tue) 11:47 No.870  
『遠い地平線が消えて、ふかぶかとした夜の闇に心を休める時、はるか雲海の上を音もなく流れ去る気流は、たゆみない宇宙の営みを告げています。満天の星をいただく、はてしない光の海をゆたかに流れゆく風に心を開けば、きらめく星座の物語も聞こえてくる、夜の静寂の、なんと饒舌なことでしょうか。…… ……夜間飛行のお供をいたしましたパイロットは、私、城達也でした。また明日午前零時にお会いしましょう……』。これはもう、テバのたちの世代にとっては、13ポイントのゴシックで完璧に脳内に刷り込まれているナレーションです。

FM放送自体が新鮮だった時代です。あのミスター・ロンリーのBGMは良かったですね。そういえばJALもナショナルフラグとして、大変に特別な地位を占めていました。親方日の丸だったのかもしれませんが、JALに搭乗するというのは国民としても憧れ・誇りでありました。すべてが右肩上がりの時代でした。城さんは、ジェットストリームが当たってしまったため、その後、人生の過半をこの番組に取り上げられることになったようです。テバが数少ないエッセイストとして評価する丸谷さんの「月下美人」篇に城さんが登場した時などは、オォ忙中閑ですか、と新鮮な驚きを感じました。

ところでこの殺人的な猛暑です。太平洋高気圧がやたらのさばっているというのが気象予報士のご託宣です。しかしですね、この情報潤沢な時代ですよ。その程度の説明では、地球より重い権利を有する市民に対して説明責任を果たしたことにはなりませんね。気象解説員とか気象論説委員を出せ、と言いたくなります。場合によっては会長に、受信料との関係について説明を求めたい……といっても誰も出てこないので、仕方なく自分でジェット気流を調べてみました。そこでとんでもない怠慢・手抜きを発見してしまったのです。告発せざるべけんやという気持ちになりました。

ジェット君の流速そのものが大変に情けないのです。たった80ノット(150km/h弱)なのです。一番元気な時の半分程度なのでありました。しかもその腰の引けぐあい。華北起点はいつも通りですが、日本列島はおろか朝鮮半島にさえ遠慮して北東に向かい、樺太の北端あたりに迂回するルートを取っているのですね。今年の太平洋高気圧ですが、はっきり言って、それほど強力なものではありません(現在1014hPa)。こいつが我が物顔に日本列島に猛暑をもたらしているのは、ジェット君の不甲斐なさのせいなのです。ジェット君の及び腰が全ての原因なのです。

ことここに至るや、一介の市井の民・テバの知力・財力をもってしては、到底打つ手はありません。一刻も早く、国連規模の介入が行われるか、ジェット君自身が自覚を持って立ち直ってくれることを祈るのみです。



8月の秋 投稿者:テバ 投稿日:2007/08/12(Sun) 14:12 No.869  
地震には震度階級というものがあります。明らかな階級社会です。その至高の位に座しているのが「激震」陛下です。その左右には烈震大臣や強震将軍などが侍しています。震度四以下なんてのは、まともな階級として扱われません。報道なんかでも「○○地方で震度4の地震がありました。棚からモノが落ちたりして、田中さんも驚いてました」程度の扱いです。震度5と6は「弱」と「強」に分けられました。テバはこれを「並」と「上」にすべきだと強く主張していたのですが……没。

ところで暑い日々がうち続く中で「猛暑日」という言葉をよく耳にします。このたびは畏きあたりにおかれても、ついに叡断を下され、公式気象用語に任じられたという噂なのです。これまで天下を我が物顔に壟断していた、夏日、真夏日等々の田舎大名などは小さくなっています。そうすると「猛震」というのも、という心配もあるでしょうか。大丈夫ですご同憂。地震の場合はメカニズムが相当解明されていて、マグニチュードで8前後がエネルギー的に上限だろうと言われています。

猛暑将軍閣下は「酷暑」関白殿下との天下分け目の一大合戦の末に、天下を取られました。しかし一敗地にまみれた態の酷暑関白殿下としても、関西の某所で力を養っておられるとか。いずれ猛暑では世の中が治まらなくなる。その暁に天下を統べるのはこの自分である、と、虎視眈々の構えを崩しておられないようです。地球温暖化のメカニズムが明らかでないことが、この政情不安の根底にあるようです。J党とM党との相生・相克に似た、空中戦的な権力闘争なのですね。

それにつけてもこの暑さ。何とかならへんのかいな、という問題提起があるのは当然です。テバも烏鷺覚えなのですが、あまりの暑さゆえ、失礼ながら調べずに記します。江戸の直参が大阪町奉行所に赴任していたころの狂歌です。

 この歳の  夏のあまりの  暑さゆえ
   お家(え)はんたちも  こけているなり

というような、ほのぼのとした惨状が印象に残ったようです。暑さにぐったりとした奥向きの午睡の点景でしょうが、まあカントモン(関東者)にしては、大阪弁をそこそこベンキョしはりましたわな。

しかしながら、町屋は町屋、武家は武家、です。テバが一心に念ずるのは、例の句です。

 あかあかと  日はつれなくも  秋の風

立秋の声を聞いた途端に、このモードに切り替えてしまうと良いのです。朝な夕な、夏バテで曲がってしまった背筋をシャッキリと伸ばして、はるかな天空を見上げてみましょう。澄み渡ったあの空を、十分に冷涼な気流がよぎっているのだよ、と主張しているのですね、この句は。松尾芭蕉の感性は気象衛星を超えていると思いませんか。そうそう、この立秋の空を "August autumn" と呼ぶこともあるようですね。「8月の秋」ですか。あちらにも風流を解する人士がおられるようです。



UNIVAC 1206 投稿者:テバ 投稿日:2007/08/05(Sun) 18:33 No.868  
60年代冒頭のスペリー・ランド社の到達点が UNIVAC 1206 です。シリーズ番号が付いていますが、この 1200 シリーズは軍用であったようです。一般のマーケットに登場したのは 1100/9000(90) シリーズの方でした。1206 は世界中の米軍のレーダーと通信リンクで結ばれ、5千マイルにわたってミサイルの照準を支援します。また、その範囲にある戦略爆撃機の経路を追跡します。8千kmというのは、アラスカも含む米国が、ソヴィエトのあらゆる地点をカバーできるということです。このシステムのセンターはデータリンクと密接に協働するわけですから、例のケープカナベラルとアセンション島に1基ずつ配備されました。後に衛星通信やエシュロンの時代になっても、この両地点の重要性は変わらないでしょう。

技師が一人、何かのモジュールを交換しています。この数日後、発足間もないケネディ政権が国際的に大恥をかいた、キューバ侵攻(豚湾事件)が起こります。この技師は、その作戦の準備としてキューバ関連の座標値をセットしているところなのです。最高司令官・大統領とその側近の文官たちも知らない、ささやかな作業です。キューバ亡命者たちの侵攻作戦が危機的状況に陥れば、米軍を出動させるという約束をCIAがしていたのですが、ケネディはこのことを知らされていませんでした。米軍出動はケネディ-マクナマラの強力なブレーキで阻止できましたが、アメリカのエスタブリッシュメントの怒りをかったことは間違いありません。また、全く逆の意味ですが、ソヴィエトにも対米不信の念を抱かせたようです。

60年代の様々な対立・事件の種が蒔かれているシーンです。

レミントン社、ランド社、スペリー社は既に一つの企業スペリー・ランド社になっています。あのバローズ社ですが、この会社は淡々と民生用コンピュータの分野で独特な地歩を築いていったようです。しかしついに、冷戦も終わりかかった1986年、スペリー・ランド社と一体化しました。新会社の名称はユニシスです。OSの「帝王」ユニシスが登場します。

1台のタイプライターが人類を破滅の瀬戸際まで案内したという、世にも不思議な物語でした。明日はエノラゲイ叔母さんの記念日ですが、第一話はここで終りとします。



ミサイルギャップ? 投稿者:テバ 投稿日:2007/08/04(Sat) 22:10 No.867  
人類の存亡にかかわるような危機的状況が、間違った判断を前提に処理され、しかもうまく回避されることがあるのか? というのが、この件に関するテバの率直な疑問です。アトラスミサイル開発の成功によってミサイルギャップを解消し、米国が優勢になりつつあるまさにその時期に、ソヴィエト優位と誤解させるような、センセーショナルな出来事が立て続けに起こったのです。

 1957年 スプートニク1号が地球周回軌道に
 1957年 スプートニク2号が地球周回軌道に(ライカ犬搭載)
 1959年 キューバ革命
 1961年 ボストーク1号でユーリイ・ガガーリンが地球を周回
 1962年 キューバ危機(ソ連製中距離核弾道ミサイルがキューバに配備)

誰かが煽ったのでしょうか。マスコミ?議会?軍部?産業界? 米国では国民的規模で、ソヴィエトの圧倒的優位が連日議論されています。現実には、アトラスロケットのペイロードは必要十分の域に達しており、弾着精度・弾頭軽量化の優位性までをあわせて考えると、核戦略については米国がソ連をはるか後方に抜き去っていたのです。

キューバに中距離核ミサイルを配備したフルシチョフの行動も、こうした対米的劣勢という正確・深刻な認識がソ連側にもあった証左という視点で眺められるのです。蟷螂の斧、アメリカは悠々とアトラスの戦略的展開を進めていけばよかったのです。戦略爆撃機群の米側圧倒的優勢もあり、ソ連が先に引き金を引くことなどはありえなかったのです。

しかし結局、米国は、核戦略という観点からは何らの価値も生まないアポロ計画に膨大な人材・資源を注ぎ込み始めるのです。ケネディを先頭とする国民的ヒステリーです。アポロ11号を月面に送り込んだサターンXなどは、軍事戦略上は何の貢献もしていません。国防総省からは馬鹿な浪費家の甥っ子にしか見えないNASAの仕業です。

ソヴィエトでは例のコリョロフ、米国においてはヴェルナー・フォン・ブラウンという二大頭脳を、両国の軍産複合体は、宇宙開発というおよそ軍事からはかけ離れた意味のないゲームに取り上げられてしまいました。月の石が幾つか入手できても対ソ戦には役立ちません。人類にとっては幸福な誤算の10年間と呼ぶべき時代だったかのもしれません。

アイゼンハワーの悪夢への回答というべきか、今に至るまで、第三次世界大戦はかろうじて先送りされつつあります。アインシュタインは言っています「第三次世界大戦でどのような兵器が使われのかは、想像さえできない。しかし、第四次世界大戦についてははっきりと予測できる。棍棒と石だけだ」と。世界終末時計は、まだ掛かっています。



マタドールかアトラスか (2) 投稿者:テバ 投稿日:2007/08/02(Thu) 21:43 No.866  
マタドールは所詮インター・コンチネンタルな戦略兵器のベースにはなり得ませんでした。モスクワとトルコの間にさえ1500kmという縦深性があるのです。マタドールは、いわば米国内外への目くらまし用ミサイルといった存在でした。

アイゼンハワー政権成立間もない1953年から1954年にかけて、米国防総省は米ソ間のミサイルギャップの評価委員会を秘かに設けました。このティーポット委員会の中心は、またもやあのフォン・ノイマン博士です。ソヴィエトは既に核出力が実用上無制限である水爆の開発にも成功しています。運搬手段としては、スターリンの粛清を生き延びたセルゲイ・コリョロフを代表とする航空宇宙工学者たちが、十分なペイロードを有する強力なロケットを開発していました。

急須委員会はその結論として、アメリカの軍事技術開発の目標とすべき2ないし3本の柱を建てるのです。核弾頭運搬手段の「パワーアップ」と目標到達精度の「向上」、そうして核弾頭の「軽量化」です。ソヴィエトの力任せの核戦略に対抗するために先端技術を結集するのです。ソヴィエトは全然気付いていませんが、アメリカに対してはコンピュータギャップで逆に水を空けられていたのです。地球ミサイルとかギガトン爆弾とか、派手な力への信奉しかなかったのです。

ここで提示された目標は、試行錯誤を重ねながらも、間もなくアトラスミサイルとして結晶し、1958〜9年頃に実戦配備可能な段階に達しました。ソヴィエトのスーパーヘビー級のパンチに対抗できるミドル級の精確なパンチを持ったボクサーの出現です。地上からの誘導は不可能ですから、ジャイロとコンピュータによる自己定位-軌道修正フィードバック機構を内蔵していたのは当然です。これらの技術は、将来、多核弾頭ミサイルへと進化・展開していくことになります。

アイゼンハワーはその退任演説で、米国を支配しようとする軍産複合体の脅威について縷々述べています。こうした背景があったとするなら、大いに理解できることです。逆に、スペリー・ランド社の繁栄は約束されています。

それにしても、鰻の寝床みたいな話になってきました。テバとしても、このQwertyに始まった話がどこで終わるのか判らず困っているのです。お許しを。



マタドールかアトラスか (1) 投稿者:テバ 投稿日:2007/07/29(Sun) 15:27 No.865  
1950年代は、アメリカの核戦略が大きくカーブを切ったと10年間と言えます。背景はもちろん「冷戦」ですが、その路線転換の根本にあった一つは、核弾頭の重量の問題です。50年代冒頭の核爆弾はヒロシマタイプからほとんど変わっていません。従って、これを目的地に配達するには重爆撃機級の運搬手段が必要だったのです。この延長上にあるのが巡航ミサイルの先駆けともいえるマタドール(MATADOR)です。その原理はドイツのV-1にそっくりだと見る人もいます。次のアトラスがV-2的であることと好対照です。最初に実戦配備されたマタドール搭載の核弾頭(もはや爆弾としての独立性はありません)は1.5トンの重量がありました。

巡航型とはいえ、マタドールはレーダーとコンピュータによって地上から誘導されなければなりません。したがって、射程距離的にはあまり芳しいものではなく、400km程度とされます。このレインジの不足を補うために、第一に、ミサイル自体に自己定位機能を持たせました。スペリー社のジャイロスコープの出番です。次に、情報リンクにより、ミサイルの現在位置に応じた針路補正指令を出せば、レーダーの限界を超えた遠方に核を送り込むことができるわけです。針路補正指令を出すのはレミントン・ランド社のUNIVACです。この結婚を恒久的なものにするためかどうかは知りませんが、両者は1955年に合併してスペリー・ランド社となります。

情報リンクの拠点は2ヶ所に置かれました。ケープカナベラルと大西洋のど真ん中にある英領・アセンション島です。いにしえナポレオンが流されたセントヘレナ諸島に属するアセンション島は、大西洋海底ケーブルの重要な交叉点であり、欧州、アフリカ、南米に睨みをきかすことができる位置にあります。アングロ・サクソンの地政学的直観の凄味を感じさせます。しかしながら、マタドールシステムは技術的なブレークスルーの前に敗退します。それは弾道ミサイルの登場と核弾頭の小型化です。マタドールの遠い子孫が、トマホークなどの巡航ミサイルとして結実するには、長い歳月の技術的蓄積が必要でした。



UNIVAC登場 投稿者:テバ 投稿日:2007/07/28(Sat) 14:39 No.864  
不思議なことに、最初にレミントン・ランド社が世に出したノイマン型コンピューターは、UNIVACとしか呼ばれていません。シリーズのナンバーがないのです。エッカート・モークリー社を吸収した直後のことです(1951)。究極の自信作であったことの証しなのか、タイプライター屋時代の癖なのか、それはよくわかりませんが、第一号機は連邦統計局に納入されました。

翌年(1952)は大統領選挙の年です。ここでUNIVACは離れ業をやってみせたのです。投票が終了する前の時点でドワイト・アイゼンハワーの当選を予測したのでした。これは当時、 "fact-power" つまり「事実の力」などと喧伝されています。今日でもアメリカ人の数字マニア・統計マニアぶりは有名ですが、その最初の一押しをしたのがUNIVACだったということです。

時々 UNIVAC I と呼ばれている事例も見かけますが、遡って後付けしたシリアルです。入力用のテープは金属箔で、出力はもちろんレミントンの電動タイプライターでした。



スタートライン 投稿者:テバ 投稿日:2007/07/21(Sat) 18:45 No.863  
閑話休題

レミントン社、ランド社、バローズ社、スペリー社と、4大スターの紹介がこの話の始まりです。最初の2社は早々に合併してレミントン・ランド社になっていますので、第二次世界大戦が終わる頃には3大スターということになります。

1946年に革命が起こります。ノイマン型算機・ENIACが制作されたのです。ENIACの凄さは、電子的に駆動され、実用的な範囲と量の数値を扱う事ができ、数値を扱う分野での汎用性があるということです。ペンシルバニア大で組み立てられました。

17468本の真空管、70000個の抵抗器、10000個のキャパシタ等で構成された、幅24m、高さ2.5m、奥行き0.9m、総重量30トンという化け物です。原始的なパーツばかりでしたが、OS、CPU、メモリー、プログラムという明快な構成を持っていました。

余談ですが、これに携わったエッカート氏とモークリー氏は、後にエッカート・モークリー社を起こしています。この会社は、間もなくレミントン・ランド社に吸収されます。



海を越えた者 投稿者:テバ 投稿日:2007/07/21(Sat) 08:15 No.862  
アラブ側の交渉役は、今や捕虜の身となった強大な西方キリスト教国の王に諭します。「あなたのように良識もあり、知性と教養を持つ方が、何故、このように海を渡り、無数のムスリムが住む地域にやってきたのですか。われらの掟に従うなら、このようにしてやってきた男には、法廷における証言資格がありません」

 王「それはまた、なぜ?」

 ア「頭が少し足りない、と判断されるからです」

1250年、まもなくアイユーブ朝の看板はマムルークへと塗り変わるのですが、サラディンのエスプリがいまだに満ちあふれていた首都カイロでのやりとりです。なおこの聖なる王は、この時から500年余の後、大西洋を越えた新大陸において、その名をセントルイスとして永く留めることになるでしょう。



病院クラシー 投稿者:テバ 投稿日:2007/07/20(Fri) 18:27 No.861  
久しぶりに病院に行ったら、今度は診察室からの呼び込み方式が変わっていました。自分の順番が近づくと中待合いで待機するわけですが、そこでは先生がインターホンのようなもので「○○さん△番の診察室に」と呼びかけていたわけです。患者さんからすれば、自分の名前を馴染みの先生の声で呼ばれるわけですから、「ハイッ」という感じで入室してました。

それがですね、本日は、名前ではなくて整理番号で呼ばれているのです。それも4桁のアト・ランダムな数字です。最近、総合受付のあたりにおかしな機械が導入され、外来はそこで診察カードを入れさせられるようになりました。すると、コンピュータが病院全体としての受付をし、代わりに整理番号を一括交付するのです。年金のことを思うと落ち着きません。

しかしまあまあ稼動しているようです。そのかわり、各科の受付カウンターにいる事務員の質が、明らかに低下しています。そうです、派遣と覚しき男女なのです。切り替わったばかりの頃はあれやこれやの混乱があり、われわれベテランクランケが手順を指導したりしたものです。もちろんクランケはボランティアで、指導料が出るわけでもありません。これが約半年前。

このシステムを活用して、もう一つの課題に挑んだことのようです。それは「個人情報保護」です。個人名は一切使わない究極のシステムへ向けて、また前進したようです。いつぞやインターン事件がありましたが、その当時から管理当局にとっては頭を悩ませる課題であったようです。この度の受付システムの完成は、彼らにとって千載一遇の好機だったわけです。

しかしですね、もしもですね、あなたが90歳の婆さんや70歳の爺さんだったとしましょう。そうして手にした整理札には4桁の乱数が記載されています。そこでいきなり「9106さん8番へ」と合成音声でやられるとします。十中八九、自分のこととは思いませんよね。「おやおや、誰だろ。早く行ってあげればいいのに。先生も忙しいのにさ」と思うようなら、まだ気がきいてます。

しばらくすると、業を煮やした先生が、診察室のドアをそっと開けて「○○さんどうぞ」と、あたりをはばかる小さな声で呼びかけます。おやまあ、あたしのことだったのかい、それではと、どっこいしょ、ということです。患者を呼び込むという診察室のイの一番の機能に大きな障害が生じているようです。この件をテバの赤髭先生にサウンドしてみました。診察が一段落したところで、

 テ「とうとう患者の実名を使わない呼び込みシステムが完成しましたね。官僚主義の勝利ですか」

 先「まったく、手間と時間ばかりかかるようになって。最近はロスばかりですよ」

 テ「高齢患者の個人情報保護と病気のことを同時に考えるって結構難しいですよね」

 先「たとえば、実名使用可とか登録しておいてくれるといいんですがね」

 テ「高齢者の個人情報に関心を持つ人って、サギ師とか……でしょ」

 先「確かに……。うん、警察に張り込んでもらうというのもいいな」

先生の思考は、あくまでもプラクティカルなのでありました。最後にお勘定ということになるのですが、会計カウンターでは堂々と実名で呼び出していました。官僚主義も、ゼニカネの世界を前にしては無力なようです。



ジャイロスコープ 投稿者:テバ 投稿日:2007/07/18(Wed) 23:29 No.860  
回転するコマ(独楽)の軸が一定の方向を指し示すということは早くから知られていました。これを機械的に実現できれば、コンパス(磁針)に相当する道具ができるに違いありません。アイディアはずっとあったようですが、実用機が実現されたのは第一次大戦の直前でした。エルマー・スペリー氏が開発し、スペリー・ジャイロスコープ社を設立します。艦船や航空機用としての爆発的な需要があったことは言うまでもありません。

なお、ジャイロコンパスというのはコマ(磁針)そのものの器具で、ジャイロスコープとなると、これに種々のセンサーを搭載してオートパイロットにまで発展できる装置です。角速度を検出すれば緯度ばかりでなく経度も標定できるのですから、現代のGPSの出現に匹敵する出来事だったのでしょうね。



機械式計算機 投稿者:テバ 投稿日:2007/07/17(Tue) 18:10 No.859  
パスカルに始まるとされる機械式計算機の頂点に立つのがバローズの加算機です。基本的には加減算用のマシンなのですが、これを繰り返すことで乗除算を行うこともできます。器用な人は加減算機能だけを使って平方根を求めることもできました。とはいえ「繰り返し」は大変な労力です。そこで、最終的には電動式のものが登場します。この電動式が登場したのは、日本では大正時代にあたり、関東大震災のころです。

しかしながら帝都復興に大活躍したのは、それ以前に日本で国産に成功したタイガー計算機です。こちらは手動でした。大勢の設計技師が腱鞘炎になったことでしょう。

テバが社会に出たばかりのころ、このバローズを群馬県の山中の某所で見かけました。現役でした。なお、騒音は相当なものでした。



Colt Government 投稿者:テバ 投稿日:2007/07/16(Mon) 11:33 No.858  
レミントン・ランド社になってからの最初のヒット製品は、M1911A1というアメリカ合衆国の制式拳銃でした。これはブローニング氏が設計しコルト社が開発したものですが、最終的には官給品という栄誉を担いました。そこで「コルト・ガバメント」と呼ばれます。この拳銃に採用されたショートリコイルという方式が、発射時の反動吸収性や銃身安定性において抜群の性能を発揮したので、45口径という大口径でありながら広く普及するに至ったようです。日本では「コルト45」などとも。

多数の会社によって製造されていますが、最も大量に製造したのはレミントン・ランド社だったようです。タイプライターなど事務用品の生産ラインが役に立ったということでしょうか。ホチキスでもそうですが、事務用品と兵器というのは近縁関係にあるようですね。



Qwerty 投稿者:テバ 投稿日:2007/07/15(Sun) 19:42 No.857  
キーボード配列の一方式ですが、これは今を去ること130年以前に、レミントン社が発売したタイプライターを遠祖とするようです。現在お使いのキーボードの左上肩を見ていただけば、「QWERTY」となっているはずです。全世界で圧倒的シェアを占めていますし、この配列を変えることは事実上不可能だろうと言われています。

この配列はアルファベットの使用頻度に基づいているとされますが、詳細は不明なようです。クワーティあるいはクウェルティと訓むようです。このタイプライターで一山当てたレミントン社ですが、20世紀に至りランド社に吸収合併され、レミントン・ランド社となります。ランド社は一種の総合事務器メーカーだったようです。



米俵から見た武士道 投稿者:テバ 投稿日:2007/06/30(Sat) 18:00 No.856  
うろ覚えで申し訳ないが、たそがれ清兵衛の家禄は確か、50石3人扶持であった。しかし、これはどうも「名目」であったらしい。たとえば四公六民の制をとる藩であれば、手取り石高はその40%となる。清兵衛の例では、これに扶持米3人分を加えるが、それは石高に換算して5石にも満たない。すると手取りベースではせいぜい25石弱である。名目の半分以下に変わりはない。当時の人は年間に米1石を消費したという説もある。エンゲル係数は極めて高い。

幕末期になると、殿様はじめ江戸表の生活経費が高騰する一方、幕府からの各種賦役(海防等)の負担が大きくなる。このため、藩庁による「お借上げ」という形の欠配が当然のようにまかり通っていた。もちろん藩当局に返す気はない。清兵衛は名目で20石相当を借上げられていたから、手取りは16〜17石まで目減りしてしまう。これでは食べていくのが精一杯である。冠婚葬祭・病人等の不時の出費には耐えられない。清兵衛も亡妻の医療費の借金を抱えていた。

現在価値に換算するのは大変に難しいのだが、無理矢理やってみる。一石が140kgとして、米1kgを400円ぐらいとすると、清兵衛の年間手取りは90〜100万円ということになる。米1石が1両として1両を6万円前後とすれば大体合っているようだ。これに「加役」という手当てが付いたとしても、せいぜい20%増しだろうから、120万円ぐらいだろう。清兵衛が、藩命とはいえ、余吾善右衛門の始末を引き受けた背景には、「加増」の誘惑があったことも否めない。

幕府の貧乏御家人をはじめ、日本の下級武士の経済基盤はこのようなものであった。この根本の原因は、幕藩体制というものが戦時編制を前提としていながら、体制を見直すことなく200年もの平和な時代を過ごしてしまったことにある。下級武士の過剰雇用と極端に歪んだ給与体系が、延々と続いたのである。万石という家禄を持つ家老がいるが、これは戦時の費えを前提としているので、平時には必要のないものだったのだ。武士の貴賤を金で量る世の中になる。

誰かがどこかで書いていた。50石の家でも200年も続けば1万石である、と。「穀潰し」と言いたいのだろうが、実態が上のようであれば、よくぞ辛抱した、とも言えるのではないだろうか。農・工・商にはない独特のエトスも醸成された。もっとも、これも現在では風前の灯火(ともしび)だ。海外の親日家には合わせる顔もない。



やはり野に置け 投稿者:テバ 投稿日:2007/06/28(Thu) 20:15 No.855  
昨日から今日にかけて大阪にトンボ返りしてきました。これは、昨日のことです。

新幹線の指定はC席でした。やや混んだ時間帯だったのですね。そこで不幸に見舞われたのです。隣のD席が、備品フル活用タイプの前髪全面潰滅型のおじさんだったのです。いますよねこういう人。何となく血圧が高そうな人です。まず、リクライニングは極限まで倒します。上の棚の膝掛け毛布は当然のように降ろしていました。窓枠のおもちゃみたいなハンガーには背広の上衣を掛けてます。ズボンプレッサーやパジャマでも置いといたら面白いことになるぞと思います。もっとも、もう一つのハンガーはテバも利用しましたけれど。

しかしこの人は、リクライニングとは全く関係のない人でした。しょっちゅう、鞄の中から書類を出したり戻したり、手帳を出したり戻したり、いやもう、活動最盛期のハムスターのような方なのでした。軽く一眠りでもと期待していたテバは絶望です。読書以外になすすべあらんや、といった状況に陥りました。そのうえ、窓際のDという立場なら少しは遠慮があるべきだとは思うのですが、頻繁に目前の上着のポケットから携帯を取り出し、通路側Cの前を通過し、電話をかけに行きます。帰ってくると、上着のポケットに携帯を乱暴に放り込みます。

翌朝、つまり今日の朝です。テバは上本町のホテルで目が覚めました。お仕着せの三千二百円也という、自分では絶対選択しない朝食も済ませ、チェックアウトすることになりました。背広の左ポケットに異物の存在を感じました。こわごわ取り出してみると、ピッチでした。070-XXX……というテプラが貼ってあります。あの京都で降りた前頭葉発熱おじさんの置きみやげに違いありません。そういえば昨日は、大阪の暑気に降参して、上衣はずっと持って歩いていたのでした……これをいかにとやせん、というのが朝一番の課題とは……

とてもそんな時間的余裕はありません。そこで、エレベータ・ホールの花台の上にそっと置いてきてあげました。花さん、ご免ね。その後、手を洗いました。



北の開拓地 投稿者:テバ 投稿日:2007/06/24(Sun) 07:38 No.854  
明治の開幕にあたり、当時の新政府は、北の大地を本格的に開拓することを決心しました。それは、幕政期の後半の基調低音であった北辺の守りと、幕末・維新の動乱で混乱した社会を鎮めるためのガス抜き、という課題を併せて解決するためでした。しかしそれは、当初考えられたほど順調には進展しなかったようです。

その原因については様々な考察がなされています。しかし寄る年波、そんな緻密な議論に延々と付き合う気力も時間もありません。そこで最近では、三大原因論から説明を試み、これで説明不能なものについてのみ更に研究するという、短気的省略学派の立場に立つことにしています。三大原因とは、ヤネ、コメ、コミです。

まずヤネ(屋根)からいきます。内地型のヤネを持ち込んだことが最初の失敗でした。あの豪雪地帯です。最初の越冬から多くの家が潰滅してしまいました。現在見られる切妻式の傾斜の大きなヤネに辿り着くまでには、相当多くの人命・財産が失われたようです。根雪を知らない地方からの集団移住地などは、それこそ狙い撃ちです。

次はコメ(米)です。一大酪農地帯を構築するという目標も掲げられましたが、日本人である以上、お米は不可欠です。しかし一方、稲は亜熱帯にルーツを持つ栽培植物です。主食の内地依存は非常に長い歳月にわたって続きました。北の大地にチューニングされた安定品種(寒冷地米)が登場するまでに、100年近くの試行を必要としたのです。

最後のコミとは、一島としての地縁的コミュニティーの成立を欠く問題です。その行政は開拓使に始まり紆余曲折を経ましたが、一貫して「中央直轄」でした。三百諸藩からのアトランダムな入植地群が東京から分割統治を受けてきました。一島ナショナリズムなど、なかなか成長するものではありません。この問題は将来まで残るでしょう。

最近、妙な事件が起きていますが、これを考察するための参考としてまとめてみました。



ラーメン語 投稿者:テバ 投稿日:2007/06/21(Thu) 21:49 No.853  
久しぶりに、Uセンセイとのやり取りのご紹介です。まずテバからです。

『テレビでふと見た1シーンです。ラーメンをホメながら、

 「味が計算され尽くしていますね」

とやってました。日本語はもう駄目ですね』

Uセンセイから、ご懇篤なご教示をいただきました。

『ブッシュの英語はこのレベルだそうですね。

このように主語がずれていく現象は、コーランの日本語訳にもしばしば出てきます。コーランは「ムダル族の言語」で啓示されましたが、アラブ世界が広がるに従ってアラブ語は乱れたのだそうです。そして、どうやらアラブ語というのは、僅かな変化で異なる意味あるいは異なる動作主体を示すらしいのです。それで、コーランが読めないという事態に至ったらしいのです。

日本も、ラーメン語アカデミーをコルドバあたりに作らなければならないようです』

主語の曖昧さを一大特徴とする日本語で、主語が漂流を始めています。アラブ語の運命を辿ることになるのでしょうか。日常会話なのですから、深刻さは一入のはずです。お経が読めない程度の話ではありません。



「父の日」きたる 投稿者:テバ 投稿日:2007/06/17(Sun) 18:47 No.852  
もうハンカチーフを使わなくなって久しい。ある時、ふと思い立ち、手拭いに切り替えたからである。洋式の生活でも手拭いで十分通るのである。薄手の吸湿性のよい木綿は、ハンカチよりはるかに日本向けな高機能アイテムである。使ったことはないが、応急手当などの際にもハンカチより適しているのではないだろうか。細長く裂くと包帯にもなるのだ。

ポケットチーフの代わりは無理だと思うが、それならハンカチで頬かむりができるのか、と軽〜くイナしておこう。旅先などでも洗って吊しておけばあっという間に乾く。残念なことに当今、いろんな所で売ってるというシロモノではない。民族の魂、いまいずこ……である。民芸調の小物を売っている店が一番いい。おかげで何軒か発見することができた。

ベーシックには白い晒し木綿なのだとは思うが、このテの手拭いはあまり売られていない。白いハンカチが売られているのに、どうもおかしな世間である。そこで柄入りということになるが、これが結構楽しい。手拭い屋さんの職人芸的意匠なのだろうが、リリカルなものから四季の花々、動物あるいは家紋風のものと、バラエティーに満ち満ちているのだ。

今年の父の日には、子供たちから動物柄の手拭いを貰った。ようく考えると兎は福を招き、犬は邪気を去る。ゲンの良い取り合わせである。・・・さあ再び夏だ。この手拭いで乗り切ろう。

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