★お通り功罪考★
             
(2000/11/09)



ついに本場まで行って、「お通り」をやってしまった。那覇にいても、話題が

宮古島のことになると、皆、「あそこには、お通りがあるから……」と言い澱む。

もちろん、那覇でも、お通りの真似事をするが、本場はこんなモノではない、と

いつも言われていた。一体、本物のお通りってどんなんだ、好奇心はつのる。

そして、好奇心は猿を殺す。


二十人ぐらいで、大きなテーブルを囲んだ。この件では、参会者の人数が

最後に重大な意味を持つことになってくる。仕事の話、世間の話、そして

最近特に興味がある、宮古の釣魚事情、四方山話もたけなわという頃合い、

突如、幹事役が「お通りです」と宣言する。そして一風変わった酒器を、

うやうやしく捧げる。後で聞くと、「角皿(つのざら、ツヌザラ)」というらしい。

量はあまり入らない。せいぜい、小振りのコップ一杯分といったところ。


安食堂でよく見かける、半透明プラスチックのピッチャーに、泡盛と氷と水を

なみなみと満たし、箸でかき回し水割りを作る。これを注いで回るのである。

泡盛は多良川。菊の露と並ぶ、宮古を代表する泡盛の銘柄の双璧である。

これを角皿に満たし、幹事役は、何事か口実を設け、「親」を指名する。

指名された者は、ここでスピーチを始める。話題は何でも良いのだそうである。

だが、最初の親は、やっと飲酒解禁になった若者であり、その上、突然の

指名である。どうなることかと聞き耳を立ていたが、どうしてどうして、

なかなか見事な口上であった。


そして、グイッと飲み干す。親は、角皿を持って座を回り出す。一回りが終わった

ところで、親はもう一杯飲み干す。一ラウンドである。ここで、彼は次の親を指名し、

親の役を降りる。新たな親も、別の口上を述べる。これも、起承転結の整った

立派な演説であった。本島の人が、宮古の人にはかなわない、論争をすると

必ず負ける、ということの背後に、このお通りの場での意志表示鍛錬があることが

良くわかる。社会人教育のお手本みたいな、なかなか素晴らしい風習なのである。


お通り一回りあたり、親が二杯、子が一杯ずつ飲むことになる。親に注がれた子は、

飲み干すまでに、いたずらに時間をかけることは許されない。あまりモタモタすると、

罰杯として、もう一杯おまけがくる。一分程度が限度のようだ。相当うすめた

水割りなので、それ程キツいことはない。二十人もいるから、自分に回ってくる

までには、十分な間隔がある。まあ、こんなことなら、恐れるほどのことではない、

軽く受け流せばよい、という感じである。親は次々と代わり、宴は進行する。


そろそろお開きも近い、と思われた時、ついにテバが親に指名された。予感はあった。

なんといっても、遠来の客だから、いつかは来ると思っていた。そこで、持論の

「かじまやー九十九歳説」を簡潔に宣教して、一杯飲み干し、座を回り始めた。

ここで、突如、隠されていたルールが登場したのである。何と、子は、親に「お返し」を

することができるのだという。これまで誰もやっていないよ、と抗議するが、お返しは

子の権利、たまたま誰も行使していなかっただけだという。


お解りですね。親のテバは、一回りで、二十杯以上飲む羽目になったのだ。

二十人という人数は、救いではなく、命取りにであったのだ。那覇の人が

「宮古には、お通りがあるから……」と言い澱んだわけを、身をもって学んだのである。

実際、テバも、親を果たし終わった時には、完全な「お開き」状態になっていた。


お通りの「功」は既に述べた。宮古の人は、全員が立派な論客になる。それは、

人口五万足らずの宮古島の人々が、島外に打って出て、沖縄の経済活動等で、

目覚ましい活躍をする上での原動力となっているのだ。「罪」は言うまでもない、

島の外からやって来て、一度お通りに巻き込まれた人は、次からは警戒して、

あまり近寄らなくなる。するとどうなるか。功罪相乗じて、島の人口はどんどん

減ってしまうではないか。これを困ったことと言わずして何であろうか。


実際、事を憂えるあまり、昔、「お通り禁止条例」なるものを作ったこともあるらしい。

しかし、条例成立のその晩は、これはめでたいとばかり、盛大なお通りがあちこちで

催されたという。現在、その一日条例の正文を捜してもらっているが、ここに

似たようなものとして、「泡盛五訓」というものがある。やはり、宮古の人が、

自戒の念も込めて作ったものであるが、これをすら「泡盛ゴックン」と訓み下す

ヤカラがいるらしい。


救いはあった。親の大役を前にゾッとしているテバに、「これを囓りながら回りなさい」、

と葉っぱを手渡してくれた人がいた。霊草「にが菜」である。これは確実に効果があった。

二十枚ぐらいは囓ったろうか、翌日、後遺症が残らなかったのである。将来、お通りに

出会いそうになったら、急遽、にが菜を入手されることをお薦めする。どこで? …… 

それは簡単。宮古なら、どこの道端でも、ちょっと捜せば、自生しているのが見つかります。