【「う〜む」……テバ@翻訳を終えて】

何と、このマシンは、ポンプを動かすためのオープン・モーターであったのです。「整流子」という用語もまだなかったようで、「へら」なんていう生活用品の概念を使っての部品nの説明は苦心惨憺もいいところです。しかし、当時としては、間違いなく、最先端の美麗マシンの一つであったと思います。

テバが小学校の頃、電磁石とスイッチでブランコを作ったりしてました。これも一種のオープン・モーターです。当時は、モーターといえばすべて丸かったのですが、逆に今日では、オープン・モーターなしでは、時計もビデオも考えられないようになってきています。思えば不思議な再帰現象です。昭和40年代、諏訪精○舎の技術者達が、スイスウォッチに対抗すべく開発したということで、百年を経て甦った技術というわけです。

昔の理科の工作はノホホンとしたもんで、電気ブランコも夏休み一杯使って組み立てたりてました。なにせ、エナメル線が手にはいるまで、一週間もかかったのですから。こういうことをやっている間は、17歳になっても幼稚なもので、ネジクレた興味・関心なんて湧いて来ようもありません。逆に、「ニンテンドー・ワールド」に「森の中の殺人」なんちゅうのを、小学校のころから寄稿している、今のニンテンドー・キッズはどうなっているのかな。「凄いもんだ」、ということだけは確かですね。

ところで下の図が、サンクトペテルブルクのヤコビが1838年に組み立てたマシンです。棒状の鉄心にコイルを巻き、これをたくさん並べ電流の方向を切り替えるもの、とあります。右側の大きい部分、これは3つの星形のパーツからなっているのが判ると思います。両端の星は架台に固定されています。間にはさまれた部分が回転子です。ニコライ皇帝がスポンサーだったそうですが、これを20台連結し、320個の電池でスクリューを回し、14人を乗せた長さ28フィートのボートを推進したそうです。時速3マイルとありますから、歩くぐらいでしょうか。結局動力源の電池の性能がどうしようもなかったようです。