★楽ガキコーナー★

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宰相不幸社会へのレイルロードマップ 投稿者:テバ 投稿日:2010/12/03(Fri) 10:35 No.1183  

> 駅ホームの転落・接触 最悪ペース 6割が酔客
> (12月3日 東京新聞)

都心の地下鉄は相互乗り入れの普及もあって、「人身事故」によるダイヤ混乱が日常茶飯事になってきています。テバの印象ではここ4〜5年に増えてきたなという感じでしたが、統計的にもそうなっていたようです。

「接触」はともかく、「転落」とされる方々の相当部分は「自発的跳躍」ですね。酔っぱらいが多いということですが、そのほうが糞度胸も付き、実行しやすいからだと思われます。

地下鉄とは関係ありませんが、中央線の中野から西の直線区間の駅は、いわゆる人身事故のメッカと化しているようです。遙か彼方から電車が近づいてくるのが見えます。最後の決心とか念仏とかにとって、丁度良い時間的余裕があるということのようです。

最大不幸の人から順に、続々と人生に終止符を打っていきますから、総理の目指す最小不幸社会へと極めて急速に近づいていくわけです。工学部出身でなくても判る、極めて単純なことです。

墓場の平和とはいえ、政治的成果ではあります。



世界惣所替え 投稿者:テバ 投稿日:2010/11/28(Sun) 08:31 No.1182  
どの程度までオーソライズされているのかは不明ですが、幕府の某所で密かに検討されている計画が流出した模様です。

日本列島にはオランダ国が国替えになるようですが、その日本国がどこに移るのかなど、次々と尻取りみたいに追いかけてみるのも楽しいですよ。



海が違った 投稿者:テバ 投稿日:2010/10/02(Sat) 01:31 No.1181  
大変な猛暑でした。記録が次々に更新されました……とはいえ、せいぜい百年余の観測に対してということです。

前の氷河期が終わってから2万年、それから現在までにはもっと凄い夏もあったことでしょう。

思いついて海面温度を比較してみました。昨年と今年の9月1日です。25℃の海域を見れば判るのですが、今年は、太平洋では三陸沖、日本海では積丹半島の北あたりまで赤く染まっています。普通なら台風が海の熱を吸い上げて一挙に北に運んでくれるのですが……エルニーニョからラニーニャに急激に変化する年ということで、このメカニズムも痺れていたようです。



ハドリアヌス 投稿者:テバ 投稿日:2010/07/10(Sat) 06:52 No.1180  
 
 Animula vagula, blandula,
 Hospes comesque corporis,
 Quae nunc abibis in loca
 Pallidula, rigida, nudula,
 Nec, ut soles, dabis iocos...

 たよりない、いとしい、魂よ、
 おまえをずっと泊めてやった肉体の伴侶よ、
 いま立って行こうとするのか、
 青ざめた、硬い、裸なあの場所へ、
 もう、むかしみたいに戯れもせず....

「もののふの……」とか「……醜名(しこな)なりとも後に残さん」というようなコテコテ系より、はるかに好きなのがこのハドリアヌスの辞世です。中学生みたいな青くささがありますね。

大人になりきれなかった皇帝でしょうか。

髭の皇帝というのは彼以前の時代にはレアであったそうです。蛮族(日本では仕分け族とも)の風習だったからという説明があります。もっとも、彼の場合は顎下の戦傷を隠すためだったそうです。結構おしゃれです。



チョンゴロイド予想 投稿者:テバ 投稿日:2010/05/19(Wed) 08:20 No.1147  
五月の寒の戻りというのも不思議なことですが、おかげで、これが最後か、これが最後かと鍋が楽しめます。

去る冬を 土鍋とともに 涙かな 【手羽子】

鍋文化というものがありそうです。しかも、モンゴロイドに広く普及しているのです(というような気がするのです)。たとえば東南アジア(海のモンゴロイド)の間ではスチムボート(steam boat?)が広く愛用されています。海上生活のメンタリティーに合うのでしょうね、きっと。

ユーラシアの西ほ方にも「ふぉんじゅ」みたいたものがあるようですが、テーブルと椅子ならば、品のよさには問題ないでしょう。。
とはいえ、何と言っても、鍋文化が多様化の極に達したのはこの極東において、という気が(再び)するのです。お隣の国ではチョンゴル(jeongol)ですね。更に、お一人様用の小さな鍋は、チゲ(jjigae)と呼んで区別するという芸の細かさです。

話は少し逸れますが、本邦の鍋には豆腐が登場することが多いのですが、だからどうしたという、いわばワンサ扱いです。しかしあの国では、それだけでトゥブ・チョンゴル(dubu jeongol)となり主役級の大看板が立つようです。しかもその他の山のような具は、従者扱いというありさまです。この豆腐の厚い遇され方を前にすれば、かの久保万の「湯どうふ」などは足許にも寄れません。

トゥブ鍋や いのちかぎりの 厚化粧 【手羽子】

いずれにせよ、『モンゴロイドは、この極東のステップにおいて進化論上のステップアップを遂げ、「チョンゴロイド」になった』、というのが私の提出する予想です。

仮説ではなく「予想」ですから、提出者の特権として、その証明は後世にゆだねます。ここではとりあえず、第一発見者としての優先権とそれに伴う栄誉の独占権をつつましやかに主張しておきたいと思います。



この船は…… 投稿者:テバ 投稿日:2010/05/15(Sat) 15:25 No.1142  
高級旅客船です。船室は、借金を質に入れてまで切符を買った高級船客でぎっしりです。

この船を動かしているのは、当然、船長以下の船員です。船員には高級船員と低級船員がいます。高級船員は新しい港に着くと、船客によって選び直されます。前回立ち寄った港では、高級船員は全員入れ替えられました。もちろん船長も一等航海士も入れ替わりました。

船客は常々、待遇に不満を感じており、改善要求を次から次へと出してきます。それどころか、既に払った切符代のが高すぎたとまで言い出しています。実は、旧・高級船員の追放と、新・高級船員による総入れ替えは、新メンバーが、マニフェストとか称し船客の要望を丸呑みにしたために起こったことなのです。

新・高級船員たちは相談します。船客の待遇を改善したり船賃の割り戻しをしなければ約束違反ということになります。まず第一に、経費の節減を考えました。低級船員の大規模なリストラです。彼らはこの船に「巣くっている」ネズミのようなものですから、海に投げ込んでしまえばいいでしょう。

次の手は、船客から借金をする方法です。今の船客に「船長債」という紙切れを渡して、金を貸してもらいます。こうして集めた金の大部分は、直ちに船客に配られます。船側には債務が残るのですが、これはこれから先、港々で乗り込んでくる新しい船客の切符代に上乗せして償却するつもりです。

実にすばらしい航海になりそうです。高級船員たちには海図の見方も知らず天候の判断もできないという噂がありますが、これだけ大きな船です。氷山の一つや二つが激突してきても、びくともしないでしょう。船客は待遇がよくなったうえに金まで配られ、「船債」という借用証を手にしています。満足です。

高級まみれのこの船には複数の船名があります。一般には「日本丸」です。あるいは「タイタニック2世号」と呼ばれることもありますが、古代からの由緒ある船名があります。それは「愚者の船」です。



あの時代 投稿者:テバ 投稿日:2010/05/05(Wed) 19:03 No.1128  
Yちゃんは、生まれ月の関係でテバより1学年上にあたるようです。入学・卒業の年次は知りませんが、彼自身のHPには「工学部計数工学科卒業」と記しています。しかし当時は、「応物」とひとくくりで呼ばれていました。定員も今日ほど多くはなく、したがってそれほど細分化されていなかった筈です。

応物の学生はIQが高く、党員が多いというのが当時の定評でした(あの大学では、IQが高いというのは決して褒め言葉ではなかったことを、念のため申し添えます)。テバの知り合いで1学年上のTさんも、応物に籍を置いていました。だから、ひょっとすると、Yちゃんと同級だったのかも知れません。知りません。

あれは68年の夏休み明けでした。チェコにワルシャワ条約機構軍と称するソ連軍戦車隊がなだれ込んだ直後です。折り紙付きの党員(らしいという噂)のTさんに、たまたまキャンパスで出会いました。好機逃すべからずです。早速プラハで起こっていることの解釈(テバも学生でしたね)について尋ねたのです。

するとTさんいわく、「あれは党が決定したことだから正しいし、うちの学科では全員がその意見だ」。この一言で終わりでした。ノンポリのテバなぞには答えることさえ煩わしいという感じでの一刀両断です。テバは直ちに決心しました。そんな「党」があるのなら絶対に近づくまい、と。ノンポリのままでいよう、と。

当時のうちの(応用物理)学科とかいう集合の要素として、学生Yちゃんが含まれていたのかどうかは知りません。知りたくもありません。ただ、昨今の出来事の報道に触れ、あの人も「あの時代」の子だったのかな、などというよしなしごとが心に浮かんできた次第です……



ヤンガー・ドライアス 投稿者:テバ 投稿日:2009/12/30(Wed) 21:01 No.1080  
ここ20年ぐらいの間に、グリーンランドや南極大陸で超長尺の氷床コアが採取されました。これに伴い、過去数十万年間ぐらいの地球の気候変動が詳細にわかってき/ています。いろいろな事柄が判明してきたわけですが、至近の重要な時期としての「ヤンガー・ドライアス」の存在が指摘されています。最終氷河期というものは約1万8〜5千年前に完全に終わり、これ以降、温暖化が始まるのですが、それから現在まで単調に温暖化してきたわけではないようです。約1万2千年前を中心に、約三千年間にわたる一時的な寒冷期があったというのです。

氷河期の最盛期には厚さ数千mにも達していた氷床も、その終わりとともにどんどん薄くなり、1万5千年前には気候を支配する力を失っていました。それから最初の一千年間というもの、気温は上昇一方になります。グリーンランドですら、ついには−30℃まで温暖化したのです(グリーンランドですから、これは凄く暖かいというか、むしろ猛暑なのです)。当然ですが、生物界はそうした変化には脆弱です。その時点では「私たちこれからどうなるの」という混迷状態だったはずです。

超温暖化期とでもいうべきこの千年の間のクロマニョン達(我々のご先祖)は大騒ぎだったでしょうね。氷河期に合わせて生活していたら、急に猛暑に向かい出したのです。海水面も千年間で50m程度は上昇したようです。当然大問題になり、環境保護団体も騒いだでしょうしCOPも開催されたことでしょう。焚き火の自粛とか、焚き火権の市場売買とか……しかしながら楔形文字も発明されていなかった有史以前のこととて、この人類史上極めて貴重な経験は記録として残されていません。

ところがこの温暖化現象は、たった千年で終わってしまいます。次には急激な超寒冷化が起こったのです。温暖化問題で大激論の最中の寒冷化です。世界は電子レンジから冷凍室に放り込まれました。これは大西洋の暖流が停止したせいだという仮説があります。この約三千年間の「寒の戻り」の中心期がヤンガー・ドライアスと呼ばれています。



ドライアス テバ - 2009/12/30(Wed) 21:24 No.1081  

ヤンガー・ドライアスという名称は、この時期に北半球を覆い尽くしたドライアス(Dryas Octapetala)という花に由来します。花粉分析で判ることのようです。同様な寒冷期はそれ以前にもあったらしく、そちらの「オールダー」と区別するために「ヤンガー」となっているようです。

この花は今でもアルプスや日本アルプスには咲いているようです。名称の通り8弁の、可憐な花です。極めて小さなものです。日本アルプスのこの花は「var. asiatica」が付され変種とされます。これの和名は「チョウノスケソウ」です。須川長之助さんが採取したことにより命名されました。



ニンフの花 テバ - 2009/12/30(Wed) 21:46 No.1082  

Dryas というのは、ギリシャ神話に登場するニンフ族のドリュアスです。これが日本に来ると「チョウノスケ」とは、と、一瞬とまどいを覚えてしまうのですが……ひょっとしたら、須川長之助さんて、ニンフに愛されるようなイケメンなのでしょうか。

ドリュアスは木の精霊だということですが、これが、ケルト文化で「ナラの木の知恵」を意味する、神官階級ドルイド(Druid)につながっているようです。長之助さんが、容姿云々は別にして、「知恵」の方面の方だったということもありえますね。



クライメット・ショック テバ - 2009/12/30(Wed) 22:30 No.1083  

ヤンガー・ドライアスというエポックは、地質年代的にいうと、更新世から完新世に移り変わる境界ということになります。地質年代は生物種の絶滅更新をメルクマールに区分してますから、ここでも「大量絶滅」が起きています。ここで絶滅したのは寒冷地に適応した大型哺乳類が中心だったようです。マンモス、オオツノシカなど、体重45kg以上の約80属が絶滅したとあります。

しかし、ドライアス・ショックというものも考えられます。温暖化に徐々に適応してきた種があったとしても、その矢先、いきなり再寒冷化に襲われたとすれば、ダーウィン先生でも考え込むような、「……と思わせておいて」的な不意打ち選択現象も起こり得ます。単純な温暖化よりも卑劣・過酷なやり口にに曝されたわけです。宇宙の非情さ不条理さを感じさせる出来事です。植生は極端に単一化します。

地の涯までを覆い尽くすこの可憐なドライアスの草や花では生きていけない大型草食動物は、真っ先にアウトです。次に、これらの草食動物の捕食者(プレデター)も滅びていきます。サーベルタイガーなんかが代表事例です。犬歯をひたすら伸ばし、スーパーハンターの地位を謳歌していましたが、大型の獲物がなくなっては無用の長物です。ハムスターなどの小型動物を捕まえるには何とも不便なことです。

話は逸れますが、こいつは「剣歯虎」ではなくて「剣歯猫」というほうが分類学的には正しいようです。この20cmにもなんなんとする剣歯は、クジャクの雄の羽がああなったのと全く同じ理由で、雌がそれを選ぶからということだけで過適応してしまったようです。最期のサーベルタイガー夫妻なんかは、夕陽の丘の上で肩寄せ合い、「いいぇ世間に負けた〜」なんてやってたのでしょうね。

猫や虎は孤独なハンターです。群れもつくらず、ひたすら本能の導くままに捕食していくだけです。もちろん、自分が気候変動の最中にいるなんて認識はないでしょう。

クロマニョンはどうでしょう。COPのお話なんかを伺っていますと、「ホモ・サピエンス」の自称を止めて、「ホモ・フェリス」に改名したらどうかというような気がしてきませんか。

科学的根拠を全く無視する知的レベル、餌を目の前にして奪い合う獰猛ぶり、これらは全く猫・虎並みです。スパコン不要を唱えて途上国に国民の膏血をばらまく政治家までいます。


何はともあれ、良いお年をお迎えください



「子供の情景」 投稿者:テバ 投稿日:2009/12/06(Sun) 10:32 No.1077  
バーミヤンに住む6歳の女の子、バクタイ。読み書きを覚えたい一心で、苦労して手に入れたノートを片手に学校に向かう。

途中では男の子たちの戦争ごっこに巻き込まれる。「無信仰者はここを通さない」、立派な大人の台詞だ。

やっとの思いで学校にたどり着くが、男子校はもちろん女子校にも受け容れてもらえない。

帰途、再び戦争ごっこに巻き込まれる。「自由になりたかったら死ぬんだ」。バクタイは草の上に仰向けになり、死んだ演技をする。

ずっと手放さなかったノートも、今はない。



出石皿そば探検隊の遭難? 投稿者:テバ 投稿日:2009/11/28(Sat) 20:35 No.1076  
起点は新大阪です。テバと大坂人2人が合流した三人組は、車で一路豊岡に向かうのでした。通常、片道3時間はかかります。その途中には何の用もありませんが、仕事ですから仕方ありませぬ。粛々、ドナ・ドナと運ばれていきます。

牛の場合は、だれがお前に命令したんだ、という不条理が付きまとっていました。それを周りから告発する合唱もありました。しかし今回の我々3名に歌はありません。業務命令で車を走らせているだけです。目的を達するか、さもなくんば死。

前回同じメンバーで豊岡を訪れた時の昼食では、但馬牛のステーキが昼食に出てきました。それはそれで見事なお味でありましたが、相当単価が高いようで、大変小さな塊でした。その時、テバがポソッと言ってしまったのです。

「出石の皿そば、あれも美味いよね」

ステーキを段取りしてくれた人を深く傷付けてしまったようですが、今回は蕎麦屋を探すと言ってくれました。

ふと目が覚めると、既に出石の町中です。大坂人2人で店を物色しているようです。なかなか決定に手間取っているなと思っていると、ハンドルを握っている方が言いました。

「ああ、ここならうどんがありますよ」

一遍に完全覚醒状態になりました。何と、うどん屋を探していたとは……

後で聞いて良く解りました。大坂人のうちの一人が「そばアレルギー」だったのでした。

定食風だったので皿そばは5枚でしたが、昔は15枚程度を軽く片付けていた記憶があります。わんこ蕎麦でも100杯超でしたからね。若かったあのころ、です。



車の道(タオ) 投稿者:テバ 投稿日:2009/11/10(Tue) 08:37 No.1075  
世界中に一千万台の車を売るという豪気な夢を見ていたお店(タナ)がありました。ところがそこの若旦那、この人は先祖以来の本業から少し外れ、F1という花魁に入れあげておりました。その時代のお奉行様のご判断では、若旦那が花魁に注ぎ込んだ金穀は、本業のための「研究開発費/広告宣伝費」であるとされていました。

つまり、庶民に売る車だろうが、花魁への貢ぎ物だろうが、「経費」なので税金はかかりません。そういうわけで、若旦那は数百億円という大枚を、毎年、世界の花街で蕩尽していたのです(以下、計算の都合もあるので仮に500億円だったとしておきましょう)。もっとも遊郭トップの花魁には、袖にされ続けていたようですが。

もちろん無から有は生まれません。500億円は大衆車の売上げから横抜きされていたのです。一千万台ですから、一台あたり5千円になります。何百万もする乗用車を購入されるセレブには痛くもかゆくもないことでしょう。それに、この5千円は、全く別のルートで調達されていました。ユーザー様の目に触れることもないのです。

仮に、あなたが購入される高級乗用車の価格が「本体価格+花代5千円也」というように提示されたら、あなたの購買意欲はどうなるでしょう。ともあれ、部品工場の方は、そんな優雅な世界で生きている訳ではありません。1ヶ10円のネジを9円にしろと迫られます。若旦那の道楽とはいえ、零細企業の社長さんには、逃げ道がありません。

F1から撤退することには「理」も「徳」もあるというお話です。



読書感想文 投稿者:テバ 投稿日:2009/10/25(Sun) 06:32 No.1074  
この年齢になると仕様もないことを思い出します。

昔の田舎高校では、読書奨励のためでしょうか、夏休み後の読書感想文提出を生徒に義務づけていました。優秀な感想文には校長様からの「表彰状」まで下賜されていたような記憶があります。ま、ある意味では、文化の薫りが漂っていたんでしょうが。

ある年の我がクラスの第一等推薦感想文は、某君の出した「ヒトラーの『我が闘争』を読んで」でありました。もちろん表彰状までは行きませんでした。馬鹿なと思い、その某君に巨細を正す質疑を敢行したのですが、本当に読んだとしか思われません。凄い奴がいるものです。多分、夏休みの全余暇・全精力をこの読書一点に注ぎ込んだのでしょうね。

ちなみに、この時テバが提出したのは「井上靖の『青衣の人』を読んで」でした。時間も金もない時に、薄っぺらな文庫本で、値段が一番安かったからです。もちろん、選外・論外の扱いにされました。



反骨カフェ 投稿者:テバ 投稿日:2009/10/13(Tue) 23:30 No.1073  
信濃町といえば、新宿と並んで、全共闘的「されどわれらが日々」の史跡・戦跡です。ここに反骨の喫茶店があることを、ヒマさんに案内されて知りました。それにしてもまあ、嫌煙、分煙、絶対禁煙などの論が圧倒的主流を占めるこの時代に、何という蛮勇でありましょうか。

そう言えば筒井康隆に「最後の喫煙者」という小品がありましたが、この喫茶店が機動隊に包囲されないことを祈ります。



ヴァヴィーロフ兄弟  投稿者:テバ 投稿日:2009/08/25(Tue) 10:15 No.1068  
脇役のルイセンコという男については、以前ざっと書いておりますが……

旧ロシアから旧ソ連邦時代にかけての科学者兄弟です。兄はニコライ。英国留学中にベイトソン教授の薫陶を受け、当時再発見されたメンデルの遺伝法則を学び、ソ連の栽培植物の改良に一大画期をもたらしました。その後、ペトログラード応用植物学研究所長やソビエト科学アカデミー遺伝学研究所所長などを歴任しましたが、1940年には解職、逮捕。1943年にはサラトフ監獄で収監中に栄養失調のため死亡とあります。

弟はセルゲイです。物理学者。国立光学研究所所長、科学アカデミー物理学研究所所長、科学アカデミー総裁を経て、天寿を全うしています。セルゲイは社会主義目茶苦茶アカデミズム(?)の嵐の中で、面従腹背の思いをしながら若手の物理学者たちを弾圧から擁護しつつ、ソ連の物理学の灯を点し続けたようです。もちろん彼は、兄であり学究の先輩としてのニコライを敬愛していたはずです。

植物学者・遺伝学者たるニコライに陥穽を仕掛けたのは、あの悪名高きルイセンコです。「修道院の科学」レベルでソ連邦の食料生産に大躍進をもたらすと確約し、失敗したのですが、独裁者のおかげで何の咎めもなく栄進した男です。残されている画像を見ると、ゲシュタポの将校のような風貌です。あるいはジョルダノ・ブルーノを火刑にかけた異端審問官というものも、こんな連中だったのかと思わせます。

ルイセンコ学説というものは、戦後、日本の学会にも特定政党アカデミズムとして紹介されたり、大躍進時代の中国に大規模に導入されたりしています。導入してしまった中国では、当然、大飢饉となり膨大な餓死者を出しています。日本の場合は多少のアイロニーがあります。ルイセンコ学説は獲得形質は遺伝するというネオ・ラマルキズムです。ただし、ラマルクと違うのは種(社会)全体の努力が必要だということです。

そもそもルイセンコの学説(?)というものは、小麦の種子を低温処理をすると春蒔き秋蒔きの性質が入れ替わるということだけを根拠としていたようです。これは、ロシアの厳冬を耐えてナポレオンやヒトラーを撃退したという、独裁者の経験的史観にぴったりくるものでした。これを種子の春化処理と呼ぶようですが、日本の特定政党の見解では体細胞の一部を低温保存してから元の人体に戻すことで「●春処理」ができるとまでの馬鹿な……

ルイセンコにとっては、正統派遺伝学者は歴史の必然を見ない愚か者であり邪魔者でした。そこで独裁者と組んでニコライ・ヴァヴィーロフを陥れたわけです。容疑は「社会主義に害をなした」で必要かつ十分だったのでしょうね。一方、弟のセルゲイは、本人の能力・才能もあったのでしょうが、アメリカが2発の核爆弾を使用してくれたおかげで、戦後、物理学会の重鎮として不可欠の人物となります。金山氏によれば、

『1945 年、科学アカデミー総裁の候補として挙がっていたのはルイセンコとセルゲイ・ヴァヴィーロフであった。ヴァヴィーロフは、自分が総裁任命を受けなければルイセンコが総裁になることを知り、「数箱のタバコを吸い尽くし一晩中一睡もせず考えた末、もしルイセンコが総裁になれば科学アカデミーとソ連科学は破滅だと考え」、ついに総裁就任を決断したという』とあります。

当然、兄ニコライの無念も胸をよぎったことでしょう。

* もちろんメンデルも修道院の科学をやっていたわけですが、彼はシェーンブルン宮殿でアジ演説などはせず、学会誌に黙々と投稿しつづけていました



旧兵忌 投稿者:テバ 投稿日:2009/08/08(Sat) 08:49 No.1066  
毎年この時期の日本は原爆忌です。こんな季語を持つ文化というものも摩訶不思議ですが、せめて絶後であってほしいものです。全ての生物種は最終的には進化の袋小路に入り込んで滅びる運命にあるのでしょうが、自力で袋小路を造るというのは立派な勲章モノの希少種です。太平洋の向こうの大統領は核廃絶を目指しているようですが、ご健勝を祈念します。

とはいえ同じ国が、飽きもせず、ピンポイント・ウェポンなんてものに膨大な知力・金力を注ぎ込み続けているようです。ピンポイントがいかにも人道的みたいな言い方をしていますが、ペンタゴン・エリートの言うコラテラルな被害(付随的犠牲)は跡を絶ちませんし、最後には横綱・大量破壊兵器が控えているからねという余裕みたいなことが本音なのでしょう。

新兵器の話はキリがありませんので、ここでは旧兵器についてひとつ……

聴音機(Sound Detector)という兵器ジャンルがあったようです。医療器具ではありません。なぜ大文字なのかというと、画像に見るように超巨大ラッパみたいなものだからです。この当時の「最・新兵器」を大元帥陛下が観閲しておられます。後方に高射砲が林立していることでおわかりのように、これらは忠良なる臣民を鬼畜の残虐な爆撃から守る防空システムの重要な一翼なのです。

一般に「三次元空間ヲ飛来セル敵航空機ノ位置」は、四次元座標(x,y,z,t)で表現されます。これを2つの時刻で測定し、運動がリニアであると仮定すると敵機の未来位置を正確に予測できます。この装置をリニア・プレディクターと呼びます。その予測ポイントに向けて高射砲弾を発射すると見事撃墜できるといのが原理ですが、まあ、株価チャートで相場を予想する程度の確率だと思ってください。

問題は、このトロンボーンの化け物の開発史です。よく判りませんでした。当然、第一次大戦以降、第二次大戦終末までだとは思うのですが、このような観閲式までやっていただいたのはいつの時点だったのでしょうか? ということです。敵機の位置を探索する手段には、もう一つ、音波を使わずに電波を使う方法があります。いわゆるレーダーですね。当時の日本語では「電探」です。

もう一歩踏み込みます。ここからが本題。昭和15年のことです。

 9月15日 帝國海軍、日独伊三国軍事同盟に賛意をとりまとめ(海軍首脳会議)
 9月15日 英国空軍、独逸空軍を激戦の末に撃退(バトル・オブ・ブリテン)
 9月17日 ヒトラー総統、英国上陸予定B軍に東方転進を命令(対ソ戦への転向)
 9月27日 日独伊三国軍事同盟締結を公表
 9月28日 「いまぞ成れり"歴史の誓" めぐる酒盃 萬歳の怒濤(asahi)」等が報道

山本連合艦隊司令長官(列外)がこの軍事同盟に徹底して反対だったことは有名な話です。

問題はバトル・オブ・ブリテンにおける英国側の勝利の大きな要因の一つとして、レーダー網の展開が挙げられていることです。元来、欧州の戦闘機は航続距離が短いのです。それは広大な太平洋を戦場とした日米のパイロット達の良く知るところです。爆撃機の護衛に随行するメッサーシュミットは、英本土往復での大半の燃料を消耗するため、英国での滞空戦闘時間が20分程度だったようです。

対する英国は、レーダーで敵爆撃機編隊を十分引きつけておいてからスピットファイアを上げ、悠々と応接すればよいわけです。最後にはドルニエ空爆隊を護衛戦闘機なしの裸状態にできたわけです。ヒトラー総統、ゲーリング元帥以下、第三帝国空軍がこれを教訓として学んだのは、まさにこの勝敗を分ける空戦の結果によったわけです。もっとも当時は、どの国の軍隊もこんな知的水準だったのですが。

それはどうでもよくて、問題は、我が帝國がこのバトル・オブ・ブリテンについて何も知らずに「バスに乗り遅れるな」とばかり独逸の尻馬に乗った情報力の貧困さです。独逸は英国に戦勝するはずだから、米国は日本に譲歩せざるをえないはずだ。とすれば、この軍事同盟こそ日米戦回避としては最大の「王手」のはずだという三段論法に帝國の運命を賭けたわけです。

それは過酷だよ、君、という方々もおられるでしょう。当時の情報の伝達・処理能力では、昭和15年の9月のこの2週間で戦況が分水嶺を越えたことがわかるわけがないよ、という意見もあるでしょう。まあね。でも、こーんな意見さえどうでもよい、という事実に突き当たったというのが今回のご報告で、この聴音機のことなのです。それは国立電映協会のトクバン「軍事同盟」でした。

つまり、(すなわち?)三国軍事同盟を根拠として、帝國が独逸に発した軍事技術供与の要望リストに、これら(こいつら?)があったわけです。いわく、

●最新型水中聴音機

●船舶用空中聴音装置

画面に流れたのは海軍関係部分だけだったのですが、「陸」も同様でしょう。この観閲式も三国軍事同盟締結の前後の時点でしょう。当時の帝國軍部にとっては「極秘IT」だったようです。ちなみにヒトラー殿は、一括して「軍事技術対日供与は原則拒否」と裁断された模様です。この聴音機程度はOkだったかもしれませんが、「ベルリンの骨董屋でトランペットでも買って送っとけ」なんて会話ぐらいだったのかとも……

しかしながら、こうした喇叭兵器を真剣に信頼して世界を相手の戦争を始めたのでしょうか。寒い、あまりにも寒々とした光景です。英米はすでに、分解能抜群な10cm波レーダーの工業生産の開発研究に着手していたころのことです。

なお、帝國の名誉のために言うなら、日本光学工業(現在のニコン)なんかは、レンズとネジと歯車で構成されるアナログ・プレディクターを独自に開発しようとしていたそうです。



第四次十字軍の迷 投稿者:テバ 投稿日:2009/08/03(Mon) 12:26 No.1065  
標記は、史上有名なというか、ノートリアスな十字軍です。その評判の原因は「迷走」に尽きます。

数次にわたる十字軍のスポンサー/幹部連中をあげると次のようになります。

 第0次 乞食坊主
 第1次 (一旗組)強盗貴族
 第2次 王・皇帝(ルイ7世等)
 第3次 王・皇帝(リチャード獅子心王等)
 第4次 (有閑)富裕貴族
 第5次 枢機卿(教皇特命)
 第5.5次 神聖ローマ皇帝・フリードリッヒ2世
 第6(or7)次 ルイ9世
 終 末 ルイ9世〔遠征中頓死〕

これらのうち、西側から見て(物質的)成果をあげたといえるのは、ハングリーな第1次のみです。第5.5次こそ本格的な近代的外交と呼ぶべきですが、戦闘一つなくエルサレムの管理権を入手したこの皇帝は法皇から破門されていたのです。フリードリッヒを西欧は「皇帝座のアンチクリスト」とまで侮蔑します。モスクの美と早朝のミザーンの呼びかけをこよなく愛した皇帝は、ムスリムからは「真の無神論者だ」と激賞(?)されています。

それはさておき第4次十字軍の話です。これは、キリスト教圏のみを攻撃・征服したことで名を残しています。「†×†」のバトルになっちゃったわけですね。手始めにアドリア海の政敵ザダル(†)を陥します。最終目標はコンスタンチノープル(†)ですが、その途次にあっても、キリスト教圏の島々を略奪していきます。法皇は、この十字軍を破門したり贖宥したりで大変に忙しいことになったようです。詳しくは塩野先生の「海の都の……」を買って読んでください。

第3次十字軍までは、陸路が主でした。王族などの経費に糸目をつけず海路東方を目指そうとするグループの出発点は、主にシチリアのメッシーナでしたが、その輸送力は極めて細々としたものであったようです。第4次に至り、ヴェネツィアが騎士・兵士・軍馬・糧秣等のロジスティックスの全てを担当することになります。一度に二百隻を上回る船団を派遣することができました。海洋王国ヴェネツィアが本格的に台頭してきたわけです。

十字軍代表団との交渉に当たったヴェネツィア側の代表はドージェ(元首)ダンドロです。第四次十字軍の構想したがって運命は、元首ダンドロの頭脳だけからつむぎ出されてきた感があります。この元首は最後までこの十字軍と行動を共にし、コンスタンチノープルに没しそこに葬られました。どっかの国では、股肱の民だけが出征し水漬いたり草産したりしたようですが、さすがに勃興期の国家は違います。

閑話休題。ここで交わされた契約(1201〜2年?)には問題がありました。塩野先生を引用しますが、

 「ところが、兵糧の細目にいたるまで明記されている契約書のどこにも、肝心な目的地を記した箇所がないのである」

となります。その理由については、

 「おそらく、敵に防衛の準備の時間を与えないようにと考えてであったろう」

と推測しておられます。

ところで、リチャード獅子心王が中心となった第3次十字軍での経験で西欧側が学んだのは、エジプトの戦略的重要性でした。エジプトとシリアがイスラム陣営にある限り、パレスティーナは2正面作戦を強いられ続けるのです。サラディンがエルサレムを奪還できたのも、アイユーブ朝エジプトという大きな足がかりを獲得できたからです。現に、第5次の十字軍は、迷わず、ナイルデルタに橋頭堡を築こうとしています。

多分、第4次十字軍の戦略にもこの考えはあったと思います。軍事機密というよりは、東西両軍の常識になっていたはずです。

さて、ここから視点は「アラブが見た十字軍」に切り替わります。

サラディン亡きあと、シリア、パレスティーナ、エジプトを含む、いわゆるアイユーブ帝国の支配権は、彼の弟であるアル・アーディル(公正王)が握ります。公正王は十字軍がほぼ鎧袖一触された後の路線を、非戦による安定に求めます。そこに最大の懸案であったのがエジプトです。ここの副王に任じていた実子のアル・カーミル(完全王)に命じ、最大の脅威であったヴェネツィアとの間で和親協議を行わせます。

完全王はダンドロとの間に協定を結びます(1202年)。いわく、

 @ヴェネツィアはエジプトへの西欧の侵略には、一切荷担しない

 Aヴェネツィアはナイルデルタの各都市において自由に入出港・交易できる

エジプトは、貿易立国ヴェネツィアにとってはかけがえのない取引相手でありました。この完全王の路線は、第5.5次において神聖ローマ皇帝フリードリッヒ2世が積極的に受け容れたため、一瞬とはいえ、キリスト教圏とイスラム教圏との共存の道を垣間見せました。しかしながら、誇大な夢を見続ける教皇庁やフランス王が主導する場合には、従来の固陋な軍事路線を変更しようとしませんでした。

なにはともあれ、エジプトとの排他独占的な交易権を獲得した元首ダンドロには、協定を破棄してまで第四次十字軍をエジプトやイスラム圏に誘導する気などなかったのです。十字軍との契約に目的地を記載しなかったのは、これらの契約と協定を矛盾なく両立させるためでした。また、その後の行動においても、契約・協定の両立に心を砕いたのでした。十字軍士にとっても結果は満足でした。コンスタンチノープルこそオリエントの宝島だったのです。

白内障か緑内障でほとんど盲目であったというこの老人の知力・意志力。真に畏怖すべきです。



帆の系譜 投稿者:テバ 投稿日:2009/08/01(Sat) 19:41 No.1064  
地中海が「ローマの海」と呼べた時期は、だいたい、ポンペイウスから西ローマ帝国の滅亡に前後する期間まで、つまり紀元前1世紀から紀元5〜6世紀間だろうと考えられます。この時代に地中海を帆走していた船の帆の形状は長方形ないし台形でした。これは順風を最大限に推進力に変換するうえでは、最も合理的なものです。

しかし紀元2世紀の冒頭、ローマ皇帝トライアヌスは三角形の帆を目撃しています。それは帝国の東辺のメソポタミアに軍事遠征を行った時のことです。この地域はパルティアが支配していましたが、ローマは長年にわたりその国境の安定に手を焼いていました。トライアヌスはここを平定し、帝国に史上最大の領土をもたらします。

それは多分、ペルシャ湾を一望する砂丘の上に軍営した時のことだったと思われます。彼は、数多のダウ船が遙か東方との交易を目指し、貿易風を三角帆に受けて海上を走るのを遠望したようです。すでに老境にあったトライアヌスは「自分にアレクサンドロスの若ささえあれば、印度はおろか地の果てまでを征服できたのに」と、落涙したそうです。

そうです、インド洋がエリュトラ海と呼ばれた大昔から、この海域は三角帆のダウ船が往来していたのです。三角帆の機能で一番重要な点は、張り方によっては、航空機の翼と同じ原理で揚力を発生させられることです。これと舵の向きを組み合わせれば風上側に帆走することもできるわけです。これはトライアヌス時代の地中海では知られていない技術でした。

紀元7世紀にはイスラムの大進撃が始まります。8世紀の終わりごろ、地中海は「イスラムの海」になっていました。キリスト教徒はカマボコ板一枚、浮かべられません。イスラムは当然のように三角帆の船を浮かべます。地中海沿岸から拉致した旧ローマ市民、ゲルマン人などを、奴隷として操船に使役します。西欧人は逆にイスラムの航海法を身につけます。

地中海の支配を再逆転させたのはゲルマン系ヴァイキングの末裔たるノルマン人です。彼らのヴァイキング・シップは元来四角帆だったのですが、三角帆のメリットを知り、たちまち取り入れます。その後、地中海の船は三角帆で塗りつぶされます。この背景には地中海特有の気象・航海条件があったわけですが、適者生存の法則が観察されます。

その後数世紀にわたり、地中海では三角帆、大西洋・北海では四角帆という状況が継続します。そこで「西欧人」たちは三角帆を「ラテン・セイル」と呼び習わすことになりました。本来の発明者から主張させていただけば「オリエント・セイル」とすべきですが、そこはそれ知的所有権についてのご都合主義は欧米人のお家芸です。

大航海時代に至ると「帆」は複雑な変化を遂げ、帆装システムというべきものになります。この応用特許は西欧に与えましょう。

ダウの三角帆は東漸もして、別の進化を遂げ、マーラン(馬艦)船の帆になります。肋骨(リブ)を備えた扇子のような帆になります。実は、一枚布の三角帆の場合、風向にほぼ平行に展帆して揚力を得ようとすると、帆の状態が極めて不安定になります。帆が「裏を打つ」ような振動現象を起こし、船が大きくローリングします。これをリブで補強して剛性を高めることによって防止するのです。

今では剛体の帆まで開発されようとしています。マーラン船の基本特許だと主張する超大国も出てくることでしょう。

ラテンセイルは西欧人の発明だという議論を見かけましたので、シンドバッドの名誉のために弁論した次第です。



エヴァンゲリオン 投稿者:テバ 投稿日:2009/07/24(Fri) 20:11 No.1063  
やっと手拭いの合理性に世界が目覚めんとしているようです。この福音の伝道者として、テバは心底から感動しています。邪宗・ハンカチーフと決別し手拭いに回心したばかりの頃は、世間の迫害的視線に度々遭遇したものです。その視線には「貧窮」、「旧弊」、「固陋」といった極めてネガティブな評価が込められていました。さすがに殉教の危険はありませんでしたが。

確かにハンカチは高価ですね。ディオールとかランバンとかのデザイン料も入っているでしょうし、四辺を返し縫いするために手間賃も高くつくでしょう。それに対して手拭いは職人の図柄で、両端はそっけなく切りっぱなしです。稀に四辺返し縫いした手拭いにも出遭いますが、これは大変に使い勝手が悪い。布巾ぐらいにしか使えません。異端と断ずるほかありません。

すべての新興宗教は、それが興隆せんとする初期においては「邪教」とされます。しかし多数派となった瞬間に、逆に、それ以前の旧主流派に「邪教」のレッテルを貼るのですね。手拭いについても同様です。これからはハンカチを邪教と呼び、伝統的江戸前以外の手拭いを異端としましょう。神学を整備し、カノンも制定します。迷える小羊を導く教会制度も整えましょう。

忙しくなってきそうです。



ゲソ(烏賊足) 投稿者:テバ 投稿日:2009/07/18(Sat) 01:19 No.1062  
"foot print" のことを警察関係者が「ゲソ痕」と呼ぶことは、「新・料理研の女」とかいうテレビ番組で初めて知りました。

更に、世界唯一のゲソ痕を残すであろう超特製「シークレットブーツ」の画像があったことを、本日初めて知りました。

ゲソの世界も奥深いことです。



メタボッチの多い料理店 投稿者:テバ 投稿日:2009/07/15(Wed) 19:31 No.1061  
三段バラといえば、メタボッチ体型でも最悪の部類に入ると思うのですが、これの原因物質を食材として提供している料理店を発見しました。そのまんまです。

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Modified by isso