これは以前、幕間に書き散らかしたことどもです。何とかしようと思いつつも、つい歳月が過ぎてしまいました。今回、サーバの移転を機に、まとめてみました。



どぜう鍋 − あるいは、どじょう豆腐、どじょう鍋、どじょう地獄、地獄鍋、について −


2001年の8月の中旬、嘉利吉の邦で、あの「どぜう豆腐」の話に巡りあった時の衝撃は忘れられません。人生は邂逅であるとも、犬棒であるとも、思ったことです。どぜう豆腐については、はっきりと「つくり事である」、と断定された大碩学もおられるようです。その一方で、実際に食べていた、あるいは食べているよ、と証言される方々が多数おられることも事実です。テバがお会いした方(以下仮にAさんと呼ばせて頂きましょう)は、大過去体験派に属しておられます。テバの当初の立場はというと、過去にこれを試みて失敗した事例を知っていましたので、半信半疑というよりは、むしろ、つくり事派に大きく傾いていました。しかし、Aさんの話を伺うにつれ、そこには、細部に至るまで、実際に経験しなければ語れないような整合性があるな、という印象を深くしたのです。また、テバが時折・唐突に差しはさむ質問にも、Aさんは遅疑逡巡なく的確に即答されたのでした。

Aさんのプロフィールですが、60代半ばのご婦人です。沖縄のこの世代のご婦人に共通した、生真面目で木訥な話し方をされる方です。去んぬる大戦の末期ごろ、熊本県は宇土地方のとある村に、親戚を頼って疎開しておられたようです。宇土地方は、テバも何回か訪れていますが、山紫水明な土地柄で、有明海や柴尾山に囲まれ、なるほどドジョウの古里である、と思わせるところがあります。失礼にあたるので、お年はお伺いしませんでしたが、多分、その頃は小学校の中〜高学年だったと拝察されました。つまり、この件の証人としては、充分な年齢に達しておられたものと考えられます。当時の味の記憶も鮮明で、最後に「かわいそうだが、おいしかった」と、はっきり述べておられます。極めて迫真性に満ちた証言でありました。

お話を伺いながら、メモを取らせていただいたことはもちろんですが、その直後には、更に思い出しながら、注釈付きの詳細なレシピを作っておきました。ポイントは7点ほどあったようです。

 ・ドジョウの鮮度
 ・ドジョウの大きさ
 ・ドジョウの前処理(T)
 ・ドジョウの前処理(U)
 ・豆腐の種類
 ・水の張り方
 ・材料投入の手順

というあたりになりますか。残念ながら、その後試してみる機会もなく、そのままになっております。ただ、本件について、かねがね心を悩ませておられる同憂の志のために、ここに公開することを決心いたしました。


(1)ドジョウの鮮度

さて、最初のポイントです。これは、鮮度の良いドジョウの入手ということです。ここで失敗すれば、以下、いかなる努力をしようとも、全てが水泡に帰すはずです。では、ドジョウの鮮度とはなんでしょうか? それは、あらゆる生き物に共通の条件である、「やはり野に置けレンゲ草」の原理です。あのレイチェル・カーゾンが「沈黙の春」の中で語っている、センス・オブ・ワンダーに満ちた世界で生きているドジョウこそ、これに該当するわけです。昔々、築地の河岸でドジョウを買ってきた連中がいましたが、彼らは、ドジョウが活き活きと生きていた世界というものを最初から知らなかったか、すっかり忘れていたか、のいずれかでしょう。第一歩から、つまづいています。

そうした経験を持つ人は、もうあまりいなくなっているのかも知れませんが、テバが子供の頃は、ドジョウというものは、買ってくるものではなく、採ってくるものでした。これこそが、弥生時代からの常識、礼儀、作法であったのです。小川の流れを、畦の泥を用いて堰き止め、水をバケツで掻い出し、ピチピチ跳ね回るドジョウを、同じバケツで掬い取るのです。一網打尽の優れた漁法ではありますが、小川とは言え、これはれっきとした農業用水路です。お百姓さんとの、追いつ逐われつの緊張関係もありました。農業対内水面漁業の仁義なき対決、とでもいうべき角逐ではありましたが、いつも、時間的余裕に恵まれた子供たちの勝利に終わるのでありました。

ここで、第一のポイントの総括です。

★ 旅の支度を整えて、あなたの方からドジョウの古里を訪ねるのです。それができないのなら、おいしいどぜう豆腐はあきらめましょう★ 

(2)ドジョウの大きさについて

次に、ドジョウの大きさです。大きさを決めるファクターのひとつは、ダシの出具合です。これは、どぜう豆腐の全製作過程を俯瞰すればわかることですが、この料理、ダシが取れるのはドジョウだけなのです。あの有名な駒○どぜうなどでは、どぜう鍋でも柳川鍋でも、ちゃんと、別途のダシ汁を使っています。そのため、ドジョウはやや小振りなものでも良いわけで、この辺に、駒○どぜうが食べやすいとされ、女性にも抵抗なく受け入れられている一因があるのではないでしょうか。いつもながら、テバの深い洞察が感じられますね。

もう一つのファクターは、ドジョウの体力です。どぜう豆腐は、別名「どぜう地獄」とも呼ばれています。この暑熱の地獄を潜り抜けて、豆腐の中に突入するだけの体力がドジョウにないとしたら、この一品が失敗することは火を見るより明らかです。体力に関係するポイントとしては、最初にあげた鮮度もありますし、後述するドジョウの前処理(U)も絡みます。鮮度・大きさ・前処理、この三条件を完璧に備えたドジョウのみが、地獄の劫火をものともせず(?)、栄光のどぜう豆腐になる資格を有しているのです。

さて、とすると、ドジョウの大きさはどの位が良いことになるのでしょう。これはもちろん、Aさんに伺いました。するとAさんは、両手の人差し指で、「このくらいさ」と示してくださいました。

 テ「すると、三寸ぐらいですか?」

 A「ん〜ん〜、8p前後さ」

あーぁー、恥ずかしぃーさ。年上の女性の前で尺貫法を使ってしまったからねー。しかし、Aさんの、この正確・迅速な反応はどうだろう。三寸ではなく8pなのだ。テバは、このやりとりで、Aさんが、どぜう豆腐を実際に作っておられた、ということを確信したのである。おかっぱ頭の少女・Aさんが、竹製の物差しを使って、ドジョウの長さを計測しておられる姿さえ彷彿としたのである。頭上には碧空が、遠景には有明海が広がる、あの熊本県は宇土地方の田園地帯で……

さあ、第二のポイントの総括です。

★ ダシと体力の観点から、ドジョウは8p前後を最適とします。三寸では大きすぎると考えられます★

(3)ドジョウの前処理(T)

イキの良い最適サイズのドジョウが手に入りました。いよいよ前処理にかかります。ドジョウは「泥鰌」とも書くように、泥の中に棲息しています。したがって、大量の泥を腹の中に蓄えています。この泥は、人間が食べても栄養にならないことはもちろん、お味も決して良いものではありません。というわけで、前処理の第一段階は、当然ながら、この泥を吐かせることです。

二日間は、清浄な流水の中でドジョウを泳がせておいてください。前々回の総括で「旅の支度を整えて」と申しあげましたが、オーバーな表現でも何でもありません。現地に着いてすぐにドジョウを捕らえたとしても、あと二日、つまり二泊はこのドジョウを見守っていてあげなければならないのです。あまり長くこの処理を続けると、ドジョウが飢えてやつれてくるおそれがあります。念のため。

今回のポイントは明快ですが、あえて記すと、

★ 清浄な流水で、二日かけて泥を吐かせてください★

(4)ドジョウの前処理(U)

さあ、いよいよ調理に進みましょう。道具は鍋(蓋付き)とコンロですか。もちろん火は、すぐに調理できるように、強火で起こしておいてください。ガスコンロならその心配はないでしょうが。材料はドジョウの他、味噌、豆腐、ゴボウ(笹掻き)、そしてお好みによりネギ、ということになってます。どうして「なってます」なんだ、などと訊かないでください。これはあくまでもAさんのレシピなんですから。前大戦末期の熊本県・宇土地方における歴史的事実であった、とでも申し上げておきましょう。これにご不満の方は、自分で試しながら、新たなレシピ作りにチャレンジしてみてください。

ここで一番肝心な手順が登場しました。それは、

  ドジョウを笊にあげ、塩をひとつまみかける

というものですが、この「ひとつまみ」の分量が、致命的に重要です。

なぜ塩をかけるのか、というと、これは明らかです。塩をされたドジョウは激しく動き回り、お互いに体を擦り付けあいます。すると、みるみる泡が立ってきます。このことによって、ドジョウの「ぬめり」が取れるのです。この泡は、別名をアクとも言います。そう、あらかじめ、アク抜きをするのですね。しかし、アクを充分に取ろうとして、塩を多量にしすぎると、ドジョウはその塩分で弱ってしまいます。折角イキの良いドジョウを用意した努力は、水の泡、もとい、塩の泡になってしまうのです。塩で弱ってしまったこのドジョウは、次の段階で、地獄の戦場を戦い抜くことができなくなってしまうのです。

この手順のくだりに至り、テバは執拗にAさんに食い下がりました。ギリギリ少量とは? 「泡が出ないようなら塩が少なすぎる」、というのが塩の量の下限値の目安でした。上限は? 「少しはぬめりが残っている」状態だそうです。このときは、ドジョウの表面が白くなるので判るそうです。残ったぬめりが味を落としてしまうのでは? これについては、「ん〜ん〜、ぬめりもダシのうちよ」とのご託宣でした。ちなみに、この「ん〜ん〜」という言い方は、沖縄では、相手をやさしくたしなめる場合などに使う表現で、テバの好きな言葉の一つです。特に女性などが、ある種の仕草を交えて使うと、大変よろしいようです。

閑話休題。結局、この塩加減は、一・二度失敗してみなければ掴めないような、微妙なもののようです。したがって、ドジョウは、初回には多めに用意しましょう。

総括すると、

★ 笊にあげ、塩をひとつまみかける。塩の量はギリギリの少量とする★

(5)豆腐の種類

前回、ごく少量の塩でアク抜きをしたドジョウ、これは直ちに水で洗浄し、塩気を落としてあげましょうね。理由は既に述べた通りです。何といっても、ドジョウは淡水魚中の淡水魚ですからね。

ここで、もう一つの重要な材料に触れておかなければなりません。アインシュタインの一般相対性理論は、時間と空間が不可分に結びついていることを、たった一つのテンソル方程式で教えてくれました。かの大天才から約100年、ここでついに、どぜう豆腐の数A的方程式を発表します。すなわち、

  [どぜう豆腐]=[どぜう]+[豆腐]

となります。どぜう豆腐の本質が、初めて数学的に示されたのです。どぜう豆腐にあっては、ドジョウと豆腐が不可分に結びついていることが判りますが、ここで議論しようとしているのは、右辺第二項にある豆腐のことです。

勘の良い方ならお気づきのはずです。そう、絹か木綿か、という例の問題です。ヒントはドジョウのコンディションです。かの特殊部隊クラスのパワーとファイトをもったドジョウです。ドジョウの形状も、何となく、あの巡航ミサイルに似ていますね。従って、答えは「木綿」です。絹ごしでは、崩れてしまって役に立たないそうです。

今回のポイントは簡明です。

★ 豆腐は木綿を選ぶ★

(6)水の張り方、そして食材投入手順

ドジョウとの長い辛抱強いお付き合い、まことにありがとうございました。全国の泥鰌愛好協会会員を代表して、厚く御礼申し上げます。最終編です。鍋への投入手順までいきます。普段から多言・多弁を弄さないテバではありますが、今回は、特に淡々と正確にいきたいと思います。この料理は、カテゴリー上は、味噌汁になるようです。

@鍋に水を張り、豆腐とドジョウと味噌を入れます

  余計なことかもしれませんが、普段味噌汁作りに使っている鍋で結構です
  道具については、使い勝手が判っていることも、大切な要素ですよね
  ドジョウはたっぷり入れてください
  (混雑させることと、多い方がおいしいことの、両方の意味があります)
  味噌の量は、できあがりが味噌汁の所要の濃さになるようにしてください
  
A水は、豆腐の高さギリギリに張るようにします

  豆腐の上まで水位が来ていると、ドジョウの通路・避難所になってしまうからです

B蓋をして、すぐに火を付け、強火で一気に炊きます

Cゴボウを入れるなら、ドジョウが豆腐に突入したころあいに、パッと入れます

Dネギなどは、できあがってから入れてください

  味噌汁ですから、ぐらぐら煮立てないことです
  (それでなくても、味噌を最初から入れているという変則的味噌汁ですから)
  せいぜい、食べる直前にキザミで入れるぐらいです

えーっと、以上です。なんだか疲れましたが、これで、多くの有志の皆様に、Aさんから伺った秘伝をお伝えできました。後顧の憂いがなくなりました。願わくは、有志諸兄の中から、試してみられる方が出現されんことを。

  「かわいそうだが、おいしかった」

これを念頭に、頑張りましょう。

そうそう、今回の総括ですが、無理にまとめると、

★ 最後の調理は正確に手早くやりましょう。かわいそうですが★



最後の最後にあたり、Aさんへの深甚からの謝意を表させていただきます。本当にありがとうございました。