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[641] 最期の総長 投稿者:テバ 投稿日:2005/12/21(Wed) 07:19
ジャック・ド・モレーです。テンプル騎士団最後の総長(第23代)です。1314年、シテ島にて火刑。罪状は「戻り異端」です。この便利な罪名は、ジャンヌ・ダルクにも将来適用されることになります。

[640] アリエノール 投稿者:テバ 投稿日:2005/12/18(Sun) 18:37
以前、年収についてコメントしたことのあるルイ7世の王太子時代の結婚式風景です。ルイ6世の死去により、この約半月後、彼はフランス王になります。その右側で祈りを捧げている花嫁こそ、後世ヨーロッパの母と呼ばれることになるアリエノールであります。彼女も、ルイ7世の即位と共に、フランス王妃になります。

アリエノールはギヨーム10世の唯一子でしたから、アキテーヌ公領、ポワトゥ伯領等の広大な領地の世襲者です。この瞬間、カペー朝のフランス王家は、ピレネーの麓に達する最大の領主になりました。

しかしアリエノール・ダキテーヌは、ギヨーム9世の孫でもありました。百姓娘ジャンヌ・ダルク登場まであと300年。まだまだ統一フランスへの産みの苦しみは続きます。数々の賢君・昏君が登場するでしょう。

ところで、ルイ王太子の錫杖の先端には黄金(きん)の瓢箪みたいなものが付ついています。これは一体何なのでしょう?

[639] エキゾチック 投稿者:テバ 投稿日:2005/12/17(Sat) 22:36
「特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律」略して「外来生物法」がこの10月から施行されています。この法律に違反した場合は、内容によりますが「個人の場合懲役3年以下もしくは300万円以下の罰金 / 法人の場合1億円以下の罰金」なんてえものもあり、結構な重罰が科されるようなので、大いに気をつける必要がありそうです。

何といっても傑作なのは、「特定外来生物」という名称が堅苦しいと思ったのか、愛称を「ぽち」としたようです。

[638] 懲りん坊 投稿者:テバ 投稿日:2005/12/15(Thu) 23:58
気がついてみたら、今年もやられてしまった。ボンさんが流行漢字を書いてみせることにどういう意味があるんだろう。世間の煩悩を揶揄しているとかいうならまだしも、それなら古都税や宗教法人の特例課税の問題でも扱ってほしい。

全く意味の解らない年中行事をつくられてしまった。


[636] と、思う間もなく 投稿者:テバ 投稿日:2005/12/13(Tue) 17:38
Uセンセイの散策路も雪化粧をしてしまったようです
[Res: 636] 列島の冬景色 投稿者:テバ 投稿日:2005/12/13(Tue) 17:41
本当に寒い一日でした

[634] 久しぶりに 投稿者:テバ 投稿日:2005/12/10(Sat) 18:35
Uセンセイのお写真をご紹介します。ご近所の初冬の散策路のようです。
[Res: 634] うって変わって 投稿者:テバ 投稿日:2005/12/10(Sat) 18:41
これはというと、テバがトンボ返りで行ってきたある山中の風景です。寒かった。

[632] ダイナハ 投稿者:テバ 投稿日:2005/12/08(Thu) 09:57
新築開店したときの正式名称が「ダイナハ」でした。これは多分「大那覇」なのですね。これが10年ほど前、ダイエー、忠実屋、ユニードダイエーと合併して「ダイエー那覇店」になったということらしいです。

それでも地元の人々からは「ダイナハ」と呼ばれ続けていました。先月の下旬に、ついに閉店しました。私はこの店の近所に住んでいましたので、コンビニで用が足りない場合はダイナハでした。単身赴任の必需品は、これで大抵用が済みました。ジャスコや(地元宮古資本の)サンエーもありましたが、誰も近づきません。「ダイナハ」という語感には愛郷心・ナショナリズムをくすぐる「何か」があったようです。
[Res: 632] ダイナハU 投稿者:テバ 投稿日:2005/12/08(Thu) 09:59
私が引き揚げてから暫く経って、深夜12時まで営業になったようです。一度出張の折りに覗いてみましたが、さすが深夜になると、客一人に店員三人という状況でした。思えば店長の「秘策・生き残り戦略」だったのでしょう。

県庁前には「りゅうぼう」という大規模店舗があります。これも語源は「琉球貿易」なのですが、結構ハイソで、中流階級の店です。

ダイナハが消えて、寂しい街になっているのでしょうね。

[630] タヌキ 投稿者:テバ 投稿日:2005/12/06(Tue) 08:13
山崎女史が偉いのか、日本医師会が駄目なのか。医師たちが白い巨塔から引きずりおろされ出した。これも久しい昔のことである。最近では、国会議員兼弁護士とかいう人が対象になった。会計(士)事務所も譴責された。そうしてついには建築士へときた。「師」とか「士」というのは、そもそも、相当な公共・公益性を有しており、民草においては尊敬置くあたわざる方々にのみたてまつったタイトルだった。「サムライ・ニッポン」の象徴だったのだ。それが何と、去年(こぞ)の花今いずこ。そのうちに、博士、修士なんてえのが逮捕されると、それだけでテロップが流されるようになるんだろうなあ。

天麩羅のタネを抜くからタヌキという、という説がある。そこで、天麩羅蕎麦から蕎麦を抜くとこれが「天抜き」という逸品になる。一度試してください。天つゆよりも蕎麦つゆの方が、確かに海老天の味が「濃く」なる。一杯やるときの酒肴としては、断然こちらに軍配を挙げたい。そこで考えるのだけれど、「師」や「士」なんかはどうしても必要なのだろうか。これに類するものとして、「官」、「判事」、「大臣」、「総裁」なんていうものもある。どっかの最高権力者が言っているそうだけど、「これからは民間でやれることは民間で」というモットーで、この国は動いているそうではないか。

止めよう、変な日本語は。日常用語でやれることは日常用語でやりましょう。

たとえば自○党総裁兼内○総○大臣なんてえのが一番とんでもない例だと思う。まず、隗よりはじめたら良いのだ。「大衆劇場経営者兼観覧料徴収係」とすればものすごく親近感が湧くと思う。しかも、何を「なりわい」としているかというあたりも極めて明確になる。

[629] 最後の心配 投稿者:テバ 投稿日:2005/11/26(Sat) 01:11
「そんなわけで王朝が代わるたびに前代の立派な建造物をどんどん焼いてしまうものだから、中国は古い国のわりには古い建物がない。建物だけ見ると中国より日本のほうがよっぽど古い国のように見えるのはそういうわけである。
 新宮殿の造営を新王朝創建の目印にするのは、中華人民共和国の人民大会堂にいたるまで綿々としてつづいている・・・」
   【高島俊男「中国の大盗賊・完全版」講談社現代新書】

ということだそうです。ただし例外がありました。

「中国歴代の王朝で、前王朝の宮殿をそのまま使ったのは、満州族の清朝だけである。満州人は日本人と同じく弱●民族でしみっ●れだから、明の紫禁城をありがたく拝借したのである」
   【伏せ字はテバによる】

そうだったのです。「ラストエンペラー」に見るあの壮麗な紫禁城の即位式典でさえ、大碩学の目から見ると「しみったれ」ていたのでした。日本についても、

「日本の明治の天皇が、維新で天下を取りながら徳川将軍の旧宅に住みついたのなんぞは、中国人から見れば、ずいぶん不景気な話なのである。中国人なら江戸城は燃やしてしまって丸の内あたりに新宮殿を造営するところだ」

と述べています。

赤瀬川理論の「世界二大貧乏性発生地域・極東版」の背景には、民族的なものがあったわけですね。同じモンゴロイドBでも、蒙古族や鮮卑族は貧乏性ではありません。フビライや煬帝の事蹟を見ればわかります。ただひとり、ツングース系というかタタール(韃靼)系の部族だけが、奇跡的に貧乏性遺伝子を獲得したようなのです。中国史学者には申し訳ないけれど、これは、少なくとも、国民にとっては有り難いことでした。

この事件は、モンゴロイドAの方に「江南のイブ」と呼ばれる遺伝子が発生したことに匹敵する、民族形成史上の大事件です。江南のイブの子孫(母系遺伝で日本人に多い)はアルコール分解酵素を持たないそうです。X遺伝子ですから、この形質は男女を問わずにどんどん伝わります。日本人の大部分がコーカソイド(いわゆる白人で、イスラムも含む)などに較べ酒が弱いというのは、X染色体の問題である、と遺伝学的には説明されているのです。

貧乏性に戻ります。現在白熱している「Y染色体継承問題」です。この貧乏性遺伝子は、X・Yいずれの染色体上にあるのでしょうか。もしも、この大散財抑制遺伝子ともいうべきものがY染色体上にしかないとすると、これは男系の子孫にしか伝わりません。すると女帝問題は将来に大きな課題を残すのです。皆様よくご存じの中国史上唯一の女帝・則天武后のそっくりさんが出てくる可能性が残るのです。

これを検証する手段は、偉大なる赤瀬川理論に既に含まれていました。つまり、女系皇族(あるいは元皇族の女子)は台所で輪ゴム集めをしているのかどうかを確認するのです。多少の困難はあるかも知れませんが、弊国の未来の安定性がかかった重要な調査であります。この検証作業を終えてから典範改定を議論しても遅くはないと思うのです。更に、王室が酒に弱くて貧乏性であるなら、勤勉・勤倹な国民性も維持されることでしょう。

[614] ズアヴ 投稿者:テバ 投稿日:2005/11/14(Mon) 00:24
この彫刻はズアヴ(Zouave)と呼ばれています。凱旋門に近いセーヌ川にかかるアルマ橋の橋脚に150年近く立ちつくしています。他に3つある彫刻とともに、クリミア戦争の緒戦・アルマ川の戦いで、対ロシア戦勝に功績あった兵種のひとつ、ということでここに飾られました。ズアヴというのは個人名ではなく、アルジェリアの山岳地帯に住むベルベル族のある支族に由来した兵団名です。アルジェリアで徴兵されたベルベル族がクリミアで戦ったのです。そう、つまり近代外人部隊の第一号なのでした。
[Res: 614] ズアヴU 投稿者:テバ 投稿日:2005/11/14(Mon) 07:17
この外人部隊の創設は1831年とされています。これに決裁を与えたのは王政復古期の後半、多分立憲君主制を構想していたルイ・フィリップです。もちろん正史の上では、フランスには立憲君主制はありませんでした。とはいえ、この本当の意味でのフランス最後の王様は、英国型の政治制度に憧れていた風があります。ズアヴのモデルになったのは、その少し前の時代に、英国がネパールで採用したグルカ兵制度ではないかと思われるところがあります。

ルイ・フィリップの治世は18年間も続きましたし、その後もあまり悪くは言われていないようです。時代の風に敏感だったのでしょうね。その時代とは、そう、帝国主義の時代です。
[Res: 614] ズアヴの受難 投稿者:テバ 投稿日:2005/11/16(Wed) 08:43
この150年の間、セーヌ川は何回もの洪水を経験しています。そのうちでも最大であったのは1910年1月のものです。この時は、ズアヴの肩のあたりまで水位が上がってきました。本当に、もう少しで溺れるところだったのです。その時、アルマ橋は見物客で一杯でした。
[Res: 614] 1910年1月のパリっ子 投稿者:テバ 投稿日:2005/11/16(Wed) 08:53
モンスーン地帯とは正反対に、この川が大氾濫するのはいつも冬季でした。このごろは地球温暖化とかの影響で、季節がズレてくるのではないかなどと、真剣に心配している秀才研究者クンもいるそうです。でも、平均的なパリジャンやパリジェンヌは、そんな心配とは無関係に人生を楽しんでいます。

1910年1月の洪水のころは、写真術・写真機が広く普及を始めていた時代でした。そこに珍しい市街地氾濫などが起こったのですから、放って置くわけがありません。みんなでザバザバと水の中に繰り出します。思い思いのポーズを取って、しっかりとカメラ目線で記念撮影ということになるのです。

ズアヴの方は、もう少しで溺れそうだったというのに・・・
[Res: 614] かくてズアヴは、・・・ 投稿者:テバ 投稿日:2005/11/16(Wed) 10:15
この150年間のセーヌ川の洪水を忠実に記録し続けてきました。「ズアヴの腰帯の上のところまで水が来ていたよ」とかいう形で記憶されます。市民が見張り役ですから、記録し損なうということがない、作動確実な現代のナイロメーターです。アルマ橋の設計者たちが考えてもいなかった役割を果たしてきたのです。

しかしズアヴは心配しています。現在の河岸には、1910年当時にはなかったメトロや地下駐車場といったものがゴマンとあります。ルーブルなどの美術品収蔵庫も地下にあるようです。一旦1910年クラスの洪水が起こってセーヌが氾濫したら、経済的・文化的損失は量り知れないものになるのではないでしょうか。

平均的なパリっ子は、全然気にかけていないようですが。

【資料提供:IIBRBS】
[Res: 614] 南北戦争のズアヴ 投稿者:テバ 投稿日:2005/11/24(Thu) 02:39
「ブル・ランの戦い(南部呼称はマナサスの戦い)から帰還したズアヴ」とあります。この南北戦争最初の大会戦は1861年のことでした。こんなところまで出稼ぎに行ってたんですね。
[Res: 614] 南北戦争のズアヴU 投稿者:テバ 投稿日:2005/11/24(Thu) 10:17
「ルイジアナのズアヴ」とあります。ところで、このシリーズにも飽きがきました。

[626] ウソ 投稿者:テバ 投稿日:2005/11/21(Mon) 21:11
いろんなウソがニュースを飾っています。マンションの強度とか車両の重量とか、ウソというものは余程儲かるものらしいですね。最近のウソは妙に手が込んでいますから、従って、万一露見した場合、絶対言い訳できないことになります。

公務員のウソというのも頻繁に報道されます。昔は特別職公務員のうちごく一部の人たち(政治屋?)の専売だったのですがね。公務員のウソは罪一等を加えることになってます。知ってましたか? その危険をあえて冒すくらいに魅力的なのでしょうか。

こうなったら、日本人全員に一生に一回だけウソをつく権利を与えたらどうでしょう。憲法800条に定めるとよいですね。テバの場合は、もちろん次のようになります。

「私は今後絶対ウソをつきません」

[624] 狙い目 ? 投稿者:テバ 投稿日:2005/11/20(Sun) 07:53
フェルメール本人が寡作だったのかどうか、テバは美術史には昏いので、その辺の評価は知りません。真贋判定の問題もあるでしょう。しかし、世界中に残されている作品数といえば、どうも30点以上、せいぜい40点未満のようです。このような画家の作品なら、何かの折りにコマメに狙い撃ちをして、実物を見て回る値打ちがありそうです。

「フェルメールなら相当な数、実物を見てきんだけど、・・・」

胸を張ってこう言えますものね。たとえば、メトロポリタンだけでも5点ぐらいはあるようです。どうです? やってみませんか? ピカソあたりになると、こうはいきません。ごく一部の作品を追いかけるだけで、あっという間に破産するでしょう。
[Res: 624] 遍歴計画 投稿者:テバ 投稿日:2005/11/20(Sun) 08:40
もうちょっと具体かつ詳細に検討してみましょう。多い方から順に行くとします。すると、たった5ヶ所を廻るだけでこの画家の作品の過半を見て歩けるのです。しかも、遍歴なんてものではなくて、なぜか地域的にもまとまっていることに気付きました。どこかの旅行会社に売り込みたくなるくらいの企画でした。

最後の二ヶ所、「個人収蔵」と「盗難作品」に行き着くのは大変でしょうけれど。

[620] オマハるのかミシェるのか、それが問題だった 投稿者:テバ 投稿日:2005/11/19(Sat) 08:53
まだまだ土産話シリーズです。飽きた方は、以下省略してください。

ナントからル・アーブルへの道中では、どこに立ち寄るかという問題が生じました。とにかくバスなので、多少の融通はつけられるわけです。しかし1ヶ所だけよ、ということでした。そこで候補地を挙げ始めます。もちろん、大多数はあの世界文化遺産たるモン・サン・ミシェルを希望するわけです。ただ一人、老師のみが「オマハビーチに寄ろう」と言い出しました。

ところで、ほとんどのメンバーが「オマハビーチって何?」状態なのです。そこでテバが親切に解説してあげます。あの「プライベート・ライアン」という映画の冒頭で延々とやっていた殺し合いシーンの舞台だよ、と教えてあげたのです。映画を見たとかノベルを読んだとかいう人間が一人二人いたでしょうか。あとは「そんな映画は全然知らん」という状態でした。

今は何があるんですか、と質問する勇気ある若者がいました。N君(中立的立場)が、「そうですね、石でできた記念碑と、あとは普通の砂浜ですね」。何で日本から6泊もかけてやって来た挙げ句、そんなものを見に行かなきゃいかんのだ、という思いが皆様の胸をよぎったことだと推測されます。しかし老師は唯一の常任理事です。「Veto」を持ってます。

ここで総会メンバーの数をご紹介しますと、全員で11名です。勢力的には、オマハビーチ派1名、モン・サン・ミシェル派9名でした。テバは発言を控えましたが、本当はオートヴィル・ラ・ギシャールに寄ってほしかったのですが、これはファシズム撲滅作戦よりも理由の説明が難しいので沈黙を守りました。そのため、何となく調整担当の非常任理事になってしまいました。

そこで運転手さんに振りました。技術的問題にすり替えてしまうわけです。この2案のそれぞれの所要時間ですね。ホテルに何時に入れるのか、ということです。オマハ案では9時を過ぎるだろうということです。モンサン案なら7時半ぐらい、ということでした。その翌日も強行軍ですから、老師も折れました。史上最大の作戦は、ついに採択されなかったのです。

そうしたわけで、老師とテバの意に反して、観光みたいになってしまったのでした。

http://www.christusrex.org/www2/berry/f195r.html
[Res: 620] 行ってみたら 投稿者:テバ 投稿日:2005/11/19(Sat) 09:37
世界を二分しかねない総会の議論を経て、とうとう行ってしまったわけです。が、何と、アスファルト舗装の海中道路があったのです。完全に陸続きになっているわけです。大天使ミシェルとドラゴン・ルージュの黙示録的闘争もありませんでした。平和なお土産屋さんが沢山・沢山ありました。なお、ここで買ったクッキーは、結構安くておいしかったことを申し添えておきます。
[Res: 620] 工学系的忠告 投稿者:テバ 投稿日:2005/11/19(Sat) 09:58
N君に忠告してあげました。彼はリセー(中学ぐらい?)のころ日本から来て、以来、26年間住み着いてしまった根っからのフランスファンです。同行のY君が「結構日本車が走ってるね」と言ったところ、血相を変えて「全然少数派ですよ、国産車が圧倒的ですよ。EUではフランスしか車を造っていませんからね」と反駁するようなヒトです。

テバの忠告は、「観光収入も大切だろうけれど、この海中道路は全てを台無しするよ」というものでした。N君は素直にうなずいていました。彼も、この海中道路は遠からず撤去されるのではないか、という意見でした。大きな論争が起こっているそうです。何といっても「岬の修道院」では文化遺産失格になるはずですからね。

[613] ラカーユ 投稿者:テバ 投稿日:2005/11/12(Sat) 08:13
内務大臣がこの言葉を使ったら、それは、治安維持法に基づく強権の全面発動も辞さないよ、というメッセージなのでしょうね。racaille を英語に無理矢理置き換えると scum になるようです。コンサイス仏和で引くと「1.下民、賎民 2.廃物、すたりもの」とあります。scum の語感を加えると「流れに浮かぶうたかた」、つまり、「処理しようもないクズの中のクズ」ぐらいに罵倒しています。

もっともこの文化には、結構、したたかなところがあって、「俺たちはどうせラカーユさ」と居直ったりもするわけです。超・超を付けて良いような中央集権的階級社会です。そのくらいでないと、ラカーユの方も生きてはいけないわけです。私たちのような部外者のカンコ客には窺い知れない「奥の暗闇」がありそうです。湿度の高い風土に住む我々には、到底理解できないのでしょう。

ひと昔前ですが、あの難解なマルクス理論のモデルにされたくらいの国ですからね。

[612] SAのブックコーナー 投稿者:テバ 投稿日:2005/11/09(Wed) 07:37
高速(オートルート)で給油も兼ねて、バスはSAに立ち寄ります。シェル系です。我々はエビアンなんかを買ってしまうと時間が余ります。ブックコーナーがあったので、漫画週刊誌もあるのかな、という程度の好奇心で覗いてみました。本場物のカラーグラビアたっぷりのヤツを期待していたのですが・・・全然ありませんでした。全員落胆です。

マップ類は当然としても、全体的には八重洲ブックセンターの超ミニ版みたいな品揃えでした。日本のSAとは全然違うんですね。そこで仕方なく、ポツポツと物色してみたんですが、当方に理解できるのは絵本だけです。テンプル騎士団の絵本があったので買いました。こんなものが15ユーロ(税別)です。エビアンの0.25に較べると・・・

「テンプルの騎士たち - 栄光から悲劇へ -」ですか。「キングダム・オブ・ヘブン」の背景世界ですね。結構、道中の暇つぶしにはなりました。

[611] グローバル・ラティフンディア 投稿者:テバ 投稿日:2005/11/06(Sun) 07:56
首相と内相の次期大統領職を巡る権力闘争が背景にあるとかなんとか言われてるけど、フランスで現在起こっていることは、21世紀の先進工業国では普遍的な問題なんだよね。自国民(ローマ市民)を労働力とすれば、高い賃金を払わざるをえない。すると、どんな企業の製品でもサービスでも、市場競争力を失う。それを回避しようと、できるだけ低賃金な労働者を、帝国中から捜し回るんだ。

EUのメインの手法は海外(特に旧植民地)からの廉価な労働力の移入だった。単純作業の工員、タクシーの運転手、街の清掃夫、ホテルのポーター ・・・ こうした職種をどんどん移入民で置き換えていく。最初の段階では、元来の自国民の一部が失業し始めるけど、これは社会福祉という強力な既存システムの中で救うことができる。そのために消費税が20%近くなる。パンとサーカス社会の始まりなんだけど、すでにポピュリズム完成社会だからコンセンサスは簡単に得られる。

今回ホテル暮らしをしていて2つのことに気付いた。ポーターが田舎ホテルからも消えていた。巨大なバゲージを自分でえっちらおっちら部屋まで運ぶことになる。もちろんプールボワール(チップ)の心配もなくなったけど。次に、コンシエルジュは明らかにアフリカ北部出身の人なんだけど、もの凄く英語がうまいのね。そう、海外からの移入労働者についても、リストラや選別雇用が進んでいるらしい。こうなると、第一次移入民たちは失職するし、その2世の若者たちもいろんな意味で不利なことになる。

余所事ではない。いつのころからか、日本でも、中小工場は観光ビザ名目で海外労働力を密輸入していた。さすがに大企業は体面もあってそうはいかないので、生産拠点をアジア各国で転々とさせてきた。100円ショップの商品やスーパーの野菜から始まって、逆輸入的な商品・サービスが猛烈に氾濫している。自国民には失業手当や年金をたっぷり配っておいて ・・・ 配れるうちはいいけれど、いつかは行き詰まる。

紀元4〜5世紀のイタリアの荒廃、この原因は既に紀元前2世紀のラティフンディアにあったという人もいるんだ。現代のグローバリズムでは、公然たる奴隷売買がないのだけが救いなんだろうか。

[610] ワイン評論家たち 投稿者:テバ 投稿日:2005/11/04(Fri) 08:04
とにかくワインなんてえものは、常日頃は、ブドウ・ジュース+アルコールの飲料という程度の認識です。そうはいっても、ご予算に応じて、食事に合ったワインを選んでやろうという専門家が押しかけてきました。何らかのやりとりをせざるを得なくなります。頼りになるのはN君と指導教官です。しかし忽ちデッドロックに陥ります。

教官「これがお薦めだと言っている。puissantだと言っている」

テバ「何ですか ? そのピュイ・・っていうのは(高いと思うから必死)」

N君「一般には『強い』という意味ですが」

テバ「あぁ、するとアルコールの度数が少し高いんですかね ?」

教官「どうも違う。ロワール下流の典型的ワインだと言っている」

全員「 ? ? ? ・・・」

結局、客とソムリエでは基本的知識が隔絶しているわけです。そのうえ言語の障壁もあります。こんな隔壁状態の時には発注してから考えましょう、ということになります。赤と白と各1本を頼みました。5人ですから量的には適正だと思います。出てきたのはアンジェの附近の Savennieres とかいう村の Domaine Laureau (農園)の Cuvée des Genêts 2001 とかいうものでした。2001年ならヴィンテージとまではいかなくても、まあまあ当たり年だよということでした。

ラベルからわかるのはその程度でおしまい。次に、飲みながらいろいろな感想を述べ合います。しかし、puissant にしっくりくる日本語が見つかりません。まあ、その中でも某氏が言った「コクがありますね」が近いのかな、ということで妥協しました。非道いものですね。まるで昆布と鰹節から取った出汁の評価です。

翌朝です。バスで移動します。たまたま路傍に、電動モーターの写真入りの大きな広告看板がありました。そこには何と、昨夜問題になった puissante の文字があるのです。N君に指摘したところ「ああ、力強い回転とありますね」・・・ここでピタッときました。「そうか、腰が強いワインという意味なんだ」。N君も賛成してくれました。

ワインの味は、既に12時間以上も彼方に去っていました。

[607] アンボワーズ城の石垣 投稿者:テバ 投稿日:2005/11/03(Thu) 19:01
視察経路上にあった5つのシャトーに立ち寄りました(わざわざ行ったわけではありません)。大部分がルネサンス様式以降の時代に造られたり改装を受けたりしたもので、あまり面白くは感じませんでした。何といってもお城は戦国時代の産物です。それも強力な大砲が実用化してしまうと防御力はなくなってしまうので、ルネサンス時代以前にこそ華だったのです。防御力がないシャトーは、単なる「やかた」ということで、居住性を重視して、壁は薄くなり窓は大きくなります。

今回古い時代の面影を最も残していたのは、アンボワーズ城の石垣でした。これを基礎代わりにして建てられている居館や教会は、すでに15世紀後半の建築ということでした。大部分がルネサンス風で、屋根のあたりにゴシックの面影を残します。この石垣が築かれたばかりの時代には、一朝事ある場合、シャトーは街全体の人畜の避難所になっていたはずです。大砲の登場で主戦場は平地に移りました。そうしてシャトーは、殿様と家来の住居兼宴会場になったわけです。
[Res: 607] アンボワーズの国宝 投稿者:テバ 投稿日:2005/11/03(Thu) 19:03
フランソワ1世は、晩年に不遇をかこっていたレオナルド・ダ・ビンチをアンボワーズに招聘します。お城に近いところの「クルー(Clos)」と呼ばれる館を与えました。ここでダ・ビンチは1519年に亡くなるわけです。最後まで手放さなかった三点の絵画をフランソワに託します。いずれも国宝級ですが、その中の一点がいわゆる「モナ・リザ」です。
[Res: 607] クルーの寝台 投稿者:テバ 投稿日:2005/11/03(Thu) 19:26
そのダ・ビンチの臨終の寝台が残されていました。500年前のものです。そばに恰幅の良いおじさんがいて、凝っと見入っています。よくよく見ると、私たちのバスの運転手さんでした。お城にはよく観光客を連れて行くんだけど、パリからの日帰りなのでクルー(彼はパリっ子なので「クロー」と発音)まで来る余裕がないことが多いんだ、とのことでした。

[606] センス・オブ・コミュニケーション 投稿者:テバ 投稿日:2005/11/01(Tue) 08:46
今回の旅には「こいつらが日本語をダメにした」という赤瀬川・ねじめ・南三氏鼎談の文庫を持参しました。どこから読み始めてどこで寝てしまっても良い、次の日には内容を忘れている、軽い(グラム数のこと)、どこかのホテルに置き忘れても損した気にならない等々、まあ、これだけの条件を全て備えた本というものはあまりありません。その意味では、芥川賞、直木賞、雑画家の三大大家(「おおや」ではなく「たいか」)揃い踏みのこの本、選定に誤りはありませんでした。

その中に、赤瀬川理論らしいのですが「貧乏性」の話が出ていました。世界的に見て貧乏性が発生する地域は日本とドイツぐらいであるとか、そこの人々は貧乏ゆすりをしたり台所で輪ゴムを集めたりする特徴があるとか、ということのようです。ブロアの宿では、もう夜も遅いし疲れていたので、宿屋のレストランで集団晩飯しました。少々暑かったので、持参の扇子でパタパタやっていたために、隣席で食事していた老夫婦の親爺のほうの注意を惹いてしまいました。

いきなりやってきて「お前はチャイニーズか、コリアンか、ベトナミーズか ?」と訊くわけです。明らかなドイツ訛りです。そこで若干話し込んだのですが、当然、何語かわからないウルトラ・リンガルな遣り取りになってしまいました。第二語にてギョーテ、ハイネに憧れし日々今いずこ、です。で翌朝、朝飯を済ませてロビーでチェックアウトしていたところ、この親爺が奥様を伴なって降りてきました。問うて曰く「アイネ・ナハト ? !」、この意味は良く判りました。知り合ったばかりなのに、ね。

「ウィ、マルーズモン !」と応えたら、ご夫妻で肩をすくめておられました。貧乏性のイチニを争ったら、日本が勝ちますね、きっと。それと、折角コミュニケーションが芽生えたうえに奥様がおられたのに、ドイツの台所における輪ゴムコレクション事情を聞き損なってしまったのでした。勿体なかった ・・・ って、また貧乏性ですね。ちなみにホテルは有名な「ノボテル(Novotel)」という安宿です。健康・清潔・廉価を売りにしているようで、あの辺では、長期滞在型ホテルの代表格のようでした。

[605] ランナウェイ 投稿者:テバ 投稿日:2005/10/29(Sat) 23:13
ナントの外港サン・ナザールの沖合にノワルムーティエという島があります。代表的リゾートのようです。テバとしては是非そこに立ち寄って欲しかったのですが、圧倒的少数(一名)ということで否決されてしまいました。本当は、相当に高度な島嶼型循環式水管理をやっているらしく、その実態を視察したかったという動機もあったのです。

シャルル大帝のころ、この島には大きな修道院があったのですが、ある日ノルマン人の舟の大群が現れたそうです。修道僧たちは財宝、なかんづく聖遺物をたずさえ、ロワール谷沿いの道を、東へ東へと逃亡を始めました。しかしなぜかノルマン人は何処までも追ってきます。なぜならば、坊さんたちの逃げ方には戦略がなかったのです。

バイキングに由来するノルマン人の舟は喫水が極めて浅く、ロワール川のような浅瀬ばかりの川でも難なく遡ることができたのでした。ノワルムーティエ島からブルゴーニュのディジョンまでは直線距離でも550kmぐらいあります。彼らは岡山から東京ぐらいまで逃げたのですが、そこでノルマンの追手は止みました。大きな山地を越えたからです。

すでにソーヌ川に達していました。彼らはそこに新しい修道院を築きます。それらのうちの一つはのちにクリュニーと呼ばれ、将来多数の有能な教皇を輩出することでしょう。また、シトー会という修道会もできることになります。ノルマン人の後押しがなかったら、このブルグンド人の谷には、ニーベルンゲンリートの血腥い風が吹き続いていたのかもしれません。

また、ワインの名産地が一つ、誕生し損なったかも知れません。