★楽ガキコーナー★

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何のための体裁? 投稿者:テバ 投稿日:2007/11/12(Mon) 22:36 No.895  
新しいサーバーでは、HPがサクサクと描き変えられるのが嬉しくてたまりません。装丁(丁裁)に凝っているうちに、時間が過ぎます。一方では段々と、気に入ったカットに出会えなくなってもきます。とはいえ……ここまでくると引っ込みがつかなくなりました。あと四つです。ガンバって探索してみましょう。

「しかしひどい趣味だ」などと言わないでください。自分でも分かっているのですから。



名古屋は相変わらず元気なのだった 投稿者:テバ 投稿日:2007/11/02(Fri) 21:58 No.894  
昨日は、朝一番で小松空港に飛びました。もちろんバリバリのビジネスモードです。午前中は石川県とか富山県をウロついていましたが、その午過ぎには特別にオーダーして、東海北陸自動車道を一挙に南下してもらいました。理由は? やってみたかったからです。名古屋のホテルに着いた時は、とっぷりと夜でした。遅い夕食に打ち連れて出かける途中で、例の高名な巨大マヌカンが野球のユニフォーム姿でいるのに遭遇しました。そのおかげで日本シリーズのことを思い出しました。

早め早めに切り上げて、ホテルの部屋にも早目に帰室しました。これならば8〜9回のクライマックスには十分間に合うだろうとTVを点けたら、ちょうどもう、表彰式が終わるところでした。物凄く早い試合展開だったようですね。結局、この1世紀に2度あるかないかというレア・カードのライブを見逃したのでした。そうすると、折角名古屋に泊まりながら損なことを・・・などという気持ちも湧いてきます。で、一体何を損したの? と問われても答弁に困ることではあるのですが・・・☆☆☆☆彡

歓喜のあまり、昨夜は随分大勢の名古屋人が、栄区の噴水広場で身投げしたようです。しかし今朝通りかかったところでは、実に静穏でした。名古屋の人は「けじめ」があるんだなー、などと思いましたが、県庁・市役所前にさしかかったところ、大々と祝勝横断幕が掲げられていました。これを見て、そうでもないのかな〜、とも思ったことです。まあ、テバのリニア・プレディクターで計算しても、次は2060年ですから、役人たちが多少浮かれる気持ちもわかります。今回は許しましょう。

それにしても「名古屋は元気」が続くことです。

・・・以上をUセンセイにご報告申し上げましたところ、頂いたご返事です。

 ◯◯◯◯◯◯○○○○○○○OOOOOOoooooo。。。。。。............

◎この人形は、ナナチャンと言います。名鉄セブンのシンボルだからです。様々な格好をしますが、衣装によっては直下を通過するのを憚るようなのもあります。

◎53年前の中日の優勝は、私が四年生の秋に○岡から名古屋に転校したときです。近所の子どもたちに誘われて床屋の窓に鈴なりになってテレビを見ました。生まれて初めてのテレビでした。

◎次は私が110歳になってからです。



天岩戸起源国 投稿者:テバ 投稿日:2007/10/28(Sun) 09:00 No.893  
昨今、神様がマジで常時激怒しておられるということは、皆様も肌身に感じておられるのではないでしょうか。しかしテバは心配です。この神様のお怒りを少々軽く見ておられませんか? 神様といえども人格ならぬ「神格」をお持ちなのです。したがって、お怒りの涯てにはおキレになるということがありえます。このようなことは過去にもありました。

あちらで有名なのはノアの時代にキレた事件ですね。ノアの一家・家畜と野生生物各1ペア以外は、全部殲滅されてしまいました。人類が未だ手にしていない大量破壊兵器である気象兵器を用い、地上を洪水で覆ってしまったのです。現在地上最強と言われるアメリカですら、これだけの強大な兵器を保有してはいません。神に祈り・縋るのみでしょう。

ところで弊国です。天照大神もキレました。本件の場合、大神様におかれては洞窟にそっと退隠されたのでした。とはいえこれは、更に強力な天象兵器ですね。「核の冬」クラスの大災害を招来するものです。この事態が継続すれば、地上では、哺乳類が全滅して昆虫帝国になっていたでしょう。ゴキブリかアリンコのいずれかが覇者になったでしょう。

ところが日本には、八百万の神々がおりました。残り七百九十九万九千九百九十九柱の神々が請願行動を起こします。(当時の日本国人口は、これよりずっと少なかった、と指摘する学者もいるようです。)そうするとあら不思議、誰が悪かったの、彼は良かったの、という議論は抜きにして、地上には、いきなり平穏な日々が戻ってきたのです。

これもある種の解決策ではありましょう。素戔嗚尊などを被告にして「平和に対する罪」とか「人道に対する罪」に関する法廷が開かれたという形跡もありません。これがこの国の成り立ちであり、現状でしょうね。住み心地は別ですけど。



官寺考 投稿者:テバ 投稿日:2007/10/27(Sat) 22:39 No.892  
昨日は時折雨の降る大和盆地で、あちこち移動しておりました。主に薬師寺のある西の京周辺です。そこで伺った話で、関心が湧いてきたことがあります。お寺の経済的基盤の歴史的変遷です。「官寺」という言葉は知っておりましたが、大した知識もなく今日に至りました。しかし本問題の根幹は、その辺にありそうだな、という予感を抱きだしたというわけなのです。従来は、坊主○儲けとかいう事だろう、などと、この件に関して考察を怠っていた自分を反省もしたのです。もちろん、付け焼き刃で論じられるようなことではありません。深い研究が必要です。

しかし初めての知識として、薬師寺には檀家がないのだよ、という説明を聞いた時はショックを受けました。遙か、吾妻はやの野に育った夷の子孫としては、冒頭理解できませんでした。どの家にも何らかの旦那寺がぶら下がっており、その寺を檀家が合力して扶養する、これが社会の常識だと思っていました。しかし、南都七大寺あるいは六大寺に関しては檀家がないのだそうです。そういえば、うちのお墓は東大寺やで驚いたやろが、なんていう奈良県人には出会ったことがありませんでした。以前、2年間も住み暮らしていながら、迂闊なことではありました。

お寺にも、国立、公立、私立の区別があったんですね。それによって経済的な支持基盤も相当異なっていたようです。国立の場合は建設費も維持費も国が負担してました。この典型が大和七大寺や叡山・高野山です。公立というのは、建設費は国が補助しますが維持費は地方庁(国司)の責任となる国分寺などです。若干の寺領は与えられましたが、徐々に国司の私領に組み入れられ、結局は都の権門勢家に寄進されたりして、うやむやになったようです。私立としては本願寺なんかが代表でしょうね。しかも現今と異なり、私寺助成金なんていうものはありませんでした。

国立戒壇というエリート養成機能もありましたが、国庫から支弁している以上、官寺には国家の根幹にかかる義務が課せられていました。大和七大寺の創建当時は、経典のお守りが割り当てられていました。例えば東大寺には華厳経の研究・管理を、といった具合です。玄奘三蔵取経大旅行のお土産ですね。密教の時代ともなると、これはMXの資本論に匹敵する政治経済システム理論ですから、天皇制そのものの護持ということが使命になります。檀家なんざ不要というか、そんなもんにかかずらう暇もありません。もっとも当時の庶民には、ロクな墓もありません。

その後は世の中の方が、中世に突入したり、封建制へ転んだり、明治維新・「廃仏毀釈」等々、大きく転変を遂げます。その研究は今後の課題として、この官寺群のことです。よくもまあ、ここまで生き延びて来たものだと、溜息が出るような思いで、雨に烟る薬師寺を遠望したのでありました。



シンゾー君の影 投稿者:テバ 投稿日:2007/10/22(Mon) 08:33 No.891  
心臓が二房二室から構成されていることは有名な話です。この房とか室というのは、政府の機構にも色濃く残っていますね。官「房」長官とか内閣調査「室」長とかです。しかし4つもある「弁」について多くを語る人はいません。弁慶なら知ってるよとか・・・・単なるスウィングドア程度の認識なのでしょうか。

そういう認識の方々には、とりあえずお引き取りいただきたいと思います。

というのも先週のことです。初対面のクリニックに行ったところ、いきなり超音波心エコーの検査をされました。例の貧寒な検査ベッドに横たわった時にはギョッとしました。目の前に液晶カラーディスプレイがあったのです。これは例のインフォームド・コンセント対策なのですかね。医療技師と同じ画面を患者も見学しなさいという仕掛けだったのです。

いやはや疲れました。自分のシンゾーの弁が、「ヨッコラショ」とも言わずに、毎分60〜70回も動いているのを目撃するのですからね。うんじゅー、そんなに無理するもんじゃないさー、少しは休んでもいいんさー、という倒錯的感覚にさえ引きずり込まれます。だんだんショックが薄らいで、心境的にも余裕ができたので、技師さん(女性)に訊ねました。

 テ「これはなんですか?」

 技「僧帽弁です」

 テ「これは?」

 技「大動脈弁です」

 テ「動きが変じゃないですか?」

 技「それは先生が判断されます」

そうなのでした。この技師さんの答弁は適確そのものなのです。判断能力・権限・責任が全然ない二人のやりとりでしたからね。しかし、それはそれとして、何ということなのでしょう。人間にとって一番大切なものとされる「心」を共有している男女だというのに。この二人には、これから先の人生を模索・検討することすらできなかったのです。

このペイシャント用ディスプレイは要らないな、と思いました。なぜなら、心臓に悪いからです。



カツカレー・1丁! 投稿者:テバ 投稿日:2007/10/21(Sun) 08:52 No.890  
つまらない話です。埋め草で恐縮です。

東急日吉駅には駅ビルがあります。そこの2階にうどん屋さんがあります。食欲減退の酷暑のみぎりなどには、夏バテ克服のためにカレーうどんを頼んだりしています。

もう少しいいかげんな店なら、カレー蕎麦もあることでしょう。テバとしてはそちらの方がいい時もあるのですが、「うどんひと筋」の店なので、蕎麦系のメニューは一切ありません。どころか、ご飯物絡みのセットメニューでも、必ずうどん絡みなのです。蕎麦アレルギーの方々にはご推奨といったところです。この根性には惚れたというのか、参ったというのか、仕方なく愛用しているのです。日吉駅周辺軽食店・ベスト5には入れています。

ところで去る金曜日、時あたかも午後1時ごろです。ちょうどそのような運びになって、このうどん屋さんを訪なうこととなりました。さて、と、(これは誰でも一緒ですが)メニューを取り上げ詮索を始めました。ここで何と、驚くべきことに(これも誰でも一緒でしょうが)、「カツカレーうどん」なるメニューがが新規に登場したことを発見したのです。当然テバは、ためらうことなくこの初邂逅の一品を注文したのでありました。

カツカレーうどんがどのようなものか、それはまあ大体、ご想像のようなものでした。ただ、注文する時にもテバは、「カツカレーうどん、お願いします」と、当該うどん屋さんのポリシーに最大の敬意を払い「うどん」を省略せずに言ったのです。しかし板場へは「カツカレー、おひとつです」と伝達されてしまいました。さらに、チェックアウトに際しても「カツカレーですね」とやられました。次に入ってこようとしていた人が、ギョッとしていたのも見て取れました。

間違ってカレー屋さんに来てしまったのかと思ったのでしょうが、その気持わかります。



サーバ引っ越しのご挨拶 投稿者:テバ 投稿日:2007/10/20(Sat) 08:53 No.889  
このたび、長年にわたり住み着いておりましたサーバから、ゆえあって転居いたしました。すでに、新しいサーバからご挨拶申し上げているわけです。もちろん、こういう場合は、テバは何にもしないわけで、ヒマさんが全部やってくれたのです。

驚いたのは、ftpの立上がりの早いことです。以前のサーバは「接続」をクリックしてから、ひと風呂浴びるぐらいの時間がありました。新居のサーバは、そうですね、あえて言えば「シュン」という感じで接続されます。一服する暇もありません。

おかげさまで、今日からは、快適な生活を送れそうです。コストも十分の一ぐらいらしいですね。この世界は本当に不可解なことです。



ツァーリのマヌカン 投稿者:テバ 投稿日:2007/10/17(Wed) 08:14 No.888  
雷帝・イヴァン4世が絶対主義専制国家を確立したのは16世紀です。西欧では英仏を筆頭に、絶対王政(官僚)国家がすでに成立していました。雷帝が即位した時点のロシアは未だ大貴族が跋扈する封建政でした。カエサルに由来する「ツァーリ」を称したのは祖父のイヴァン3世ですが、ロシアでは、雷帝が即位した時点でも、封建貴族の最大なるものに過ぎませんでした。徳川幕府のようなものだったのですね。

15〜16世紀というのは、欧州においては、火器類が異常かつ急速な発展を遂げた時代です。特に大砲が発達した結果、高くて厚い石積の城壁といえども簡単に破壊されるようになりました。野戦の時代が来たのです。レオナルド・ダヴィンチが故国イタリアを去り、フランスで晩年を送ることになったのも、彼の築城・攻城技術が時代遅れになっていたことが一つの理由です。それはさておき、露国に戻りましょう。

イヴァン雷帝の凄さは、陣笠封建領主の一介の盟主から、一代で独裁的皇帝へと登りつめたことです。この上昇のメカニズムはというと、まず、西欧の最新式小銃を導入したことから始まります。この新兵器をもって、いまだに蟠踞していたモンゴル人の残党国家(ハン国)群を殲滅します。ウラルのシビルハン国を制覇してからは一気呵成でした。そこから東には無人の昿野・シベリアが拡がっていたのです。

シベリアは黒貂の宝庫でした。黒貂が涸渇しても銀狐がいました。西欧のご婦人方はこのレアな毛皮に狂喜したようです。これを輸出することで雷帝は、さらに、大砲を含む高性能な火器を導入することができました。こうなると、従来の田舎大名どもは到底かないません。ツァーリのロシア、絶対独裁体制が確立しました。しかし当時のロシアは超高度経済成長の時期にあり、この程度では収まらない勢いがあったようです。

ロシアのご婦人、すなわちマダムロシャスたちは、西欧の最新ファッションを欲したのです。ここで西欧のメーカーは例のフランス人形を発明しました。目も彩な最新のドレスを着せた人形を、ロシアに送ったのです。現代的にいうならカタログ販売ですね。ロシアからはパリに高価なドレスの発注がなされます。しかしご婦人方のご要望には際限がありません。ついには、等身大のファッション人形が送られるようになりました。

これがマヌカンです。度量衡も統一されていなかった時代です。実物大のマヌカンには、皆が重宝したのではないでしょうか。マダムロシャスにキエフかモスクワの洋服屋が薦めます。「奥様、まことに申しあげにくいことですが、胴回りをあと5インチほどくつろげられてはいかがと思うのですが・・・」とかね。このマヌカンは、ナポレオン戦争で露仏が死闘を繰り広げている最中にも、滞りなくパリからロシアへと送られていたようです。

ご婦人の力こそが、歴史を創るのかもしれません。



秋、サンマーの里から 投稿者:テバ 投稿日:2007/10/15(Mon) 16:01 No.887  
住居が横浜にある関係で、よく「サンマー麺あります」という標示に出会います。引っ越してきた当初は「秋刀魚+麺」の映像が脳内合成され、ギョッとしたものですが、10有余年を暮らすうち、何度か実物に対面する機会を得ました。荒っぽく言いますと、ラーメンのトッピングを一旦全面的に撤去して更地にして、もやしをメインに、人参・キャベツ等の野菜あんかけを展開したものです。稀に豚肉の小片が点在していることもありますが、議員数2ぐらいの超少数会派です。

スープ麺のようなものは、たとえば万漢全席なんかには出てこないのでしょうね。(万漢全席を知らずに言っています。)チャイナタウンには聘珍ナンチャラ楼とか聘賓カンチャラ閣という高級レストランがあります。大切なお客様をご招待する料亭ですからここにはありません。したがってサンマー麺には、庶民級の店で出逢います。関西では中国庶民料理とか言ってましたね。招かれてもいない客がやって来ますし、亭主も面倒くさいが仕方ないという応対の店です。

スープ麺というのは、本場では人民階級の食べ物だと聞きます。北では「饅頭」南では「飯」があってこその食事なので、「麺」だけで済ませるなどは蛮夷の俗なのでしょう。このサンマー麺に、ラーメンと湯麺を加えると、ある種の麺ワールドを形成していることに気付きます。あわせて、倭国三大貧麺と仮称しておきます。一食を成しながらもフルコースからは徹底的に蔑視・排斥されているのが共通点です。これらが日本で広く愛好されているのは奇観とも言うべきです。

サンマー麺についても、これは、横浜や横須賀の港湾で荷役作業に従事している人々のために開発された安易・安価な食事なのだよ、などと一刀両断する人もいます。しかしそうだとすれば、この麺はあの太平洋戦争を遂行し、戦後の貿易立国を支えた立派な原動力ともいえます。正式には生碼麺、少し略して生馬麺のようですが、店主も客も面倒くさがりの人が多いため、一挙に「サンマーメン」まで行ってしまいます。結構ヘルシーで軽食に適してますよ。お試しあれ。


追記 : 孫文が清朝打倒の革命資金調達のために滞米していた当時、紐育では毎日のようにこの種の麺で過ごしていたようです。ダウンタウンの、屋台に毛のはえたような食堂だったのでしょうが、これが中華革命の原動力になったわけです。恐るべし、スープ麺です。そのそば屋さんには、恩に謝するため、孫先生は筆を取って揮毫したそうです。題して、

 一碗麺

テバの非力な語学力で恐縮ですが、「一杯のかけそば」、とでもいうところでしょうか。



コメディアンの起源 投稿者:テバ 投稿日:2007/10/13(Sat) 08:24 No.886  
今回、事の発端はUセンセイです。センセイにおかれましては、畏れ多くも、SMAP×SMAPとかいう番組を観賞されました。そこに例のアラン・ドロン(Alain Delonとも)が出てきて、持説を述べたそうです。ドロンいわく・・・・俳優には二種類ある。「アクター」と「コメディアン」だ。「アクター」は役を生き、「コメディアン」は役を演じる・・・・というような主旨であったようです。これがきっかけでした。

このため、センセイと、"acteur"と"comedien"の語源論を共同研究する仕儀となりました。一夕、多数のメールを遣り取りすることになったのです。センセイは多くの辞書をお持ちです。今回も、羅和辞典、COD、伊和辞典等々を調べてくださいました。それに乗じて若輩のテバが、先生の書斎を遠隔ブラウズするという、大変失礼な展開になりました。もちろん、意図してのことではありません。

論点は、ご想像のように、演劇とそれを演ずるヒトとの関係の歴史的発展過程です。ギリシア喜劇からダンテの世界まで探訪しましたが、おかげさまで、現時点では、一定の統一(的)見解に達したと思います。私がアラン・ドロンとジャン・ギャバンを総括的対比事例として提議したところ、Uセンセイは例の「気違いピエロ」のJPベルモントを、コメディアンの事例として挙げられました。完敗です。

問題の端緒になったドロンの発言は、どうもこのようだったようです。

 Alan Delon a dit : Le Comedien,il joue. L’acteur,il vit.

当該番組では、これを日本のゲーノー界にあてはめて、だれそれはコメディアン系だ、かれはアクターになれる、いいやそうじゃない、それよりは・・・、というような、バラエティー的会話があったのでしょう。人類史上有数の社会評論家たる司馬遷は、このような状況を指して「夜郎自大」と評しています。

【ここから先は、その後、テバが勝手に考えたことです】

問題がそうであるとするならば話は簡単です。たとえば、シェークスピア劇から007までを淡々と演じ分けてきた男、ショーン・コネリー(Sean Conneryとも)は、間違いなく代表的な"acteur et comedien"です。彼は本当の意味で「生き/演じ」てきました。視点をこのあたりに置いて、日本国内を眺め回してみます。閑散としていませんか? 寒々としていませんか? この国の自称俳優・自称女優なるものは、概ね、生活者としての芸能人であって、昔、河原乞○と呼ばれた輩と大差がなく・・・ドロンの持説に引き当てて論ずるに値する人物なんて・・・


追記 : 「俳優」の語源に関しては諸説芬々ですが、それらの中にも、これではないのかなと思わせるものはあります・・・春秋戦国の頃、諸国の「君」や「王」は悩みが多く、連日憂鬱でした。そこで「憂を排する(排憂=憂さ晴らし)」のためにピエロ(幇間持ちですね)が君側に置かれました。当然ペイもよかった筈です。王様がスポンサーですからね。が、一旦王様の機嫌を損ねると、即刻首を刎ねられました。これに「人」という意味で、人偏を付けました。猿ではないのですから。・・・このあたりではないでしょうか。



新装開店経費 投稿者:テバ 投稿日:2007/10/07(Sun) 21:23 No.885  
油を大量に使う東亜ダウンタウン系レストランでは、相当な頻度で内装をやり直す必要があるようです。これを怠るとビルの構造の基幹部分(鉄筋とか)に害が及び、遂にはアネハ化してしまうという伝説があります。そうなると家主も黙ってはいないことでしょう。テバもこうしたことの関連業界の片隅に巣食いながら、ラーメン屋の内装リニューアル費用一式ということになると、見当もつきません。そこで、得意の推測算をやってみます。

千代田区・某店のディスプレイです。改装直後です。まあ、ハイソとかセレブとかのお客様は絶対来店しないようなメニューばかりです。近所のビル工事の鳶職さんや、ちょっと小じゃれた銀行支店の金欠新入社員が対象だと考えていただきましょう。9ヶのサンプルが展示されています。もちろん、希望購入価格も表示されています。厳密な計算は意味がありません。平均700円程度です。そこで、このディスプレイの原価が推測できます。

 9×700×10=63,000.−

ということです。プラスチック製サンプルの価格は、道具町や河童橋では、実物の約10倍ということらしいので、パラメータとして10を採用しました。

ちょっとがっかりでした。この華麗な展示物が、その程度の原価だったからです。ここから拡大再推測しても、新装開店経費というのは大したことはないようですね。昼休みにはいつも行列ができてるような大繁盛の店が、それほどの経費を掛けずに継続しているようなのです。まあ、本来は「見世」なのでしょうから、あまり文句を言うべきことがらではない、とも思われるのですが・・・・・最近、この思考パターンが多いな、と、自省もしています。

たまにはヴァンブランを片手にタンメン・餃子も悪くはないな、などと・・・これはもう、脳が混濁しているのでしょうが。



どこへ?もドアー 投稿者:テバ 投稿日:2007/10/06(Sat) 13:37 No.884  
東京という地域に、某知事が熱く説くような未来があるのかどうかは知りません。しかし、膨大な過去を引きずっていることは確実なようです。これこそ、神田や品川のような既成不適格建築物群から六本木ハイタワーまでを備えた大都会の特性なのでしょう。浮かれていなさい。

この都会で不思議なドアーを見つけました。

ご丁寧に設立の年号まで記されています。されどわれらが日々が再活性化したあの時代、講堂炎上の年に設立された記念的団体のようです。全学連、成田と星霜を経て、現在も生きていました。このスチールのドアの向こうでは、多分、時間だけが凍りついているのでしょうね。

設立当初は青雲の世代が出入りしていました。今では、同じ人々が年金世代になってしまっています。

救援が必要なのは、「彼らが日々」の人ばかりでないとは思うのですが・・・・・・



背景の事情は? 投稿者:テバ 投稿日:2007/10/01(Mon) 20:05 No.883  
こればかりは画像なしでは説明がほぼ不可能です。マスコミの数社がウェブ・ぺーパーの模様替えしました。背景には各社の合従連衡の動きがあるようです。まああの程度のイエローペーパー的クォリティーだけで、数社合計で4千万部近くを売り上げていたことは確かに不思議でしたね。誰が読んでたのでしょうか?

しかし今回は、そんなことではないのですよ。よく見てください。このリニューアルされた某トップページの壁紙のことです。どこかで見たグラデーションですよね。そうですテバが6年ほど前に、フリーソフトだけを使って、一晩がかりで粒々辛苦手作りしたものに酷似しているのです。偶然の一致に過ぎないこととは思いますが。

まあ、今回は、大資本御用達の一流のデザイナーと拮抗できたということで、大変に満足しています。この壁紙を見たら Tebaland ですよ。

 Si tu veux un ami, apprivoise-moi !



宰相の山 投稿者:テバ 投稿日:2007/09/24(Mon) 08:51 No.882  
「白河以北、一山三文」とは、明治の御一新に際して常勝官軍が放った戯れ言であります。が、長い目で見ると、時世とか時節というものは移り変わるものです。栄枯盛衰なんかは「うたかた」なのだよ、と鴨長明翁も喝破しています。栄耀栄華の頂点で砕け散ることこそ美であるのだという豪快な民族もあるようですが、この国の民草にはあまり向いていません。しょせん、四畳半の家内工業ですからね。

このたびは、8人目の宰相があっけなくも辞意表明したことに愕然としている県民がある一方で、4人目の総理が出そうだと欣喜雀躍している県民もあるようです。予定通りにいけば第91代内閣総理大臣位に座するようです。何代もやった人がおられるので、人格を単位として数えると、通算58名様のようです。これら58個のペルソナが、この一世紀余にわたる日本国のエトスとパトスの旗印でした。

そこで統計してみます。3人以上の総理大臣を出した栄光の都道府県です。

8人 山口県
6人 岩手県
4人 群馬県
3人 広島県
3人 鹿児島県
3人 岡山県
3人 石川県

実は、置籍県でいうなら東京がトップなのですが、全面的に再点検したところ、2人にまで激減し落選しました。また、お公家さんが2人(西園寺、近衛)いましたが、こういうのはデラシネに過ぎんのだろうなあと考えました。仮に京都にカウントするなら、京都府も3人になります。(残りの1人は高橋是清です。)数のうえだけで見るなら、白河以北における岩手県の健闘ぶりは結構称賛に値します。

閑話休題。こうした方々が、明治以降の、厳密に言うなら1885年以降の日本丸の航海を指揮して、現在の地点に至らしめた船長様たちなのです。その指揮官としてのありように「出身県」というものが関係しているというのなら、58分の○という割合で当該県の功罪を問うこともできるはずです。株主代表訴訟も定着している昨今です。某県は58分の4の経営者責任を負うことになるでしょう。



玄奘三像 投稿者:テバ 投稿日:2007/09/17(Mon) 07:55 No.879  
教科書に出てくる三蔵法師は、孤独な求法僧の姿で描かれています。それには背景があります。三蔵出唐の三年前には、未だ基盤が不安定な唐の軍閥内で玄武門のクーデターが起こっています。次男坊の李世民が長男・李建成を暗殺して、一躍、軍閥後継者の地位にのしあがったのです。三蔵が唐を密出国したのは、この軍閥が唐朝としての体面を整え始めたころのことでありました。唐朝は内治のために鎖国策をとっていました。

それ以前の五胡十六国時代の混乱期を脱すること。唐朝の公約は中華帝国再興の一点です。太宗皇帝は最大の政治的スローガンとして外患鎮圧を掲げました。大きな外患要因として西の突蕨・東の高句麗をあげます。中つ国を打って一丸とする格好の口実でありました。面白いことに東突蕨は、唐朝の草創期を大いに助けたようですし、高句麗は、唐朝の源流たる鮮卑族拓跋部というルーツにおいて濃厚な血縁関係があったようです。

このような錯綜した状況下で国禁を犯して脱唐したノンポリ坊主・玄奘三蔵の罪は、論ずる余地もなく、死罪に相当するものでありました。族滅さえ免れ得ないことになるはずです。これを幇助した者についても同罪であります。三蔵は孤独な旅僧として描かれることになりました。

それにしても、中華帝国統一の方法論は一切不変なことであります。



玄奘三像(二) テバ - 2007/09/17(Mon) 08:38 No.880  

三蔵は西方の涯、天竺を目指してひたすら歩を進めます。国境検問もないまま、騎馬民族国家である東突蕨国にさ迷い入ります。そこでは、大した理解も援助も得られなかったようです。しかしラッキーな一面もあったのではないでしょうか。トルコ民族がイスラム化されていなかったということですね。タラス河畔で唐とテュルクが激突する100年以上も前でした。当時の東突蕨であるならば、この不可解な乞食坊主は無視しておけばよい、という程度で済んだのでしょう。

次の国では思いがけなくも、一大スポンサーに恵まれます。それは漢民族の亡命政権である高昌国の麹文泰という王様です。麹王は三蔵の求法の志に大いに共感しました。そうして西の隣国である西突蕨の王・統葉護可汗にあてて、パスポートを発行しています。高昌国と西突蕨の旅行は、いわば大名行列でありました。この二ヶ国の支援がなかったら、三蔵はガンダーラに到達することができたでしょうか? はたまた、歓迎されるような事態になったのでしょうか?

テバの憶測ですが、この二ヶ国の王たちは、印度に向かう三蔵にかなりの手土産を持たせたはずです。



玄奘三像(三)  テバ - 2007/09/19(Wed) 08:06 No.881  

玄奘が長安を出立したのは629年ごろとされています。これは、同年中に高昌国と西突蕨を通過していることからの推定です。もっと後の633年に出国したとする説もあるのですが、そうするとこの地域における事件と玄奘の行跡との間に、紀年的な齟齬が生じてしまうのです。

玄奘が通過した直後の西域には、以下のような大激震が走ります。

 630年 東突蕨滅亡
 633年 西突蕨の統葉護可汗暗殺
 640年 麹文泰没し高昌国滅亡

東方の高句麗問題処理を後回しにした太宗の軍事的圧力が、玄奘の跡を追うように西域へと伸びてきたのです。そこで629年脱唐説に従います。

印度で取経の大業を果たした帰路、三蔵はこれらの国々の変わり果てた姿を目のあたりにすることになります。その心中はいかばかりであったでしょうか。645年、唐に帰着します。その間約16年を西域〜天竺に過ごしたことになります。往路に要した歳月はあまりはっきりしていませんが、帰路は比較的はっきりしていて足かけ5年ほどです。往路のコースには西突蕨の先にも、アフガニスタンやカシミールの難所がありますから、これも同程度の期間を要したと考えられます。

往復路に10年程度を費やし、ガンダーラには6年ほど滞在したといったところではないでしょうか。この時代、仏教はその源流の地で既に衰退していました。これを東方に伝える賢僧が尋ねてきたということですから、天竺の僧たちは玄奘を大歓待します。数々の高僧に教えを受けるとともに、657巻という膨大な経典を与えられて持ち帰ることになりました。孤僧が背に笈を負って持ち帰る、という想定には無理がありますね。相当な規模のキャラバンで砂漠・土漠を縦断したのでしょう。

結局のところ、帰路の玄奘三蔵像ということであれば、猿、豚、河童の化身のような異能の(多民族的)幹部を従え、さらに多数の従者を伴った一大武装隊商みたいなものだったのでしょうね。



東シナ海テロル? 投稿者:テバ 投稿日:2007/09/14(Fri) 23:49 No.877  
台風11号に脅やかされている南海の某都市から、かろうじて逃げ帰ってきました。テバの便以降は大混乱だったようです。これは2日前にそこで見かけた光景です。

もの凄く、凄い状況ですよね。6年前のニューヨークのWTCを思い出してしまいます。とはいえ、テロでもないようでして・・・ちゃー嘉利吉どぅー、というところでしょうか。



混迷・深まる謎・・・・・・… テバ - 2007/09/15(Sat) 09:05 No.878  

背景を知りたくてブラウズしてみました。

--2006.03.31--
沖○県立那○病院は廃院となりました。長い間のご愛顧、ありがとうございました。

--2006.04.01--
新病院版ウェブページの記事の編集が間に合わないため、旧那○病院向けのページが混在しています。閲覧の際はこの点にご注意くださいますよう、お願いいたします。

--2006.04.01--
沖○県立南部医療センター・こども医療センターが開院しました。一般外来および救命救急センター(一部制限)は、6日より診療を開始しています。

後悔してます。ますます解らなくなりました。何かがあったようではありますが・・・・・・…まあ、トロピカルな事情なのでしょうから、所詮テバなどの温帯人が容喙できることではありませんね。



エナジー・イーター 投稿者:テバ 投稿日:2007/09/09(Sun) 08:48 No.876  
台風9号のアニメを作ってみました。というのも、これの針路に疑問があったからです。最初は一直線に西に向かっていたのですが、本土接近に伴って大きくスライスするだろうと予測が出されたので、関心が湧いてしまいました。ジェットに流されるから東進する、というのが、従来からの平凡観望気象学の教えるところです。もう一つ、この台風が北進を始めるとその針路はキティ台風に酷似してくるのではないか、という説にも興味を掻き立てられました。

そのアニメーションの「さわり」の部分は表紙のギャラリーに展示しておきます。

仔細に観察すると結構面白いものです。台風中心が北緯34度を少し越えたあたりから、スライスが顕著に始まっています。この時点でのエネルギー場を評価すると、台風の西半分は大きく列島という陸地部分にかかっています。潮ノ岬から西には、海面がなくなってくるのです。すると、台風にとっての「エサ」である高温水蒸気の供給が、このエリアからは期待できなくなります。この野生の猛獣は、広大な海面が拡がる東の太平洋へと本能的に向かうのでした。

ところがどっこい、とは俗な表現ですが、そこには伊豆半島が待ちかまえていたのです。台風の中心部は、もろに、その先端部にぶち当たるのです。あわれこの台風蒙古軍団は、弘安の役同様、東西の2軍に分断されてしまうのです。内陸に突入した西部軍団の運命は明らかです。たちまちにして潰滅してしまいます。残りの東部軍団の運命も似たようなものです。備蓄熱エネルギーの全てを暴風雨として闘うのですが、いかんせん戦略的補給が絶たれています。

かくて、戦場(いくさば)にはつきものの幾つかの悲話・哀話は伴いましたが、平成19年度第9次台風戦争も日本列島の勝利に終わったのです。ジェットストリームを持ち出すまでのことはなく、所詮、相手は人倫の道も弁えない台風ですものね。なおキティのことですが、彼女の場合は本土接近までに過剰ともいうべきエネルギーを蓄えていました。上陸時の中心示度で比較すると、今回の9号さんが965hPaだったのに対し、キティさんは実に956hPaだったのです。



幻の一品 投稿者:テバ 投稿日:2007/09/06(Thu) 22:43 No.875  
チャージャン豆腐というものをご存じですか。名前を聞いたこともないよ、という方がほとんどだろうと思われます。これは某社食において、メニューにだけ登場すると言われる、幻の一品なのです。「メニューにだけ」というところが重要です。厳密に言うと予告だけメニューです。社歴の長い先輩方ですら、本物を食したことはないという一品なのです。

テバはこれで三度目ほどです。本日張り出された「予告」メニューにこの謎の豆腐料理がありました。台風接近の雨もよいでもあり、チャージャンに一目会いたいという気の焦りもあり、外食はやめて社食に行きました。が、やはり、別のメニューにすり替わっていました。本日は「ソーセージのポトフ」が代理でした。繰り返しますが「やはり」なのです。

ところでこのソーセージのポトフですが、結構頻繁に代打で登場します。というよりは「言い訳メニュー」の定番なのです。本人には、先発ラインナップならば、結構いい仕事してると評価される力があります。しかし悲しいかな代打専用という立場なので、客からはいつもブーイングを浴びます。チャージャン豆腐欠場が問題の起こりだというのにです。

これは多分こうなのです。社食のマスターは、この豆腐料理をぜひ皆さんに味わってもらいたい、と常に考えているのですね。しかしながら、常に何らかの事情で材料・調味料等の調達に不如意が生じ、泣く泣く代打メニューに切り替えているのです。あくまでも善意の解釈ですが・・・ポトフは無視して、一番安い麺をすすりつつ、議論百出しました。



いきなり最終回(おらんだ左近) 投稿者:テバ 投稿日:2007/08/30(Thu) 00:12 No.873  
本日、おらんだ左近事件帖の第24回(最終回)「江戸城罷り通る」の再放送がありました。柴田錬三郎先生の原作になるこの時代劇がテレビドラマ化され、最終回が初めて放映されたのは1972年3月28日とありますが、これを見た記憶はありません。

オランダ医学を長崎で学んだという自称浪人が、ある日、破れ寺・月心寺の僧・淡海の許に転げ込みます。その名は左近。生まれた時期が桜の季節だったことにちなんで名付けられたそうです。そこで通称「おらんだ左近」と呼ばれるようになるのです。

彼の素性は徐々に明らかになっていきますが、最終回にフル展開します。実は、尾張大納言の次男坊・徳川左近であったわけです。このあたり、水戸のご隠居とか暴れん坊将軍に匹敵する快男児が名古屋にもいたことになります。名古屋もヨカッタデスネ。

左近が折りに触れては街中から拾ってきて寺で育んでいた孤児達の一人が、今回は急性盲腸炎になります。左近は診断をくだすことはできたのですが、外科手術の経験がありません。ただ一人経験のある医師は、何と、将軍様の蘭方御典医でありました。

左近は屋敷に乗り込み説得し、この医師・池上玄庵を連れ出します。玄庵もなかなかの硬派で、自分の手は将軍に捧げたものだと言い張り、遂に左近に執刀させることに成功します。手術も成功しますが、問題は開腹手術が幕府の禁令に触れていたことです。

このあたりから先は、「チャングム」の最終回あたりに似ているような気がします。が、「左近」はずっと古い作品ですから、日本側が盗作の汚名を着せられる心配はないでしょう。柴錬の愛読者やこのドラマのファンが韓国にいたとしても、テバは驚きませんよ。

翌日、裃に衣服を改めた左近は江戸城に登城します。浪人髪でフリーパスです。並み居る陣笠老中どもを「徳川左近である。頭が高い、足が短い、胴が長い」という例の決めぜりふで追い払います。そして、老中首座の松平伊豆守と二人きりで差しになります。

さすがは智恵伊豆の子孫です、ここで左近を「六十余国所払い」にするという驚愕の処分を示します。つまり、外国に遠流するということです。それから暫くの後、おらんだ左近は船上の人となり、オランダで医学の勉強をするべく日本を離れるのでした。

今回の最終回キャッチは、全くの偶然です。昼休み前後に放映している時代劇って何だろう、という素朴な関心から、たまたま予約したもので、全く他意はありません。会社なんかで昼休みに時代劇を見ている人って、やっぱり変人扱いされることは間違いないでしょう。

いや〜それにしても、本当に、最終回って面白いですね。



いきなり最終回 投稿者:テバ 投稿日:2007/08/24(Fri) 18:48 No.872  
最近、30GbのHDD付きワンセグを愛用しています。洋服の青山でディスカウントしてました。不思議な会社ですね、洋服の青山。おかげさまでTV番組の視聴時間が、生活の中で無視できないシェアを占めるようになってきました。それはさておき……

実時間でそのまま視聴することは、ニュースや高校野球などの一部の例外的ジャンルを除いて、ほとんどありません。録画しておいて、後日の後刻、つまり適切なTPOで、それではと(「内心」ですよ、もちろん)呟きながら再生するわけです。半分だけ見ておいてあとの半分は後日、ということも自由自在です。期待はずれでつまらなかったら、中途で再生を中止して「消去」してしまえばよいわけです。実時間の放送なら「こんなくだらん番組止めてしまえよ」と思ってもそうはいきません。それが実行できるのですから、電波世界の神もかくやという境地です。

連ドラなんかも予約録画機能を活用して採りだめできるので、飛ばし飛ばしに再生しながら自作の総集編を楽しむこともできます。山場ばかりを連ねた特番ですね。お子様ランチみたいなものです。まあここは穏便に、おじ様ランチということにしておきましょう。

しかし問題は容量です。30Gbで100本までなので、結構早く満杯になってしまいます。そこでどんどん消去していくのですが、不自由や後悔を感じることはありません。某TVの社長が誇らしげに語る「軽チャー」なんてのはこの程度のものなのですね。それでもたまには良い連ドラなんかに出逢います。こんなときは心残りに最終回を残し、それ以前の回は全部消去します。次に来るのは多分、選り抜き番組の最終回同士の生き残り合戦なのでしょう。小さなワンセグワールドの世界決勝戦(by 石原莞爾)ですね……まだそこまでは至っていませんが。

今夜も最終回が1本あるので、録画予約をしておかなければなりません。

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Modified by isso