★源河(ジンカ)川余聞★

             
(2001/05/24)



 ジンカガーラヌ ターユグヮーター
 ウスグチ ウリトゥティ
 マクブン ナラナラ
 タマン ナラナラ

 イヤァガヤ イリチヌ グナサヌ
 マクブン ナランサ
 タマンン ナランサ
 ドゥキナリ ドゥキナリ


カリタンタンで、この唄を引用したところ、大変な反響・問い合わせがありました。

ヤマトーンチュとしては、手をつかねていたところでしたが、畏友・頭光さんが、

わざわざ現地に行って、調査をしてくれました。いくつかの知見が得られたので、

ご紹介します。


まず、歌詞の問題ですが、「ターユグヮーター」つまり「銀鮒たちは」のところを、

「アユヌクワァーナチ」つまり「アユの仔がうまれて」とする説があるそうです。

ジンカ川は、現在は名護市の北部に含まれてますが、天然のアユ(琉球鮎)も

見られるようです。


次に、以前は、童歌(わらべうた)とご紹介しましたが、土地の古老の記憶では、

何かの唄の囃子詞(はやしことば)だったのではないか、ということです。羽地口説、

十番口説、四季口説、などが候補としてあげられたようですが、絞り込むところまでは

いかなかったようです。なお、口説は「クドゥチ」です。


源河は、現在は名護市の一字名として残っていますが、そのかみ、一つの村で

ありました。源河村の真ん中を、源河川が流れているのですが、左岸は羽地間切り、

右岸は大宜見間切りというように、源河川は古い時代の行政界であったようです。


左岸の集落からはノロ(神女)が、右岸の集落からはウペーフー(男性でノロの使い)

が出ていたそうで、この唄は、そのウペーフーが謡ったともされています。囃子詞

というか、合いの手というか、この唄の補助的な位置づけが想像される話です。


この唄を完全に知っている人は、もう源河にはいないのではないか、ということです。

今の60代の人たちの、祖父や父の時代に、毛遊び(モーアシビ=ヤマトの歌垣の

ようなもの)で、かけ言葉や、遊び言葉として使われてもいたようだということです。


頭光さんの訊き方がうまかったのでしょうね。おじぃたちによる、貴重な再現テープも

採録されました。


全訳

 源河川の 銀鮒たちは
 潮口に おりて行って
 まくぶに なろう
 たまんに なろう(としたものの)

 あんたらは 鱗が 小さくて
 まくぶにも なれない
 たまんにも なれない
 どきな どきな(と他の魚に言われたことだ)