★ランビキ★

             
(2001/04/19)



Ganotの教科書・第五章「熱」で、ついに蒸留器が登場しました。そこでは、

「アランビック、別名スチル」と紹介されています。そう、あのランビキです。

日本にはポルトガル人が伝えたようですが、なぜか「蘭引」という文字が

あてられています。ところで、なぜアランビキではなくランビキになったの

でしょうか。おそらく、という程度ですが、「ラ」にアクセントがあるため、

ァランビック→ランビック→ランビキ、となったのでは、と考えます。「スチル」

の語源もよく判りませんが、スチル・ドリンクが非発泡性の飲み物という

意味からすると、盛んに発酵・発泡しているもろみ(醪)を蒸留してみると、

泡の出ない静かな液体が得られた、というあたりでしょうか。

(どちらの説も、あまり余所で言いふらさない方が無難です)


蒸留器そのものは、大変に古い時代からあったようで、紀元前3,500年

ごろの、メソポタミアの遺跡から発掘されたものがあるそうです。ただ、

その頃には蒸留酒がなかったはずですから、使用目的は非アルコリックな

ものであったろうと推測されます。なにせ、後代のあのギリシア人ですら、

最初はビールばかり飲んでいて、後の時代にディオニュソスが持ってきた

ワインが原因で、感動したのか悪酔いしたのか、乱痴気騒ぎをしてたくらい

ですから、メソポタミア文明の時代は、ビール一辺倒だったはずです。

すると、何に使っていたのでしょう、ビールを蒸留してみようと考える人間が

もしいたら、その後の歴史は……、興味津々というところです。


アランビックの語源は、アラビア語のアンビク(anbiq)で、これに定冠詞alを

付けると、al-anbiqつまりアランビクになります。神様がal-lahで、アラーとなる

世界ですが、面白い仕打ちを受けたのは、アレクサンダー(Alexander)です。

大遠征で暴れ回ったのはよいのですが、最初の「アル」は定冠詞に違いないと

誤解され、イスカンダルにされてしまいました。この英雄は、中東から西アジア

にかけて大いに尊敬されていたので、イスカンデールとか、イスカンデルンとか

の訛りのキツイのも含め、この系統の地名・人名を多く残す羽目になりました。

ここでは、このアレクサンダーの先生であるアリストテレスが重要です。彼は、

海水の蒸留について書いた物を残しているのです。海水淡水化技術の最古の

記述ですね。


ヨーロッパ世界への伝搬は、12世紀ごろとして、二つのルートが考えられます。

一つは十字軍遠征のおみやげとして持ち帰られたもの。もう一つは、イベリア

半島のムーア人からカスティリア人へというルートです。これらの伝搬ルートは、

ヨーロッパにおける蒸留酒の起源が、複数あった可能性からすると、並行して

存在していた可能性の方が高いと考えられるのですが、いずれにしても、

ギリシア文明を継承したアラビアから伝わったということになります。アラビア人は、

7世紀のムハンマド以降、酒を飲んでいないはずだから、バラの花から香油を

抽出する等、アルコールとは無縁の作業にアンビクを使っていたはずだ

 ・・・ というのは大間違い。


「アラク」もしくは「アラック」という酒があります。これはれっきとしたイスラム圏産の

蒸留酒で、その度数は与那国の花酒(「どな○」など)に匹敵します。普通、水で

割りますが、アルコールの水和反応で、たちまち白濁します。レバノンが名産地(?)

ということですが、私の知り合いの人は、ロンドンに行くと、空港で必ず買って来ます。

そのお裾分けにあずかったことがあります。原料はぶどうらしいのですが、ぶどうに

何をすればこんなになるのか、といった強烈な臭いです。そうですね、何ヶ月も

風呂に入らずに、砂漠を旅してきたラクダの臭い(嗅いだことはありませんが)、

そんな感じです。


ところで、十字軍以降のヨーロッパは、大変活発な地域になります。お酒が

宗教公認で、そのうえ更に、蒸留酒が手に入るようになったのですから、

これはもう、元気にならない方がおかしい。その勢いで大航海もやってのけ、

ついに16世紀ごろ、日本にも蒸留器が伝わることになったわけです。

泡盛の歴史では、当時、シャム(タイ)に交易のために渡航した琉球人が、

もう少し早い時代にこれを持ってきたともされます。多分これも正解で、

ポルトガル人による伝来と、並行的に起こった現象だろうと思われます。

そのぐらいの情熱・執念を惹き起こす技術だったのですね、蒸留は。