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☆★☆- ホンの幕間 -☆★☆

>> 2005/11

[ 恒例のご挨拶 ]
この国にはオイルもなければゴールドもない。せいぜい僅かな土地だけだ。そうだ、この土地に価値を与えよう。道路を通し、工業団地・住宅団地を造ろう。中央と地方と結ぶ新幹線や空港も造ろうじゃないか。これが国民の生きるモティベーションにならねばならないよ、キミィ(扇子パタパタ)・・・この考えは大方の支持を得ましたよね。戦後昭和の活力源でした。

最近話題になった構造欠陥マンションの施工主は、ひと味違ったようです。自分では不動産を所有しないようにしていたそうです。「1万年というようなオーダーで考えると、そのうちのたかだか10年や20年、これは俺の土地だと縄張りするようなことに金を遣ってどうする」という信念をお持ちのようでした。もっともこういう人の方がずっとタチが悪かったようです。

そんな遣り取りをしていたら、Uセンセイから面白いお話をいただきました。

   .........。。。。。。。。。。oooooooo○○○○○

ブータンの時間の話です。

ブータンの真面目な会議で、何か輸出できるものはないか、という話になりました。

  「ブータンには時間がある。しかもかなり上質だ」

全員賛成したのですが、どうやって梱包して輸出するかで結論が出なかったそうです。

日本には土地は少しありますが、時間は全くありません。

   ○○○○○oooooooo。。。。。。。。。。........

なるほどね。足りなかったのは、土地やお金ではなく、時間だったのですね。

皆様が、ゆっくりと流れる、良いお年をお迎えになることを。
2005/12/31(Sat) 晴れ


[ この年の瀬に ]
ふと DVD を買ってしまった。これが間違い。

1187年のエルサレム攻防戦を描いた Kingdom of Heaven を、この繁忙な時期に2回も観てしまった。合計五時間近くロスしたぞ、おい、どうしてくれるんだ。西欧・十字軍の側からすると悲劇・屈辱にあたるこの Holy Land 失地のドラマを、Hollywood がよくぞ映像化したものだと思う。20世紀フォックスはネオコンのテロが怖くはないのだろうか。

バリアン・ディベリンを主演したオーランド・ブルームは成長株だと思う。しかしやはり、出色はサラディンを演じたハッサン・マスードだ。膨大な数の自軍戦士の屍を前に涙するイスラムの総司令官。この「もののふ」の心さえあれば、日本の過去百年の歴史も相当違ったものになっていただろう。旅順の混沌も回避できたのではないだろうかとも思われた。

バリアンがエルサレムの司教に言ってのけた台詞も良かった。死者を火葬にすると最後の審判のその日まで魂がさ迷うとして、滔々とドグマを述べ立てる司教に対し、籠城戦における疫病のリスクを説き、

 「神はこれを理解したまうだろう

  もし、理解しなければ、それは神ではないから

  心配しなくて良い」

愛児の死に絶望して自殺してしまった妻の死後の魂の問題こそは、バリアンの旅立ちの原点であった。こういう思想が横溢する映画なら、某一部大統領に嫌われているという訳もわかるような気がする。日本の総○も、馬鹿国民から魂の議論など聞きたくはないだろうな。きっと。

エルサレム開城交渉の後、バリアンは問う。

 「エルサレムの価値とは?」

サラディンは応える。

 「無だ」・・・「全てだ」

一途に生きてきたバリアンが、地上の王国の存在に確信を持てた瞬間です。

あの大河ドラマの退屈さ、緊張感のなさに較べると、監督の才能の差をひしひしと感じます。○HKのディレクターだって、その筋の無神論者としては人後に落ちない筈であるし、存分に金をかけているのにねー。
2005/12/30(Fri) 晴れ


[ グリーティング ]

「あ〜、年賀状か。幾つになってもなかなか減らないな。年賀状のない国に住みたい」

と、ぼやいたら、

「クリスマスカードで同じことかもね」

という返しがありました。

クリスマスカードを何百枚も出す国民があるのでしょうか? 確かに、ドイツ人あたりは怪しい感じがするのですが。イスラム圏ではどうなっているのでしょうか? ラマダーンカードなんてのがあるのでしょうか。中国では春節の折、グリーティングカードを遣り取りしているようですが、普通の市民で何枚ぐらい出すのでしょう。

統一独立主権国家でありながら、礼文島から与那国島までグリーティングカードが大量に流通している国、これは相当な貧乏性国家なのでしょうね。

「俺は出したのに、あいつは呉れなかった」

55円の大問題。

現実には「ひま」さんが救援に乗り出してくれました。
2005/12/29(Thr) 晴れ


[ タヌキ ]
山崎女史が偉いのか、日本医師会が駄目なのか。医師たちが白い巨塔から引きずりおろされ出した。これも久しい昔のことである。最近では、国会議員兼弁護士とかいう人が対象になった。会計(士)事務所も譴責された。そうしてついには建築士へときた。「師」とか「士」というのは、そもそも、相当な公共・公益性を有しており、民草においては尊敬置くあたわざる方々にのみたてまつったタイトルだった。「サムライ・ニッポン」の象徴だったのだ。それが何と、去年(こぞ)の花今いずこ。そのうちに、博士、修士なんてえのが逮捕されると、それだけでテロップが流されるようになるんだろうなあ。

天麩羅のタネを抜くからタヌキという、という説がある。そこで、天麩羅蕎麦から蕎麦を抜くとこれが「天抜き」という逸品になる。一度試してください。天つゆよりも蕎麦つゆの方が、確かに海老天の味が「濃く」なる。一杯やるときの酒肴としては、断然こちらに軍配を挙げたい。そこで考えるのだけれど、「師」や「士」なんかはどうしても必要なのだろうか。これに類するものとして、「官」、「判事」、「大臣」、「総裁」なんていうものもある。どっかの最高権力者が言っているそうだけど、「これからは民間でやれることは民間で」というモットーで、この国は動いているそうではないか。

止めよう、変な日本語は。日常用語でやれることは日常用語でやりましょう。

たとえば自○党総裁兼内○総○大臣なんてえのが一番とんでもない例だと思う。まず、隗よりはじめたら良いのだ。「大衆劇場経営者兼観覧料徴収係」とすればものすごく親近感が湧くと思う。しかも、何を「なりわい」としているかというあたりも極めて明確になる。
2005/12/06(Tue) 晴れ

My Diary Version 1.21
[ 管理者:テバ 著作:じゃわ 画像:牛飼い ]